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ずっと諦めていた。 自分のせいだから仕方ないと諦めていた。 何度も同じことを言わせる娘を ちょっとだけ諦めていた。
以前の日記にも書いたけれど、娘にはいろいろと手を焼いた。 昨日した約束が、翌日にももう破られていた。 朝注意したことを、昼過ぎに、夕方に、 一日に何度も言わなくてはいけなかった。
姉に愚痴るとこう言われた。
赤ちゃんの頃、あの子は本当に手の掛からない赤ん坊だったよね。 ベッドに置くとすぐ眠る。夜泣きもしない・・・ だからあんたは手をかけなかったでしょ 本の読み聞かせもほとんどしてあげてないし・・ 赤ん坊の頃、手の掛からなかった子は、 大きくなって手がかかるらしいよ。
それを言われれば反論の余地無し。 おとなしかったことと、忙しかったことにかまけて ほとんど手をかけずに過ごしてしまった。
で、娘の性格が炸裂し始めたのが保育園の年少期。 毎日のお迎えで、必ず先生に呼び止められて一言二言・・・ 「性格がお兄ちゃんと反対だったらねぇ」は皆のお決まりのセリフとなり あの頃から娘を叱らずにすむ日など皆無だった。
そして最高潮に達したのが昨年。 今までひとりで子育てしてきて(周りの協力はもとろん有ったけど) まったく気がつかなかったこと、見過ごしてしまっていたこと、 また気づいていたのに見て見ぬ振りをしてきたこと それらが大波になって押し寄せてきた。
何度か日記の中でも愚痴を書いている。 子育ての本も読みあさった。 「誉める」ことが大切だと書いてあったので、 夫と「子供を誉めようキャンペーン」を展開したこともある。
でもあまり効果がなかった。 いくら誉めても娘のツボにははまらなかった。
でも最近ふと思った。 以前より叱る回数がうんと減った。 「宿題済んだの〜?」の問いに「うん」という返事が多くなった。 「じゃあ明日の用意は?」と切り返すとこれまた返事は「うん」。
へぇ、頑張ってるじゃん
自学ノートもドリル一辺倒ではなく 趣向をこらしてことわざを調べたり、漢字の成り立ちを調べたり 娘のノートのコピーが教室に張り出されることもしばしば。
よくよく考えてみれば、娘が変わったのは4年生に進級してからで 担任の先生が替わってからだと思う。
とにかくよく誉めて下さる。 親が見過ごすような些細なことでも、大きな大きなはなまるを下さる。 例え答えが間違っていようとも、字の丁寧さを誉めて下さる。 次ぎは頑張ろうという一言も添えてある。
見事に娘のツボにはまったようで、勉強だけでなく 生活にも遊びにも向上心が見てとれる。 例えば最近始めたテニスにも熱心で、目をキラキラ輝かせて頑張っている。 テニスの練習の後は疲れるからと、さっさと宿題も自学も終わらせて出かける。
自分で考えて行動する。 先のことを考えて今何をしておくべきか、 それが少しずつできるようになってきた。 (親ばかも微妙に入っているかと思われるが、 あくまでも、今までの娘のレベルと比べての話し。)
それにケーブルテレビで放送されているアメリカのドラマにはまり、 主人公のヒラリー・ダフに熱中するあまり、とうとうお小遣いを溜めて 何と歌っているのかわからない洋楽のアルバムまで手に入れてしまった。 繰り返し聴いているうちに、曲に合わせて歌ってるよぉぉぉ。すげぇ。 (私が洋楽を初めて聴いたのは中3の時だと言うのに・・) モー娘もあややもあれだけ好きだったのに、今は見向きもしない・・・
で、親としては、歌詞というか英語に興味をもってくれたらなどと 高望みをしてしまう始末。
いくら付け焼き刃に誉めても、娘の心を打たなかった。 どんな小さなことでも毎日「誉める」を積み重ねて下さった先生に 本当に感謝している。 先生のその姿を見て、やっと「誉める」の本当に意味が分かった気がする。 「誉める」ということは見ていないと出来ないのだ。 ちゃんと見つめてこそ、「誉める」ことも「叱る」こともできるのだ。
何か一つに自信がついたら、後は連鎖的に良い方向に進むようだ。 それが解ったのがつい最近。 だから・・・ リコーダーの練習を再開しようよ。 ゴールテープをまだ切ってないから。
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