2004年06月30日(水) |
待っているあなたへ。 |
午前中にものすごい雨が降りました。一時間ぐらいで、嘘のように晴れあがりましたけれど。 今日の静岡ほどではないにしても、バケツをひっくり返したような雨。ちょうど外に出ていて帰るに帰れなくなり、雨宿りしていたスーパーの三階の本屋さんで時間潰し。 その時、目にはいつたのが「イチローに糸井重里が聞く」という本。 ぼくはイチローマニアなので彼の発言はたいてい追っているけれど、本としてとても興味深かったのでその場で買いました。
内容は刺激に満ちているのだけれど、イチローの発言はもちろんですが、糸井さんの仕事を「サーヴィス」として見る視点などがとても新鮮でした。 そしてこんな1節が…。
…ぼくのような人間でさえ、毎日、誰かに何かを書く仕事を続けていられるのは、読んでくれる人が、毎日グラウンドに来て、相手をしようと待ち構えてくれるからだ。…
これは「なぜ続けられるか」ということについて糸井さんが自身のことをのべておられるのだけれど、イチローとお父さんは小学校2年から6年までの4年間一日も休まずに練習をしたといいます。受けてくれる相手が「いつも」いるならなんでもしますよ、というのが糸井さんの結論。そしてその糸井さんをして、「読んでくれる相手」がいるから書けるのだというのです。
先日、亡くなった野沢尚さんの最後のドラマの脚本の最後の台詞に、「ぼくにはあんたたちが何者なのかまったくわからない…」と大衆に向けて主人公が語るシーンがあったといいます。ある俳優さんはこの台詞が気になってしかたがない、と。
「読んでくれる人」「待っている人」 モノカキには見えません。ましてぼくのような者には、ならなおさらです。しかし、誰かと繋がることが表現の意欲を持続させ、自分自身を奮い立たせてくれるのであれば、その人が一人でもいてくれるのなら、そのことがぼくに作品を書きつづけさせてくれているのだ、と思います。
ぼくは、仮に幻だとしても「その人」に向けて書きつづけているのでしょう。 待っている「あなた」へ。
2004年06月29日(火) |
kiki-chacha と pipi-lulu |
子猫のチャチャ。ようやく先住の猫たちとも折り合いがついてきました。 あとから飼い猫が増えるとき、いちばん心配なのは先住猫なんです。
飼い主が仔猫ばかり見るとすねてしまうし、イノセントな仔猫に対して完全に家猫と化している先住猫は、途惑い、おろおろと逃げるばかりになりがち。
さいわいうちのピピ、ルル、キキの三匹は「大人の対応」をしてくれました。 やんちゃをしまくるチャチャを上手にあしらっています。それでもあんまりしつこいから、ピピとルルの姉弟は2匹でくっついてチャチャを寄せ付けなくなるときもあります。
特に雌猫のピピは厳しいですね。キキが来たときもなかなか受け入れず、いまでも仲はそんなによくありません。うちの4匹のボスであるルルは、ぼよよーんとしてのんびりしたもの。だけど機嫌を損ねたピピの相手に忙しそう。
で、誰が仔猫の面倒をいちばんよく見ているかというと、やんちゃだったキキなんですね。キキとチャチャは目が開いたときから目の前には人間がいたり、途中で相棒が死んでしまつたりと、生育歴が似ているのです。 だからかどうかは不明ですが、二匹とも先住猫といっしょになつたときは結構暴れました。 ピピとルルはいつもされるがまま。 ピピとルルはある程度まで母猫に育ててもらい、しかもいつも2匹一緒で大きくなってきました。2匹でいつも遊んだり寝ていたりして、穏やかなんです。
最近、それぞれ一匹で幼猫時代を生き抜き、愛情に飢えたような甘え方や悪戯をしていたキキとチャチャが2匹でくっついて、兄妹のようになってきたのです。ふたりとも顔つきが変わり落ちついてきました。
住んでいるものとしては、ずいぶん楽になったし、助かります。 「キキ、偉いぞ」なんて声、かけたりしてます。
だけど不思議ですね。こうやって折り合いをつけ、甘えることを許し、頼り頼られしながら調和をとっていく…。 人間より賢いじゃないか、と思う時もありますよ。
昼間はピピとルル、キキとチャチャに別れて寝ています。 冬になれば4匹全部でくっついて寝るでしょう。その時が楽しみです。 あ、そうそうキキとチャチャはお母さんがいっしょでした。
夏だから当然といえば当然なのだけれど、最近白い服をよく着ます。 白っぽい、と言ったほうがいいのかもしれない。グレーやベージュの限りなく白に近い色や、もちろん白いシャツ、白いポロシャツ。それに綿パンも白っぽいもの。
ハイティーンのころは黒しか着ない時期がありましたね。一年中とにかく黒。 どれぐらい続いたかな、突然、飽きて止めたのかな。
それからは「シロ、コン、グレー」の3色一辺倒だったと思います。 で、最近は普段、全体のイメージが白になるような服を着ているわけです。靴も白のテニスシューズだし。(ホームページのトップ参照。このときはジーンズですね)
何か理由はあるんだと思う。あるんだろうけれど探ろうとは思いません。 書いてることや考えていることの反映かもしれないし、たまたまかもしれない。 実はその「たまたま」というのが深い理由を抱えているようにも思うんだけれど、白い服を選ぶ感覚の自分を観察中、というところです。
ところで今年はプランターでの野菜づくりで、ナス、トマト、シシトウが収穫できました。キュウリは今年も失敗。来年こそ、ですね。 ナスとトマトはテントウムシとの闘いでありました…。
さて明日も蒸し暑そうです。また白い服を着ましょう。そうそう髪を思いきり短くしました。短い方がいいです。 これも変わりましたね。昔は腰の寸前までの長い髪でしたから。
2004年06月27日(日) |
スビャストラフ・リヒテル |
ドビュッシーの「版画」を聞くために手に入れたアンソロジーです。 たぶん20世紀を代表するクラシックのピアニストのひとりであろう、リヒテルのCD。2枚組。 確かに「版画」は面白くて魅惑的な曲でした。うん、たぶんこれから熱心に聴く曲でしょう。日本のポップスやロックのミュージシャンでもドビュッシーの影響の濃い人がいるような気がします。
だけど、困ったことにいちばん聴いているのは、いっしょに収録されているバッハなんです。 ここまでバッハが好きとは自分でも、ちょっと…。
このアルバムに収められているバッハは、平均律クラヴィーア曲集第1巻から前奏曲とフーガ1番、4番、5番、6番、8番。 1番の「あの」メロディーが流れてきただけでさーっと鳥肌が立つんだから、嬉しいような……困ったような。(プロコルハルムのファンならご存知の曲…。)
録音は古いんだけれど、いいですね。 さすがに端正な演奏。 このバッハを聞き込むんじゃないかな。
「版画」を聴かなきゃいけないんだけど、どうしてもバッハを先に聞いてしまいます。 ちなみにこのアンソロジーのバッハとドビュッシー以外のラインアップは ハイドン、ショパン、シューベルト、シューマン、ラフマニノフ、ほんの少しプロコイエフといったところ。
たぶんこれほどの名手だからどれを聞いても巧いでしょうね。個人的な感想を言うと音に「影」がありますね。…それがまた魅力でもあるんですが。
「版画」は最初の「塔」が好きです。 メロディーがとても綺麗だし、音の使い方がとてもユニーク。アジアの旋律も援用しています。 うーん、だけど自分の好みに正直に言えば、バッハのほうがいい。 この前奏曲とフーガは素晴らしいです。
フランス印象主義に耳がそれほど慣れていないのもあるかもしれません。それにしてもこの印象主義の制作方法や考え方はほとんど詩の写生と同じですね。 そのことに少し驚きました。
■今日は昼の時間がたっぷり取れたので、とにかく書く事を前進させました。 サイトの更新もいろいろとできたし。
とにかく集中。何はともあれ集中。なんといっても集中。もう集中以外にありませんねん。というぐらい集中しました。 集中しないとモノ、書けへんもんね。集中力、大事です。ほんとに痛く痛く感じております。
書いたのは、掌編の二つの章と、別の掌編の一の章。まとめてアップしました。
■梅雨空です。だけど今年の梅雨は男性的な梅雨ですね。来週にはまた晴れる日があるらしいし。 最近は外へ出れそうで出られません。純粋に「そのため」の外出はほぼ無理。なにかのついでにでしか出られません。うーーん、ここが辛いですね。 行きたい場所があるんですけどね…。
ま、しかたないか。
■短いお話を書き上げました。あと京都弁のチェックがすめばアップしようと思います。そんな大それた話ではありません。
■今日、「光函」を追加発注。気がついたらてもとに一冊も残っていませんでした。
■来週は耳が忙しくなります。一つはウォン・ウインツァンさんの2枚組「たましいのトポス」がリリースされること。予約済みです。それとリヒテルの名演集も到着予定。これも2枚組です。「版画」が聞けます。
■それも大事だけれど自分の作品のアップもしなければ。上にあげた作品と「温かい雨」の#5。これも取材に歩きたいんですが…。でられないだろうな…。
■7月には、いよいよ観蓮会が始まります。蓮の開花の音が聞けるかも。場所は法金剛院。ほかにも蓮のある寺は多数ありますが、早朝から開けてくれるところはあまり無いかも。蓮の開花で「温かい雨」の予定は終了なので、是非とも行かなければ。
■それにプラスしてゴザンスの課題があります。 書き上げなければ。
明日から梅雨に逆戻りでしょうね。 夜になって雨が降り出しました。京都はまだそうでもないけれど、甲子園ではけっこうしっかり降っているようです。
晴れている間に、少し寄れるところ回ってみました。 一つは法金剛院。もう一つは御所。 今書こうとしているものの取材。数分しか寄れませんでしたけれど。
街をいっしょに駆け抜けたのはクルマではなくてコルナゴです。 その足でサイクルショップのコセキに久しぶりに行きました。
今年のツール・ド・フランスの話などをして、それと「光函」のことも…。 奥さんがとても読みやすいといってくれました。
結局、ぼくの周りでも売れる売れないにハナシは落ちついていくんですが、その話題だけだと1分も話はもちません。 「これ、おもろいやん」という、その一言がとてもうれしいです。 それ以上何も望むものはありません。
また皆さんに読んでもらえる本を作りたいです。 お金を貯めないといけませんね。
最近、他の用事をしていても詩や作品のことばかり考えていて、歩いていてもうつむきがちだったのでしょう。玄関脇の花に気付かないで玄関に御邪魔していました。
今日は大事な用事があって近くのお寺に伺ったのです。花に気がついたのは、大きな玄関を上がってご住職と猫の話をしていて、何気なく振り返ったときでした。
室町時代から続く名刹の黒く立派な玄関の両脇に、艶消しの黒の大甕で育てられた見事な蓮の花が咲いていました。
もっと自然に、前のめりは似合わないからもっとゆったりと動かなければ頭も上がらない、と反省しきりの一日でした。
夜に入っていつもと違う道を散歩。外に出られる時間が1時間なので、計算しながら歩き出し、北嵯峨の某所を目指しましたが、さすがに真っ暗になってしまい引き返してきました。闇の中ではなんにも見えないんです。 嵯峨野の北東のあたりは人がほとんど行かないところなのでしかたありません。 実はある植物を目当てにいったのですが、また後日ということになりました。
画像は昨日紹介した花束の拡大したものです。
そうそうドビュッシーの「版画」、遅くとも来週には届くと思います。スヴィアトスラフ・リヒテルの名演集。他にバッハが多数含まれているのもいいかな、と。 だけど今日、聴いていたのはEBTGでした。 これからミサ曲を聴きます。
夜の九時を過ぎると、ぼくの横にはジャンとハナのニ頭の犬が寝ています。 ぼくの完全に自由になる時間はそこから始まります。 だから忙しいときは結構遅くなりますね。犬たちにはあまり迷惑をかけたくないから、音楽はヘッドフォーンで聴きます。だけど、やはりぼくが起きていると犬たちも熟睡はしていないわけで、やるべきことをさっさとやってしまうに限ります。それはたいてい書くことなんですが。
そして昼間に撮った画像を処理して貼りつける作業も。 この「エンピツ」ともう一つやっている「NEROLI」というブログは、アップロードがとても簡単だから毎日、アップしてます。 なるべく小さいサイズにして、重くならないようにはしていますが。
今日の画像は夜の散歩コースの途中にある石碑。哲学者、西田幾多郎先生の墓所のある塔頭の横を歩いている訳です。夏至も近く、明るいので撮影することができました。
そこから街へ出て、街を一周して家に帰るというコース。だいたい一時間。 人を見ますね。空と植物と…。風と匂い。月と雲。それらの毎日違う表情の夜の中にぼくの顔もある訳です。結構速く歩きますよ。
さて10時を回りました。朝の4時起きは、365日変わることはないので、コンデイションを整えるときはさっと寝ます。 今、耳の中でBOYSⅡMENが素晴らしいハーモニーを聴かせてくれています。
寝るときはメインのコンポではなく、CDラジカセにチェンジして聞きます。そのまま寝てしまうときもあるので。今、その横にはホセ・カレーラスがスタンバイしてます。
バッハもキースも、今晩ははやめに格納しました。浴びるほど聴き続けたのでね。 声が聴きたくなったのです。 「声」といえばビリー・ホリディの若い頃のCDを探しています。ないんですよね。輸入盤になるのかな。こればかりはアマゾンで買わないとだめかもしれません。
それと久世光彦さんの文庫に新しいタイトルが出たはずなので、ネットで注文します。本屋さんに行ってもストレスを感じるばかりだから、最近はネツトばかりですね。
さてと、「作品」に戻ります。 ではでは

昼の間に台風が駆け抜けて行きました。 経験から台風の前面東側がいちばん激しいことは知っていましたけれど、今回はどんぴしゃでそれでしたね。
テレビの速報と現場とのタイムラグが1時間ぐらい。いつも台風がとおる和歌山や徳島なんかはリアルタイムの報道がされるけれど、それ以外の場所は予報がずれてますね。予報よりもはやく進行しています。
さて、そんな日に婦人公論の最新号が来ました。今回は選外。実はこれから選に入るのは厳しくなるよ、とある方から言われていたのです。理由は本を出したからで、形あるものを出すと厳しくなるんだ、とその方は言っておられました。
まぁ、その通りになったんですけど、だけどその人の言葉は少し間違ってましたね。 何故なら選ばれた詩を書いた二人はばりばりの「詩人」だったから。思潮社から立派な詩集を出している人だったからです。選ばれた詩はとても素敵な詩でした。 もう一人の方もぼくの投稿以前からの入選常連のかた。実力があります。この人の詩もよかった。
…頑張ってるな…というのが本音の感想。この人たちが選外だったりしているのを見ていますからね。にもかかわらず投稿と精進を続けているというところに頭が下がったわけです。なにもコンペに入選するために書きはじめる訳ではないけれど、ある地点からは、入選を目標に書きつづけることが自分のレベルをあげることになるというのは、実際にそのとおりだと思うのです。 まして、すでに詩人として詩集を出している方がそうなのですからね。
精進…というのは、つまり詩というのは言語による表現である、という線をきっちり踏まえた上でいかに人に届くか、という技量を磨いていくということなのです。
だから、ふつう選外だと「あーあ」なんですけど、ぼくも本を出した人間ですからね。ふつふつとやる気が湧いてきました。…うん、今回は前が見えた気がしましたよ。 そうそう、井坂さんの言葉に次のようなところがありました。
『詩の言葉もこんな工合にいかないものかと思う。相手の不意をついて、まっすぐ届くことを願うが、それは技もアイデアも表現もいり、そのうえなおかつ技術の先をいっていなければならない。 泣きそうな気持ちにさせる詩も、笑わせる詩も、人の複雑な心を動かすのは大変難しい』
励みになります。 そして、あのひとたちもぼくも、まだ当分投稿を続けるでしょう。 詩集を何冊出してもね。 どこかでコンペから離れていかなければならないのでしょうけれど。
どんな部屋でも花が活けられている部屋は、それだけで居心地がよくなります。 鮮やかで、空気にまで色と気がうつったように思えます。 ただし、ヴォリュームがありすぎるとかえって息苦しいし、手入れが悪くて枯れていたりしたら、むしろ部屋の気はとても悪くなりますから、そのあたりは気をつけていないといけません。
そんなに長い時間ではないけれど、いきいきと咲いている時間、ともに過ごすことがよいのです。気持ちが華やぎますね。
今日の画像は人からいただいた花束です。赤い薔薇とグロリオサとカラーの花束。窓辺においてしばらく眺めていました。 グロリオサという花をいただいたのは久しぶりです。花屋さんに行けばこの季節、ふんだんにある花ですが、形がとても面白い。花弁の縁が波打っているんです。ちなみにこれはユリ科の花です。
赤い薔薇もいいですね。うちのプライド・オブ・イングランドも二番花を咲かせています。 庭の花と部屋の花。部屋の花というのは命をよりくっきりと意識して見るべきでしょうね。切り取っているということを忘れてはいけないと思います。 逆に外の花は本体の生命力の維持のために、早めに花は切り取ったほうがいいです。特に鉢のものは土が限られていますから。
最近、近所のオーナメンタルグラスの葉を見てとても気持ちがよかったこともありました。すーっとする感覚ですね。
花で昂揚、葉で沈静。さて今週はどちらから始めましょうか。
巨大な台風が近づいてきています。 京都では夜の10時頃から雨が降り始めました。 それまではとにかく暑い一日。正確な気温はわからないけれど、たぶん真夏日に近いのでは。
今日はノートを見ていて、置いたままの詩を見つけました。ここのところ少し難しく考え過ぎていたようなところがあって、書いたままになっていたのでした。 ノートには書いておくべきですね。今日はこれを完成させようと集中することができました。夕方、封筒に入れて投函しました。 来週、東京につくでしょう。
次に書いていかなればならないのは「温かい雨」です。植物の名前とふたりを深く考えています。決まっているのは「蓮の花」ということだけです。
詩は毎日でもメモをとります。どんなものでも。ある突然、詩が始まるので。
ところでドビュシーを聴こうと思っています。あまり聴いていないんですよね。 題名は「版画」。なんという奇遇か、今、作品全てのテーマにしていることでもあるのです。 いったい音でどのように版画を表現しているのか、是非聴いてみたいですね。
この「版画」。実は村上春樹さんの「村上ラヂオ」にでてくるんです。彼との感じ方の違いもわかれば面白いかなとも思います。
楽しみです。

早朝に雨がぱらついただけで、今日も夏のような一日でした。ずいぶん湿度も上がったようです。夕方になるとさすがに空を雲が覆い始めましたけれど。 それでも本格的に崩れてくるのは日曜日だと天気予報ではいっています。 どちらにしても強くて大きい台風の動き次第でしょうね。南のほうは大変だろうな。近畿地方でも夕方の映像だと瀬戸内海の方はどんよりと曇っていました。西宮の甲子園では今日から阪神-巨人戦。また五万人を超える人たちが集まります。
夕方の静かな時間にキース・ジャレットの「prayer」を聴きました。 とにかく綺麗なメロディーです。 そして昨日書いたオスカー・ピーターソンとの共通点、「バップを経験していないジャズ」を思います。だから、オスカーとキースに対する批判には似たトーンがありました。 クラシックを聴く人ならばこの二人のピアノのバックにクラシックの影響を感じるでしょう。それにプラスしてオスカーであればゴスペル、キースであればフォークや今でいうワールドミュージックへの関心がありました。 そのような要素がジャズのレンジをどれほど広げたことか。 ハード・バップこそジャズだという人には受け入れられないことでしょうけれど。 だからこそ斬新さと生命力をジャズに吹きこみ続けたマイルスにスカウトされたのだと思いますが。
…キースの作品はその都度、「これで最後か」というような完成度と迫力があるけれど、マイルスのようなコンボとしての音づくりや全体のサウンドづくりに特徴があるわけではなく、この人はどこまでいっても、徹底してピアニストだなと思います。
発注しているキースのソロの1枚が待ちどおしいです。
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この日記を上のところで草稿保存して、猫と犬の食事、自分の食事、それから姿勢調整のために坐禅を組んで野球を見て、阪神が負けて、でまた「生と死の幻想」を聴きながらパソコンに向かっています。 うーん、キースへの傾倒、今回は長くなりそうです。
そういえばかつてのフュージョンブームの時代、キースは一人流れに背を向けてアコースティックピアノによるソロという道を選んだのでした。もちろんそれと並行する活動としてアメリカンとヨーロピアンのそれぞれコンボを組み、そちらでも素晴らしい成果を上げています。「マイ・ソング」「スティル・ライブ」などなど。
だけど今回の傾倒は彼のソロピアノに完全にフォーカスしています。輝かしい最初のステップだった「フェイシング・ユー」からずっと…どこまで続くかな…。
キースの演奏そのものも、変容してきているようにも思います。耳を澄ませて音楽が語りかけてくるものを掬い上げることができれば…。
2004年06月17日(木) |
N‘s jazz house vol.6 |

好きなジャズピアニストは?と聞かれたらなんと答えるでしょうね。昔はどう答えていたのかな。今なら、迷わずキース・ジャレットだけども。
2ヶ月前ならハービー・ハンコック。その前ならビル・エヴァンス。さらにその前ならレッド・ガーランド、その前はウィントン・ケリー…、別格大明神セロニアス・モンク。さらにいうなら高校の頃のバド・パウエル。それにこのジャズ・ハウスで紹介した孤高のピアニストたち。
その他きら星の如くピアニストたちはいて、それぞれ、これが嫌いになってほかを聞き始めるというのではなく耳の記憶として積み重なっているんです。だから好き、というよりもその時はそのピアニストを集中して聴いていた、と言ったほうが正しいかもしれません。
で、今はキース・ジャレットに思いきり傾倒しているのですが、忘れないうちに紹介しなければ、と思いたったのがオスカー・ピーターソンの存在です。
画像で紹介した3枚のアルバム、どれもいいです。というかこの人のアルバムには「ハズレ」がないのですが、そのなかからもし選ぶとしたらという3枚。
「光函」の左手にあるのが「Girl Talk」右側の上が「NIGHT TRAIN」、下が「The Trio」。 それぞれぼくの一番好きなジャケットの盤、スタジオ録音で最高のもの、ライブで最高のものとなっています。
オスカー・ピーターソンという人はとにかくべらぼうにピアノがうまい、とジャズファンなら多くの人がそう言うと思います。うま過ぎて嫌われる、というところがあるかも知れません。ピアノの隅々まで知り尽くしいる、というようにも聴けるかな。 テンポの速い演奏も抜群ですけれど、この人のブルージーなバラードを聴いて欲しいです。これこそジャズ、ですね。そういう意味では「NIGHT TRAIN」がいいかもしれません。特にブルースの好きな人にはおすすめです。 だけどリリカルなバラード、ぞくぞくするようなジャンプナンバー、とにかくいかしているアドリブ、全部揃っているのが「The Trio」です。
なんせ「The」がつくトリオです。オスカー・ピーターソン、レイ・ブラウン、エド・シグペンの三人の「黄金トリオ」ですね。 ジャズ・ピアノ・トリオとしてはビル・エヴァンス、キース・ジャレット、と並んで極めつきのトリオだとおもいます。ピアノ、ベース、ドラムスの一体感、インタープレイの絶妙さ。どれをとっても素晴らしいライブアルバムです。
で、個人的に一番聴いているのは、実は「Girl Talk」です。ジャケットの黒人の女の子がとてもかわいいから、というのは冗談ですが(だけどほんとにかわいい)、このアルバムだけ絶頂期といわれる30歳代にヴァーヴに残した他の二枚と違い、ドイツのレーベルMPSに録音したもの。
何故ドイツに、というところがオスカー・ピーターソンの「らしい」ところでもあるのです。彼がやっかみ半分に他のジャズマンやファンからブルースフィーリングがない、という攻撃を受けていたことがあって、それは多分今でもそういう人はいると思うけれど、それは彼がカナダ生まれということ、だからアメリカでの1大ジャズムーブメントだったビバップの影響を受けていないこと(故にもっと発生期のジャズに近い演奏で、それがまた理詰めでとにかく美しい)に起因していると思います。 実際の演奏を聞けばブルースフィーリングが欠けているなんていうことはまったくないということが理解できると思うのですが。 そんななかでとにかくストイックに自らの音を追求していき、彼のよき理解者でありエンジニアでもあったハンス・ゲオルグ・ブルンナーシュのMPSへと移籍していったのでした。「Girl Talk」はそこでのアルバムです。 彼の直筆でexclusively for my friendsとジャケットに書かれています。彼のそんな状況も考え合わせて聴くと、ぐっときますね。音はますます磨かれ録音も抜群の状態。
一曲目の「晴れた日に永遠が見える」のスキップするようなピアノ、ニ曲目のしびれるほど綺麗な「I‘m in the mood for love」。 3曲目はタイトルナンバーの「Girl Talk」。これをよく聞いて欲しいんですが「あのねあのね」って聞えるんですよ。(はい笑わない笑わない)「少女のように喋るピアノ」。是非どうぞ。 そして4曲目はコール・ポーターの「I concentrate on you~moon river」はソロ・ピアノ!です。圧巻です。 (彼はこのあたりからソロピアノが増えていきます。) 最後の「Robbin‘s Nest」はもう自在のピアノですね。
もしジャズピアノの典型は誰か、という問いがあったらオスカー・ピーターソンはアート・テイタムとならんだ位置で必ず指を折られる一人でしょう。 とにかくピアノを追求したこのジャズマンの存在は忘れてはいけないでしょうね。
なんだか結局、Girl Talkのことばかりになりましたが、以上オスカー・ピーターソンでありました。

今日も梅雨はどこへやら、というぴかぴかの晴天。 お昼前くらいに、キースのゆっくりとしたソロピアノを聴きました。 このアルバムはMelodey at night,with youというタイトルだけど、昼に聴いてももちろんいい感じ。スタンダードのスローバラードばかりです。
そういえばキースのソロで聴いておかなきゃいけないCDを注文しています。これはピアノが最良の状態だったためにキースの思いがほとんど忠実に反映されているといわれている作品。ライブではなくてスタジオです。むろん即興演奏。
夜になって、散歩に出かけ、「壷井」という古い井戸に出会い、その帰り幽霊と見まがうばかりの御婆さんに出会いました。 蒸し暑くて、涼んでいたのかな。闇の中に坐っていて、振り返ると見たことのないような「笑顔」でぼくを見つめていて、瞬間、鳥肌が立ちましたが…。
今日歩いたのは、朱雀という地域。どちらにしても旧い街だから、何があっても不思議ではありません。 「壷井」というのは名水らしいんです。立派な石碑があり、御地蔵さんがあり、その祠とその横に小さな祠が二つ。とても不思議なところでした。あきらかに裏道として旧街道があり、そのあたりにいくと時間の感覚が狂います。
観光とは無縁の地域に京都の深い闇が、あたりまえのように転がっています。
家に帰りつき、バッハのミサ曲ロ短調のクレド、サンクトゥス…と続く第2部を聞きながらこれを書いています。
ぼくが朱雀の北西端のあたりを少しだけかいた記事もありました。「光函」にいれた「缶詰」の元の稿。つまりゴザンスのライターページに掲載しているものです。 これも元と本ではだいぶ原稿が違います。
元の稿からバッサリと削り落とした部分。地蔵尊に男が転がり落ちるシーンはそのあたりの辻がモデルです。削り落とした部分からまたなにか物語が書けるでしょうか。
そのあたりには井戸があり、寺があり、伝説の男が幾人もいて…。「胡麻屋の辻」のような作品ができればと思っています。 だけど軸はどうしても「光」ではなく「闇」になります。すでに詩は一つ書いていて、投稿の結果待ちという状態です。
おっとミサ曲がベネディクトゥスになりました。
京都は不思議な街です。人が多くて観光客の波に洗われてすっかり見とおしがよくなったところがほとんどですが、市民の生活の現場、つまり観光とは無縁の場所に物語がいくらでも転がっていそうです。 その場に立ち、自分の中に閃くものを写し取ることも大切にしたい作業です。
よく作家などの書斎の写真が公開されると、とびついて見ています。 そこが「知的生産の現場」であり「降りてくる何かとの交流の現場」だという認識があるから。なにもなくてもオーラや「形跡」を感じるんです。写真だけでね。 何を大袈裟な、と思うかもしれないけれど、ぼくはそう感じています。
画板の上に原稿用紙を置いてソファで書く大江健三郎さん。(もちろんデスクでも書かれますが)緑溢れるアイスバーグ(薔薇です)のある庭のテーブルで書く高橋睦郎さん。(もちろんデスクでも書かれます)このふたりは前者が万年筆、後者がエンピツで書かれます。
PC系は、というとかなり昔になるけれど松本隆さんの書斎の写真を見たことがあって、なんにもないテーブルにノートPCが1台。それだけ。シンプルそのものだった。だけどなんともいえない雰囲気と松本さんの姿勢と考え方が見えた気がしました。
で、週刊ポストの今週号に小川洋子さんの愛犬とデスクが掲載されていました。小川さんは愛読している作家の一人です。 愛犬はラブラドールレトリバーのラブ君。で、大き過ぎて踏み台つきのデスクの上にはなんと「ワープロ」が。 現役の作家やライターに数少ないワープロ派がいるとは聞いていたけれど、小川さんがそうだとは。机の上はライト(2つあるところに注目!!)とワープロだけ。こちらもシンプルそのもの。
きのうも別の所で考えていた、「先鋭の道具」としてのパソコン。それがなければ多くの書ける才能が、もっとうずもれていただろうなという思いが、その簡素な机を見て思いました。原稿用紙や資料の散らかった場所というのは、主婦や勤め人にはそのこと自体が「贅沢」なことで、時間とお金と場所を合理化し、ようは書くアタマと手だけという状態にしておかないとなかなか大変だと思うんですよ。
ワープロでなくパソコンであれば原稿の整理と格納だけでなく、データベースやメモさえも管理できるという。つまり体一つで書く行為に向かえるというメリットがあると思うんです。 ぼくなんかはまだまだ使いこなせているとは思えなくて、これからさらにライティングに特化していこうと思っていますが。
小川さんは、作家であるけれど同時に普通の主婦でもあるわけで、朝の9時から夕方の5時までのあいだにしか書く時間が確保できない、と。 となるとやはりワープロという道具は威力を発揮するでしょうね。ワープロを開けて途中のページを呼び出し、そこへ入っていく…。 編集と管理が書きながら出きるわけですね。あとは作家のコンセントレーションでしょうか。
そうそう愛犬のラブ君の笑顔の写真もよかったです。でも散歩大変だろうな…。ラブ君は大きいからね。
最後に書く秘訣について(設問は主婦なのにベストセラーを書ける理由は?) 「書き始めたら、完成させること。執念ですかね」とのこと。 なるほどなるほど。 大きく頷くのでありました。
ところで今週号の週刊現代。一番最後の「おやじ、ありがとう」は松本隆さんです。 じんっときます。
夕方、ラジオで中村雅俊さんの番組を聞いた。毎日、10分(確めていないです)ぐらいの短いインタヴュー番組。朝日放送ラジオ。 この番組は東京をキーにして全国に流れているんじゃないかな。
ホストがメジャーな方だからだと思うけれど、ゲストも短い番組にもかかわらずメジャーな人が多い。 今日のゲストは鈴木亜美さん。
二人の話を要約すると、自分のやっていることが、果たして人たちに届いているのかどうかという不安についてだった。 演者としての不安、と言い換えてもいいかもしれない。
特に、鈴木さんはシーンでの不在が長かっただけに、ステージでふたたび歌い出した時の不安の強さを、率直に語っておられた。だけど、彼女にもましてそのことを強調していたのは中村氏のほうだった。その切実さに驚いた。
たしかにパフォーマー、シンガー、あるいは表現するものたちは闇の中の湖に向けて石を投げ込むようなところがある。どの辺に落ちたのか、どんな波紋なのか、はたまた飛沫に一瞬でも虹がかからなかったか…投げた者にはまったくわからない。 ぼくはそう思う。
中村氏はそんなときに、一番嬉しいのは、ファンからの「励ましの声」だという。それで届いていることが確認できるわけだし、やっていてよかったと心のそこから思うという。 たぶん、そのことの繰り返しなのだろうな。彼ほどの位置にいる者でも常にそういう感覚でいるのだ…。鈴木さんが大きく同調されていたのは言うまでもない。
人は人の声に支えられている部分がとても大きい。内へ内へと入りこんでいるにしても、外に出ていくとき、人の声がどれほどの支えになるか。 あるいは自分を見失わないためにも、実は他者の声の存在は重要なのではないだろうか。 鏡のようでもあり、優しい風のようでもある。なにより言葉の力を知る機会でもあるように思った。 声に出会うこと…声をかけること…。
完璧な蒼空でした。雲ひとつなかったです。 見事に晴れ渡り、風が吹きぬけ、からりとしていました。 あまりに遠くまでくっきり見えるので、リアルな感覚が崩れて、非日常の風景のなかに取り込まれたようでしたね。
早朝は石榴の木を目印に、その花の脇から緑の中をぐるりと歩きました。 そのころは雲も残っていたんですが、昼前ぐらいからどんどん天気がよくなって、先述したようになったのです。
今日はいちにち外に出ないで、チャチャの顔合わせと、あとは犬につき添っていました。チャチャは思った以上にやんちゃで、家中駆けまわっていますが、そろそろ先輩猫たちの「しつけ」が始まったようです。 人の影に隠れようとするけれど、ここは猫同士で決着をつけていかないといけません。キキとルルの雄ニ匹が対峙しています。 その姿はりりしくて、いままでになく「成猫」を感じさせます。
どうでしょう、あと一週間でずいぶん変わるでしょかね。変わってもらわないと猫も人も大変なんですが。 動きが速すぎてなかなか画像もとれません。 今後については、いまいる三匹の指導力に託しております。なんとかうまくいくと思っているんですが。
モノカキはこれから。みんなが寝てからです。さて、と…。

今聞いているのは、キース・ジャレット・スタンダード・トリオの「StillLive」。どのCDも水準以上の人だから、どうこうはあまり書けないんですが、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットととのコンビネーションはとんでもなく高いレベルまで達しています。
曲中、自在のインタープレイに入ると、ソロ思わせる鋭さがきらりと光ったりもします。たぶんこのあと、ソロを聞きます。 バッハのゴルドベルグもキースは録音していて、(たしか八ヶ岳山麓だったと思います。)それもそのうち聴くでしょう。
キース・ジャレットのソロ作品はライブがほとんどで、どの作品も素晴らしいんですが、ブレーメン、ケルン、京都のそれぞれのライブが特に好きですね。 (京都ライブは「サンベアコンサート」に収録されています。) スタジオでのソロも「フェイシング・ユー」と病気前にもう一枚あって、それと復活後の「Melody at night,with you」があります。 (実はその「もう一枚」がとても良いんです)
ここのところのキース・ジャレットへの傾倒は、やはり精神が求めてたんだと思います。ああ、そういえばという感覚で、すーっとかけていました。 これだけ目の前にありながら、ちょっと聴くのがおろそかになってましたね。 「おろそか」というか、音楽にも聴ける時と聴けない時があって、聴けないときはどんなに無理に聴いても何にもならないんですよね。音楽に失礼なぐらい。
最近、キースを聴ける精神状態になっていた、というのが自分なりの分析です。 あの、はっきり言ってそうでない人が聴いたら、ぐったりしてしまうと思いますよ。特にスカラ座のソロとかは。(それがまた絶品!!なんですが)
「花のように生きよう」と決意したキースが慢性疲労症候群になったのも無理はないな、という気がします。もうぎりぎりのところを全速でかけていましたからね。命がよくもったなぁ、と正直思いましたから。 彼が全速で駆け出したのは、やはりマイルス・ディヴィスのバンドに参加したということが最大のポイントになるでしょう。 あのころから見えていた、生命力を振り絞りきるような姿勢。せめてその姿勢だけでも見習いたいものだとつくづく思います。
そういう状態で少しづつでも作品を書いています。コンセントレーション、ですね。自分でもどうなるのかわからない展開にどれだけ入っていけるか。じっと啓くのを待って、そのようにして書いています。
詩については疑問が多くて…少し離れています。 散文に磨きをかけます。
画像は今年とれた、シシトウです。晩にいただきました。
2004年06月11日(金) |
温帯低気圧が東へ走っていく夜 |
台風が崩れ、温帯低気圧と名前を変えて紀伊半島のあたりを東へ進んでいます。 早朝の5時には雨は降っていなくて、犬たちは散歩にいけました。 それから降ったり止んだり繰り返して、昼過ぎから本格的に降りだし、夕方には一時激しく降りました。今はあがっています。
昨晩、ゴザンスの800字を書いて、早朝の散歩にいくまえに投稿。最後はえいやっ、でしたけど。
「温かい雨」の続編、止まった状態でしたけど、「方法」についてのヒントが見つかりました。 小説のスキルに関してはまったく、ほとんどメルマガと読書だけで来ています。だから、こんなことやっても良いんだ、という発見があると、なんだかほっとします。まだ書けるぞ!という具合で。 これから少し前進させて見ます。200字でもいから前にすすめたいですね。
「うすく書く」というのと「気の利いた一行」を両立させたいんただけれども、どちらを優先するかというと、ぐっと腰を落として「うすく書く」ほうになります。 こんな事かいても、なんだかわけわかんないかな。
詩についても散文についても、今日見つけたやりかたで習作、というか本文を書いてみようと思います。 必要なのは「画」。そして「音楽」。そして自分の「文章」。
そしてPC環境を改善する必要がありそうです。ディスプレイは大きく。それとキーボードは別売で良いものに変えたほうがいいみたい。 ノートを使いなれた手には信じられないほど使いやすいらしいし。
そうなるともう組みたてないといけないな。ディスプレイはあるから、次はキーボード買います。 ひとつひとつそろえていこう。心臓部が最後になるかな。
2004年06月10日(木) |
じんわりと出会う猫など |
4匹目の猫、チャチャと先住の3匹の折り合いが、ゆっくりと続いています。 キキの時は、すぐにルルと遊びだしたのでそれほど苦労しなかったのですが、雌のチャチャはなかなかなじもうとしてくれません。
大きい猫たちが「ちび」のチャチャをいじめるという事はまったくなくて、逆にチャチャの振舞いに困っている、という感じです。
だけどゆっくりと距離は詰ってきているし、チャチャにしても目が開く前から人間が世話をしているので、まったく野良っぽくなくて、そのぶんなんとか溶けこんでくれるだろうと思っています。
あまり人間がどちらかにかまうよりも、猫同士にまかせる、というぐらいの気持ちでいます。インターネット上のペットのための巨大掲示板というのも存在していて、そこの過去ログなんかを参考にしているんですが、うちの場合は3週間はかかるだろうと見ています。 なによりチャチャが自分は猫だと自覚しなければ、とも思ってもいるんですが。
ところでこの「散歩主義」。一日のアクセス数がわかるのですが、(カウンターではなく)昨日の数を見てビックリしました。なんと140。普通、20ぐらいなんですよ。キース・ジャレットだから?うーん、謎ですね。 今日はキースとバッハとを聴いています。
植栽では桔梗が咲きました。これは園芸店のおばさんが的確なアドバイスをしてくれたおかげで2年目の花を咲かすことができました。 桔梗は花が終わると、冬には葉も茎も枯れていくんです。もう完全に、地面には何も無くなってしまうんです。それで、あ、もうだめだと思って捨ててしまう人が多いんですが、実は根だけで生きているんですね。多年草だから冬は越すだろうとは思っていたんですが、このことをおばさんから聞かなかったら捨てていたかもしれません。 まるで色紙細工のような花と葉と茎です。涼しい紫ですね。
2004年06月09日(水) |
もう一度キース・ジャレット |

今日も変わらずに夜がやって来て、一日が終わろうとしている。
こんなふうに書くと、まるで立ち止まった人みたいだ。 「立ち止まった」…確かにそうかもしれない。だけど、それは舵を切るためのもの。 そんな気がしている。
長らく聴かなかった音楽を一日中聴いていた。 それはECMの音楽。ジャズを聴く人の中でこのレーベルに対する評価は真っ二つにわかれていると思う。代表するアーティストはソロのキース・ジャレット。
昨日書いたキースのDEATHandFLOWERは「インパルス」というジャズの老舗レーベルでの作品。そのあたりはキースも意識していて、ソロのインプロヴィゼーションに限っては、ドイツのECMレーベルに足跡を残している。
ECMレーベルというのはキース・ジャレットのソロで、全世界から注目を浴びたレーベルだけれど、実はマンフレッド・アイヒャーという男が一人でやっているレーベル。彼が企画立案マネージをして、あとは全て外注しているようなんだ。
できたのが1969年。そこでキース・ジャレットが始めたのがまったくのソロピアノの即興演奏。なんの設定もなしのインプロヴィゼーションという手法。テーマすら持たない。それがキースに限ってはこの上なく美しい音楽となって結実した。 もちろんあんなものはジャズじゃない、という猛烈な反発もあったし、「即興」とはもっと不協和音とアヴァンギャルド「であるべき」だという奇妙な主張もあった。(「であるべき」と言ってしまえばそれですでに「即興」ではない)
つまるところ聞き手がどう考えるか、だけのことなんだけれど、たんに「黒くない」という理由なら、確かに狭義のジャズじゃない。キース・ジャレットの音楽はそれを飛び越えている。
ぼくはジャズが好きだけれど、だからといって好きな音楽に垣根を作りたくはない。いいものはいい。好きなものは好きだ。
ジャズが好きということでは有名な村上春樹さんもキースだけは聴かない(と思う)。そこがぼくと違う。ぼくは聴く。だからぼくは村上春樹さんとは明白に違う趣味を持っているわけだ。実はそれでほっとしている。彼が語るジャズの名盤のほとんどはぼくの趣味と一致しているんだ。それだとつまらない。彼の著作は大好きだけれど、最近、趣味の違いがあることを喜ぶようになってきた。 へそまがり?。そうじゃないと思う。
以前は違っていた。正直に言えば、たとえば大好きな詩人なり小説家が自分と違う趣味を持っていたりしたらがっかりしてた。それは単純な自己同一化。「子供」だよ。いつごろからかそれが変わりだし、自分の好きなものを持っていることを恥じなくなったんだね。 良し悪しじゃなくて好き嫌いだから、どうということは無いんだけれど。
どうということはなくても、その音楽の持つ内的なパワーが自分の精神的な作業とシンクロするとなると、話しは少し違ってくる。 で、きのうキースの旧作を聴いた後、「ケルンコンサート」を聴いたんだ。すると今、ぼくが求めていた音楽はこれだったということに気がついた。たぶん「パリコンサート」もそうだろうと思う。
CDラックのハービー・ハンコックの作品群の隣にキースのコーナーがあって、長らく手をつけていなかった。スタンダード・トリオやカムバック後のソロは聴いても、コンセントレーションの極みのようなかつてのソロ・インプロヴィゼーションには手をつける気も起こらなかった。ハンコックはよく聴いたけれど。
「ケルンコンサート」を久しぶりに聴いて、自分がどれほどキース・ジャレットを好きだったのか思い出した。それにしても何故聴かなくなったんだろう。何故…。
しばらくして思い当たったのは、「聴ける自分」に戻ったということ。だとしたらとてつもなく長い「不在」がぼくにはあったということになる。あるいは自分というものを粉々に砕いていた時期があったと…。
あるジャズの店。ぼくがいくとマスターが黙って必ずかけてくれるLPがあった。20代のいつのころだろう…。それはマイルスでもコルトレーンでもなくキース・ジャレットのサムウェア・ビフォアだった。あのころの自分…。今になって戻ってきたのだろうか。
とにかくクリアになる。いいね。 もう一つの何故がある。 どうして突然、キース・ジャレツトを聴きなおそうと思ったんだろう? それが全然わからない。
2004年06月08日(火) |
N‘s jazz house vol.5 |

ぼくは一時期、ジャズといえばキース・ジャレットばかり聴いていたころがあります。 20代の何年か。 「ケルン・コンサート」はもちろんだったけれど、ソロのほかにコンボの演奏が好きでした。きっかけとなったのは「SOMWHERE BEFORE」という作品。とても美しいマイナーのメロディーのリフがあって、たちまち虜になったものでした。今日、紹介するのは、さらに名盤だと思っている「DEATH AND FLOWER」(邦題「生と死の幻想」)。1974年の作品です。
思えばこの作品のリリースから30年が過ぎたんですね…。
30年たってどうかと言うと、まったく輝きは落ちていないし、むしろキースの音楽性の多彩さ、彼の特徴でもあるメロディーの美しさを再確認できるし、そしてコンポーザーとしての才能と先見性を思い知るし、曲づくりがまったく「新しい」ままだということにも気づきます。 ぼくにとっては名盤ですね。
メンバーは キース・ジャレット…ピアノ デューイ・レッドマン…テナーサックス チャーリー・へイデン…ベース ポール・モチアン…ドラムス ギレルミ・フランコ…パーカッション
キース、へイデン、モチアンのトリオが核で、そこにレッドマンが加わり、さらに本作でギレルミが加わった形です。 デューイとヘイデンはオーネット.コールマンのコンボでキャリアを積み、モチアンはビル・エヴァンスのコンボで活躍していたという相当の強者で、変幻自在の素晴らしいプレイを聴かせてくれます。 現在のワールドミュージックのアイデアを内包した、こんな素晴らしい演奏が1974年にすでに存在したということが、凄いことです。
キースのピアノは繊細で美しく…特にニ曲目の「PRAYER」(邦題「祈り」)を聴いてください。この曲はベースとピアノのデュオなのですが、このピアノはとにかく美しい。
現在のキース・ジャレットといえばスタンダード・トリオの演奏が、とにかく凄くて、そちらもたっぷりと聴いていますが、若く音楽的な野心に満ち、新しい「航路」を開くべく大胆に、怖れを知らず、美に耽溺していくかのような演奏を展開していたころの、「前のめり」の姿勢にたまらなく惹かれます。
オリジナル・ジャケットにはキースの詩 DEATH AND FLOWER が書かれています。 その中の一節。
私たちは誕生と死の間を生きている あるいはそのように自分自身を納得させている 本当は自らの生の絶え間ない瞬間に 生まれつつあると同時に 死につつもあるのだ 私たちはもっと花のようにつとめるべきである 彼らにとっては毎日が生の体験であり、死の体験でもあるから それだけに私たちは花のように生きるための 覚悟を持たなければならないだろう
その後のキースの華々しい活躍と大きな病を得てほとんどピアノから離れた時期と、そして復活と、そんな時間の流れを想うとき、この詩とこのアルバムはとても意味深いものとして読めてきます。それはたぶん花から種になり樹となっていったミュージシャンの、たぶん最も「花」であった時代の貴重なドキュメントとして。
その後のキース作品については、ぼくのホームページの「MUSIC REVIEW」のなかで、「Melody at Night,With You」に関して感想を書いています。よろしければそちらもどうぞ。
2004年06月07日(月) |
チャチャ、デヴュー! |
4匹目の猫、チャチャがいよいよ他の三匹の前にデヴューしました。 生後2ヶ月へあと二日、というところで獣医さんからOKをいただいてのデヴューです。 三種混合ワクチンも接種。健康状態も良好。隔離してあった廊下からダイニングへ。そこには前の3匹の誰もが使った大きなケージが。 今日からそこでの生活になります。
扉は開け放ち、先輩猫たちの出入りは自由。チャチャが寝ている時は自由にケージの網ごしに中が見えます。また、人がいるときは外に出たチャチャが先輩猫のところへ行けます。
さて、結果は…。 まず階段の昇降を練習したあと一気に二階へ行ったチャチャの前にはキキが寝ていました。二匹はともに「石」に…。微妙な距離を保ちつつ離れるとまた階段をいったり来たり。再度上がると踊り場でルルが待っていました。凍りつく2匹。 チャチャはあまりに巨大なルルに驚いたのかフーフーと吹きながら、後ずさり。ルルは表情一つ変えず、「ふーん、きみかぁ」という感じ。 チャチャは一階のケージへ駆けこみました。
さて夜です。ずいぶん慣れてきたチャチャは一番の気難しやのピピのいる部屋の奥のベッドの下まで進出。すると「キェーーーーー」「ヒュウグルルルルルー」というこの世のものとも思えないピピの威嚇の声が響き渡りました。 チャチャはびっくり、というよりめげましたね。下に降りてから、なんにも助けてくれないぼくにヤツあたりです。 「さわらんといてーーー」というかんじ。
うーん、ちと時間がかかるけれどキキの時もそうだったし、なんとかなるでしょう。まずオスのキキとルルとくっつくでしょう。ピピは仕方ないです。「姫」にしてしまったから…。 「日にち薬」じゃないけれど、のんびりと会わせていきます。
梅雨入りしたんです。一時的にバケツをひっくり返したような雨が降りましたが、天気は画像のとおりです。夏ですね。
要は自ら覚めればよいのだ。することはいくらでもある。そのことに気づいたら次は工夫をすればいい。 本当は単純なことなのだけれど、自分で難しくしているところがある。 少し調整しよう。
柴田元幸さんの「柴田元幸と9人の作家たち」。 行き詰まったらこの本を開く。たとえその作家の本を読んでいなくても、この本は読む値打ちがある。同じ時代を生きるアメリカの作家たちの、「今」の声が、溢れている。
「ああ、そうやって書いていくのか」という刺激がびんびんくる。
やはり「声」なんだ。「自分の声」。 耳を澄ましていなくては。
2004年06月05日(土) |
「法」あるいは「修行」 |

今日から本格的に「ものを書く」姿勢が整った気がしています。 少し迷いがあったのですが、完全に吹っ切れました。
それを援助してくれた三つの要素が今日揃って目の前にありました。
ひとつは「エミリ・ディキンソン詩集」。 もう一つは「バッハ ミサ曲Bマイナー」。 最後に永平寺住職、宮崎禅師のお話。
宮崎禅師の明快なお話、実はNHKスペシャルでの放映なのですが、用事もあって見ることができないと思っていたのです。ところが、デジタルハイビジョンのBS9では6時から先行放映していて、しっかりと観て、聴くことができたのでした。
宮崎禅師は104歳。「全ては禅である」という声が五臓六腑に染み渡った気がします。何も坐ることだけが禅ではなくて、歩けば歩くことが禅、話せば話すことが禅。環境もまた私であるから、私が曲がっていれば環境も曲がる。その逆もそのとおり。ウンウンと頷いていました。 そしてつまるところ、坐禅は欲望を断つ技術であると観ました。
あすから妙心寺の大方丈で一般の参禅会が早朝からあるのです。いきたいと思う一方、犬や猫や家の用事もあって無理かなと思っていたんですが、うん、なんのことはない。いるところで禅をすればいいのです。
「前も後も見ない」「やるべきことに集中し考え、実行する」 あり難いお話をいただいた気がしています。
「バッハ ミサ曲 Bマイナー」は以前、メールであるかたから教えてもらった、「ル・ペティット・バンド」の演奏しているCDを求めようとして、直観で選んだ2枚組です。 ぼくはバッハが好きでよく聴くのですが、これほど自然でしなやかなバッハの演奏は聴いたことがありません。音がとても温かく、柔らかでしかも力強い。
この曲は「大ミサ曲」とか「荘厳ミサ曲」として有名なのですが、そんな大袈裟なところがまったくありません。活き活きとしたコーラス、アリア。そして古楽をみごとに奏でるル・ペティット・バンド。優れたディレクションを与え続ける指揮者のグスタフ・レオンハルト。 宗教的な意図を考えに入れなくても、この演奏と曲の精神性の高さは素晴らしいと思います。 最初の「キリエ」が始まったところから、じっと耳を傾けつづけました。
ディキンソン詩集。 昨日も少し書きましたが、この方の「信念」。これには学ばなければなりません。 全編を黙読したあとに湧きあがる感情を見つめてみたいと思います。 真っ白な雲のように詩篇のいくつもが、こちらを見つめ返してきます。
と、これらの三つのことがぼくのなかのなにかを確定してくれた気がしています。 「やるべきことをやる」。 それにつきます。
1冊は「エミリ・ディキンソン詩集」。 19世紀のアメリカの女性詩人。生前1冊の詩集も出すことはなく、ながらくアメリカでも無視されつづけてきました。死後半世紀が過ぎて日本に紹介されたぐらいです。したがって詩の原稿にタイトルがありません。 すべて制作順の番号表記と最初の一行をタイトルとしています。
いま、ざーっと1回目を読み終えたところですが、すばらしく「イマジネイティヴ」な詩が溢れていました。彼女のたった一篇の詩にインスパイアされてマルグリット・デュラスは小説を一つ書き上げたくらいです。 そしてキリスト教、とりわけ聖書が重要なファクターとしてあります。神に語りかける清貧な日々。詩人としての誇りは自らを孤高のストイシズムに置き続けたようです。
これから何度も読む詩集になるでしょう。
もう1冊は「育つ日々」。 こちらはゴザンス・ライター仲間の「たりたくみ」さんの本。ぼくと同じ「100人の読む本」として発売されたのでした。 こちらもたりたさんの人生がみっしりと詰っていて、「育て育てられ」という「家族」の生きてきた時間の尊さがとても感じられる本です。
こちらもこれからゆっくりと読ませてもらいます。
あすはバッハのミサ曲のCDを受け取りに行ってきます。 待望のラ・プティット・バンドのCDです。リリースされたのは以前になりますが。ドイツ盤です。
「詩人」と呟いただけで、もう回りには誰もいない。そんな状況が詩人である、と思っています。
音と言葉の経験を経ながら、明日からもこつこつ刻んでいきましょう。
見事な満月の夜、外の猫たちはいそいそとみな出かけています。 人間も月の影響はもろに受けていて、今宵、自らのうちをそっと覗いて見るにはいい夜かもしれません。
本はいろいろと読みたいものが待っていて、そのひとつに「やわらかな遺伝子」という本があります。たぶんもうベストセラーの仲間入りをしたのかな? 「ヒトゲノム計画」という人間の遺伝子の全てを解析しようという試みがいよいよ達成される段になって、遺伝子のふるまいがかなりはっきりわかってきたのです。
簡単に言ってしまえば、人間の考えをはるかに超えたものであったことといっていいでしょう。 大事なことは大雑把に言って二つあり、 一つは「○○の遺伝子は○○の働きをする」という明確な「それだけの役割」が最初から決まっているわけではないということ。たしかにその遺伝子は何かをやるときに発動するのだけれど、最初から決まっているわけではないということ。 もう一つは、それに付随してだけれど、だから遺伝子で全てが決まるということはなく、また遺伝子に関係なく全ては環境で決まるというのもまた違う、ということ。
まとめていうと遺伝子は環境に応じて自らの働きを柔軟に変え、あらたな「遺伝子の活動」を生み出している、ということのようだ。 これはおそろしく画期的な発見といっていいんじゃないかな。
さっき否定した二つの考え、「遺伝子決定論」はヒトラーのナチスドイツの考え方だし、「環境決定論」は共産主義の考え方だから。 実際の遺伝子はそのどちらでもないんだということ。 やっぱり人間って凄い。というか生き物全てが凄い。遺伝子がそのように働くということは自分らしさだとか、生き方を考える上でとてもヒントになるんじゃないかな。
で、やはり暗黙のうちにその存在がある、と断じるしかないのが「神」という存在。便宜上「神」という言葉を使ったけれど、それ以外に説明がつかない部分があるのでは。
とまあ、もっと精読しなければなりませんが。
本といえばたぶん明日、詩集が届くはずです。エミリ・ディキンソン。 この人の花の詩を読んで深く感じたものがあり、詩集を注文したのです。
アメリカの古い詩人。生前、社会に発表した詩は5編だけ。死後膨大な詩篇が発見され、全詩集が発刊されたのはなんと死後70年近くたってからだといいます。 その詩は60年代のアメリカの詩人たちに多大な影響を与えました。
そのストイックな生きざまから生まれた詩篇を、さらに我が血肉にしたいと思っています。
明日から原稿書きに没頭します。
隣家の御婆さんが急逝された。今日の午前中だという。 天神さんの近所の眼科へ通っていて、そこで倒れたのだと。
今日はごみの分別回収の「缶の日」で、いつもの黒松の木の下に持って来たのは御婆さんだった。うちの北隣も老夫婦が住んでおられて、そこの奥さまとツツジの花と満開になった紫陽花を愛でていたのだという。
急なことで、町内に回覧版が大至急便で回る。通夜と告別式の日取りなど。 北隣の御婆さんの家に回覧版を持って伺うと、声が震えていた。 …ほんの、つい…わたし…朝、はなしたのよ…あの人と…おとうさんはいかがって…花がよく咲きましたって…。 ぼくを帰さない。大きく開かれた瞳でしゃべり続ける。 …あの人…どこも悪くないって…
ふたりで表に出て、紫陽花の前で話は続いた。 「わかりました」とぼくがいうと 「いいえ、わかりません」と御婆さんはいって話を続ける。 ぼくは黙って聴く。
…裏の人たちは、嫁思いやいわはる。ころんと死ねたらええやんか、いわはる… …そやけど…ねえ…だってわたし、今朝…。 話が終わらない。
都市の古い街は老人ばかりだ。「裏の人たち」というのは、うちの近所の人たちのこと。8割が老人である。みな、亡くなった人よりも年上である。
震える声は何かに怒っているようで、抗うようでいて無念さを隠そうとしない。 亡くなった御婆さんの旦那さんは寝たきりである。
悔しさと怖れ。しかし、今までをきちんと生きてきた力は、明日の朝をきちんと迎えることをぼくは知っている。
死はどこにでもある。あたりまえのように。 祈りがあり畏れがある。それを芯から受けとめる。
突然差し出された死の姿を、ぼくらは紫陽花の前で噛み砕いていた。
蒼が濃い。
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