2005年03月31日(木) |
クロッカスが咲きました |
クロッカスが咲き始めました。 紫色です。地面からすぐ上の所に咲きます。
薔薇の新芽に早くも虫が。アブラムシではなくて、白い小さな虫。 早速駆除。草花の管理が忙しくなります。
近所の高校では自慢の桜並木の下で、あさって花見の茶会をします。 まだ咲いていないんですよね。どうするのかなあ。 ちなみにカソリック系の高校。理事長は犬の散歩友達です。柴犬好きのフランス人。
桜はだいぶ遅れています。 平野神社の「早咲き」が咲いているぐらい。ソメイヨシノは蕾が割れだしたところでしょうか。 暖かになりましたからこれから一気に進むとは思います。
街には大学の新入生がうろうろ。みんな地図を持って観光しています。 うちの近所は大学と観光名所が重なっているので、まず地元の観光から入るみたい。 だけど、市内の大学は全部、観光名所に近いよなあ。
もちろん引っ越しもこの時期の風物詩です。 バブルの頃のような、学生の豪勢な住まいは影を潜め、なんと「下宿」が復活しそうです。
一時期、上京区では下宿がゼロになったんですけれど、また復活するのかな。なんだか懐かしいです。
風の寒さよ。 それでも一日、晴れていて、日向は暖かだった。
いつもの珈琲を1㎏購入。その帰り、平野神社の近くに新たにパン屋さんができたので少し買ってみる。 京都はとてもパン屋さんが多い。そしていまだに増え続けている。 そこから100メートル離れたところには先月オープンしたパン屋さんがある。食べ比べると先月オープンした方がはるかにおいしい。
一時期、お総菜屋さんがやたらに目立った時期があった。それが落ち着いたと思ったらパン屋さんである。 ちなみに、いつまでたっても増えないのがステイショナリィの専門店だ。
さらに帰り道の途中で本屋さんに入る。ぼくは二年ぐらい前まで文芸誌というものを全く読んでこなかった。 ただ、自分が創作するようになり、大事な作品が発表されていたり、なにより作家や詩人の声が反映されているようなので、少しずつ読み始めている。
「すばる」にでていた「焼身」という作品を探したんだけれど、もう4月号になっていた。バックナンバーで三月号を手に入れようと思う。
「文學界」には村上春樹さんのロングインタヴュー。 「アフターダーク」関連の質疑応答よりも、短編の書き方がとてもおもしろかった。 お題を決めて書くのだ。単語ではなくセンテンス。 思いついた短いセンテンスを書きためておいて、その中からなるべく関連性の薄いものを五つぐらい選び、そこから書き出すのだという。 なんだか胸に思いが当たる。 もう一つは生活態度。「すべては小説のために、云々…」 読んでるだけで気持ちがよくなる。
「ユリイカ」では今年の中原中也賞が発表された。 三角みづ紀さんの詩集が獲得。 この方はずっとユリイカに投稿を続けていた方のように記憶している。
と、以上立ち読み。 今日から次の創作を始める。
(一次審査通過の通知がきた)
ライヴドアの堀江氏の動向が毎日、テレビを賑わせている。 彼はいわゆる「IT革命の寵児」だ。 彼だけではない。ぼくがブログを置いているアメブロもドリコムも、その創業者は新聞の経済面で取り上げられるITの旗手である。
資本のシステムや戦略についての感想はこれといってない。ただ粛々と事は進むのだろうと思う。
ぼくが気になったのは堀江氏の日記である。 当然、彼もブログを運営していて、日記の更新をしているのだけれど、過去に遡っての「日記」がテレビの画面に何度も登場していた。
それを見ているうちに、昨日読み終えて、今、もう一度細かく振り返っているブルース・チャトウィンの、エルンスト・ユンガーに関する、ある一行がとても気になりだした。
『すでにこの時彼は、全体主義のもとでは、日記形式が唯一可能な文学表現である、と確信していた』 という一行である。
エルンスト・ユンガーは第一次、第二次の両世界大戦を兵士として戦ったドイツの作家である。第一次世界大戦における輝かしい戦歴ゆえに ヒトラーに批判的な態度を取りつつも投獄はされなかった。だからといって彼はナチスの暴走は止めなかった。ひそかにヒトラーに抵抗する意志を持ちつつ、ヒステリックな態度から一番遠いところに彼はいた。 もっと冷徹な目で20世紀を見ていた。
そして、チャトウィンの引用を読む限り、日記には自己の複雑な思想と態度が美しい散文で書き込まれている。
彼は軍籍に復帰し対フランスのジークフリート戦線に赴く。上の抜粋はその頃のものである。そして彼は日記を書いた。残虐な処刑の描写も彼の日記にはある。 彼の『日記Ⅰ-Ⅲ』はその後フランスで出版され、大反響を呼んだ。 (ドイツ文壇からは締め出され続けた)
全体主義体制下での作家たちのあり方は日本でも戦後すぐに問われたものであったと思う。 実際に戦闘行為を担い、生きて帰還して人たちの言葉は重い。単純な一つの考えにも経験にも収束され得ないものである。 一方、国内にいた「大人」はどうであったのかという問いも、いまだに有効だと思う。
経験は違うけれども、いままた同質の危機感が覆っていないか。 不意にそんな気がした。
多くの人がブログに日記を書く。昔と違うのは「公開」ということだ。「繋がる」ということと。
静かな夜です。 コルトレーンとハートマンを聞いています。
きょうはブルース・チャトウィンの感想文を書きました。
ずいぶん気温も上がり、パンジーやビオラが咲き誇り、薔薇の新しい葉がどんどん出てきています。 今日はレモンの鉢替えをしました。 食べていたレモンの小さな種から発芽させ、鉢を移しながら大きくしてきたのですが、現在の鉢では小さすぎ、 土を換えるのにあわせて鉢も変えました。
鉢の中はものすごいことになっていて、細かな根の塊になっていました。 小さすぎたなぁ。 今回のは相当大きいですから、当分これでいけます。
枝の先が弱っている部分があって細かく剪定もしました。 切り口からはレモンの香がしました。 花が咲いてくれればいいんですけれどね。
果実は種から発芽して苗になり、それから植えても桃栗三年柿八年というように、実が獲れるまで時間がかかります。 園芸店の苗は、すでに何年か栽培されてから出荷されていますから、わりと早く獲れますが うちのは実生ですから、時間がかかります。
丁寧に育ててやらなければ。
2005年03月26日(土) |
果てしない物語、そして「金魚一同」 |
「果てしない物語」とは、ミヒャエル・エンデの作品だけれど、その「文字通りの意味」として、今読んでいるブルース・チャトウィンの小説に捧げたい言葉でもあります。 ほんとうに「果てしない」。まだ読んでいます。
今日は「金魚一同」という超短編を書きました。 くどいようだけれど「超短編」の由来は村上春樹さんのSudden Fictionの訳語からいただいています。
昨日、手に入れた「マウント・シャスタ」という白薔薇。名前の由来を調べてみました。 すると、カリフォルニア北部にある、なんとエネルギースポットとして有名な山でした。標高4317メートル。 画像で見ると真っ白に冠雪していて、なるほどこの白さから名前が付いたんだな、と。 で、たぶん作出したロザリアンはニューエイジかネイティヴアメリカンに造詣の深い方かな、などと想像をふくらませています。 それにしてもそんな名前の薔薇だけが売れずに残っていたのも因縁を感じます。
今日はU2のHOW TO DISMANTLE AN ATOMIC BOM を聴いていました。 去年久しぶりにリリースされたアルバムなんですが、いいです。 DVDもついていて、これもいい。
植栽は「朝倉山椒」が届きました。 立派な苗です。
わりと暖かなままに一日が過ぎていって、夕方にシャワーのような雨が降りました。風も強かった。 少し冷えてきています。
今日は山下洋輔さんの「KIZASHI`04」について書きました。 綺麗なピアノです。
富樫雅彦さんのことは、これからも書く事があると思います。
昼間にこの冬、売れ残った薔薇が市内の各園芸店で一斉にバーゲンセールにでたという情報をキャッチ。 まあ、なんということでしょう!気がつけば売り場に立っているという…。
白薔薇の「マウントシャスタ」を購入しました。 むふふ。楽しみです。
菜種梅雨の様相を呈しています。 桂川で咲いていた菜の花は鮮やかだろうなあ。
ずっとブルース・チャトウィンを読み続けています。 アメリカ以外の国の若手男性作家ではエルベ・ギベール以来です。 彼も、そしてこのチャトウィンも若くして病で亡くなりました。
日本にも若くして亡くなった才能溢れる作家がおられます。チャトウィンの次はその方を読みます。
地下鉄サリン事件10周年を期しての「状況論」が様々に語られているけれど、肥大化したヴァーチャル空間の自己を担いきれずに精神が破綻する人の存在は次の「オウム」の種のような気がします。
音楽はジャズを一枚、発注。
外で面倒を見ていた猫たちの、最古参にしてボスだったトラが亡くなった。 片眼で、とにかく優しい猫。産み捨てられた子猫たちが母猫と勘違いしてお腹をまさぐるのを、好きにさせていた姿をいまでも覚えている。
父親のナリ譲りで、喧嘩が強く、みんなに慕われていた。 野良猫の平均寿命は2年だというけれど、トラは6年は生きた。 さすがに今年に入ってがっくりと老いが目立ちだし、テリトリーの巡回を止めて我が家の近くにじっとしだしたときから覚悟は決めていたけれど、 さすがの大往生でした。
前に死んだ野良もそうだったけれど、亡くなる寸前にやっと抱くことを許してくれた。トラには、ほんとうにご苦労様と声をかけた。 よくがんばったね。
久しぶりにロードレーサーに乗る時間がとれたので、桂川をずっと南下した。堤防の横の家で、早いところではもう桜が咲いていた。
河原いっぱいの菜の花や、薄く色づき割れそうな桜の蕾を見た。 桂川は水量も多く、水が青かった。 犬たちは走り、野球と日向ぼっこ。平和そのものの風景。
帰ってから、朝、考えた詩を原稿用紙に書く。そのまま投稿。
昨日からシャーデを集中的に聴いている。 特にlove deluxeとlovers rock。それとlovers live。 本はブルース・チャトウィン。
来日していたアメリカのライス国務長官は飛び級に飛び級を重ねたほどの「天才少女」であったといいます。 そして実はピアニストを目指していたというのも有名な話。 それがブラームスで挫折し、そこでピアノから国際政治学へと方向転換を果たし、現在に至っているわけです。
ピアノの演奏は趣味として今でも熱心に続けていて、現在はドボルサークの四重奏をよく演奏されるとか。 ライス女史といえばアフガンからイラクへと戦争を断固遂行してきた強硬なタカ派のイメージが強かったので、温かなドボルザークとはなんだかイメージが合わないようにも思えます。
裏を返せば「だからこそ」なのかもしれません。
さて我が家のドボルザーク。 ジャズベースのロン・カーターのコンボのものがすぐに頭に浮かびました。それと、たしかバイオリンの五島みどりさんのがあったはず、と探しました。 ここのところ聞かなかったなと、ちょっとCDにお詫び。
「ENCORE!」というタイトルで、スラヴ舞曲が収められています。 全28曲のうちドボルザークはこれだけ。 微かな哀愁を帯びたメロディーを久しぶりに聴きました。
この作品は五島さんとロバート・マクドナルドのピアノと、二人だけの演奏で、シンプルでとてもいいです。 いわゆるアンコール・ピース、つまりアンコールで演奏される短めの曲が集められています。1992年の作品。 そういえば彼女も「天才少女」として賞賛を浴びていましたね。
そんな但し書きなしでも素晴らしいヴァイオリンです。 ドボルザーク繋がりで、五島さんのヴァイオリンを久しぶりに堪能。 この人の演奏を聴くと、ちょっと離れられなくなるんです。くり返し聴くはめに。
そうそう、いけない、いけない。 今日は「ラヴァーズ・ロック」を書きました。
昨日の夕方、「種苗タキイ」から「花柚子」の苗木が二本、到着しました。 大きめの鉢はもう用意していて、あとは指定された用土をつくるだけ。 用土は赤玉土5割、腐葉土+肥料3割、砂2割。
家では古い土にEMを混ぜたものを冬の間、ずっと寝かせておいたのでそれを使用。赤玉土だけ購入しました。
今朝は快晴。送られてきた苗木から水苔を全部はずし、大きなバケツに水をはり、その中に二時間、根をつけておきます。 その間に鉢の準備。薄く鉢底土をいれ、その上に用土を。それから水をたっぷりと吸った柚子の苗木を植えました。
とにかく鉢が大きいので土が予想以上にかかりました。それから指定通り高さ40センチのところでカット。 いちばん日当たりのいいところに二本並べています。 うまく育ってほしいです。実が出来るのは3年後をめどにしています。
次に来る苗木は山椒の木です。これは来月きます。
文章は「身体から革命を起こす」甲野善紀/田中聡 著の感想文を書きました。 実はこれを書いていて思ったのは、フリージャズのことでした。
美しい文章に出会うと、とても幸福な気持ちになります。 ジャズピアノのいい演奏を聞いた時のような気持ち。
きょう、そんな気持ちを味あわせてくれたのは、詩人の堀江敏幸さんのエッセイでした。 「暮らしの手帖」14号、80ページの1ページだけのエッセイ。 タイトルは「アイロンと朝の詩人」。 詩人のなかに、詩が立ち上がる様子が美しく描かれています。
「あいうえおもの図鑑」という記事の最後についていたのだけれど、この企画もとてもよかった。 アタマの言葉に繋げて「もの」をあげ、それに連なる文章がつづられています。 今回は「あ」がアイロン、「い」が椅子、「う」が運動靴、「え」がエンピツ、「お」がお玉。 アイロンでは、村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」の「僕」が紹介されていて、あ、そうだったと思いだしてなごんだり。 そういえば村上春樹という人はアイロンが似合う人だなとも思ったり。
エンピツにでてくる故花森編集長のエッセイもよかったです。
そういえば「暮らしの手帖」という本の文章は、どれも見事です。 読みやすいし、品があるんです。
ところで、「暮らしの手帖」に連載されている小説、「それからはスープのことばかり考えて暮らした」って、いいです。 吉田篤弘さんが書いています。
一日、雨が降っていました。 今日昼過ぎに「ラジオ」をアップ。
ラジオ放送は素材としてFMよりもAMのほうが豊かなような気がします。生活の話題が提供される場として。
それと、並行して読んでいる「超短編小説集70」からも刺激を受けました。村上春樹さんが訳しておられて、それで手にしたんですが、面白いです。
短編、といえばゴザンスの800字を書くときに、参考に読んだのは夏目漱石全集でした。漱石にも吉行さんにも素晴らしい短編があります。 そのあたりをおさらいしたのかな。 だけど、やはりアウトプットをさぼると錆びてきます。何でもいいから書いたり考えたりしていないと。
ところで今年の現代詩の「H氏賞」は京都の山本純子さんに贈られました。 彼女は紫野高校の国語の先生です。 「師匠」は亡くなられた川崎洋さん。 紫野高校は卒業生が芥川賞(綿矢さん)、先生がH氏賞と文学最高の賞を近年、勝ち得たことになります。
山本さんも投稿から認められた人です。 投稿を続けている仲間がぼくにもいますけれど、毎月続くたくさんの公募の中で自分の好きな詩人の方が選者をしているものがあるのなら、 その人に読んでもらい、評を戴くだけでも価値はあります。 投稿は続けたいと思います。様々な実の結び方がありますから。
春の雨で薔薇の新しい葉がどんどんと繁りだしました。 命の春です。
春です。何とも暖かになりました。明日は雨で、そのあともう一度寒波が来るようですが、寒波と言ってももうそれほど酷いものではないようです。
春らしく、新しいインプットすべきものがたくさん現れてきています。 本です。 いつもは音楽から始動していくんですが、今回は本。 それもアメリカの本が多いです。
詳しくは感想文を書きながら、自分の作品にも反映させていきたいと思っています。 音楽も始動していて、クラシックとフリージャズが中心。 フリージャズは出来不出来の落差が激しいジャンルなのですが、そのぶん得るものも大きいです。 クラシックはドイツを離れます。
とりあえず今、超短編を推敲中。近々アップします。 最低、週にに一つは書きたいなあ。書けるものなら毎日でも書きたいです。
天気予報によれば、明日とても暖かになり、しばらく寒波はこないようだ。 たぶん来たとしてもそれほど冷え込むことはないだろう。 線を引くのなら明日がそうかもしれない。春と冬と…。
気持ちの中ではもうとっくに春なんだけれど、朝晩の寒さが残骸のようにあったから。
今日は少し大きめのCDショップを覗く。もうほとんどネツトで注文しているから、たまのショップでのお目当ては、古いマイナーレーベルのものか 全く新しいインディーズか、輸入盤。
思いもかけずポール・ブレイが一枚だけあった。アントニオ・カルロス・ジョビンの古い見たこともない盤がリマスターされてでていた。 京都では(ぼくのいく店では)「くるり」が強力にプッシュされていて、派手にディスプレイされていた。 目が回りそうになって、ブレイもジョビンも買わずに帰る。
江國香織さんの「泣く大人」、読了。この人の文章を読むと「書きたい」という気になる。リズムのツボにはまるというか。 なぜだかわからない。不思議。 男性の作家ではあまりない。村上春樹さんの文章でも「書きたい」という気にはならない。
角田光代さんのデヴュー作を読み始める(「幸福の遊戯」)。そして文庫本主義者からレベッカ・ブラウンを強力に勧められる。 レベッカ・ブラウンは絶対に読みたい作家。 そして京都新聞で松村栄子さんの記事を読む。1992年の芥川賞を獲得された。中学、高校と福島県におられたそうだけれど、 今は京都で暮らしておられる。もう長いのかな。
ゆったりしたペースで書いておられるようだ。実は昨年、京都新聞に連載小説を書かれていてそれがマガジンハウスからでている。 エンタテイメントこそ小説。小説は読んで面白いものでなければ、という信条をお持ちの松村さんだが 「純文学を書く」、と宣言されていた。
さて、なにを読むの、と文庫本主義者に聞かれて 「自分のを書く」、と答える。
たぶん明日、ポール・オースターが届く。 そしてディーリアスがそのうち届くだろう。 いつも音楽から閃きをもらうことが多い。ディーリアスよりも実は今日見たポール・ブレイの、ジャケットの眼が気になって仕方がない。
ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」をテキストにしようとも思っている。 テーマは「自由」。
雪模様でぐずついた夜があけて、朝から晴れ渡りました。 気持ちがよかった。
今日は「夜の波」という詩を書きました。
音楽の方はディーリアスを聴くことに。I氏からの便りで聴きたくなりました。 梅は散りだし、桜まで沈丁花の香りが漂う街になります。
最後の寒波になるのかな。 雪が激しく降りしきった冷たい一日。 椿がそろそろ花を咲かせ始めています。
梅、沈丁花、椿…。桜まであと半月。
沈丁花の蕾が綻び始めました。画像では一つだけ咲き始めています。 今日は 「巡礼者たち」 エリザベス・ギルバート の感想文をアップしました。 音楽はカルロス・ジョビンのInsensatezばかりリピート。
本を読みつつ、次のものを書き始めました。 併読しているのは江國香織さんの「泣く大人」。とてもおもしろい。 「泣かない子供」というのもありましたね。
ポール・オースターの文庫を注文。 オースター、好きです。
新聞にまたしてもブログの特集記事が。 日記とホームページのスタイルは急速に下火になっているとのこと。 「コメントなしのトラックバック」で横繋がりになっていくことが気楽だしいいのかな。すぐ出来るし、何人とでも出来るし。 もう一つ大事な要素もある。 それは秘密。それでブログにしている人も多いと思う。
まさに春雨。 しかし、明日はまた寒波が来るという。 居座るものではないと思うけれど、体調に気をつけないと風邪をひきそうだ。
アメリカの作家の短編集と大江健三郎さんの本を併読中。 「書き言葉」について考える。
パット・メセニー、カルロス・ジョビン、…。 バンブー茂を聴く。 結局、忘れることが出来ない曲が手元に残された。 それだけでも彼たちと彼女に感謝しなければ。
2005年03月10日(木) |
Wheel Smith |
今日はパンク修理わしました。 バルブ付近がやられてました。 チューブはTIOGA、タイヤはパナレーサー、と一時期の何でも欧米からアジアにシフトしてます。 アジアのメーカーもいいものを作ってますから。
ただホイールのスポークだけはWheel Smithのものにしています。このスポークは剛いです。 プロ仕様。 過酷なレースで使われているだけのことはあります。
すっかり春です。 まだ寒波は来るみたいだけれど、日照時間がどんどん伸びているのを実感しています。
昨日は全力で婦人公論への投稿を書き上げて投函。 何も書く気になれませんでした。 今日は京都新聞に出ていた「新進作家」に関する記事への感想と、パット・メセニーの新譜の感想を書きました。
朝、花の手入れをしていると、うちの近所で絵を描いておられる女性から突然話しかけられました。 なんと「光函」を読んで頂いたとのこと。素敵な感想をいただきました。読んでいただいたうえ、褒めて頂き、素直に嬉かったです。 近々、京都市美術館へ作品を搬入とのこと。展覧会、成功しますように。
朝は冷え込んだけれど、昼間は結構、気温が上がりました。 もう一息で春です。もう春かな。三月だし。 画像は左大文字。夏には送り火があります。
思ったより天気もよく、暖かでした。 風は強かったけれど。 フランスの作家アンナ・ガヴァルダの短編集「泣きたい気分」の感想文をアップ。 彼女、去年東京に来ているんですね。 村上春樹と宮崎駿が大好きという女性作家。 日本の印象が作品になることでしょう。
一日遅れましたが、村上春樹/佐々木マキ著の「ふしぎな図書館」の感想も書いています。
エンピツのアトランダムの検索で たまたまある作家の方の日記に行き当たり、 ずっと、とてもいい感じで読ませてもらっています。
ほんとうに「日記」。 その人がネットで書いているのはそれだけ。
さて、昨晩の天候。大荒れでした。 どうなる事やらと思っていましたが、 穏やかな一日でした。 寒さは仕方ないですけれど。


早朝に降っていた雨が、午前十時にはあがったので竹林さんの個展に行くことにしました。 うちから自転車で出発。今出川通りを東へ、お茶の千家さんのある小川通りを南下。 楽焼きの楽さんの家と楽美術館を右手に見ながらさらに南下。 丸太町通りにホールがありました。ちょうどオープンの11時寸前に到着。
貸しホールなのでよもや、と思っていたら案の定誰もいません。ホールの受付の人もいない。 大事な絵やカウンターの中のiMACが紛失しても誰も気がつかないだろうなあ、などと思いながら、一人で堪能。
ホール内は白い印象の地にポートレートが描かれたもの。色はありません。黒い線のみ。 というか、背後に立ち上る淡いオーラのような炎のような「空気」に微かに暖色系の色が浮かんでいます。 あまりに淡いのだけれど、逆にとても目をひいて気になり、この色を後からなんども眺めることになりました。
そして、ホールの四面の壁に同じ大きさのポートレイトがずらりと並んでいます。その数40人。 人のいないことをいいことにいろんなところでポジションをとってどう見えるか、観察しました。 真ん中に立てば40人に取り囲まれたことになります。 視線が刺してくるかな、と思ったんですけどそういう絵ではないのです。
近寄って一人一人、竹林さんに写し取られたその人の内側を味わっていく絵。 その味わいのすべてを足したものがホール中央に立てば感慨としてじわりとくるのです。これは得難い体験でした。
ポートレイトには氏名と年齢と職業が書かれています。 鉄工所、整体士、大工、瓦職人、webデザイナー、高校生、主婦、ガス配管工、格闘家、 客室乗務員、美容師、ガソリンスタンド経営、秘書、農業、陶芸職人、カメラマン、釣具店、生コン、設計士 ギター奏者、文化財修復、反物を扱う人、ベンチャー企業家…。
それぞれが丹念に書き込まれた「まなざし」でぼくを見ています。 この人のこの表情の裏に「人生」という言葉で簡単に言うことがもったいないほどの、膨大な生活と時間があるのだということを とても感じさせられました。
ホールの一角には黒いソファが置いてあって、そこから俯瞰するように眺めていると「瓦職人の竹林さん(ご本人じゃないですよ)」の目が光った気がしました。 その時思った事。
竹林さんが切り取った「まなざし」。40人。 それぞれの過去がこの表情に繋がったのだろうけれど、次の瞬間の「まなざし」や表情が未来を決めている、と感じたのです。
「今」というのは絶えず更新していて、この絵の次の40人はどうなるか全くわからない。 ただ運命は度外視するとして、自由意志は確実に「今」を決定していて、決定した「今」が即座に次の「今」を決定していく。 そうやって時間も生活も背後へ流れていく。だからこの絵たちはある「今」の集合体であって、この渦の中に竹林さんもいるのです。 見るぼくらはそのなかに放り込まれる体験をするわけですね。
自分もまた、人たちと時間を共有し「今」を紡ぎながら生きているわけで、そのことを強く意識することが出来ました。
「生きている」ということに一種の覚醒をもたらしてくれる「装置」としての会場でした。 そうホール全体が作品、と考えるべきだと思います。
そのホール、無人のまま後にしました。 考えてみれば数十分、全く一人で体験できたわけで、これは希有なことです。幸運でした。
竹林柚宇子展 3月12日までやっています。入場無料。 午前11時から夜の7時まで。日祝は休みです。 石田大成社ホール:京都市中京区丸太町小川通り西入ルITPクリエイターズビル3F
竹林さんのプレスリリースから。 『身近な人を描きます。
描写することでその人の存在がより現実味を伴って浮かび上がってきます。 目に映る外見より、表情ににじみ出るその人の内側に惹かれます。 同時代を生きる人たちのまなざしに興味があります。』
ぼくからのお薦めポイント。 ホール全体を「装置」だと思って見てください。 不思議な感慨に襲われる…はず。
画像はポストカードとプレスリリース。 プレスリリースにはメモがぎっしり…。
●読書感想文を書きました。 「進化しすぎた脳」です。まさに恐るべし脳のキャパシティというところですね。In Paradisumへ
●次に書くもののノートをまとめていました。 詩があと、もう少し。
●友人がコダックのデジカメを買ったのですが、使用法がわからない、と。 なんとか説明しましたけど、最初は扱いにくいですねえ。 ソニーの方がずっと簡単。あとガイドがお粗末。 性能は良さそうなんだけどもったいないな。
●毎日書いていく、掌編小説の準備中です。 あと初めての長編の準備も。一応250枚を超えるのが目標です。
●京都での竹林柚宇子さんの個展に近々行く予定です。 あと、「光の魔術師」、ぼくの大好きなフェルメールが神戸に来ます。 カラバッジォのレプリカも見たいし…。絵画づいてます。
京都の桜の開花予測が発表されました。3月31日だそうです。 またあでやかな花の季節ですね。
今日は黄色のプリムラジュリアンを128円で購入。 クモマソウの上に置きました。 花なんて安いものです。昼ご飯を少しセーブすれば、黄色い美しさが手に入るんですから。 しかも何ヶ月か先までね。 住まいのフロントラインは白と黄色という組み立て方、今のところ順調です。
ところで、いまテレビで時々放映されているリーバイスのCMをご覧になった方も多いと思うけれど、 浅井氏かっこいいですね。 存在感がある。 浅井氏とは浅井健一氏のこと。ブランキー・ジェット・シティというよりAJICOの、といった方が今はいいのかな。 AJICOは果たして再開されるんでしょうかね。
CMでは黒のレスポール持ってたけれど、浅井氏はやっぱりセミアコの方が似合ってる。 レスポールもセミアコだけど、もっとボディのでかいやつ。 セミアコが似合うといえばROSSOの千葉君もだね。 この二人のロックンロール、好きだなあ。
北爪道夫さんについての感想をブログに書きました。In Paradisumへ
日本の現代音楽の作曲家で武満徹さん以外、ぼくは北爪さんをよく聴いてきました。 とことん絞り込まれた音の質と配置が好きです。精神性も、とあえて書いておきましょう。
ブログに書き忘れたデータを書いておきます。
北爪道夫オーケストラ作品集 FONTEC FOCD2514 演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
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