散歩主義

2004年08月30日(月) 台風の夜




はるか遠くの台風に引きずられた強風が空をかけていた一日でした。
台風は今、たぶん島根県のあたりにいると思います。(午後9時25分)。兵庫県の西部がさっき暴風圏に入りましたから、こちらももうすぐでしょう。雨が激しく降っています。

強い風の置き土産。ローズヒップ、薔薇の種です。
近所でダルメシアンを飼っているおうちがあって、そこのフェンスにツル薔薇が枝を伸ばしていて、毎年たくさんの花をつけます。一季咲きなので、原種に近いローズドメか、ひょっとしたら中国の原種リージャンロード・クライマーではないかなと睨んでいたのです。

強風のせいで実が道に飛ばされてました。ほんとうは赤くなるはずなんですが、まだ少し早いかな。だけどもう爆ぜている実もあったし、これをしばらく置いて、発芽させて見ようと思います。
うまくいったら紙のようなピンクのツル薔薇が咲きます。実生の植物は強いんです。悪条件の天候や害虫にも。実からやるのは初めてなので慎重にやってみます。

さて、卒業制作の第二弾は「ジル」です。
800字のいちばん最初に書いた作品。出されるお題もその当時は一つのテーマでした。これを書いた時は「ヨッパライ」です。
体裁が整い次第アップします。

今日から吉行淳之介さんの「夕暮まで」を読み始めました。ただただ巧い、のひとこと。ほかの著作をほとんど読んでいたのに、つまらないこだわりで読まなかったことが、ほんとうに悔やまれます。
「驟雨」や「砂の上の植物群」などと並んで、吉行さん代表作の一つであることには間違いありません。

つまりはポルノグラフィティーとしてしか読めないかどうかということでしょうね。
うーむ読者を問うてくる、というか読む人を選んでいる気もします。きみはどこまで読めるかな、という感じで。

やっぱり吉行さんの文章が好きですね。
クレーの絵と吉行さんのこともゴザンスに書いた事がありますが、まさに「絵を描くように」書かれているんですよね。

このことも最後に読書感想文が書けたとしたら、書いておこうかなとも思います。


ものすごい雨になってきました。
ではでは。



2004年08月29日(日) 今後について

台風の余波で風がとても強い日が続いています。
まだ緑色のどんぐりが枝葉もろともにちぎれて道に落ちていました。
台風はどんどん西へ流れて、九州から回ってきそうです。

天気予報を見ていると東京のほうは気温がずいぶん低いようです。
もう秋ですね。

ゴザンスの編集部が解散するにあたり、これからの自分のモノカキの方向を考えています。おもに800字とテーマがなくなります。これだけでも大きいです。
気がついてみれば「書くこと」の大きな柱になっていたんですね。最初はずいぶんとまどったのですが、結局これが自分を鍛えてくれていたのです。それは明白ですね。

これから自らのテーマにこだわって書いていくことになります。元に戻る訳です。ただ、クリティックの基準がないことに慣れる必要はあるでしょうね。それこそが実はいちばん厳しいところかもしれません。

「西原文滴堂」というライターページは消滅するわけだから、作品をどこかに収納する必要があります。バックアップはとってあると思うのだけれど、まだのものはバックアップしなければなりません。それをサイトで公開するかどうかも要検討です。
ふたたびサイトのコンテンツがどーんと増えるかもしれません。
そして、これから作品はブログで発表していくと。

日本ではブログのスタイルが欧米のようにはいかないという指摘もあって、どうしても日記ページ(つまりこのエンピツのような)が圧倒的に支持されているのが現状のようです。

だからブログというのは、文芸作品だとか画像のような特記すべきことがらで構成されているものに向いているのかもしれません。
ぼくがもうひとつ運営しているWALKXWALKというブログのホストのサイトを見ると、それでも圧倒的に日記が主流ですけれどね。
日記でもブログだと記事ごとにコメントがつけられるのが大きいです。「掲示板」よりも機能的だと思います。

だからサイトとブログの二本立てで、徐々にブログをメインにしていったほうがいいかも知れません。

それと日本のネットの利用のされ方は、欧米や韓国などと比べてもイマイチなんですよね。日本はなんといってもケータイが凄いから、ネツト文化よりもケータイ文化のほうがはるかに発達している気がします。

となると結局、「紙」かな…。

ゴザンスに書き始めた新年のコラムで、exposureという言葉をつかいました。あらゆる意味でスピードにあふれたネット上のやりとりは、これまで隠れていた表現者や表現をあぶり出しにする、と。

ゴザンスのページが閉じられていくということは再び夜が始まるということです。少なくともぼくにとってはそういうことになります。

文芸系のライター以外の人や、たぶんまだ若い(中高生)ライターたちのほうがずっと醒めた目で今回のできごとを見ているんじゃないかな。
あるいは苦々しく思っている人たちも多いでしょう。たぶんもう投稿をフリーズした人もいると思います。
だけどやはり、具体的な「場」よりも、「線」でつながっている「場」に方向を見たのだから。
見え方だけの問題かもしれません。

だけど「線」の先はあくまでも闇であること。
それは忘れないでおこうと思います。
江國香織さんがイメージされたような「活発な暗闇」であればいいのですが。




2004年08月27日(金) 卒業制作 その2 …玉三郎さんに学ぶ…




ゴザンスの卒業制作をアップしました。
編集部の指定は「気に入っているけれど書き足りない」ものを推敲、校正して書くようにとのことでした。だけど書いたものは完全に「書きなおし」。

800字小説で、指定された三つの言葉は使っているし、全体の題材もその時と一緒。だけど中身が全然違います。
でも、考えた結果、これをアップします。「ぼくなりの卒業制作」はこれから始まります。


そして今日、特筆すべきはビデオに撮っておいたテレビ番組「鼓童meets玉三郎」がとてもよかったこと。こちらにインスパイアされたというか学んだことがあって、そのことがいまだに大きく響いています。

鼓動とはいうまでもなく佐渡を拠点に「太鼓をうち、生活している集団」。その鼓童の、ひとつの舞台作品を坂東玉三郎さんが制作監督した、メイキングの番組でした。

それは2004年の公演までなんと2年間に及ぶ「御稽古」の様子を映し出していました。座学的レクチャーから細かな音の指示まで徹底していましたね。
そして最後に世田谷パブリックシアターでの公演のダイジェストも見ることが出来ました。

いまだに覚えているのは玉三郎さんの指導のシーン。
彼は「魂」という言葉を頻繁につかうのだけれど、語りながら魂が体からつきぬけていくという仕草をされるのだけれど、それをみただけで、本当に見えないものが見えた気がするのです。
「気がする」というのはたぶん本当に「ある」のだと思います。

それと「非現実とはなにか」ということの説明。
傍らの人に「あなたは生まれた時どんなだった」と、ふいに問いかけます。
問われた側は「えっ、ええーっと」といって頭を回します。
すると「それ。その頭の周りのもやっとしたもの。それが非現実なの」
あー、なるほど、と部分しか見ていないのにテレビのこちらで納得。

その「魂」を中心に据えて作品を見つめる姿勢に改めて感じ入ったのでした。
というのも玉三郎さんは例えば「娘道成寺」などを舞う時などにも「魂が引き寄せられる」といういい方をされます。

普段見えないものが、音によって、舞いによって呼び起され、集ってくる、と。そしてそれに「美しい」形を与えるのが舞いであり音であるのでしょうね。

「魂」を基底にすえて、しかも身の回りのことから表現を立ち上げるということもおっしゃっていて、だからこそしっかりとした浮ついたところのないスポンテニアスな舞いになるのでしょう。だからこそ全世界に通用するのだと思うのですけれど。

なにもことさらに「日本」を強調するのではなく、普段の立ち居振るまいから表現を紡ぎ出すこと。しかし、考えて見ればこのことのほうがずっと力業のような気がします。

と、いうことで今日の画像はヨーヨー・マのバッハ、無伴奏チェロ組曲のジャケットです。これはヨーヨーのアイデアで1番から6番まである組曲の一つ一つを庭園設計家、建築家、映画監督、振付し、アイスダンスのペア、などとのコラボレーションで制作したのでした。その5番が坂東玉三郎さんの舞いとのコラボレーションで、これはDVDに収められています。

これはCDですが、ヨーヨーと玉三郎さんが膝をつき合わせて打ち合わせをしている写真などを見ると、きっと「魂」について会話をしているんだろうなと思えてきます。
「魂」。忘れてはいけないですね。

そうそう鼓童で琴を奏でていて、最後に「木遣り」のようなヴォーカリーズを披露する女性。彼女がぼくの「温かい雨」にでてくる「登世子さん」のモデルの一人です。年齢はずっとお若いと思いますけれど。
信じられないほど若々しい「老いた女性」が、こんなかただといいな、と。



2004年08月26日(木) 卒業制作 その1

いよいよ今日から、ゴザンスの卒業制作にとりかかりました。
ぼく自身いちばん気に入っているのは「スミス、空なの?」と「こきん」ですが、この二つはもう手をいれようとは思わないので、手を入れるべき不十分だった過去の作品にしました。

で、それはもうできました。
タイトルは「薔薇水」といいます。
過去の800字小説のお題をそのまま使って、タイトルもほとんど同じで、たった今書き終えたところです。アップはまだにしておきます。

書き終えて思ったのは、この題は2002年にだされたものなんですが、自分の書くスタイルが大きく変わっていることです。
ずいぶんシリアスになったというか、視点が変わりました。

編集部からの題を「自分に」引き寄せて考えていたところから、題の「言葉」そのものに寄り添って考えるようになっています。
これは大きな変化です。「自分」なんてたいしたことないんです。言葉そのものから響いてくるイメージを大事にするようになっていったようです。

それと「光函」を作る作業の過程で、考えては書きなおす、集中した、貴重な時間をもてたこと。これはとても大きな経験になっているなと改めて気がついた次第です。

さて次は今回出された三題の制作に入ります。



2004年08月25日(水) GOZANSが変わります。

インターネットライティングスペースとして、多くのライターがその作品を寄稿していたゴザンスがそのシステムを大幅に変更することになりました。

ぼくもライターのひとりとして参加してきて、投稿した作品の数が190を超えたところでした。

おなじみの800字やコラムやレヴュー、詩や小説などの作品と百花繚乱の様相を呈していたけれど、それが大幅に変わります。

編集部の説明だとずばり、ブログになるとのこと。
ぼくがもうひとつやっているWALKxWALKのような形になるのかなと思います。

ゴザンスというメインのブログに登録して自らのブログを運営していくわけですね。
当然、トラックバックもあるし、リンクもあるでしょう。

最先端のBlogだと書いた記事がそのままメルマガとなるものもあるけれど、そのあたりがどうなるかは不明です。

ある意味、各ライターが独り立ちすると言うことだと理解しています。
わざわざトップページにアップまでしてもらっていた地点から、記事や作品の面白さで繋がっていくというところへポジションが変わると思えばいいかも。

ゴザンスというシステムに守られていた状況から、自らが自らを作り出していく状況になったということ。

「ネット的」といえばこれほどネット的なスタイルはないですね。
だから、今、あちこちに書いているものを編成しなおさないといけない訳で、それは自分のサイトをどうするのか、ということも含めて考えていかないといけません。

全部やめてしまう。というのも考えています。サイトは置いておきますけれど、もうフリーズのままにしてしまうわけです。

そして日々のことも全部ブログにぶち込むとなると、「散歩主義」もフリーズ。時々更新?。と、なるかも。

とまれ、次のゴザンスのメールマガジンが最終になるわけで。いよいよみんな卒業ということになるわけです。
最後のテーマも「卒業」がらみ。ゴザンスに書いたもので自分がいちばん気に入っているものを投稿、ということです。

しばらくはそちらのことに全力を傾けます。

イチローの200本安打ではないけれど、ゴザンスへ200本、原稿を投稿するというけじめのつけ方をしようかと。
たぶん今、192本です。あと原稿8本。
やってみます。



2004年08月24日(火) 「癒されて生きる」を読んで

ずっと読めないままだった本を読むことができました。
タイトルは「癒されて生きる」。作者は柳澤桂子さん。生命科学者です。

「癒し」という言葉が、紙や電波の上を活発に飛び交って久しく、この本のタイトルを見た時にぼくの友人は「またイヤシ?」と、ずいぶんはっきりと言ってくれました。食傷気味なんだけど、とか、言葉に手垢がついた、と。

たぶん彼の言いたいことは、とにかく「癒されたい」からといって、ベタな状況設定の物語に自分を投げ込んで半ば酔っておられるのでは、というような状態のことだと思うんですが、それを「癒し」とはぼくも思いませんけれども。

作者の状況を作者の言葉で説明すると

『一日中ベッドに身を横たえて過ごし、一歩も歩くことはできない。ほとんどのことに介護が必要である。食べ物は喉も食道も通りにくくなってしまつたので、流動食と中心静脈への点滴で栄養を補給している。
手が疲れて口へ物を運ぶことができない。排泄障害もある。
体はこのような状態だが、私は横になったまま原稿も書けるしインタヴューもこなす。それだけしかできないというほうが適切かもしれない。』

さらに酷いのは病名も原因も一切が不明のまま30年間、病気が進行してきたこと。故にあぶり出されるように明らかになる、医師や人の「心無い」言葉や態度。
それに傷つき苦しんでこられたことが述べられています。
そして現在、病気はいまだに進行しているけれど、若き優秀な医師、友人、ヘルパーさん、福祉関係者、家族に支えられて暮らしている状況です。

この本は柳沢さんが発病から現在(1998年)までを振りかえり、「充実した死」を最終ラインに見据えつつ、どのような体験をし、どのように生きてきたか、その間に何を考え何を感じてきたか、率直に簡潔に綴られたものです。

マウスの発生に関する研究をテーマにしてきた科学者であり、現在もサイエンス・ライターでおられます。「だから」といってもよいと思うのだけれど、言葉は正確であり文章は論理的です。

語られるテーマは医学一般、大脳生理学、ターミナルケア、文学、宗教、音楽、と幅広く、それらの情報を、自らの考えで編みこまれた叙述が続きます。
特に「生きがい感」について、心理学と大脳生理学の実験結果から考察した章は読み応えがありました。

「生きがい」は年齢とともに変化するものであり、特に老齢であるとか著者のような病いをえたものにとって
「生きがいを求める心もまた、執着の結果であると思える」と主張される。

「しかし、年老いたときは、生きがい感に執着することなく、自らの価値も問うこともなく、この世でなんの役にも立たない自分を受容できるだけの包容力を身につけていたいものである」

次の部分が「生きる」ということを考え続けた著者のいちばんいいたいことなのだと思います。
「何の価値もない自分を肯定すること」
著者はここに行きつきます。凄い言葉です。

よく「癒す」という言葉はそれによって心身が回復し、新たな欲求の実現のために動いていこうという意味合いを持たされている気がしますが、もしあなたが身動きのとれない病であったのなら、まずそんな自分に「何の価値もない」と宣言すること自体が困難でしょう。
それを肯定するのです。

ではどうやって幸福感を得るのか。
それも脳内のシステムから考え、「自分に与えられたもの」のなかでより豊かに生きることを模索するしかないと結論づけます。
この言葉が前述の「身動きのできない状態」にある人から出てきた、ということに注目してください。

さらに模索は続きます。「動けない」著者は音楽や、本、絵画に親しみそれらを手がかりに、またベッドから眺める外界の自然の変化に鋭敏になりながら思索を深めていきます。
そして「ものに執着することが苦を生む」のだから執着を捨てるという認識に至ります。
それは「自分を無にする」ことだといいます。ただし、これは自己を消すのではなく、自己を超越するという意味あいが強いですね。
それは著者が引用するフロムの学説、エックハルトの主張などから組み立てられ、脳の働きに関する最新の情報がそれを補強しています。釈迦やキリストが述べてきたことでもありますね。

自己を超越することは、内面的な能動性を高めること。能動性が高まるということは「生産性」を高めるということ。その「生産性」とは何も新しいものを創造するのではなく、感性を高めるということである、と。それは心に安定をもたらし、幸福を感じることに繋がるのです。
ぼくは「日々あらたに感じるこころを生産する」と感じました。「象徴的な生産」ですね。もちろん言語化しても構わない訳で、柳沢さんは短歌を詠まれます。

そして著者は釈迦の「人生は苦なリ」という言葉に至ります。いかに自己を超えたとしても、人生は過酷なものであり、「生老病死」という苦に満ちています。だからこそ「人生は苦である」と受け入れてしまえば、逆説的に喜びに満ちていることが見えてくる、と。

「生きる」ということを追求してきた著者の思索は終盤に入り、死の考察に入ります。安楽死について、尊厳死について。痴呆について、終末医療について。
それぞれ「生きる」という立場から発言がなされています。
それぞれについて『いのちは宇宙におかえしするもの』というのが著者の基本的な態度でありました。

そして最終章で本当の癒しとはなにか、と著者は問いかけてきます。
ここはこの本の結論でもある部分をそのまま紹介します。

『しかし、医学にできることはほんの少ししかない。目の前の病人になすべきことをし尽くしてしまい、もはや何の手段もなくなったときにはじめて、医師も看護婦も他の人々も死にゆく人と同じ地平に立てるのではないだろうか。
 同じ無力な人間となって、人間の限界に涙するときに、両方の心に通い合うものがあるはずである。そのときにはじめて、苦しむ人、死に向かい合う人の孤独を癒す力が与えられる。
 宇宙の底になすすべもなく震えあう二人の人間。二人の間に流れる共感こそが宇宙に帰ろうとしているひとの怖れと寂しさを慰めてくれる。人間は生まれながらにして社会性をもち、社会性をはぐくみながら生きている。この世に別れを告げるときの究極の社会性は、みずからの貧しさを知った謙虚な人によってのみ満たされるものであると私は考えている』

なんと力強い宣言であることか。もはやこの先は言語の外になるのでしょう。
弱さを知ること。自分がいかに小さな存在であるかを知ること。そしてただその「人」がより添うこと。それだけが「癒し」とよべるのだと。

この結論へ至る壮大なマップを辿ってきたという実感があります。人は大きく、そしてとても小さい。自らを無にすることの知恵を、先人たちは歴史上に現れては「人」に告げてきたのだな、と。そんな感慨につつまれる本でもあります。


*尚、柳澤さんは1999年、新薬の投与により奇跡的に回復に向かわれました。
著書も多数あります。

「癒されて生きる」…女性生命科学者の心の旅路…
                     著者 柳澤桂子
岩波書店(1400円)



2004年08月23日(月) 激しい雨の午後9時

今日も一日が終わろうとしています。
ビル・エヴァンスのピアノで my foolish heart。
犬たちは昨日に夜更かしが響いて、早くもぐっすり寝ていて、猫たちもとても眠そう。

きょうは早く寝ます。
外は激しい雨。

 ところで、世界はオリンピック一色のようですが、インドネシアの一般の国民はテレビでオリンピックを見ていません。
 首都や大都市で衛星放送で見ている人が極々僅かいるかいないか。一億人近い国民の大多数はテレビでオリンピックを見ることができないといいます。
原因は、超高額な放映権料が支払えないため。

 たぶん第三世界の国々ではテレビがあっても新聞かラジオで知るしかないのでしょう。もちろんパーソナルにはコンピューターという環境があるから、それで見る人も極々僅かいるのだろうけれど、、、そう思うとオリンピックの映像を見ていない人口の方が実は圧倒的に多いんじゃないのかという気がしてきます。

日本という国は実に豊かですね……。

 昔、よく通っていた道の話。
ここを自転車で今でもよく擦りぬけるんですが、三条通りの堀川から千本までの間の商店街で、京都三条会商店街といいます。
長さは800mぐらいで、完全にアーケードになっています。
この商店街は信号がなくて、まっすぐなのです。

 午前5時ごろは通りには車もそんなに入ってこないし、人はほとんど歩いていません。雨降りの日にそこを黙々と往復して走る女性がいました。
 競技場のサブトラックが雨で使えなくなるので、雨降りの日はいつも。
 それが昨日、女子マラソンで金メダルを獲得した野口みずき選手でした。

 商店街の朝の準備をしている人しか見たことのない練習。その人たちが心からの祝福を新聞やテレビで語っていました。魚屋さん、豆腐屋さん、八百屋さん、、、

 彼女は三重県伊勢の出身ですが、京都のヒロインでもあります。



2004年08月22日(日) パオロ・ベッティーニ





アテネ・オリンピックの自転車競技。トラックのチームで日本初の銀メダル!!
初めて競輪選手がきっちりと強化合宿ができた成果です。
ほんとに、競輪協会も少しは考えてほしい。この合宿の間、三人のプロは無給になる訳ですからね。機材とか合宿の費用はもちろん自転車競技連盟が負担するけれど、レースに出場して生活費を稼いでいる彼ら、今まではだから合宿はおろか、そのために休むことさえできなかったんです。

やっと、若手の熱意に押されて休むことは許されたものの、「無給」。彼らは実質「自費」で頑張ったんですから。もし、競輪の協会が「競技」としての自転車レースにもっと理解を示してくれていたら、もっとこれまでメダルは獲れたでしょう。

それはさておき、ぼく自身の趣味でもある自転車のロードレース。こちらはもう全然駄目。歯が立たない。若い頃からヨーロッパで転戦する以外に強くはなれないみたいです。レースの数が圧倒的に少ないし、道路を走る環境そのものが日本は厳しいですからね。

ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリア。それにクラシックレースなんかをテレビ観戦していますが、アテネ・オリンピックのロードレースも放映されました。

アテネ市内の周回コースをぐるぐる約200km。暑さが半端じゃなくてリタイア続出のなか、優勝はイタリアのパオロ・ベッティーニ!!
日本にもなじみの深い人です。使っている機材がシマノという縁もあるけれど。日本で行なわれる国際レースでもいい走りをていた大ベテランです。

今年はベルギーのクィック・ステップというチームに所属し、ツールではエースの山岳王ヴィランクのアシストとして献身的な走りをしていました。
このチームはヴィランクはフランス人、ベッティーニはイタリア人、ほかにもベルギー人がいるというヨーロッパ混成部隊のようなチームでした。

オリンピックはもちろん国別の闘いになります。
ちなみに、イタリアのナショナルチームのユニフォームはどんな競技でも「ブルー」が基調で、サブとして「ホワイト」を使います。
自転車のは今年は「ホワイト」。パンツにブルーがデザインされていてシンプルでとてもお洒落なユニフォームでした。
それをまとったベッティーニの快走。まるでツールでの働きのご褒美のようでしたね。

ベッティーニは背が低く細い体です。ロードレーサーはなにより瘠せていることが要求されます。瘠せていてなおかつ心肺能力はたかく、筋力も要求されます。レースの流れを読むクレバーな頭脳も。
日本人と体型的にはほとんど変わらないんですよね。
自分の体にあった独特のフレームのスケルトンや鋼のような肺と心臓を作り上げるメソッドなど、見習うところはおおいと思います。

そして、なにより自転車に乗っていることが何よりも好きだということですね。

ちなみにシドニーのゴールドメダルだったウルリッヒは今回はドイツチームのエースでしたが、3位までには入れませんでした。
日本人は田代さんが57位で完走というリザルトでした。




2004年08月20日(金) カヴァフィス


(これが「てのひら小説」の全貌。詳しくはHOMEからblog NEROLIへ)


オリンピックアテネ大会も盛りあがっていますけれど、ギリシャには20世紀のヨーロッパを代表する詩人がいたことを池澤夏樹さんの文章で知りました。

名前をカヴァフィスといいます。
彼の詩はヨーロッパでは現代の文学的教養として重要なものだとか。
みすず書房から全詩集がでています。すこしばかり高価なのと、これと違う池澤さんの訳による詩集も来年には出るとかで、どうしようか躊躇しているところ。

だけどパラパラと知ったフレーズなどでは、悩める人に孤独に徹して自分を見つめよ、というメッセージがあったりして、今すぐ手に入れたい衝動に駆られています。
困ったな…。どうしようかな…。

「人」を思い、考える「詩」。あるいは「関係」を。
どんなに風景や神話や古代に素材を求めても、「人」が入ってくるかどうか。
そして日本での「詩」のありようはどうなのか。そして自分は…。
考えることばかりです。

今日、婦人公論9月7日号が発売され、詩のフォーラムで「朝の手」という作品が佳作になりました。だけどここ一ヶ月、二つから三つの書きかけの詩を前に悪戦苦闘中です。
うーん、なんだろう「芯」をきちんとさせたいというか…。風景から書き起こしているのだけれど人に行き当らない、というかまだ彫りきれない、という段階です。

そんなかで佳作、という知らせ。半分諦めていたので、嬉しかったです。
モチーフは引き続き言葉でつくる「版画」として書いたものです。
今、原稿用紙をひっくり返して読みなおしてみると、「人」がでていました。

やっぱりこれでいいんだ、と。思いなおしているところです。



2004年08月19日(木) 熱風の日



台風が対馬海峡を抜けて日本海へ抜けたために、熱風が日本を駆け抜けていきました。雨は四国で降り続き、近畿では紀伊半島の南東斜面やゲリラ的な集中豪雨が頻発。しかも降ったかと思うといきなり青空が現れたりといった出鱈目な空模様。
まるっきり現実感がなかったです。
夜に入って激しい雨が再び降り始めています。

そんな変な日でしたけれど、嬉しいことがひとつ。胡蝶蘭が開花しました。
もらい物から花が咲いたのは始めて。蘭は湿度と温度の管理が難しいからなんですけれど、いつにない高温とこまめな水やりが開花に結びついたようです。



それと街を歩いていてみつけた京都市のポスターにつかわれていた版画がきれいだったこと。外国の人の描く祇園の切り通しです。色からみて夕方かな。
京都というと和の色遣いやぼんやりした雰囲気がおおいのだけれど、くっきりとした色が新鮮でした。



2004年08月18日(水) 言葉のエッチング

京都新聞の不定期連載「文人往来」。「文人」が「文人」を語るコラムです。
ぼくが読んできたものは、ほとんど小説家による小説家の追憶というかたちでした。

今回は村松友視さんが吉行淳之介さんを紹介しておられました。
「驟雨」を読んで以来、吉行さんの本はほとんど読んできたんですが、「夕暮れまで」はまだ読んでいなかったのです。それを村松さんがテキストにあげておられたんで慌てました。…読まねば。

村松さんは作家になられる前、中央公論の編集者で、文芸誌『海』の吉行さん担当でいらしたのですね。
で、「夕暮れまで」は「夕暮れ族」なる流行語ができるほどの風俗として注目されていました。(だから、あんまり読みたくなかったんですけどね)
中年男性と二十二歳の女性との関係がずっと書き継がれた作品です。

それは13年にもわたっていろんな文芸誌に少しずつ書き継がれ、終盤が『海』に掲載されたんですね。

村松さんの言葉
『修飾語も少なく、語彙も少ない。吉行さん独特の言葉遣いによるエッチングみたいな作品です』

この「言葉遣いによるエッチング」という言葉に目が引き寄せられてしまいました。題材こそ違え、そのような方法をずっと考えていたので。

すぐに読んでみます。

村松さんの言葉
『こんな文章で吉行さんがやっていたことは、対象に対する微妙な距離感を場面や文章の中で構築することだと思う』

今、読んでいるのは平野啓一郎さんの「滴り落ちる時計たちの波紋』の再読。
庄野潤三さんを何冊かです。



2004年08月17日(火) 激しい雨の夜

今、午後10時ですけれど、ほんの一時間ほど前に淡路島に洪水警報が発令され、続いて避難勧告がだされました。
ちょうどオリンピックの中継を見ていて「気象情報」のテロップが流しっぱなしになっていました。

激しい雨を降らせている雲は、たぶん台風に刺激された前線の上を流れていて、さっきから京都でも強い雨が降り出しました。
雨の降り方が最近、極端になった気がします。

イギリス南西部でも大洪水が発生していて、ほんとにおかしいです。アメリカには巨大ハリケーン「チャーリー」が上陸して被害総額が一兆円!!だとか。
戦争やら政争やっている場合じゃないんじゃないかな。

本当に慌てる時が、やがてくるのでしょうか。

今日はゴザンスへ800字を投稿。「ポロポロ」を読んだ影響も少なからずあると思います。

こんな世界のなかでモノを書いていること。そのことは忘れずにいたいです。



2004年08月16日(月) 今年は大文字も見ずに…。

今日は五山の送り火。
今日でお盆は終わりです。
まるで暦にあわせたように朝晩がめっきり涼しくなりました。鳴いている蝉も、ツクツクホウシがいよいよ登場。ヒグラシはまだ鳴いていないけれど、夏も後半戦に突入ですね。

いつもは送り火を見て、画像を撮るんですけれど、外に出ることもできませんでした。ずっと犬の横にいました。

保坂さんの本を読んでから、古い現代日本文学全集を引っ張り出して、(もう30年ぐらい前の『現代文学』)小島信夫さんの「アメリカンスクール」を読みました。戦争に負けた直後の「匂い」がぷんぷんする作品で、日本のその時代の雰囲気を感じました。感じることのできる小説です。

終戦直後の風景の表現方法には、わりとステレオタイプのところがあるように思えるのだけれど、しばらくして占領アメリカ軍による統治が行き渡った時期の「日本人」。それも英語教師たちという設定が新鮮だし、おもしろかったです。人が浮き彫りにされて。

全集には吉行淳之介さんの見たこともないタイトルもあったんですけれど、思ったとおり「砂の上の植物群」の下書きのような作品でした。吉行さんの作品の作り方として、重層的に物語を積み重ねたり、繰り返したりしていくやり方があるのです。

オリンピックは、もうサッカーも負けたし、あとは陸上ぐらい。
本読んでるほうがいいです。
「雨月物語」を文庫で読もうかな。
それと海外の小説を文庫で読もうかとも思っています。

詩は二つ書き始めたところです。
ゴザンスの投稿はテーマ用に書いたけれど、ちょっと違うんでボツ。800字はこれからです。

今、聞いているのは、オスカー・ピーターソンの「NIGHT TRAIN」。
「夜のピアノ」として、いいです。特にBAG‘s GROOVE。
こないだ書いたソニークラークのトリオの演奏もさっき聴きました。これの「Softly as the morning sun rise」は絶品です。
また紹介します。



2004年08月15日(日) 「生きる歓び」を読む




保坂和志さんの「生きる歓び」を読みました。
表題作「生きる歓び」と「小実昌さんのこと」の2編と、長くて読み応えのある「あとがき」からなっています。新潮文庫です。

「生きる歓び」は捨てられた仔猫の「花ちゃん」を引き受けて、育てていくという作品。ぼく自身何匹も野良の仔猫の面倒を見てきましたから、うむうむとうなずくことばかり。
「赤身」がうちの場合「ササミ」というぐらいで、対応のしかたがまったく一緒でした。

……「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しくなんでも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起きることを、「世界」の側を主体に置くかぎり、簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。ミルクを飲んで赤身を食べて、段ボールのなかを動き回りはじめた子猫を見て、それを実感した……


読んでいて、まさに「実感」がわかりました。まったく同じ(というのはぼくの勝手な推測です)感慨をなんどもなんども思いましたから。

細かなことかもしれないけれど、こないだテレビの、たぶん10chの朝の番組だったと思うけれど、野良猫に牛乳を飲ませる牧場を紹介していたんです。
牧場主や従業員がなんだか、「ほほえましいこと」のようにして実演していたけれど、これを見ていてはらはらしてしまったんですよ。猫に牛乳は禁忌なはずなんです。成猫でもその場ではよくてもアレルギーをおこすのではなかったかのでは。
ぼくは素人判断の哀しさの最たるものとして「猫に牛乳」というのを教えられてきましたから。

特に幼猫に無理に与えたりすると、最悪死んでしまうと教わりました。そのためにわざわざ「猫用ミルク」が販売されているわけですし。

オカシイなと思ってみていたら、「最初にミルクを飲んでいた猫は?」と問われて「どこかにいっちゃったんですよ」との答え。
いや、それはたぶん酷い下痢になってしまったんじゃないのか、と。死んでしまったかもしれないんじゃないかと、ぷりぷり怒っていたのです。

あの番組を見て弱った猫や捨てられた子猫に牛乳をやる人がでたら、どう責任を取るんでしょう。これ、絶対間違った「情報」だと思うんだけどな。

話がそれましたが、「小実昌さんのこと」も読み応えがあります。こないだ書いた感想文は「物語」に関することばかりだったけれど、内容に踏みこんでの保坂さんの「感想」には頷いてばかりでした。
で、未読の「地獄でアメン」を読みたくなりましたね。とても。
保坂さんと田中小実昌さんとのかかわりも、静かに読みました。そうだったんですね、と。

で、充実の「あとがき」。これは「あとがき」というタイトルの小説です。ぼくにとっては。そのくらいの気持ちになるというか、そうでなければ読めないほど面白いです。
何度も読み返すことになるでしょう。

*「生きる歓び」 保坂和志・著 新潮文庫 ¥362






2004年08月14日(土) スポーツのお盆

昼頃から曇り空です。
高校野球の京都外大西と横浜の死闘。ワンサイドでこてんこてんにやられると思ってたら、西高の大谷投手が頑張って、とてもいい試合になりました。

横浜の湧井君なんて、あの球は高校生には打てないでしょ。スライダー、カットボール、145kのストレート。
サヨナラ負けしたけれど、とてもいい試合でした。
明日からは、横浜を応援します。

気になるのは今回の大会、みんな体が細いこと。がっちりしたのが少ない気がするんだけれど。

オリンピックも始まっていて、今日は柔道でいきなり谷亮子さんですね。男子の野村選手もともに金メダル。この二人はほんとに強いですね。

いちばんの興味はサッカーなんだけれど、やはりあるレベルを超えると厳しさというか冷静な判断が必要ですね。
自分の力に溺れないこと。基本に忠実である事。それを守るだけで、それこそ今日の大谷君のように、強打の横浜をあそこまで押さえる事ができるんだものね。

ピッチの芝の状況とか、そこでの全体練習ができなかったこととか、やはり言い訳だよなぁ、と。どの国にも共通しているんだから。

A代表もそうだけれど、厳しさの権化としての中田英寿を煙たがっているうちは、日本はあるレベル以上にはいけない気がします。
このオリンピック代表も「谷間の世代」といわれながらも、ひたすらに泥臭いプレーで必死に戦っていた頃の方が強かったですね。
収まりかえって勝てる相手は、どこにもないのに。

ま、そんなことをぶつぶつ言いながら、「ポロポロ」と「生きる歓び」のニ冊から受けた影響を、咀嚼しつつキーボードを打っています。
キーボードといえば、ほんとうにキーボード買わないと駄目みたいです。中古でいくらぐらいするのかな。




2004年08月13日(金) 解体

「ポロポロ」という本を読んでいると、自分がばらばらになっていくような感覚になります。
「くりかえすが…」という書きかたで、文字通り繰り返される、戦争のエピソードをつづった文章が、くりかえされるうちに、微妙にこちらの「物語」を突き崩してくるのです。

「物語」という言葉がキーワード。
「こちらの『物語』」とは、ぼくが本作を読み、言葉を受けとって、描く自分のイメージ像への「言い換え」です。コミマサ氏はその「言い換え」にとことん注意深く、あいまいさを許しません。

「物語」への執拗な疑い。物語ってしまうことで消えてしまう「事実」へのこだわり。そういう「物語性」を拒否した「物語」。あるいは言葉。
だから、結局「ポロポロ」としか言いようのないもの。
そこになにかある。いや、なにかあるのは「そこ」という事実を繰り返し繰り返し告げる短篇の連作なのです。

これを読んでしまうと、自分の文章を思わず読み返してしまいます。書かれたものを検証する姿勢になるというか。
*************************************

この原稿を書きおわってから、保坂和志さんの「生きる歓び」という文庫本を手に入れました。文庫本主義者が持ってきたのです。
薄い本ですから一気読み。田中小実昌さんと保坂さんのかかわりが丁寧に書かれていて、本当にあっという間に読みました。まして表題作は片目の野良猫のお話しです。読まずにはおられません。

嘆息と感嘆。
連続して凄い本を読みました。





2004年08月12日(木) ほんものの散歩者

読みながら、書きながら、であります。
読んでいるのは「ポロポロ」・田中小実昌さんと「目まいのする散歩」・武田泰淳さん。

二冊とも「ずんっ」ときました。「ポロポロ」のほうはただいま感想文を執筆中です。凄い本でした。

武田さんの本の「散歩」も、実は「ポロポロ」にも通じるものがあって、この作品がエッセイなのか小説なのか散文なのか判然としません。
ずいぶん古い作品だけれど、とても新しいです。
(「ポロポロ」はもっと根源的)

散歩を語る文章の特徴をいうと、いきなり内に向いていかないんです。常に「他者」が存在する。散歩道に自分がいて、他者がいる。その関係性がつねに意識にのぼり、そこから派生的に思考の枝が伸びて、最後にまた散歩道へ戻ってくる。基本的にはその繰り返し。

「他者」との関係のなかで自分があぶり出しになり、それを見つめる「自分」がいる。しかもその自分と他者の関係が時間と土地と記憶を巻きこみ、ラディカルな部分まで思考が広がっていくという。実は「壮大」な散歩です。

うーん、本に没頭といきたいところですが、こういう読書体験をとおしての作品づくりをしていこう、と。
「超掌編」というよりも「散文」?と、いうよりも「短文小説」をひとつ。舞台は上七軒です。もうひとつは「温かい雨」の第8回。これはゆっくり書きます。

その前にゴザンスの新しいテーマと「ポロポロ」の感想文を書きます。

頑張るべし!!!



2004年08月11日(水) N‘s jazz house  vol.7

N‘s jazz House vol.7
Cool Struttin‘/Sonny Clark




 ジャズには日本ではファンの間では「定番」と呼ばれるほど人気を博していながら、本国アメリカでは全く知られていなかったり、過去に埋もれてしまっているアーティストや作品があります。代表的なものとしてはバド・パウエルの「The Seane Changes/Ameizing Bud Powell」などがそうでしょう。このなかの「Cleopatra‘s Dream(クレオパトラの夢)」など、日本のジャズファンならまずほとんどの人が知っているし、聞いた事があるはずです。ところが日本に来日したある高名なジャズ・ピアニストがこの曲を知らなかったという有名な話があります。しかも彼がバドの熱烈なファンだったにもかかわらず、です。
 そして、もうひとつの典型がが今日紹介する「Cool Struttin‘」。ソニー・クラークの作品です。このジャケットなら見た事があるという人は多いだろうし、ジャズ喫茶で聞いたことがあるという人も多いと思います。60年代のジャズファンなら誰もが聴いていたでしょう。ところがこれもアメリカでは意外なほど知られていませんでした。今ではもうそんな事はありませんけれど。

 バド・パウエルはアメリカのジャズファンやアーティストの間ではその存在はあまねく知られてはいたものの、ジャズがバップというスタイル一辺倒だったころであり、情緒的なマイナーキーの曲は見過ごされたのでしょう。
 一方、やはりピアニストのソニー・クラークは当時のジャズのアーティストたちから、かなり注目されていたようです。僅かに残されたアルバムに集まったメンバーをみればその事はとてもよくわかるし、そして彼の作品もまた、とにかくスイングしまくるというバップから逸脱し、クールでアーバンな、当時で言えばかなり斬新なアイデアに満ちた演奏を展開していたのでした。

 ぼくがジャズ喫茶にせっせとかよい出した頃にはすでにブルー・ノートレーベルの国内プレスの許可は下りていたけれど、ぼくよりも一回りぐらい上の世代の人たちのころ、ブルーノートレーベルの国内プレスの許可は下りていませんでした。「聞き手を選ぶレーベル」だったのです。「ブルーノート」というジャズに特化したレーベルの自負やそことの契約アーティストになるということへの独特の「身構えかた」はいまだに根強く残っているように思えます。
 とまれ、先輩諸氏は高価な輸入盤でしかブルーノートのジャズは聴くことができず、おおかたのファンはそれをジャズ喫茶で聴くしかなかったのです。
 そんなブルーノートが全力で売り込んでいこうとした、若き天才的な才能がこのソニー・クラークだったのです。

 1958年の作品。(実は先述のバド・パウエルのものも同年制作です)
 お洒落なジャケットがいいです。この「足」はブルーノートレーベルの社長秘書嬢のもの。全体で4曲、37分。コンパクトなアルバム。曲もアレンジもイカしている。というか「あ、これがジャズ」と最初聴いて、ぴんときました。もう何十年も前になるけれどまだハイティーンでこれを聞いた時(70年代です)の第一印象はいまだに変わりません。

 参加しているトランペットのアート・ファーマーやアルトサックスのジャッキー・マクリーンといった大先輩も素晴らしい演奏を提供しています。で、ソニー・クラークの演奏の特徴はなんといっても「寛いでいること」と「メロディアス」ということだと思います。また曲そのものをとても大事にしていることも窺えます。一言で言えば「お洒落」。それも着飾っていたり、気取ったお洒落ではなくて、少し崩した大人のお洒落。強引なソロも、スイングを煽りまくることもない、まるで気の利いたおしゃべりでもしながら歩いているかのような感覚。少しダルで、茶目っ気があって、しかもスタイリッシュ。「都市」以外のなにものでもないイメージ。これは持って生まれたセンスとしかいいようがないですね。
 (クール・ストラッティンとは気取った歩きかたという意味があって、ジャズ流の読みかたをした演奏になっているわけです)

 さて、最初の話題に戻りましょう。それほどの彼が何故、アメリカでそれほど知られていなかったのか、ということ。新進気鋭のソニー・クラークに痺れたブルーノートレーベルはすぐに契約を結び、どんどんレコーディングをセットしていったのです。そして多くののテープが残り、それをチョイスしてアルバムを作っていきました。そして全てが順調に進行していた矢先、彼は急逝したのです。1963年1月13日、過度の麻薬使用が原因の心臓発作による死でした。そして全てはそこで永遠に止まってしまったわけです。

 とびきりのお洒落な作品を置き土産にして、さっさと旅立ってしまったソニー・クラーク。実は身を削るようにして取り組んでいたジャズの、なんと生き生きとした事か。
 今、書いているぼくの作品「温かい雨」に登場してくる「クール・ストラッティン」。よろしければ一度いかがですか。
 なお、ソニー・クラークには「ソニー・クラーク・トリオ」というもう一枚の名盤もあります。



2004年08月10日(火) 散文を書きました。

散文を書いてみました。
ゴザンスにアップしたものと同じです。

参考CD
サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード/ビル・エヴァンス・トリオ
(これは名盤「ワルツ・フォー・デビイ」と同じ日のライブの録音です。これから10日後、ベースのスコット・ラファロは交通事故によってこの世を去りました。)




【散文】 猫と犬とぼくの夕暮れ

 ある夕方、いつものように冷凍庫から一枚ずつラップされた鶏の胸肉一枚と2本ず
つラップされたササミをとりす。それから細長い陶器のトレーに載せて、胸は3分、
ササミは2分、電子レンジで解凍し、加熱する。

 そこで、部屋にさっきまで流れていたジャズピアノが消えているのに気がついて、
ビル・エヴァンスをかけにいく。キッチンに戻ると、電子レンジの回転音の向こうか
らでさえ、スコット・ラファロのベースの音はくっきりと聞えてくる。どこにいても
彼の「天才」はこちらの耳を奪ってしまうのだなと感心しながら、直径20cmのフ
ライパンをガスレンジに置く。
 すると、カウンターの向こうの部屋でごろんと寝ていた犬たちが、いつもの自分た
ちの場所に移動した。2匹の犬はあっちとこっちに別れてご飯を食べるのだ。

 指先を水で冷やしてから、鶏肉を包むラップをはずし、胸肉の皮をとる。胸肉、皮、
ササミを中火で熱くなったフライパンに置いていく。同時にレンジ上のダクトのスイ
ッチを入れる。 すると、その匂いなのか音なのか定かではないけれど、それを待っ
ていたかのようにレンジの向こうの窓に猫たちの影が映る。猫たちは幼いころからう
ちに住みついていて、外に置かれた猫トイレも使うし、こちらの用意した箱の中で眠
る。昼間は我が家の物干しか屋根の上にいるか、姿が見えなくても家から離れずにい
るのだ。だから我が家では猫たちを「外猫」と呼んでいる。数年の厳しい環境と病気
をくぐりぬけ、現在6匹いる。

 フライパンには強化ガラスの蓋をして、蒸し焼きにする。電子レンジで加熱してい
るからそれほど時間はかからない。火はすぐにとおり、片側に焦げめをつけると裏返
す。

 じゅわぁっ。

 両側が焼けると、皮、胸、ササミと俎板の上に並べてまず皮をみじん切りにする。
これを「外猫」のご飯を作るタッパにいれる。
 「外猫」がいれば「内猫」もいるわけで、ササミ二本は「内猫」4匹のためにみじ
ん切りにする。

 「内猫」とは、産まれてすぐに母猫から見捨てられた仔猫で、家の中で暮らしてい
る猫の事である。そのうち二匹は天井裏に捨てられ、壁の隙間に落下したとろを救出
した。もう一匹は箱の中に置いてかれてしまい、泣き喚いているところを保護。もう
一匹は後一歩のところまで母猫に育てられたものの、目が開く直前に置いていかれた
ところを保護した。彼らと違い「外猫」は少なくとも成猫になるまで母猫に育てられ
た訳だから、果たしてどちらが幸せなのか、よくわからない。
 
 火を消して、ダクトも消すと部屋からピアノトリオの音がふたたび聞えてくる。
 ビル・エヴァンスのピアノが好きで何枚か作品を持っている。もちろんピアノが素
敵なのだけれど、このトリオは三人が不可分のように密接につながっているところが
魅力的だ。それぞれがそれぞれの音に反応して曲が深まっていく。とりわけスコット・
ラファロのペースの果たしている役割はとても大きい。
 今、かかっているのは「Alice in wonderland」だ。

 ササミ二本のみじん切りが終わると、それをアルミの小さなタッパーにいれる。そ
して胸肉を薄く、細く、小さく切りわける。これを大きめの器に入れる。カウンター
の向こうの犬たちのうち、ピレネーのジャンは舌なめずりを始めていて、雑種のハナ
は知らん顔を決めこみながら耳がこちらに向いてピンとたっている。

 それから、それぞのタッパーの鶏をそれぞれのドライフードと混ぜる。そして「外
猫」は木皿に、「内猫」はプラスチックのボウルに、犬たちはステンレスのボウルに
それぞれ盛られる。
 まず外猫。ブロックの塀の上と隣の屋根の上に皿を置く。不思議な事にこのなかの
黒い猫だけば手で少しづつ皿から取り出して食べるのだ。たぶん昔、かぶりついてな
にかあったのだろう、おそろしいほど慎重である。
 次に犬たち。ピレネーの老犬のジャンは立ち続けることが困難なため、寝たままで
ぼくの手から食べる。まず離れたところにハナのボウルと水をセットし、それからジ
ャンの口の下にタオルを敷き、その上にボウルを持ってきてそこで手から食べてもら
うのだ。膝ど腰の関節の薬はべつに缶詰フードで団子にしておき、それから食べても
らう。食欲は旺盛。気持ちいいぐらいにあっという間に食べ終える。ハナはジャンの
ポリポリと食べる音が聞こえ出してから、自分の食事を始める。いつもそうだ。
 最後に「内猫」たち。
 犬から扉三枚向こうに4匹はいて、まずいちばん年上でまあるい猫のルルが来る。
続いてルルの姉のピピ。その間を駆けまわってやってくるのが、いちばんチビのチャ
チャ。まだ生後4ヶ月である。チャチャが来てから突然「大人」になった、三番目に
保護された猫のキキは少し離れてクールに三匹を眺めていて、みんなが食べ終えてか
ら食べはじめる。

 ぱりぱりもぐもぐぼりぼりぱりぱりぽりぽりかきかきもぐもぐもぐもぐ

 それから部屋に戻る。生活の基本は犬たちといつも一緒だ。それは犬が歳をとって
体の自由が利かなくなっているから。もはや介助なしでは危なくてみていられない。
見ていなくて何かあったら、たぶん後悔するだろうから、いられる時はずっと一緒で
ある。もちろん寝るときも。

 日々はこうして暮れていく。毎日、同じことの繰り返し。何匹もの野良猫たちの死
につきあい、新顔も引きうけ、犬たちの状態をみる。毎日、こちらの言葉に、あるい
は外の状況に反応して存在全体で「表現」する犬と猫たち。ぼくらもあのトリオのよ
うに心を通わせているのならとてもうれしいのだけれどね。







2004年08月09日(月) 砕け散った午後

昼過ぎに猛烈な眠気に襲われる日が増えました。
原因は夜更かし。9時ぐらいから12時くらいまでPCに向かっています。で、起きるのが3時半か4時。
しかたないですね。

もっと忙しくしないといけないな、という気がしています。忙しければ忙しいほどアタマが動くような気がするので。

本を読んでます。
「目まいのする散歩」/武田泰淳。たぶんこの作品は、この「自由さ」がある故に、今こそ読まれるべきかもしれないな、などと思いながら、先達の文章を読んでいます。全てが剥げ落ちた後に残ったもの…「自由」。ほんとうの「自由」。そのことを考えながら。人は人とどう結ばれるのか、それを考えながら。

UAの「閃光」を久しぶりに聞いています。延々と「自由」であることを思っています。

田中小実昌氏の著作をこれから捜しに行ってきます。


 吠える空を見た 目を閉じたまま 突き抜ける景色を
 これ以上 何を見ればいいの だから私はもう戻らないよ
                      (UA)





2004年08月08日(日) 日々、猛烈な短い雨に怯えつつ

■「鳥は星形の庭に降りる」(武満徹)をN饗の昨年のヨーロッパ公演の演奏で聴きました。指揮はウラジミール・アシュケナージ。オーボエとハープがとても印象に残る曲でした。
テレビだったので音響が悪く、それが残念。だけど音楽の輪郭はわかります。きりきりとした緊張とすっと寛ぐ瞬間の旋律がヴィヴィット。日本の竹林の夜を思わせる曲でした。

そのあと、ジュリアン・ラクリンをソリストに立ててのチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。なんとも賑々しい演奏。ラクリンという人は巧いのはもちろんなんだけど、引きまくるタフネスぶりが強調されている画面でした。走る走る走るーー、煽る煽る煽るーー、という感じでした。有名な曲ですが、久しぶりに聴きました。チャイコフスキーもいいですね。

■昨日の夕方に降りはじめた集中豪雨は左京区で1時間に76ミリという記録的なもので、この手の被害のほとんどない京都市民を慌てさせました。
鴨川の四条大橋下の河川敷に水が溢れ出している画像は、はじめて見たような気がします。
ある気象の専門家は「スコールですよ。亜熱帯だと認識した方がいい」とマジメに言います。
温暖化には加速がついていて、あと十数年ほどでとんでもない状況に陥るであろう、と。これはペンタゴンの「脅威」に対する報告書で、テロの次に掲げられた章、「異常気象」で述べられていることです。

■いちど混沌とした気象状況を人類は経験するしかないようです。砂漠化と高温化。なんとかしなければという段階はもう過ぎていて、それが引き起こす政情不安こそ「脅威」だとペンタゴンの報告書には書かれているのだとか。

■このことが意識の隅から離れなくなりました。




2004年08月07日(土) 日本勝ちました。

2004年、北京。
最後の最後までブーイングを浴び続けたアジアカップで見事に優勝。
日本のサッカーのA代表は、さらに結束が強くなったように思います。

相変わらず、何故だかメンバーチェンジをしないジーコ・ジャパン。
それでも勝ちました。実力的には韓国の方が中国よりもはるかに強いという印象。
終わってみれば実力は日本がはるかに上で、もしベストのメンバーで組んでいたらもっと楽な戦いをしていただろうと思います。
しかし、苦しかった故に得たものは計り知れない重さがあるでしょう。

ただ、勝ってしまったゆえに、今後のチーム編成は大変で、これは嬉しい悲鳴になるでしょうね。
これからワールド・カップの予選が続きます。本番はむしろこちら。
がんばって欲しいです。

いろいろあったけれど、とにかく勝ってよかったです。

表彰式。
スタンドは空っぽだったけれどね…。



2004年08月06日(金) 八月の暑い日

広島に原爆の落ちた日は父の誕生日である。
父はその日、東京にいた。叔父は特攻隊の出撃を待っていた。
祖父は大陸にいた。
そして、東京は大空襲により焼け野原と化していた。

家が無事であろうとなかろうと、全ての国民が飢えと恐怖のなかにいた。
ほんの60年前の事。
父の誕生日を祝うこともできなかっただろう。

そうして戦争が終わった

やがて父は働き出し、何年かのち転勤をする。
そこは広島だった。
一年後、ぼくはこの世に生まれた。

今日、戦争からの生還者が語っていた。みな歳をとった、と。
戦争がどんなに悲惨なものなのか、語れる人が次々と亡くなっていく。

人の愚かさは人によってしか超えられない。
一人、一人が  一人、一人で 一人、一人のために。
そう思う。



2004年08月05日(木) 読書

空いている時間に本を読み出しました。
「うるさい日本の私」中島義道さん、「私の嫌いな10の言葉」中島義道さん、「Amy Shows」山田詠美さん。
全部文庫で、そして拾い読み。こんな読書はいけないんだろうけれど、山田さんのは斜めに読んでいるうちに全部読み終えてしまったし、「うるさい日本の私」もほとんど読んでしまいました。

物事を「正直に語る」言葉は読んでいて気持ちがいいです。
この二人に共通しているのは、そしてぼくが見習いたいと思うのは「モノを見る眼」。きっちり見たままを見たままに書くから。

自分でも書いていながら、いつも気をつけていて、いつも痛感していること。それが「見たままに書く」ことであり、その難しさ。

それができないとつまんない。自分の書いているものでも。
題材はぼくのオリジナルであっても、それを「見たままに書いて」いるかどうか。
これは大事なんです。

詩はまた違う作業で、言葉を徹底的に考え続けます。
それを組み合わせて、息を数えたりもする。
ひとつの言葉による風景を、読んでいる人にお見せするための工夫。

ただいま制作中です。

実を言うともうひとつ並行して読んでいる本があって「パラレル」長島有さん。
だけど書きながらになると中断するので、いつ読み終えるかわかりません。

なんだか慌しい読書ですね。



2004年08月04日(水) 今晩、いきなり台風




北緯30度を超えたところで台風が発生するのはとても珍しい事です。
いってみれば和歌山沖で発生した事になります。
台風は自動車なみのスピードで北上し、夜の間に京都の横も通過していく見込みです。
なんだかとんでもない夏ですね。ここまで京都も観測史上まれに見る猛暑に見まわれています。

画像は鴨川の四条を下がった辺り。
川床の朝から昼間はこんなふうです。夜の名残を長く引きずるような風情ですね。
このあたりは夕方から夜に生き生きとしますから、昼は眠りの中の街です。

ここから何か物語が紡げるかどうか…。
いろいろと思いは巡ります。



2004年08月03日(火) 中国・済南

中国・済南、前の重慶に続き、日本サッカーは歴史的に大きなステップを踏み出した。
対ヨルダン戦を上回る厳しい試合。前回はまだ勝てる、と思いつづけることができたぼくも、今回ばかりは勝負あった、と思った。

対ヨルダン戦の重慶での大ブーイングよりもさらなる難敵が登場したから。
中国のファンに呑まれてしまった審判がそう。
いくらなんでも遠藤の退場はないだろう。
もし延長戦で中村俊輔に対するファールにレッドカードが出なければ、彼は国際試合から拒否される審判になっていたかもしれない。それぐらいのジャッジだった。

だけど「負ける」…そう思った自分が、まだまだだった。選手たちは追いつき、逆転し、追いつかれ、最後に突き放した。

厳しい試合の理由として「そこが中国だから」という話はある程度しか関係ない。どの国にいってもそうだから。とにかくこういう孤立無援の状況下で勝ちつづける日本代表を本当に誇りに思う。
逞しく、強い。

バーレーンもFIFFAのランキング以上に強いチームだった。最後は両チームともフラフラになっていて、中村俊輔なんてトラップもできないぐらいに疲れていた。

玉田と鈴木の強さを見たし、中沢と宮本の鋼のような強さも見た。何度も訪れた決定的なチャンスをはずしながらも諦めなかったし、むこうの決定的なチャンスにも耐えた。

やはり「意識」の問題。どれだけ「前を向いて立っていられるか」。その違いが勝敗を分けたんだろうか。それは紙一重だったけれど、この一勝の価値は計り知れない。
日本のサッカーはあきらかに違うレベルに到達しようとしている。
サッカーはメンタルなスポーツである。まさにそう言い切れるレベルに。



2004年08月01日(日) 風の強い日曜日




■つい最近、テレビで作家の石田衣良さんの「棚」をちらりと紹介してました。
「本棚」じゃなくて「CD棚」。枚数にして3000枚はお持ちだそうで、その多さにびっくり。
そんな作家のCDの棚にたぶんお気に入りの盤のジャケットが飾ってあったのです。それがボビー・ウォマックの「ポエト」だったもんだから、とても嬉しくなりました。おー、こんなところに「同じ趣味」がおられたか、という心持ちです。

ただ、朝一番のオススメの音楽のひとつにベートーベンの交響曲第4番をあげておられたのには、少々ビックリ。
ぼくは朝からは、とても聴けません。
ぼくの朝はバッハです。「カンタータ」か「トッカータとフーガ」が多いです。

■今日は「温かい雨 #7」を何度も書きなおしてました。少し長くなりました。
登場人物の過去の時間がほのみえたりする場面です。
もうすぐアップします。

■明日は詩を書ければと思っています。朝の散歩で一行浮かんだので、そこを足がかりに書ければ…。

■ということで夜はボビー・ウォマックを聴いています。やっぱりいいですねー。


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