メルマガとブログの画像をアップし、配送予約をすませたので、ノートを広げて詩に集中した。 午後10時にできあがり。 明日清書する。
お昼頃、たまたまいったJEUJIAで、とんでもないCD群を発見。 なんと10枚組で1780円というとんでもないセット。
むろん輸入物。 紙の箱に、紙の袋に入ったCDが10枚。 解説書も何もついていない。曲名と演奏者のみが箱に書かれている。
エディット・ピアフをはじめとするシャンソンの10枚組。 マディ・ウォータースをはじめとするブルースの10枚組。 ジャズギターのジャンゴ・ラインハルトの10枚組。 初期のロックンロール10枚組。 ジャズ・ピアノばかりの10枚組…。
押さえることが出来ずに、CELTIC SOULSというアイリッシュのトラデイショナル・ミュージックの10枚組を購入。
部屋の中でずっとあの独特のリズムと延々とリフレインするメロディー、つまりアイリッシュダンスのバックで響いている音楽がなっていた。 ぴいひゃらぴいひゃらぴいひゃらら。
最近はジャズのとても古い盤が破格値で売られていて、もう手にすることは出来ないだろうな、とおもっていた名盤が手にはいることがある。
今日は10枚組といっしょにウエス・モンゴメリーとBAGS、つまりミルト・ジャクソンのたった一度のレコーディングしたものを購入。 これは千円。
そういえばその10枚組のなかにチャーリー・パーカーのがあったな…。
10枚組、音はそんなに悪くない。 お店の人はしきりに「大人買い」を勧めるのだが…。
夜に多和田葉子さんのエッセイ集を読み継ぐ。 この人の「旅もの」は読み終えると、ほんとうに旅を終えたような感慨に浸れる。 いつか読者が「眼」になっているんだろうな、とおもう。
「考える人」に掲載されていた堀江敏幸さんの短編小説「プリン」をようやく読んだ。
堀江さんの作品で、生活のリズム調整が出来るときがある。 そういう人はあまりいない。 ものを考える姿勢というか癖を直すのにちょうどよかったりする。
さて、物語は自家製プリンを作っているときに、母親が胸が苦しいと訴えだし、救急車で病院へ行くという出来事の時間軸が真ん中にあって、時間を遡るお話の枝が伸びていく。 中心はプリンを褒めてくれた優しい義父。故人である。 そのお葬式。そこに現れた人をくさす高圧的な親戚の話。 そして物語は最後に優しさがすっと現れて、フェードアウト。
さりげなく「優しさが救われる」ところが、堀江さんらしいとおもった。 その物語を進める「手つき」というようなもの、雰囲気がとても好きなのだ。
今日、自分のとても短い作品を書いていて、この人をどうするの、これでいいの、と検討したときに むしろ堀江さんの「手つき」に近しくなろうとおもうぐらい。
文章のうまさと柔らかさは相変わらず。 短編小説のお手本にしたい作家の一人です。
ところで、作品中に「雪沼」という地名が現れたから、あの本に関連した内容なのかな、ともおもう。 まだ読んでいないのです「雪沼、その周辺」。
ごろん、と話題が変わって 多和田葉子「溶ける街 透ける路」が届いたので読み始める。 挿絵のエッチングが素敵です。 原画でみられたらもっといいだろうな。
2007年カンヌ映画祭グランプリに輝いた「殯の森(もがりのもり)」を観た。 チャンネルはNHK−BSHighVision。 カンヌのコンペに出る前から放映は決まっていたという。 幸運だった。
構成はとてもシンプル。ストーリーもシンプル。 ただ「圧倒的な気配」を感じ続けた。 主人公の二人、すなわち認知症の老人シゲキと幼い息子を亡くした介護士マキコが森の中に入ってからは、とにかく感じ続けた。
圧倒的な森の緑。森の精。漂う人の魂。その気配。 河瀬監督は森の選定に徹底的にこだわったという。人工林の混じったものは排除されたそうだけれど、そのことは画面から伝わってくる。 そのことも大きな影響を画面に及ぼしているとおもえた。
目に見えないものをナイーヴに信じたところで、向こう側になにも伝わらないし、こちらになにも届かないかもしれない。 しかし、「繋がった感覚になれるじゃないですか」と河瀬監督は言うのだ。 「あるかないか」よりも重要なのはそのことだとおもう。
そして、目に見えないものとの繋がりを意識しつづけて生きるということは、やはり大事だ、と映画を観ながら、ぼくは確認していたようにおもう。 たとえそれが幻想であっても、生きる質は変わる。 目に見えないものとは何か、端的に言えば人の魂である。
森の「大王」のような巨樹が出現する。その映像が忘れられない。
ちなみに「殯(もがり)」の語源として「喪あがり」が推定されていることを記しておこう。
観ることができて、幸運だった。
涼しい風が吹き渡る日。 とても気持ちよく散歩ができました。
日頃、常に何か書いているのですが、なにか違うなあと感じたとき、精神的に窒息気味、と感じるときがあります。 こんないい天気のいい日でさえも。
そんな時を変える、最初の手段は、やはり本。 最近は川上弘美さんの「ありがとう」をパソコンの横に置いて、いつでも読めるようにしています。 以前置いていたのは吉行淳之介さんのもので、文庫の背表紙がぼろぼろになりました。文庫化されたものを全部原稿用紙に写したからです。
最近では、全文書き写すことはしていませんが、川上さんの、例えば二行でもいいから、メモ用紙にすらすらと書いていると、ぎくしゃくしながら何かしら、ボロンと落ちてきます。
時間がかかるし、無駄かな、と思うこともあるけれど、また全文書き写しをしようかなともおもっています。
もう一つの手段は寝ること。睡眠不足だけは避けたいです。
京都新聞夕刊に、たぶん月に一度くらいの間隔で「詩歌の本棚」という現代詩の新刊評のコラムが掲載される。
今年、評者が河津聖恵さんにかわった。 河津さんの詩を興味深く読んできたのでこの評は欠かさず読んできた。
今回の評は骨に届いた。 気になったところをノートに書き抜いて、忘れないようにしようとおもった。
評は思想家イバン・イリイチのこんな言葉からはじまる。 『人に未来なんかない。人にあるのは希望だけだ』
それをどう解釈するかというと 『未来を予測すれば未来に引きずられる。 未来が予測できなければ不安の中でもがくだけだ。 いずれにしても人の現在は未来(という強迫観念)に食い荒らされている。 ならば私たちは希望によって現在を押し広げて未来を作るしかない』
ここでしばらく立ち止まってしまった。 このあと『詩もまた希望なのだ』と河津さんは宣言するのだが、このような力強い呼びかけは長らく聞くことがなかったようにおもえたからだ。
紹介された詩集は 『風を孕まず風となり』藤谷恵一郎 『撫順』山本万里 『ヨシコが燃えた』たかとう匡子
それぞれの詩句も紹介されていて、そのどれにも引きつけられた。特にたかとうさんの詩は凄かった。
『どこも赤い闇だ ヨシコの手をにぎりしめ 私は駆ける すぐ前にいたはずの 祖母と弟が見あたらない 高架沿いに 群衆の流れるままに 唇をむすんで逃げる』(「赤い闇」より)
鎮魂の詩である。 たかとうさんは神戸大空襲のさなかに妹を失い、戦後43年目にようやくその体験を詩にされた。 今回の詩集はその詩の収録された詩集と他作品をまとめたものだという。
他の方の詩もそうだけれども、語りづらいところから語り起こしていることがよくわかる。 見えたものを見えたものとして書く、無惨と絶望と慟哭がある。しかしそれでもなおそのなかに微かでも希望の痕跡をしるすことが出来るか、だろう。
河津さんはこう結んでおられる。 『戦争体験という自分史を詩で描くことはやさしい。 難しいのは戦争体験において詩を描くこと。 グローバルな戦場と化したこの世界へ、詩という希望を掲げることだ』
希望は日々の生活の中に見いだす以外、どこにもない。 しかし、そうだとしても現在の世界を『グローバルな戦場』と認識するところからしか、詩がはじまらない。 そうおもう。
朝から夜の入口まで雨降りだった。 ここのところの暑さで開ききっていた薔薇や昼咲き月見草などが、崩れるようにアスファルトに散っていた。 あまりその様子が好きではないので 朝のうちにそうやって道に貼り付いてしまった花びらをいちまいいちまい剥がして捨てた。
まだ開きはじめたばかりの花は、雨を弾いていきいきとしている。
「淳之介流」村松友視・著 を読了。 感じたことを、作家・吉行淳之介の「人生の作法」だと自分の中でまとめている。 「分かる」というと、嘘になる。
感じることが出来てよかったとおもう。 何故なら、感じた心持ちは、ぼくを生きる前面へとむけてくれたからだ。 しゃんっ、となった。 ひょっとしたらぼくは自分でも分からないうちに衰弱していたのか、という気持にさえなった。
あるいはそれは病、死、世間との軋轢など、「どうにも仕方のないもの」をいかに「手なづけて」生き抜いていくか、というお手本のようでもあった。 しぶとく、「ぐにゃぐにゃ根性」を発揮し、「やわらかい約束」を他人とも自分自身とも交わし、 それをけっして忘れずに生き抜いていく、したたかな強さと優しさを教えられた。
村松さんは「あとがき」でこう書いている。
『病気、世間、文壇、スキャンダルの大津波の中を、 様子のよい男を表にあらわして切り抜けた。 その見えにくい強靱さは、年輪を重ねるごとに、 鍛えられたしたたかな色気が匂い立っていた』
「淳之介流」を読みながら、メルマガの原稿書き。 家人の具合はほんの少しよくなったみたいだけれど、無理は出来ない。
「淳之介流」がいいのは吉行淳之介という作家の全貌が、生き生きと脈打つように伝わってくるからである。 吉行さんの作品全体にはマイナー・ポエットの底流がある。そのことをまた強くおもった。
全体主義への生理的嫌悪感を、高校生の頃から貫き通した人でもあった。 親友二人を長崎の原爆で失い、空襲で家を失い、病にいじめ抜かれた人の「明晰さ」をおもう。
それはことのほか重い。 が、そこには英語のreadが「学ぶ」という意味を含むように、読むことが重要に関わっているようだ。
妄信、盲進、猛進、盲信、付和雷同を拒否する。 まさにダンディである。
この本、村松さんの筆がとても渋く、冴え渡っている。
家人の調子が悪いので、急遽、晩ご飯をつくりました。 ぼくの定番はスパゲティ各種(だいたい若くして村上春樹作品に溺れた人は必ずスパゲティの調理にはまった時期があるはず。)なのだけれど、今日はカレー。
ここのところ気温の変動が激しいために、体調を崩しているようなので 特製Gutsカレーを。
これは横浜ベイスターズの工藤公康投手が登板前によく食べるというもの。 その奥様のレシピが雑誌に公開されたときに、すかさずファイルしておいたのでした。Gutsカレーという名前も工藤投手によります。
基本は茄子カレー。4〜5人前の設定だと、そこに皮をむいたトマト(ぼくはイタリアのホールトマト缶詰を使います)6個、コンビーフの大きい缶が一つ。ニンニクが一山とひとかけ(おおいでしょう)が入ります。
作り方は至ってシンプルで、タマネギ半個と生姜一かけ、ニンニク一かけをみじん切りにし、バターを溶かした鍋で弱火で炒め、 タマネギが透明になったらそこにトマトを潰しながら入れ、
ニンニク一山の皮をむき、三分間電子レンジで加熱し、柔らかくなったものをフォークの裏で潰し、そのペーストのようになったものを入れ、 タマネギの残りの半分をすり下ろしたものを、入れ、
ブイヨンスープを3カップ入れます。 そこへコンビーフの塊(今日は340グラム)を大雑把に解しながら入れ、カレールウを100グラム入れて4〜5分煮ます。
これでカレーはできあがり。あとは茄子を輪切りにし、フライパンにオリーブオイルを熱してソテーし、 焼き色が付いたらカレーに入れて混ぜます。
これで出来上がり。 塩もこしょうもソースも入れてないでしょう。だけどおいしい。
家人にも好評でした。 スープストックはマギーブイヨン。水1カップにキューブ1個がぼくの「量」です。 なんといってもコンビーフが決め手です。
実は工藤投手のファンなのです。今年はいまいち調子が出ないけれど、40歳過ぎて現役というのは偉いですよ。
村松友視さんの「淳之介流」を読み出しました。 以前から、村松さんが書いていることをいろんなところで宣言していた本です。
村松さんは中央公論新社の編集員でおられたころ、今ではもうなくなった文芸誌「海」で吉行淳之介担当でした。 だからでしょうか、吉行さんの呼吸、体温が伝わってくるような本です。 このように書かれた本はありませんでした。
「男として」という冠付きの「生き方」のスタイルだとか、講釈なんて大嫌いだったはずの吉行さんの(ぼくの勝手な想像ですが) 「やわらかさ」が強い胆力で裏打ちされていたのだなと感じながら読んでいます。
絶対、上から人を見下ろす人ではなかった。 「白洲次郎と正反対の人物」という記述にはおもわず膝を打ちました。 当分、持ち歩く本になります。
●淳之介流…やわらかい約束…村松具視 河出書房新社
マーガレットやシャスタデージーの咲く季節です。 街のあちこちに咲いています。 石榴の若葉も茂り、半夏生もどんどん成長しています。 そういえば、近所に半夏生があることは、去年、気がついたんでした。 メルマガの取材のおかげです。 今週も書いていきましょう。
2007年05月18日(金) |
投稿してください/投稿しましょう |
4月22日の日記を読み直してみると、詩に関しては投稿ではなくて本づくりを中心にしていくことが書かれています。 そうなんです。確かにそう。 本の準備はゆっくりと始めているところなんですが…。
何故こんなことから書き始めるのかというと、いつも「本づくり」が、 「ご本はまだですか」 という、ご近所の老婦人の言葉によって制作の「引き金」がひかれるように、 「投稿を続けてください」 という遠方の友人からの言葉がぼくに届いて、それにどう答えていいものか迷い続けていたのです。
別にぼくは投稿を止めるとは書いていないし、止めようが続けようが他人様にはどうでもいいことのはずなのだけれど、 遠く離れた地で、婦人公論誌上にぼくの名前か作品が掲載されているかどうか探すのが楽しみだというのです。
「本」に力を入れるとして、それが投稿の足を引っ張るの?と問われると、それは、そうであってはいけないことであって、詩を「読者」に届けるにはどんな形であってもいいわけです。
しかしながら、投稿歴も長くなってきて、区切りをつけたいという気持が正直ありました。 で、自分の中ではほとんど区切りをつけようと決意したつもりでいたのです。
ところが皮肉なことに、というべきか、今日、婦人公論から発売前の新しい号が届いたのです。(発売は22日です) 発売前の本が届くということは、入選したということなんです。佳作では送られてきません。
社名の入った封筒を持って、今までなら素直に喜ぶところなんですが、今回は複雑な気持ちになりました。 頁を開いてみると、作品はそう「決意」する前に送ったものでした。
遠方の友人にメールを送り、今回は名前と作品が両方掲載される旨を告げました。
すると 「だから投稿を続けてください」との返事。 それに対して「わかりました。続けます」と答えてしまいました。
さて、婦人公論の詩のコーナー。 友人のある方が、今年、彗星のように登場し、ただいま毎月連続で佳作か入選に絡むという大躍進を継続中なのです。
その方は今回も佳作でした。 その方が実生活の上で苦労されていることを知っているので、簡単にそういう場を離れてもいけないな、という気持にもなります。
投稿は一人だけの営為のようですが、何度か作品が活字になり、投稿する仲間が出来てくると、まして、前述の友人のようにブログ上の作品まで読んでくれている読者の方が少なからずいるようになると、最早、「一人だけの場」ではないのです。
考えてみれば、とても有り難いことです。 考えるまでもないはずなのです。 投稿を続けましょう。
今回の作品は「春宵」といいます。 これも、この日記で「五言絶句をひねり出した」と書いた日に出来たもの。 漢詩と自由詩を混合させたものです。
22日発売です。よろしければ是非、書店で手にとってご覧ください。 「読者フォーラム」の中にあります。
朝と昼の気温差が甚だしい。 気温が倍になる。 体調がおかしくなりそうだ。 これに睡眠不足が加わるとかなりまずい。
朝夕、食事の後にサプリメントを摂る。 特にビタミンは馬鹿に出来ないどころか、かなり助かっていると思う。 食事で摂るのがベストなのだけれど、風邪のごく初期だとか過労気味の時、体内でのビタミンの破壊は酷いらしいから。
今日メルマガの原稿を書きはじめた。 これなら週に一度のブログでもいいんじゃないか、ともおもうけれど、 記事と小説がぼくの「持っているもの」だとして、時期的にどれだけ遅れても、「持っているもの」を利用して、ブログにはいつでも載せられるじゃないか、と考えるようにした。
広がりはブログの方が圧倒的だけれど、「読みたい人に送る」というのがメルマガの第一義だから。 だけどそろそろブログにメルマガから転載していこうと思う。
「フューチャリスト宣言」を読み終える。 熱い主張に「あたって」しまった。 特に茂木健一郎氏が熱い。
茂木さんの「偶有性」こそ創造を生むものであり、そして人生を前進させる凄いパワーをもったものなんだという「信念」が、 繰り返し対談相手の梅田さんに、そして読者に投げかけられる。 ことの重大性に気づいてほしい、そういうふうに読める。 アジテーションといってもいいんじゃないか。
しかしながら、熱心にネツトに参加した人ならば、良くも悪くも「偶有性」は経験していることだと思う。 ことにネガティヴな側面に苦いおもいをした人もいるとおもう。
それを踏み越えてゆけ、とアジられた気がした。 とにかく「偶有性」の海に飛び込め、ネットの側にかけろ、と。
そうだ。確かにそうだとおもう。 ただし自分自身を常に更新することを怠らないこと。 それが前提であることを忘れてはならない。
偶有性とは…。茂木さんの「クオリア日記」ではこういうふうにも使われ、
こちらのリンクでも調べることが出来ます。
2007年05月11日(金) |
「フューチャリスト宣言」を読み始める |
5月の新刊。「フューチャリスト宣言」を手にして早速読み始める。
ぼくは個人的な様々な事情や生き方から、「文芸作品」発表の場としてインターネットという場を選んだ。 だからネットに関する様々な論説には注目してきた。
ことに「どうやっていくのか」「何が可能なのか」を指し示す、あるいは示唆するものは、読んできたように思う。 「時間」を「流れるように見つめている」ものを。
インターネットに拘泥する、と決めているのだから当然である。
また、どのような現在で、どのように生きていくのか。そのことを考える「補助線」として ぼくは三人の方のブログと本を常に読んでいる。 内田樹氏、茂木健一郎氏、梅田望男氏の三人の方だ。
その梅田さんと茂木さんの対談なのだから読まないわけにはいかない。 今「ネット時代のリテラシーは感情の技術」という小見出しのところまで来ているのだけど この小見出しだけで、やっぱりなあと思ってしまう。
「荒々しい部分を体験する」ということも含めて、何度でも「ネットの側」につこうと、数頁ごとに確認しながら読んでいる。
この本には書かれていないけれど、文学、文章、詩、エッセイといった文芸作品をコンテンツとして提出している以上 その組み立て方も考えなければいけないなとおもいはじめた。
コンテンツをもっと鍛える。もっと提出する。毎週メルマガだけで発表している畸編小説をブログでも数ヶ月遅れで発表しようか、とか…。
メルマガもweb1.0。MIXIもweb1.0。 さらにその上、というとやはりブログなのかな。
ネット上の「文芸作品」をつうじて、すでにぼくは多くの人との「偶有性」を体験しているじゃないか。 ここでひるんでいてはいけない。
そんな思いをパソコンにメモしながら読書が続いていく。
●「フューチャリスト宣言」茂木健一郎・梅田望男(ちくま新書)
暑い一日だった。花がどんどん咲いていく。 オクラの芽もさらに伸びた。
新潮六月号が届いた。 富岡多恵子さんと辻井喬さんの対談を読む。
富岡さんは詩人としてデヴューされたけれど、現在詩を書かなくなっている。 しかし、詩をずっと読みつづけておられて、そのような方からの現代詩への言葉は鋭いものがあった。
富岡さんの「湖の南」という小説に興味を持った。 湖とは琵琶湖。琵琶湖の南、つまり滋賀県湖南地方が舞台である。 主人公は津田三蔵。大津事件の犯人、ロシア皇太子に斬りかかった男である。
その土地の人間なら分かるけれど、他所の人ならどこのことか分からない。 つまり、そういう特権性に乗っかかりたくない、という理由で、地名などの表出をなるべく少なくするという手法をとってこられた富岡さんが、今回は地名をだし、徹底的にこだわって書いたという。
もう詳細に書き込んだのだという。 そうすることで逆に「特権性」が消える、と。
(ぼくは「京都」という冠をつけたメルマガを書いているけれど、肝に銘じていることでもある。 あくまで自分の住んでいるところから書いていくのが基本だけれど、詳細なリンクはやはりつけるべきだろう、と再び思った。 で、ふと感じたのだけれど、富岡さんの今回のやり方は紙の上の作業だけれど、とても「インターネット的」におもえる)
対談に戻ると、話題は死刑囚の短歌の話、 詩を書くことを止めて散文に向かった富岡さんの話、 短歌を切って現代詩にすすみ、さらに散文に向かった辻井さんの話、と興味が尽きない。
「小説はどんな形式でも書けるということを文学者として証明された」 と辻井さんに評された「湖の南」。 読んでみたい。
オクラの種が発芽しました。 気温が高めなので予想より早めです。 このままうまくいくといいのですが。
ノイバラは昨日の雨で八割が散りました。あっさりしたものです。 来年の春まで、旺盛に蔓を伸ばしていきます。
他の薔薇も次々と開花しています。 今週、金曜日のメルマガですべて紹介します。
ジャスミンもたくさん咲いて、うちの手前に来ると香りが流れてくるそうです。 こちらはうまくいきました。
2007年05月06日(日) |
「肘掛け椅子」という選択 |
『わたしの夢みるもの、それは人を不安にしたり、気を滅入らせるような主題をもたない、 均衡と純粋、そして静寂の芸術である。 すべての頭脳労働者、例えばビジネスマンや文筆家にとっても、ひとつの鎮静剤、 頭脳の鎮静剤になるような芸術なのだ。 その肉体的な疲れを癒すのが心地よい肘掛け椅子だとしたら、 まさしくその肘掛け椅子である』
このアンリ・マティスの言葉を、今年になって発見し、ノートに書き、何度も反芻して読み、 画ではなく、文章に活かそうと決意したのは三週間前だった。
そのころ、最近、文芸誌で連載が途切れている庄野潤三さんが、昨年、再びの脳卒中で倒れられ、 闘病中であることを知った。 最初に脳出血で倒れられて以来、健康に留意され、歩くことを日課として続けてこられたのに、と 残念でならなかった。
マティスの言葉の大意は、まさに庄野文学のために書かれたような言葉である。 或いは庄野さんのようなスタンスの先人をぼくは探していたのかもしれない。
或いはマティスはこうも言っている。 『私は、あたかも海と空を前にしているように、ふつうの空間と事物を表現します。 つまり世の中の最も単純な事物を表現するのです。 だから私の絵に実現された統一を説明することは、いかに複雑であろうと 私には難しくありません。 というのはそれが自然になされたのですから』
これはますます、庄野さんの作品世界に通じる言葉である。
庄野さんのハートウォーミングな静謐さに満ちた、 スローライフの極みのような作品たちに触れるたびに ぼくはたしかに「肘掛け椅子」に腰を下ろして、くつろいでいた。
何も感じられない人もいるだろう。 むしろそういう人の方が多いかもしれない。
「フック」やら「ひねり」や「転」は小説の鉄則である。 庄野さんの一連の「家族小説」には意図された「それ」がない。 ぼくなどには、だから「とてもいい」のだが…。
しかも少なくない読者に支持され続けている。 その理由は何か、と考えると、やはり庄野さんの小説が「肘掛け椅子」なのだと思う。
ぼくはネットで、少しずつ書き続けているけれども、 ご近所から「新しいご本は?」と再び声をかけられた。 また新しい本を作ろうと思う。 それが「肘掛け椅子」たり得るかは分からないけれど それをめざそうとおもう。
明日発行のメルマガの準備をしていましたよ。 お、どうやら出来たようです。 (チャチャ)
オクラの種をまいた。 一晩、水に浸けておいて一カ所に五粒ずつ。 うまく育ってアイボリーの花が見れるといいのだけれど。
メルマガの原稿を書いた。八割ぐらい。 メルマガが画像中心になりつつある。これはいいのか悪いのか…。 畸編小説も相変わらず続いている。
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