ミドルエイジのビジネスマン
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2004年05月30日(日) 映画「トロイ」を観る

週末のレイトショーで映画「トロイ」を観に行った。かなり長い映画であったが、シーンは戦闘に次ぐ戦闘で、息つく暇もなくアッという間であった。コンピュータグラフィックスによって壮大なスケールの戦争スペクタクルも実写と変わらず、ギリシャ時代の戦争はこのようにして行われていたのかと目の当たりにする思いだった。

ただ、大きな悲劇であったにもかかわらず、登場人物の苦悩や心の叫びはそれほど伝わってこないのはなぜだろうか。スペクタクル映画の空から見下ろすような視点が、人間の精神の内面にまで入り込めない大雑把な作りにしてしまうのだろうか。この感じはラストサムライを観たときも同様であった。もしかしたら、こちらの感受性が既に磨耗しているだけなのかもしれないと思ったりもした。

ダーダネルス海峡を扼するトロイの地はエーゲ海から黒海にいたる海上交通の要衝のため太古からローマ時代まで9層の都市が建設され、あらゆる時代をカバーしているので、シュリーマンの発見した「トロイ遺跡」も発見された黄金の宝物は時代が古すぎて、最近の考古学では、その場所が本当にトロイであるとは断定できないということだ。


2004年05月23日(日) 子供達還る

北朝鮮から蓮池さんと地村さん一家の子供達が還ってきた。そうは言っても、子供達自身にとっては3日前に急に外国に行けと指示されて、支給された新しい服を身につけ、新しいスーツケースを持って連れて来られたというところだろう。

皆さん大卒やら学生で賢そうな顔つきだ。何も知らずに向こうで生活していればエリートだったかもしれないし、あるいは日本で生まれていれば、ありふれた若者だったかもしれない。人生、いざこれからというときに知らない国に連れてこられて、「さあ、やり直しなさい」では大変だと思うが、それがあなた達の運命だ。今となっては、日本人として平凡な生活を選択することさえ難しいかもしれない。新しい世界で視野を拡げ、今度は自由に選択して、自らの人生を切り開いていっていただきたい。


2004年05月16日(日) お誕生プレゼントはキックボード

次男の誕生日プレゼントにキックボードをせがまれた。あれで地面を蹴りながら、近所の友達の家に遊びに行く気らしい。変わった奴だ。

小さいときはペンギンのような走り方をしてどうなることやらと思っていたが、6年生のハードルの選手として市の大会に出ることになったそうだ。根本的な部分ではどうか分らないが、担任の先生のおっしゃるには筋肉もついてきて走り方も変わってきたと、最愛の妻が家庭訪問の際に聞いた。これで自信をつけて欲しいものだ。

一袋の種を蒔いただけなのだが、大量の絹さやが収穫となり、持て余した。
ソラマメも収穫開始。ビールが旨い。




2004年05月09日(日) 映画「マジェスティック」を観て

ジム・キャリー主演の映画「マジェスティック」のDVDを借りてきて観た。アメリカの旧き良き1950年代は大好きで、当時の田舎町の街並みやコーヒーショップの様子が気に入った。

映画館を再建する軽い娯楽映画かと思って見始めたらマッカーシー旋風荒れ狂うハリウッドの状況が背景にあり、ちょうどイラクでアメリカ軍が刑務所の収容者を虐待していたという事件がクローズアップされている折に、このヒューマニズム溢れる映画を見て考えさせられた。アメリカの精神の健全性はきっとイラクの事件を反省し、進路を変えていくに違いない。

イラクと言えば、日本人の誘拐事件をきっかけにネットの世界では普段政治的なことについて発言しない人たちも声を上げている。国民が国家権力を認めている最大の理由は対外的な脅威から自己の生命や身体の安全を保障してくれるからだ。そうだとすれば、被害者が自己主張の強い多少ヘンテコな人たちであってもその命を守るために国家として全力を尽くすのは当然だ。

同じことは、何の罪もないのに北朝鮮によって誘拐された人たちを救出することにも言える。長年にわたって工作員の侵入を許し多くの国民が誘拐されてしまったことを、あたかも事故や自然災害であったかのように政府が論評することは許されない。外国勢力からの身体の安全という国民が期待する最低限の保障を確保できずに、多数の人たちが自由を奪われたことで誰かが責任を取ったであろうか。


2004年05月05日(水) ゴールデンウィークは天候待ち

ゴールデンウィークは天候待ちをして過ぎて行ったようなものだ。前半天気は良かったが、部活やら塾やら子供たちの都合で揃って外出はできなかった。前線が休み中に通過していくはずだったので五月晴れを待っていたが天気はぐずつき、風の強い曇り空の日、やむなく九十九里浜に出かけて海の家で焼き蛤を食べてきた。息子たちは意味もなく走り出したり、海岸の強い風ですぐに吹き飛ばされることが分っている砂山を作ったりして、それなりに楽しんだようだ。

子供たちが小さいうちは、地震や戦争で兄弟二人だけになっても、魚屋の店先から魚をかっぱらってでも生き延びるのだという話をして、弟は見張り役で兄が実行するんだと役割分担まで指示しては妻には嫌な顔をされ、当の子供たちには「近所に魚屋なんてないよ、いつの話?」と言われたりしたものだ。生存を願うというような根源的な意味では子育ても終わりに近づいていることを実感する。










超高級サザエのつぼ焼き理由もなく走り出す少年


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