rokoのNotebook


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雨女

2004年07月30日(金)


私が自分が「雨女」だと意識したのは、何時からだったか。

最初に意識させられたのは、子供が幼稚園時代にPTA会長をやった時。
その年の運動会は、大雨だった。
その日は延期して、翌週やったが、その日も朝から曇天、
昼には雨が降り出し、午後の競技は中止となった。
「秋の長雨」と言われるように、運動会シーズンは、わりと
雨が多い季節だから、それだけなら何とも思わなかっただろう。

続けてバザー。
「これぐらい降れば、諦めもつく」と変な風に副園長に慰められた程
朝から土砂降りの雨だった。
園長によれば、20回目のバザーで、これ程の雨は始めての経験との
ことだった。

極めつけは、卒園式。
3月下旬だというのに、卒園式が行われるか心配するほど朝から大雪だった。
卒園式では、PTA会長が卒園児の親の場合
「お別れの言葉」(答辞の親版)を読む。
「お別れの言葉」の最初は、決まりきった時候の挨拶。
どんな言葉だったかは忘れたが、書いてあった挨拶とは、まるで違う
天候だった。
幼稚園に残す答辞の方は、毛筆で書いてあるので、今更
書き換えるわけにいかないが、朝、大慌てで原稿のみを書き直した。
幼稚園の職員室に顔を出せば
「○○さん、雨女どころか雪女だってね」と先生方に口々に冷やかされた。

ここ近年、家族旅行とは別に旅行へ行くようになって、
「雨女」は拍車がかかった。
2泊すれば、1泊は必ず雨。
一昨年の京都・名古屋旅行。
京都は小雨程度で済んだが、名古屋には台風を運んでしまい、帰りの
新幹線が動くかどうか心配しなくてはならなかった。
韓国旅行も霧雨の続き、9月だというのに寒い日だった。
「昨日までは凄くお天気よかったのよ」と、現地のガイドさんが
言っていた。
私が帰国して、晴天が戻ってきたかは定かではないが・・・

昨年の熱海、今年春の浜松・名古屋旅行。
ともに同じ友人との旅行だったが、一泊は雨。
もう一日は晴れるのは、一緒に行った友達が「晴女」だから。
・・・とは、友達の言い分。

旅行ばかりではない。
一昨年の東京湾に唯一ある無人島で行われた「猿島プチオフ」
そして、今年春の「東京オフ会」
雨さえ降らなかったが、風の強い寒い日だった。

そして、8月初旬に行く予定の旅行。
「浜名湖花博」へ一緒に行く予定の友達から
「大雨だったら、花博見学は中止ネ」と、釘をさすメールが届いた(> <)

「雨女」にだって、一つぐらいいいことあるんだよ。
それは・・・相合傘が堂々とできるんだからネ。



アルバイト

2004年07月28日(水)


久しぶりに2時間のアルバイトをしてきた。
ずーと前から、登録してある某リサーチのもの。
(1年ごとに更新)
条件が揃えば、時々電話がかかってくる。
此処は色々な形式がある。
電話だけで答えるもの。
CMのビデオを送ってきて、それを見た感想を、アンケートで答えたり、
レポートしたりするもの。
アンケート集計や座談会形式、今日行われた集合テスト。

集合テストとは、一部屋に50人ぐらい集まり、同時に幾つかの新作・未発表
CMのビデオを見て、アンケート用紙に答える、誰でも出来る簡単なもの。
今日見たのは、「ほんだしかつおだし」「cook do」「クノールカップスープ」
「スープパスタ」「健康エコナマヨネーズタイプ」
ビデオを見る前に、この5つの製品とCMについてのアンケートもあった。
どのCMも見れば「あぁ~、あのCMネ」と直ぐにわかるのだが、ビデオを
見る前は、中々CMと製品が結びついていない。
それだけ、普段テレビCMなど意識してみていないのだろう。
これを読んで下さった皆さんは、どれだけ覚えているだろうか。

これだけ簡単な事で、2時間で交通費を含めて7,000円。
集合テストに赴くたびに、思うのだが、かなり割高・・・・っていうか
こんなに貰っちゃっていいのかなぁ~。
只、今までは、紹介された商品を、クジで当たった人に、お土産に
なっていたが、今回は、それがなかった。
今までクジに当たった事がないので、今日こそは・・・って思って
いたが、それが残念だった。」







2周年

2004年07月27日(火)


HPはじめて今日で2周年。
同じ日からこのNotebookも始めたのでこちらも2周年です。

ネットデビューは、その約1年前の夏休み。
今までにも何度も書いたけど、大学生の溜まり場となっていた
某チャットからでした。
其処で知り合った連中の何人かとメル友になり、導かれるままに
メッセの世界にのめり込み、何度かのオフ会も経験しました。
チャット仲間の多くが既にHPを持っていて、其処の掲示板の
常連となり、好きな事を書き込みした約1年。
「そろそろ自分でもHP持ってみたら?」という彼らの誘いと
その少し前にHPを開設していた娘に誘われて、勢いでHPを
開設したのが2年前の今日。
タグも何もわからなかった私が立ち上げたHPは、ドリームシティの
ホームページ領域。
確かに初心者には、簡単だったけど、何しろアップロードが出来ない
から、直ぐに物足りなくなってしまって・・・。
当時の仲間に「初心者だからジオがいいよ」と勧められて、1ヶ月で
ジオにお引越し、と、同時に心優しい(?)ネット友から一冊の
分厚い「HTML辞典」をプレゼントされました。
今思うと「何がジオが初心者向きよ~」っていう感じがしますが・・・。

あの日から2年・・・。
ネット上で、言葉の行き違いから、感情が縺れ、疎遠になってしまった
ネット友もいます。
もうネットするのも厭になってしまって、HPをお休みさせていただいた
事もありますが、結局は舞い戻ってきて、何とか2周年を迎える事が
出来ました。
只、残念な事に、私にHP開設を勧めてくれた友達の多くが、「HTML辞典」をプレゼントしてくれた友達のHPは、今はもう閉鎖されてしまいました。

そして、この2年間で、幾つかのコンテンツが生まれては消滅しましたが、
最初から変わりなくあるのが、このNotobookであり、今、更新している
唯一のコンテンツです。
HPを開設する時に、ネット友から「コラムを書いて」というリクエストが
ありました。
「コラム」なんていう大層なものは書けないし、日々の生活を書く「日記」
と言う言葉には、多少抵抗がありました。
・・・で、思いついたのが「雑記帳」。
周りの皆に「雑記帳」を英語で何というか聞き回って、決まった名前が「Notebook」でした。
「雑記帳」ですから、何でもあり、と自分で勝手に決めて、想いのままに書いて
いるけれど、書いた以上やっぱり読んで下さる方がいれば、嬉しいのです。
欲張りなのかもしれないけれど、読んだ感想を書いて下さると、もっと嬉しい
のです。

このNotebookを読んで下さっている皆さん、ありがとう!
感想を書いて下さっている皆さん、ありがとう!

これからも、時には休み事があるかもしれないけれど、
もし、待っていて下さる方がいるならば、
出来る限り、続けていきたいと思っています。




司法取引

2004年07月22日(木)


曽我さんの夫、ジェンキンス氏の訴追問題で、クローズアップされている
「司法取引」。
これは刑事事件の裁判の前に検察・裁判官・弁護人によりおこなわれる取引
で、アメリカに特有な制度だが、今日ではドイツ・イタリア・カナダなどでも
施行されつつあるという。
司法取引とは、被告人が起訴事実の一部を認める代わりに、一部を取り下げ
てもらう事、被告人は罪を認める代わりに刑を軽くしてもらう事ができ、検
察官が面倒な立証作業を省く事が出来る。
また、司法取引を行えば、事実認定は自白だけで済み、審理を行わずに直ぐ
判決を下す事ができ、裁判所としても効率のいいシステムといえる
刑事事件で最後まで争うには多くの時間と費用がかかるので、それを節約
する目的で取引が行われている。
アメリカの刑事裁判は約90%がこの「司法取引」によって「審理なし」で決着
する。(軍事裁判でも適用されるという)
裁判になるのは全体の7%、あと3%は「陪審なし裁判官のみ」の日本と同じ
形式で裁かれる。
しかし、日本では、刑事裁判は、公のものであって、公のものに、取引とか交
渉とか、起訴しないとか、刑の軽減とか、犯罪の縮小とか、そういう観念は入
れてはいけないという考え方がある。
また、自分だけ助かって仲間を陥れるような人間のいうことを信用できるの
か、してよいのか、という取引する人間に対する信用の問題もある。
あるいは、刑が軽くなって助かる人間とそうでない人間が出てくるという処罰
の不公平という問題もあり、日本人の長年の考え方は「司法での取引を潔し
とはしない」というもので、この制度は取り入れていない。

さて、ジェンキンス氏が司法取引をする場合、アメリカが納得する内容でなけ
ればならない。
今更、彼が脱走兵である、仲間にも脱走するようにしむけた、北朝鮮で反米映
画に出演したという事を認めるだけで、納得できるだろうか。
アメリカが一番知りたいのは、北朝鮮(特に核問題)に関する情報、未だに
捕まってない脱走兵の事ではないだろうか。
北朝鮮に関する情報を話した場合、北朝鮮が、拉致問題に対して態度を硬化
させるのではないかという拉致被害者家族会の懸念の声も聞こえてくる。
アメリカ高官が言っているという「落としどころ」とは、何か・・・


どっちが候補者?

2004年07月20日(火)


参院選が終わって、早十日たったけど、テレビを見ていて、
お気の毒だったのが、田中直紀氏。
この名前でわからない人でも、田中真紀子の旦那さんと言えば
わかるでしょう。
新潟選挙区で、何とか当選したけれど、選挙運動を見ていると、
どちらが候補者かまるでわからない。
真紀子さん、目立たないように、一切応援演説は行わずに妻を
演じ、選挙カーのウグイス嬢になっていたけれど、有権者から
起こるのは、どこでも「真紀子」コール。
握手攻めにあうのも真紀子さんだし、ご当人もそれがよくわかっているのか
握手のために両手に包帯なんか巻いちゃって。
流石直紀氏も途中で「自分だけで戦う」って真紀子さんを演説会場から
遠ざけたらしいけど、その途端、人が集まらなくなっちゃったんだって。
しかも自分で
「候補者は、田中真紀子ではありません、私、直紀でございます」
と、挨拶しちゃう。

この真紀子さん、夫直紀氏と同じ自民党だったら、何の問題もないの
でしょうが、今や、反小泉の急先鋒。
自民党公認の夫を応援しながら、一方では小泉氏のおひざ元・神奈川県で
民主党候補の応援演説に駆け付け、首相を「粗悪品」「欠陥品」などと、
痛烈批判していた。
自民新潟県連は新人の塚田一郎氏(落選)を擁立し、党本部も「自民2議席
独占」をタテマエに両氏を公認したことを「いじめみたいなことをする」
ってかなり、お怒りだったみたい。
直紀氏の当選が決まったあと、「阿部幹事長がわざわざ特定の候補者と
写真を撮ってポスターを県内に張って回っていたり、向こうばかり
拉致被害者の方が応援に来たりとフェアネスを欠く」って嫌味を言って
いたらしい。
自民党も度量が小さい・・・とは、思わなくもないけれど、政治家も人の子、
あれだけ、奥さんが、反自民で、自民党総裁を痛烈に批判するのから、
他の候補を公認したくなっても仕方ないんじゃあないかなぁ~。

それにしても「当選したのは、家内のおかげ」という直紀氏って一体
どんな人物なんだろう。
っていうか、この夫婦の日常生活、是非とも垣間見てみたい。。。

越後交通グループの組織力と嫁の知名度をフルに生かした選挙戦だった
けど、それでもギリギリ滑り込みの当選。
地元では「真紀子の威光も薄れた」の声もチラホラ聞こえているらしい。

ープの組織力と嫁の知名度をフルに生かした選挙戦だったが、ギリギリ
滑り込みの当選。
地元では「真紀子の威光も薄れた」の声もチラホラ聞こえるらしい。



夏休み

2004年07月19日(月)




今日は「海の日」
それから、関係ないけど「マックの誕生日」
高校生までの学生は長い夏休みに突入したでしょうね。
我が家の娘は、これから今月いっぱい試験。
9月には資格試験を受験するらしいので、
俄か受験生です。
浪人中の息子に「夏休み」は、ありません。
実際には、塾も数日夏休みはあるんだけど・・・
今年の我が家に、「夏休み」は、関係ないと思っていたら、
一人だけいたの。
ちゃんと夏休みがある人。
それは、我が家のツレ。
それも勤続30周年とやらで、何時もの夏休みだけでなく
+5日、自由に休みが取れるの。
子供が小さかった頃は、子供を私に押し付けて
テニス仲間とテニス旅行へ行った事もあったから、
「テニス旅行でも行ったら?」って言っているんだけど、
全くその気配なし。
会社もわかっているのかなぁ~。
旦那さんに勤続30周年の休日を与えるのなら、
妻もその位の休みが欲しいっていう事。

でも、私も負けてはなかった。
8月になったら、2泊旅行へ行く予定。
予定は予定であって、決定ではない。
っていうか、決める事は決めたけど、
一人旅じゃないし、何があるかわからないものね。
最初から一人旅の予定じゃないから、急遽一人旅に
なった時は、寂しいから、行く気なくなっちゃうし・・・。
ドタキャンになってしまう事も考えて、
一応ホテルは、キャンセル料が無料のところを予約。
あとは新幹線。
何時もは、数日前に指定席を買うのだけど、
今度の旅行は、夏休み中の土日。
お盆休みではないけれど、ネットで新幹線の予約状況を
見ていると、既に私の第2希望までは満席状態になっちゃっている。
私の少ない夏休み、神さまがちゃんと与えてくれる事を
信じて、そろそろ買いに行こうかナァ・・・





同居

2004年07月14日(水)


ご主人の実家に同居している友達が結構いるの。
それもご両親が高齢になったからではなくて、
結婚当初からという友達が多いの。

同居と一口に言っても、大体2パターンに分かれている。
それは、食事・・・特に夕食の形態によって分かれているのだけど
友達(つまりお嫁さん)とお姑さんが一緒に料理をする家庭と
台所は一つなのに、時間制で全く分けているパターン。

子供が幼稚園時代、一緒に役員をしたSさんが、最初の形態
なんだけど、彼女が体調が悪い時だけは、お姑さんが全面的に
お料理をしてくれるから、その点は「助かる」って言っていた。
でも、外食する時も一緒で、その決定権はお姑さんがもっているのよね。
例えば、幼稚園の行事で役員が一番忙しかったバザーの日、私達
他の役員は「今日は外食にしよう!」って簡単に言えたんだけど、
彼女は、そんな風に簡単に言えない。
彼女の体調が悪い時は、一人でお料理を引き受けてくれるお姑さんも
役員の仕事のため・・・というと、そうはいかない。
自分の責任で引き受けた事なのだから、そのために家事を疎かにしては
いけない・・・っていう事。

あとの形態の方は、やっぱり子供を通してお友達になったKさんの家庭。
ご両親は寝るのも早いから、6時には夕食になるのだけど、子供達が成長
して、塾などの通いだすと、とてもその時間には一緒に食べる事が出来な
いから、台所を使うのは時間制。
ご両親の食事が終わってから、彼女は料理を始めるって言う事。
だから、外食もご両親とは別行動。
ご両親だけ、外食する日もあれば、彼女の家族だけで外食する日もある。

只、どちらのパターンにしても共通なのは電話。
ご両親が近くにいると、友達の声が小声になるの。
別に、ご両親も聞き耳をたてているわけではないのだろうけど、
無意識のうちにそうなるって言っていた。
だから、私が義母と同居する事になった時の第1条件が、自分の部屋に
専用の電話を設置する事。
結局、同居後3日目に義母はこの世を去ったので、実質的に同居しな
かったけど(下の子の出産後2ヶ月を除いて)、この自室の電話、特定の
人にしか教えてないから、私以外誰も出る事はないし結構気に入って
いるの。

もし、あのまま義母が亡くならずに同居していたら、我が家は完全に
最初のパターンだったと思う。
しかも、義母は外食が大嫌い・・・っていうか、外では全く食べる事の
出来ない人だったから、外食なんて夢のまた夢。
私・・・まいっていただろうナァ~。





携帯の話②

2004年07月11日(日)


昨日は伯母の3回忌。
その後は何時ものように親戚で食事へ行った。
私の家族だけ車で来てないので、喪主にあたる従兄弟が1台だけタクシー
を呼んでくれた。
これも何時ものと同じ。
タクシーの運転手に従兄弟の嫁が行き先を指示していた。
・・・で、私達を乗せたタクシーが先頭で出発。
今回、何処で食事をするかは(予約をしたか)聞いてなかった。
どうせ、皆で一緒に行くのだからと思ったから。
外は、天気予報通り、降り出した雨が強くなってきた。

タクシーは、某ホテルに止まった。
お手の近くで、法事のあとの食事場所と言えば、限られているが、
そのホテルの中のレストランも今までに時々利用した事があった。
だから、何の疑いもせず、タクシーから降りて、ロビーで待っていた。
しかし、その後到着する予定の数台の車が来ない。
待つ事10分・・・
道が混んでいるわけではなかったが、信号で離れてしまった事は
考えられるが遅すぎる。
従兄弟たちに連絡しようとして、気がついた。
誰の携帯の番号も登録してない・・・。(;^_^A
携帯から各自宅へ電話する事もないので、当然自宅の番号も携帯には
登録していない。
我が家も家族は、出掛けている筈。
さて、どうしよう・・・。
唯一、体調を崩して、今日は留守番している伯父の家の番号を
104で調べ、携帯番号を聞く事にするしかないか。

そう思った時、フロントから「○○さま、いらっしゃいますか?」
との声。
最初に出発した筈の私達が何時までも到着しない事を不審に思った
従兄弟がタクシー会社に確認して、運転手のミスに気がついたのだった。
慌てて、正しい場所へ向かった事は言うまでもない。

食事前に従兄弟達としたこと・・・それは、携帯番号の教えあい。
幾ら携帯にどんな便利な機能がつこうとも、相手の番号がわからない
のでは、どうしようもない。
相手の名前を言えば、電話番号が表示される・・・なんて、機能でも
つかない限り(笑)

因みに、間違えた場所に連れていかれた時のタクシー料金について・・・
元々従兄弟の嫁が行き先を指示した時に支払っていたので、そのあと、
返却して貰ったかどうかは・・・不明。






七夕

2004年07月08日(木)





7月7日七夕の夜、天の川を隔てて輝く、 わし座 の1等星アルタイル(牽牛
星)彦星と こと座 の1等星べガ(織女星)織姫が 一年に1度だけ逢うこと
を許された夜...。

このお話は中国で生まれ日本に語り伝えられた伝説です。

夜空に輝く天の川のほとりに、天帝の娘で織女と呼ばれるそれは美しい天女
が住んで居ました。
織女は、天を支配している父天帝の言いつけをよく守り、毎日機織りに精を
出していました。
天帝は年頃の娘なのにお化粧一つせず、恋をする暇もない娘を不憫に思い、
天の川の西に住んでいる働き者の牽牛という牛飼いの青年と結婚させること
にしました。
こうして織女と牽牛の二人は、新しい生活を始めました。

しかし、結婚してからの二人は、仲が良すぎて仕事を怠けるようになってし
まいました。
織女が布を織らなくなってしまったため、機織り機にはホコリがつもり、天
界にはいつになっても新しい布が届きません。
また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って、次々に倒れてしまいま
した。

業を煮やした天帝はとうとう、2人を引き離しました。
二人が心を入れ替えて、一生懸命仕事をするのなら、1年に1度、7月7日の
夜だけ、天の川を渡って、会うことを許しました。
それ以来、織女と牽牛は、年に一度の再会を励みに、お互いの仕事に励み
ました。
ところが、2人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増し
て、織女は向こう岸に渡ることができなくなります。
2人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、お互いに切ない思いを交しながら
川面を眺めて涙を流すのでした。
そんな2人を見かね何処からともなくかささぎの群が飛んできて、天の川で
翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるの
だそうです。

機織りに励んだ天上の織女にちなんで、星に技芸の上達を祈る「乞巧奠(き
こうでん)」という宮中行事が生まれ、日本では、日本では奈良時代に宮中
の行事として行われるようになりました。
色紙や短冊、飾りをつけた笹を軒先に立てるしきたりが始まったのは、江戸
時代になってからといわれています。

2000年の七夕、東京は晴天でしたが、彦星と織姫は、逢う事が出来たので
しょうか?
実際に、年に一度だけ逢瀬を楽しんでいるカップルもいるのでしょうね。
子供が小さい頃は、子供達と一緒に、自分の願い事を短冊に書いて笹に、結
びつけたものです。
何のお願い事をしていたか・・・う~ん、思い出せないけど・・・多分、子供たち
の健やかな成長でしょう。(;^_^A

最近は、星にお願い事をする事もなくなっていましたが、昨夜はお天気もよ
かったし、久しぶりにお願い事をしてみました。
きっと星に一生懸命願えば、その願い事が叶えられる日が来ることを信じて・・・




携帯で講義?

2004年07月07日(水)


先日、夕方のニュースを見ていた息子が
「講義を携帯でする大学がが登場し始めたんだね。」と言っていた。

確かに娘が通学している大学でも、大学側からの連絡は、希望があれば
登録してある携帯にメールで来る。
例えば、急な講義の休講とか試験の日程など。
私の大学時代には、考えられない事である。
大学時代に通学時間が2時間以上かかる友達は3年間東京に下宿していた。
4年生の時には、卒業ゼミ関係の講義しかなかったっため、実家に戻ったが、
往復4時間以上かけて大学に来ても講義が急に休講になっている時は
がっくりしたものだった。
その事を知った卒ゼミの担当教官は、急な休講の時は、電話連絡網で、
知らせてくれるようになった。
それでも当日の朝に連絡があった時には、既にその友達は出掛けた後
という事もあった。
今と違って、携帯電話もない時代だから、一度家を出てしまえば、連絡
のしようはない。
だから、娘の大学の制度を知ったときには、世の中便利になったもんだと
思っていた。

だが、息子の話を聞いた時、「まさか」と思った。
出欠も携帯でとり、教授からの簡単な質問や学生からの質問もメールで
行われるらしい。
教授からの質問に対し、反応がないという事は居眠りをしている事であり、
学生が気がついて、レスした時、教授の方が
「お目覚めですか?」と皮肉を言った場面があったらしい。
人前で、質問をしたり、自分の意見を言えない若者も携帯なら出来ると
いう事で、学生の間でも好評だったという。

で、ネットで調べてみると、息子の話は、明治大学、経営学部の現代
政治学の川島高峰助教授(情報コミュニケーション学部)の講義である事が
わかった。
例えば、助教授が一つの質問をすると、彼が作った携帯サイトに学生達が
一斉にアクセスし、親指でキーを押し始めた。
数十秒後、教壇のスクリーンに結果がグラフで表示される。
メールで質問も寄せられ、その場で答える。

学生たちの理解度や共感度を確認し、それをフィードバックして講義を
進めるという少人数のゼミでしかできなかったことが、携帯を使うこと
で数百人規模の大教室でもできるようになった。
学生側は「周囲の学生がどう思っているかわかって興味深い。」という。
助教授は「質問や意見が増え、学生との距離が縮まった。理解できない点が
あっても今の学生は手を挙げないが、メールなら送りやすいらしい」いう。

この大学だけではない。
佛教大学では、学校全体で、「ケータイ授業」に取り組み、現在全体の
一割程度の講義が利用しているらしい。

確かに、携帯のボタンを動かすことで居眠りをする学生も少なくなると思う
し、出欠に携帯を用いれば、時間は短縮するだろうし、代返がしにくいという
メリットはあるだろう。
昔のように、教授が棒読みする文章を学生がノートに書き取るなんていう講義
が良いとはいえないだろう。

だが、学生は、何れ社会にでる。
社会では、自分の意見を言わなくてはならないし、人として生きていくために
他人とのコミュニケーションは、必要不可欠になるだろう。
勿論、それが苦手な大人もいる。
大学とは、学問だけでなく、その事も学べる場所ではないだろうか。




曽我さん一家再会へ

2004年07月05日(月)


北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさんと夫のジェンキンス氏、長女の美花さん、二女のブリンダさんの一家4人が9日にインドネシアのジャカルタで再会することになった。
一家がそろうのは1年9カ月ぶりとなる。

思ったより早い再会となった。
再会が11日の参院選投票日の2日前となることに「政治利用」との見方があ
るが、曽我さんにとっては、一日も早く家族が再会できる事に越した事はない。

只、懸念するべき問題は多々ある。
北朝鮮からお世話係と称して政府関係者数人が同行するという。
1年9ヶ月前に、拉致被害者たちが帰国した時と同じように、家族が自由に話
し合えるように、同行する人間をジェンキンス氏らから離さなくてはならない。
思ったより素早かった北朝鮮の態度の裏に何かあるのではないか、という事も
懸念される。
過去の歴史からいっても見返りなくして、このように日本に協力的な態度に
出るとは考え辛い。
そして、何より、ジェンキンス氏自身の問題が未だに解決されていない。
何しろ、アメリカは、ジェンキンス氏の訴追問題に対して態度を変えてない。
この問題が解決しない限り、曽我さんがジェンキンス氏が日本で暮らすように
説得するのは、かなり困難であろう。
多くのアメリカ人ジャーナリストは、
「日本へ連れてきて、アメリカに引き渡さければよい。今、アメリカはジェン
キンス氏一人の問題で、日本と対立するような真似はしない筈である」という。
曽我さん一家の問題は、まだまだ始まったばかりである。

それでも「よかったです。だいぶ気持ちが楽になりました」と語った曽我さんに、幾分笑顔が見られた。
彼女のあのような笑顔は、帰国以来はじめてかもしれない。
この笑顔が、再び曇る事のないように、そして、全ての拉致被害者とその家
族に同じような笑顔が戻ってくるように、願わずにはいられない。



選挙運動

2004年07月04日(日)


参院選が公示されてから、10日間が過ぎて、選挙戦は折り返し点を回った。
各候補も都内を駆け回って、遊説している筈なんだけど、私は遊説を一度も
聞いてない。

と思っていたら、読売新聞の地方版に、東京の有力9候補の選挙遊説日程を
集計したものが載っていた。

遊説スポットは、駅前に集中していて、堂々のトップは、新宿駅。
2位も乗降客数の多い池袋駅。
同じく2位なのが、意外な事に八王子駅。
利用者数は少ないけれど、終盤で日程が詰まってくると、遠い場所は行き
づらいので、前半戦でこなしておくそうだ。
同じ理由で、立川駅も上位に食い込んでいる。
「サラリーマンが立ち止まって話を聞いてくれて表につながり易い」という
理由で多いのが新橋駅と錦糸町駅。
「お年寄りの原宿」と言われている巣鴨駅も多い。
聴衆の反応が最高で、拍手あり、握手まで求められ、候補の気分が乗って
くるそうだ。
選挙に感心の高い中小企業関係者が多い蒲田、大井町の両駅も忘れては
いけない。
逆に嫌われているのがお台場と六本木ヒルズ。
お台場は、橋を渡る間は、選挙カーが連呼出来ないから、時間が勿体ない。
六本木ヒルズは、観光客ばかり。
投票率の低い若者の街である渋谷も人気がない。

一票でも多く欲しいだろうから、人が集まる場所で遊説したいというのは
わかる。
でも、9候補全てが遊説する街があるかと思えば、一人も来ないまま選挙日
を迎える街。
一人も来ないに近い街に住んでいると、毎度の事ながら、選挙間近になると
電話攻勢がある。
最近では、酷いところではテープが回っているだけ。
一様に選挙事務所って非通知でかけてくる。
今年は非通知拒否設定がしてあるから、繋がらないけど・・・。
投票率が低いからって遊説にも来なかったら、益々興味がなくなるだろう。
同じ都民でありながら、蔑ろにされた感じで、不公平だなって思う。
あの遊説だって、運転手やウグイス嬢への人件費も含め、選挙費用もかか
っているだろう。

いっその事、皆平等なテレビとラジオの政権放送だけっていうのはダメ?
それだと誰も聞く人がいないか?



子供たちの作文

2004年07月02日(金)


子供が卒業した小学校の役員OB会の役員をしている関係で、月1回の
「学校だより」が送られてきます。

今回は「遠足特集」。
子供たちの作文の一部が紹介されていました。

始めて見たダムの大きさにびっくりしたり、水の色がエメラルドグリーン
だった事を不思議に思って、調べてみたり、水の大切さに気がついたり、
魚市場で、何時もは切り身しか見てない鮪の大きさとその量に驚いたり、
イソギンチャクを押したら、水が如雨露みたいに出てきた事に喜んだり・・・
前日はワクワクしてしたり、何時もより早く跳ね起きたり、ヤギが餌を食べて
くれたりウサギを抱っこできて嬉しかったり、お母さんが作ってくれた
お弁当を戸外でお友達と食べて美味しく感じたり・・・

勿論、小学生の作文だから、平仮名だらけだったり、文章が拙かったり
しているのだけど、子供達が遠足を楽しんだ様子がうかがわれるの。
皆、目を輝かせながら、色々な発見をして、楽しんだり、喜んだり、いい
顔していたんだろうなぁ~。

今の私は、日常生活の中で、些細な事に苛立ったり、大切な人に厭な思い
をさせたり、毎日「つまらない」って呟いたりしている。
何かにワクワクしたり、素直に嬉しく思ったり、喜んだり、楽しいと感じる
事の出来る心、大切にしなくちゃ・・・。

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