ディリー?闇鍋アラカルト
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「ブラックジャックによろしく」の8巻が出た。 5巻から始まる「がん医療編」の最終巻だ。 辻本という平凡な主婦が膵臓癌で死ぬまでが描かれている。 その中での医者の言葉。 「僕はがんでは死にたくないと思っていました。・・・一歩ずつ近づいてくる死におびえながら・・・ただ絶望の中を生きるなんて絶対に嫌だと思っていました。・・・こんな事を申し上げる事をどうかお許しください。・・・・辻本さん、僕はあなたのように生きて死んで行きたいです。・・・」
僕は1975年に「死の瞬間(講談社)」を読んでいる。著者E.K.ロスが死に行く患者たちと語り合い、その過程を記録した本である。 著者は患者に当然告知しているが、その時代では告知は行われていない事が多かった。日本でも告知すべきかどうかが議論されたりもしたが、告知すべきでないと考える人が多く、実際に告知される事も殆どなかったようだ。 僕自身は告知すべきであると考えていた。 それが、その本を読んで自分の考えが裏付けられたと感じたのだが・・・・それから29年。コミックの世界でそのテーマが扱われるようになったのだ。 コミックも成熟して来たものだなと感無量だ・・・ この巻の終わりの方で主人公斉藤は「がんは死と向き合い・・・残していく人たちに別れを告げる時間のある病です・・・もしもきちんと終末期のケアを受けられるならその死は決して不幸ではありません・・・・・・・僕はがんで死にたいです・・・」
「僕は癌で死にたい」という言葉はそれ以前にも見た事がある。 その言葉を言ったのは「患者よがんと戦う事なかれ」という本の著者で医師でもある近藤誠さんで、「良くない治療ダメな医者から逃れるヒント(講談社)」の座談会の記事にあったように記憶している。同席した人も同意していた。
僕は高校時代に父親を突然失っている。 だから、死ぬのなら突然の死ではなく、猶予の時間の有るような死でありたいという思いもある・・・・ いや、今がその猶予の時間だという気持ちで今を生きるのがきっともっと大切な事なのだろう。 そうすれば突然の死であっても悔いは少ないはずなのだから・・・・
2004年02月13日(金) |
1000円からお預かりします。 |
この所「1000円からお預かりします。」という言い方をする人が増えてきた。 日本語としておかしいと感じるセンスが無いのだろうか? きのうもマクドナルドでそう言われたので「1000円をお預かりしますでしょう?」と言ったら返事をしてくれなかった。 きょうマクドナルドに電話をした。 「マクドナルドは店員教育をしっかりやっているという話を聞いているんですけど、1000円からお預かりしますというような言い方で教育しているんですか?」と尋ねたら、そのように教育はしていないという事だった。 「でも、そういうように言う店員がたくさん居ますよ。マクドナルドに限りませんけどね。それを放置しているんですか?上層部ではそれについて何も言わないんですか?マクドナルドのような大手でそういう言葉遣いについて教育するなら日本全体に広まっている不自然な日本語に対するブレーキになると思うんですけど・・」 NHKラジオでもそのような言い方が話題になっていた。きっと新聞の読者欄でも投書はあるに違いない。 けれども、そういう言葉遣いをする本人や会社に伝えたのだろうか? 僕はなるべく本人に伝えるようにする。本人の居ない所で批判をしたり日本語の衰退を嘆いたりしても意味は無い。 使っている本人たちは意識的ではない。指摘してもきょとんとしている事が多い。 「420円丁度お預かりします。」「預かるの?預かるんだったら何か戻ってくるのかな?」「???」 こういう言葉遣いは一つのロボット化現象のような気がする。 自分自身で言葉の使い方を考えるので無しに、何となく周囲で使っているのをそのまま取り込んでしまうのだ。 その言葉遣いに違和感を感じる人も、その事に対して有効な方法を考えるでもなく批判をつぶやいたり、投書したり・・・・いつもと同じパターン! 私たちはロボットではない!
人類を悪の手から守り、平和のために戦う愛の戦士。 コミックではお馴染み「月に代わってお仕置き」しちゃうのはセーラームーンだけど、貧困をなくし、健康や平和の為の活動というのは誰にとっても案外簡単にできるのではないかと思う。 人々を不幸に追いやる事ってどんな事だろう? 貧困?病気?戦争? 戦争は起こしている人たちが手の届かない所にいる事が多いので僕がここで書ける事はあんまりないので、貧困と病気について書いてみよう。 このサイトの一番初めの記事では「おいしい!元気!安上がり!簡単!の食生活革命」をUPしているが、そのやり方では食費を減らす事が出来、成人病・肥満対策になる。つまり、少ない所得でも元気に生きられるのだ。 貧乏で医者に見てもらう金も無い状況であっても、出来る事はある。全ての人ではないにしても。おいしく食べて食費は減り少しずつ力が甦って来る。 どんな難病でも、治療法が分からなくても、バランスの取れた食生活をし、交感神経・副交感神経のバランスを整えるなら改善の余地はある。 実際に高血圧や糖尿病の人にどのような治療をしているのかと尋ねるなら、そういった基本的な事に取り組まずに血圧降下剤などを医者の言うままに飲んでいる人が圧倒的に多いのだ。そして減塩食。 余分な金はかかり、病気も治せない!愛が無い(愛とは生活の基本を見つめる事とも言える)! このサイトの食事をするなら、減塩無しでおいしく、血圧は下がり、薬は不要! そこにあるのは、愛! それを実践し、他の人にも伝える私たちは愛の戦士!?!? でも、これって、戦い?活動かな?
2004年02月07日(土) |
だって・・・エステの日 |
だって・・・エステの日というCMを電車の中で最近よく見る。 ベッカム夫妻がキャラクターで登場している。
最近見た化粧品に関する本にエステの事が書かれていた。 某大手エステでは1000人の新卒を採用するそうだ。 その教育はどうなっているのだろうか? 美容師の場合は美容学校で髪や肌や使う薬剤について2年間学び100時間余の実習を経て国家試験に合格しなくてはならないのだが、エステの場合はどうなのだろうか? 実はエステの場合は国家試験がないのだ。美容国家試験で検索するとたくさん出てくるのだがエステ国家試験ではヒットが無かった。 本にもその事が書かれていたが、自分で検索してみて改めて確認出来た。 それでは大手エステでの1000人の新卒はどれだけの教育を経て現場に立つのだろう? 美容師ほどの教育をしているのだろうか? 尤も僕は美容師自身の手を荒れさせ、客の髪をも荒れさせている現状を見るなら、美容教育・国家試験と言えども充実したものではないだろうという感想を持っている。 では、国家試験の無いエステならもっと自由に取り組めて肌を生き生きさせる方法を持っているだろうか?この点に関して楽観的になれないけれど、そんなエステが有れば良いなあという希望は持っている・・・・
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