ミドルエイジのビジネスマン
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畑に行って絹さやの蔓が巻きつけるようにネットを張ってきた。 絹さやは1メートル弱くらい、ソラマメは膝丈くらいに育ってきた。
豆は豆なりに人生を謳歌し、その花は美しく輝いている。
絹さやは、その他大勢の一人だと思っていたらある日色白で清楚な美しさにはっと気がついた幼なじみのようだ。 ソラマメは正面から撮ってしまったが本当は横顔の美しい独立心の強い人だ。
うーっ 食べちゃうぞ!
昔の上司のセミリタイア祝賀会、前の職場の同僚との会食、中学時代の同級生の東京への転勤祝い、極めつけは高校の東京支部同窓会と4日続いてプライベートの行事が重なった。
それぞれに久しぶり邂逅があり、思い入れがあり、自分自身の意見もあるはずだが筆が進まない。週の初めには、これだけイベントがあれば材料には事欠くまいと高をくくっていたのに不思議なものだ。
きっと、心の中で整理する時間がもう少し必要なのだろう。
日曜の夜は、NHKテレビでアレクサンダー大王の東征の番組をやっていたので中学生になった息子と語り合いながら観ようと思った。
それは紀元前334年のことだったなあとか、ギリシャ軍は3万7千人だったのかなどと父と子が知的な会話を楽しむ場面を想像して待ち構えていたのだったが、話しかけても反応がないと思ったら、息子はものの10分もしないうちにスヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた。
親の心、子知らず(怒)。
「梅割り、ガツナマ、煮込み」 何だこいつ、久しぶりに来やがったな、と思われているに違いない。
「アブラよく焼きのタレ、ダイコンお酢」 隣では、池袋に会社があるという偉そうなサラリーマンと茨城から外回りのついでに寄ったという人が盛り上がっているが、自分は普段こんな下品なところに来る人物ではないが、うまいと聞いてわざわざ来てやったという態度が嫌われるという事に気がついていない。
「ナンコツ終りー」 黙々と飲み、黙々と噛むうちに酔いも回り、昔のことやもっと昔のことを思い出す。
「子供のころは、この辺自転車で遊び回っていたよ。酔っ払ってる親父を迎えに来てよぉ、一本もらったりしてな。俺はこんなところに来るようにはならねえぞと思っていたけど、今じゃ昔の親父とおんなじように通っているよ。」 一日の労働を終え、夕焼けの色もくすみ始めたころにジャンパー姿でのれんを分けて入ってくるのがふさわしかった店も、今ではスーツ姿のオヤジの方が多くなった。偉そうに能書きをたれる客より、毎日のように立ち寄る客が大切にされ、珍しい皿をそっと出されたりする。
ずっと以前、「カシラあるよ」といって貰える程度までは出世したのだったが・・・
敷居が高くなって行けなくなっていたモツ焼き屋ののれんを何年ぶりかで平気な振りをしてくぐった。 「それじゃナニかい? オスのオスってのはやっぱりほんとにアレかい?」
2003年04月06日(日) |
お花見、っていうかぁ コーヒー豆の焙煎 |
ネットショップで手回し式の小さなコーヒーロースターを買った。
風は強いが、おそらく今季唯一の週末のチャンスになるだろうと思ったので、お花見に行くことととなった。ついては、花見をしながらコーヒー豆を焙煎し、その場で淹れて飲むという贅沢なプランを立てた。
ところが、天気晴朗なれど波高し、ってゆうかぁ、風強しで肝心のカセットコンロの火が何度も吹き消されてしまい、結局、涙のリタイアとなった。お湯を持っていくかどうかの夫婦喧嘩を乗り越え、重たいミルまで持参した努力もみんなパーになってしまった。
家に帰ってから玄関先で再チャレンジしたところ大成功だったので、ゴールデンウィークの一日にでも緑の森を眺めながら一人悠然とコーヒーを飲みたい。なぜ玄関先かというと、ひとつには風を避ける必要があったことと、コーヒー豆の薄皮(チャフというらしい)が飛ぶので、家の中に入れてもらえないのである。
「コーヒー豆の焙煎」と聞くと、とても素人に手を出せるようなものではないというイメージがあったが、何のことはない、要するに豆を金網のかごに入れて焙(あぶ)るだけなのだと今回勉強になった。素人の大言壮語であろうか。
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