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開かずの踏み切り

2005年03月21日(月)


書こう書こうと思いながら、ちょっと日にちが経ってしまった。

15日の夕方、東京・足立区の東武伊勢崎線 竹ノ塚駅近くのの踏み切りで、女性2人が上りの準急電車に撥ねられ死亡、他に女性2人が怪我をした。

事故現場となった東武伊勢崎線の踏切には5本の線路が走っていて、朝夕の通勤ラッシュの時間帯にはひんぱんに電車が通り、1時間のうち10分程度しか開いていないという、いわゆる開かずの踏み切りとなっていた。
その対策として、東武鉄道では1秒でも長く遮断機を上げることができるよう、係員が手動で遮断機を上げ下げし、歩行者だけを素早く通過させるシステムを取っていた。
電車が近付いた場合は赤いランプが点くため、通常は赤いランプが消えたことを確認して、遮断機を上げるという。

事故当時も、上り準急電車が踏み切りに近づき、係員のいた詰め所では接近を知らせる赤ランプが点灯。
ところが、次の下りの準急電車の接近を告げる赤ランプに気を取られ、「まだ下りの準急の通過までおよそ1分半あるので通行人が渡れる」と思った係員は上り準急のことを忘れ、踏み切りを上げてしまったのである。
東武鉄道の内規では、特別な理由がない限り、こうした行為は 禁止されていたが、係員は、「待っている通行人を 早く通してあげたくて、以前から規則に違反して 遮断機を上げていた」そうだ。 
安全管理を怠り遮断機をあげたことが事故の原因と見て、この係員は、業務上過失致死傷の疑いで逮捕された。

私も「開かずの踏み切り」の経験がある。
目の前で見ていると、ずっと踏み切りは閉まっているけれど、ほんの数分でも電車が通らない時間があれば「今踏み切りを開けてくれれば、通れてしまうのに」と思う事も度々あった。
それが、朝の通勤・通学時間なら尚更の事で、現に、閉まっている踏み切りを潜って走り渡っている人を目撃した事もある。
一番の解消は、踏み切り部分を立体化して、横断橋を作れば、いい事なのであって、(私が経験していた「開かずの踏み切り」は、数年前に横断橋が出来た)この事故現場も地方自治会から既に26年も前に要望署名を区に提出していた。
この立体化事業の費用は、約300億円、当然、国からの補助が必要となってくる。
ところが、国の補助金交付には、多くの条件が課せられ、今回事故が起きた踏み切りは「鉄道と交差する道路が国道などの幹線道路であること」という条件から外れていたため、立体化事業の見通しすら立っていない。

だけど、イラクに自衛隊を派遣した費用が、2003・2004年で約400億円。
政治家のお金に纏わる不祥事も後を立たない。
社会保険庁が、無駄に保養所やマンションを作って、赤字を出している。


国民の総意でない事や私利私欲のために、国民の大事なお金を使って、本当に困っている所は、「予算がない」で、放りっぱなしにしておく。
日本って国、おかしくありませんか?







 







宗教とお墓

2005年03月06日(日)


日本人の先祖代々のお墓は、仏教が多い。
仏教と一口にいっても、多くの宗派があり、詳しくは知らないけれど、少しずつは違う筈。
だけど、各々が仏教について勉強して、○○宗だから、信じているっていうわけではなくて、たまたま先祖代々のお墓だからって、死後もそのお墓に当然のように、入る人が多いのが現実だろう。
特に、女性は、実家と婚家と宗派が違っても、何の疑いもなく、婚家のお墓に眠るわけだし。
だから、日本人はよく無宗教と言われるのであろう。

それでも中には、長い一生の間に、キリスト教を信じるようになり、洗礼を受ける人もいる。
ところが、洗礼名を持っている人たちは、先祖代々のお墓が仏教だとそのお墓には入れない。(全部の宗派がそうだかどうかは不明だが)
宗派を問わない霊園にでも、新しくお墓を立てなくてはならない。
「お墓を立てる」と簡単に言っても、お金がかかる。
クリスチャンの子どもが、クリスチャンになっていれば、お墓は、受け継がれていくが、もしそうでなければ、お墓の跡継ぎもいなくなってしまう。
お墓を立てられなければ・・・先祖代々のお墓に入るためには、遺族の手によって、死後改宗をしなくては、ならない。
改宗するにも、お金はかかるが、新しくお墓を立てるよりは、安くすむ。
生前、本人が信じていた宗教とは違うものに、勝手に改宗される・・・各々事情があるのだから、他人が口を出す事ではないし、本人は亡くなってしまっているのだから、お墓の事で残された家族に苦労をかける事ではない。
っていうか、どんな宗教でも亡くなった人が眠りたいお墓に入れればいいのに・・・。

因みに私、実家は仏教(日蓮宗)、学生時代は合計10年、ミッションスクール、結婚した先が神道でした。
(;´o`) はぁ~
かなりメチャクチャ・・・




小児慢性疾患医療費助成制度の改正

2005年03月04日(金)


児童福祉法の改正の伴い、平成17年4月1日から小児慢性医療費助成制度が変更になると言う。

我が家の息子は、外見上、何処から見ても、健康優良児っていう感じだけど、先天性の心臓欠陥をもっている。
不幸中の幸いとでもいうか、自覚症状もなく、年に2回の心臓検査と今までに2度のカテーテル検査で、元気にすくすくと成長したけれど。
この病気「小児慢性疾患」に指定され、20歳のお誕生日の末日までは、この病気に関する医療費は免除されてきた。
ところが、今年の4月1日から、重症患者(人工呼吸管理又は酸素療法を行っているもの)と認定されなければ、医療費の一部を負担しなくてはならなくなる。
所得によって、上限が違うけれど、息子の場合、ちょうど健康保険で負担する金額と同じような額。
ということは、「助成制度」とは名ばかりで、普通の医療費と変わらない事になる。
却って「助成制度」の手続きをするための「診断書」は、普段助成制度の対象にならないのだから、この分、足が出てしまう。
息子は、19歳になるので、どちらにしてもこの「助成制度」の適用は、あと1年だったから、それが一年短縮されたようなものだし、一回の医療費も払えないほど高いというわけではない。
ただ、息子のような軽症者でも、今は年に2度の検査で済んでいるが、生後1年までは、1ヶ月に1度、通院していたのだから、それを負担するとなると、かなりの額になる。
世の中、政治家や官僚のお金に対する不祥事は後を絶たないし、どう見ても税金の無駄遣いと思える事が多い。
そういうしわ寄せが、何時も、弱いものに廻ってくるのである。
政治家は、選挙になると「国民のため」と言っているが、こういう弱い者虐めが「国民のため」なのであろうか。
これは「改正」ではなく「改悪」のような気がしてならない。


ある老夫婦の晩年

2005年03月01日(火)


一昨日、一人のお年寄りが亡くなった。
死因は、お風呂での溺死。
翌朝、ホームヘルパーさんによって発見された。

そのお年寄りは、もう90歳近いかな。
昨年夏に妻の3回忌を済ませたばかりだった。
もう50歳を越した一人息子が結婚してからは、妻と二人暮し、その妻がが亡くなった後は、一人暮らしだった。

彼の妻の死因は癌だった。
体調を壊してから、半年、検査を重ねたが、中々原因がわからず、癌が見つかった時は、既に末期状態だった。
その半年の間に、食欲は全く無くなり、彼女は誰が見てもわかるぐらいに、衰弱して、人の手を借りなければ歩けないほどになっていた。
医者も入院して、検査をしながら、せめて点滴で栄養補充をする事を勧めたが、彼女は、はっきりとした検査結果が出るまで、入院はしなかった・・・正確に言うと出来なかったのである。
その頃、この夫婦の一人息子は、海外に長期出張中だった。
息子は、養子にいったわけではないが、妻の両親と同居している。
衰弱した彼女の通院の付き添いも殆どが義妹がやっていて、息子の妻はたまに顔を出す程度だった。
最初は「検査結果が出ていないのだから、まだ大丈夫」と言っていた彼女も医師と周りの説得に応じて、入院する気になったが、彼女が入院してしまえば、一人残される夫の面倒を誰かが見なくてはならない。
その事を息子の妻が嫌がったのである。
祖母の一周忌を機会に、息子が一時帰国して、自分の母親の衰弱に流石にショックを受けた。
どうやら、妻からは「通院できる程度で大丈夫」としか聞いてなかったようだ。
時を同じくして、末期癌という診断も下され、息子は海外での仕事を切り上げ帰国した。
妻の入院で一人家に残った夫は、昼間は自分が経営する店に出ていたが、毎日の夕食と休日は、ホームヘルパー任せになった。
ホームヘルパーが、来れない日は、姪たちが、食事の世話をしていた。
そして、彼の妻は、入院後2ヶ月も経たないうちに、亡くなった。

妻の死後、彼は店に出る事もなくなり、家に引きこもり、多少のボケ症状も現れてきた。
食事をした事を忘れるという事もないし、徘徊してしまう事も無いけど、まだらボケみたいな感じ・・・・。
平日の昼間はホームヘルパーさんが来て、彼に夕食を食べさせて帰り、休日は、店の従業員が送り迎えをして、施設のショートスティを利用していた。
最初ショートスティを嫌がっていたが、最近では、そこで卓球をやりはじめ、元々若い頃から野球をやったりスポーツマンだった彼は、ラケットも買って楽しみが見つかって喜んでいたという。

それでも最近は、夕方になると、外をフラフラしている事もあった。
まだ家がわからなくなってしまう、という事は、なかったが、周りの人たちも、そろそろ一人暮らしは、危ないと感じ始めていた。
各々の家庭には、各々色々な事情がある。
たとえ、一人息子でも同居できないのなら、それも仕方ないかもしれない。
でも、同居できないならば、祖母がそうしていたように、夜間もヘルパーさんに居て貰うとか、ショートスティに行っている施設に移るなり・・・。
そういう話を息子にする事は出来ても、どうしても当事者ではないから、強要する事は出来ない。
廻りは、どんなに気の毒に思っても、心配する事は出来ても、同居するわけでもないし、経済的に負担をするわけでもないのだ。
そんな矢先の事故だった。

人の気持ちは、他の人にはわからない。
周りの人間が「可哀相、気の毒」と嘆いてみても、老妻はギリギリまで、夫と家で暮らす事が出来て、本人は幸せだったかもしれない。
老夫も今更他人の中で暮らすよりは、気侭に一人暮らしが出来て、よかったのかもしれない。
それでも、もっと早くに入院していれば、もう少し元気な時間を過ごす事が出来たのではと思ってしまう。
誰にも看取られずに最期を迎えるなんていう事は寂しすぎると思ってしまう。

この事は、決して他人事ではない。
この老夫婦は、私の親の年代と大して変わりはない。
そして、何時かは、私も必ず死を迎える時が来る。
子供たちや家族に迷惑をかけるのは厭だが、それでもせめてお布団の上で死にたい。















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