あたろーの日記
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たまに、たまぁにですが、もうこの世の住人ではない人と出会うことがあります。 本来なら他に誰もいないはずの場所に人を見たり、先日亡くなったのではという人とばったり会ったり、ということが。 でも、そういうのはさほど怖がる必要はないんじゃないかと思います。 相手も怖がらせようとして姿を見せているわけではなく、こっちの世界にまだちょっと未練があって、やり残したことを片付けに来ているんじゃないかなあ。必要以上に怖がるのはかえって失礼かと(自分もいつかは通るかもしれない道であることだし)思うので、心の中で相手のご冥福を祈りながら、つとめて平静にしています。相手が物質的な肉体に頼らない存在である分、こちらの心の中を敏感に感じ取ってしまうようです。だから、よくある心霊番組みたいに、心霊スポットに霊能者やテレビカメラやタレントが押しかけていって、大袈裟に騒いだり怖がったりするのは当然よくないですよね。あれはほんとに気の毒な感じがするんですが。 父方の祖母と母方の祖父がこういう世界に縁があったようで、それぞれに風変わりだったのですが、その反動で母は「幽霊の話は聞きたくない」派だったので、我が家では昔からその手の話はタブーでした。子供の頃、私が、こうこうこういうのを見た、なんて言おうものならすぐ叱られて否定されちゃうので、せいぜい妹に打ち明けて終わりにしてました。でも、両親も歳を重ねるに連れて柔軟性が出てきて、また、実家でもたま〜に、「これは死んだじいちゃんの仕業としか思えないよね・・・」というようなことも起きたりするので、最近ちょっとは話しやすくなったかな。 妹に、そんなんでよく1人で寝起きできるよね、とか、お寺の宿坊に1人で泊まってかえって怖くないの?とか聞かれもしましたが、霊能者みたいに頻繁に見るわけでもないし、お寺はむしろ清浄な空気が流れているから安心かな、と思います。
でも、実は最近ちょっと怖いかな。この半年間。 夜寝てるところを、金縛りや叫び声で起こされるのはさすがにちょっと怖いです。 昨年の10月に一度日記に書いたのですが、この半年間、だいたい1〜2ヶ月に1回位の割合で夜中に起こされてしまいます。 訪れる方々は毎回異なるのですが、寝てるところを無理やり起こされて、ひゃ〜ってな感じで怖い思いさせられてしまう。。 3人位で来て足押さえつけられた上に首に手が伸びてきたり、顔がただれて血だらけの男の人が私のすぐ隣に横になってこちらの顔を覗きこむようにして見ていたりして、これは夢だ夢だ夢だって思いたいんだけど、哀しいかな意識がはっきりして逃れようもない。 昨日は、最初、ほんとに夢見てると思っていた。 夢の中で、頭のすぐそばにあるテーブル(部屋狭いもので。。)をバンバンすごい勢いで手で叩きながら、男の人がわあわあ叫んでいる。叫んでいる、というか、怒鳴っているというか、そんな感じなんだけど、何言ってるのか聞き取れない。最初は父親に怒られている夢を見ているんだと、夢の中で納得しようとしている私だったんだけど、だんだん意識がはっきりしてきて、いい加減これは夢じゃないぞ、って分かってきた。あーこれはやばいぞ、と、思い切ってえいっと目を開けた瞬間、テーブルを叩く音と、怒鳴り声は消えた。部屋は急にしーんとなった。ところが、今度は体が動かない。掛け布団の上が重い。異様に重い。私の体の上に誰かが乗っかって、布団ごと押さえつけている感触。それどころか、部屋の空気全体がよどんで重い。 やばい、どうしようどうしよう、って焦っているうちに、上に乗っかっているその誰かが、少しずつ手を掛け布団の上に這わせて、私の頭のほうに手を伸ばそうとしてくるのに気がついた。豆電球の灯りの中で、私の体は金縛りにあって首すらも動かせない。布団の上で体を押さえつけているのがどんな姿をした人なのか分からないけれど、このままほうっておいたらすぐに掛け布団の端から手が伸びてくるだろうっていうのは予想がつく。掛け布団が少しずつずれていく。もう滅茶苦茶怖かったです。布団の端から手が現れるのを見たら絶対失神すると思ったので、もう必死に、心の中で「般若心経」唱えました。今だに意味はよく知らないのですが、子供の頃覚えた「般若心経」をこういう時に心の中で繰り返します。それしかできないのですが、とても効果があります。・・・そうしたら、まだお経の半分も唱えていないうちに、ふっと布団が軽くなって、体の自由がきくようになりました。部屋の空気も元通りになった。 しばらく呆然として、仰向けになったまま、疲れきって動けなくなってしまって、ようやく思い出したように時計に目をやったら、2時半ちょっと過ぎ。まだ恐怖感が残っていたけど、部屋の電気つける気力もなくって、寝返り打つのもやっと。なんとか体を横に向けて、膝を抱えるようにして、今度は丸くなって布団に潜り、頼むからもう来ないで、と祈っているうちに脱力感と疲労感が襲ってきて、またすぐ眠ってしまいました。
こういうちょっと怖い思いをするのは、ここ半年位。それ以前は、高校生の時に2度ほどあった程度。今住んでいる場所が悪いのか、それとも私に対する恨みか何かか・・・でも後者はまったく心当たりないし、訪れる人も毎回異なるみたいだから、やはり前者かなあ。これはただの偶然かもしれませんが、近所に空き家が多いです。6年住んでいる間に、空き家になったり引っ越したりっていうのを何度か見てきたし。土地の「気」っていうのはありますよね。。。今度のアパートの契約更新を機に引っ越そうかなとも思ってます。 でも。こんなこと言うと、「ばっかじゃん」って人に思われるもしれないけど、相手がどんな存在であれ、こちらの心を穏やかに、やたらと動揺しなければ、さほど怖がる必要もないのかもしれないです。 私もついつい焦ってしまうからいけないのかも。
久しぶりにピースパレードに行ってきた。 中央区の坂本町公園から東京駅や銀座を歩いて日比谷公園にゴール。 友達がカラフルな風船で器用に「peace」を形作ってきてプラカードみたいに棒に結んだのを、一緒に持った。すごい。これ。注目度大。みんながにこにこしてこっち見てる。写真も沢山撮られた。インタビューも何度かされて、友達が熱心に答えてた。うーん。彼女のセンスと器用さに脱帽だ。文字をでかく書いたプラカードもいいけど、こういう可愛く目立つ異色作もいい。みんなが「わあっ」って顔で見るもん。こういうアピールの仕方もあるんだなって感心した。 あいにくの雨で、しかもバグダッド陥落のニュースが駆け巡っているからかな、パレードに参加する人達、3月に比べたらだいぶ減った。まあ、それが自然の流れというもの。 でも、ほんとは、戦争はまだまだ終わっていないんだよね。 まだ完全に戦闘が止んだわけじゃないし。 それに、イラクの人達にとっては、これから「戦争の痕(あと)」の時代が長く続くわけで。 バグダッド陥落、フセイン政権崩壊、というけれど、イラクに真の平和がやって来たわけじゃないから。
パレード、前を歩く人のプラカード、爆撃によって両腕をほとんど付け根から失い、体中に薬を塗られ、ベッドに横たわるイラクの子供の写真を大きく引き伸ばして貼り付けたものが使われていた。この写真、私インターネットで見たな。そう思いながら、そこに写っている子供の大きな悲しそうな目をじっと見ていた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030408-00000479-reu-int.view-000&d=20030408 あの子に、今回の戦争は一生つきまとう。 ブッシュさんとブレアさんが勝利の美酒に酔いしれても、本国へ帰還したアメリカ兵達が家族との再会を喜び合っても、そして世界中のマスコミがこの戦争のニュースを流さなくなっても。 両腕をもがれた子供にとって、この戦争が過去のものになることは、決してない。 こんなことがあっていいの? こんな不条理なことが平然と、公然と行われている。 あの子は今、病院のベッドの上で、どんなことを思っているの? この先どんな人生を歩むの? ベトナム戦争で米軍が撒いた枯葉剤の犠牲となった多くの子供達。べトちゃんとドクちゃん。 人間は、なんでも都合よく忘れてしまう。 過去の戦争の被害にあっていまだ苦しんでいる人も多いというのに、それを忘れて再び同じ境遇の人達を作り出してしまった。 あの子が、自分の手で物を掴む機会は、もう一生訪れない。。。
少し年上の、家庭と仕事をパワフルに柔軟に両立させながら楽しんでいる女性と二人で食事。 脳内刺激ビシバシ。 物腰柔らかでおっとりしている女性だけれど、中身は一本スジがピンと通っていて、気持ちのいい生き方してるって感じた。 ことさら自分の正当性を主張するわけでもなく、些細なことに対して不平不満を言うわけでもなく、日常を楽しみながら、自然に歳を重ねていく・・・そういう女性に憧れるなあ。 こんな生意気なこと言うと怒る人もいるかもしれないけど、女性が(男性もだけど)眉間にしわを寄せて喋るようになったらいけないと思う。人を白眼視できるようになったら終わりだと思う。人の悪口を誰かに言わないと気がすまないようになってしまったら、気の毒だと思う。 やっぱ彼女みたいにおおらかにいきたいもんだと思った。
ところで関西人の彼女の考え方の基本形は、雪国人の私にとって新鮮でなんかちょっとおもろい。 雪国人は長い冬を雪に埋もれた家屋の中でじっと過ごすためか、内向的なところがあって、自分の内側にどんどんどんどんはまってしまいには穴の中へ落ちていくような考え方をする傾向があるけれど、関西人は、それに比べるとあっけらかんとした明るいところがあって、これが駄目ならこっちで勝負や、それでも駄目なら笑い飛ばしたるで、みたいな逞しい考え方をするような気がする。まあ、これは極端な言い方ですが。 和辻哲郎の著作「風土」の中に、関連したようなことが書いてあった。そういえば。 自分と生まれが違う人と話すのは、結構よい刺激になりますな。
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