ミドルエイジのビジネスマン
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2007年06月24日(日) ロボットスーツHAL

筑波大学、山海教授のチームが開発しているロボットスーツ「HAL」について教授自身が説明するというのでロボットセミナーに出席した。恵比寿ガーデンプレイスのウェスティンホテルで行われたセミナーでは多方面の話題があった。経済産業省もロボット事業を将来の重要な産業と位置づけ、積極的に支援しようとしているようで、名古屋から駆けつけていた。

HALはロボットといっても腕や足のパワーアシストをするため、身につけるという意味で「ロボットスーツ」と呼ばれている。しかも、パワーアシストといっても筋肉の動きを感じてそれを増幅するのではない。足を動かそうと思っただけで、体表面の生体電流をキャッチして体よりほんの少し早く動き始めるのだ。両者の違いは大変大きくて、筋肉が動いてからそれを増幅する方式の場合には、身につけている本人にとっては体を引っ張られているように感じてしまう。それに対して、HALの方は、あたかもロボットの動きが自分の体のように思えるそうだ。

山海教授が講演で使った画像では、筋ジストロフィーの人や生後11ヶ月で小児麻痺にかかった人が自らの意思で足を動かしていた。実際に歩いたわけではないが、ポリオの人が立って膝で曲げたり、伸ばしたりしている姿は感動的だった。赤ちゃんのときから、自分の足を意のままに動かしたことのない人が、思ったように伸ばしたり曲げたりしている。初めて自分の足が自分の言うことを聞いたとき、その人はどんなにか嬉しかったことだろう。

人間、いくら望んでも絶対不可能なことと、普段はやらないが、望めばいつでもできるのとでは、精神的な受けとめ方が全然異なる。自分の足をいつでも自分で動かせると思えるだけでも、その人の世界は明るく輝くのではなかろうか。

もう一つ教授のお話でなるほどと思えたのは、HALを使って足を動かしたり、歩行訓練をすると、頭脳と体とHALが連携して一体のものとして動こうとするのだそうだ。すなわち、HALと足が滑らかな動きをすることが、脳を刺激して、より滑らかに動くように指令を出すようになる。人間、必ずしも、脳が全面的に体を支配しているのではなく、頭脳も体の動きに触発されて機能を高度化する。

その現象は、脳梗塞などのリハビリにぴったりではなかろうか。映画やニュースで一生懸命平行棒につかまりながら歩行訓練をしている場面がよく映し出される。あれは画像としては感動的だが、本当にたどたどしいし、肉体的にも辛そうだ。HALなら、歩こうと思っただけで足が動き、足が動くことで脳も活性化する。これなら直ちにリハビリ用として実用化できるはずだ。病院にお見舞いに行ったら、今、歩行のリハビリ中ですと言いながら、病人が廊下をスタスタ歩いて面会に出てくる姿など、想像しただけでも愉快だ。

HALはまだ全部手作りのため、何百万円もする高価なものだが、既に福祉施設に導入され始めているとのことだ。リハビリも今よりずっと効果的にできることが実証されていくに違いない。


2007年06月17日(日) 快晴の週末は首都高速をお散歩

6月14日木曜日に梅雨入り宣言の出た関東地方の週末は、案に相違して快晴となり、絶好のドライブ日和であった。朝5時前に起きて、山本勘助、ではなくBMW320iで東京に向かうべく高速道路に乗った。

そもそも、車で東京に行こうという発想が10年以上前からなくなっていた。環境問題に貢献するという以前に、往復3千円の高速料金と東京の分刻みの駐車料金を負担に思わない人ででもなければ、苦痛以外の何者でもない。

都心に向かう高速道路は空いていて、気分爽快だった。そして、ステップワゴンであれば、前の車を追い越すにも一生懸命加速し、なんとしても前に出たいと必死の形相となるのが常であったが、今度の車は加速とそれに続く高速走行に何のストレスも感じない。まさに、追い越したければアクセルを踏み、ゆっくり行きたければ、足を離すだけだ。

驚いたのは、追い越しのために加速してしばらくそのスピードで走っていたら、エンジンの回転数が自動的に3千回転付近まで落ちたことだった。つまり、追い越し時のスピードが精一杯なのではなく、何なら、今のスピードを巡航速度にしてもいいですよと車が言っているのだ。まあ、そう言われても、こっちはゴールド免許の優良ドライバーだからね。

箱崎から、日本橋、大手町、北の丸と首都高を左回りにドライブして六本木ヒルズや東京タワーを見ながら銀座を通ってまた箱崎まで一周、帰りはパーキングエリアでサンルーフを開けて、流れる千切れ雲を見上げながら夜明けのコーヒーを飲むという幸せであった。

それにしても、よく走り、よく止まるということは、よくガソリンを消費し、よくタイヤが減るということだ。ここのところ1週間に一回給油するというペースに最愛の妻は恐れをなし、車を出すのは1日一回と決めたそうだ。確かに、今のブレーキングでタイヤは何ミリ減ったのだろうかと考えてしまうこの身には、過ぎた車に違いない。


2007年06月10日(日) その後のBMW

BMW320iが我が家に来た翌朝、起床して一番にやったことは、誰も車を持っていかず、ガレージにあるかどうかだった。前の日の夕方置いたとおりの場所に、置いたままの姿で彼は居た。確かに、「あった」と言うより、「居た」と表現する方が正しい。今年の大河ドラマ「風林火山」に例えるなら、武田信玄が朝起きて部屋の戸を開けると、そこに隻眼の山本勘助が控えていて、ジロリと見上げるというシーンのようだった。

その印象を最愛の妻に言うと、彼女も「自分の方が主人なのに、家のことなら何でも知っている背中をピンと伸ばした老女中と住んでいるようで、気が抜けない」という。要するに、二人とも、車に位負けしているのだ。彼女は擦ったら何を言われるか分からないので、買い物に行くスーパーの駐車場でも、車の少ないフロアを選んでいるそうだ。

仕事を終えて夜駅まで迎えに来てもらった。運転席に座ると、暗闇の中にオレンジ色の文字盤と針が浮かび上がって幻想的ですらあった。アクセルを踏んだら、本当に飛んでしまうのではないかと思えた。家に着いて、車庫入れをしようとシフトレバーをバックに入れると、ポーン、ポーンという音が室内にゆっくりと響き渡る。ちょうど、旅客機に乗ったときにベルト着用のサインが消えるときの音のようだ。

BMW、もしかしたら本当に飛行機にこだわっているのかもしれない。


2007年06月03日(日) 新しい仲間はBMW320i

本日、愛車ステップワゴンを連れて、新しい車と交換に行ってきた。最近ではエンジン音もキュルキュルと高音に変わってしまい、お前もちょっと年をくってきたよねと語りかけていたステップワゴンも、売られてしまう今日に限って快調な走りを見せ、ほら、こんなに元気だよと訴えているような気がして売りに連れて行く自分が薄情者のように思えて辛かった。自然にドナドナ、ド〜ナ、ド〜ナ〜と売られてしまう牛の歌が浮かび、とても申し訳ない気がした。ごめんな、緑色のステップワゴン。次の持ち主にも可愛がってもらうんだよ。



そうして迎えた新しい仲間は「BMW320i」。内装は黒の革張り、ポプラウッドのトリムがアクセントとしてわが身を取り囲み、見上げればサンルーフ。おまけに6連奏CDチェンジャー付き。一体どうしたというのだ、このゴージャスな雰囲気は。

ことの始まりは、インターネットを開く度に目に入るBMWのバナー広告だった。1.99%のローンで、自分とは生涯関係がないと思っていたBMWに乗れそうだ。でも、新車では高かろうと「BMW認定中古車」のページに行ってみると中古車でもそのローンが使えそうに読める。本当だろうかと、ある日BMWの中古車センターに行って確かめると、キャンペーンをやっている車種なら、その低利ローンが使えると言う。

お買い得は、わずか5千キロしか走っていない車。エッ、そんな中古車があるの?
あるのだ、それはデモカー、すなわち試乗車だった。色は膨張色のアルピンホワイト、少しクリーム色がかった白だ。BMWというと、紺や黒が一般的だが、車が大きく見えるこの色は人気なのだそうだ。

本当の高級車とは華美な内装や派手なハイテク機器装備の車を指すのではない。乗る人の技量に合わせ、大人しく運転すればそれなりに優しく応え、鞭を入れれば悍馬のように走り出す、その懐の深さを言う。ピックアップして家に到着、妻子を降ろしてひとり走れば、運転席はまさにコックピット。背中から押されて加速する心地良さや、ソフトだが無駄な遊びのないハンドル、踏めば踏んだだけ正確に応えるブレーキ、高音質のオーディオシステムから流れる昔懐かしい「ジェットストリーム」の音楽に包まれながら、この小さな高級車に乗って、どこまでも走って行きたい気分にさせるのだった。


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