散歩主義

2007年01月30日(火) 気温13℃ 南風 快晴

早朝、零度まで下がった気温は、昼過ぎには13℃まで跳ね上がった。
明日もまだ暖かで、週末にかなり厳しい寒波がくるという。
しかし二日ほどでそれも止み、気温はずっと高めで推移するという。

白い小さい花イベリスを三株手に入れる。西側のテラコッタに植える予定。
西側は白い花ばかりである。

梶井基次郎「冬の日」を再読。次のメルマガの柱はこの作品である。

ターシャ・テューダーの番組を二夜連続で見る。
基本的に学ばなければならないことがある。

フィッシュマンズ「空中」を聴きながら日記を書く。
彼らは夏だけじゃなくて、一年中聴く。

梶井基次郎、フィッシュマンズ…。
ぼくのなかでは共通点がある。



2007年01月29日(月) あたらしい音

今日はあたらしいCDを久しぶりに手にした。
一つはスピッツの「名前をつけてやる」
もう一枚は「J.J.cale&Eric Clapton」

スピッツのは1991年のもの。
彼らのCDは何枚かもっている。
とはいえ、それほど熱心なリスナーではなかった。
最近、早朝の「ロビンソン体験」があって、それはメルマガに「朝のロビンソン」という短い小説でまとめたのだけれど、
それからほとんど毎日ベストアルバムを聴いていて、いつかパーマネントのアルバムを聴きたいと思っていた。

たまたま、ネットで知り合った方がとてもスピッツが好きな方で、その人に訊ねてみたら「名前をつけてやる」がおすすめ。
で、今日いつもいく店で探したら、お店独自のポップ付きで棚にあった。
そのポップには
『マサムネくんがどういうかわからないけれど
 スピッツの最高傑作はこの2ndアルバムだという方が
とても多いのです』
と。
早速、迷いなく棚から引き抜いたというわけだ。
聴いてみると、多彩。
「プール」とか「胸に咲いた黄色い花」はとくにお気に入りに。
破れる寸前の切なさがたちこめているような声と曲が好きになる。


ケイルとクラプトンは、昔聴いたケイルの「ナチュラリー」の縁で購入。
ああやっぱりこういう音だな、とすぐに納得。
おじさんというより初老の二人、くつろいでブルースやっとります。
いいとか悪いとかではなくて、いつでもそこらへんにあって欲しい音楽。
渋い。

と、あたらしい音が手に入ったのだけれど、
頭の中は実は「ターシャ・テューダーの庭」のことでいっぱい。
土地はないけれど綺麗な花壇をつくろうとそのことばかり。

メルマガの原稿も書き始めた。ますます文芸色が強くなってきました。



2007年01月27日(土) 気温12度、晴れ、ほぼ無風。

堀江敏幸さんの本を読む。
手紙を一通書いて、投函する。

今日は室内よりも外の日だまりの方が暖かい。
花を植える。撫子が枯れたプランターにパンジー。

テレビもオーディオも消して、静かに本を読む。
ハナが横でずっと寝ている。

永井宏さんの本を注文する。



2007年01月26日(金) 犬に泣く

ハナの調子がどうもおかしい。
頻繁に嘔吐をする。
つい最近もそうなって、獣医さんに連れて行ったのだけれど
血液検査でも異常はなかった。

今日も、何度も水を吐く。夜になって三度繰り返したので
獣医さんへ「歩いて」いった。
そうなのだ、吐く以外はまったく元気なのである。

歩くのは全然平気で、一日に何度も出たがって、歩くと「るんるん」という風情だ。

獣医さんがじっくりと触診をし、体温を計り、毛づやを見、全身をくまなく見、首をひねる。
「異常はないですねえ。何故でしょうねえ」

うちがいっている獣医さんは作家の高村薫さんにそっくりなので、ひそかに「カオル先生」とよんでいるのだが、カオル先生の眼鏡がきらりと光ったのを合図に、ぼくの中で思い当たることがみつかった。

「あの、犬にもストレスってありますよね」
「はい、もちろん」
「こいつはぼくの横にいつもいるんです。パソコンを打っていたりして夜遅くなるとき、寝ているようにみえるんですけれど、実は寝ていないんじゃないかと思う時があるんです。寝不足は関係ありますかね」
「うーん、寝不足はないでしょう。寝たけりゃどこかほかの時間で寝ますよ。だけど小さい犬に多いんですけれど、ぴったり人にくっついている犬ほどストレスは多いみたいです」
「人の変化が原因ですか?」
「ええ、よくみていますよ」

「前にきたときは、ぼくが風邪をひいて酷い咳をしまくっていたときなんです」
「そのときに吐き始めたの?」
「ええ。で、先生に点滴と吐き止めの注射をしてもらいましたよね。だけど完全にとまったのはぼくが治ったときなんです」
「じゃ、今回は?」
ぼくは言葉に詰まった。ハナが意味不明の嘔吐を再び始めたのは、家人の抗ガン剤投与の日からなのだ。

何とかそのことを説明すると
「うん、とにかく人の様子はとてもよく見ているから、明るい顔してあげましょう」とカオル先生。

犬は飼い主に自分を重ね合わせてくるのである。
何から何まで。
飼い主が弱れば犬も弱る。飼い主が喜べば犬も喜ぶ。
人間が思っている以上に一心同体なのだ。

「そうだったのか、ハナごめん」
といいながら帰路に。
長い距離をぐいぐいと元気よく歩いた。
ハナに問題はない。
問題はぼくたちだった。

今日は早く寝てやろうとおもう。

good night,sleep tight



2007年01月25日(木) It`s on me

金閣寺の近くの「権太呂」で鍋焼きうどんと釜飯をいただきながら、ランチタイム・ミーティングをおこなった。

座敷の卓の向こう側には妹と彼女のボーイフレンドが。
日本でいうボーイフレンドと、欧米でいうboyfriendは意味が大きく違う。
もちろん欧米では、ステディでスペシャルな関係をいう。

妹といってももう40歳である。子供のような話ではない。ここに坐っているのはみな、いい大人たちだ。
彼女は素敵なパートナーを見つけたというわけだ。
「よかったね」の一言でその件は終わり。

あとはぼくのブロークン・イングリッシュを妹がなおして通訳しつつ、いろいろと会話を楽しんだ。

イギリスの子の方がはるかによく本を読んでいる、こととか。
日本にいたら世界のニュースが全然、伝わってこない、こととか。

だんだん彼と親しくなってきて、いろいろと話すけれどもぼくの英語は錆び付いているから、一生懸命になった。

しばらく母のことを三人で語り合い、それからお店を後にすることに。
おっと、ここは兄の面目だから
”It`s on me”と一言。
すると
「アリガトゴザイマス!!」
後にも先にも彼の発したたった一つの日本語だった。

外に出て三人で写真をとることに。
彼も背が高い。彼が「185」とにやり。
「187」とぼく。
二人に挟まれて妹が収まった。

ずっと幸せでいて欲しい。



2007年01月24日(水) その歩き方をお手本にして

近所にゴールデンレトリーバーと暮らしているご夫妻がいる。
お二人ともぼくぐらいの年齢だろうか。日本人の奥様と外国人の旦那さん。
犬も年をとり、旦那さんの髪の色と同じ金髪だったのが、そろって白くなってきた。

このお二人の歩いている姿がとても美しい。犬を無理に引っ張ったり、引っ張られたりしない。とてもゆっくりと犬の歩行にゆだねて歩いていくのだけれど、それはただただ優雅といいたくなるものなのだ。

たいていの飼い主は犬をコントロールすべく逞しく、少々荒々しいぐらいの力強さで歩く。
小さな犬であっても、ちょこまかとした動きを制御すべくリードをぴんっとひっぱったりする。

この人たちには、それが皆無なのだ。
ゆっくりと、犬にすべてを任せている。
それでいて無軌道に歩いているようにみえない。
背中を伸ばして犬と自分を「含めて」向こうを見ているような雰囲気がある。

その歩き方がぼくのお手本である。
犬の散歩だけではない。生活の隅々まで、その目には見えないけれど静かな「確かさ」で潤していたいと思うのだ。

体調が優れなかったり、時間に追われていたりするとどうしてもハナの散歩が粗くなってしまうときがある。
いやいや、だから散歩だけじゃなく、生活の一番手先のところががさつになるときがあるのだ。
それが、じわじわと生活そのものの質を台無しにしそうになる。

それに気がついたとき、彼らの歩き方をおもいだす。
自分の心に左右されない、落ち着きだと思えるのだ。
ゆったりとした呼吸、まっすぐな背骨、力の入っていない肩、そこから入っていく。
そうすればずいぶん変わる。
それだけでずいぶん優しくなる。

今日の夕方の散歩は、そのイメージを強く持って歩いた。
結果は○だった。
ハナがとても「いい犬」になる。
やはり風邪でずいぶん粗くなっていたんだな、と確認。

明日、妹ととても大切なランチミーティングがある。
いつもにまして「あの歩き方」を心に描いて臨みたい。
胸を反らさず、背骨はまっすぐに、ゆっくりと呼吸をして…。



2007年01月23日(火) 刻苦の人

ぼくが風邪から回復した翌日から、家人への抗ガン剤投与の新たなクールがはじまった。投与から半日後くらいから激しい嘔吐が始まる。
たぶん明日の午前中には収まると思うけれど、点滴と投薬を組み合わせた形が4週間続く。
点滴の後は本当に苦しそうだ。

ぼくの風邪が治ってよかった。周りで動くことができる。



2007年01月20日(土) 快癒

あー、長かった。
ようやく風邪の不快感から解放されました。
朝、目が覚めたとき喉に不快感がなく、あ、これは治ったたかなと思い、そろりそろりと起き出して、自分の状態を点検しながら動いていきました。

激しい咳がなく、本当に楽です。
ということで午前八時に「治ったー!!」と自分で自分に宣言しました。

これでストップしていたいろいろなことが動き始めます。

治ってから感じたのですが、去年からの疲れが全部でたのかもしれません。
身体に気をつけていきます。
無理は禁物ですね。



2007年01月18日(木) なんとか

久しぶりの晴天。夜の間に雨が降ったらしく、早朝、鋪道が濡れていた。
明日はもう金曜日。風邪に苦しんだ一週間でした。
明日、メルマガ配信します。



2007年01月16日(火) おくりもの

ようやく、ようやく体調が戻ってきました。
一晩で治そうという魂胆はあっさりと挫折し、咳と痰に悩まされる日々でした。
熱はでず、胃にもこない。関節痛もなく、鼻水も大したことはない。ただ痰が絡み、それに伴う咳がしつこい。気管支のあたりがもやもやするような状態だったのです。
9割がたは治まりました。まだマスクをしているし、薬も飲んでいますが。


文庫本主義者の友人(ぼくも知っている方なのですが)が、昨年末に乳ガンを発見され、年始早々に手術ということになりました。
文庫本主義者が今日、岐阜の彼女のところまで見舞いに行ったのですが

「あんたにとって、いいことがあったよ」といいます。

「あの人な、入院をするにあたって、あなたの本を持ち込んではったんや。なんや、もの凄く温かい気持ちになれるねん、てゆうてたよ。よかったやん」

うん、よかった。
生きてきた甲斐がありました。

頑張って書かなければ。



2007年01月13日(土) 風邪4

まだ風邪が治りきらない。
あと一歩、である。
昨日は妙な咳が出た。気管支にもやもやした感覚があった。

今朝、ようやくそれも収まり気味。完全治癒までもう一息か。

村田喜代子「鯉浄土」を読み終える。
湯川秀樹という人物に改めて興味を抱く。

これからは自分の作品にさらに集中していこうとおもう。

昨日に続き、花壇の整備をつづける。

夕方、北山時雨あり。
すぐに止む。



2007年01月11日(木) 風邪3

嫌らしい風邪だ。
抗生物質はこれ以上飲んでも意味がないし、喉がやられるので止めた。
症状はほとんどひいたけれど喉と鼻に少し残っている。

それでも身体が動くようになったので、メルマガの制作にとりかかる。
その取材の途中で愛車がパンク。近くですぐに修理したけれど、タイヤの酷使ぶりにショップの人があきれてた。
そろそろタイヤだけでなく、ほとんどすべてのパーツの交換が必要のようだ。

帰ってから
「残酷な」花壇を整理し、ビオラとパンジーの鉢でポイントをつくる。
薔薇は春までお休み。

村田喜代子「鯉浄土」、「力姫」を経て「科学の犬」を読む。
「科学の犬」には何度も胸を突かれ、泣いてしまった。
全部読み終えてから、感想文にまとめたい。

吉行さんの「乾いた空湿った空」を再読しようと思う。
今日も早く寝る。

明日メルマガが無事届きますように。



2007年01月10日(水) 風邪2

風邪は山を越えたようだけれど、残骸のような身体が残った。
咳が少しと喉がまだ痛い。
身体全体にけだるさが残っている。

動かない、動けないでいるから、そういう眼になる。
「ミクロ」をみる眼。
その眼で休みながら詩の推敲をし、投稿する。

その眼で考えて、長い小説の締め切りを三月三十日に設定した。
それまでに書ききり、推敲し終えておくこと。

とりあえずパソコン上と原稿用紙と二つに書いているので、連結し原稿用紙に移すところからはじめる。

村田喜代子「鯉浄土」は「薔薇体操」まで読む。
どの作品も幻想がなまなましく立ち上がってくるのだけれど、立ち現れ方がとてもおもしろい。
怖さもある。

今日も早く寝る。



2007年01月07日(日) ぐずつく雪模様

朝から激しい横殴りの雪が降り、少し積もった。
と、いつの間にか雲が切れたり、雨になったりして雪は融けてしまった。
結局、ぐすぐずに濡れた街が夜に放り出されている。

「鯉浄土」、短編二つまでじっくりと読んだ。肉体から、生活の手触りから物語が飛躍する。
ごつごつした突き放したような文体。

生まれてくることは屁をひるようなものだ、と書いたのは深沢七郎だったけれど、その言葉が浮いて感じるほど
村田喜代子の書く女性の身体は肉を感じさせ、しかもそれは異空間である。
つまり、男には書けない短編小説だとおもう。

これからさらに読み進めていく。

自分のこと。
メルマガのための畸編小説を書き始めた。



2007年01月06日(土) 文学的場所

「場所」。
「トポス」。
そこになければそれは「小説」ではない。
或いはそれは「詩」でもない。

それは「作文」であり、「独り言」である。

「救い」。
人は文学に、突き詰めれば癒され救済されることを望んでいる。
それが文学の基にある。

これを「文学の基本」とする。
車谷長吉さんが小説で、エッセイで口を酸っぱくしておっしゃっていたこと。

車谷さんは母校、慶応大学の非常勤講師となられ、このことを講義された。

そのルーツが車谷さんが母校で講義を受けられた
現代詩の巨人、西脇順三郎さんの「詩学」によるものと知る。

それはいちど、婦人公論の選評で井坂洋子さんが読んでみよ、と勧められたことでもある。

その「場所」に立て、と二人とも結局同じことをおっしゃっているのだと気づいた。

肝に銘じる。

基本はもう一つ。
「他者」との関係性である。

詳しくは「新潮」2月号、226ページを読まれたし。



2007年01月05日(金) うごきはじめる


今日から、村田喜代子「鯉浄土」を読み始める。
短編集である。
井坂さんの指摘された短編まではまだとどかないけれど
一つずつ読んでいっている。

新しい感触がある。

音楽が、今年もまた生活の杖となりそうだ。
正月はクラシックを主に聴いていた。
モーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番」。ピアノはクララ・ハスキル。
バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲。ヴァイオリンは千住真理子。

読みたい本は藤原新也さんの「黄泉の犬」。
いつか出るだろうと、ずっと待っていた。

そしてメルマガのテーマを考える。






2007年01月04日(木) 新年

喪中のため、新年のご挨拶を欠礼させていただきました。

明日の早朝、メルマガを配信いたします。
今年もよろしくお願いいたします。


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