あたろーの日記
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| 2003年01月20日(月) |
どこまで本気なのですか。 |
バスに小学2年生位の男の子が「子供ですっ」と大きな声で言いながら乗ってきて、料金箱にチャリーンと入れた。 ・・・君ね、それは言わなくても分かるよ。 30代が「20代ですっ」って言うのとわけ違うんだから。
こんな風に考える私はすでに相当ひねくれていると思う。
先月で、自宅での新聞の購読をやめた。 新聞大好き人間なんだけど、やめちゃった。 理由はいくつかある。 まず第一に、経費削減。 次に、古新聞捨てるのに疲れて。 それから、朝電車で新聞読んでたんだけど、やっぱ周囲に迷惑かなあ、と思って。 で、紙の新聞とるのをやめた一番のきっかけは、ネット上のニュースサイトが充実しているということ。 朝日新聞のサイトに行けば、「今日の朝刊」というコーナーで、その日の記事が全部読める。読売新聞や日経新聞、毎日新聞、それから故郷の新潟日報、これらの新聞社のサイトでは、主要な記事を無料で読める。英文記事も充実してるから、英語の勉強もできる。さらには新聞社以外のメディアのサイトでも、どんどん更新されるニュースを、ほぼリアルタイムで読めるし。 しかも過去記事の検索も可能だし。 そんなわけで、紙の新聞の購読をやめたんだけど、最初はなんか寂しかったけど、馴れれば結構便利だし、ごみもでないから、家庭で新聞読むのが1人しかいない場合はこれでいいんでないかい、と満足している。時間がなくて読めない朝は、Palm(PDAの一種です、見かけは電子手帳のような感じです)に朝日新聞の「今日の朝刊」の記事を入れて、通勤電車で読んでいる。 私のお気に入りは、CNN.co.jp。朝日新聞のサイトから行けます。 ここに掲載されるニュースって、結構笑えるものが多い。どこまで本気なのか分からないものもある。
例えば、今日の「サイエンス」コーナー。 http://www.cnn.co.jp/science/K2003011600143.html 「酔っ払った鳥が大窓にぶつかる スウェーデン」 。。。以下抜粋。 スウェーデンはカールスタッドの大学で先週末、数千羽のレンジャクが、大学の近くに生えているナナカマドの熟れた実を食べて酔っ払い、大学の大窓に向かって飛ぶゲームのようなことをして、沢山のレンジャクが窓にぶつかって死ぬという「事件」があったそうだ。 大学の広報担当者は「今のところ50羽のレンジャクが死んでいる。実は落ち始めたので、最悪の状況は脱しているが」と話しているそう。 実はスウェーデンでは昨年12月、同様のことが起きている。中部カールスコガで、熟れてアルコール分を含んだリンゴを食べたヘラジカが、8歳の少年をいじめたため、警察官がこのヘラジカを殺してやめさせている。 。。。以上
ヘラジカが少年をいじめるつもりでちょっかいだしたんなら、何も殺すことはないだろうに。 。。鳥の件は、数年前長野で似たようなことがあったね。でもあれは寄生虫かなにかだったかな。
それから、これ。 http://www.cnn.co.jp/fringe/K2003012001843.html 「電話番号に『666』 変更求める神学校」
。。。 ケンタッキー州バンクリーブ 電話番号の局番が新約聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれている悪魔の数字「666」となっている神学校が、約半年前から電話会社に対し、これを変更するよう求めていた。電話会社側は17日、できるだけ早く番号を変更すると回答した。 -----途中省略----- 同校のマクレガー業務副部長は「666は、一般の人にとっては問題ないでしょうが、私たちにとっては違います」と話している。 同校の学生クリスティーナ・マクブライドさんも、最初に電話番号を聞いたときは「とてもショックだった」と話している。 電話会社の代表は、「神学校にとって666という数字はかなり問題だと理解できます」として、早急に番号を変更すると話している。 。。。以上
これはなんか分かるような気がする。気の毒な話だと思う。
これも気の毒かも。 「教会への通行路にアダルト店看板 信者、牧師激怒」 http://www.cnn.co.jp/fringe/K2003011800597.html
。。。 教会の牧師は、「店主は地元の法律だけでなく、神も馬鹿にしている」と激怒。「落雷があった時、(店や広告看板の)近くにいないことを願っている」と天罰を求めるような発言も示している。 。。。以上
詳しくはサイトで実際の記事を読んでみてください。
昨年末は、フランスのマルセイユで、スピード違反で警察に捕まった男性が、「火星人に追われていた」と供述した、という記事が載っていた。 真相は分かりません。そもそもなんで火星人だと分かったんだか。
狭い6畳の部屋の片隅に、正座してちょうど目の位置の高さ位の朝鮮薬箪笥がある。薬草の名前が彫られた小さい引き出しが沢山ついているもの。 6年ほど前に、たまたま入った骨董品やさんで見つけて買った。骨董品ぽく作られた最近のものだから、値段はそんなに高くなかった。結構気に入っている。 その箪笥の上に、生前私を可愛がってくれた祖母の写真と形見の品を飾ってある。よく忘れるんだけど、毎朝小さな花柄のおちょこにお水を入れて写真の前に置く。朝はいつもどたばたしてるから、手を合わせる暇すらない(ほんとはあるんだろうけど)。心の中で(行ってきますよー)とだけ。 で、それじゃあんまり祖母に申し訳ないから、仏壇代わりにと、以前京都に行ったとき、清水寺の近くの仏具やさんで小さな不動明王像を購入して、写真の隣に置いている。不動明王にした理由はすこぶる単純で、店先で、酉年のご本尊は不動明王だっていう説明を読んだから。なんとなくカッコよくて好きだったし。 で、ついでに(ついでにとは罰当たりな・・)初詣に行ったとき神社のお札を購入して、箪笥の上に立ててある。が、昨年末に帰省するとき、そのお札を持っていくのを忘れたので、今立ててあるのは昨年の初詣に手に入れたもの。。あちゃ。どーすべ。 でも、箪笥の上で一番幅を利かせているのは、6年位前に散歩の途中で入った骨董品やさんで見つけた、龍の絵の香炉。 あのときのこと、まだよく覚えてる。 何気に入った店の中で、ふと、目に留まったとき、(あーしまったー)と思ってしまった。(捕まってしまったー)。 ぼってりした形の白い磁器の肌に、青い龍が踊っている。三本の足には獣足模様。他の品の中でも、それだけが存在感放っていて、何度も何度も手にとって見ていたけど、2万円のものをぽんと買うほどの冒険ができなくて、その日はあきらめた。 ところが、翌日も、その翌日も香炉のことが頭から離れなくて、とうとう買いに行ってしまったという次第。店主が古新聞に丁寧に包んでくれているのを、胸を躍らせながら見守っていたのを覚えている。 その頃から、お香にはまっている。 といっても、香道といった本格的なものではなく、ただ香炉に灰を入れて、気に入った香りのお線香をぶちっと立てておくだけ。 雑貨屋さんでみつけたお香もあるし、物産展で買った青森ヒバのお香や、エスニック雑貨のお店に売っているインド製のお香も使う。 一番気に入っているのは、京都の東寺と三十三間堂で買ったお香。 東寺のは甘く穏やかな香りだし、三十三間堂のは、少しスパイシーな荘厳な香り。東寺のその「風信香」という名のお香は、京都の松栄堂というお香やさんが作っているとわかったので、東京・人形町にある松栄堂のお店に行って聞いてみたら、とても丁寧に対応してくれたのだが、どうやら東寺のそれは東寺でないと買えないらしいと知ってちょっとがっかりしていたら、京都に旅行に行った友達がお土産に買ってきてくれたこともある。 三十三間堂でお香を買ったとき、お守り売場(なんていうんだっけ?)のおばさんが、ものめずらしそうに私の顔を覗き込んでじろじろ見たのを覚えている。あれはちょっと嫌な気分だったな。お香買ったって、いいじゃん。 でも、ま、いっか。 好きなお香焚いて椅子の上で膝丸めて本を読んでいるときって、とても幸せだ。 ろくにおばあちゃん孝行してないうちに亡くなってしまったから、せめてお香で我慢してくれ、とも思っている(笑)。
今住んでいる所は11番目の居住地である。 父の仕事の都合で、子供の時は転校ばかりしていた。 両親が土地を買って家を建てた時、これでひとつの場所に落ち着くことができるんだ、とほっとしたのを覚えている。 が、親元を離れ東京で暮らし始めると、時々引越ししたくなって、3回移動した。今のアパートは東京では4ヶ所目。 まあ、「引越し魔」と呼ばれるほどではないと思うが、住居を替えるのに抵抗感はないほうだ。 ひとつところに長く住み続けていると、そろそろ次の場所を探そうという気持ちになってしまう。その時の自分の気分にぴったり合う場所を、地図を広げてイメージする。交通の便とか、住みやすさは二の次で、とにかく惹かれる場所があると、何が何でもそこに住もうと決心して、不動産屋を回り始めてしまう。 根無し草みたいに移動してきたから、生まれてからずっと同じ場所に住んでいる人が不思議でならない。正直言うと、よく飽きないなあと思ってしまう。 だけど、自分もいつかは終の住処となるような場所を見つけてどっかり腰を据えて暮らしたい、と考えている。そのために、若くて一人身の身軽な内に、住みたい場所に住んでみようという風に思ってきた。結婚すればパートナーに合わせて住む場所も決まってしまうだろうから、自由に動けるのは今だけだと思ってもいた。 で、今いるアパートは今年で6年目になる。 私にしては長すぎる。 引っ越さないでいた理由はいくつかある。 わりと気に入った街だし、引越しにかかる費用の問題もあるし、長く住むにつれて家財道具が増えてしまったというのもある。 長く住めば住むほど当然土地とのつながりというか、絆のような感覚も出てきて、だんだん離れがたくなってきた、というのもある。 そうなると、これまで住んでいた場所を離れて新しい土地で一から始めるのが億劫に思えてしまう。 ・・・そのくせ、いつか住みたい土地について想いを馳せたりしている。 東京は、私にとって長く住む場所ではないと考えている。 実を言うと、いつか小さな菜園を持ち、お寺の塔の見える、自然の沢山残る土地に住みたいと思ってきた。中学生の頃、早朝目を覚まして窓の外を見ると、霞の向こうに薬師寺の塔が見えて・・・という夢を見て以来、それが印象に残っている。 自分の住みたい場所を自由に選べる根無し草のような身分がとてもありがたい。 強烈に惹かれる土地があれば、そこに移り住んでみるのもいいと思う。自分で選んだところが終の住処となるなら、こんなに嬉しいことはないような気がする。 ・・・そんな風に考えていたら、だんだん動きたくなってきた。 思えば、私が東京に住むことになったのは、大学がここにあったからであって、別に都会に憧れてきたわけでもないし、本当は卒業するまでしか住まないつもりでいたのだし。 やっぱり、京都か奈良に住みたいし。 京都移住計画。
ところが。 いざ本気で考え始めると、まだまだ移れないなあ、と思う。。 いつの間にか14年も居座った東京だもの。知り合いも沢山いるし、参加している趣味の会もある。行きつけの本屋や雑貨のお店、好きな喫茶店、ラーメン屋、焼き鳥屋・・・。移住するには費用もかかる。仕事の問題もある。まだ19歳だった上京時に比べて、ある程度はものが分かるようになってしまった今は、新しい土地に自分が溶け込めるか不安で尻込みしてしまう。アパートの契約1つとっても、東京とは違うだろうし。それに、離れることを考えると、東京もまたいい土地だよなあ、って思ったりする。まだ訪れてない場所も沢山あるし。 だけどだけどとまた堂々巡り。 こんなこと考えてたら、どんどん億劫になって腰が重くなるばかり。 こうなったら3ヵ年計画で思い切って実行するしかない。 そんな悠長なこと言ってるの?なんて笑われそうだけど。 根無し草って結構気の毒な習性かもしれない。 って、自分で言ってみる。
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