2023年01月24日(火) |
弟を見送らなければいけない |
弟が6日に心停止し、今日は23日の深夜過ぎ 24日の午前? もう18日も経ったのか…。まだ18日しか経ってないのか…。 時間感覚がちょっとよくわからない。
その後もまた心停止があり、あたしが駆け付けた時にはまだ騒然とした感じで、弟のベッドを何人もの医師や看護師さんが囲んでいた。
さすがに2度目の心停止の時はやっぱりダメなのかと思ったけど、あらゆる蘇生術をしてもらい、なんとか持ちこたえてまた心臓を動かすことが出来た…と、医師から説明が。
今回の2度目の心停止の原因は不整脈のせいだから、すぐにICD(ペースメーカーのような物)を埋め込む手術をしたい と。 先生達がそれが良いと言うならあたしはもちろん従うしかない。
この少し前、人工心肺装置を抜く手術の説明を受けた。 人工心肺装置さえつけていればずっと生きていられるというわけではなく、感染症やその他の臓器へのリスクも高まり、実際 感染症の炎症の数値というのが上がり続けていると。 「そろそろ人工心肺装置を取った方が今は良いと思われます」と。 あたしは「お任せします」と頷くだけだったけど、先生が「ただ心臓が耐えられず 装置を取ってすぐまた心停止する可能性があります。その場合にどうするかが問題ですが、どうしますか?」と。 それは、あたしに弟の心臓をそのまま停止させる つまり死ぬのを決めるかどうかという質問だった。 「もう1度またすぐに心肺装置をつける手術をしたとしても、その場合の心臓を動かせる期間は長くは無いですし、感染症の数値もまた急激に上がります。」と。
「お姉さんが、その場合の答えを考えておいてください。」と。
困った。 あたしが弟の命の決定をする? あたしにはその場での即答は無理だった。
「他の同じようなケースの場合、ご親族はどうされてるんですか?」と聞いたら、「患者さんがご高齢の場合は、もうそのまま逝かせてあげて下さいと言われることが多いですが、弟さんくらい若いと、なんとか延命をと願うご家族もいらっしゃいます。ご本人の意識も無く」と。
延命措置をするかしないかをあたしが決めるのか…と。
情けないけどあたしには決められず、とても悩んで、結局「弟の体と気力の限界まではお願いします。それが弟の選んだ寿命だと思うので。」と言った。 せめて意思疎通が出来るまで回復させてもらい、少しだけでもいいから話しがしたかった。
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と、ここまで書いていたら 深夜2時頃に病院から電話があった。
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そして、今、25日の夜8時半。
24日の深夜から、また不整脈が出て心停止し、あらゆる手段で対処してもらった。 ICDや、2度目の人口心肺装置をつけたまま カテーテルアブレーションという不整脈を和らげる手術もしてもらった。
深夜の電話で病院へかけつけたあと、面会できたのが 25日の夕方7時頃。 たくさんの医師チームの中でリーダー的な先生から話しがあると言われ待った。
先生は「弟さんの限界が来ました。 カテーテルアブレーションで良くなればと思いましたが、更に不整脈が悪化しています。 ずっとICDが作動してる状態のままです。もう心臓が限界だったようです。 二度目ですし、炎症の数値も普通の人の300倍です。 このままでは あと数日。早ければ1日から2日です。」と。
心の準備をしていたけれどやっぱりまだ出来ていない。 寒いんだか怖いんだかわからないけど、手が震える。
そうか、ケンちゃんもうすぐ死んじゃうのか。 悲しいな。 悲しいよ。
お父さんを津波で亡くし、お母さんがすぐ後追い自殺し、最期に何も話せないままだった。 ケンちゃんも、何も話せないまま急に逝っちゃうの? 話したかったよ、もう少し。 何も話せないまま意識不明のまま逝くなんて、悲しい。
認めたくないけど認めなきゃいけないってことをあたしは何度してきたんだろう。
■PM 8:55 (1月25日)
新年あけちゃいましたね。おめでとう様です。
年末年始はいつもどおり忙しくて、「先生に無理はしないようにと言われたのに こんな疲れちゃってあたし大丈夫なのか?」と、ビビりながらも でもいろいろやるしかなかったわけで。
新年早々、自律神経失調症のお薬貰うのと受診のため 通院日に病院へ。 ここは通院日は指定されても、その予約時間は指定されない。 年明けでそしてすぐまた連休ということもあり、とーっても混んでる待合室。 12時半頃に電話が。 病院の裏口で電話に出たら「お姉さんですね? 落ち着いて聞いてほしいんですが 弟さんが 先ほど透析中に心停止しました」と。
頭真っ白。
「あ、あの どういうことですか? 大晦日に会ったばかりですが、とても元気でしたよ?」としか言えず。まだ相手を間違っているんじゃないかと どこかで思ってるあたし。
弟は、もう何年も前から 心不全からの腎不全からの糖尿病からの網膜症という、確かにいつ逝ってもおかしくない病気持ちだったけど、ちゃんと通院して受診して検査して薬も飲んで、良くなる手術もし、バイクで透析に通っているほど元気だったのに。
「原因がわからないのですが、今現在 心停止したまま脈が戻りません。透析センターから救急救命に運んで蘇生していますが 今すぐに来られますか?」と。
「はい…すぐ行きます」って言いながらも まだやっぱり頭が現実に追い付かない。 頭がバグるってこういうことか なんてアホなこと考えた。 自分が受診待ちしてた病院受付でも「弟の心臓が止まったと言われたんで 受診キャンセルして薬だけ出しといてもらえますか」と 変な言い方してしまった。 受付の人が「えっ?あー、はい、えっ? あ、わかりました」と。受付の人も一瞬だけ頭がバグったようだけど、さすが病院職員、すぐに普通に「では今日はお薬だけに切り替えますので こちらの診察券お返しします」と、冷静。
弟のいる病院に着いて総合案内で事情説明し、指示された棟へ。 無機質でただただ広い病院で途中で迷い、職員さんらしき人に経路を聞きながらやっとたどり着いた。 弟の名前と姉ですと言うと「ではお待ちください」と、“家族控え室”という部屋の指定された番号の部屋に。その“家族控え室”はいくつもあった。こんな広い個室がたくさん並んだ場所あるのかぁ‥と、初めて知った。 長い長い待ち時間。 すぐに来いと言われたけど、何時間か待った。 今現在心臓が止まって死んでる状態なんだよね?だから呼ばれたんだよね?いったい今弟はどうしてるの?と、更に不安になる。
その後やっと来てくれたスタッフから ある程度の説明と、数十枚の書類にサインして下さいと言われる。
説明は、 弟は…いつもの透析中に なぜか心停止して‥ つまり死んでたことに看護師が気付いて、あらゆる手段で蘇生したけど脈が戻らず、最後の手段で人工心肺装置をつけた という内容だった。 そして、心臓カテーテル手術を急遽して、エクモや持続血液濾過透析をしていると。
この病院は近所にあって、千葉県で1番大きい病院なんだけど、だから同じ院内の透析センターから救急救命まで 運びこむまで10分ほどかかる …と。 だから、適切な処置をするまで、病院付近の自宅で倒れた人がまっすぐ救急棟に直接車で連れられて来るのと同じくらいの時間がかかってる。
スタッフに透析センターで何があったのか聞いても「もうしわけないんですが、各部署でスタッフが違うので、弟さんがここに来るまでの過程で自分がその場その場にいたわけじゃないんです。だからここに来てからのことしかわからないんです。とりあえずお待ちいただけますか?」と。
そしてまた長い待ち時間。
外がすっかり暗くなった頃、看護師さんが来て、「今やっと とりあえずの処置と装置がつけ終わりましたので、お会いできますがどうしますか?」と。 会うに決まってるじゃん。
通された部屋は、救命系のドラマでよく見る感じの空間だった。 仕切りは無く、中央から全てが見渡せるような作りで、広いスペースに各ベッドが置かれ、たくさんの機械だらけに繋がれた人達が何人か見えた。
教えられた弟のところまで行く。
30本くらいのチューブやコードが体中に繋がれている弟の姿。 もちろん意識は無く、熟睡しているかのようにあおむけに横たわってる弟。
ほんの数日前にバイクで遊びに来て、元気に話をしてたのに。 「おせち今年も作った?俺このあとお墓掃除に行きたいんだけど」と聞くので、あたしは「ごめん、料理まだ全部出来上がってないから、出来たら持って行くよ」と言った。 そして、夜7時頃に実家の弟にお正月用の料理を届けに行き、「おお、ありがとー」「うん、じゃあね」が最後の会話だった。
2011年の津波で父を亡くし、そのあとすぐ 津波で半壊した実家で母が後追いし、もう弟にはあたししかいない。
津波で父を亡くし、まだ泥だらけの実家の1階で 母を見つけた時にあたしに電話してきた弟は、気が狂ったように泣き叫んでるだけで 最初、何を言ってるかわからなかった。
もしあたしたちの病気の原因が「ストレス」という漠然としたよくある理由なら、あたし達はストレスなんて超えたものを経験してるんじゃないかなとは思う。
あたしは弟のたった1人の肉親だ。 だから、あたしも病人だからなんて言ってられない。 弟は今かろうじて機械で息をさせてもらってるんだから。
続きは またあとで‥。
とりあえず自分のための記録用に。
■PM 9:45
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