散歩主義

2003年05月31日(土) 落ちこまない

ヤンキースの松井のインタヴューが面白かった。
落ちこんだ時の対処法を聞かれての答え。
「ぼくはおちこまないんです」。

誰がどう見ても落ちこむような状況であっても、彼は落ちこまない。
落ちこむことがなにも生み出さないことを、よくよく知っているようだ。その代わりに彼は徹底的に「分析」をする。松井の打法が時として「赤本打法」といわれるのは、そういうことがあるからだ。綿密にデータを分析し、自分の弱点を自覚し、徹底的にイメージし、とにかく練習する。

つまらないという人が多いだろうな。

ハイビジョンスペシャルの「大リーガー松井秀喜」にも、その片鱗がチラリと見えた。なにが彼をこうまでさせたのだろう。
やはり「夢」の実現なのだろうな。イチローの目標が「誰の記憶にも残るプレーヤー」だとしたら、松井の目標は「遠くへ打球を飛ばすこと」だ。草野球でもそうだけれど、いくらヒットが打ててもホームランというのはなかなか打てるものではない。松井はためらいもなく「これは選ばれたものにしか飛ばせない」と言う。

少年時代は誰もがホームランバッターに憧れる。そして打てるときもある。だけれども、レベルが上がるに連れて「自分がそうではない」ということを、ほとんどの人間が思い知ることになるのだ。いくら努力しても、強い打球が打てたとしても、球は簡単にはオーバーフェンスはしない。松井はその「選ばれたもの」になろうとしつづけている。

ヤンキースのパワーヒッター、ジオンビのとてつもないホームランに驚愕し、自らもいつかはああなると決意しているに違いない。
当初、メジャーではなく下の3Aからのスタートでもかまわないと考えていたトーリ監督は、ヤンキースタジアムでの松井のスイングを見て、即、一軍スタートを決断したという。松井には「なにか」があったのだ。

松井は「選ばれたもの」という言葉を使うけれど、普段から特別な自意識でいるわけではない。彼は「夢」に忠実なだけだと思う。それに必要なことを全身全能をかけて取り組んでいるだけなのだ。「やるべきをやる」。それだけなのではないだろうか。

翻ってみれば、この世に生を受けた誰もが「特別な」存在であり、「選ばれたもの」なのだ。野球でも松井がイチローにはなれないように、新庄のような強肩にも恵まれていないように、誰もが「選ばれて」、すでにいるのだと思う。

何をするのか。夢はあるのか。そのことだけを抱きしめていればいいのだ。
「落ちこむ」という言葉を考える隙間もないぐらい。



2003年05月30日(金) しょうがないね。

昨日の午後から、またしても「通い猫」の子猫に振りまわされてしまいました。
どんな猫かというと、生後そろそろ2ヶ月ぐらいで、キトラのお母さんとその姉妹とに育てられている猫。母猫たちが小さいころからうちでえさを食べていたことから、彼女たちように用意したダンボール箱で生まれ、そのままうちの物干しの極小仮設テントでそだっていったんです。で、だんだんと成長して隣の家の敷地ないにダイブするというところまでは、ここで紹介したと思います。

その2匹の仔猫のうちのやんちゃな奴が、こんどは逆側の隣の家の屋根にいつのまにか降りていて、(うちの近所は坂になっているんです)うろうろ。そしてとうとう泣き出して、人間の知るところとなりました。つまりね、奴は降りることはできるけれど上ることはできないんですよ。そのことを知らない。

で、母親猫は心配してうろうろするし、おばさん猫もぼくのほうを見るばかりでどうすることもできません。首の後ろをかんで持ち上げるにはもう、大きすぎるんです。大きいけれど力はまだない、という微妙な時期なんです。
そうこうするうちにとなりの家の物干しによじ登ることに成功して、そこで母親猫の胸の下にもぐりこんでやっと落ちついたんです。人間が手を出すとものすごいスピードで逃げまわるのでそのまま観察してました。

すると、こんどはうちの物干しのもう一匹のちびが泣き出しました。あわてて母親猫はそちらへ。すると今度は下で泣き出します。上にいったり下にいったり、母親猫は大忙し。そこで、隣家と協議の上、潰れて解体してあったベッドの板を物干しから物干しえ渡して、そこを登れるようにしました。でもね、登らないんです。
家と家は建て込んでいるから、そんな距離じゃないんですけどね。

そのうちに、みえるところに兄弟も母親もいることに安心したのか、泣きつかれたのかうちの物干しのちびがダンボールに戻ったんです。そのまま寝たのかな。
で、母親猫とおばさん猫が、隣の物干しへ。ふー。そこまででもう人間も寝ました。

ずっと続いているように書いてますけれど、この間に用事を済ませ、犬の散歩を済ませ、あれやこれやと処理すべきを処理しながらの出来事なのです。ご飯も食べたしね。

で、朝です。隣の物干しには母親猫とおばさん猫に抱かれた子猫が一匹。うちの物干しを見ると柵の隙間から子猫がそれを見てます。うちの子猫に水とご飯をやって、それから隣の家の屋根に「となり組」の連中のごはんを置いて、様子を見てました。なんどか母親が登りかたの見本を見せて、やつは何度か落ちながらついにうちの物干しに帰還。あーーーー、やれやれです。

これもスムーズにいったように書いてますが、この間に雄の通い猫たちがごはんを食べに来て、近づいては母親猫に「ふぅーーっ」と凄まれて退散したり、流れ者の黒猫が来て、喧嘩になったり、ぼくも犬の散歩、朝食、洗濯、掃除をしている間の出来事だったのでした。

今、全員物干しで寝てます。明日からは台風がじんわりと近づいてきます。もう、しばらくでいいからじっとしとけよ―。ほんに。
しょうがないね。

そうそう、子猫を見たい方はうちのサイトのトップページ。中央のピンクの薔薇の下にいますから、ポインタを画像の上において見てください。




2003年05月29日(木) 京都の詩人

現代詩手帖の新しい号は「戦後関西詩」の特集。
関西詩といえば、なんと言っても大阪であれば小野十三郎。京都であれば天野忠。このおふたりの故人の名前が必ず出ます。

昨日は富岡多恵子さん、正津勉さん、その他の方のエッセイを読んで、そんなこともあったのかとうなづいてばかり。
現に河津聖恵さんのように京都在住のH氏賞受賞者もおられるけれど、「京都の」と言われるとやはり天野さん。「大阪の」となると小野さんになります。
通天閣や南の繁華街とか…いわゆる「観光」的な大阪はいっさて出てこない大阪の詩。東京に背を向けて、ひたすらに京都で続けられた詩作により生まれた、輝く作品たち。

そこにある詩人たちこそ、「詩を生きる」お手本です。詩を書くことをほとんど断念しかかって読まなかったそういう本を、今、読んでいます。
はじめて「生きはじめた」のかもしれない。
今度ばかりは退くわけにはいかないので。

何者かになるというのは二の次で、とにかく書いていこうと決意を新たにしたしだいです。

それにしても「系譜」…。
小野十三郎、金時鐘、梁石日、富岡多恵子。…名前を書いてるだけで凄みがある。
京都だと天野さんに近いところでは山田稔さんがご健在です。こないだ「リサ伯母さん」を読んだところ。そして大野新さん。このひとの「酔って歩く死体をずらして」というフレーズは若いころ呪文のように唱えていました。

現代詩の別の側面が関西にはあるような気がします。



2003年05月28日(水) 朝は植栽から。

爽やかな風が吹き、五月晴れです。
朝から植栽の手入れ、薔薇の2番花の蕾をチェック、するとオクタヴィア・ヒルが開ききっていて、中輪のオールド・ロードの「顔」になりました。トマトのわき目摘みをして、きゅうりに交叉する支柱を立てました。はやくもツルが巻きはじめています.裏の日当たりの悪いところにおいてある、デンドロビウムもきれいにしてました。ずっと家の中で育てていて、暖かくなったので外に出したスパティフイラムが白い花をつけました。水芭蕉みたいな花です。それからミントとオレガノが伸びすぎたので、少し収穫。

折られてしまっていた黄色い薔薇ランドラに待望の新芽がふたつ、吹き出しました。一安心です。生きてました。薔薇にはマルチングといって根元の乾燥を防ぐために藁をしくのですが、うちではルイボス茶の出し殻を乾かしたものを蒔きます。今日すべの薔薇に蒔きました。

あとで「よしず」を買いに行こうかと思ってます。陽射しがだいぶきつくなって来たので。
植栽をいじってると、ぼくは「外」のほうがあってるのかな、と思います。いちばん似合うのは作業ズボンだといわれたこともありますし。

東北で地震がありました。震度6だと、いろいろなところがかなり痛んでいると思います。神戸の地震の時、京都は震度5だったと思うんですが、それでも相当きましたからね。震度が一つ変わるというのはパワーが各段にあがることを意味します。うちのサイトからのリンクではZenさんが心配です。だいじょぶでありますように。



2003年05月27日(火) 静かでゆっくりとした刻

昨日に引き続き、コンテンポラリー・ハワイアンを聴いてます。男性ヴォーカルのケアリ・レイチェルに対して、女性ヴォーカルでよく聴くのが、ロビ・カハカラウ。
透明感があって風と海を感じるにはもってこい。音楽がそう感じさせるのと、彼女がそれを感じながら歌っているんだろうなと思わせるところが、好きです。
リピートにして聴いてるのは”I can‘t make you love me”。恋を失いそうになりながら朝を待つ歌。明けてくる高い、高い朝の空をイメージしています。
ほかにもネイティヴの優れたシンガーはいるのだけれど、ロビはポップでアーバンを感じさせます。「ハワイ」という冠をとったらどうだろうとも思うけれど、ゆったりとしたリズムとのびのびとした声はやはり「ハワイ」なんだろうな。
曲がかかっている時の時間の感覚が違うんです。

通い猫の子猫たちが毎晩、隣家の敷地に落ちて出てこられずに泣いています。出られないのがわかっているのに、屋根伝いに降りて、最後は地面に落ちるようにジャンプしているらしい。そのたびに隣家の奥さんに、ダメだよ、もう、落ちちゃと叱られているんだけど、また繰り返す。
となりの家には寝たきりのおじいさんがいるので、とても迷惑をかけているのではと思って、うちの物干しのアルミの柵に簾を横に通して壁のようにし、下にダイブできないようにしました。考えてみれば野良なんだから好き放題やるのは当然で、いやなら追っ払えばいいんだけど、あのままでは母子ともに死んでしまうので、餌をやっているんだけれど、ダメな所はがんとしてダメと怒らなければ。
ほとんど飼い猫ですね。

こういうことがあるたびに保坂和志さんの「猫に時間の流れる」にでてくる、『猫はわかっているのと同じくらいわかっていない』という言葉を思い出します。まったくそのとおりなんですね、これが。
保坂さんのこの本には『猫は人のメタファーでもなんでもない』というくだりがあって、そのことでぼくの詩を点検をしてもみたのでした。あの、それってとても楽な詩のでき方なんです。

だけどぼくの詩では猫は南風を見るだけ、柴犬は胸を張るだけ、と思いを付与しているのは「ぼく」なんですよね。そこらへんはこれでいいんだ、と。
簡単に言えば猫や犬をメタファーにすると「クサイ」んですよ。というか人の勝手なんです。それにはそうじゃないかなと思っていて。
だけど、「いいんだ」とは思ったけれど、理論的にはもっともっと「薄く」スライスして積み重ねるような詩に書き換えているところです。

いちおうサイトにアップしてある詩はすべて「可変するテキスト」です。今、いつできるかわからない「紙の本」めざして整えて書き継いでいる原稿もサイトにアップしたものが多いのですが、全部書きなおしています。書きなおしていないのは「光の織物」と「マリオネットの朝」。このふたつはこれ以上はいじれませんでした。

さてと久しぶりに晴れてきました。時間があれば自転車に乗りたいですね。

ではでは。



2003年05月26日(月) In My Life

ワードを今のようには使わなかった。ほとんどノートだった。自分の詩とか短文を初めからPCに打ち込むということは、まだやりだして何年も経っていない。増え出したのはたぶん、ゴザンスに投稿するようになってからだと思う。他の投稿は原稿用紙を指定しているし、まだノートに鉛筆で書き始めることが多い。ただ、メモの段階で書き記すことをPCに移した。これは紙のメモの散逸が激しいという理由による。かさばるから見ない。見ないから忘れる。さすがにそれは減ったけれども、闇に消えたアイデアもたくさんあるように思える。
 今日、ゴザンスの800字のテーマをアップロードしたけれど、まず紙の上のメモ、紙の上のテキスト、ここでリライトしたうえでPC上のテキスト、ここからはPC上の作業で原稿用紙よりも圧倒的に速く字数計算、リライトをしてそのまま貼りつけて投稿。そんな作業をしょっちゅうするようになった。だけどアイデアは突然やってくるものだから、紙のメモは不可欠ではある。

 昨日書いたハワイアンがいい。ネイティヴのコンテンポラリー・ハワイアンと言うべきもの。スティールギターとウクレレだけじゃないんだけど、説明しても仕方ないね。
要は素晴らしい声があるということ。ほとんどアコースティックなサウンドに乗せられた透明な声が聴ける。ケアリ・レイチェルの「In my Life」は昨日からことあるごとに聴いていて、ハワイアン・チャントから導入されてジョン・レノンの歌詞が歌いだされるんだけど、じっと聞き入ってしまう。彼が凄いという事もあるけれど、ビートルズの曲の力も再認識。聞き入ってしまうのは、少なくともぼくにたいしてはパワフルなんだ。

 さてと…。そろそろ原稿用紙を指定しているところへの原稿を起こさなくては。…。また「光」。ゴザンスの「ことばあそび」にモチーフもあるけれど、さらに「光」のあるところを考えます。



2003年05月25日(日) 「文滴堂」の由来など

昨日、寺町を走っていてショックだったことがある。「文滴堂」の名前が消えていたのだ。
御池から四条までの寺町商店街。寺町は京都のど真ん中なのだが、その三条に文房具の「文滴堂」はあった。ぼくは若いころからそこでノートやファイル、筆記具から手帳。仕事をしだしてからはさまざまな事務用品もここで求めた。

河原町の今中壷中堂とならんでの老舗だったのだ。「文滴」というネーミングが好きだったのもある。で、文具はたいていここで買っていたというわけ。そこの名前が消えてしまった。
なんだかわからないカタカナの名前になっていた。文房具を扱っている事には変わらないのだが、どうも量販店のチェーンのような名前だった。

ぼくが自分のメルマガの名前をこの店に敬意を表したつもりで「西原文滴堂」としたのだけれど、当の本家がなくなってしまった。
「文滴」。
なんだかこの名前がとてもいとおしくなってしまった。
大事に使います。

ところで、ハワイアンをまたしても聴いております。ケアリ・レイチェル。ぼくが思うには、現在ハワイでナンバーワンの男性シンガーじゃないかな。この人がビートルズの「In my Life」のカヴァーを歌っています。これがいいんですよ。風と海、そして愛。この人の歌はどこを切ってもそれが出てくる。
新しい愛を歌うこの曲、ジョン・レノンらしいですよね。
透き通った声がとても気持ちいい。



2003年05月24日(土) なんでん かんでん

今日久しぶりにコルナゴに乗りました。メッセンジャーバックと短パン。このスタイルは秋まで続きます。思った以上に脚が動いたな。あ、それと今までなかった、ケータイも持って。

京都は新緑につつまれてきました。最近、カツラの木に人気がでだしたのか、新築の家の庭木にカツラが目立ちます。カツラの若木はひょろひょろとした細い幹が2,3本伸びているというシルエット。例の心臓の形の緑の薄い葉がひらひらしてます。そんな光景を何度か見て、梨木神社へ行ってみようと思いました。例のカツラの古木です。
街のど真ん中を縦断して御所の横へ。見事な緑が繁っていました。

秋の終わりに来た時にはもう落葉していて黄葉をあまり見ることができなかったんです。で、クリスタル・ヴォイスといううちの掲示板の背景画像にこのカツラの古木(愛の木という立て札があります。御神木です)の木肌を使ったのでした。
ほんとは鴨川の床をデジカメで撮ろうと思っていたんだけれど、結局カツラの葉を撮りました。

背景、こないだ変えたばかりだけれどなぁ。だけど、また変えたくなってしまった。どうしよう…。

薔薇はほとんど満開状態。一番花が終わっていきます。一季咲きのものはこれで今年の花はおしまい。名残惜しいけどまた、来年です。うちの場合はツル薔薇のピエール・ド・ロンサールがそう。驚くほどたくさんの花をつけて、色も香もすばらしかったです。今、その目を奪うほど綺麗に咲いているプリンセス・ドゥ・モナコは四季咲き。これから一年が楽しみ。
どちらも花が終わってからの「御礼の肥料」が大切で、とにかくものすごいエネルギーを出してますから、木が疲れています。昨日、花の終わった白いホワイト・マスターピースと赤のプライド・オブ・イングランドの土の手入れをしました。

植栽でのイベントはトマトときゅうりの管理と枇杷の実とり。枇杷の作業は大変。
木が大きくなりすぎて、獲り込むのに一苦労なんです。枇杷の剪定は9月まで待ったほうがいいのです。だからあんまり深くは切れないし…。
初めてのトマトときゅうりは順調です。トマトは黄色い小さな花が咲きだしました。きゅうりにはそろそろ肥料をやろうかなと思ってます。


で、猫です。
通い猫の子供たち、やんちゃ盛りになってきました。事故もなくすくすくと母猫のもとで成長しています。母親猫はキトラの三姉妹のうちの一匹なんです。ちょうどうちのキキとおんなじ色。この三姉妹もちびの時から母親に連れられてうちの裏に来てました。ずっとここにいるわけです。こんど子猫を育てているのをキシと呼んでいますが、「育猫」を姉妹の一匹が手伝っているんです。さすがに母乳は出ませんけれど、母親が留守の時は子猫の面倒を見ているし、子猫に添い寝してあげています。その猫は雌なのに目が大きいから「けんとくん」と呼ばれていましたが、いつのまにか「おばさん」と呼ばれるようなりました。

「おばさん」と「キシ」。子猫2匹が、物干しの特設猫小屋にいます。物干しから下に一度落下したけど、大丈夫でした。それと三姉妹のもう一匹「さゆりさん」が近所に一人住まいしてるみたいで、ご飯になると現れます。情けないのは雄ニ匹、出産前後に相次いで失踪。流れ猫なんかにも負けずにがんばるキシやおばさんをほったらかしにして、子供も母親も安定した最近になって帰ってきました。
ま、追い出されていたのかもしれませんがね。名前は「くろ」と「とら」。はは、そのまんまの名前です。

つぎは犬です。
ジャンは人間の関節痛のための健康食品と、玄関をゆるーい段差にしたのが効を奏してなんとか外へも出ていきます。ただ、無理をすると脚がつらいようで、そぉーっとしています。だけど家の中では元気。ひとなつっこさも相変わらず。美男子でありますな。ハナはマイペース。元気です。このところ、お太り気味。雑種はやはり強いですね。
ジャンを家の周りだけ歩かせたあと、ハナともう一度、散歩に行きます。これは結構、遠出。「ふたり」しか知らないスポットが増えてますね。ケヤキの緑のドームとか…。

本ですが
保坂和志さんの「言葉の外へ」「猫に時間の流れる」を読みました。
村上春樹版「らい」はまだ読んでます。

保坂さんの本にちょっと衝撃を受けてしまって。こんな人がいたんだ、と。
詩は…。井坂洋子さんの新作待ちです。古い詩集では高橋睦郎さんの読めていないものとかをゆっくり探してます。

音楽なんですけれど
インディーズを少し。あとは松本隆さんの「風待フラッグ」待ちです。
メインは「趣味」のブラック。またかっこいいおにいちゃんのCDが出たみたいです。ジャズの「とりこぼし」「聞き逃し」を補填したり。あとはハワイアン。ネイティヴの音楽でとてもいいのがあるんです。

あー、なんだかいろいろ書いてしまった。
6月にはゴザンスから出る本に、ぼくの記事と詩が載ります。6月3日発売。
これはネット販売のみ。立ち読みしたい方はぼくのサイトのコンテンツのゴザンスバナーから跳べます。ぼくの記事も立ち読みできますよ。
全部じゃないけどね。


あー、日本語の歌が聞きたい。「風をあつめて」を聞こう。
ではでは。



2003年05月23日(金) 薔薇は赤、と思っていたけれど…

はたしてそうかな、と思いはじめました。確かに赤い薔薇は綺麗だけれど、それは切り花としてのほうが際立つ気がするのです。庭に置くとどうも居心地が悪い。
プリンセス・ドゥ・モナコがあまりにも美しくて、赤よりも縁がピンクで中がクリームの方がとても映えるのです。だけど、切り花にすればどうでしょう、とても静かな風情にはなるでしょうけれど、赤ほどの存在感はないでしょう。もっと極端なのは白い薔薇。これは切り花にするより外で光を浴びている方がずっと美しい。

さらにいうと大輪であればいい、というわけではないと言う事。ミニバラのよさがわかってきたんです。大輪は肥料も食うし、虫にも病気も脆いのです。発想が西洋的というか「20世紀的」。燃費の悪い大排気量の車のように見えてきました。
今日、フロリバンダ種のオクタヴィア・ヒルが咲いたんですが、この種は中輪で病気に強いのです。これぐらいの大きさの方がなんだか落ち着くんですよ。

なんだろう、この心境の変化。薔薇という植物の全体像がじんわりと見えてきたのかもしれません。
オクタヴィア・ヒルは「モナコ」と絡むように植えているので後ろにクリームのモナコ、前面に「オクタヴィア」のピンクが咲きます。「オクタヴィア」は花の数が多いのでこれから楽しみです。

朝の光の中でゆっくりと開いてくる薔薇。ほんとに美しいです。
鈴木省三さんが創った薔薇たちも、たぶん写真で見るよりも植えたほうが美しいと思います。鈴木さんの感性、「日本の薔薇」にいよいよ踏み出していこうと思います。とてもリリカルなんですよ。



2003年05月22日(木) 猫観音?で、あるか。

 実は日曜日の雨の日から気にはなっていたのだ。壁の「しみ」。

 うちではもう何年も、迷いこんできた野良猫を「通い猫」として、寝る所と食事とトイレの世話をしている。入れ替わりたちかわりもう何匹もの猫が来ては去りを繰り返してきた。
ここで命を落としたものも少なくない。たいていは元気になって、またどこかへと旅立っていく。ここで生まれた猫もいる。その場合は母猫を援助し、子育てを完遂させることを旨としているのだが、やむを得ず人間が育てる場合も出てくる。「うち猫」と呼んで、家の中で一緒に暮らしているピピ、キキ、ルル、の3匹がそうだ。
 通い猫の子猫が今年も春先に4匹生まれた。死産などもあって、現在元気に生きているのは2匹。親よりも人間になれている。
 出産から姿をくらましていた雄2匹も、最近ようやく帰ってきだして、雄2匹、メス3匹、仔猫2匹の体制になった。どこかへ消えたのは3匹だった。みんなある程度の時間が経過すると、人間から離れていく。どれほどなついた猫でも、ある日、ふっと消えるのだ。特に雄がそうだ。

 彼ら、彼女たちにいつもご飯を提供するのが、隣家との境にあるブロック塀の上だ。
朝と夜の2回。子猫たちは安全のために、雨のあたらないブロック塀の上の物干し台で母猫ともども面倒見ていて、こちらは朝、昼、晩の3回。
 そのブロック塀に猫の形をした染みが浮き上がった。

 よくテレビのバラエティでとりあげるような「画像」がリアルに目の前にあった。こないだは東大阪の司馬遼太郎記念館に坂本竜馬のシルエットそのままの「しみ」がコンクリートの壁に浮きあがり、来館者の評判になっている。テレビでも紹介されていた。
まさにあのような感じで浮きあがっているのである。先輩猫が後輩を心配してやってきたのかな。なんでも「ありがたく」考える「わたしんとこ」では、「猫観音」と呼ぶことにした。
 
 そう思えばなんだか和むし。「たたりぢゃぁ!!」なんて、つまんないから。
 まぁ、それにしても、よりによって絶妙の場所に浮き上がったものだ。
 


 記念にデジカメで画像を撮っておきました。猫好きの方は拝むように。はは、これは冗談。
見たいという方はうちのサイトのトップページからご覧ください。



2003年05月21日(水) なぜ詩を書くか。

 今月の婦人公論の詩の選が発表された。今回は佳作。「輝く水」という作品です。
投稿仲間も佳作でした。
 ところで、ぼくらのようなアマチュアにとっては月一度くらいのペースのコンペティション形式の投稿はとても励みになります。もちろん、選に入らなければがっくりくるわけだけど、それならそれで、とアタマをひねる。幸いなことに婦人公論では入選と佳作がわりとコンスタントに続いてきています。それに選者の井坂洋子さんの選評がとても楽しみだし。これは選に入る入らないに関係なく、いつも。

 今回の選評は「なぜ詩を書くか」というタイトルでした。現代詩手帖5月号の「いま詩はどこに届くか」という特集の余韻が感じられました。「手帖」のなかで井坂さんは「私のルール」と題して、『私は私の自由のために書いている』と結んでいましたが、それをさらに噛み砕いた形での表現が「選評」にかかれていたように思います。
 少し引用します。

『たとえば仕事でとか、締切があるので書くというのでは、仕事や締切に食われてしまっているわけで、主体がこっちではなく向こうにある感じがするでしょう。
 そこには自由がありません。
 作の巧拙はともかく、自分は自分の(生きる)ために書きたい。そこで停滞してしまったら、また自分を活かす別のことをすればいいという、これは偉大なアマチュアリズムの精神だとも思うんですよね。』

 この発想自体に「自由」を意識したものに感じます。このなかで今、ぼくにとっても重要だと思った言葉は『(生きる)』です。つまり『詩を生きる』。
 実際に井坂さんは仕事として、締切を守って書いているわけですけれど、本来の『詩が好きで自由な気持ちで書くこと』を回復させたいと願っているのではないでしょうか。「詩的衝動」と呼ばれるものを再確認するかのように。「言語表現を探るため」や「ことばあそび」そんなことがやはり詩を書くことの基本であり、始まりであり、「仕事や締切」に優先することなのだと。
 
 ぼくは「自分のため」という言葉を『「書く主体」を取り戻したい』という意味に解釈しました。言葉以前の「詩的なるもの」にまで、「言葉によって」踏み込むことをいとわない。それがぼくにとっての詩となるでしょう。
 
 詩とは決意だと思います。



2003年05月20日(火) 初めてのケータイ、「やれやれ」

ぼくは「主義」としてケータイを持たなかった。だいたい電話そのものにもあんまりなじまない。いつでもどこでも連絡取り合う必要なんて、ぼくにはなかったし、今もないから。

それがとうとうケータイを持つことになってしまった。理由はやはり「いつどこで起きるからない事態」のため。ひとつは人間、もうひとつは犬が理由。
それが「起きた」時にすぐ連絡がとれるように。それが「起きた」時すぐ連絡をとるために。

仕方ない。

で、ケータイをあれこれ見てみる。理由が理由だけにシンプルに使おうと思っていたのに、さっそくアドレスを変える。チャクメロなるものを変える。ところがiモードが初めてだからちょっと戸惑いが。でもPCを使ってる人だとすんなり覚えられる世界だった。

チャクメロはイエノモノの要請でハワイアンになりそう。今、探してます。まー、なにやってんだか。やれやれ。
そう「やれやれ」というと村上春樹さんの小説にしょっちゅう出てくる言葉ですが、これが今大好評発売中の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にも頻繁に出てくる。
ほんとは忌々しい気分の場面でもたいてい春樹氏は「やれやれ」と訳す。
ほとんど村上作品といっていいような感覚ですね。

ところで話を戻すと「公衆電話」が減りました。少ないですよ。10年ぐらい前の下校時はまだ、公衆にかじりついてる女子高生とかがいたけど、今、そんな人いないモンね。みんな歩きながらかコンビニの駐車場にへたりながらケータイかけてる。
ケータイもたない人だけ「やれやれ」とかいいながら公衆を探すんだ。老人にはどうなんだろう。介護のことなんかを考えればいつもケータイ持ってるほうが安心だけど、操作も大変だろうな。

といいながらマニュアルばかり読んでいるのであります。
薔薇はいよいよプリンセス・ドゥ・モナコが開花しました。ところが雷雨ですよ。
あー、やれやれだ。ったく。



2003年05月19日(月) 文庫本主義者

サイトの運営をしていると、トップページがなんだか週刊誌の表紙のような感覚になる。時々差し替えて、その時いちばん見せたい画像を貼りつけるわけだ。
今は薔薇。特に年一度しか咲かないものもあるのでそれを集めている。犬とか猫とか大好きな仲間もよく出てもらう。で、京都の風景は実は意図的に載せないようにしてた。観光ガイドみたいだから。それでも「これはいいでしょ」というのは載せていたけれど。

「家の者」にも「あんたのHPというのは詩のサイトとちゃうんか」と鋭く覚醒を迫られつづけているせいもある。その実、猫や犬の写真を載せろと脅すのもこの人だ。この人の読書量はおそろしく、ぼくの比ではない。時間が空いた時は必ず手には文庫本がある。「文庫本主義者」で、新刊のハードカバーはまず読まない。それをよく買うぼくは「馬鹿だ」そうだ。

海外ミステリーが主でほとんど読破してるんじゃないかな。ずっと日本のものは嫌だと言ってたんだけど、読むものがないので読みだした。こちらはミステリーではなくて生き方が面白い、ということで白洲正子さんを全部読破。それがこちらに回ってきたというわけだ。(読んでびっくり、こんな人がいたんだ。)
そういうふうにある一人の作家を決めたらその人の文庫本を徹底的に漁る。全部読みきる。白洲さんだけは例外中の例外で稀少本のハードカバーまで揃えたけれど。

読み切っていくその集中力たる傍で見ていて、げに恐ろしい。早いのだ。
そうやって制覇してきた「最近」の例だと、宮部さん、桐野さん、乃南さん、あと誰がいたっけ…。宮尾さんも徹底的に読まれてしまったナー。こういう人なので批評も恐ろしい。ほんとうに恐ろしい。ここに書けない。

その人が何をどうしてしまったのか江國香織さんを徹底的に読み出したのだ。何故だ!!どうも彼女の山本周五郎賞を受賞している本を発見したせいのようだ。「泳ぐのに適切でも〜」という本はじめ何冊かを仕入れている。ふむふむとよんでるけれど、根がミステリーだからねー。

実はこのひとのフェバリットは吉行淳之介なのだ。ぼくが読みだしたのも「これを読め」と命令されたからで、読んで…そして…はまってしまった。
で、詩集は読まない。こないだ堀口大学の詩をげらげらと大笑いして読んでいたが…。恐ろしいよー。
ゴザンス本についても鼻で笑われてしまった。くっそぉーーー。あ、一人だけこのひとが「よさそうやんか」といった詩人がいた。井坂洋子さんだ。
ぼくが婦人公論に向かったのは、そこに端緒がある。めずらしく好きな詩人が一致したのだ。

ところでこの人に見つからないようにこそこそとハードカバーをもとめようとしている。「高瀬川」平野啓一郎さん。これは立ち読みして、ひっかかってしまった。
なんとか…。

「それにしてもあんたは本を読まんなー」これがぼくに対するこの人の口癖である。
「それでは詩は書けんで」これも。おかげでがんばって書いてますが、ね。



2003年05月18日(日) バラ展

BBSでバラ展を見た。ちょうどヤンキースの試合の途中だったけど、松井がエラーをふたつもしてだれてたんで、思い切ってこちらにチェンジ。
ところで松井に限らず巨人の選手はデイゲームに慣れていない。他の球団の試合はみな、土日のいずれかはデイゲームになっているはず。より小さな子供や家族全体でも野球を愉しんでもらうために野球機構側が勧めていることでもあるのです。

ところが、巨人だけは圧倒的に少ない。理由は簡単。テレビのナイター中継の視聴率のため。強けりャいいんだろうね。強いからこそできるんだろうなぁー。
そういえば、今年は巨人選手の故障が極端に多い。デッドボールや激突といった事故ならしかたがないけれど、カチカチに硬い東京ドームが原因だということは昔から指摘されている。だから後発のドーム球場のグランドは柔らかくできてる。巨人の選手は膝や腰、下半身に故障が多いはず。

あ、巨人のこと書いても仕方ないですね。バラ展のこと。
開催されていたのは所沢の西武球場。ものすごい人が行くんですね。たしか、あそこへはアクセスが大変だと思うんだけど。
いろんなバラとガーデニングの実際が展示されていて、なかなか参考になりました。やっぱりねポイントは色ですね。それも花の色を決めるのに重要なのはいっしょに何を植えるか、ということ。
始まってしばらくしてからははっぱ系、グラス類ばかり見てました。バラの種類は、ある程度見たり植えたりしているから、それほど興味は引かれなかったな。
赤や黄色より、今年気がついた白の「強さ」が際立ってました。それと虫にやたら強い「クィーン・エリザベス」とか。

で、興味は「葉」なんですけど。緑のグラデーションとか、色相、色彩の違う緑の組み合わせの方がずっとおもしろいんですよね。なんだか個別の花の物語とは別にそっちのほうに興味持ち出したのは初めてかな。おもしろがると止まらなくて、今、花図鑑のリーフ系の写真をテーブルに広げている始末。寄せ植えの背景に使うものを参考にしようとしたら収拾がつかなくなっているのです。

それと「竹」の使い方。これも綺麗でした。細い竹を組んだり立てたり並べたり。
家の横の2メートルぐらいの空間なら使えるかな。
そう、これは日本独特のものなんだけど「現代版 坪庭」。イギリスのガーデナーのかたも「ファンタスティック」と評価していたけれど、狭い空間に、いかに美しさを盛るか。その工夫がなかなかのものでした。そういう庭園のコンテストも行なわれているのです。そんなに広い空間なんて日本じゃ持てないから、こういうテクニックは発達しますね。やはり、シンプルに。色数を限定して。

今年は一度やってみたかった色彩の乱舞状態のマイ・花壇ですが、バラの「島」を作って、玄関横の狭いスペースは緑の寄せ植えをしようかな、と。バラがぽんぽんぽんとあるだけの状態はつまんないし。いま、ヘデラがバラの背景に生えているんですが、「銀の入った緑のような長い葉の草」とか、小さな葉でもいいから「白い小さな花が咲くような草」を間に植えてみようとおもいます。

花束だと、たいていカスミソウが間に入っているでしょう。あれを地面でできないかな、と。
バラのその後ですが、いちまいだけの葉になったランドラはまだがんばっています。ロンサールは満開状態。イングランドは大きなのが三つ咲いています。
フロリバンダのオクタヴイアヒルとハイブリッドのモナコは同時に咲きそうですね。蕾が割れる寸前まで来ています。フロリバンダ種は花は小さいけれど数が多いのが特徴です。楽しみです。「バラの壁」の一翼です。

それにしても、やはり緑あっての花です。わかっていても花に目が行きがちだけど、緑のない花はつまらない。緑がとても気になりだしました。これって進歩かな。面白い緑の洪水の中に花はほんとに少なくていい。そんな気になりました。

そうそう、こんどゴザンスからの本にぼくの詩が掲載されます。コラムも。ふたつとも3月に書いたもので、婦人公論の詩の欄以外では久しぶりの「活字」になります。ネット上のゴザンスのページの立ち読みページでぼくの記事の一部が、読みにくいけど読めますから一度ご覧ください。

作品が手を離れて、ああいうかたちをとると、全然別ものに見えてきますね。あれはもう「作品」なんだな。

ではでは。




2003年05月17日(土) 嵐山に飛沫の飛ぶか

朝刊を見て、びっくり。SARSに感染した台湾の医師が「大阪・京都・兵庫」を観光だと。それもSARS患者の診療をしていた医師だというんだからあきれてしまった。
あほとちゃうか。いや、やっぱりあほが歴史を動かすんやね。

今のところ感染は報告されていないからいいようなものの、どうなることやら。
団体ツアーで、しかも貸し切りバスで移動したので、それほどの接触はないらしい。ニュースでは立ち寄った関空や姫路城の消毒をやってたけど、天の橋立なんてどこを消毒するのかね。
報道では伏せられているけれど、みやげ物店から売店から一応消毒したんでしょう。嵐山だってそう。橋の上を消毒してもね…。だけど、ここで観光客が来なくなったら死活問題だから必死です。

ニュースには敏感になっていて、発症者が出るかどうか、ですね。一応、バスの運転手やホテルの人なんかは一週間自宅待機。「自宅隔離」ですね。ほんまにもう、なんということか。京都ではマスクが飛ぶように売れています。もうないんじゃないのかな。

SARSは飛沫感染だというから、くだんのおっちゃんが「へックショー―ン」とやったかどうかですね。もう、なんだか開き直りの気分です。

おっと、今ヤフーのニュースを見たらバスの運転手さんが入院されたとか。
ほんとにもう…。



2003年05月16日(金) 薔薇の災難

朝から、がっくり。
昨晩、猫の大喧嘩が発生してうちの外猫が勝ったようだったのです。そこまではよかった。ただ、屋根に追い詰められた流れ者の猫が転落下にあったランドラが真っ二つに折れてしまった。まだ蕾が10以上ついていたのに…。

まぁ、花はいいとしても葉が1枚しか残っていません。ちょっと微妙なところですね。枯れてしまうかどうか。
ほかの薔薇は全部大丈夫なんですが、やれやれです。仕方ないですね。

今日は、曇天の中久しぶりに「ごまや」へ行きました。むろん自転車です。今日はトレックで。
奥から「はぁーい」ではなくて、おかみさんは店さきにいはりました。
しろごまくろごまねりごまだいちゅうしょう  のうち白胡麻大をふたつ。

帰りは若者の服装や鴨川のアベックや新しいお店など横目で見ながら走ってみました。若いということはいいですねーーー。見てるぶんには。

祇園のあたりも若い人の新しい店ができてるし、西陣には夫婦で輸入自転車の店を始めた人もいるというし、なかなかですぜ。
そうそう、京都から久々に「ロックバンド」のいかしたのがでたぜ、と友達に教えてもらいました。

サニーサイドアップのような爽やかなバンドや「くるり」のようなやわらかなバンドでもない。また、「つじあやの」さんみたいなウクレレで北欧ポップスというのでもない。パンクでもない。
だけどタトゥーあり、みたいな。

京都の友人たちはだいたいみんな、村八分かブレイクダウン(房之介のいたブルースバンド)。あるいはコンチネンタルキッズのようなバンドを聴いてきて連中ばかりだから、「うるさい」。とにかく雰囲気が…ね。

インディーズではたいそう売れてるそうだけど、今度聞いてみますです。
名前は「フリーダム リ キャプチャード」。こんどユニバーサルからメジャーにでてきたという。ヴォーカルが外国の人なんだけどMAXという名前で、みんなこの人の声にやられてるみたい。

たのしみだぜい。
意外かもしれないけれど京都のロックバンドってバタクサイほうが人気出るみたい。あの、これはぼくの主観なんだけどヨコハマとキョートって似てますよ。

あー、それにしても薔薇のことだわさな。うーーん意地でもからさへんゾ。



2003年05月15日(木) 守護天使

 自分を見失う事があります。「自分」が見えないのですから、生きているのは「自分」ではありません。なにかに損なわれている「自分」です。そして、その「なにか」というのはたいてい自分が創り出していることが多いのです。

 自分で自分を捨てているのです。自分によって。たとえば、今こうやって書きこんでいるウィンドゥが「創ることを喜び、命がワクワクしている自分」だとすると、クリックして立ち上げる任意のウインドウが自分ではない、というような感覚。バーをクリックしたりブラウザの戻るをクリックすれば、この画面に戻って来れますが、実際の生きてる現場では時として戻り方を忘れがちです。

 違う、そうじゃない。と自分に言えるかどうか。ネガティブな心に支配された時や、本来の自分が窒息しそうな時にそのことを蹴破れるかどうか。
 20代のころはできなかったような気がします。別にねじくれてもねじくれたで生きていけるから。だけどそれはほんとになにも生みださないし、生きていけなくなります。意外と早くそういう事態は来ます。

 やはり生きるということは、人と生きることではないでしょうか。孤独であってもおなじです。人を叩きのめし、こっそり踏み台にし、我利我欲のみで生きることも可能です。だけど、たぶんちっぽけな人生でしょうね。ぼくにだってそういう部分はあるのだと思います。だから、時々立ち往生する。
 残念ながら(喜ぶべきか)ぼくの「なりたち」はそういうことができないようにできているようです。人を愉しませ、豊かな気持ちにさせることのほうが気持ちがいいようにできているようです。困った事に(喜ばしい事なのか)。

 「書くこと」に関してそんな事を思っていました。



2003年05月14日(水) 走り梅雨

梅雨の走りだそうだ。これを名詞にすると「はしりづゆ」という。
おかげで風が強くて、バラの茎が折れそうに揺れてる。

「バラ」とかいたり「薔薇」とかいたり。京都のある短歌結社では、植物の表記は全てカタカナ、という規則がある。普通に暮らしていてもまずお目にかからない、読めない字があるからだろうか。漢字にしてしまうと植物がイメージできなくなるからだろうか。字面よりも音、という意味だろうか。

「桜」という漢字はほとんど知られているけれど「躑躅」という漢字はあまり知られていない。「見た目」が「蝋燭」(ろうそく)みたいだ。「髑髏」(どくろ)にも似ている。こんな漢字は実際の「ツツジ」の花のイメージからはかけ離れた字面に思える。

去年、ぼくはカツラの木に夢中になった。あの小さな緑の心臓のような葉を透かした陽光があまりに気持ちよかったから。で、御所の東側の梨木神社に「愛の木」としてある古木が終着点になった気がする。

今年は桐(きり)の木を見に行きたいと思っている。
ほんとは今行かないと、とあせっている。場所は上賀茂神社。ちょうど花が咲いているはずなのだ。薄い紫の房になっている花。
桐の木はとても高くなる。上賀茂神社のその木も確か20mを超える巨木だったと思う。20mというと凄いですよ。

杉やヒノキのようなスマートな木肌ではなかったと思う。桐の製品は軽くて白いんだけど、まったく逆のイメージの木だったような記憶が…。

長い木といえば、厳島神社の鳥居の木。あれは1本のクスノキなんですね。あれも30mちかくあるのでは。しかも2本。あんな立派な木はたぶん中国四国地方にはないでしょう。日本中探してもないでしょうね。
だけど海水に浸かっている木だからいつか替えないと。木を接ぐのかな。そもそも原生林を潰したからダメなんだ。といって四万十川の奥あたりにはあるかも。山の中にそれがある、と想像するだけで凄いと思ってしまいます。

それにしてもクスノキ。強いな。



2003年05月13日(火) 詩らしい詩

しばらく詩を書いていなかったような気がします。
本を読んだり、ゴザンスのテーマを書いたり。はて、ぼくはなんだったんだろうと。

とにかく詩を書くこと。そこに集中しようと思います。
まだ「光」を追っています。昨日かいたゴザンスの「ことばあそび」も光を自然に書きだしていました。

「詩らしい詩」。
きのう江國香織さんの本をもって来てくれた友人としゃべっていて、友人がぼくに語る詩は、そういうものでした。アポリネール、コクトー、ボードレールなど。そしてウンベルト・サバ。日本であれば清岡卓行、高橋睦郎。
そんな詩人たちの名をあげてはくれるけど、いろいろと説明はしてくれない。
一言「詩らしい詩が読みたい」と。

やはり紙を超えようとするなら歌いだすのかもしれません。
だけどたぶんぼくは歌わないでしょう。
「詩らしい詩」を書きましょう。だけど読み手の数だけ「詩らしい詩」はあるから、ぼくの思う「詩らしい詩」になるのは当然ですけれど。

静かに
静かに 
もっと静かに

ネオブックの原稿にゴザンスに載せた詩をひとつ追加します。

それにしても風が強い日が続きます。
薔薇が朝からずっと揺れています。
雨が降りだしそうです。

そう、報告がひとつ。外猫のうち雄たちは旅立ち、メス3匹とその弟の雄1匹、そして生まれて1月ぐらいの子猫2匹。合計6匹になりました。
うちのなかの3匹ともども元気です。



2003年05月12日(月) 血管系

日本ではまだ公的な機関は認めていないけれども、大きな病院のいくつかでは電磁波によって脳血流が低下することがはっきりと認められている。
機械を使えばすぐに、はっきりとわかるという。この事を書いたサンデー毎日の記者氏が実際に「携帯」を使った直後に検査してもらい、はっきりと下がった事に驚いている。
しかも、このことはヨーロッパでは「常識」であるというのだ。

日本の役所では、「知らない」「把握していない」が多いけれど厚生労働省ではわりと早くから電磁波の体への影響を調査する諮問機関を立ち上げていて、確かに脳の血流が低下する、と認めている。で、「だからどうだというのだ」というのがコメント。確かに変な噂を流布するよりはマシな対応だけど、それ以上じゃない。
ヨーロッパでは、だから子供の携帯の着用を禁止しているところもあるのだが。

脳の血流が低下するということは、血管系になんらかの障害(先天的に細い部分があるとか)がある場合、梗塞が発生する危険がとても高い。
ぼくがうまれて初めて体の自由がきかない体験をしたとき、それはPCに座りつづけた直後だった。左半身が動かなかった。あれからもちょくちょくそういう事が起きる。
脳のCTでも異常がない以上、電磁波を疑わないといけない。ただ、ほかにもロードレーサーに乗ったときも起きたから、そればかりとは言いきれないけれど。(たぶん頚部の血管が原因だと思う)

ぼくももう若くない。気をつけたいことではある。
ちなみにぼくは携帯電話を持たない。ほとんどマッちゃんとおんなじような理由による。
だけどPCの前にに座りすぎ。いろんな「用事」でね。



2003年05月11日(日) サウンド・マップとカメラ

伊藤君子さんで「song for you」を聴いています。

昨日の予報どおり今日は雨。今朝から始まったプランターの野菜のチェック。いきなり、きゅうりの土を猫に掘られてしまいました。はは。先が思いやられるな。
病気にも気をつけないと。

気温も18℃ぐらいまでのようで、落ち着いた日です。雨も静かだし。

詩を書く前段階として、サウンドマップをやってみました。これは小学校の授業でとりいれているところが多いと思います。ぼくの時代にはなかったのですが。

ようするに自分を中心にして音がどこにあるのかを書きこんで地図を作るんです。
「朝の散歩」をテーマにしてノートに少しだけ書いてみました。
そういう意識で歩くと耳がとても鋭敏になります。で、いままでなんとなく感じていただけだった鳥の声がとてもよく聞えるんですね。しかも、思った以上に種類も数も多いのです。ぼくは鳥の多い街に住んでいるんだと妙に新鮮。

小学校の授業では聞こえた音をそのまま書きこむのかな。「ぴぃぴぃ」とか「かちゃかちゃ」とか。すると擬音で埋まったマップになりますね。
まんなかに「わたし」と書いて、そこから蛇みたいに「すたすたすたすた」という歩く音を書いて…、横に犬の足音を書いて…、斜めにツバメがしゅーん、そんな感じです。

つい、注釈をいれたくなるんですね。空間に偏在するものを二次元の紙の上に表現するのだから当然かもしれません。そして、注釈をつなげると風景が描けるわけです。その人の聞えた世界ですね。
じつは、ほとんどこれと同じやり方で詩を書いたことが何度もあります。
音ではなくて、色の分布に注意がいってるときが多いですが。

色の分布については、小学校の授業で「カメラとカメラマン」という課外授業があります。二人一組でカメラ役とカメラマン役を決めて、カメラマンが「ここ」ときめた場所なり、モノの前で「パシャ」とシャツターを押す音を出します。それをカメラ役の子は記憶します。で、「何枚か撮影して」帰校。カメラ役の子は、思い出してそれを絵に描きます。役を交換したり、カメラマンが「写真」に意見を言って完成させたりと、先生によってバージョンはさまざま。
これもぼくの時代にはありませんでした。

これはいい訓練だと思いますよ。ぼくなんかはちいさなメモを持ち歩かないと怖いな。それで、小学生に刺激されまして、こうやって書いていること以外にも、簡単なノートのような日記を作ろうかな、とも思ってます。

今日は一日雨のようです。
ふだん想像力の中のサウンド・マップとカメラを、やっているのかもしれません。自分がどんな世界にいて、どんな世界を望んでいるのか。
意識しなくても作品には、全て出てきます。

もういちど世界をよく見渡してみます。耳を澄ませて。



2003年05月10日(土) きゅうり、ジャン、薔薇

今日はプランターでキュウリの植えつけ。ちょっと混んでるかな。まぁ、最初だしあまり気にしないでやりましょう。
その作業の前には、ジャンがいよいよ急な階段を上れなくなったので、我が家の玄関を改造。といっても、ブロックと60cm四方のウッドデッキの組み合わせ。
んー、なんとか前よりは上り下りが楽になったかな。

うちの近所は圧倒的に年寄りばかりなので、回覧板やら町費の徴収なんかの当番もおばあちゃんであったりします。そして、うちの玄関までの階段が急だったので下のほうから「すいませーーん」と声をかけてきはります。その声で犬たちが大騒ぎ。
今日の作業でだいぶおばあちゃんたちも楽になるんじゃないかな。

薔薇はゆっくりゆっくり開いてきてます。ミニバラはさらに咲き。大輪の方はランドラが先にきました。写真に撮りたいけれど、今、午後2時ですが空は真っ暗。
雨が降りそうです。

野菜には雨のほうがいいかも。植えつけ直後だし。さて、薔薇はどうでしょうね。
今日のおやつはル・プチ・メックのパイです。

ではでは。



2003年05月09日(金) トマト、薔薇、江國香織さん

今年は野菜を栽培しようと決めていました。
今日、トマト苗を手に入れ、植えつけ。さあ、うまく育ってくれますように。
苗はデルモンテ社のもの。ミニトマトと黄色い中玉をそれぞれ2株ずつです。

ほかにも、きゅうりの苗を購入。これは明日植えつけます。
薔薇とハーブ中心の植栽でしたが、野菜も自家製でできる範囲でやってみます。

ほかには茄子とか唐辛子の苗も。プランターを置けるかな。
ホームガーデンを借りようかとも思いましたが、畳2枚ぐらいの土地でで月、3000円。
それなら家のプランターで作ろうということになりました。

なんせ初めてなので、家にある園芸関係の本では心細く、野菜作りの入門書も購入。それを見ながらの作業でした。土作りも。培養土と赤玉土のミックスですから簡単なものですけどね。

薔薇とハーブだけの花壇の見まわりに野菜のプランターが加わります。楽しみだな。虫との戦いですが。

で、薔薇ですが、今朝の冷え込みで少し遅れました。もうガクがつき花弁の塊状態。これからゆるゆると開いていくでしょう。それを尻目にミニバラたちの花が先行しました。赤とかピンクとか、小さな花がいい感じです。
だんだん薔薇一面状態になりつつある植栽を前にして、近所のおばちゃんたちが全部薔薇にしてもろたらベンチでも置いて珈琲がのめそうやね、と。
うむ。実はそれ、狙ってるんやけど。とは言いませんでしたが。

ハーブはますます繁ってきて、始末が大変。ミントもオレガノもタイムも一度、切り戻さなければ。ミントはいつもナマのまま料理やお茶に使いますが、今年は乾燥させてぱりぱりにして使おうと思ってます。ポプリというか匂い袋に入れるというか、そんな感じですね。

庭仕事が増えてきたところへ、友人から本のプレゼント。
江國香織さんの編によるアンソロジー「活発な暗闇」。ぼくは江國さんの熱心な読者ではないから、ちょっと面食らったけれど、アンソロジーに集められていたのは詩なのです。それで友人もぼくに、と持ってきてくれたのでしょう。

なんの気なしにパラパラとめくっていったら、好きな詩がいくつもいくつも出てくるんで、やめられなくなってしまいました。なんだろう、好きなのが似てるというのは。
須賀さん訳のウンベルト・サバがいくつもあるのもいいし、堀口大學の詩がもんのすごくよかった。「海の二階」という4行詩に痺れてしまいました。
この詩は有名なのかな。有名なんでしょうね。堀口大學といえば訳詩としか捉えてなかったけれど、彼自身の詩集が読みたくなりました。

だけど高橋睦郎さんの「1955年冬」が選ばれるとは思わなかったですね。やはり世代なのかな。

庭仕事、読書、家のこと、猫のこと、犬のこと、忙しいなぁ。楽しくなってきますね。



2003年05月08日(木) 暴風の後

昨晩から凄い嵐でした。今、まだ曇っているけれど雨は上がっています。
道には落ち葉がたくさん。ほかにもポスターだとか紙くずだとかいろんなものが散らばっています。ちょうど咲ききった花も散っていきます。

うちでは白い薔薇のホワイトマスターピースの最初の花が散りました。その他の薔薇の開花へのステップは順調。ロンサール、ランドラ、イングランドは蕾の皮が完全に外れつつあります。

ところが、ずいぶん寒くなってきました。明日の朝は9℃だという予想もあるくらい。少し開くのに時間がかかるかもしれません。

うちからそんなに遠くない所にロザリアンの家を発見しました。家の周りに確認しただけで5種類の薔薇が。オールドとハイブリッドとツル薔薇。色も薄い紫、濃い紫、白、赤、肌色。ほかにもありそうな雰囲気。しばらく自転車に乗ったままぼーっと見てたから、変な人と見られたかも。

雨に濡れた庭の花。きれいでした。



2003年05月07日(水) サムサラ

蒸し暑い日
雨が目に見えないほど細く降っていて
空はグレースケール

立夏を過ぎて
暦どおりの空気
まるで梅雨のよう

今朝の散歩は木の葉を見ながら
イチョウ、クスノキ、ツバキ、カツラ、ブナ、シイ…

細い細い雨がだんだんと強く 突然風も起きて

人の歩き過ぎたあとに香りが置いていかれる
憶えている ミツコ? いや サムサラ

見るもの聴くものよりも 香りのかきたてるものが
あざやか
もう二度と見れない姿、聞えない声、触れることのできない手
だけど 一つの香りが
すべてを 想いのなかに立ち上がらせることができる

雨は本降り 
窓の外では最初に蕾をつけた薔薇を
深紅の薔薇の蕾が追い抜いていきました
立ち位置の違い 陽射しの偉大さ

光のありかを求めていくこと
あなたはどうでしたか




2003年05月06日(火) 柴犬主義者

犬を飼っている人の中には、自分のつれている犬の種類に惚れこんですっぽりはまってしまう方が結構いらっしゃいます。「XXこそ最高」というわけです。
他の犬種を排除したり、邪険に扱う人は論外として、どの犬も良いけれど、この犬種が一番だと思っている人たちです。

それこそ犬の種類ほどおられると思いますが、ぼくの見てきた中では、レトリバーがいちばん多いです。そして、それと同じぐらいなのが柴犬です。
確かに柴犬は可愛いです。小さい頃はほんとに「いぬころ」という感じだし。
元気はつらつで、どんな大きな相手でも立ち向かっていくし、いつも胸を張ってる、とてもやんちゃなやつですね。

以前、この散歩主義に書いたことのあるウィルさんが用務員をしている高校の校長先生にして神父さんが、柴犬が大好きだという方なんです。
いつも一言、二言言葉を交わす程度なんですが、今朝の散歩ではもう少しお話ができました。

「私が日本に来ていちばんうれしかったことは柴犬に会えたこと」とおっしゃる。
犬が大好きなんですね。
「パリで柴犬が大人気だとか」
「そうです。最初はニューヨークでした」

治安の悪いニューヨークでは犬を飼う人が多いのですが、飼いやすく病気に強く勇敢な柴犬が増えています。ひるまない、というのも大きな理由ですが、あのサイズががいちばん飼いやすいというのは、どこでも一緒みたいですね。

「確か最初は秋田犬がブームになりましたよね」
「うん、アキタは大きいからね。…。」

修道院の柴犬はKIKIという名前。神父さん、ハワイの出身?とは聞いてませんがね。雰囲気はイタリアかフランスのかたのようです。
KIKIは6歳。元気いっぱいで、遠くからでもハナを見つけると、神父さんをぐいぐいと引っ張ってあいに来ます。

「あー、キキは貴方が好きですね―」
そのたびにこの会話。
「あのセンバナドはげんきですか?」といつも聞いてこられる。
最初は「ピレニアン・マウンテン・ドッグ」といってたけれど、いつあっても「センバナド」とおっしゃる。だからもういいんですけどね。
あ!そういえばそれは英語読みだな。

英語圏の方かもしれませんね。
近所の人の話だと、昔から柴犬一筋だとか。
筋金入りの柴犬主義者の神父さんなのでした。



2003年05月05日(月) よみがえる歌

今の今までゴザンスの「テーマ」を書いていました。
どうしても話題はニーナ・シモンに向いてしまいます。そのアルバム「ヒア・カムズ・ザ・サン」のレヴューも今日書きました。

連日朝まで聴いていたジャズ。店の最後のレコードがこれでした。今日はことあるごとにCDで再発されているこの歌を聞いていました。
とにかくこの「My Way」はききものです。ぼくの好みですけどね。

ミスター・ボージャングルもいいし、まぁ、全曲良いんですが、30年前、ぼくは凄い音楽を聴いていたんだなと。そのころの靄のかかったようなアタマよりもはるかにクリアーに 今、しみてくる歌であり声です。

ボブ・マーリィのZionを思わせるような、とにかく前へ前へ、悲しみを振りきるような自らを奮い立たせるような声。「My Way」。

あの頃、この年を生きる自分が想像できませんでした。
そして、「こんな年」になっても、こんなふうに感じることができてよかったと思います。

ぼくにこの音楽を教えてくれた故人にならって、暫くは一日の最後にこの音楽をかけようと思います。
大事な心が、よみがえる思いでいるものだから。



2003年05月04日(日) 待ち遠しい

薔薇の開花が近所で始まって、気もそぞろになってきました。
うちの薔薇が気になって気になって…。

犬との散歩コースで薔薇のある場所は、もう覚えてしまっているからそこを毎日チェックしてます。サイトのほうの「marco‘s Rose Garden」で紹介している薔薇はまだ咲いていません。その近くの電車の路線の敷地の横に酒屋さんが植えている薔薇は咲きました。そこから東へ100メートル行ったところのやはり線路わきの家のピンクの薔薇、これは満開です。たぶん「ローズ・ド・メ」だと思います。

それとうちの近所の喫茶店の回りある「木香薔薇」も満開。そこからずっと東の角にある開店休業状態のリサイクルショップの脇のツル薔薇も満開。ここのは「カクテル」という種類です。そこから北へ300mぐらいのところにある「アンネフランク」はまだ。

花としては今、ツツジがいちばんの見ごろですね。それでも薔薇ばかりが気になります。やっぱり陽射しなのかな。日当たり悪くても咲くことは咲きますが、やはり午前午後つうじて日のあたる所は早いし、花が豪華です。

うちの状態はランドラとロンサールの蕾がそろそろ破れるか、というところです。
蕾は全ての薔薇についてます。ミニバラもじわじわ。
連休あけかな。
高橋睦郎さんは「緑は気を鎮めて、花は気を高揚させてくれる」と書いておられたけれど、ほんとにそんな気がします。

今もちらちら花のほうに視線が行きます。綺麗に咲いてほしいなぁ。



2003年05月03日(土) いい天気です

素晴らしい快晴。少し暑いくらいで、爽やかな風が吹いている。
こんな時に家の中にいないといけないというのは、なんたることでしょう。

犬たちがあまりにも気持ちよさそうに寝ているんで、横で昼寝でもしようと思います。
猫も寝てます。
薔薇の蕾はますますふくらんでます。

静けさが気持ちよくて、テレビもCDも全部消して、揺れる黒松を見てます。
さて、作業を前に進めておこう。
ネオブックに一篇、追加です。

今日はそれぐらいで、少し休もうかな。
風がとにかく気持ちいいんですよね。

ではでは。



2003年05月02日(金) 何故こんな時間に

やだな、こんなに遅くなってしまった。というのも客人がいたから。
ふーっ。
今日の収穫は「言葉の外へ」を少しでも前に読みつづけたこと。詩を完成させたこと。
やっと書けました。

昼からは忙殺。うーーん。。
で、さっきサイトのBBSに元気いっぱいで書きこみをしてきました。。まだ元気だけれど、寝よう。
あすも犬と猫が待っています。

寝坊はできへんからね。
うん、寝よう。
失礼しますです。
おやすみなさい。
P.M.11:15。



2003年05月01日(木) 現代詩手帖を読んで。

現代詩手帖の5月号を読みました。特集は「『読者』いま詩はどこに届くか」。
読者の少なさ、書店での本の扱い、価格の高さなどなど、あえて読者と書かずに「購読者」と書かれてその状況をはっきり記しているかたもいました。
で、現代詩の世界では「投壜」という言葉がキーワードになっていましたね。

野村喜和夫さんが、去年の秋に秋吉台で行なわれた現代詩セミナーで読者と作者の関係は「投壜通信」と語ったことが波紋を呼んだんです。否定もあれば肯定もありました。それだけ象徴するような言葉なのでしょうね。

ぼくはそれだからどう、とは考えられないでいます。
壜を投げる、というのは壜の中にメッセージを入れて海に流す、あれです。ポリスの「メッセージ・イン・ザ・ボトル」です。

詩の需要がないわけじゃないぞ、と書く方もいて、その引き合いに出されるのがネット上の自分のサイトで詩を発表している人。あんなに多いじゃないか、というわけ。なんだ、ぼくらのことじゃん。
そのこと以外はネットに関してはそりゃあもう、ほぼ全否定。「あんなもんは自己満足」でおしまい、という人もいました。

ネットに可能性を見出した鈴木志郎康さんのサイトのことなんかは全然書かれていなかったな。
あるいは活字でだめだった中年がネットでのさばって、酷な批評で若い新人の芽を潰しているという指摘も。なんじゃ、そりゃ、ですな。
谷川俊太郎一人勝ちについての念のいった説明とか、茨木のり子さんの詩集が爆発的に売れたことの理由は「老人受け」だとか。なんだか読んでいて暗澹たる気分になってしまった。

穂村弘さん、平田俊子さん、今井義行さんの文章はとてもおもしろかったけれど。
いつも投稿している欄の選者、井坂洋子さんもアンケートに答えるかたちで一文を寄せていたけれど、もう「我が道を行く宣言」。そうでしょうね。「にもかかわらず詩を書く」ということは。そういう声のほうをぼくは支持したい。

ただ一つはっきりしているのは「詩を愛しているかどうか」あるいは「詩を生きているかどうか」。詩人が問われるのはまさにこの点だと思います。

「愛する」という点では、たしかに自分で書いている人で他の詩を読まない人がとても多いのはそのとおりだと思います。詩集を読まない「詩人」ですね。べつに読まないからどう、とは言えないかもしれないけれど。

そんな本を読んだ翌朝、ミメイさんの作品と保坂和志さんのメルマガが届いていて、ミメイさんの作品は相変わらずとてもよかったし、保坂さんのメルマガも生き生きしていてとてもよかった。

ま、ネットのことをボロクソに書かれても別にかまわないけれど、ネットにはこういうものもあるんですよ。と書いたってネットなんか見てないんだろうな。

やっぱり、ぼくはぼくの道を行くしかないと、方向が見えたという意味でとてもよい「現代詩手帖」でありました。


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