ディリー?闇鍋アラカルト
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2005年07月23日(土) 摂食障害は改善出来る

過食で辛い毎日を送っていたAちゃんは、通っていた精神科医に「摂食障害とアルコール依存は治せません」と言われたのだそうだ。
「ねえ、摂食障害とアルコール依存って医者も治せないものなの?」と、僕に聞いて来たので「うん、治せない精神科医が多いね。でも、本人が治そうと望んで、適切な援助があれば治るよ。精神科医が治せないのは、摂食障害の栄養学的側面を知らないという理由がまず有るんだよ。つまりね、猛烈な食欲が起こるのは実際に不足している栄養素が有るからなんだよ。カロリーは十分過ぎるほど摂っても、「足りない栄養素が有るよ」って体が訴えているのさ。その部分の対処無しに、精神安定剤や抗鬱剤の投与では十分とは言えないよね。それから、アルコール依存の場合アルコールだけがその人のお友だちになってるだろう?過食の場合は食べる事がお友だちになっているから、食べる事以外のお友達も必要だよね。人間でなくても熱中出来る趣味でも。そういう事をガイド出来る人なら最適だね。この点でも、精神科医がそういう役目を果たせるかどうか疑問だね。患者全員に付き合っていたら体がたくさん必要だろう?」

Aちゃんが不調を克服するのに大変そうだったので僕の友人Bが助っ人に行って生活を見、アドバイスしたらかなり改善出来た。そこで、何故改善出来たのかを本人と話し合った。
例えば、「ゆっくり食べるように」と指示しても、一人で食べる時にはそれが出来ない。Bと一緒ならばそれが出来る。何故だろう?BはそれについてAが考えられるように工夫出来るような話し方をする。「おまえはいつも食べるのが速過ぎるからダメなんだ。何で言われたようにゆっくり食べないんだ!」というような言い方はしない。そういう言い方ではストレスになり、過食の原因の一つになる可能性が有る。
退屈やイライラ・ストレスを感じた時、つい、食べ物に手が伸びる時がある。そういう時に落ち着ける為に出来る事がいくつかあるのだけれど(ex.呼吸法・自律神経刺激など)そういう技術を使えるようになれば過食発作も克服しやすい。精神安定剤も助けになると思われるが、依存の問題も生じやすい。
周囲の人間は意志の問題と考えて対処し、出来ないのは意志が弱いのだと判断して責める事が多いのだけれど、それでは解決出来ない。
大切なのは広い理解と知恵を伴った意志なので、意志だけを言うなら却ってストレスになってしまうのだ。
Aは鬱状態にも陥り「鬱の原因が分からない」とも言っていたが、それを本人が理解するには、自分の失敗や心の状態など何でも語り合えるアドバイザーが必要だ。Bはその役目も果たしてくれた。しかし、いつもBがそばにいられるわけじゃない。
Aはおうちの人に「もっとBに傍に居てもらいたい」と言った。そうしたら「環境のせいだって言うの?」と言われたのだそうだ。
おうちの人の対処法では不足している。しかし、それを言うと批判の様に受け取られる可能性がある。おうちの人はそれなりに頑張っているのだ。しかし、見落としも勘違いもある。それを上手に伝えるのがこれからの課題となる。


2005年07月22日(金) 夢と世界

これを読む前に19日に書いた「夢に殺される!」を読んで貰いたい。
僕は夢使いの民セノイ族の話しをして、夢の活用の仕方をガイドする事がある。
かなり多くの人が夢で不安な体験をしている。
例えば、「誰かに追いかけられている。逃げても逃げても追いかけてくる。時々すぐ傍にまで来て、危害を加えられるんじゃないかと思い、汗びっしょりになって目覚める。」
僕はその人に言う「その追いかけている人の方を振り向いた事はなかったの?」
「そんな事考えた事もなかったよ。恐ろしくって・・・」
「それじゃあ、誰が何のために追いかけて来ているのかも分からないで怖がってるんだね。忘れ物を届けようとして追いかけているのかも知れないよ。今度夢で追いかけられたら振り向いてみようよ。」
「怖くって振り向けないよ。」
「だって、本当に恐ろしい存在なのかどうかも分からないのに怖がるってのもおかしい話だと思わない?それに、どんなに頑張って逃げても追いかけて来るんだろう。だったら、覚悟を決めて振り向いてみたら?」
「振り向いてみて、本当に恐ろしい存在だったら、どうする?」
「そういう場合も有るだろうね。でも、実際にその存在と対決しなくては相手の強さも弱さも分からないんじゃないの?こけおどしでびびらせているのかも知れないよ。何しろ、夢の世界なんだからさあ。龍のように強そうでとても敵わないと思ったものが、実は狸が化けてたりしてね!」
「そんな事って有り得るの?」
「さあねえ。夢の世界だからねえ。でも、夢の世界で怪物が襲って来たとしてもまず死んだりする事は無いよ。僕は乗っているバスがコンクリートブロックに突っ込んで行く夢を見た事があるけど、そのバスがぶつかった瞬間場面が切り替わったんだね。何しろ夢なんだからさあ。僕はその夢の中で、バスの中で覚悟を決めて、どのように成るかを見届けようとした。どうせ逃れられない夢の中バスの中で有るなら、その中で自分に出来るどのような事が有るだろう?と覚悟を決める方がパニックを起こしてるよりもいいと思うんだよ。」
「そういう風に思えるものだろうか?」
「さあ、あなた次第だと思うよ。あなたが逃げる事ばかりやっているようじゃそうならないよね。でも、覚悟を決めて振り向こうと決意して、足を止めたら、それだけで今までとは違う気持ちを夢の中で持てたという事だよね。だから、当然今までとは違う展開に変わって行くのさ。忘れ物を届けてくれてる人が追いかけているのかも知れないし、怪物かも知れない。怪物と対決しなくてはならなくなったとしても、そこは夢の中だ。足を止めた時から、あなたの積極的な意思が夢の中にまで力を及ぼすのさ。だから怪物を打ち倒す事も助力を求める事も、また、仲良くなる事も可能なんだよ。」

夢の中で逃げてばかりいる時、自分は無力な被害者であるという思い込みの中にいる。何か出来るなどと思っていない。それはその人の世界に対する態度の反映でもある。それでいて、不安を抱えている。「これでいいのだろうか」という思いが心の片隅に有る。だから、それが夢の中で形になる。
世界を相手に逃げている時に、世界がそれを夢として体験させる事で問い掛けているのだとも言えないだろうか?


2005年07月19日(火) 夢に殺される!

夢に殺される!と言う人と会った事有るかな?
これは実在の人で、文通していた人の話だ。
電話で彼女が言うには、精神科に通っているとの事で、「具合はどのように良くないの?」と尋ねたら、不眠なんだそうだ。
「何で眠れないのかな?」と尋ねたら、「自分が自分を殺しに来る夢で恐ろしくて眠れない。眠れないけど、眠らなければどんどん体調が悪くなってしまうから薬を飲んで眠っている。」というわけで、実際に彼女は夢に困りきっていたのだ。薬を飲んで眠ってはいるが睡眠の質は良いとは言えず、薬の量も増え体調だって低下してくる。
僕は彼女に「マラヤの夢理論(キルトン・スチュアート)」を紹介した。
マラヤの夢理論はマレー半島に住むセノイ族の調査という形になっていて、K.スチュアートによると、セノイ族では朝食時の風景は夢クリニックの様であるらしい。そして、全ての人間は、仲間の援助によって、夢の世界の存在と力に立ち向かい、それを習得し使いこなす事が出来ると信じている。
朝子供が「昨夜はがけから落ちる夢を見ちゃった」と言うなら、おとなは「ほう、それはいい夢を見たな。それでお前はどうしたんだ?」と言うかも知れない。
子供は「何がいい夢なもんか。怖くて目が覚めちゃったよ。」と言うなら「ふーん、それは失敗しちゃったね。がけから落ちる夢というのはね、大地の精がお前を呼んでいるのさ。落ちるのが怖いのなら、飛んでみなよ。夢の世界では飛べるからな。そしてふんわりと着地したら、大地の精がお前を待っているから、何でおまえを呼んだのか尋ねてみれば良い。きっと素敵な贈り物を用意して待っているはずだよ。」
そして、その子供は助言によって夢で飛べるようになり、大地の精から贈り物を貰ったり歌を教えて貰ったりと夢の世界で力と知恵を得る事が出来る・・・というような事が書かれている。
(W.ドムホフの「夢の秘法(岩波書店)」によると、この内容はK.スチュアートのでっち上げだという事だが、大泉実成は漫画家の水木しげると共にセノイ族の調査に行き「マレー獏は悪夢を見ない(扶桑社)」を出版している)
さて、夢に殺されそうになった精神科通いの彼女に関して言うなら、「マラヤの夢理論」は役に立てたようだ。
一年後彼女は電話で僕にこう言った「いなっち、夢って面白いね。映画見てるよりも面白いよ。映画は自分が主人公じゃないし、夢なら自分が主人公だし、触れるし、匂いまでするし、ホラー映画のBGMかけて寝てるんだよ!」
夢に殺されなかったばかりか、力も得られるようになったようだ!

*セノイ方式の夢見については「夢学(ユメオロジー)白揚社刊P.ガーフィールド著」に解説されている。


2005年07月10日(日) 十五でねえやは嫁にゆき

十五でねえやは嫁にゆき・・・という歌詞を憶えているだろうか?
これは「赤とんぼ」の歌詞だ。「夕焼け小焼けの赤とんぼ負われて見たのはいつの日か」が一番の歌詞だ。この歌が出来た頃(大正10年)では十五で嫁というのは珍しくなかったのだと思う。今日では日本国の法律でも結婚は認められない歳であるけれど・・・
僕の中に、今の子供たちは不当に子ども扱いされ過ぎているのではないかという思いがある。小学・中学・高校と勉強だけしていればそれでいいような風潮で、社会や人間の何が学べるというのだろう。教科書と講義とテストで水泳が学べないように、実際に働いたり交際したり遊んだりという体験が無いならば学べない事は沢山ある。そういう知恵が社会で生きて行くための力になるのだと思う。
ニートと呼ばれる人たちは不当に子供たちを子ども扱いにする人たちの鏡なのだと思う。
中森明菜の「少女A」は不当に子ども扱いされる風潮への苛立ちを表現しているようにも思える。凡俗のおとなたちが考えているよりも子供たちの中にある衝動はおとなを目指しているのだ。愛も性も自分の生活の中で体験しないならどうして豊かなおとなに成れるというのか!おとなたちが不当に子ども扱いするなら、自分自身でその殻を抜け出さないなら未熟なおとなに成るしかない。
「・・・・・・特別じゃない どこにもいる 私少女A」
どこにもいる殻から抜け出そうとする人に、エール!


2005年07月08日(金) いい女いい男

おとといの晩、駅前のなんで屋http://www.rui.jp/でいい女・いい男について話し合った。どうも僕はいい女・いい男についてのイメージが他の人と多少違っているようだ。
僕自身自分ではいい男だと思っているが、他の人からそのように思って貰えるかどうかは???だけどね。大体金もないし腕力も強い訳じゃない。権力とも無縁だしリーダーシップだって?だしね。
考えてみれば、僕は非常に個人主義的で、僕が親しんだいい男というのは良寛だったり・荘子老子だったり、A.S.ニイルだったりする。
僕にとって手本とすべき英雄というよりも好感の持てるお友達という感じだね。

いい女のイメージも大分違うと思う。
「どんな女が好き?」と聞かれて「好奇心の強い女」と答える。「タレントで言えば?」「TVで見る見掛けじゃ好奇心のレベルまでは分からんからノーコメント。外見のかわいこチャンもいいけど、付き合うとなればそれだけじゃね」
「でも、好きなタイプってあるでしょう?」と食い下がられるなら「まあ、あるよ。そうだなあ、顔立ちはオードリーヘップバーンの若い頃のようで、身長は160cmちょいくらいで、体重は50kgくらいで、歌うのが好きで、しなやかに踊れて、好奇心がいっぱい有って、僕の興味を感じる事の大部分にタメで話し合えて、ヒマラヤ辺りに一緒に花見に行けて、自活能力が有って、みみずくらいは平気でつまめて、ライ病やエイズ患者とも平気で握手出来て・・・・」なーんての居るわけないよね!!無理に答えさそうとする人が居るなら、こちらとしてもいかにも無理そうな答えをしてしまう。
僕はアイドルを持たなかった。TVで見るかわいこちゃんたちに熱を上げる事は無かった。異性の美しさに心奪われた経験というのはある。しかし、僕は幾ら外見の美しさに心奪われようと、どのような人なのかを見極めようという思いが必ず有るのだ。そんな人がゴキブリが出て来て「きゃーっ!」なんて言おうものなら興ざめだ。女は可愛くか弱く有るべきだという今日的文明に過剰適応しているように感じられてしまうのだ。興ざめだと書いたけれど、この一件でその人を軽蔑するという事も無い。いずれ気が付くかも知れないし、本人だけの責任とも言えないし・・・
軽蔑するなんて勿体無い!僕は基本的には誰でも「お友達」と思っているのだから。
僕は「好奇心の旺盛な女が好き」と言うけれど、それは生命力や真実への愛とも重なり合うイメージを持っているのだ。派生する性質として、素直さや自立をも伴っていると勝手に思う。
好奇心は広がりを持つものでも有るけれど、その中心にはその人個人が有る。そして、好奇心に導かれて探究するという事は、その人の秘められた能力が育ち開花して行く事でもある。それは女・男を問わず成長の王道とも言える。
その人が女であればそのように成長するのが最も女らしい事であり、男であってもそのように成長する事がその人の男を開花させるのだと思う。
誰かがいい女は○○のような女だと言った所で、そのような基準に合わせる必要もない。
僕自身にしても、他所の基準などに合わせようなんて思わなかったしね!


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