ディリー?闇鍋アラカルト
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僕は酒場のミュージシャンだった。 「何でピアノ弾きをやってるの?」と聞かれて、「労働時間が短いから。」と答えていた。 「先生」と呼ばれる事も多かった。僕自身はあまり好きじゃなかったけれど。 「芸術家」と言われた時には「職人ですよ。」と訂正した。 僕の中では、芸術というものは砕けてしまっている。単純に音楽や映画や言葉があり、技術やその中に込めようとした意思についても感じる事は出来る。 僕がミュージシャンだった時、それはお店の為にピアノを弾いて歌っていた。そこには僕の伝えたいものがあるのではなく、店にいる人間が聞きたい音・必要な音があるのだという事になる。 僕は歌の好きな子供だった。幼稚園の帰り道、腕をフリフリ「はっこねっのやっまはっ てんかっのけん・・・」と歌っていた。手に持っていた草履袋を腕を振るのに邪魔なので上着のボタンに引っ掛けていた。当時としてもかなりへんてこりんな子供だったかも知れない。(後年箱根の山に登ったが、かなりがっかりした事を覚えている。天下の険どころかハイキングコースのように感じたからだ。僕の中で秘境への憧れが有ったのだと思う)歌の中に埋没し、万丈の山、千尋の谷、雲は山を巡り霧は谷を閉ざすといった光景を自分の中でイメージを膨らませていた。その時に歌は自分の身近なものであったし、矛盾もなかった。 しかし、酒場で歌う時、自分の中には矛盾を感じないではいられない。お客のリクエストする歌、そこには僕のメッセージはない。僕は歌でお金を貰う立場なのだし、リクエストされるくらいだから客も気に入るだけの表現はしていたのだろう。 そこには需要と供給があり、注文に応じて音を作る僕が居た。職人だと答える僕には、注文通りの家を建てる大工のようなものだという認識があった。 確かに歌の中で他人を演じる事も面白いのだけれども、それだけというのは寂しい。自分の歌は酒場の中にはなかった。 酒場の中だけではない。大学の時には合唱団にも在籍していたが、歌詞に違和感を持つ事も多かった。歌声サークルやフォークソングでも、僕がいると景気付くのでよく誘われたりもするのだけど、そこにも僕の歌はなかった。
政治家に言わせると景気回復が最重要課題だという事のようだが、どのような形の景気回復が好ましいのかという事も考える必要がある。 全ての企業の収益が増大するなんて形は好ましくない。 大体、景気回復は誰の為に必要なのか?それは人類の為に必要なのか?具体的に製品を考えてみるなら、例えばコカコーラの売れ行きが無制限に伸びていくなら、人類の健康はどうなる?薬の売れ行きが無制限に伸びるという事は何を意味する? 合成洗剤が無制限に売れて行くなら、肌や環境はどうなる? バブル期の教訓の一つは、必要以上の生産は有害無益だという事であるはずだ。 それを景気浮揚だと言って、沢山の国債を発行し、借金を増やしてしまった事はこの国の国民が、如何に教訓が見えずに、収益増だけに拘(こだわ)ってしまったかという事の証であろう。 この傾向は日本だけでなく、アメリカにも言える。アメリカの武器産業が生産拡大・収益増大を目指したらどうなるか?平和では武器は使わなくて済む。それなら武器を使わせてしまえ!イラクを、北朝鮮を潰せ!そうすると、在庫のだぶついた武器も消費出来る! 大体、アメリカの経済にしても、自国の自然を食いつぶし、他国の地場産業を破壊した上に築かれているのだ。そして、犯罪発生率・特に殺人件数の多さ! 世界中のエネルギーの25%を食いつぶし、炭酸ガスを撒き散らすこの国が京都議定書を蹴っ飛ばしてしまったのは、共通した根を持っているからなのだ。 現在、中国の経済成長が著しいが、これは低賃金による低コストによって、価格を抑えられ、安価な製品を作り出せるために、競争に於いて優位に立てる為だ。しかし、これにしても永遠に続くはずが無い。人類はそんなに沢山の製品を必要としていないのだから。 大体、経済の成長と言う時に、同時に起こっているマイナス面をどれだけ視界に捉えているのだろう?例えば、フロンガスはオゾン層を破壊しているが、フロンガスの売上げは、オゾン層を復旧させる為の費用(まあ、復旧は不可能だろうが・・・)を上回れるものだろうか? 海岸線を本来のものから人工に変えてしまった事の結果の一つに、漁獲量の減少ということが有るけれど、建築屋に大きな利益を齎(もたら)したとは言え、漁獲高を回復させる事など天文学的金額を以っても不可能だろう。 つまり、莫大な損失が見えずに、経済成長であると信じていた人類の愚かさに過ぎない。
12月12日で、当サイトも2周年になった。 2周年おめでとう!
長くもあり短くもある。サイトのアクセスの伸びは順調とは言えない。 画像が殆ど無く、文字情報が殆どというような問題もあるのかも知れない。 これは、僕自身の問題だし、サイト作成技術をもっと身につけないとどうしようもない。けれども、僕自身の性向として、自分で興味を感じたものを調べる事の方がそれよりも優先されてしまう。だからこそ、他のサイトでは読めない充実した記事が書けるという事でもあるのだけれど・・・ 情報そのものはユニークで実際の役に立つものであると自分で思っているけれど、残念ながら普及の速度は遅い。これでは「粗悪ダイエット情報・肩凝り・成人病半減化」の道のりは遥か彼方のようだ。
けれども、一方で、サイトの更新は遅いながらもそれなりに少しずつ充実して来たし、初めは考えていなかった石けん・スキンケアも手がけるようになった。 そして、掲示板の仲間の声に依れば、相当良い効果を齎しているようであるのも嬉しい。 掲示板の仲間も石鹸を作る人が増えて来た。 この流れがどんどん広まって欲しいと思う。 石鹸記事をアップする仲間も増えて来た。 僕一人が頑張って広めるのでなく、沢山の人が波を広げる形が望ましいのだと思う。 このサイトは一つの波に過ぎない。とは言え、先人から受け継いだものも、僕自身が付け加えたものも含まれる。 建前上は健康情報サイトだけれど、より大きな使命を感じている。それは生命体の一個体としての役割だ。 生命の目的は生命の連続だ。今、地上から消えようとしている沢山の生命体がある。タナゴ然り、メダカ然り、高山のダケカンバやシラビソが急速に枯れて行きつつある現状がある。日本海のイワシが絶滅状態という新聞記事も見た。 このような事で人類の100年後は存在するのだろうか? 今こそ真剣に取り組まなくてはどうなるのだろう? のんきに争いなんかしていられる訳などない!
あるサイトの仲間と電話で語った時、その人は「幸せって、自分が一番やるべきだと感じた事をやる事なんだ。」という内容の事を言った。それが貧乏や苦しみを伴うものであったとしても、それらをひっくるめて幸せなのだ。 このような考えを持つ人が一人でもいる限り、人類に失望はしても、絶望はするまい。
2周年、このサイトを支えてくれた皆さんに感謝を捧げる。 本当に有難う。 これからも宜しく!
壁のシリーズで、何故石けんなのか?という問いを最初に書いた。 石けんは食生活よりも優先するという訳ではないし、肩凝りや猫背に優先する訳でもない。けれども、効果が分かりやすいという特徴がある。 肩凝りをその場で改善する方法を伝えて、その場で改善出来ても、それがどれほど大きな意味を持つのかを理解する人は多くない。毎週マッサージに通って3000円も払っている事がどんなに馬鹿馬鹿しい事なのか、そしてもうそうする必要がないとしたら、一生でどれだけの金が浮くか、どれだけ快適になるか。無料で教えられる事には有り難味が薄いのだろう。こちらはその為に材料費がかかる訳ではないけれど、時間は少しとられる。 僕は、精神科に通っていて少しも改善しない人の相手もする。 これは結構時間をとられる。これも金を取っているわけじゃない。一友人として付き合っているからね。精神科に通うような人は孤独や無理解に苦しんでいる人が多い。こういう人に必要なのは精神医学の先生なのだろうか?偉い先生になら心の悩みを話せるものだろうか?学校と病院と理論と患者の事しか知らない先生に話せるものだろうか?思い出してみよう。学校に居た日々、心の悩みや人間関係について相談したのは先生にだったろうかそれとも友人にだったろうか?統計上では断然友人と話す方が多い事になっている。それに、患者の問題点に気付くには患者と共に活動しなくては分からない事もある。病院に居る時と外に居る時と行動パターンが同じとは限らない。精神科の医師が病院外で患者と接しないならどうしてそれに気付けるだろう? 問題はそうした事に気付いていない医師が多過ぎることだ。それなのに精神について患者と接する資格があると思い込んでいる事だ。たまたま、制度はそのようになっているけれど、国家がその資格を与えたとしても、全く勉強不足というしかない。もし、この批判が不当だと思うなら、患者と同じ目の高さを実現した上で、語るように望みたい。 アトピーや主婦湿疹に悩む人も多い。このサイトの掲示板に書き込んでくれた人にも沢山いた。 それが、手作り石けんで改善された例も多い。医師は合成洗剤やスキンケアについてどれだけ語ったのだろう?尤も、石鹸の作り方を知らないだけでなく、洗剤の選び方さえ医師が知らない場合も多いと思われるが・・・
さて、石けんの話に戻ろう。僕が食生活について患者に語って効果が表われるにはすぐという訳には行かない。それに、僕が提供するのはあくまで情報なので、定価のついた薬のような存在ではない。だから、金にはならない。 しかし、石けんならば情報と違って形がある。しかも、使って貰えれば効果もすぐにわかる。 つまり、僕としてはやっと対価を得られやすいものに辿り付いたような気がするのだ。 勿論、僕の石けんに対する比重はこのサイトの記事の量と比例して、そんなに大きいという訳ではない。たまたま、そういう状況だというに過ぎない。 もし、精神障害の人々と一友人として付き合うことに長時間かけてそれで生活が成り立つならそれでも構わないのだ。現在の優先順位の都合である。
その石けん伝道なのだけれど、ここにも壁が・・・・ 手作り石鹸は、厚生労働省の認可がなければ、化粧石けんとして売る事が出来ないのだ。つまり、「この石鹸を使えば乾燥肌が改善します。肌にも髪にも使ってください:」と言って、売る事が出来ないという条件で、どのように紹介出来るのだろう?
僕は肩こりの自己改善法を教える事がある。 金を貰う事は今までは無かった。 しかし、肩凝りがつらい人はマッサージでも薬局での買い薬でも、それ相応の金は支払うのを当然としている。 僕がこのサイトに書いてある事はそれよりも本質的な事だし、食生活と生活習慣の改善がないなら、マッサージでも買い薬でも、時間と共に効果は減少し、再発するしかないのだけれど、そちらの方には金を払い、永続的に改善される方法にはあまり関心を向けないようだ。 食生活改善や生活習慣の改善など面倒だと思うのだろうか? ああ、食生活改善について語る人たちのあまりのアイデアの無さ! 「血圧が高いですね。しょっぱいものを控えましょう。」だなんて!食事がまずくなるに決まっているじゃないか!そんなバカな事を言う医者が多すぎるから、食生活の改善が「嫌〜な事」というイメージが出来上がってしまうんだ! 食生活の改善なんて簡単だ!このサイトのアイデアを見てくれ! おいしく、元気に、楽しく、簡単に、安上がりに! 本来ならば厚生労働省が率先してやるべき事だろう。 国保がパンクしそうなら、こういう事こそ最も大切な事じゃないのか! 国会議員も、パンクしそうならどこから金を引き出すかという話ばかりだなんて・・・能が無さ過ぎるよ。
僕には蓄えも無いし、きょう傷害保険も解約してしまう事にした。それで、一息つけるだろう。 何のために生きているのか? 僕は商業音楽の為に生きているのではない(つまり、これがミュージシャンを辞めた理由の一つ)、ホテルの為に(一食・一泊で万の単位の金を払える人たちを相手にしている)生きていたいとも思わなかった。サラリーマンをすれば上司の命令に目をつぶらなくてはならない事もある。また、労働時間も長すぎる。 僕にとっては、「人類の為に必要な情報が流れず、商業主義の情報が氾濫している」ように見える。 誰かが取り組まなくては破滅するしかない。 僕はホテルの仕事も断ってしまった。 僕にとっては「おいしい 元気 安上がり 簡単の食生活革命」を普及する事の方がよほど生き甲斐を感じるのだ。 安上がりのオフ会2次会で、僕がおいしく炊くヒントをあげて、ぴろさんが炊いた玄米豆御飯を、みんながおいしそうに食べる時、そんな時に充実感を覚えるんだ。それに、荏胡麻や、自家焙煎コーヒー・・・・こんなおつまみ・飲み物ホテルの喫茶やバーだって置いていない。
しかし、僕自身の問題はそれによって暮らしていくだけの金は得られていないという事だ。
手作り石鹸を紹介していると「何で手作り石鹸なんですか?」と尋ねられる事がある。 僕としては手作り石鹸でなくても構わないのだけれど、今手作り石鹸に力を入れているのにはそれなりの必然性がある。 例えば、僕は栄養師でもなく、医師でもなく、調理師でもなく、整体師でもなく「何で健康サイトを運営してるんですか?」と尋ねられたりもするんだけど、それについては「管理人から」を読んで貰うとして、石鹸の研究はそれの延長上に位置している。
僕には医師や栄養学者といった専門家に対して不満が有った。例えば栄養師は、栄養についてあれこれ語り、アドバイスはするけれども、おいしい料理を提供してくれる訳ではない。では、調理師はどうかと言えば、TVで「油は健康の為に植物油を使いました。」などと言ってたりして(植物油にも沢山の種類があり、リノール酸は摂り過ぎと言われリノレン酸は不足と言われているので、そうした現状を踏まえた植物油の使い方が望ましい)、現代栄養学についてはあんまり知らないのではないかと思ってしまう。それに、調理の仕方も適温調理法や無水調理法について分かっているのだろうか?という疑問がある。 専門家といいながら、その専門の中だけにいる事によってその専門すら活かせるようにはなっていないのではないか? それは国家的規模でそうした状況が有るのだと思う。 例えば、「一日30品目を食べましょう。」と厚生省では勧めていた。これは量とバランスの視点が無いので全く馬鹿馬鹿しいし、実際に家庭で料理を作る立場になったら、めんどくさく食材も無駄になりやすいので、挫折した主婦は沢山存在したと思われる。実際には30品目など必要ない。このサイトで紹介している方法を理解すれば、おいしく経済的に容易に実行出来る。さすがにこの30品目の馬鹿馬鹿しさには厚生省もやっと気がついたようで、現在ではその旗を降ろしている。 しかし、今でもYAHOOで「一日30品目」で検索すると1万件以上ヒットする、という事は未だにそれを信じている人が大勢を占めるという事のように思える。 では、誰がその馬鹿馬鹿しい「一日30品目」を実際に効果的に訂正してくれるのか?厚生労働省はお勧めの食生活の通達は出すだろうけど、それを家庭の主婦がちゃんと見ているとは限らないし、おいしく・経済的に・簡単なやり方で達成出来るような指導など望むべくも無い。 本当は、僕としては望みたいのだ。僕は栄養について語るより、山に行って高山植物を眺めている方が好きなのだ。でも、おいしい・元気・安上がり・簡単食生活についてNETで語っている人は非常に少ない。ならば、気付いた人がやるしかあるまい。 と言っても、そこには壁がある。僕は栄養学科を卒業した訳ではなく、調理師免状も無い。誰が専門家でもない人を講師に招きたいなどと思うだろうか?
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