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イラクの日本人人質事件

2005年05月11日(水)


イラクで「ハート・セキュリティー」に所属している日本人斉藤昭彦さんが拘束されたらしい。

「ハート・セキュリティー」・・・アメリカ軍の警備会社?と思っていたら、何でも民間軍会社というらしい。
こういう会社は世界に数知れなくあって、所謂戦争請負業。
多くの米兵が犠牲になっても、アメリカの軍事行動が終わらない今、外国人の重用をする事が多くなってきた。
既に300人近くが死亡しているが、米兵でないために、アメリカ政府の発表の中にも含まないという誤魔化しもする事ができる。
斉藤氏の他に日本人はいないが、高給で、応募する方の数も増加している。

彼が所属していた「フランス外人部隊」には、昨年3月の時点で日本人が35人在籍しているという。
戦前の日本にも徴兵制度のほかに「職業軍人」がいた。
戦後自衛隊は残ったとはいえ、憲法上戦争放棄したのだから
「職業軍人」とは死語になったと思っていた。
それが外国へ行ってまでも、「職業軍人」になって、
戦場に投じている人がいるとは
思ってもみなかった。

それに、戦前の「職業軍人」には、少なくても「お国のため」「天皇陛下のため」「家族を守るため」という愛国心・忠誠心(それがたとえ間違っていようとも)があった。
外国へ赴いて「職業軍人」になる人の胸の中に去来しているものは何なのだろうか。
お金のためだけに命と隣り合わせの戦場に向かうのか。
同じ人間が、お互いに殺しあう戦場に、魅力があるとは私には思えない。

このような戦争ビジネスは、10兆円市場だという。
世界中には、食べることにさえ困っている人々、住むところもない被災地の人々…が沢山いる筈である。
何故、そういう人々のためにお金を使おうとはせずに、人間が殺しあう戦争にお金をかけるのか。

いつまでも戦争なんて無意味なものを続けているから、いけないのだ。




狭い日本、そんなに急いでどこへ行く②

2005年05月09日(月)


hideさんが書き込んで下さった「みんなの掲示板」を読んで、思い出したことがあった。

それは、もう20年以上前のこと。
就職して1年目の夏休み、友達と二人、九州旅行をした最終日のことだった。
福岡→羽田の飛行機の最終便で帰ってくる予定で、その日は午後、有田の方へ回る定期観光バスに乗った。
観光バスの最終目的地は、福岡空港。
予定の飛行機の1時間以上前に到着する予定だった。
有田焼の窯元も幾つか見学して、予定通りの時刻で帰路についた。
ところが途中で事故があり、大渋滞に巻き込まれてしまったのだ。
それでも1時間以上あるのだから、大丈夫と思っていたが、バスは一向に前に進まないまま、いたずらに時間ばかりが経っていく。
このままでは、間に合わない。
電車の乗換えと違って、飛行機は国内線とはいえ、チェックインも必要だ。
どこか電車の最寄の駅でも下ろして貰った方が早いのではないか。
そう思って、添乗員さんに相談してみたが、どこへ行こうにも、この大渋滞ではどうしようもない、との答えだった。
その時に、氏名を聞かれ、他の乗客にも同じ便に乗る人がいるかどうか確認していた。

私たちは、飛行機に間に合わなかったら、新幹線はあるだろうか?
もう一泊しなくては、ならなくなったら、ホテルも見つけなくてはならないし、翌朝の飛行機も確保しなくてはならない。
諦めて覚悟を決めたとはいえ、まだ社会人一年目の世間知らずの女性二人、心細い思いでいっぱいだった。

福岡空港に着いたのが、飛行機のフライト時刻の5分後。
ところが、到着する少し前に、添乗員から、航空会社と交渉の結果、なんと飛行機が待っていてくれているというのだ。
空港には(航空会社の)職員が待機しているので、指示に従って欲しいとのこと。
そんな事を聞かされても半信半疑だったが、本当に空港に到着したら、数人の職員がいて、チケットを確認しただけで、荷物も全て持ってくれて、全速力で、飛行機の中へ。
私たちが椅子に着席して、シートベルトを締めて直ぐに、飛行機は飛び立った。

近くに座っている他の乗客に聞いてみたら、機長の方から定刻より遅れるという事情説明がアナウンスされたそうだ。
もしかしたら、乗客の中には、急いでいる人がいたかもしれない。

何はともあれ、私たちは、その日のうちに、無事に東京へ戻ることが出来た。
今の時代だったら…やっぱり考えられないことだろうな。


狭い日本、そんなに急いでどこへ行く

2005年05月08日(日)


兵庫県のJR福知山線で脱線事故が起きてから2週間。
その2週間前の雨の日、私は鎌倉に行った。
 
実は、その日、私が行きに乗った私鉄は6分遅れていた。
原因は乗客のカバンがドアに挟まって、そのあと、安全のために車両点検をした事だった。
私が乗っていた約50分の間、どの駅を出発する時も遅れた原因と特に雨の日でこれ以上スピードを上げる事ができないため、6分遅れのまま走行している旨を車内放送していた。
恐らく、閉まりかけたドアに飛び乗った乗客のカバンがドアに挟まったのであろう。
私鉄側に何の落ち度もないのである。
それどころか、きちんと正しいことを行っているのである。
それなのに、私は降車駅が近づくにつれて、6分遅れが縮まらないことにイライラしてきた。
それは、他線への乗り換え時間が8分しかないからである。
定刻通りに私鉄が走行していれば、8分でも十分乗り換える事が出来る時間だった。
私と同様に考えていた乗客は多数いた様で、降車駅のドアが開くか開かないうちに脱兎のごとく走り出す人々がいた。
しかし、雨の日に私鉄の改札を出て、歩道橋を渡り他線へ乗り換えるのは2分では足りなかった。
走って乗り換えようとした集団の誰一人として、その電車には乗れずに、ホームで次の電車の時刻を確認していた。
次の電車まで15分。
その時間が長く感じられ、私は「車両点検までする必要があったのかな」と思っていたのだった。
これが脱線事故を起こした福知山線のように、運転士のミスによる遅れだったら、そのイライラ度はもっと増していたであろう。

福知山線の事故の最終的原因は、まだきちんと発表されていない。
しかし、伊丹駅までに既に30秒遅れだった上に、40mのオーバーランで同駅を出発する時には1分30秒遅れになっていたのを、取り戻そうとしたスピードの出しすぎが発端だった事には違いない。
何よりも安全性よりスピードを優先してする営利優先主義のJR西日本の企業体質が一番の問題だった。
日本は、世界中のどの国よりも電車が時刻表通りに走っている。
長い間、それが自慢できることだったが、いつしか、それが当たり前になり、その上にスピードを求めすぎていたのではないだろうか。

自戒をこめて今は死語となってしまったが、以前使われていたフレーズを思い出した。
狭い日本、そんなに急いでどこへ行く


最後に、犠牲になられた方々のご冥福と、怪我をされた方々の一日も早いご回復をお祈りします。

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