散歩主義

2005年06月30日(木) 生きた緑へ通じる

日記のデザインを変えていて、indexのタイトル下の部分が簡単に変更できることに気がつきました。

『生きた緑へ通じていく目』は井坂洋子さんの詩「窓」の最後の詩句からの引用です。
詩や散文を書くうえで、忘れずに持ち続けたい「目」のイメージです。

2004年3月の現代詩手帖を読み返していました。井坂洋子特集。
何度も読んだけれどもっと何度も読もうと思います。

それから「シャツ」の続きを書き、詩のメモを。
詩のメモはそう1週間ぐらいの発酵期間があって立ち上がってきてくれたら
と思っています。

7月になると、「夏から梅雨に逆戻り」だとか。
とにかく雨は必要ですね。

CDの整理まだ終わりません。
いったい何枚あるんだ。しかも紙ジャケはできないので、古いものの整理が中心。

ローリング・ストーンズのアルバムがでてきて少し聞きました。



2005年06月29日(水) CD収納 デザイン

日記のデザインを変えてみました。
字が大きく読みやすいぶん、今まで以上に
文章の出来不出来がよくわかります。

読み直すたびに冷や汗と勉強…です。はいっ。

今月号の「暮らしの手帖」にCD収納用のソフトケースと
CDファイルが紹介されていました。

CDファイルはディスク本体とジャケットを上下に分けて保存するもの。
ソフトケースはとにかく薄く、がコンセプトのもの。
不織布の袋にディスクを入れてからケースにジャケットなどと入れます。
  
どちらも少ない収納場所で済みます。
平積みした高さで比較すると今までの半分以下。もっとかな。




とにかくCDと本が多くて収納が悩みの種でした。
今日、CDファィルを使って整理することにしました。
これだと本のような形になり、例えばジャンルごと、
アーティストごとの収納が可能です。
一冊が40枚入りのものにしました。(20枚のものもある)
無印良品から出ています。
これ、ジャケットの保存にもいいかもしれないなどと思っています。

それと案外、取り出しやすいし、調べやすいです。
それにしても多い…。



2005年06月28日(火) 午前3時

今日、文章を書くのを午前3時からにした。
もし一人で書くことだけに集中できるのなら、午前中にしたいけれど、
まったく時間がとれないもので。

おかげで午前11時頃に強烈に眠くなる。
隙間隙間で考えて、土日にまとめて書く、というのも考えたんだけれど、
今、毎日更新しているブログあるから、
とにかく毎日書くことを考えた結果だった。

ちなみに散歩主義も一日の間に、数行ずつ書き置いたものの寄せ木細工。
身体や心の状態を整えておきたいと思う。
昼は仮眠を一時間きっちりとりたい。

相変わらず風が強く、暑い。
夕方から宵にかけて激しい雨が短時間に降る。
ようやくの雨。湿気が凄い。

ローレンス・ブロックの本を昨日から続けて読んでいる。
「書く」ということに関してずいぶん励まされる。
長編小説をとにかく書くことにした。

今までブログに書いたものを土台にして書いてみようと思う。
あるいは新しい主題で書くかも知れない。
いずれにしてもネットには載せない。
ある程度時間がたってから載せようと思う。
詩についても、もっともっと書く。

ブロックも書いているけれど、日曜画家や余暇を利用しての音楽家など、
純粋にそれを楽しみにしている人たちがいるのに、
あるいは美しい写真を撮りためることを趣味としている人はいるのに
作家に限っては「日曜作家」がいない。
誰もが自作の出版を望み、原稿が売れることを望む。

ブロックは分析として小説には読者が構成要素として不可欠なこと。
そしてなにより、「書く」という行為が単純に「愉しみ」のみではないということ。
時としては苦しみであるからではないかと書いている。

だからといって、また、だとしても、
怯むことはないのだ。みんな書いて書いて書きまくるのだ。
それが「書く人」なのだから。
ブロックの声援は、そんなふうにとても力強い。

それにしてもブログこそ「日曜作家」を生み出すんじゃないんだろうか。
そんな気もする。
ブロックがこの本を書いた時、まだネットのその辺のことは始まっていなかった。



2005年06月27日(月) cloudy sky

「シャツ」の19と30を手直しする。
時間がなくて見直せなかったので。

昨日のうちに詩を一編投稿。書いたことのない種類の詩。

日野啓三さんの「書くことの秘儀」を読み終える。
果てしないエッセイだった。20世紀の末にこれほどの示唆があったとは。
日野作品をさらに読もうと思う。

全集でしか読めない作品があるので吉行淳之介全集の第5巻を手に入れた。
この全集の発行はすでに停止していて、書店や取り次ぎの在庫だけが頼り。

なんとか少しずつ手に入れている。今回、読みたかったのは「街の底」。
早速読み始める。

曇り空で蒸し暑い。

夜になって「シャツ」の31を手直し。
ローレンス・ブロックの”Telling lies for Fun&Profit”を久しぶりに読む。
小説は書かないと思って、放って置いた本。
おもしろい。

本を読みながらも
「シャツ」のことをずっと考えっぱなしだった。

雑誌ELLEの音楽欄がおもしろかった。
内田也哉子さんのいるトリオ、おもしろそうだ。
”Sighboat”という。
他には戸田和雅子さんが聴きたい。



2005年06月26日(日) 日野さん 熱風  池永さん

昨日に引き続き、日野啓三さんの「書くことの秘儀」を読む。
タイトルだけだとまるで小説作法のようだけれど、技法や自らの創作の秘密が書かれているのではない。

大きな、それこそ人類史を背負うような意味においての「小説作法」だとはいえる。
計り知れないほど遠くからの射程で「書く」ということに、にじり寄っていった思考が書かれている。
岩窟に文字を刻み込んだいにしえの人々の後裔という自覚から出発しているのだから。

意味でも目的でもなく、「抗し難く書いてしまう力」について書かれている。
読み応えがある。
最終章のデュラスについてのエッセイは示唆深かった。

自分の詩のテーマを構想する。
自らにとっての「戦争」が主題のひとつ。
もう一つは「夏の朝」。



今日も熱風が吹いている。
梅雨どころではない。




丸太町の大成社ホールでの池永康晟さんの個展についてのレヴューが京都新聞に出ていた。
好意的なものだったと思う。
池永さんは東京の方である。



2005年06月25日(土) 記憶の天才 シャツ 書くことの秘儀

テレビで記憶の天才たちのドキュメントを途中まで見る。
身体、映像が重要な鍵のようだけれど、人間の脳のキャパは凄い。
あるいは身体の可能性も。


「シャツ」30aを書く。


途中で止まっていた日野啓三さんの「書くことの秘儀」の読みを再開。
刺激的な文章の連続。



自由であること、守り守られていること、意志があること、自らを愛すること
これが大事だと思った一日だった。



2005年06月24日(金) 空梅雨

雨が降らない。このままだと夏に大変なことになる。
農業にも深刻な被害が出るだろう。
そのうえ原油高は止まらない。また最高値をつけた。
そんななか国会では懲罰動議の応酬。
やはりこれじゃあいくとこまでいくのだろうか。

新風舎のサイトにクリエイターズルームというのがあって、そこでは毎月プロの方のインタヴューが掲載される。
今月は保坂和志さん。全四回のうちすでに三回まで終了。とてもおもしろいし、創作についての刺激をうけた。

もうすぐ夏。
夏の詩を書こうと思う。ターゲットを絞っているところ。

「シャツ」が29までいった。続けていきたい。

最近、チャールス・ミンガスの旧譜のCDがよくでる。
今日はTIJUNA MOODSを手にした。邦題「メキシコの思い出」…。うむむむむ…。



2005年06月23日(木) 詩について、絵について、そして詩を書く

今日、書いたのは詩についてのトラックバックをIn Paradisumに。
まさに言葉の魔術のように思えた短い詩を紹介しました。
最初に出会った時の衝撃は凄かったです。

つづいて日本画の個展の感想をwalk with jeanへ散文風に。
池永さんの絵には力がありました。

それから婦人公論で佳作だった詩を「菫ほどな」へアップ。

明日もどこかに書きます。



2005年06月22日(水) ミュージカル・バトン 婦人公論

ネット界を駆けているという噂の「ミュージカル・バトン」がミメイさんから僕のところに手渡されました。ブログのトラック・バック経由で繋がっているのでブログのInParadisum に、今日アップしました。

困ったのは手渡す相手。音楽のカテゴリーがない方に送るのも迷惑だろうし、時間をとって迷惑になるんじゃないかと…。
で、パスしても無視しても結構です、という断りを入れて、昔からのネット仲間に頼みました。

今日は婦人公論の発売日。
詩フォーラムの結果は、佳作。二ヶ月連続の佳作だけど今回の方が収穫はありました。
それなりの評価をいただいたので。
短い詩です。

アメブロの詩のTBについて、いろいろと考えているところです。
婦人公論誌上の井坂さんのコメントが、詩についての考え方を補強してくれました。
言葉の表現によって「世界」をつくり上げる、ということです。

それにふさわしい短い詩を紹介できれば、と思っています。



2005年06月21日(火) CRESCENT  「ホームページ」 詩についてのTB

ジョン・コルトレーン・クァルテットの「CRESCENT」を聴く。
1964年の作品。インパルス盤。
この時点でコルトレーンは傑作をいくつも世に出しており、その不動のカルテットの演奏も円熟味を増し
いよいよ演奏が瞑想的になっていくあたり。亡くなる三年前だ。

わずか5曲。50分を切るコンパクトな内容だけれど、この深さは他のアルバムにはない種類かも知れない。
基本的にはバラードアルバム。
だけど明るくスイングする「ベッシーズ・ブルース」もあるし、表情はとても豊かだ。

名盤中の名盤といわれる「バラード」よりもこちらが好きな人が結構いる。実はぼくもそう。
端的な言い方をすると、こちらのほうが「泣いている」としか思えないフレーズが次々繰り出されて、「泣いてしまう」からだ。
そしてこちらの方がはるかにスケールが大きい。
ジャケットは「バラード」の方がいいけれど…。

特に二曲目の「ワイズ・ワン」、4曲目の「ロニーズ・ラメント」。いいです。
全曲素晴らしいのはもちろんだけれど。
オーネット・コールマンがコルトレーンについてこう語っている、とナット・ヘントフのライナーに書いてある。
曰く『彼はこれまで聴いた中でもっともリリカルなプレイヤーだ』

ちなみにタイトルの「CRESCENT」とは「三日月」という意味。
わかると思うけれど、音楽用語のクレッシェンドも語源で、次第に大きくなるという意味もある。

この先の「満月」とはむろんアルパム「至上の愛」だ。


さて、と
画像を処理するためにアルバムかサムネイルによる管理でサイトにアップしようと思ったのだけれど
なんとも面倒。
ブログに慣れてしまったんだ、と気づく。
ブログのほうがずっと楽。
ということでブログにアップしていきます。

アメブロで詩に関してのTBが公開された。
今回はトラックバックしてみようと思う。
いろんな詩を集めている。



2005年06月20日(月) ゴルソン&フラー  集真藍

ベニー・ゴルソンとカーティス・フラーの双頭コンボによる「レジェンド・オブ・ジャズ・クラブ」と
カーティス・フラー名義の「ブルース・エット」を続けて聴く。
(「ブルース・エット」も実はゴルソンとの双頭コンボの趣が強い。)

「ブルース・エット」が1959年の録音。「レジェンド・オブ・ジャズ・クラブ」が1998年。間に約40年という月日が流れている。
音がしなやかで、管がよく歌っているのは「ブルース・スエット」。素晴らしいグルーヴがある。

「レジェンド」はそのタイトルの付け方が気にくわないけれど、何とも言えない味わいがある。それでなくてもトロンボーンとテナーだから低音のリード。
それがじわーっとくる。なんだかとても熟成された感じかな。

このふたりを見ていると、才気煥発で若くして亡くなる天才も凄いけれど、ジャズをやり抜いて生き続けているということも凄いことだと思う。
それこそ「才能」だ、と。

ところで
紫陽花の語源について。
これは「あづさい」からの派生。
「あづさい」はどう書くかというと「集(あつ)真(さ) 藍(あい)」
なるほど、元々は藍色だったんですね。
NHKの「趣味の園芸」で知りました。



2005年06月19日(日) いつ書くか  U2  アトム

角田さんに倣うわけではないけれど、書くことを止めないために、書くことを続けていこうとした時、いつ書くかということが
大事な問題になる。

いわゆるデイタイムは無理と諦めた方がいい。夜更かしもだめ。
今はあいてる時間にとぎれとぎれに書いたりしたのをあいた時間にアップしてる。

だけどさらに本格化すると、例えば長編を書くとか、詩だけの時間を別途つくるとかすると、そのやり方だと破綻をきたしそうだ。
きちんと毎日続けるには、ということでフランスのある画家を参考にしてみたい。

主婦で、翻訳家になられた方は午前3時から数時間をそれに当てられたという。そういうふうになるだろうと思う。

ところで、詩をつくるには最近、優れたツールがありますね。
再生録音端末。進化したウォークマンというか。
音楽を入れるだけじゃなく、録音もできるから、思いついたフレーズはメモだけじゃなくて吹き込んでも残せる。
ソニーだけじゃなくて、ほかにもあるみたいですね。
こういう機能は今までのテープのウォークマンでもできたけれど
それをパソコンにすぐに移せるから、サイトにそんなページを作れるかもしれない。
自作の朗読、あるいは皆さんへのメツセージとか…。

今日はU2の古いのを聞いてました。「ヨシュア・トゥリー」と「ズーロッパ」。
確かにいいんだけどプロデュースやエンジニアリングでここまで変わるかという印象もあります。
一番新しいアルバムに
「科学と心は進化を止めない」
というボーノのフレーズがあって、良くも悪くもほんとにそうだな、と思う。

だって、ぼくらは「アトムの子」だからね。



2005年06月18日(土) ブログ事情

現在、使わせてもらっているすべてのブログが重かったりトラブルが多い。
唯一例外なのはOCNのだけど、これは有料だから当然といえば当然かも。
そういうふうに考えるのなら、他のは無料だからトラブルも当然???。

たとえばライヴドアのものなんかはとても優秀だといわれていたけれど、ある程度の人数が集まると重くなりだしているらしい。

となると「重くなる」というのは、これはもうブログの宿命なのかもしれない。

この「エンピツ」は有料のみの受付のはず。今のところトラブルはない。
付いている機能がブログとは違うからだとはおもうけど、
これでいいという人も多いだろうと思う。

トラックバックやコメントの機能を記事それ自体に必要としないのなら、このほうが快適だとおもう。

BBSをリンクしてつけるか、メールアドレスを置いておけばいいわけだから。

今日もアメブロにアップできずに弾かれた。日付が変わる前にもう一度覗いてみようと思う。




2005年06月17日(金) 角田光代 Tiger&Dragon

朝、たまたまいた場所のテレビに角田光代さんが出ていた。
注目している作家だから、つい見入ってしまった。
仕事があるから、途中までしか見られなかったけれど、言葉をいくつか憶えている。

何故小説を書くのか、という問いに「小説家でいたいから」。
これなんでもないようで、いろんな要素をひっくるめて言い切ってる言葉のような気がする。


「メッセージは一切ないです。読者がそれぞれ読みたいように読んでくれればいい。わたしもそういうふうに読んでいるから」

とても柔らかな印象の人だったけれど、「書くこと」に一途だ。

意外だったのは好きな作家。向田さんはそうだろうな、と思ったけれど、開高健さんがフェヴァリットだというのには、少し驚いた。
文体が凄い、と。

完全な朝型の理由もよかった。以前つきあっていた彼と食事をしたりデートするのに夜を空けなきゃいけないから。
それが今でも続いているわけだ。まるで小説。

それと、やっぱりめげない人なんだ。
というか、めげても書くことを止めないのが偉い。
かなり手酷い評ばかりの時もあったのだ。

で、夜はタイガー&ドラゴンを見る。
宮藤官九郎の脚本、冴えてます。クレイジーケンバンドがらみで見始めたんだけど、長瀬君も岡田君もいいねえ。
このドラマがあるから今日だけは夜が遅い。



2005年06月16日(木) 投壜

「シャツ」23dを書く。


U2を聴く。


まるで孤島のように世界にうかんでいる方たちを想う。
ぼくとを繋ぐ海流を信じて壜を投げ入れよう。
「ぼくはあなたのことを毎日考えています」
そう書いた紙を入れて。



Listen to me now
I need to let you know
You don`t have to go it alone

And It`s you I look in the mirror
And It`s you when pick up the phone
Sometimes you can`t make it on your own



2005年06月15日(水) ヘヴンリィ・ブルー

朝顔のヘヴンリィ・ブルーを植え付ける。
一本は裏へ、二本はノイバラの近くに、一本は玄関の横に。

家屋の横の狭いスペースに自生するドクダミを根ごと引き抜き、束にして軒下に干す。
ぱりぱりに乾かしてから煎って、「ドクダミ茶」にする。
匂いがきついけれど、身体にはいいんだ。

今日聞いた天気予報
「正直言って、今、三日後の予報は無理です」
梅雨前線の微妙な振る舞いで、天気が猫の眼のように変わるかららしい。

ジャズ。
ジョニー・ハートマン。コルトトレーン。菊池成孔。
あんまり書いたことないかな、菊池氏のこと。
ぼくは好きだ。

散文「シャツ23c」を書く。




2005年06月14日(火) 安石榴と空色

アメブロに「シャツ」の続きを書く。
書き終えてから時間があったので、何度も書き直していた詩を一気に書いて、そのまま投稿。
時間がとぎれとぎれになるので、集中できる時に一気に書いておかないと。

モチーフは「石榴」。石榴で書くのは2度目だけれど、今回は「花」になった。

昨日から暇をみては読んでいる「日本の色辞典」によれば、日本の伝統色の書き方で、「ざくろいろ」は「安石榴色」と書く。
これは初めて知った。
だけど詩の表題は「石榴」。

ご近所の愛読者Sさんから紫陽花と朝顔の苗を四つも頂く。
朝顔は西洋朝顔で、とてもきれいな青ですよ、と。
色は「Heavenly Blue」。中国でいう「天上青」。日本の伝統色の呼び名で「空色」。
ありがたい。
嬉しい。

すでにわが家の壁沿いには夕顔の他、日本の朝顔を三つ植えてあるけれど、壁を朝顔でいっぱいにしようと思う。
ありがとうございました。



2005年06月13日(月) 「日本の色辞典」

いつか買おうと思いながら、図書館で見るばかりで、いまだにそばに置けなかった本をプレゼントされた。
本の名前は「日本の色辞典」。著者は京都の吉岡幸雄氏。日本の植物染めの第一人者である。

取り上げられているのは日本の伝統色466色。赤系、紫系、青系、緑系、茶系、黒、白、金、銀。
知らない名前の色が多く、すべての色の出典が書かれている。例えば「延喜式によれば…」というように。
その色の解説がすでに優れたエッセイとしても読め、とても楽しい。

ぼくの作品に親しんでいる人たちにはお馴染みの「空色」もある。

植物染めの吉岡さんは、蓼藍でつくられた。みごとに「天青色」。
色の見本をずいぶん長い間眺めていた。

もちろん印刷は素晴らしい。紙も重くて上質のもの。
奥付けを見て驚いたのだけれど、吉岡さんは早稲田大学の文学部を卒業後、この本の出版元でもある、紫紅社を設立。

美術工芸図書の専門の出版社として数多くの優れた出版物を残しつつ、生家の染めの道にも邁進されてきたのだ。(吉岡さんは五代目の当主)

だからこうして日本の美のディテールのエンサイクロペデイアともいうべき本をぼくは手にできるわけなのだ。
その努力と成果に頭が下がる。

さて、本の内容は深く、幅広く一言ではとても語り尽くせない。
ほんとうに素晴らしい本が手に入った。
贈ってくれた方にとにかく感謝。

その方に「あなたに必ず必要な本だと思たったから」と言われたものだから、ひたすら恐縮しながら、ありがとうと繰り返していた。

本当に嬉しい。



2005年06月12日(日) 戦友

昨晩、久しぶりに遅くまで起きていたので、ずいぶん眠かった。
犬も猫も同様だ。彼らも寝ているようで、実は落ち着かずに起きていたから。

ある方が愛犬を「戦友」といっておられた。その方の気持ちがよくわかる。
彼の愛犬はドーベルマンで、深夜遅くまで机に向かう彼の傍らにいつもいたのだという。

ぼくの場合だと亡くなったジャンやハナ、4匹の猫になる。ハナは昨日も足許で寝ていた。寝てはいるけれど「仮眠」の状態だ。音に対する反応がとても早い。
これまでもぼくは基本的に朝型なのだけれど、ジャンが亡くなってからは滅多なことでは遅くまで起きていないようにしている。
今日は早く寝てやろう。


久しぶりに内田光子さんのピアノを聞いている。シューベルトのピアノソナタ7番。
それを聞きながら、「新潮」7月号の古井由吉さんの小説を読み始めたのだけれど、文章があまりにきれいなので、広告の裏に数行、抜き書きしてみた。そういうふうに感心していて、日野さんの本が途中でとまっていることを思いだし、そちらに戻る。「新潮」も読むけれど。


ところで、ずっとパソコンに直接打ち込まず、ノートに書くことを優先してきた。最近、時間がない時はパソコンに直接打ち込んでいたけれど、これからは時間がなくてもノートに書く。パソコンにアップできない時は仕方がないというふうに。
で、気がついたらノートの予備がなくなっていた。まとめ買いしなければ。

お気に入りは無印良品のノート。ルーズリーフじゃなくて綴じられたノート。ルーズリーフは挟んだままだと手が痛くて続けて書けないから使わない。昔はB罫線だったけれど最近はA罫線。モンブランの太い万年筆もいいけれど、2Bの鉛筆を愛用中。一時は4Bまでになったけれど、緩い筆圧で書くタイプじゃないことがわかってきた。

それにしてもいっぺんに暑くなった。しかも「蒸し」ている。
街路ではクチナシが咲いている。



2005年06月11日(土) 梅雨入り宣言の出た日。

 梅雨入り宣言の出た日。
 朝からジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンを聴いている。胸にしみいるような低音の声と、表情豊かなテナーサックスによるバラード集。若い頃は夜にぴったりだと思っていた。ジャズをかける酒場なんかではよくリクエストされていたっけ。

 それからいろいろと小説を読んだ。たまたまなのだろうけれど、そのどれもがジャズやソウルについて語る部分がでてくる。カーティス・フラー、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダーなど。
 聞いていない人にしてみれば、単なる記号だろう。聞いた経験のある人は音が必ず遠くで響くはず。あるいは棚から引っ張り出して聞くかも知れない。それだけで読み手にとっての小説がずいぶん違うものになる。
 …それが絵だったら。書名だったら。花の名前だったら。
 当然、それを知る知らないで「読書体験」は変わるだろう。だけど小説はそれだけじゃない。
 じゃあ小説とは。

 保坂さんの「新潮」での連載「小説をめぐって」を読む。「身体が小説に向かいたくなる」論なのだ。ぼくにとって。そういう文章なんだ。そういえば今回の稿にはギル・エヴァンスがでてくる。

 さて、と。猫にご飯をやらなくちゃ。
 ではでは。



2005年06月10日(金) 忙中

猫のことやら犬のことで大忙しの日でした。
それでもアメブロの「シャツ」が21回目までいきました。
アイデアと打ち込みとアップと。時間の隙を見て、という日々です。

薔薇の方は順調。
二番花が咲き始めました。
夕顔は鶴を巻きはじめ、朝顔は葉を増やしています。

柚子は実を結びはじめ
青じそはいよいよ繁り出しました。

こないだ新聞に載っていましたが、J.Sバッハの未発表の楽譜が発見されたとか。
イギリスで演奏の準備に入ったそうです。楽しみです。

チャーリー・ミンガス、テディ・ウィルソンなんかを聞いています。

そうだ、クチナシが香り始めましたね。



2005年06月09日(木) 「うまいこと手に入りました」

「来週になる」はずだった、「新潮」7月号が、「うまいこときましてん」という台詞と共に届いた。
早速、平野啓一郎氏の「異邦人#6−4」をはじめとする短編小説三編を読み出している。
いつものことながらこの人の言語感覚というべきなのか、選び抜かれた言葉の数々から鋭い刺激がびしびしくる。
おもしろい「方法」も駆使し、「書物そのもの」の実験が面白い。
具体的に「身体をつかう」読書。眼も移動する。テキストも移動する。
本でなければ味わえない仕掛け。
読まなければわからない仕組み。
とても面白い。

保坂さんの連載では、パソコンが潰れたところから話が始まっている。
矢作さんの連載もあって、「新潮」、読み応えあります。
三島由紀夫賞受賞作も掲載されてます。



2005年06月08日(水) 「来週になります」

今日発売の「新潮」7月号。いつもの書店に頼んでおいたのだけれど、今月号に限ってもの凄い売れ行きで、「来週の増刷待ちになってしまいました」と連絡を受ける。

たぶん「新潮」の方ではフル回転で増刷中なのだろう。月刊文芸誌で、今、何故でしょうと尋ねられてしまった。
「たぶん平野啓一郎さんの久しぶりの短編小説が掲載されてるからですよ」と応えた。

ぼくもそれが楽しみ。来週まで待とう。
平野啓一郎さん。今、新しい作品が出たら必ず読みたい作家の一人だ。

「新潮」はこなかったけれど、頼んでいた日野啓三さんの「書くことの秘儀」を手にすることはできた。
最初から居ずまいを正したくなるような、書くことへの思いがほとばしっている。しっかり読もうと思う。



2005年06月07日(火) 甘い風

夕方の散歩で、東からの風がなんだか「甘い」と感じてしまった。
「甘美」というのに近い感覚。
頭のなかが しん とした。

梅雨の入りは土曜になりそう。
散文を書きながら、小説のテーマと詩のことを考える。

「失われた」という感覚からどう生きていくのかということ。

京都新聞に連載が始まった「音楽する科学者 寺田寅彦」がおもしろい。
末延芳晴氏が書いている。
確かに多くの寅彦研究からは西洋楽器の演奏という部分が抜け落ちている。

彼の「生活芸術」のなかでもっとも時間を費やし、熱心に取り組んだにもかかわらず、である。
次回を期待。



2005年06月06日(月) 朝顔

朝顔の苗を三つ植えた。
これで今年の夏は夕顔と朝顔が並ぶ。
昼顔も植えようかとおもっているところ。

今日、イングリッシュガーデンの基本の配色を知った。
朝日にはパステルカラーの花、夕陽には強い色の花。
だから西向きの庭をスパニッシュ・ガーデンという家もあるらしい。

風水では東に赤、西に黄だから少し違う。
でも夏の強い日差しを思うと朝と夕の花というのもいいかも。
昼顔はいらないかな。

ぼくはどちらにしろ小さい花にだんだん興味がうつっている。

今週の水曜ごろから梅雨になりそう。
紫陽花の季節です。



2005年06月04日(土) 夕立

凄い夕立でした。雷も鳴り響いて。

家の裏側に夕顔を植えています。
以前書いたと思うのですが、つる薔薇のピエール・ド・ロンサールの花が、ちょうど向かいのSTさんの息子さんの部屋から仰ぎ見ることができる、と教えてもらい、じゃあ薔薇が終わったら顔を横に向ければ花が目にはいるように夕顔を、と思ったのです。(息子さんは身体の向きを変えることができないので)

こないだ路地でお母さんから苗のことを聞かれたので、夕顔ですよと伝えました。
新しい葉も次々と出てきて、今日は「つる」ができはじめました。

他には大原の農家の方にいただいたノウゼンカヅラの種も発芽。発芽したのはいいんですが、さて、どこに植えるか思案中です。

これで夏も花盛りだな、と思っていたら、STさんのお隣のM家のお婆さんが夕顔植えるなら、朝顔も植えてとリクエストがあり、明日買いに行ってきます。

知人が今年のH氏賞を受賞した京都市立紫野高校の山本純子さんについての新聞の記事をわざわざ送ってきてくれました。

率直に詩作について語っておられて、それはいわゆる「現代詩」の作法とはかなり違います。
もっとシンプル。題材は日常から。言葉はリズムを大切に。
難解なだけが詩ではありません。

リズム、身体…。
詩こそが、より身体感覚を表現できるものだと思います。
つまるところ生き生きとした言葉を獲得することなのでしょう。



2005年06月03日(金) 夏のような暑さ

昼過ぎから急に気温が上がりました。
夜になって急に冷たい風が吹いています。

「シャツ」をアメブロにアップしました。読書は養老さん。
音楽はティル・ブレナー”That Summer”。
トランペットが気持ちいいです。



2005年06月02日(木) やはり雨が降りました

養老さんの「身体の文学史」をさらに読み進める。
とてもおもしろい。

そういう「史」の中に自らの作品を位置づけながら書く、と発言されたことのある平野啓一郎氏の短編が今月発売になる「新潮」で発表される。
前作の「滴り落ちる時計…」からはとても強いインパクトを受けた。「高瀬川」的な作品もあるのだろうか。とても楽しみ。

日野啓三さんの執筆論などの書かれた本を発注。短編集を読んでから、忘れられない作家の一人になった。

「身体」「生活のかたち」「向こう側」。
詩も書いていこうと思う。



2005年06月01日(水) 明日は雨が降るかも

たぶんそうなるでしょう。この蒸し暑さだから。

詩を書く作業に集中しつつ、散文を書き続けています。芯のところに「シャツ」を置いての作業。そろそろ自分が「反転」しそうです。

詩の方は例によって、書き上げたものを投稿。
もっと自由に、もっとリズミックに書きたい。

音楽はどんどん古いジャズへ向かっているのと並行して日本の若きジャズメンに目が向きつつあります。

古いジャズはレスター・ヤング。
若き日本のジャズメンはいろいろと聞いているところ。

薔薇は黄色が綻び始めて、これで出そろいました。


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