さて、娘は帰省して バイトもせずに自動車教習所に 通っている 昨日が入所 午後5時過ぎ〜8時くらいまで、、 はじめてなのでどんなだろうと思ったがそれなりに楽しそう・・ 短期で終了するプログラムなので 来月12日には免許を取れる予定だ
このところ夜に雨になることがあり 涼しくよく眠れる・・
今夜も雨で しかも雨音は強い
ここまで 昨日書いた
お盆で別HPもとっても暇だ! しかし 出店準備をしなくては、、 リストアップと値段を決める、、コレが一番難しいのだが・・ とりあえず ディスプレイ用のたなを本日購入した
あ、昨日 先日購入した車が来た! それで今日は買い物がてら 榛名から北軽へ 都合 7時間も出かけていた 調子いい・・初めてのナビが面白い (となりに乗ってた息子が全部操作していたんだけど・・)
でも、、なんだか気持ちが晴れない 別HPのことで 気落ちするメールが届いたから・・ これは また別の機会があれば 書こう
Aug. 12 にじゅうねんまえに ひこうきが落ちて この年 わたしはこの村の住職(それはまだ先のことだったが)の 夫と結婚したのだった 数日後 夫はそこに行くというので 途中まで一緒にいった 車で待っていると たくさんの 自衛官のひとが山から降りてきた・・・戦争を思わせるような 光景だったのを覚えている<武器はなかったけれど・・>
いつなんどき うばわれるかもしれない命を みな抱えてる
長女が帰ってきてとてもにぎやかになる、、が 半ば 息子と夫と3人の生活に慣れてきたせいか 多少落ち着きが悪い
一人暮らしの成果で、夕食の手伝いをしてくれるので ありがたい、、段取りを言わなくても手際よくやってくれる
連日の猛暑だが 夏風がここちよい
先週の土曜日 車を買うことにした 今の軽自動車は今年の夏はじめ クーラーガスを入れたのに 数度の使用ですっかり熱風製造機になってしまった ディーラーにゆくと 修理に5,6万〜10万円位かかるという 来年は車検で多分廃車になってしまう車だ この夏は クーラーなしで我慢しようかと思った でも、今月末 東京に出店の搬入に出るし 10月には山梨のイベント 暮れにも2箇所イベントを入れている・・・ よくもまあ WagonRでイベントのものすごい量の荷物を運んできたものだと 思うけれど エンジン音も昨年の車検以来 妙に大きく不愉快なものになっ てしまったしつぎの車検までで また新たに見つけなくてはと思っていた・・・
わたしは思い立つといてもたってもいられない性格なので この土曜日 骨董市から帰るとすぐ 市内の中古車販売店に 出かけた、、ネットであたりをつけておいた車だ・・ まずまず気に入ったものだったが 考えてみますねといって 次の店に寄る・・車種は同じだが妙にけばくオプションをつけたのが 2台 目に入る、、一応車体本体以外のトータル金額を聞くと 軽なのに普通車の新車(ま、一番下のクラス)が買えるほどの金額だ! そうそうに次の店へ、、最初のでもいいかもしれないとそのときは 思っていたのだが 3軒めで パソコンでその店の全国(それほどない・・?) の希望のものを見せてもらう、、
いろいろ検討して、、15年の走行距離17000キロというのに決めた 中古やさんは初めてではないが 自分ひとりで即決したのはこれが 初めてだった 庫内は今のものより幅30cmほど広くもう少し多く荷物を積みたい という希望はかなえられる、、あとはパワーの点でターボのついたものに した・・
実は夫は私以上に機械ものに関心がなく、車はただ走ればよし という人なので あれこれ装備のことを言っても あーそうという返事しか帰ってこない・・ それで 相談もしないのだが、、ひとまず契約のため印鑑を取りに家に戻り 『車 買うから』とだけ言っておいた それはなんと夫の中古車の4倍の値段だった・・夫の車は 私の知り合いに 数年前に仲介してもらったもので ディーラーの下取り車だった ワンオーナーのおじいさんが丁寧に乗っていたもので ごくごく普通の 普通乗用車だ、、、 夫はお寺さんの集まりがあると 自分の車が一番ぼろいとおかしそうに言う 彼はものに執着はないが 愛着はある いつももう廃車というくらいに 乗り続け感謝して次の車の購入を決めるようだ
しかし 私の場合は、家族の送り迎えと私の荷物のため なお夫も所用で 使いというのが車選びの前提なのでね、、ただ走りゃいいというものではない・・
ともあれ、、あと数日でクーラーなしの車とはお別れとなった・・ わたしだって感謝してます 長いことありがとう・・
なぜか知らぬが、、変わりゆくものを 時代に感じる Showaのあの戦後のパックスロマーナのごとき 日々は 遠い昔になってしまった
今年 戦後60年のさまざまな報道と近隣の国々との 軋轢と、、不穏でも不安でもない、、何かもっと違う感覚・・ さりとて 新たなものが産まれる胎動のような力強いものでもない
指針もないし、予測もできない・・・ 戦後の復興のめざましさを夫と共有していない 『大学に行けるとは思ってもいなかった・・』 『くるまをもてるとは思ってもいなかった・・』と 夫はよく懐古するが、、しかし 私が5,6歳のころには 車はあったし、、、高校の同級生で就職をしたのは 10人に満たなかった・・・たった、9年の差なのだ 私の子どものころでももちろん戦後は色濃く残っていた
父の語る戦争と ごくごく幼いころ(もの心ついていない・・)の 記憶の傷病兵の白い着物に軍帽となべのようなものに金を 乞う姿、、泣いているような格好・・がこの時期思い出されるのだ 体験のないものにでも戦争は強烈なイメージで植えつけられた
息子の戦争に対する感覚もまた異なるのだが・・ 何かのTVで見たのか、、「(Showa)天皇は戦争をやめたかったんだよ・・」 という一言に ふと戦後がまだ終わらぬと思った
戦争と戦争の間が 戦後で戦前であるのだ・・・
だれかがそれを望むとしたら、、恐ろしいことだ・・ 恐ろしいことだが 果たしてこの100年のあいだにそれがないとも 言い切れないような・・・
このときに話した家族の会話は 『お前は戦争に召集されることは まずないだろうな・・』と 息子に夫が言った言葉で締められたのだった、、、 息子は17、、多分 確かにこの先十数年、いや二、三十年中には 戦いをしたくなる指導者は出てこないだろう
これは仮想だが そのようなパワーの指導者も望めないということなのだ
国民は自分に似た政治家(?)しかもてない・・ (コンナ内容だった・・) といったのは IIDA MOMO氏だったか、、私が二十歳ころ このアイロニーがとても気に入っていた
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