あたろーの日記
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2003年03月16日(日) みずみずしい身体

「第3回世界水フォーラム」が、今日から京都・滋賀・大阪で始まりましたね。23日まで行われ、参加予定者は166ヶ国37機関から約1万人というからかなり大掛かりです。http://www.world.water-forum3.com/jp/index.htmlちなみにこのサイトでは、実際の会場からリアルタイムでフォーラムの様子が映像で配信されたりします。かなり充実したサイトです。
 フォーラムの分科会で、絶対この方も何か発表するだろうと思って名前を探したらやっぱりありました。
 「水からの伝言」の著者として有名な江本勝さん。http://www.hado.com/dengon.htm
 世界で初めて水の結晶を撮影することに成功して、今著作が日本だけでなく、世界のいろんな国々で売れているという・・・。
 日本のあちこちの川、それぞれに水の結晶の形が違うそうですね。
 上記のサイトでも一部見れるのですが、広島の西条市というところの湧き水と、東京品川区の水道水の結晶の美しさの違いは怖いくらいですね。・・・東京に住んでいるとこんな水毎日飲んでることになるんだと考えると。。。
 面白いなあと思ったのは、コップの水に「マザー・テレサ」と「ヒトラー」という文字をそれぞれ見せると、やはりそれぞれに結晶の形が異なってしまうということです。あと、水に聞かせる音楽の種類によっても違うし、「ムカツク」と「愛」という字を見せたときも結晶の形がまったく異なる変化を見せるそうです。以前テレビで見たときは、そんな馬鹿な、って一瞬思ったんですが。。
 
 ずいぶん前になりますが、ヒーリングについて詳しい方から、「ミネラルウォーターを飲むときに、ペットボトルをやさしく手で包むように持って、この水が美味しく身体のためになりますようにって思うと、ほんとうに水が美味しくなるよ」と教えてもらい、半信半疑でやり始めました。水だけでなく、お酒でも、薬でも、コーヒーでも、自分の手で包んで心の中で感謝しながら愛情を送るようにすると、ほんとに美味しくなるそうです。・・・やり始めたら習慣になって、実はしょっちゅうやってます。人前ではさりげなくですが。。。(^^)。味の違いはさあ、よく分かりませんが、たぶんしないよりは美味しくなってると思います(笑)。
 よく考えたら、これって、江本氏が著作でおっしゃってることと同じことなんですよね。
 水は波動を感じ取って、記憶する性質を持っているのではないかと思います。
 結晶の形の違いは、含まれるミネラルの量以外の要素が働いているのではと思います。
 
 人間の身体はその約70%が水分だと言われますよね。
 ということは、身体の中にある水の結晶が綺麗か汚いか、崩れていないか崩れているかでは、なにかしらやはり大きな影響があるんではないかと思ってしまいます。
 もちろん、飲み水を選ぶことも大切なのですが、ふと、自分の身体を水の入ったコップだとすると、身体の中の水にどういう波動が伝わるかで全然違うんじゃないかなとも思ったりします。
 クラシックやヒーリング音楽を聴いたり(私はロックも大好きなんですが・・・)、恨み言や不満を言うよりは楽しいことや嬉しいことのほうに気持ちを寄せてみたりして、心がどきどきして身体中の血が気持ちよく循環しているのを感じる時って、もしかしたら、身体の中の水の結晶が綺麗な形になっているのかもしれないなあ、なんて。。。
 よく、ネガティブな気持ちが病気を引き起こす、と言われますよね。一概にそう言いきれないケースも多いとは思いますが。
 もしかしたら、病気も、身体の中の水の綺麗さがある程度関係しているんじゃないかなあ、とも思います。病気が治りやすい人は、前向きな人が多いとも言われますが、ポジティブな気持ちがもしかしたら身体の中の水に影響を及ぼしているのではないでしょうか。
 
 ちょっと考えが飛躍しすぎですかね。。
 さぁ、どうなんでしょう。。今度風邪引いたとき、自分の身体で実験してみますね。
 
 
 


2003年03月15日(土) 書くということ。

 このサイトを作ったばかりの頃にもちらっと書いたのですが、実はプライベートで小説を書いてます。
 互いに切磋琢磨し合う仲間達や、作品を発表する場にも恵まれています。
 初めて物語らしきものを書いたのが小学4年生の時。それからずっと、程度の差はあれども、自分は一生書くという行為をやめないだろうと漠然とですが感じてきました。

 私はけっして饒舌ではありません。むしろその逆で、口下手なほう。・・・と言うと、普段私と接している人達は笑うかもしれません。どっちかというと社交的に思われるみたいだし、実際人前ではおしゃべりだし、誰とでも気軽に話すことができることはできるから。
 でも、ほんとは、話すのはあまり得意ではありません。口を動かしながら、頭の中では、自分が言いたいことが相手に上手く伝えられないことにいつも焦りを感じています。まず、言葉の順序が滅茶苦茶になってしまうし、主語と述語がよく逆になるし、ひとこと言ってから慌てて他の言葉を付け足すことも多いです。そういった単純な語順のミスもあるけど、基本的に考えるのがトロいので、ホントに言いたかったことは、会話がとうに終わった後で、1人になって考えてるときにようやく浮かんだりして、自己嫌悪に陥ることもしばしばです。くだらない駄洒落はぽんぽん飛び出すのにね(笑)。あ、駄洒落なんか考えてるから肝心なことが浮かんでこないのかな(^^)
 
 しばらくブランクがあってから、物語を書くということを再び始めた20代の中頃になって、やっと、自分には話すということよりも書くということのほうが性に合っているのではないかと気がつきました。
 目の前にはいないけれど、読んでくれる相手を想定しながら、ゆっくり考えながら、ひとつひとつ言葉を選んでいく。言葉のつながりが生み出す新たな文章が、本当に自分の言いたいことを表現しているか、じっくり読み直す。。。さらには、書いているうちに脳が活性化されるのか、書いたものが生き物のように呼吸を始めて、最初は想像していなかった話の展開がどんどん生まれていくこともあったりして。
 喋るということはとても大切なことだと思います。ただ、私の場合、書くことのほうが、自分自身に一番近い自分を出していける貴重な手段になっています。

 とても遅筆なので、ひとつの短編小説を書き上げるのにも結構時間を掛けるほうです。そのくせ、一作品完成すると、気が抜けたり、自信がなくなったりして、次の作品を書き始めるまでにさらに時間がかかります(笑)。
 これじゃいけないとは思うんですが。。
 前回短編・・というか掌編小説を書き上げたのがもう半年以上前になります。その後、自分で書いたものを読んで、ずいぶん落ち込んでしまいました。物語という形にしようとするあまり、本当に自分の表現したいことを綺麗に押入れに押し込めてしまったよう。見栄えにこだわるあまり、子供の足に合わないぎゅうぎゅうの靴を履かせてしまった母親のような気分でした。
 それから何度か、気を取り直して次の作品に取り掛かったのですが、やっぱり自信を失くしてしまい、書き出しては投げての連続。。。
 
 実を言うと、このホームページを作ったのは、そんな自分が、書き続けるという行為をやめないための隠れ処としてです。
 小説を書く仲間達は、私のこのホームページの存在を知りません。
 別に隠す必要はないのでしょうが、小説が書けない状態で、偉そうに毎日日記を書いている自分って、ほんとは好きではありません。
 でも、何かしら書き続けていないと、自分が自分でなくなっていくような大きな不安があるのです。それが、小説であっても、日記であっても。
 こうして、目に見えない読み手の方を想定して、毎日ワンテーマを決めて日記を書くという行為が、小説を書くことへのリハビリにもなっています。
 
 最近、ようやく、次の作品に本気で取り掛かる気持ちになってきました。
 なんて書くと、どんな凄い作品なんだろうって思う人もいるかもしれませんが、私のレベルはたいしたレベルではありません。
 でも、自分の中で、ひとつの作品を超える何かが次の作品に含まれていれば、自分の書く力は着実に進歩しているのだなと実感できます。残念ながら、そういう満足感はなかなか得られないのですが。たぶん、それは、作品を書いている最中の心の充実度と比例するのかもしれません。書くということに対する心構えとも関係しているのかもしれません。
 
 小説を再び書きたいという気持ちになった要因は、他にもあるのですが、やはりここに毎日こうして日記を書き続けてきたことも大きいと思います。
 目の前にはいないけれど、毎日読んでくださる方々がいるということが、ホームページを始めた当初は予想できなかったほど、自分にとって大きな励みになっています。
 プロの作家ではない私が小説を書くというのは、ごくごくプライベートな行為ですが、こういう半パブリックな場所が自分に与えられていることにとても感謝しています。
 毎日読んでくださって、ほんとうにありがとう。。


2003年03月14日(金) そういう会話を大切にしたいと思います。

 せっかくの土曜日なのに、眠りすぎました。
 今頃になって昨日の分の日記をここに書いております(^^;)

 昨夜は年下の女友達と二人で、渋谷で遅くまで呑んでいました。
 滅多にカクテルなんか飲まない私ですが、メニューに「夜桜」という名前のカクテルを見つけ、日本酒ベースと書いてあるのにつられて頼んでみました。
 薄桃色のカクテルの中に、ぼうっと光る、氷の形をしたプラスティックの透明の箱が入っていて、それがグラスの内側からカクテルの液体を幻想的に浮かび上がらせています。透明の箱の中には電池が入っていて、なんとかそれを開けて中を見てみようといじくりまわしたんですが、箱はなかなか開かず、残念。ふと思ったんですが、あれって、例えば、前に飲んだ人が、本物の氷と間違えて口に入れてべろべろ舐めちゃったのを、水でさっと洗ってまた次のお客に出すってことも十分あり得るんですよね。いや、それが悪いというわけじゃなくて、そうしないと勿体ないとは思うんですが、ロマンティックな気分で飲んでるカクテルの中の物体が、前の人の口から出てきたものの使いまわしだとしたら、いと興醒め。それから、グラスを口につけたとたんに、漏電して唇がしびれちゃったりしても、あな恐ろし。
 まあそういうことはないとは思いますが。
 お酒は美味しかったですよ。

 昨日話していて思ったんですが。。
 年齢とか育った環境とか価値観とかに関係なく、どちらかが必要としている情報をどちらかが持っていて、ふとしたきっかけで共通の話題で盛り上がるというのって、とても面白いもんだなあと。普段会社や近所で毎日のように顔を合わせていても、表面的に共通する話題では(仕事とか、その日の出来事とか)はしょっちゅう盛り上がっていても、互いの中のそれぞれにもっともっと深いところにある様々な分野の事柄が、ちょっとした一言で表面に登場して、リンクし合って、そこからまた話題が広がっていくのって、いつもあることとは限らないし、不思議だし、わくわくする。
 欲しいと思った情報は、その人にとってちょうどいい時機にちゃんと手に入るもんだと思う。インスピレーションを与えてくれたり、アドバイスをくれたり、導いてくれる人が、必ず現れるものだと思う。本やインターネットでの情報もしかり。街の中を歩いていて飛び込んでくる話題でも同じ。自分のアンテナをちゃんと磨いておけば。。
 目の前に広がっていく新しい世界や情報を、全部鵜呑みにする必要はないと思う。人の言うことをすべて受け入れる必要もないと思う。取捨選択するのは自分であって、その積み重ねこそが、その人自身の足元にちゃんとした基盤を作るから、自分の判断力は最初から信頼していったほうがいいと思う。たぶん、必要な情報は、自分に判断力が備わったからこそ入ってくるもんだとも思うし。
 私の言葉の中から、彼女が1%でも2%でも拾い上げて、その後の自分の役に立ててもらえるなら嬉しいし、私も彼女の言葉の中から、ピンときたものを大切に頭の中にしまっておく。
 そういう関係は、年齢や性別や環境を問わず、スリリングで面白いもんだと思います。
 
 
 
 
 


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