2009年03月30日(月) |
新宿から回転しながら離れていく靴たち |
新宿駅。始発の山手線がホームに滑り込む。ホームも車内も人は多くない。眼鏡をかけた中年の男が乗り込んでいった。シートに腰を降ろし、少しの間、瞑目する。まるで朝の空気を味わうかのような表情。 …。 男は意を決したように眼を開ける。眼鏡が光った。
男は鞄から勤務先である印刷会社の、本来は廃棄してしまうゲラ用紙をA5サイズに切りそろえた紙束をとりだした。 右手にペンを握ると、紙束に小説を書き込み始める。 やがてゆっくりと電車が動き始めた。
作家・森敦の日課である。 森は数年後、「月山」で芥川賞を受賞した。
原稿用紙に書いていて、一字でも間違えると最初から書き直すという、森のあまりの非効率さを改善すべく、富子と森が編み出した方法。森は紙束に書く。富子が浄書する。 そして森の最も集中できる場所が始発の山手線の車内だった。
酒と煙草で喉にヤスリをかけたシオンが唄う街、新宿もいいけれど、 ぼくは原田芳雄の「新宿心中」が好きだ。 なにせ「風月堂世代」なものでね。 つまり新宿にはジャスが響いていたわけだ。 コルトレーンの命日に、珈琲にチョコレートをつけてだしていた某ジャズ喫茶。 チョコレートが麻薬から回復したコルトレーンの大好物だなんて誰もいわない。 黙ってチョコレートを食べる。延々と続くソロに溺れるようにして聴き入る。 チョコレート色の闇。
ぼくが幼稚園に通っていた頃、新宿とはつまり、祖母に連れて行ってもらった伊勢丹だった。東京を離れてからは、伊勢丹には行っていない。 そうこうしている間に伊勢丹が京都駅ビルにはいってしまった。 伊勢丹のかわりに、京都から東京に仕事場を移した先輩たちに連れて行ってもらったのがゴールデン街だった。酔いつぶれ、罵られた。
ジャズは自分の部屋で聴くようになり 新宿を通過するようになった。 先祖たちは中野に眠っている。新宿に他に用はない。
金曜日に京都新聞「風の歌」第37回を読んだ。 延々と続く村上春樹にかんする精密なコラムの筆者がいったい誰なのか、気になり始めている。 ここまで本人と踏み込んだ話のできる「記者」とは、いったいどんな人物なのだろう。
村上春樹は引っ越し魔である、という第37回。彼の足跡が記されている。 目白、都立家政前付近、文京区千石、国分寺、千駄ヶ谷、千葉舟橋、そして神奈川県藤沢を経て神奈川県大磯。 大磯で止まった。
「大磯は特別な場所」なのだという。20年前と人口の変わらない、小さな大磯町。 「時間の止まった不気味な場所」なのだとも。
新宿を村上春樹も歩いたのだろうか、とふと思った。 地名を追っていくと渦を巻きながら新宿から遠ざかっていくようにおもえる。
昨年、ある日の京都新聞の三面。 毎日掲載されている有名な方の死亡欄に村上氏のお父さまが掲載されていて驚いた。彼は京都に生まれたんだ、と。 その時、改めて知った。
新宿を通過する。 森敦のスパークする頭脳を乗せて山手線が走り出す。 地下のジャズは鳴りやんだか。 公園のトランペットは。 トイレに残されたツメの跡は。 ノックアウト強盗にやられた先輩は目を覚ましたか。 ぼろぼろに裂けたズボンを穿いたぼくは、歩き始めているか。
新宿を通過していく。
参考 森敦と対話…森富子(集英社) 新宿心中…原田芳雄 新宿の片隅から…SION
今日はノートに日記を書いた。 書いていて気がついたのは、ネットの日記は「私」で始まる文章がほとんどだということ。 自分だけのための日記に「私は」と書くことはあまりない。
ということは、ネットの日記はすでに「作品」である、といえはしまいか。
昨日手に入れたantennasiaの「VeloCity」を一人になった時に三回聴いた。 崩れ落ちる前の美しさを感じる。哀しくて儚くて、不思議なことに、それだから心休まる。
夜にふさわしい音楽。
荒川洋治の本を読む。再読。 「黙読の山」(みすず書房)、「日記をつける」(岩波アクティブ新書)。
ぼくは荒川さんの文体が好きだ。簡潔このうえない。 また荒川さんの本を読んでいると「読み書き」がたまらなく好きになる。「本や活字や表紙や挿絵」が愛おしくなる。
まったく違う文体ではあるけれど、高橋源一郎さんのやわらかな文体も好きだ。
お二人から受けるのは「読み書き」への励ましである。
久しぶりにCDに新たな一枚がくわわった。 antennasiaの「23bluebird St., Velo−City」(forestnauts record)。
エレクトロミュージック+ヴォーカル。 sanとnerveの日本人二人組だ。
澄んだ音と表情豊かなリリックな声。哀しみを帯びた「Sorrow」が大好きで手に入れた。
今更、なのだけれど、ぼくは自分が「本及び読書」へ傾いている事に気がついた。
きっかけは新しい「キョースマ」を読んでいたとき。 京都のライブハウスが細かく紹介してあって、拾得のテリーさんとか、磔磔の水島さんの健在な姿を写真でみて、ああ元気なんだ、と思うと同時に、ずいぶんああいう場所から遠いところに来てしまったな、と感じたのだった。
音楽のかかるところ、あるいはライヴハウスに沈潜していた頃が懐かしくなった。
いまはまったくいかない。 最後に行ったのは「にゅあん」さんのライヴ。木屋町のビルの二階にいった。
もちろん日常への「強制」はある。 夜は家から出られない。朝も早い。外に出られる時間は長くて二時間。 目が離せない存在がいるからだ。
本もCDもほとんどアマゾンで買う。 西大路の北部からは本屋もCDショップもすべて撤退したから。近所には何もない。
だから、というわけではない。 だから音楽のライヴを聴きに行かない、というわけではない。 本当にいきたかったら、二時間をやりくりしてなんとか聴きに行くだろう。
つまり「キョースマ」の京都のライヴスペースの記事を読んでいて、もうぼくが参加する場所じゃないんだ、と痛感したわけだ。 そんな自分に気がついたら、なっていた。意外だった。少し寂しい。
家でできること。 本を読むしかない。 そしてそれにどんどん嵌っていっている。 今日は荒川洋治の「黙読の山」を読み返した。
外に出なくてもこんなにすばらしい時間が手にはいる。 それが幸せだと感じられる自分が、嫌いではない。
WBCでのイチローの苦闘は続いているようだ。 一進一退が続いている。 35歳という年齢を考えなければならないという指摘までではじめた。 まったくダメというわけではない。ヒットも長打も、固め打ちではないにしろ、出ている。 イチローだからとやかく言われてしまうのだ。他の選手ならこんな騒がれ方はしない。
技術的なことや肉体的なことは本人が一番わかっているのだろう。 どう立て直していくのか、ファンとして、傲慢かつ残酷にもその過程を見たいと思ってしまう。
世界的なプレーヤーとしては福本も長嶋も35歳がターニングポイントだった。イチローがどのようなスタイルに変貌を遂げるのか。あるいは生活のスタイルを変えるのかどうか。 同時代を生きるスーパースターの生き様を見まもっていたい。
そのイチローの口から「心が折れそうだった」という言葉が出た。 凡退を繰り返した後、ようやくヒットが出たことについて、そう答えた。 そのヒットが出ていなければ「心が折れていた」わけだ。
イチローの口から出た言葉で、ぼくが聞いた中ではいちばん苦しい言葉だった。
ところで。 人はいろんな場面で「心が折れる」。それをどうリカバリーするか。あるいはしないか。
折れようが折れまいが、人生はお構いなしに続く。なんとかしようと思うなら、まず「折れた自分」をちゃんと認識しなければいけない。
仕事や対人関係で折れるのはまだいいほうだ。逃げようがないのが病気と老いである。
介護は少なからず、なんども心が折れる。 しかし、立て直さなければ介護にならない。 介護される方はもっとひどく心が折れていまうし。
自分がどれほど残酷なのかということを思い知らされたりもする。 知恵が問われ、心が試される。
お互い精神的にも肉体的にもかんたんに潰れるわけにはいかないのだ。 そんな日々。 別にかまわない、と考えた瞬間から心は折れるどころか、摩滅する。 消えてなくなる。
折れたままでいいから、だましだましでいいから なんとか自分を支えなければならない。
みんなそうやって暮らしているのだと思う。
久しぶりの日記になる。 いろいろと忙しかったのは事実だけれど、ノートには小説や詩のメモは書いていていたのに、ネットには書きこまなかったのは怠惰だ。
いろいろと読みたい本が山積みなうえ、書くべき事もある。さらにそこに「書きなさい」と言われているものが加わった。 そういうふうに時間が廻っているのはよいことだと思う。
さて、昨日。 京都では桜の開花宣言が出された。 近所の桜も花開く寸前。
昨日、ぼくはシャツを羽織ってハナと散歩に出た。 今日の夕方はコートとオーバーパンツで散歩に出た。 気温差がひどい。最高気温で10℃は違う。
明日の朝はまた冷えるらしい。 体調が狂わないようにしなければ。
「おとなのコラム」に「明星」というタイトルでアップしています。
趣味の薔薇栽培。毎年すこしずつ増やしている。今年は二株植えた。 名前は、ひとつが「ロサ・ワイズナー・ディアマント」。「白いダイヤモンド」というところか。白い花が咲く。もうひとつが「ワルツ・タイム」。藤色の花が咲く。
画像をパソコンに取り込んだり、フロッピーに残しているから名前も忘れずにすんでいる。
家の東側 プリンセス・モナコ プライド・オブ・イングランド オクタヴィア・ヒル ゴールデン・バニー ホワイト・マスターピース マウント・シャスタ ノイバラ そしてロサ・ワイズナー・ディアマント
西側 ピエール・ド・ロンサール ニュー・ドーン そしてワルツ・タイム
西側のロンサールとニュー・ドーン、東側のノイバラはツル薔薇である。 狭い地面なので鉢植えが多い。手持ちの鉢がまだあるのでもう少し増やそうと思う。
その「忘れる」ということだけれど、アルツハイマー病にどうやら漢方が効果のあることが阪大の研究でわかってきたようだ。 「抑肝散」である。この漢方は子供の夜泣きやかん虫に効果があるとして、もちろん昔から存在していた。
漢方が何故効くのか、という西洋医学からのアプローチもこの薬が突破口になるかもしれない。 だけど、そもそも漢方の体系はが長い臨床の歴史に基づいているから、「その中のどの成分が」といったアプローチでは完全にはわからないとは思うのだけれども。
しかしながら朗報ではある。
三月に入った。 この時期は「三寒四温」。 読んで字の如しなのだけれど、中国、韓国では秋から冬に向かっていくときに使われる。日本は冬から春に向かってだけども。
一度春の温かさを経験した後に、また真冬の寒さがやってきて、やれやれという気分。 淡雪が降って、やがて雨に変わり、今はあがっているのかな。
奈良東大寺のお水取りの行事も始まったし(松明で駆け回るのはまだですが)なにより日が長くなった。 気がついたら春になっていた、となるんでしょう。
夕方、民主党小沢代表の公設秘書逮捕のニュース。 西松建設がらみだけれど、秘書の「そうとは知らなかった」が、どこまで通じるのか。 東京地検特捜部の逮捕にいたる根拠がもう一つはっきりしない。 余程証拠があるんだろうな。もし無罪放免だったら、えげつないパージだよ。
逆に、これが巨大疑獄にまで発展したら、日本の政治はもう終わりだと思う人が増えるだろうな。 そうなるのを待ってる人たちがいるような気配がするから、ぼくは「もう終わり」とは思わないようにする。
久しぶりに二番目の作品集「音函」の注文が入り、本を制作しました。 最初の「光函」はゴザンスで作ってもらったので印刷屋さんが仕上げた並製本の本だけれど、「音函」からは自分で本を作っています。
三作目の「街函」はページ数も増え、版も大きい(A4)。そして製本糊による仕上げにしていました。 ところが読者から、やっぱり「音函」の体裁(A5,173ページ)がいちばん好もしいという意見がけっこう多く寄せられたのです。
鞄にはいるのでどこにでも持って行けるし、どこでも読める。「街函」は重くて寝ながら読むときたいへん。「街函」をいくつかの分冊にしてくれると助かる。などなど。
制作する側から言わせて頂くと、「街函」よりも「音函」の方がはるかに簡単に作れます。「平綴じ」でつくれるからです。
それに糊製本だと剥がれる危険性があるけど、ホチキスで閉じるのでその心配はないし、(「音函」制作時に手に入れた「製本用巨大ホチキス」は健在だし) かかる費用と時間についても、200部以上になると「平綴じ」が断然安いし効率的。 一冊だけ作るなら糸綴じの上製本をつくるけれど、数を作らなければならないからなるべく簡素な方法にしたいのです。
それでも「街函」で面倒な製本糊による並製本にこだわったのは、「平綴じ」に致命的な難点があるからです。 それは「化粧断ち」が不可欠だということ。
印刷した紙を束ねてまん中で二つ折りにしてとじた形を想像してみてください。 まん中に尖った「山」が表紙の幅からはみ出して必ず出来てしまいます。 「化粧断ち」とはそれをすぱっとまっすぐに切りそろえることです。 これをしなければ不細工な上にページがうまくくっていけません。
ネットで検索してみると多くの私家本制作者がカッターの鬼となり涙ぐましい努力をしているのがわかるのだけれど、最終的には大抵製本屋さんの手にゆだねています。 ぼくも「音函」制作時は300部を超える作業になるので、製本屋さんに依頼しました。一部15円程度でやってくれました。
実際のところやってくれただけでもあり難いのです。本来、そんな小さなロットだと門前払いが普通なのです。ましてや現在のような受注発注にしていると一部だけ持って、お願いします、といっても誰も相手にしてはくれません。
将来的には自前で裁断機を購入するしかないのです。ずっと自分で本を作り続けるのなら絶対必要なもの。 だけどとりあえず「今」どうするか。なるべくお金もかけたくないですし。
で、閃いたのがカッターにこだわってみること。 要するに本の縁が揃っていないだけで、あとはパソコンとプリンターで出来てしまうんだから、その部分も家でやっつけてしまいたいという気持ちが、そっちの方向に目を向けさせたのでしょをう。
実は接着剤(テープも含む)とカッターはもの凄い進化を遂げています。 もちろんどちらも文具店にはなく、ホームセンターの工具売り場にあります。
カッターだけでも、ダンボールをざくざく切るものや、厚紙、布でもすっぱり切れるものとか、用途別に20種類ぐらいあるんじゃないかな。
で、狙いをつけたのは額縁職人さんが使っていたベニヤ板が切れるカッター。 重ねた分厚い紙の束が切れないのは刃が柔いからで、ベニヤが切れるカッターなら強い力を加えてもしならない。つまりまっすぐ切れるはず、とよんだのでした。 早速ホームセンターで購入。家に帰ってやってみると見事に切れました。
あるんですね。
明日、メール便で新しい読者の方に届けます。
ところでこの作業を見ていた友人から、いい方法がみつかったみたいだから、そのサイズの本を次々と出すように、と「注文」がきました。 今のプリンターの性能とパソコンソフトで本は十分作れます。無敵のカッターも手に入ったし、あとは書き手の腕ですね。
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