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2004年04月13日(火) ■ |
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志高く・・・ // わたしが 拘束されたふりをした当事者なら
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◆ 『テロの本場へ行ってテロに遭って文句言うのは 北海道行ってシャケ食わされたって怒ってるのと同じ』 『副大臣だか現地へ飛んでいったけど かかった金は税金だぞ 払えよなテメエら(拘束された家族へ)』 『ボランティアなんてのは自己満足に過ぎない 自己愛だよ自己愛』 『ボランティアしないと自分が不快だからボランティアするんだ。 人助けしたいから人助けするんだ。礼を言われたら恥ずかしいと思わないか』
てなこと(要旨)を 立川談志さんが言ってます<拡張子はasxです。メディアプレーヤー等、聞ける環境でどうぞ
わたしは ボランティアが自己満足だといわれればそうだと思う。 わたしは基本的にボランティア大好きだし 高校のときはサークルの部長もしていたし。自己も満足して 他人も喜んでくれるならこんな素晴らしい事ないじゃん♪おかしいのか?
が ボランティア=志高く・・って言うのは明らかに違う気がする。 過日の日記で 「志高く」と書いたのは そういう意味ではちょっとしたイヤミだったりもする( ̄ー ̄)
本日は 公明党の地域セミナー。 当年30歳の比例区候補者・谷あい正明氏は 4年前、国際医療ボランティア・AMDAの職員として20代半ばという若さでアフリカ・アンゴラの難民支援の診療所を設立する責任者を命じられる。アフリカ・アンゴラ、パキスタン、スリランカ、イラク、ジブチ・・内戦の真っ只中、人道支援の最前線で働く職員としての誇りを語るフォトエッセイ(日記)から色々抜粋。
衝撃的な運命の"不意打ち"が、 より壮大な人生の扉を勢いよく開け放つバネとなる。 それは、真に主体的に生きようとする人間だけに起こりうる 跳躍なのかも知れない。 「難民を助ける事は出来ても、難民をなくす事が出来ない。 戦争に苦しむ母と子を助けることは出来ても、戦争をなくす事が出来ない」 地上から、難民・貧困・戦争をなくすためには,何が必要か・・・・
実力をつけよう 努力ある限り、わたしには可能性はある。
人道支援の最前線を歩き続けて、僕は決意した。 地上から、難民、貧困、戦争をなくす事は ひとりじゃ出来ない。 しかしひとりじゃできない事を、 1人から始めよう。 人道の精神を胸に、世界の人々に尽くしていこう。
平和建設という最前線を歩く僕は 透徹した求道心でただただ,前へ前へと歩くのみ・・・・。
何を目指すのか / とてつもなく大きな理想を掲げなければ,AMDAではやっていけない / アフリカのアンゴラの厳しい現実の中で、生活を続ける人々を助けるのだ。/ ちっぽけな理想や情熱では自分自身が枯れてしまう。
病院に設置されていた8万リットルの貯水タンクが/あとかたもなく消えていた。盗まれていた。/ 住民のだれもが「知らない」と言う。/経験のなさは避けようがない。 / 世界で一番厳しいところで働きたいと、ずっと願っていた事だ。/ 必ずやり遂げる。
善の連帯を築きたい。 世界に2600万人いるといわれる難民を助ける事が僕の仕事。 僕の住む場所は地球。日本だけではない。 戦争・内戦で苦しむ国・地域が僕のフィールドだ。 世界に貢献できる人間へと成長したい。 そして、戦争をなくし、平和を現実のものに。
身内びいきでなく 志高いってのは こういう人のことを言うのだろうとしみじみとそう思った。宣伝ですみませんね。 谷合正明(ハンサム*^^*)のフォトエッセイは 税込み1000円 鳳書院発行。写真の中身は 谷合氏が折々にシャッターを押した難民キャンプの現実 かなり明るい写真が多くてオールカラー。
で 話は現在のイラクに戻りますが そして今更なんですが 一番最初にあの映像をニュースで見たときに マジで噴出してしまい 「これはロケットランチャーというヘリコプターとか戦車をやっつける道具じゃん(笑)コマンドー(シュワルツェネッガーの映画)やないねんから・・ひょっとしてヤラセ?」とツレに話したくらい 違和感があった。 今になって色んな日記や掲示板を見ると やっぱりその不自然さはみんな指摘していたのね。安心した^^
しかし もし仮に 犯人と拘束された人とが仲良しやったとしたら 日本での風評がこんな展開になってしまったら あの3人 素ではもう出てこられへんやろ・・・ わたしが 拘束されたふりをした当事者なら「死んだ事にして」って言う。 今更 ごめんなさいも もっとスゴイ嘘もつきようがないやん・・
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2004年04月10日(土) ■ |
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自衛隊撤退要求の署名は出来ない
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今日 三宮を歩いていたら 早速自衛隊撤退の署名要求ににぶち当たった。 両手に買い物袋をぶら下げたまま、「いやイイです」と拒否したら その女性は「非国民め」といわんばかりの眼差しをわたしに向けてくれたんだけども ごめんなさいね、興味がないんじゃないの、したくないからしないのよ と、こんなところで言い訳しておこう。
昨今 全く死に体の日記だけど 一応時事云々書いてる日記書きとしてわたしの考えは書いておく。
ちなみに これは わたしのバックボーンの創価学会の考え方ではなく もちろん公明党の考え方でもなく わたし個人の考え方なんだけど・・とお断りしておく。
拘束された3人の家族がテレビのインタビューに答えているのを見て なんかもう かわいそうと腹立たしいのとない交ぜ。
わたしが拘束された当事者なら 喉もとに刀突きつけられても「NO小泉」なんて言うわけがない。 志高くイラク国民を救うという 自分独自の正義の名の元に 敢えて戦地に赴いたわけなんだから 死ぬかもしれない覚悟は持ってて当然だろう。 その覚悟を家族に理解してもらって かの地に赴くのであれば「万が一のことがあっても悲しまないでね」くらいの言葉は家族に残していく。 日蓮曰く「よからんは不思議 悪からんは一定(イチジョウ)=良いのが不思議悪くて当たり前」 逆に わたしが親なら (事実わたしは人の親なのであるが) 子供が志高く戦地に赴くと言えば 「死んでもよいのか 親不孝者め!」と大いに反対するであろう。それでもどうしても本人の意志が固く 止められなかったときには 万が一を覚悟して 送り出した時点で子の命は一旦諦める。運は天まかせ。 毎日毎日無事の帰国を祈り続けるだろう。 そして今回のような事態になったら「本人覚悟の上で危険地域に赴き遭遇した事です。お騒がせして申し訳ありません。」と世間に謝罪する。 だって 本人納得の上やもん。 無用心で不運なわが子のために テロに屈して 同じく万が一の死を覚悟で相当の準備をしてきた自衛隊を撤退させられるわけないやん?
自衛隊を送るなと煩くいい 国際貢献と言うならば 自衛隊の代りに 丸腰の一般人を送れば国際貢献できるなどと吹聴してたのは誰だったか? 万が一そんなことがまかり通っていたら 3人の拘束くらいでは済まなかっただろう。
死ぬかも知れないような危ない地域へなんて 仕事だとしても誰も行きたくないに決まっている。 自衛隊は日本の国際貢献という大義の元に出かけた。大義よ大義! そういう大義でもなければ行きたくないような場所へ 個人が『自己の高い志』の元出かけたのなら 周囲を説得して 死ぬ覚悟で行くのが当然じゃないのか。周囲が 知人の命を惜しむ心は分かるけど 死にたくないよ助けてくれよ と本人の声を聞いたのだろうか? 友達だったら出発する前に止めてやれ。わたしが友達ならそうする。
今夜のニュースを見ていると サマワもすでに安全地域ではなくなった。 この大義のもと 当初の予定通り 堂々と撤退してくればいいんではないか。
散らかし文章で申し訳ない。
わたしは 50もとうに過ぎて 子供が巣立って わたしを心配してくれる恋人もいなくなってたら シニア海外協力隊見たいな形で 危険地域に地雷掘りに行ってもいいぞと常々思ってるし よく口にもしている。それこそ 危ないのは覚悟の上。Johgenは国際貢献の真似事しながら死んだよと噂に聞いてねって。しかし 死ぬほど心配してくれる人がいたら 心配かけたくないので危ないところへは行かないで せっせと小遣いを募金するかな・・・。 これを「随力弘通(それぞれの力に応じた仕事をする)」という( ̄▽ ̄)<違
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