あたろーの日記
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記念切手が好きで、ちょこちょこ郵便局に買いに行く。 でも整理ベタなのでコレクションはしない。我が家に手紙を下さる方々が皆いつも素敵な切手を貼ってくださってそれがとても嬉しいので、こちらから出す時も楽しんで切手を選んでいる。封筒や葉書の図柄や、季節の花、風物詩、またその方との間で話題になったものにちなんだ切手など、切手箱の蓋を開けてあれこれ悩むのがとても楽しい。 幸い会社帰りに少し遠回りすれば、他の郵便局より記念切手を沢山置いてある東京中央郵便局に行くこともできるのです。いろんな種類を少しずつ、送る相手をイメージしながら選ぶのも楽しいものです。 ところで、最近東京中央郵便局に行くたびに解せないもの(^^) あの、「写真付き切手」というのはどうなんでせうか??? http://www.post.japanpost.jp/whats_new/2003/topics/picture_stamp/index.html いや、別に悪いってんじゃなくて、一体どういう人があれを使うのかと。。。 目ざとい私はそれが出た当初から「なんじゃこれは?」とその切手を作る機械の周りをうろついたりしたのですが、結局1シートも作ってません。 「写真付き切手」というのは、まあ、要するにプリクラの切手版みたいなものらしく、記念切手の下に自分のお気に入りの写真(自分の顔とか)をくっつけて、それを切手として使うものらしいです。シートにくっついている記念切手は、それ単体で売ってもいる記念切手で、そこにおまけみたいに写真をつけるようなものです。写真だけでは切手として機能しない。あくまで記念切手の下に写真をつなげた形で使うのだそうです。 うーん。。。。 で。。 その写真には一体どういう類のものを使ったらよいのでせうか? まず、独身女性だったら自分の住所を書いた封筒に自分の顔写真を堂々と貼るなんてオソロシイ真似しないよなあ。。。(してる人いたらスミマセン)。それは別に独身じゃなくても同じだろうなあ。。子供や赤ちゃんの写真もしないだろうなあ。。だって、「この住所にはこういう顔の子がいます」って宣伝しているようなものだもの。郵便やさんを疑っているわけじゃないし、受け取る相手が顔見知りということは多いけど、万が一自分の顔付き手紙が郵便局と受取人以外の手に渡った場合を考えると、このご時世、うかつに顔シール貼った封筒なんて出せないなあ。。となると、ペットの写真?それは結構楽しめるかも。でも、フツーに写真を同封すればいいじゃん、と思う人もいるだろうし。 というわけで、私なりにその「写真付き切手」の使い道をいろいろ考えてみた。。。。けれど。 あんまりいいアイデアが浮かばなかった。 せいぜい何かの督促状くらいか。。 コワーイコワーイ取立人の顔写真を切手にくっつけて出せば、受け取った方はビビらずにはいられないだろうし。。あんまりいい使い道とは思えないけど。 他に考えてみたんだけど、ほんとに何にも浮かばなかった。 もしかしたら、柔軟な頭の人達はいい使い道を考え出してぺたぺた活用してるかもしれないですね。 かく言う私も写真付き切手に惹かれているんでしょうな。こんなに気になるってコトは。。 うーん。でも。実家のテッチャン(秋田犬)の顔切手の下につけてもなあ。だから何?って笑われそうだなや。 あれを使っている人達は一体どういう風に使っているのでしょうか??
| 2003年05月12日(月) |
メモ帳の話なんだなこれが。 |
大したことではないようでいて、結構大したことだったりする、メモ帳のことだったりするんだなこれが。 スケジュール管理用のシステム手帳とは別に、一応いつもメモ帳を持ち歩いているけれど、しょっちゅう開いて何やかやと書き込む時期と、メモを取るという行為自体すっかり頭にない時期、波が交互にやってくる、まったく一貫性がない私です。 これではいかんと最近思って、メモ帳にメモるという行為を今一度見直しつつあります。 仕事中は電話メモとか何かの締め切り程度はメモるんだけど、社会人を10年もやってるくせに、いまだに上手なメモ、スケジュール管理が出来ていない。だもので、大事な仕事をよく忘れて、それが他の業務にも連鎖して結局は何もかも上手くさばけなかったりする。これはいかんと思い、最近机の上にいろいろ書き込める大きめのスケジュール管理用カレンダーを置いて、提出物の締め切りなんか以外にも、ちょっとした備忘録代わりになんでも書き込んじゃえ、と思ったのだが、気がついたらトレードマークの河童のイラストを余白に書いてしまっていた。まったくなってない。 ・・・ちなみにプライベート用のシステム手帳にも河童ちゃんがあちこち出没する。余白についいたずら書きをする癖は、学生時代から変わっておりませなんだ。・・・あ、いや、高校時代の世界史の教科書のダビデ像の写真に、ビキニを着せて友達に見せていたその精神は、いまだに失われておらんのですな。 あれ?なんの話だったっけ?そうそう、メモ帳。。。 いろんな人のメモ術(「術」なんだなこれがやっぱり)を紹介する雑誌の特集とか、サイト、本などをよく見るのだけれど、メモっていうのは何も綺麗にとる必要なんてないんですよね。とにかく、書く書く、書く。「メモ魔」と呼ばれる人はその日食べたものまで細かく書く。さすがにそれは出来ない(学生時代やっていたけど・・・ダイエット用に)。根がずぼらな私なので。 予定や忘れてはいけないことを書き込むスケジュール帳は別に持っているわけだから、メモ帳なんてわざわざ必要ないと言ってしまえばそれもそうなんですが。でも、メモ帳はそういったものと違う部分で、ヒトの脳の可能性を引き出してくれるツールとして、とっても有益なんじゃないかと思います。まあ、私がそんな風に知ったようなことを言うのもみんな、メモ活用術なるものを教えてくれている多くのサイトや本から知識を得たからなのですが。・・・でも、ちょっとは実感としてあるかも。 私が毎日持ち歩いているのは、KOKUYOの「SKETCH BOOK」と書いてあるいわゆる「野帳」「フィールドノート」です。1冊150円で、私の手のひらよりちょっと大きいくらいの大きさで、表紙は深緑の、厚いもの。中身は薄い3mm方眼紙です。これは、学生時代に発掘していたときの必需品で、さすが野帳だけあって、土だらけの作業ズボンのポケットから汚い手で取り出していろいろ書き込んでも、ちょっと位の雨の日でも、中身はちゃんと守られていて重宝しました。発掘以外でも野外調査、測量などをしている人達はみんなこれを使っているんじゃないかと思います。実際、これと同じシリーズで出ている「LEVEL BOOK」「TRANSIT」なんかは完全に測量用です。それ以来、メモ帳はほとんどずっとこれを使ってます。途中ちょっと浮気してみたけど、私にはこれが一番合うみたい。すぐこれに戻ります。方眼が薄いので、無視してその上にでかでかと字を書いたりイラスト書いたり。最近始めた短歌や俳句を考えるとき、思いついた言葉を書き並べていって、それを組み合わせてひとつのイメージを作り上げていったり、小説のネタにふと思いついたことを書き込んだり、コーヒーショップで隣の席の人達の会話でふと耳に入ってくるものがあったら書き留めたり、本を読んでいてピンとくるものを書き写したり、誰かと会話していて「これは」と思うことを書き留めたり、あとはぼけーっとしている時、何気に開いて無駄な落書きをしてみたり。。。 先日お酒の席で、ある方が口にされたことにピンと来て、これは書き留めておかなきゃ、と慌ててバッグからメモ帳を取り出してふと隣を見たら、隣の方も同じようにメモ帳を開いていて、あーさすがだな、と思いました。男性はうらやましいです。スーツの胸ポケットからスッとメモ帳を取り出せる。その点女性はバッグを開ける手間があるからスマートじゃない。でも、メモ帳を自然に使いこなしている人は男女関係なく、いいなあ、と思う。。アンテナの広さ、情報に対する敏感さ、発想を逃さない俊敏さ・・・年齢に関係なく、メモ帳を上手く利用している人は、こういった感覚を保ち続けて年季がいけばいくほど、蓄積されるものも多くなっていくのだなあ、と思います。私もそれを目指して。。。 最近、本屋ではメモ帳を片手に回ることに。 「あ、この本面白そう、読みたいけど、今日は別の本を探しているからこれはいつかまた」とか「今は興味ないけど、いつか読みたくなるかも」という本のタイトルはすかさずメモることにした。特に新書や文庫は新しいものが次から次へと出て、新書はブームもあるらしく、いろんな出版社からシリーズがいろいろ出ているので、気になるタイトルがあっても、時間が経つと、それが岩波新書だったか、中公新書だったか、はたまた平凡社新書だったかも分からなくなってしまう。だもので、メモる時は「書名・著者・シリーズ名」あとはシリーズの中のその本の番号(背表紙についている奴です)も書き込んでおくと重宝するかも。なにせ文庫や新書は回転(?)が早く、数年経つともう絶版とか売り切れというのも少なくないようなので、ほんとは店頭で見かけて「読みたい・・・かもしれない」と思ったときが旬なのかもしれませんが。 で、本屋で本命の本を探しながら、その時目についてピンと来た本のタイトルとかをメモっておいて、あとで暇な時にメモ帳をぱらぱらめくっていると、本屋でメモった書名から新たなインスピレーションが湧いたり、思わぬときにその本が必要になったりするので、結構おすすめの方法です。何より、私は優柔不断なもので、本屋で1冊の本を探してあちこちうろつくのに加えて、あーでもないこーでもないといろいろ手に取って結局1冊も買わないで出てくる(爆)というとんでもない時間の無駄もしょっちゅうやらかしているので、そういうことも減らそうとしているわけであります。 メモ帳っていうのは、人に見せるもんではないので、とにかくその時その時ぶつかったり浮かんだりしたコトをちょこまか書いたり、一見意味もない言葉の羅列でも、全然構わないんじゃないかと思います。大事なのは後からぱらぱらめくっているうちに、そこに書かれたことから発想の次の段階に自然と進んだり、あらたなインスピレーションが浮かんだりする可能性があるかどうか、かと。。 なんか偉そうに書きまくってしまった。。。 メモ帳の使い方、人それぞれなので、他の人がどうしてるのかとっても気になります。いい情報があったらよろしくですー。
| 2003年05月11日(日) |
まんまと利用されたし |
5月に入って、住宅街の家々からあふれる花々が、なお一層賑やかになった。 最近はオールドローズが人気のようで、塀のあちら側から道路に向けて大輪の派手なバラがぽんぽんと顔を見せているのをよく目にする。今、道を歩いていてどこからか甘い少し官能的な香りがすると思ったら、たいていハゴロモジャスミンがどこかの家の塀に絡みついて白い小さな花をぎっしりつけているかと思う。ビオラの咲いたテラコッタ。クレマチス。 ローズマリーをはじめ、ハーブは今が一番元気なシーズンで、青々とした葉を上へ上へと伸ばし始めている。植え替えの終わったキッチンハーブたちが、柔らかい土の上で活き活きしているのを眺めながら、夕暮れの住宅街を歩いていく。 月桂樹の葉も勢いを増して、花の終わった桜の木も、ハナミズキも、いよいよ緑を街にあふれかえらせている。 以前は花を沢山あふれさせている家が好きではなかった。 ガーデニングブームとやらで、雑誌で見るような派手でカラフルな庭が幾つも並んでいると、どの家も画一的で個性がないような気がして。近所に建売の全く形の同じ家が2軒並んでいて、入居時期も同じなら幼い子供がいるのも同じ、挙句、植える花も花の多さも植木鉢の趣味も、庭においてある小人の置物まで、何から何まで同じ、というのがあって、通るたびに隣家の主婦同士競い合っているのを見せつけられているようで、なんだかあんまり気分がよくなかった。花を愛しているのか、見栄を愛しているのかよく分からん、なんて思ったりして。 そういう雑誌から抜け出てきたような庭よりも、植物に好き放題伸びてもらうような遊びのある庭が好きで、それは今も変わらないけれど、ただ、最近、庭というものに対して自分なりに見方がちょっと変わってきたかも。 なんて言ってもべつに偉そうな哲学がそこにあるわけじゃない。 ただ、庭というのはほんとは人間のためにあるんじゃなくて、植物のために存在している空間なんじゃないかということだけだ。 人間同士が競い合おうと、見栄えを気にしようと、園芸雑誌にお金を掛けようと、それは植物達の知ったことじゃない。 土をひっくり返して柔らかくするのも、虫や病気と戦うのも、ホースを引っ張り出してきて朝夕水やりするのも、どれもこれもみんな植物たちのためであって、庭の所有者達のためではない。 家の中やオフィスの観葉植物も、一見人間のために置かれているようであるけれど。 人間は森林を破壊し、自然の形を変え、地球環境をどんどん取り返しのつかない方向に持っていこうとしているけれど、一方で、都市では植物達が自分達の生き残りをかけて人間をうまく利用しているような気がする。もちろん、都市の緑は、地球のほかの場所で失われていく緑の量にとうてい及ばないけれど。 隣家の花壇に負けじとせっせと種を蒔く主婦は、きっとその辺りの綺麗な花々に、仲間を増やす魔法を掛けられているんだと思う。浅草のほおずき市や朝顔市に集まって大事そうに植木鉢を抱えて帰る人達は、ほおずきや朝顔たちの種の保存のために、まんまと吸い寄せられている人達に違いない。 かく言う私も、育てたバジルでバジリコスパゲティを作るのを楽しみに、ヨダレをたらしながら水遣りしているけれど、ほんとは狭いベランダを彼らに占領されながらうきうきしている、まったく彼らにとっては都合のよい人間なんである。
夕暮れの住宅街を歩いていて、ふと顔を見上げると、道路に沿ってずっと先までも、両側の家々から緑や色とりどりの花が道に向かってあふれかえっていて、彼らの種の保存に私達がまったくうまく利用されているものだなあと今更ながらに感心した。 要は、庭は人それぞれ好き勝手でいいんだということなんだけれど。 どうせ人間は植物に利用されているのだから、喜んで彼らのお役に立てればそれでいっかあ、と思う。 隣家と競い合う庭、派手派手花ばっかり庭、それもまた植物達の意思であるわけだし、まぁ、なんでもいっかあ、てな気分。
。。。つけたし。 さっきここまで書いたところで喉が渇いて無性に缶ジュースが飲みたくなって、近所の自販機まで120円握り締めて買いに行った。がしかし、お金を飲み込んだきり、自販機からジュースが出てこない。自販機というものはフィフティフィフティだと思っていたのに。頭にきたのでふんだんに蹴ったり叩いたりしていたら、通りかかったおまわりさんにたしなめられた。 飲めないとなるとなおさら喉が渇く。甘い味のついた冷たい飲み物がどうしても飲みたいのだ。仕方なく自宅に戻り小銭入れをスエットのポッケにつっこんで今度は近所のコンビニに行った。 そこは運悪くお酒も扱っているコンビニだったので、結局缶入りソルティードッグを買ってきました。ちゃんちゃん。
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