散歩主義

2011年09月23日(金) 「紳助的」なるもの

お笑い芸人の島田紳助氏が突然引退してまだそれほど日がたっていない。が、あれほどテレビを賑わしていた彼の姿が消えるやいなや、「テレビ」は急速に彼の記憶を消し、何事もなかったかのように振る舞っているようにみえる。

彼が引退の理由としていた「暴力団との関係」には全く興味がなかったのと、彼の番組を最近、全然見ていないのでとりたてて思うところはなかった。

「最近、全然見ていない」とはいえ「ヘキサゴン」の初期は見たことがある。また、いわゆる「おバカブーム」を作りだしたことぐらいは知っていた。それでもただそれだけのことだと思っていた。くだらないと思っていたし、違和感も感じた。だから見なかった。

しかし彼が本を何冊も出していたことは知らなかった。

京都新聞9月20日朝刊の「視点」というコラムに「島田紳助と現代の空気」と題して北海道大学准教授の中島岳志氏の文章が掲載され、ぼくはそのことを読んで初めて知ったのだった。
そして内容を知って驚いた。

ぼくが島田紳助という人物に違和感を感じたのは彼の著作に現れた「思想」故だなと裏打ちされたように思えたからだ。

どんな「思想」か。
中島氏は島田紳助氏の本を読み込んで、彼の「思想」のアウトラインを描きだしてくれている。(以下「 」は中島氏の記事からの引用。中島氏は「 」の言葉の多くを紳助氏の本から引用している)

簡単にぼくなりの言葉で言えば、自己愛に基づく共同幻想だ。
彼は「心と心でつながる透明な共同体」を指向する。それには「島田紳助が大好きであること」という前提条件がある。
(ここでまず絶句。幼稚園の仲良しグループの話ではないのだ。)
とまれ、その意識のもと「知識はないけれど心が純粋で情熱的」なファミリーが形成されていったのだ。

一方、価値観を相容れない人間に対しては冷徹で厳しい態度を貫く。
「ほとんどの人間は別にいなくてもいい人間です」
「私の人格は、相手によって決めることにしています」
という言葉のように、価値観を共有しない人間を徹底して排除する。

そしてまた島田紳助氏は徹底して「勝ち組」を標榜する。とにかく勝つことにこだわる。その勝つことも「先天的に決定されている」というのが彼の思想だ。前世に規定されている、というのだ。

まあ思うのも考えるのも自由だけれど、ぼくには違和感だけが残る。

中島氏は次のように問いかける。

…島田氏が抱きしめる自己中心的な「感動の共同体」よりも、異なる他者を包摂する「開かれた共同体」こそが現代に必要なコミュニティーではないか。…

この問いかけにぼくは「是」と答える。
なぜか。なぜ「紳助的」なものがダメなのか。ぼくが思うにそれは結局硬直して滅びるからだ。中心の生死が周縁を引きずりこみ、一緒くたにつぶれていく。「裸の王様」の周りには未来はない。そう未来がない。


はたして現在、社会のなかで上記のような「紳助的」なるものがもてはやされているのだろうか。
そのことははっきりとはわからない。
しかしそういう「身ぶり」をしている人たちがいる。それはわかる。
原発事故周辺や地方自治周辺や新興宗教周辺やそれこそ町内会にも。

思うに、世界史が教訓として、また様々な世界の文学が「考えることをやめたらそれまで」と教えてはいないだろうか。
考えるべきは「紳助的」なものからの逸脱だと思えるのだが。
そして「開かれた共同体」を担えるほど、私たちはしなやかでタフであるのか。そのことも同時に。



2011年09月22日(木) 途中経過

今年の夏の目標、というわけではないのだけれど、夏に入ってすぐにヘニング・マンケルの邦訳されている全作品読破を企てた。

夏も終わりに近い現在、五作品目の「目くらましの道」上下巻を読み終えたところ。あと残っているのは「五番目の女」、「背後の足音」。それとヴァランダーシリーズから離れて「タンゴステップ」。以上三作品になった。



2011年09月17日(土) 雨の隙間

起床は午前三時半。
闇の空に星がみえなかった。連休前にどうしても今日、ルルの処置をすませておきたかったのだけれど、出かけるときの雨を覚悟した。

それが午前九時に病院前についたときには夏の青空で、強い日差しに眼を細めていた。

雨は午後に入って断続的に降り出し、夕暮れから午後八時くらいまで、時折、激しく降った。

ハナも雨の合間に外に出て身体を動かせたし、一日うまくいったと思う。読書も少し進んだ。

「目くらましの道 下」クルト・バランダー
「逝きし世の面影」 渡辺京二
 永井荷風全集
「漱石とその時代 4」江藤淳
「万葉集 全訳注 原文付 1」中西進
「日本人の忘れもの 2」中西進



2011年09月16日(金) 空気

夕暮れから雨が降り出した。台風の大雨で痛めつけられた奈良・和歌山・三重には酷な雨だ。昼過ぎから早めの避難の様子が報じられていたけれど。

今日は昔から疑問に思っていた昭和初期の祇園の形態について、ある方から教えて頂いた。偶然に、である。
もちろん今書いている物語を補強する情報の一つである。

もちろんフィクションだけれど、ただいま空気を制作中です。



2011年09月15日(木) 来年の花

残暑というには厳しすぎる、暑い一日だった。

今年はタチアオイを種から栽培したのだけれど、種まきが遅すぎて6月から7月にかけて花をつけなかった。調べてみると春に種をまいて、冬を越して次の年の初夏に咲くタイプだった。今、いくつもの鉢に葉だけを茂らせているけれど、これがこのまま秋、冬を越していくのだろうか。
霜対策を考えながら、来年の花を夢見ている。



2011年09月14日(水) あなたの本を

最近、大阪が東京を上まわったといいます。転入者の数、です。
大阪に限らず関西圏に移住してくる人は増えています。

京都も例外ではありません。
うちの近所でも最近、古くて渋い数寄屋風の家に横浜からご夫婦が引っ越してきました。その二人の家から通りを挟んだ新築には東京からご一家が引っ越してこられました。

ハナを抱いて歩いていると東京からの方から声をかけられました。いろいろお話をすると「東京から撤退するときだと思って」とのこと。

で、なんと実はその方が「光函」を持っていたのでした。そしてぼくにむかっていうのです。
「あなたの本が読みたいです」
ぼくはただただ驚くばかりでした。

今、パピヨン綴りの特訓中。「音函」も「街函」も全く違った造本になります。



2011年09月13日(火) 「痛み」へ

今日はサンデー毎日の発売日。
高村薫さんの「新冷血」の連載を読んでから、椎名誠さんと桐野夏生さんの対談を読んだ。

椎名さんのエッセイ「ナマコのからえばり」連載200回記念である。
題して「3.11後の作家」。
「3.11後何を書くか。何が書けるか」という命題は何かしら書いている人ならば誰もが考えることである。

詳細は書かないけれど、今の日本では他者の痛みを共有する感覚が分断されてしまっているという結びであったように思う。
二人とも震災後の日本に「不穏」を感じているのだ。
震災のことも。沖縄のことも。
そういう二人に共感を覚えた。

「他人の痛みを共有する」感覚とはまさに想像力のなせるわざだ。
徹底して想像すること。「ものを書く人」として、それこそ言葉の回復をかけて。
そう考えた。

今、ノートにバラバラの章から書きつづけている、「昭和20年の京都」が舞台の小説。
桐野さんが「状況の泡立つ波間を見るのが作家の仕事」というように、「もしそこに自分がいたら」という視点をもっと掘り下げようと思う。

3.11以前、ぼくが考えていたのは「嫉妬」を書くことだった。今は「痛み」に向かおうとしている。



2011年09月12日(月) イサト氏の歌へ至る。

ルルの具合が悪くなり、急遽、夕方から獣医さんへ。
処置をしてもらいました。
一安心。

病院に行ってる間、薬で眠っているハナへの対応についてもに質問しました。
認知症の犬たちには冷たいかもしれないけれど、徘徊は「するがまま」にしておくしかないとのこと。疲れたら寝てしまうから、と。
いちいちつきあっていたら人間が倒れるますよ、と。

たしかに暴れたあと、コトンと寝てしまうのだけれど、なんだか割り切れません。
おまけに常に横にいるのであやしたり補助をしないわけにはいきません。
結局、今のままの対応でいくことにしました。

ぼくが腰を痛めないように、風邪もひかないように気をつけないといけませんが。

遅くなった夕食のあと、中川イサト氏の「お茶の時間」を聴きました。
実はそのうち時間ができたらギターを弾きながらマスターしたい歌が二つあります。一つは、はっぴいえんどの「風をあつめて」もう一つはイサト氏の「夕立ち」。「夕立ち」は「お茶の時間」に入っています。



2011年09月11日(日)

身体の各パーツのサイズが、自分の全体のバランスの中でどうなのかなどと殆ど考えたことはない。バイシクルロードレーサーに毎日乗って桂川や京見峠を走っていた頃に大腿部が発達したな、と感じたぐらい。

ところが最近、腕が太くなっていることに気がついた。胸板も若干厚くなった。たぶん歩けなくなったハナを抱いて、朝晩、街を歩いているからだと思われる。

ハナの体重がおよそ16キログラム。歩く距離は1キロくらい。毎日朝晩ののことなので、負荷がそれなりの形になって現れてきたのだろうか。
歩いている本人は、腕や胸よりも背筋を使っている感覚なのだけれど、背中は見えない。

身長が187センチあるので、陥りやすい猫背と腰痛には気をつけている。
猫背も腰痛も姿勢の問題なのだけれど、腹筋と背筋が強ければそれほど無理に胸を張るように意識しなくてもいいように思える。
なので腹筋と背筋の強化するエクササイズは毎日しているし、もちろん柔らかさも大事なので、朝ストレツチをしている。

武道の達人に言わせれば腕力よりもむしろ呼吸を意識したほうが力が出るようなのだけれども、とにかく腕が太くなった。




2011年09月10日(土) 今日も暑さが戻る

今朝は四時に起床。
薬が効いている午前中はよかったのだけれど、午後に発作のように暴れだし夕方になって嘘のようにおとなしくなった。疲れたのだと思う。

暑さが戻った日中に外に出たからだろう。
いつまでも寝ているものだから晩ごはんがずいぶん遅れた。

ラクビーワールドカップでの日本代表の善戦に興奮する。相手はフランス。日本代表になるために日本国籍を取得した人を含め、様々な人種の日本代表は誇り高かった。

そして夜には8月15日に福島で開催されたフェスティバルを取材した番組を見る。大友良英、遠藤ミチロウといったフリージャズとハードコアパンクの第一人者として理解していた人たちは福島出身だったんだな。
そして詩人、和合亮一さんをはじめとする詩の群読の人々。
言葉と音のカオスから鋭い熱線のような意思がほとばしっていた。

「言葉」への向き合いかたを改めて考え直したい。


 < 過去  INDEX  未来 >


にしはら ただし [MAIL] [HOMEPAGE]