散歩主義

2008年08月15日(金) THE LIBRARY 2008…京都…






 ひがさっくるくるの夏の日、三条神宮道のギャラリー「はねうさぎ」へ「THE LIBRARY 2008」を見にいった。
 開くのが12:00なので三条河原町の六曜社で珈琲を啜りながら人間観察。ここは地上と地下があって、ぼくはいつも地上の旧いお店でお客さんを眺めている。「ウナギの寝床スタイル」のお店なので外は見えないし、ベンチシートに相席が当たり前だから、がやがやした店内なので、「ふるまい」をキメてない人は居づらいかも。いつもぼくは文庫本を読むか、店内をぼんやり見てる。
 モーニングサービスがひけたお昼までの午前中というのは、街を浮遊する種族(絶滅危惧種)にあえるから面白い。ぼくはこの店に行くときはその種族の顔をしていく。
 アロハにオールバックのおっちゃんと、ド派手なミニのワンピースの女の子が、煙草くゆらしながら「別れ話ごっこ」してたり(「フリ」だけ。いつも渋い声で「別れましょ」が聞こえてくる。一年間繰り返してる)、眉間に皺寄せて新聞を睨むサンダル履きに角刈りのオジさん。足が白い。それから虚空を見つめる劇団員ふうとか…。ぼくだって190センチにちかいノッポで、ほとんどスキンに近い短い髪とベアードのごま塩髭なんだから、そうとうイッちゃってる感じなんだけども…。

 ということで昼からギャラリーへ。
 このTHE LIBRARY 2008は、[200名の「本」形式作品による展覧会]というサブタイトルがついています。 まあいろんなスタイルの本がありました。

 ホチキス閉じ、平綴じ、厚表紙に布ばり、木の表紙、木箱入り。
 詩、小説、絵本、インスタレーションなどなど、考えも及ばないほどの種類の本。
 なかには自費出版の文芸社から出した本を作品として出している人まで。あくまでも本形式の「美術作品展」です。

 お目当ては溝上幾久子さんのカラー・エッチング。溝上さんはぼくの作品集の大切な読者さんのお一人でもあるのです。多和田葉子さんのエッセイ集の挿絵を担当されたり、文芸誌で川上弘美さんや高橋源一郎さんの挿絵も描かれています。(描く、といってもエッチングですから制作と書いた方がいいかもしれません)その刷り上がった実物を見ることができました。
 版画は面白いです。構成の意図が画よりもはるかにストレートに伝わります。明快。(そのぶん怖さもありますが)複製が可能なところが強みにもなりそうです。言葉により近い感覚がします。頒布可能なんですよね。
 さらに進めばマティスが晩年熱中した切り絵の明快さにも通じるような気がしました。

 ぼく自身、自分の作品集は全て私家本にしつつあり、すでに絶版になっている「光函」もページを増やした私家本にする作業をしています。その視点から展覧会全体を見るととてもいい刺激になりました。
 一緒に行った友人は溝上さんのやり方もいいんじゃないのか、といいます。
 これは多くの方がやっておられたんですが、作品をクリアファイルにいれて本とするやり方です。
 版画やイラストのプレゼンテーションにはいいでしょう。それに版画やイラストはそこから取り出しても作品として成立します。ただ言葉だけではどうでしょう。ページ数の関係もあります。それに紙一枚になったらどうにも仕様がありません。

 当分は「街函」で採用したサーマファイルを改良したやり方でいこうと思います。いい本を作りたいです


「THE LIBRARY 2008」は17日まで。
12:00〜19:00まで。最終日は17:00まで。
ギャラリーはねうさぎ
京都市東山区三条通神宮道東入る(南側)ホリホックビル2F
075−761−9606

 で、今週は「おとなのコラム」に小説をアップしました。
「空へ、音が。」という作品です。
 こちらです。



2008年08月10日(日) 散文的な時間の中から

■ブログの一つとして使わせてもらっているAmebloのコメントが酷いことになっている。アダルト系のものが凄い数でつく。パソコンを立ち上げるとその削除からやらないといけない。消耗。■アメブロの草創期からこのブログ・サービスに参加し、「アメブロ文芸系ブロガー」のリーダー的存在である山川健一さんのところはコメント禁止になった。氏が書き込んでいたその理由もやはりアダルト系の書き込みの多さによるものだった。■もう一つメルマガ読者にだけ告知しているFC2のブログにもアダルト系の書き込みが多い。■「禁止IP」の設定をしてもいたちごっこ。その都度変えてくるからアメブロとFC2からはこの手のコメントはなくならないだろう。■FC2のブログからのコメントを知らせるメールには、アクセスしただけで削除できるアドレスがついているから簡単に消せるけれど、アメブロは結構手間がかかる。■はてな、MIXIにはさすがにないようだけれど、MIXIには怪しい「あしあと」が結構つく。■SNSが増えていくはずだ。


■今読んでいる「日本語が亡びるとき」水村美苗がとてもおもしろい。この稿は筑摩書房から出る同タイトル、全七章のうちの三章が「新潮」に掲載されたもの。言語と文学をめぐり「世界と時間」を軸に展開するスケールの大きな論考だ。読んでいると意識が拡大する。それだけでも凄い。

■意識が拡大する、というとGoogleのstreet viewも或る意味凄い。東京と京都、大阪という僕にとってなじみにの土地がすでにカメラに「舐められていった」ようなのでアクセスしていろいろと観た。懐かしの場所、住んでいた場所を現住から観ているというのも、妙な感触がする。
友人は「のぞき趣味」と一刀両断。そういう感想も当然だろうと思う。
■だけどたぶんこの流れは止まらないと思う。Googleは範囲を拡大していくだろう。

■このstreet viewを観たときの感覚と「日本語が亡びるとき」を読んでいるときの感覚が似ている。■ああそうなのか、という感覚。「普遍」というものの凄み、強さ、そしてそこへ流れていくどうしようもない「どうしようもなさ」など。■今日発売の文藝春秋には芥川賞を受賞した楊さんの作品が掲載されている。日本語で書く中国人。ぼくは楊さんの作品は好きなのだけれど、これが何故中国語で書かれないのか、ということと、日本文学が美苗さんの論考に出てくる世界の中の「主要文学」であった(今もそう?)ことを思わずにはいられない。■ちなみに「日本語の亡びるとき」は言語学者が言うような、その言語をしゃべる人が一人もいなくなる、という絶滅を意味してはいない。



2008年08月08日(金) 凄いショーでした

今日も猛暑。しかし曇りがち。夜半に雷。

「新潮」9月号から水村美苗「日本語が亡びるとき」を読み始める。何とも刺激的なタイトルにひかれて。この号には他にも読みたい作品がいくつかある。山田詠美「学問」。長編の第一回。
あとはぼくの好みで、村田喜代子、ミランダ・ジュライ、吉田修一は読みたい。

有吉与志恵さんのコンディショニングについての本を読み始める。トレーニングについて「目から鱗がおちる」ような論考が相次ぐ。

夜、北京五輪の開会式をテレビで観る。いかにも中国、と思わせる凄いショーだった。日本選手団をみたところでスイッチオフ。

サッカーも野球もあまり期待していない。チーム編成の段階でどちらにも若干の疑問を持ったから。選手たちには声援をおくるけれども。



2008年08月06日(水) 葉月の或る一日

■朝早くに地震。久しぶりにズンッと突き上げる感覚を「軽く」味わう。「軽く」出よかった。
■「切羽へ」・井上荒野を読み継ぐ。■「チルチンびと」…草花の咲く家…を読む。ベニシアさんが表紙だ。

■インディアン・フルートを何度も聴く。今日、波長があったのはこの音楽。
■中谷美紀「インド旅行記」1〜3を読み始める。

■「街函」の在庫がなくなる。新たに製作。■昼間は空が燃えているような暑さ。

■「残り時間」を考え、いろんなことをしていかねばならないと考えた。若い頃のように熱中さえしていれば何時間でも一つのことに集中できなくなってきたからだ。数時間で体が疲れてくる。集中できる時間が短くなった。
 年老いた人が「わたしには時間がない」という時、残りの寿命を意味していることももちろんだけれど、有効に使える時間が少なくなっていくという実感の方が切実なのではないかなという気がした。どれほど健康に留意しても肉体は老い、衰えていく。まだまだ、と思う反面、自分自身にそういう兆候が見えているのも事実だ。時間に対しての意識を高めざるを得ない。

 人生の最終地点。そのヴァニシング・ポイントから人生を逆算して考えると、誰もがそう思う時がくるようにも思う。
■若いからこそ高まっていく「自己表現」への熱とは別に、「自己」から視点がはずれていくきっかけになるかもしれない。「自己」から始まり、どんどんそこから離れていく。
あるいはどんどん「自己」が消えるほど深く掘り下げていく。もしそうであるなら、そういう意識をむしろ持ち続けたい。そこから「作品」が始まるように思えるから。

■夕方、雷が響く。夕立。



2008年08月01日(金) terra/川上弘美

川上弘美の「terra」を読んだ。
「新潮」八月号に掲載されている。
これから単行本に収録されていくだろうから、内容にはあまり触れないでおく。
七月に読んだ小説の中でいちばん心を掴まれた作品だった。

とても大雑把に描くと、
死者=主人公=語るヒト=語られるヒト=女性と男性との語り、となる。

しかし乾いている。とても乾いているので切なさが剃刀みたいだった。
世界に穴が開いて、そこを風が吹き抜けていくような感覚。

死の「こちら側」と「あちら側」という関係が二人ともが同じ側にいた時の関係を彫り上げていくような会話。
シンプルで、とても哀しくて、とても切ない物語。

前向きも後ろ向きもない。ひたすらに透明になっていく感覚が読後に。
断ち切られる無念さも同じくらい。

terraとは大地。いのちが地に帰って行く物語なのだった。


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