2003年07月11日(金)
少年犯罪といえば、必ず取りざたされるのが「少年法」である。 長崎幼児誘拐殺害事件の加害者の少年は「触法少年」で、刑事裁判で裁かれる事はない。 つまり、所謂刑罰はない。
1997年におきた「神戸連続殺傷事件」をきっかけに少年法は改正され、刑事罰に問われない少年の年齢が16歳から14歳に引き下げられた。 今回又この年齢を引き下げるべきという議論がおこるだろう。 確かに12歳であろうと自分の犯した重大な行為の責任を取り、罪を償う事は必要であろうが、それが大人と同じように壁の向こう側の人間になる事とイコールなのか? 先ず、少年は被害者遺族に会い、駿君の命を奪ったという自分の罪の重さを目の当たりにすればよい。 周りの人間から言葉の上で聞かされるのではなく、自分の目にしっかり叩き込むのである。 自分が犯した罪の重さをわからない人間を、只罪を償わせるために、隔離した世界にぶちこめばいいというものではない。
被害者側は名前も顔写真も報道されるのに、少年というだけで加害者は実名報道がされない。 これだけの罪を犯したのだから少年と言えども実名報道をするべきという声も大きい。 でも実名報道って何の意味があるの? それも罪の償いの一つ? 被害者が報道されているのに、加害者はしないのは不公平だから? だったら、被害者も実名報道をしなければいい。 ・・・誘拐や行方不明事件の公開捜査では無理だけど・・・ よく「知る権利」っていうけど、実名を知って、顔写真を見てどうするの? 「知りたい」と思う方にも「知らせたい」と思う方にも野次馬的な興味本位のところがない?
勿論、被害者家族には別である。 もし私が被害者家族だったら・・・想像に絶する世界の事を語るのは驕りだと言われるかもしれないが・・・ その子がA少年であろうと実名で報道されようが、勝手に騒いでくれ! 奪われた命は戻ってこない。 せめて知りたいのは「何故我が子の命が奪われたか、何があったのか」 それを供述調書などという活字ではなく、本人の口から生の声で聞きたい。 そこから生まれるのは、更なる憎しみ・悲しみかもしれない。 それでも「何も知らない」よりましであるし、殺されていった我が子のためにも何が何でも知りたい。
少年法 61条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
実際は第61条に対する罰則はありません。
<追加> イギリスでは年齢に関係なくその個々の事件が凶悪かどうかによって、実名報道にするかどうかを決めるそうです。 事件当時は実名報道にしても、その子が罪を償って第2の人生をやり直す時、改名と虚偽の過去の履歴を認めるそうです。
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