散歩主義

2005年11月30日(水) 語りかけてくる声

am5:00 起床。珈琲を淹れる。豆が少ない。今日買いに行かねば。
       掃除。昨日より少し寒い。

am6:00 ハナの散歩。いよいよ落ち葉が道路を埋め尽くしている。晩秋。

いつも歩く散歩コースのなかに一軒のおもしろい家がある。もともとは何かの工場か倉庫の跡。敷地面積の広いプレハブの平屋。線路の隣にあって1年ぐらい空っぽだった。そこにどうやら今年、人が住みだした。

たぶん若い人だと思う。まず灰色のプレハブの波板の壁が鮮やかな緑に塗られ、それから前の空いたスペースに原チャが停まっているようになり、夏には波板の屋根の上にクーラーの室外機が置かれ、控えめにバイクの横に洗濯物が干されるようになった。最近バイクが二台になっている…。

広いスペースだから、音楽の練習か美術の制作のためだと思うんだけど、きっちり10分間隔で電車が走っているから、その騒音に耐えられないといけない。
ひょっとしたら舞踏家か劇団員かな、とも思う。
もう今年もあと一ヶ月。ぼくはまだ住民の姿を見たことがない。

am7:30 朝食。ごはん、舞茸とワカメと麩のみそ汁、キムチオムレツチーズ入り、小松菜の胡麻和え、ヨーグルト。

●昨晩、「ポッドキャスト」を調べていた。湘南ビーチFMのホームページには24時間葉山のヨットハーバーの映像と音楽を流し続けているページがあり、それとは別にポッドキャストのページもあって、様々なコンテンツが用意されていた。朗読もあって椎名誠や谷川俊太郎の作品を朗読している。聞きこんでるとあっという間に時間が経つね。

それから無料サービスの「ケロログ」で「声のブログ」を堪能。おもしろい。自作の歌を唄う人、落語、英会話、そしてもちろん日記。
ストリーミングに慣れればじっと耳を傾けていて、はっとしたり。

これはいろんな可能性があるし、楽しい。
ぼくも何かやりたい。

正午 昼食。マグロの漬け丼、ゴボウと豚肉のたいたん。

●つまり「個人ラジオ」なんだな、と思う。
自分専用のジングルを作っている人もいるし、凝りまくっている人も。

パンコンからいろんな人が語りかけてくる。「声」ってやはり凄い力があるんだと思う。
そういえばニフティーもサービスに乗り出しているとか。

pm17:00 ハナの散歩。
pm18:30 夕食。さんま、里芋のコロッケ、ブロッコリーとめかぶの松前風、ごはん。

●読むものと書くものの違いについても考える。「個人ラジオ」はとても刺激的だ。

●久しぶりに綿矢りささんのインタヴューを読む。
地元、京都新聞だからかな。といっても綿矢さんは早稲田を卒業した後もずっと東京で生活を続けるそうだ。
卒論は「走れメロス」だという。作家、綿矢りさを生みだしたといっても過言ではない作品だから当然かもしれない。

新作が発売されていない彼女ですが、文庫化された「インストール」に最新短編かはいっています。タイトルは「you can keep it」
  



2005年11月29日(火) 強い風に散りぬるを

am5:00
朝、目覚めると激しく雨が降り出した。だけど思ったほど寒くない。
散歩の時間のころには小やみになり、何とか外に出られた。道は落葉した黄や朱の葉に埋め尽くされていた。真っ赤な栃の葉を家に持ち帰り玄関の横の靴箱の上に置く。

am7:30
掃除の間中、キキがなくので十分くらい撫でて、抱き上げる。
朝食は舞茸とサツマイモのみそ汁、聖護院大根とお揚げのたいたん、塩鮭、ごはん。最後がヨーグルト。

晴れてくると同時に気温が下がり始めている。でもそれほど極端な下がり方じゃない。でも明日はもっと寒いんだろうな。
風が強く、紅葉の多くが舞い散っていた。銀杏はほぼ落葉したようです。

12:00
昼食にはトースト。バターと自家製のリンゴジャム。自家製のジャムって割と作るのに手間いらず。シンプルにできたので作り置きしてあります。牛乳、トマト、レタス。

昼過ぎに創作を少し。
●バンブー茂のヴォーカリストだったタケコさんの新しいソロプロジェクト「にゅわん」が東京だけでなく全国的に知れ渡り始めているようです。
彼女の声も詞も大好きです。今後、注目。

さらに創作を少し。街に出かけて調べたいことがある。近々行きたい。
空は冬晴れ。

pm15:00
紅茶。
●「ポッドキャスト」が急速に普及しつつあるそうだ。
無料サービスの「ボイスバンク」ではすでに二万件の「ブログ放送局」が誕生しているという。

これだといわゆる地域限定のコミュニティー放送局も全国規模で聴いて貰えるし、早い話が「声によるブログ」だから、声日記も自分の演奏も自分の落語も、「放送」できてしまうわけ。

興味がある。朗読のページを作るのはずっと考えているから。
自作のものや、好きな詩とか。

やっている人たちの話だと
「技術に全然詳しくなくてもできる」そうだ。パソコンにマイクジャックがあるし、ぼくのパソは「そちら系」に強いから案外早くできるかも。
研究してみよう。

pm17:00 ハナの散歩る風がけっこうきつい。気温はゆっくりと下がる見込みで、本当に冷え込むのは12月5日頃だそうだ。

pm18:00 夕食。ごはん、牡蠣フライ、キャベツのサラダ、ヒジキのたいたん、レンコンと納豆のおとし焼き。

●これから葉山の湘南ビーチFMを聴いてみます。ポッドキャストってどんなだろう。

●明日から某作家の某作品を筆写します。リズムと言葉遣い。

ではでは。



2005年11月28日(月) 暖かさは今日までだとか

am5:00 起床。珈琲を淹れ、大貫妙子さんのOne Fine Dayを聴く。掃除。

am6:00 ハナの散歩。ラジオの天気予報で昼間暖かなのは今日までだといっている。明日と週末と二段階でがくんと寒くなるそうだ。
帰ってきてから掃除。猫の相手。
am7:30 朝食。ごはん、もずく納豆、舞茸とサツマイモのみそ汁、漬け物、大きな竹輪。ヨーグルト。

●詩のとっかかりのフレーズ二行。ノートに書いておく。
●ゑ女さんの短い小説を作品市場で読む。ゑ女さんは優しい方だな、と思う。

正午 昼食。大豆カレー。なかなかいける。
●小説を考える。

pm5:00 ハナの散歩。まだ暖かい。帰ってから猫の相手。
pm6:10 夕食。白菜と豚の鍋、大豆のかき揚げ、こんにゃくの唐揚げ、ごはん。

●今日から、完全ではないけれど一部、マクロヴィオテックの流れを意識したメニューをとりあげている。特にテーマは「豆」。
「こんにゃくの唐揚げ」はそういう一品。

●夜に入ってどんどん冷え始めたことが実感できる。明日の朝は気をつけなければ。

●「歴史小説」の資料として京都関係の本を読む。素材としてやはり住んでいるところから書こうと。
なにせ歴史は古いし奥は深くて、まだまだ知らなかったことがたくさんあった。宮廷の話とか武士とかの話よりも民衆に残っている話に興味がある。
一つ発見。それを軸に構想中。
あと、京言葉なのだけれど、なんといっても谷崎です。読み直そう。

●夜。
久しぶりに「塀の上で」を聴きたくなる。矢野顕子ヴァージョンが好きです。



2005年11月27日(日) 今度は糸かがりの本を作ろう

am5:00 起床。昨日より少し冷えている。ハナが丸くなって寝ている。そろりそろりとベッドから抜け出て珈琲を淹れる。
掃除。

am6:00 ハナの散歩。今日はいつもと違うコース。欅林のある団地の前庭のようなところへ。ケヤキは黄色から茶色に変わっていて落葉が始まっていた。だけどとても綺麗。

am7:30 朝食。トースト、珈琲、フルーツトマト、ブロッコリー。

●とてもいい天気。本屋さんで江國香織さんの「デューク」をみつける。彼女の初期短編に山本容子さんのエッチング(だと思う)。少し前に出た村上春樹+佐々木マキさんの本のスタイルと同じ。小さなサイズでかっちりとしている。

考えてみれば、こんな変形サイズとかができるのも自家製出版の強みだな、と。ほんとに一度「糸かがり製本」をしてみようと思う。

ちなみに「デューク」は彼女が飼っていた愛犬の名前。その死から始まる話。どうしてもジャンを思い出す。

●ku:nelはパリ特集。なんだかブルータスみたいだな、と思っていたけれどロハスなページはすみっこで健在。小川洋子さんのインタヴューがとてもよかったのと、恒例の(でもないか)廃屋同然をリフォームして住んでいるおうちの記事がよかった。

正午 昼食。中華そば。葱山盛りで。

●キーボードの左Shiftキーの反応がとても悪い。そんなに古く無いんだけども。

●「大正小説」資料あつめ。

pm5:00 ハナの散歩。
pm6:00 夕食。鱈ちり。そのあと雑炊。

●「大正小説」はかなり時間が必要。ゆっくりとやることに。
それとは違う作業を同時に始める。
読書とインプットの時期かも。肝心なのは呼吸、呼吸。



2005年11月26日(土) いれたての珈琲はおいしい

am5:00 起床。珈琲を淹れる。掃除。
am6:10 ハナの散歩。晴天。この週末が京都の紅葉はベストだろうと思う。昨日、永観堂にいかれた方が、綺麗だったよ、と。哲学の道から見上げる山際も綺麗だったようだ。

am7:30 朝食。ごはん、舞茸とサツマイモのみそ汁、お揚げと壬生菜のたいたん、じゃこおろし。最近、意識的に水を飲んでいないと注意される。血管性の脳疾患予防には水の十分な摂取は欠かせないんだよね。

●ところでぼくは珈琲が大好きだ。珈琲に利尿作用があることはよく知られている。だから体にいいともいえるのだけれど、それだけだと体から水分が失われる一方なので、珈琲を飲む時は水と一緒に飲むべきなのだそうだ。お医者さんが語っていた。要は喫茶店と同じ形にすればいいんだな。
最初に水が出てくるよね。

●今日ものんびりとした初冬の日射しに包まれている街。
●今日からいしいしんじさんの「麦ふみクーツェ」を読み始める。文庫版がでました。
一瞬、あ、ブローティガンだ、と思う。おもしろい。ひきこまれています。
こんなふうに長い物語を作れたらいいな、と思う。反面、ある一連のぼくの作品は全部同じ物語の一側面じゃないか、という気もする。

正午 昼食。焼きそば

●午後は猫と過ごす。雄、二匹がぼくにくっいて離れません。雌、二匹は出窓の上から外を見ています。

●冬だけれどツル薔薇がますます伸びる。ロンサールはとうとう裏の扉の小屋根をクリアして、反対側に尖端が顔を出し始めた。モッコウ薔薇は隣との境界に網状に枝を伸ばしている。来年の春はどうなるのだろう。
ツルが高く遠くへ伸びると足許に咲く花が減るから、フロリバンダ種を植えよ、と種のサカタのカタログは煽る。

いまや幻の薔薇になりつつある「魚子(ななこ)薔薇」にそっくりの薔薇があるのでそれにしようかと検討中。

pm5:00 早めにハナの散歩。最後に家の前でブラッシング。これはかかせません。

●夕食までの間、エレクトロニクスメーカーROHM本社前のクリスマスのイルミネーションを見に行く。おそらく京都最大。使われているダイオードの数48万個。いってみれば本家本元が「力を見せましょう」という感じで毎年行うのです。まあ凄い。光の林です。
これはサイトのトップページに載せておきましょう。実は本社玄関付近はもっと凄いんですが時間がないのと人が多くて今回は断念。また機会があれば画像に収めます。
場所は五条佐井通り下ル、です。

pm6:00 夕食。茸のスパゲティ、レタスとベーコンのサラダ。








2005年11月25日(金) ひとりでも、やるんや

am5:00 起床。珈琲を淹れる。昨晩、日記を書き終えてからトップページの画像を選んでおいた。午前中にアップする。もうひとつチャチャのいい写真もあったんだけど、それは小さい画像で使おうと思う。とか何とかいいながら掃除。

am6:00 ハナの散歩。いい天気。ハナにブラシッングをして、掃除の続き、ゴミ出し、洗濯もの干しをしてから
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とサツマイモのみそ汁、納豆ともずく(あうんやね)

正午 昼食。珈琲、パン、バナナ。

●小説の構想を考える。●バックで音楽を流していて、クミコさんや大貫妙子さんの声って水のようだな、と思う。●今回は水が流れているような小説を書こうと考えているから、そう思うのかな。●いややっぱり柔らかいよ。包まれるような感覚になる。

●定期的に読んでいる他人様の日記、エンピツとブログ以外だと、いしいしんじさんの「ごはん日記」は欠かせない。呼吸がね、伝わるんだろうな。創作しなきゃという励みにもなるし。そういえばいしいさんは音楽を聴かない。聴くと気持ち悪くなるんだそうだ。神経が過敏に反応してざわざわするのかな。大変だな。

●京都新聞の夕刊に「古都カオス」という連載の特集記事があって、その第四部が始まっています。第四部のタイトルは「反骨の精神」。
歴史的に見ればまさに京都という風土にぴったりの言葉。

今まで破門状をてこに発展を続ける茂山狂言会、なんとこの時代に江戸時代に倣い町式目をつくった祇園町、ミニ東京化する京都をあとに福井に拠点を移す鈴江俊郎さん(岸田國士戯曲賞作家)、と先鋭的な活動をしている人たちが紹介されてきました。

今日は待ってました!出版。

四畳半のアパートの個人出版社「洛北出版」。おおお、すげえ。
読んでいて思わず心にわき上がるものがありましたね。とにかく「出したい本をだす」というのが主題。
それこそ京都にはある程度有名にはなった人文書院はじめ、哲学者ホワイトヘッドの世界で最初で最後の著書を出している松籟(しょうらい)社など、超小規模の出版社がありました。
この「洛北出版」をたちあげた竹中尚史さんも元々は松籟(しょうらい)社おられたといいます。
彼がわざわざ個人出版社を起ち上げた理由はアメリカの哲学者アルフォンス・リンギスの翻訳本を出すため。そのために会社に迷惑をかけたくなかった、と。
発刊まで4年。ついに刊行。雑誌や新聞では好意的に取り上げてくれたそうです。だけど、もちろん売れない。

だけど竹中さんはこういいます。
「それでも、新しい教養のあり方を提起したかった」
「いい本は出し続け、専門外の読者にも訴えないと教養書は行き詰まる。社会に流されないための武器だから」

立派!!その一言。売れるにこしたことはないけれど、マスから無視されていく「文化」を支える作業に大拍手を送りたい。
売れる売れないは東京にまかしとけばいいんだから。

さっきホームページを覗いてきたんだけれど、アルフォンス・リンギスっておもしろそうだな。

●もうひとつ桜風舎という編集プロダクションも紹介されていました。ここは簡単にいうと「京都人のための京都本」を作る会社。東京ナイズされた京都にははっきりとノー。東京にも完全に背中を向けている。
本当の京都を知るにはここの出している本を読んだ方がいいです。いわゆる「京都本」のもう一つ先を知りたい方は。
代表の日沖桜皮さんはこういいます。
「東京の出版社が望む京都イメージを使えば売れる。でも、それは自分の視点とは違う。利益を生む商品よりも、出したい本を作りたい」
ここのポリシーは自社企画を京都の出版社からだす、ということ。

●ぼくは、「音函」をとにかく自分の家で作って、街でこつこつ売り始めたところ。ストリート・ライターだよね。だから婦人公論でほめられた詩でもお婆さんからは「わけわからへん」で終わり。前回の「光函」同様、物語にみんな反応してくれる。それを「てこ」にまた書こうと思う。
上に書いた人たちとは立場が違うけれど、自分を前進させながら本を出し続けられればいいと思っている。次からは製本もきちんとしよう。

●業界では「東京は事業、京都は家業」といわれているらしい。いいじゃない、それで。と、思う。

そんなこんなで大興奮のうちに夕食は夜の6:30。もちろんその前にハナの散歩。夜は何もしてなかったので急遽ピサ゜。トッピングはダブルチーズとイタリアンソーセージ、ピーマン、オニオン、ガーリックソーセージ、ロースハム、トマト、サラミ。

●観光地も京料理もどんどんトーキョースタイルになっていく京都。
このまま滅んでいくんだと思っていたけれど、どっこい捨てたもんやなかった。(本当の京料理は南禅寺の瓢亭で。何の珍しいものもなく、薄暗い部屋。だけど飛び抜けておいしい。ここに限らず珍しい素材や、変わった調理法をするところではなく、当たり前のメニューが本当においしくいただけるのが京料理です。)東京育ちの京都ものとしては東京にも愛着はあるけれど、何も京都だ、東京だというんじゃなくて、今いるところから発信することが大事だと思う。

●ようは自分自身やね。流行は廃れる。バブルは弾ける。ほんとうにいいものを自分に身につけて、つくりだしていくこと。
そのことを強く感じた一日でした。






2005年11月24日(木) always

am5:00 起床。珈琲を飲みながら掃除。
am6:00 ハナの散歩。京都の日の出は現在午前6時45分頃。
       ハナ元気。それだけで嬉しい。

am7:30 猫の相手、猫まわりのの掃除、庭の掃除を経て朝食。
       ごはん、舞茸と大根葉のみそ汁、お揚げと白菜のたいたん、もずくと山芋の酢の物、パストラミとトマト。

●猫と犬のスチール写真を現像。ホームページに使おうと思う。
ホームページといえばIBMのホームページビルダーがversion10を発売する。動画をはじめとするマルチチャンネルのソースが扱えるようになる。ブログと連動した機能も。個人でかなりのレベルのページづくりができる。ますます中味が大事になる。ヴァージョンアップを検討中。ブログに置いていた重心をホームページ(サイト)に移すかどうかも。

正午 昼食。 高菜とおじゃこのチャーハン、バナナ。

●小説をまとめようと思う。アメブロに書かれたもの。

文庫本主義者に次の函の名前をそれとなく相談してみる。
候補は「花函」「刻(とき)函」「匂函」。
もちろんそれぞれのテーマにしたがって詩と小説を書く。
あんたが決めなさいよ、と。
そりゃそうだ。

それよりも、と時代小説を注文された。藤沢周平を読みあさっているからだろうか。しかし、舞台は京都。時代は大正。
夢二なんていいんじゃないの、だって。竹久夢二は確かに京都にいた。銀閣寺付近に一時期下宿していた家の横の飲み屋に通ったな。学生時代。

やっぱり学生の頃、昔、中原中也が無頼の生活をしていた下宿屋の横をよく歩いた。その先にべらぼうに安い定食屋があったから。
中也って腰までの長髪の美少年でねえ、って見てきたように言う婆さんがいたなあ。

有名人を登場させる小説は膨大な資料にあたらないと書けないと思う。
もし書くのなら、死ぬ二年前の漱石と芸妓さんの話かな。これはある程度映像がアタマに浮かんでいる。やってみようか。

pm3:00 お茶。緑茶とレモンピール、レモングラスのブレンド。その名を「hatsukoi」という。

●今日はずいぶん暖かい。週末も暖かのようだ。紅葉はほとんどいけてる。散るぎりぎりの美しさは来週かな。嵐山は今が最高。

pm5:00 ハナの散歩。洗濯物を取り込んで、軽く掃除して、猫と遊んで、薔薇の様子を見てから
pm6:30 夕食。牡蠣フライ、キャベツ大盛り。粕汁。里芋の煮っ転がし。

●沖縄出身のD−51という男性デュオの「Always」を聴く。ラップと思いきや全然違う。ど真ん中のヴォーカルデュオ。声が抜群なんで驚いてしまう。もんのすごくいい。
去年バンブー茂がでた同志社のEVEに今年呼ばれたのは彼らだ。
たぶんライヴのほうがもっと凄いと思う。
歌詞はあっけないぐらいストレートだけど嫌みが全然無い。若くないとできない音楽をやってるね。

●畠山美由紀さんの「愛にメロディー」を聴く。しっとりと情感が伝わってくる。彼女の作品は全部聴いてる。全部いい。

ひさしぶりに小説のことを考えたな、と思ったら一日休んだだけだった。
次は詩だ。 



2005年11月23日(水) 休日

天気がいいので、どこかに行こうかとも思ったけれど
風邪でからだが相当、消耗したようなので部屋にいることにした。
ハナは二階の日当たりのいい場所に上がり、猫たちはベッドの中にいる。

観光客も少なめで、街は静かだ。と、いっても嵐山や五条坂のほうは大変な混雑だろうな。
うちの近所のお寺も紅葉は綺麗なんだけれど、道がわかりにくいから空いているみたい。お寺としてはじゃんじゃん来て欲しいんだろうと思う。

部屋で「Ku:nel」や「ナナムイびと」や「新潮」を読む。
「新潮」で保坂和志さんが引用されていた小島信夫の「裸木」がとてもおもしろい。リズミック。それにはまるととにかく抜けられない。

そういえば風邪で寝込んでから自分の書く作業について「立ち止まった」感がある。
自分を見つめ直しているというべきか。
もっと意識的になるべきだとまわりからいわれる。
つまり売りこめ、ということだ。徒手空拳だけれどやることはやっておこうと思う。

それとは別にローカルとネットでの大切な読者のことを考える。
それが一番に思える。
だからやっぱり書こう、と。

それぐらいまで考えた。
自分の寿命もある。
小説や詩を書きながら死ねたら素敵じゃないかと思う。
幸せなことだ。




2005年11月22日(火) 年齢、あるいは自分のスタイル

am5:00 起床。珈琲を淹れる。掃除。
am6:00 ハナの散歩。もうウインドブレーカーでは限界。明日からコートかヘリーハンセンのジャケットにするべし。

am7:00 帰宅してから髭を剃る。いくつからだろう、とにかく髭がとてもよく伸びるようになった。若い頃なんて全然だったのにね。

am7:30 朝食。ごはん、鮭、ほうれん草のおひたし、舞茸とワカメのみそ汁

正午 昼食。マカロニのボロネーゼ風、きんぴら、人参と蕪のサラダ。

●婦人公論で佳作になった詩「路地」をアメブロにアップ。

少し昼寝。

●この「路地」という詩は「ようで」を繰り返してはいるものの、その「ような」路地そのものを原稿用紙に「描く」ことを試みたのだった。
ところが、今日、先達の例を見せつけられてしまった。
「新潮」12月号の302ページにそれはある。
島崎藤村の散文「沢木梢君のおもいで」である。なんと藤村は「沢木君」のパリの部屋の様子を言葉で白紙に「描いて」いるのである。
「ように」も「ようで」もない。写実のみ。「絵」そのものを言葉で。
ああ、これだなと一つ勉強。
つまり「決意」…だな。

そもそもこの「新潮」12月号は平野啓一郎さんの最新短編が目当てだったんだけれど、藤村のことを書いている秋山駿さんの「文学の葉脈」や保坂和志さんの「小説をめぐって」のほうに熱中してしまう。
自分のスタイル、方針が固まりつつあるのだろうか、と、ふと感じた。
書けるものしか書けない。その意味が重くなった気がする。

pm5:00 ハナの散歩。
pm6:00 夕食。おでん各種、ほうれん草の胡麻和え。

夜。
マシュー南の番組を見る。

●保坂さんたちの作業、つまり小島信夫の小説を個人出版する企画は大注目。
●ビル・エヴァンスのムーン・ビームスを聴く。
●最近いいなあと思っているD−51を聴く。

 



2005年11月21日(月) 一にスイミン

am5:30 起床。昨晩寝る前に飲んだ抗生物質が効いて状態はかなりよくなる。だけどみぞおち辺りのひりひりした感じと吐き気が時々。左肩胛骨が痛い。珈琲を淹れる。

am6:30 ハナの散歩。今朝の京都は2.5℃まで気温が下がったから、また体が冷える。

am7:30 朝食。食欲が無くヨーグルトのみ。ベッドで横になる。倦怠感と悪寒。

am9:00 ホームドクターの山田医院に行く。風邪のひきはじめとのこと。ビタミンと抗生物質を注射。薬をもらってくる。

お昼まで眠る。

正午 体がだいぶ回復してきた。刻みきつねそば。おつゆが胃袋に染み渡る。

pm3:00まで眠る。ぼくが家で眠っているのでハナが大喜び。ぼくの横でずっと寝てました。

まだ少しふらついているけれど、さらに回復。
本屋さんが婦人公論の最新号を届けてくれる。
フォーラム詩で佳作にはいっていた。

pm5:00 ハナの散歩。
pm6:30 夕食。マカロニのボロネーゼ風、レタスのサラダ、パンプキンスープ。ごはんがおいしく食べられたので、風邪はなおったと判断。
20代や30代よりもはるかに健康になっている。

油断は禁物。今日も早めに休みます。
ではでは。





2005年11月20日(日) 風邪です。

早めに休みます。



2005年11月19日(土) 「里」という思想

新潮選書・『「里」という思想』・内山節 を読み終えた。
哲学の方ではあるけれど、言葉は平易でわかりやすい。哲学とそれ以外で使用される場合とで意味が違うな、と感じたのは「了解」という言葉ぐらいだった。

だから、書かれていることがストレートに入ってきた。
現代の「どこおかしい」ことを掘り下げて書かれている。もちろん文学へのヒントもあった。書かれていることに反論はない。
むしろ頷くことが多く、日記を書くのも忘れて読みふけった。

内容は多岐にわたるので、あえて紹介はしないけれども
「反グローバル主義」という側面は強調しておくべきかもしれない。それにしても単純な反対ではない。「反」という概念そのものも考えさせられる。

ずん、ときた。
これほど明快に近代思想を批判した文章を久しぶりに読んだ。
哲学書をほとんど読まないぼくなのだけれど、未来をどう生きるかというテーマが今ほど深刻に考えなければならない時はない、と思っているし、「書く」という行為の柱もそれに準じて模索していたから。
だから、手にした。

社会の中で、個人として、世界の中で、自然の中で人間はどう生きるのか。
それを考えるのは哲学である、と思う。
文学も音楽家のスタンスでさえ、それで決定される部分が大きいとぼくは思う。

そういう本なのだけれど、先人はいる。
輝かしい未来を思い描き、結局は戦争と環境破壊にたどり着いた近代ヨーロッパ思想(まさにそれが世界を導いてきた)の解体こそが20世紀後半から21世紀の哲学者の仕事だったのではないかと思えるのだが、
例えばレヴィ・ストロースは内山さんと重なる部分がある。

グローバリズムという、アメリカスタイルの世界普遍化という、実はとても旧い思考行動様式がどれだけ世界にきしみを与えているか著者は説く。
結論はある意味、厳しい。

「素晴らしい未来を提示し、そこに向かって人々を誘導する方法を、私たちは捨てなければならないのではなかろうか。その意味で私は未来を喪失させようと思う」

これは「素晴らしい未来を提示し、そこに向かって人々を誘導する方法」だった近代ヨーロッパ思想がいったい世界に多くの災禍を生み、どれだけ多くの人を追いつめているかという反省から出た言葉である。

では、どう生きるか。
その覚悟にいたる思考を書いた本であるともいえるだろう。
ヒントは世阿弥にある。
世阿弥の「離見の見」。「観衆から見られているように自分を見よ」という意味なのだけれど、ここからヒントをえてレヴィ・ストロースは「はるかなる視線」という本を書いた。
内山さんは「観衆」を「自然」に置き換える。

大切な「折り合い」のこと。
遙かな昔から、実は日本には徹底した個人主義と共同体の中で生きる意識とが共存していたこと。
何度も読み返したい本だ。



2005年11月17日(木) 誇り

am5:00 起床。珈琲を飲みながら掃除。
バッハのヴァイオリン協奏曲。千住真理子さんの演奏。今日は終日これがかかっていました。特に「二台のヴァイオリンのための〜」のアレグロは素晴らしくて、胸に迫るものがある。

am6:00 ハナの散歩。今日も日の出前。すっかり冬の寒さです。
薔薇がとてもながく咲いたままです。これが秋咲く薔薇の人気の秘密。
帰宅してから猫の相手。といっても甘えん坊のキキ以外はベッドの中。
相手をしながら掃除。

am7:30 朝食。ごはん、舞茸とワカメのみそ汁、春菊とほうれん草のおひたし、お揚げに大根おろし。ヨーグルト。

●「音函」の注文がある。いよいよ京都の人たちに渡り始める。

正午 昼食。ごはん、実シジミのたいたん、小松菜の胡麻和え、かぼちゃの炒め煮、イカナゴの佃煮、冷や奴。

●内山節「里という思想」を読む。「里」というと田舎と思いがちだけれど、必ずしもそうではない。普遍的な時間の残っている場所のこと。むろん東京にもあるかもしれない。内山さんは群馬県上野村と東京の二ヶ所で仕事と生活をしておられる。

以前に書いたけれど、糸井重里さんとか大貫妙子さんと似ているスタイルといえばわかりやすいと思う。
論述はとても気持ちがいい。哲学者ならではの厳密な言葉遣いと緻密な論理の組み立てがすんなり入ってくる。情緒にも触れるけれど流されない。

簡単に言うと、ぼく(ら)は時間を取り戻さなければならない、ということのようだ。時間の共有を断絶し、見失い、孤絶した個人と世界の生きる道を探っていく。
読了はまだ。この先がおもしろそうだ。

pm5:00 ハナの散歩。
●詩が完成する。
pm6:00 夕食。鶏の唐揚げ、おでん、トマトとタマネギのサラダ、ごはん。

●「音函」を購入してくださった方達から心のこもったお手紙をたくさん頂戴する。一つ一つがぼくの宝です。
皆さんの言葉がぼくを前へすすめてくれます。
ありがとうございます。
みなさんこそ、ぼくの誇りです。 



2005年11月16日(水) 収穫の日

am5:00 起床。珈琲を飲みながら掃除。
am6:00 ハナの散歩。寒い朝。一日中少し寒かった。時折、冷たい風。

am7:30 朝食。ごはん、舞茸ナメコ芹カボチャのみそ汁、焼き茄子、焼きアスパラ、ウィンナー、マカロニとポテトのミックスサラダ。ヨーグルト

正午 昼食。ホットドッグとパン各種、ミルクティー。

●本屋さんから「光函」を三冊戻してもらう。これが手元のすべてになる。
本の配達も。『「里」という思想』内山節(新潮選書)。内山さんは哲学の方。これからの世紀をいかに生きるか、とても真摯に考えておられる。じっくりと読みたい。冒頭から引きずり込まれているけど。

●難産していた詩。ようやくできあがる。とてもシンプル。
詩でも小説でも、人から動く時と風景から動く時がある。ぼくは圧倒的に後者が多い。動き出すと人が現れる。人が現れると物語が始まる。人から動く時も結局は風景も動くけれど。

夢中になるのは、自分のモチーフを大好きな画家ならどう描くか想像すること。その絵が頭の中でできあがる。(実はその絵は動いていて映画みたいなんだ)それを丁寧に言葉で描写していく。絵を台無しにしないように。
今回は自分の想像したものがあまりに散漫なので、アタマの中のマティスに描いてもらいました。
と、いうような方法も時々使います。

pm6:00 ハナの散歩。ブッシュ日本から離れる。今朝は金閣寺方面から登校した高校生達は皆遅刻したという。子供まで全部止められたのだ。

pm7:00 夕食。鰻の蒲焼き、うなきも、蛸の天ぷら、豆腐と山芋の蒲焼きふう、キュウリの酢の物、ごはん。

夜。
●ルーブルの特集で大好きな作品を見る。
ひとつはヴァトーの「ピエロ」(これはジルという別名がついてます)
この人はロココの画家。この絵の眼に打たれています。
哀しみと達観と。まっすぐに前を見つめるのです。

もうひとつはラトゥールの「大工の聖ヨセフ」
この人は幻の画家ともいわれています。17世紀のフランス・リアリズムの画家。他にもすぐれた作品があるけれどぼくはこれがいちばん。
確か全世界に40点ぐらいしかないんじゃないのかな。その作品の多くが手に蝋燭を持っています。光と闇の画家。そうでないものもありますけれど好きなのは「蝋燭系」。ヨセフの皺、眼、幼いイエスの眼、手。見とれてました。

●サッカーで大輔君大活躍。フランスに行ってうまくなったね。日本代表も知らぬ間に世代交代が進んでいるようだ。松井、大黒、阿部はもう欠かせないと思う。

●と、いうことで今日はいろいろと「収穫の日」。すべてに感謝を。



2005年11月15日(火) 函づくり

am5:00 起床、洗顔、珈琲、掃除、という流れ。

am6:00 ハナの散歩。きりっと冷えた晴天。時々吐く息が白くなる。
am7:30 朝食。ごはん、舞茸とブロッコリーの茎のみそ汁、鰯のみりん干し、壬生菜とお揚げのたいたん、納豆、ヨーグルト。

●「音函」をこれから毎日作らなければならない。
78冊。一日平均どれぐらい作れるだろう。かかりっきりには慣れないので最低でも5冊がノルマ。

正午 昼食。トースト、夏みかんジャム

pm5:00 ハナの散歩。ヘリコプターが飛び回る。御所近辺は戒厳令がしかれたようだという。
pm6:00 夕食。牡蠣フライ、キャベツ大盛り、フルーツトマトのサラダ、ポテトとマカロニのミックスサラダ、ごはん。

このころ、ジョージ・ブッシュ氏、御所に直接ヘリコプターで到着の模様。
街中のホテルのほとんどは日米両国政府が借り切ってしまっているという。
うちの近所も警察官がますます増えている。観光するんやね。

●本日の「函」づくり結局五冊。化粧待ちを併せて9冊。あと69冊。

様々な方から到着のメールをいただいてきた。その都度とても嬉かった。
ありがとうございます。

今日は「光函」の表紙絵を描いてくださった竹林さんからも。
ありがとうございます。

●夜はジェリー・マリガンのシティ・ライツを聴く。夜のための音楽。
バリトン・サックスがむせぶように響く。



2005年11月14日(月) LASTという言葉

am5:00 起床。洗顔。珈琲を飲みながら掃除。
am6:00 ハナの散歩。今日は一日中曇天だった。
帰ってから猫と猫まわりの掃除。植物のチェック。

am7:30 朝食。ごはん、お揚げと小松菜のたいたん、じゃこおろし、漬け物、舞茸のみそ汁。

正午 昼食。キノコのスパゲティ。舞茸、ブナシメジ、椎茸。

●詩の一つを推敲。まだできない。
●もう一つの詩も推敲。まだできない。
●次の「函」のための素材探し。ゴザンスの800字で書いたものの長いヴァージョンを書いてみようと思う。
●岐阜の友人から送られた渋柿を吊す。去年から干し柿を作っています。

pm5:00 曇天のまま暮れていく。ハナの散歩。ブッシュが来るのでますます厳戒態勢が強化される。明日どこに行くのか時間についても全く発表なしで動くそうだから、市内の交通は大混乱になるだろう。10メートルおきに警察官が二人組んで歩いている姿は東京で見かけた光景だ。
散歩が終わるとヘリコプター二機が超低空でうちの近所を飛び回る。どうやらこのへんにもくるようだ。

pm 6:00 早めの夕食。アサリとキノコのスパゲティ。ぼくはスパゲティとカレーとピザは何度続いても平気。ブロッコリー、トマトとモッツァレラチーズ。

●今日は一日鉛筆を意識した。縦書きを意識した。
●明日から寒くなるというのでとうとうガスストーブを出した。嬉しそうなのはハナ。歳かな。
●最近、よく聴く日本の歌にLASTという言葉が多い。
My Last Fight,Last Smile,Be my Last,,,バンブー茂のタケコさんの歌で好きな歌にも「死んでもいいかなって…」というフレーズがある。
みんな切ないのだ。

いい作品を書きたい。



2005年11月13日(日) この日の終わりに

am5:00 起床。珈琲。

「光函」のなかの「黄緑のシャツ」のモデルになっていただいたゴールデンコーヒーのご夫妻にお子さんが産まれました。
何度も書いていますが美男美女のご夫妻です。女の子で、お父さんに顔がそっくり。男の子だったら…というお父さんに、美形に男女はありません、と申し上げました。

am6:00 ハナの散歩。
am7:30 朝食。トースト、ヨーグルト、りんご。

午前中はのんびり。
ネットでミメイさんが「音函」のレヴューを書いてくれた。とても嬉しい。
画面に向かって最敬礼。
コメントに次の紙の本はミメイさん、と書く。

正午 昼食。パンとバナナ。

昼から、ノートに縦書きでいろいろと鬱憤を書き付ける。日記にしようかと思ったけれど取りやめ。
詩に取りかかる。やっと落ち着いてきた。

pm5:00 ハナの散歩。
pm6:00 夕食。豚と白菜の鍋、ごはん、漬け物各種、キノコ各種のたき合わせ。

夜。
詩のことを考える。
この日の終わりに日記を書く。



2005年11月12日(土) マイルス・ブックからポーギーとベスをだして

am5:00 起床。珈琲。普通のブレンド。
am6:00 昨晩中に雨が上がり、朝焼け。ハナの散歩。
am7:30 朝食。トースト、バナナ、リンゴ、柿、ヨーグルト

以前、ここでも書いたことのある無印良品のCD収納ケース。一冊の本仕立になっているクリアケースで何冊かの「本」を作った。
枚数の多いアーティストはそれだけで一冊の本になる。

今のところマイルス・ディヴィスとパット・メセニーの「本」が出来ている。一ページにカバーとCDを入れる袋がついている。「ボックス」は無理。マイルスのコンブリート・レコーディングなんかはそのままで持っているしかない。

次ぎに出来るのがたぶんキース・ジャレットとコルトレーン。
かなりの枚数になってる。
多分あつめていくだろうなと思うのがジェリー・マリガン、というところ。
昼前からその「マイルス・ブック」から「ポーキーとベス」を出して何度も聴く。何度聞いても飽きないどころか、ますます豊潤さを感じる。

正午 昼食。トースト、野菜スープ。

詩を一つ書く。たぶん投稿する。

pm5:00 ハナの散歩。
pm6:00 夕食。シカゴのピザ、骨付きソーセージ、スイートコーン、バタードポテト。

夜。
タケシを見る。



2005年11月11日(金) 次の「函」

am5:00 起床。珈琲。それから掃除。
am6:00 ハナの散歩。曇天。近くブッシュ米大統領が入洛するので、警備が厳重になっている様子。うちの近所はそんなことはないけれど、御所近辺は凄いことになっているそうだ。


am7:30 朝食。ごはん、焼き鮭、ブロッコリーの胡麻和え、納豆、舞茸と小芋のみそ汁。ヨーグルト。

午前中に「光函」「音函」発送。こないだ出した時と郵送料が違うので慌てる。多分、民営化が本格化したら小さな郵便局は全部コンビニに統合されて消えるんだろうな、などと思う。こんなのんきなことも無くなるんだろうな。

正午 昼食。キツネ丼。

「音函」につづく「函」の構想をかき始める。最初は「猫」をイメージしていたけれど違うものに。詩と小説とが交互に出るパターンは同じで、「天使形」が中心になる予定。すでに書き直し作業に入っています。

本を前提にしての作品構想となるとネットに書くのとは全然違う書き方になる。ネット発表よりも完成形の在り方が変わってしまう。
自由で力のあるネットの場の熱のようなものをうまく昇華できれば、と思う。

なんの「函」になるかは出来てからのお楽しみ。来年一月の発売を目指しています。

昼過ぎから雨が降り始め本降りに。

pm3:00 フレイヴァーティー「hatsukoi」をいただく。緑茶とレモングラスのブレンドというお茶。これはいいですね。

次の「函」の目次もざっと作る。詩も小説も新しく書き下ろしをいれようと思う。文庫本主義者がほとんどエージェント然としているので、ここの通過がポイント。
本当に有り難い方です。

雨降りやまず、ハナの夕方の散歩は中止。

pm7:00 夕食。ドラカレー、サツマイモとトマトのミネストローネ、レタスのサラダ。

リー・モーガンのvol.3を聴く。いつ聴いてもかっこいいね。それからジェリー・マリガンのシティ・ライツを聴く。

夜。
「時代を誰かと並走する」ということを考えてみる。



2005年11月10日(木) 子猫たちはとても元気で

am5:00 起床。珈琲を飲む。昨夜は「TALKIN`」を最後まで読んだ。余韻が残っている。

am6:00 ハナの散歩。公園は一段とゴージャスな紅葉になりつつある。といってもまだまだ。

am7:30 朝食。ごはん、ブロッコリーの胡麻和え、トマトとタマネギのサラダ、鰺のみりん干し、舞茸のみそ汁。ヨーグルト。

「TALKIN`」の後半はモノカキにしろ音楽にしろ絵画にしろ、何かを創っている人には心が奮い立つほどの励ましになる。みんなに薦めたい。
平野啓一郎という作家のスタンスもよくわかる。

隣の「スーパー猫好きおばさん」にまかせた感じの外猫たち。もの凄い勢いで子猫が増えている。古参を含めて現在、9匹。隣とうちの物干しが猫の遊園地。9匹のうち子猫が6匹。全員、とても元気。「スーパー猫好きおばさん」のおかげだ。
うちは完全にサポートに回っている。彼女が面倒を見出したのは去年から。
ただただ頭が下がります。今年の冬も万全!!。

正午 昼食。牡蠣フライ、キャベツ山盛り、ごはん、ポテトサラダ

とうとう「光函」が品切れに。10冊買い取ってくれた本屋さんに聞いてみたら、3冊残っていて、それを買い戻す。
注文を出さなければ。大丈夫かな…。
「光函」が絶版になったら、自分で作ります。製本は「音函」よりもはるかにイイモノに。作品も増やそうと思ってます。

夕方、ハナの散歩。
今日は光の綺麗な日でした。

pm6:00 夕食。自家製餃子、酢豚、豆腐とスイートコーンの中華スープ。

明日は雨だという。
藤沢周平さんの「小ぬか雨」を読む。
ぼくが婦人公論で初めて佳作になったのも「こぬかあめ」という詩だった。
次の「本」には改作を入れようと思っている。

文庫本主義者から、今の調子やと月刊は無理やな、といわれる。そやけどだいたい隔月刊でどおやろ。とも。
「TALKIN`」を読んだあとだから、燃えてます。

今から集中。



2005年11月09日(水) 「ブログは混み合っております」So What?

am5:00 起床。珈琲を碾く。淹れる。朝、浅煎りにしたのはカフェインがきついほうがいいから。飲んでから掃除。

am6:00 夜明け前にハナの散歩に出発。今日は少し冷えた。近畿全般に冷えたけれど、滋賀県の信楽では氷点下になったという。奈良の高野山とか吉野も冷えただろうな。京都だって美山や丹後のほうは冷えただろうし、ラジオによれば雨だという。山のこちら側は乾いた晴天。

am7:30 朝食。ごはん、舞茸のみそ汁、鰺のみりん干し、お揚げと小松菜のたいたん、漬け物、煮豆、ヨーグルト。

正午 昼食。ごはん、漬け物、牛肉のしぐれ煮、アスパラのベーコン巻き、卵焼き。

昼過ぎに、待望の本到着。平野啓一郎×小川隆夫「TALKIN`ジャズ×文学」。これは素晴らしいね。ジャズ好きはもちろん、若い頃、ジャズやロックを聴いた人たちにもおすすめ。あとマイルス好きにはさらにおすすめ。さらに最も薦めたいのは、平野さんの言うようにジャズを聴きかねている人たち。
村上春樹さんのジャズ本とはずいぶん違う。another sideだね。のめり込むように読む。
というか、ぼくはこういう「肌」のジャズ本を探してたんだと思う。まさにTalkin`。二人の話はぐいぐいと進む。

pm6:00 ハナの散歩。
pm7:00 夕食。お好み焼き(キャベツ超大盛り)

夜。
再び「TALKIN`」を読み出す。もちろんマイルスを聴きながら。

アメブロに書き込みたいことがあったけれど「このブログは混み合っております」とでたから、全部止めた。So What?
「TALKIN`」に没頭。
もちろん平野さんの文学の話も出てくる。



2005年11月08日(火) ポイント、のような場所

am5:00 起床。珈琲。浅煎りのブレンド。マンダリンだけというのはまだできない。もし単独の豆にするならハワイのコナ。
掃除。

am6:00 ハナの散歩。銀杏葉は黄色になって落葉。街ぜんたいに紅葉がぐんと進んでいる。なじみの犬と飼い主に出会う。お互い名前も知らないけれど、犬も人も気が合う。

am7:00 家のもの、今日、退院。部屋の用意と持って帰ってきた服の整理。

am8:00 素早く朝食。ごはん、舞茸と小芋のみそ汁、じゃこおろし。

●今日から町内会の当番で年内最後の集金。神社の護摩木あつめ。
●猫がかみ切ったラジオのイヤホーンを買う。
●実は本を読むためのポイント、のような場所が家の中にある。何故だかわからないけれどいつも部屋の隅で壁にもたれているとよく読めるのだ。
刑務所とか病院だとよく読めるんだろうかね。

●昨日渡された「橋ものがたり」は読んでしまった。主義者曰く、書いてる内容はともかく、文に全然無駄がないでしょう、と。
それはそうだ。とてもすっきりしているし、ピッチがとてもいい。

●ブローティガンを読む。だけどこっちも、やっぱり、いいよなあ。

正午 昼食。パン、珈琲、バナナ。

●小説をどう書くか、という時に人称の問題が必ずある。
時として三人称で書きたいと思うんだけれど、最近、どうしても一人称になる。
主語は「私」。登場人物が三人いたら、三人の「私」で書く。
作者が「眼」になりきれた時だけ三人称で書けるように思う。
詩は難しい。下手すると観念だけになる。それでもかまわないんだけれど。

京都新聞の「創作の流儀」。今日は高村薫さん。「新リア王」は登場人物が「私」として語る小説だ。そうでなければルポになってしまい小説にならない、と。それはとてもよくわかる。
高村さんの小説は「風景」から始まるという。実際に見た、忘れがたい風景から物語が起ち上がってくるのだ、と。

冬が始まる。
どこから物語を起ち上げようか。

pm6:00 ハナの散歩。家のもの退院して帰宅。
pm7:00 夕食。ふぐちり。ハナ、トラフグを食べる犬と化す。
雑炊がおいしい。

「人」の話を書こう。



2005年11月07日(月) 「下流社会」

am5:00 起床。珈琲。今日から珈琲はその都度、家で碾くことに。香が違うのは当然。手間だけのことなのでそうする。
掃除開始。

am6:00 ハナの散歩。今日は立冬なのだけれど、とても暖かい。
帰ってから掃除の続き。猫と。洗濯。  
am7:30 朝食。ごはん、舞茸のみそ汁、小芋とジャガイモのたいたん、ほうれん草のおひたし。

正午 昼食。りんご、バナナ、柿、珈琲。

電話があって、「音函」をとりに行く。サービスで小口以外の化粧までしてくれている。ありがたいです。
もっとおもしろいものや、凝った本が作りたくなってきた。

たまたま寄った本屋さんで噂の「下流社会」を立ち読み。ネットが下流の男の必須アイテムなんだな。かなり否定的にネットのことが書かれている。立ち読みだから何とも断定は出来ないけれど、かなりその気配濃厚。
ネット以外のことを全然知らない「井の中の蛙」状態になる、と書かれている。これは養老さんのいう「バカの壁」だとも。
書かれている通りだとしたら、まさにそうだなあ。
問題は壁をつくっているのが自分、ということなんだよね。
じゃあ上流の趣味は何かというと、ドライヴなんだそうだ。統計データを出していたけれど、ほとんど興味がわかない。

しかしマーケティングのスペシャリストの論だけあって説得力はとてもある。女性のパターン分類なんて読む人によっては図星!なんだろうなと思う。たぶん今の日本というのはこういう形なんだろうし、こうなっていくんだろう。
だとしたら将来は真っ暗だ。この国に未来はないよ。
それがいやならそういう「括り」から逸脱するしかない。

で、そのヒントになりそうな内山節さんの『「里」という思想』を発注。視点が全然違う。上の本は外から見てる。こっちのほうは内側から見ている。こちらをしっかり読みたい。
上流下流を超えていくものは、「知」しかないような気がするから。

pm5:00 ハナの散歩。
pm6:30 夕食。皿うどん、シューマイ、柿。

夜。
猫たちのために段ボールでジャングルジムを作る。
うむむ。やっぱり木の方がいい。ぼろぼろになったら作り替えよう。

●なんだか本作りに目覚めていて、上製本で試しに一冊作ってみようと思う。全詩集。これは詩作だからゆっくりとつくってみる。

●ブローディガンの文庫本が立て続けに河出から出ている。早速揃えた。

●音楽はジョシュア・レッドマン。たぶん今のジャズシーンで最も重要なひとり。

●文庫本主義者から藤沢周平さんの「橋ものがたり」を手渡される。
橋にまつわる短編集。もちろん時代物。
曰く、これが文章だよ。こんな感じで物語を作っておくれ、とのこと。早速読み始める。
読むだけじゃないよ、書くんだよ、と念を押される。
書かねば。

ところで主義者の春樹嫌いはますます進行中です。



2005年11月06日(日) 雨が降ったり止んだり

am5:00 起床。珈琲。そのまんま掃除。
am6:00 曇り空の下ハナの散歩。帰り着く頃に雨が降り出す。

am7:30 朝食。ごはん、納豆、鰺のみりん干し、舞茸とワカメのみそ汁、ほうれん草の胡麻和え。

雨が本降りになる。新聞の読書欄を読む。
おもしろそうな本が一冊。他に宮本輝さんの「にぎやかな大地」、文庫だと田中小実昌さんの「上陸」。小実昌さんのは同人誌時代のものをあつめたものらしくとても興味がある。新書で話題沸騰なのは「下流社会」。ベストセラーだ。今の政権になってから日本の階級二分化は加速している。
だからといって、自分の人生のためにも敵対軸を誤らないことだ。
「ねたみ」「そねみ」「復讐心」これはすべてタブー。自分を滅ぼす。

詩集では金時鐘さんの有名な「猪飼野詩集」と「光州詩片」を合わせた「境界の詩」がでた。「境界」は「きょうがい」と読む。
金さんの日本の現代詩に対しての発言は鋭い。他者の生を語りうるか否か。よくよく考えねばならないテーマだ。たぶん、今後の詩を書く時に必ず考えるポイントになる。すでにそうなっているけれど、もっと徹底した形で。

正午 昼食。カレーうどん。

雨が降ったり止んだり。

早めのハナの散歩
早めの夕食。スパゲテイミートソース、ほうれん草とベーコンのサラダ、ポト。

「他者との関わり」と生き方についての情報のシンクロが起きている。
しっかりと考えて、しっかりと書いていきたい。

夜。
「座頭市」。キタノ・ブルーを散りばめながらの「タケシ流」。大楠さんはいいなあ。





2005年11月05日(土) 視線を平らかに

am5:00 起床。珈琲をいれて掃除。
       日の出は6:00を過ぎてからだから真っ暗。
am6:00 ハナの散歩。今日もいい天気。今日は黒ラブのクロ君と出会う。

am7:30 朝食。ごはん、舞茸とエノキのみそ汁、サワラのみそ漬け、キュウリとハムのサラダ、小松菜と細切り昆布と生麩とお揚げのたいたん。ヨーグルト。

正午 昼食。焼きそば、珈琲。
猫のフードを獣医さんに買いに行く。うちの猫はPHコントロールのものだけ食べている。獣医さんでしか扱っていないもの。

いい天気だなあ。

昨日発売前に配達された婦人公論で若年性認知症の記事を読む。これはなんだろう。原因はわからないんだな。ストレスが関与しているという言葉に説得力を感じる。
家族、ヘルパーさん、医師達でスクラムを組んで助け合っているさまざまな会についてと個別の症例についての記事だった。いろんな意味で人の尊さを思う。
介護についての上野千鶴子さんの記事も読む。うむむ。
この11月22日号の特集タイトルは「介護の知恵を分かち合おう」。

人ごとじゃないな。する側、される側、両方の側面から読む。
若年性にしても老人性にしても認知症は血管障害による梗塞以外は、はっきりとしたことはわからないというのが辛い。
もう一度書いておくけれど、ぼくはストレスだと思えて仕方がない。まわりも本人も気がつかないストレス。薄い紙のようなものが降りつもって溶けなくなるような感覚。
もう自分が生きていることを認識したくなくなるほど疲れ果ててしまっているというか。介護する側の疲労も凄まじい。
絶対助け合わないと誰もが潰れていく現実。助け合わないと。ほんとうに。

「視線を平らかに」
不意にそんな言葉がでてきた。


今日はビートルズのラバー・ソウル、あんまり暖かなのでアントニオ・カルロス・ジョビン、それからスタン・ゲッツとジェリー・マリガン。
外を歩く観光客はみんな半袖だ。


夕方早めにハナの散歩。
超早めに夕食。
病院から一時帰宅できたものとすき焼き。

夜。
「音函」のご注文。PC画面に向かって最敬礼。
ありがとうございます。



2005年11月04日(金) 今年の秋は高台寺へ

am5:00 起床。珈琲。珈琲は今週からゴールデンコーヒーに戻す。
(「光函」の「黄緑のシャツ」のお店)珈琲を飲みながら掃除。マグカップをテーブルに置いて、通るたびに飲むという…。

am6:00 ハナの散歩。今日は暖かいね。紅葉が市内でも始まっている。今年の京都、ぼくのお薦めは高台寺。それも夜に行って欲しい。とびきりの体験ができるはず。

京都市とイタリア・フィレンツェ市の姉妹都市提携40周年を記念して、フィレンツェ市で活躍されている建築家アンナマリア・テリーノさんが照明デザイン。で、高台寺の庭園の整備をしているのはうちの近所の北山さん。
だから、というわけではないけれど「これ普通のライトアップじゃないよ。ぼくらはライトスケイプとゆうてるんや」と北山さんが言うように、ほんとに画期的。こんなの京都でなかったです。意識がとびそうになります。
ほんとうに夜の庭に光の波を見ることが出来るから。12月4日まで。日没後に照明が開始され、午後9時半までです。

北山さんの話だとアンナマリアさんはとても有名なアーティストであるうえ大学教授でもあり、北山さんの庭師としてのプライドと彼女のアーティストとしてのプライドが激突してへとへとになったと言います。
そのぶん、誰もしたことのない、いい仕事が出来たとも。
紅葉の夜は是非、高台寺へ。紅葉以上に凄いかも、とぼくは思います。
(ここだけの話だけれどNHKがずっと密着取材してたそうです)

am7:30 朝食。ごはん、舞茸のみそ汁、お揚げと小松菜のたいたん、納豆、ヨーグルト。

午前中に「光函」と「音函」のセットを送る。ありがとうございます。
「光函」はもうわが家にはなくて、本屋さんに預けているものを一冊戻した。

正午 昼食。トースト、りんご、バナナ、珈琲。最近意識して珈琲をよく飲む。
「音函」の化粧断ちの依頼。平野啓一郎×小川隆夫のジャズの本を発注。小川さんという人は凄い人です。

詩の推敲を始める。
今日繰り返し聴いているのは、スタン・ゲッツの古いアルバム「スウィート・レイン」。このアルバムのチック・コリアは抜群だなあ。清新で…。
もちろんスタン・ゲッツも冴えてる。

pm3:00 珈琲
pm5:00 ハナの散歩。途中ピレネー犬に出会う。ジャンにそっくり。

pm6:30 ハナと晩ご飯。パンとバナナとプリン。

明日はもっと暖かになるそうだ。



2005年11月03日(木) 「封を切ると」

今日は祝日。
郵便局もお休みなので、「音函」の発送も出来ない。
部屋でいろいろなことを考えたり、散漫に過ごす。

何か書こう、とぼんやりとは決めていた。
しかし、書くことに入ることがためらわれる。
理由はぼんやりとは知っている。知っているけれども
はっきりとさせなければ書けないことも知っている。

つまりどういうことかというと
「封を切ると大変なこと」になるからだ。

「封を切ると大変なことになる」というのは
多田智満子さんの最後の詩集「封を切ると」の
「郵便物あるいは悪夢」という詩の最初の行である。

最後の詩集のタイトルを「封を切ると」としたのは高橋睦郎さん。
詩に使われている時とは言葉の意味を変えている。
秀逸なタイトルの付け方だと思う。
「この詩集の封を切ると…」
とも読めるし、「…」や「この詩集」の部分に読者ひとりひとりが
言葉を埋め込むことが出来るからだ。

今日書いている文脈での「封を切ると」の前とあとに来る言葉は
「ぼくの封を切ると溜息が止まらなくなる怖れがある」となるだろうか。

本を印刷し、綴じて、形を整え発送するという作業から離れて
詩や物語のイメージを捕まえようとしたり、書き出そうとすると
一気に空気の比重が重くなる。体温が上がる。そして溜息をつく。
そうなるのはまさに「封を切る」感覚なのだ。

とまれ、多田さんの詩からは多くのことが学べる。励ましにもなる。
よく書くためには、よく読むことなのだと改めて思う。

詩集「封を切ると」の付録に書かれた小池昌代さんと池澤夏樹さんの
「寄せる言葉」を何度も読んでいる。
まるで息のようだ、血のようだと感じながら。

そうして結局、ぼくは詩集「封を切ると」の封を切って熱中しているのだった。



2005年11月02日(水) 脱・情報化社会へのまなざし



京都新聞で一年間連載されてきた、佐藤卓己さん(京大助教授)の「時代を読む…メディア論から」が今日の朝刊で完結した。
この方の分析や理論は切れ味が鋭く、なんどか唸らされたこともある。わりと熱心に読んできた。

最終回はぼくが今ぼんやりと感じていることに通底するものがあり、「考える素材」として記事を切り抜き、折に触れては読み返して考えている。

最終回は「IT企業が先導(煽動)する情報化社会への向き合い方」がテーマである。
(この記事を読む背景として 情報化社会の、現に行き着いた先の一つを分析した「ひとりぼっちのボウリング」(R・パットナム)を読まねば、と思っている。それはアメリカにおける社会関係資本の衰退であり、もはやアメリカの健全な民主主義は危機に瀕しているという指摘だ。「社会関係資本」については「散歩主義」でも書いたことがあるけれど、それはホームパーティー、学校行事など他者とのコミュニケーションをはかる行為全般のことをいう。「ひとりぼっちのボウリング」とは、もはや仕事のあとや休日に仲間とボウリングをする習慣がアメリカから消え失せたことをさしている)

佐藤さんの分析をぼくなりにごく簡単にまとめると次のようになる。
『情報化社会においては市民が「無料」で「援助」しあって「交際」する共同体は危機に瀕している。(佐藤さんは電子メールのタイトルと本文に「無料」「特典」「援助」「交際」などが入ったメールを自動削除するように設定したという。受信数は激減した。)つまり、逆説的に捉えればこれらの言葉の無化がおきているということだ。つまり他者への一般的な信頼感が激減しているということになる。それは社会関係資本を減らすことになり、それが民主主義の危機を招いている』

つぎに線を引いて読み返している部分を書き出してみる。
『ITの発展により、個人はメディアが提示する無数の選択肢から自らの欲望に沿った情報を自由に入手することが可能になった。だが、選択そのものを自ら放棄しない限り、個人は特殊化、専門化した趣味の選択に膨大な時間費やさねばならない。さらに自分の選択を合理化するために、人々は「自分探し」に多大なエネルギーを注がねばならないのだが、それは自己喪失の不安に由来している。結局、情報化によって個人は学校や近隣共同体などの物理的空間の規制からは自由になったが、個人の行動規範はもはや共同体によっては担われず、すべては自己責任とみなされる。こうして個人が背負い込む自己責任が増大すれば、それに耐えきれず精神的に破綻するものも現れる。そのため誰もが国民文化と国民福祉に安住して、共通の歴史にアイデンティティーを保証されていたナショナリズムを懐かしく思い起こす時代が到来する』

で、こうした場合にジャーナリズムが果たす責任は大きいのだけれど、それは冷笑主義(シニシズム)しか生んでいない、と断じている。スキャンダリズムと自己利益追求を政治解釈の前提とするスタンスからは当然だろう、と。
ぼくはかなり批判的に読み込んでいるつもりだけれど、IT社会のある部分はすでに硬直化に直面しつつあるという漠然とした「いやな感じ」は持っていて、自らに置き換えていろいろと考えているのだった。

佐藤さんの結びの言葉はつぎのようなものだ。
『安易な処方箋は存在しない。しかし、地に足の着いた正確な報道とそれを熟慮し議論する市民が、IT革命で生まれることはないだろう。脱・工業化社会を夢見た私たちは、今から脱・情報化社会の準備をしておかねばならないのである』

 偶然なのだろうけれど、ぼくには最近の文学がそういう状況を先鋭的に嗅ぎ取っているのではないかと思う節がある。それはやはり肉体と言葉の関連の中から浮かんでくるものだ。どうしても数量化されないアイデンティティーとしての「肉体」=「闇」を言葉で表出しようとしたもの。例えば町田康さんの「告白」や平野啓一郎さんの今年を通じて出し続けられている短編たち。あるいは若い作家達の切実さに満ちた作品。そして詩では藤井貞和さんだ。しかし、考えてみれば文学はいつだってそうだったんじゃないのかとも思う。
 
パソコンやネットを捨てろというのではない、むしろその上にたって先を見据えなければならない時代になりつつあるのだろう。
 


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