たそがれまで
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2004年06月30日(水) 警戒水位



今日のニュースを見ていたら、
静岡を襲った集中豪雨の映像が流れた。

短時間の大雨に、人間は為す術がない。
というより、天災が起こると人間の知恵など無力。


6年前の6月29日に、私もあんな大雨を経験した。
6・29 福岡を襲った集中豪雨
ビル地下に閉じこめられ、死者も出たりしたので
覚えている方もいらっしゃるかしら・・・

あの日、いつものように仕事へ行くために
子供達を保育園に送らなければならなかった。
家を出る直前までカーテンを開けなかった私は、
カーテンを開けた瞬間に驚いた。

家の前の幹線道路は車がまったく動いていない。
打ちつける雨が道路に跳ね返り、白く霞んで視界も悪い。

それでも家を出た。
玄関を出て、車に乗り込むまでで既に服はぐっしょり濡れた。
5分で着くはずの保育園まで1時間半。

保育園のすぐ横には小さな川が流れていて、
警戒水位はとっくに超えていた。
子供を降ろした30分後には川が溢れて
保育園に通じる道は通行止めになったらしい。

それから20分で着くはずの職場まで4時間。
着いた時には皆が昼食を食べていた。



職場へ行く途中の渋滞の中で
なんだかとても悲しくて泣いたことを覚えている。
特別に悲しいことがあったわけじゃない。
大雨が悲しかったわけでもない。

ただ、自分は一人っきりで狭い車の中に
閉じこめられているという事実が
とてつもなく恐ろしかった。

あの頃、私の心の警戒水位も越えていたんだと思う。
だけど気づいていなかった。
気づくとやっていけなかったんだと思う。

「苦しい」「辛い」と思えば
どんどんその気持ちが膨らんで、
自分で自分を押し潰そうとする。

だから、気づかない方が幸せなこともある。

ふと、「警戒水位」という言葉を聞いて
そんなことを考えた夜。
あの日の雨を、今日のニュース映像が思い出させた。


今日の集中豪雨で被災された方、
お見舞い申し上げます。











おせっかいな追記

もしも車の運転中に集中豪雨に遭ってしまったら
深く水が溜まった場所に入らない方がよろしいかと。
もしもどうしても通らなければならない時は、
前の車と距離を置いて、絶対にアクセルから足を離さずに通り抜けること。
水たまりの途中で止まって、マフラーに水が入ってしまうと
もう車は使い物にならなくなるのであります。

当時、中古車のオークション会場で働いていたので
翌週からの水没車の入庫ラッシュに辟易致しました。
ニュース映像の中で水たまりの中を走る車を見ると
今でもドキドキしてしまうのです。






2004年06月20日(日) 友のこと キャンドルナイト


午後9時半をまわってリビングに一人になった。
ふと思い出してリビングの電灯を消した。

「1000000人のキャンドルナイト」
そんなイベントを思い出したから。
6月の19日〜21日の午後8時から10時の間は
電灯を消してキャンドルを灯そうという趣旨のイベント。

う・・ん、さすがにアロマ用のキャンドル一つでは心許ないので
ダイニングテーブルをスポットで照らす照明も一つだけ。

そしてそのスポットライトに照らされたダイニングテーブルの上の
白いデンファレの花が目に入った。

あっそうだ、忘れてた。
今日は朝一番にコーヒーを淹れるんだった。






一年中今日という日のことを考えているくせに、
肝心の当日になってすっかり忘れてしまっていた。

もう1年前になるけれど、この日記でも綴ってきた友人が
天に召されたのが2年前の今日。
先週中に彼女の実家に花を送って、お母さんに手紙を出して
そして当日をすっかり忘れてしまうなんて・・・

彼女のために買った白いデンファレだったんだ。



私は彼女が亡くなる1年前から彼女に逢っていない。
車で10分程の距離に住んでいたくせに、
彼女に逢いに行かなかった。
彼女から聞いていた、彼女の鼻に24時間入っているチューブを見たくなかった。

結核で弱った肺を補った彼女の心臓はだんだん弱っていき、
自分の力だけでは呼吸をすることも困難になり
四六時中酸素ボンベを手放せなくなった。

「なかなか外へも出られなくてね」

そう受話器の向こうで発した言葉も、聞き取ることが困難だった。

電話で話すことも、逢いに行くことも、私には出来なくなった。
山ほど心配はしていたけれど、私には何も出来なかった。

そう、そして、
私自身が忙しさの中でだんだん彼女から遠のいてしまったのだ。
だけど、だけど、お母さんに電話で様子を聞くことだったできた筈。
ほんの5分くらい彼女の顔を見に行く余裕はあった筈。
いつも仕事で彼女の家の近くを通っていたのだから。
それをしなかったのは私。
やっぱり彼女を遠ざけてしまったのは私。


2年前の6月18日、どうしても気になって電話をした。
なかなか繋がらなくて、何度か目の電話でやっと繋がった。
普段は絶対に電話に出ることなどない、彼女の義姉さんが受話器を取った。

「2日ほど前に、又入院したんです。」

義姉さんの言葉で何かを感じた。
遠いところに住んでいる筈の義姉さんが実家に居るということに
とても不安を感じた。

「逢いにいけば逢えますか? 手紙は読めますか?」


当時は既に遠くに離れて生活していたけど、
逢えるのであればすぐにでも行こうと思った。
そうした方が良いという直感だった。

私の問いに、義姉さんは困った様子だった。


彼女のお兄さんから電話があったのは2日後の20日。
悲しい電話だった。




葬儀のために帰省した。
1年以上逢っていない彼女は小さくなっていた。
私の知らない1年という時間を、彼女は頑張って闘っていたんだ。

そして、私が知っていたお母さんより一回り小さくなっておられた。
「待っていましたよ。
 あの子はあなたが来るのをずっと待ってましたよ」

ごめんなさいとしか言えなかった。
逢いにこなかった自分が恨めしかった。

あの時のお母さんの言葉は、ずっと私の中に残っている。
できた筈のことをなぜしなかったのかと
今でも悔やんでいる。



とても時間が遅くなってしまったけれど、
湯を沸かし、丁寧にミルでコーヒー豆を挽いた。
ドリップポットの先から出る細い湯線を見つめながら
一生懸命彼女を思いだした。

一緒に真冬の日本海を見に、夜中にドライブをしたこと。
ラジオに私のバースデーコールの応募をしてくれて、
突然ラジオに電話出演したこと。
私の娘を膝に抱き、ほっぺをプニュプニュ触ってたこと。
突然、「旅に出た」と出先から電話があったこと。

そして、
初めて彼女と出逢った頃の初々しいセーラー服姿。
部活で同じ舞台に立って、なんとも大根的な演技を二人でしたこと。
私服で出かけたら、保護者と間違われた私を大笑いしたあの笑顔。



あの頃彼女のお気に入りだった、我が家のマグカップにコーヒーを注いだ。
このカップを使うのは久しぶりで・・・・・
泣けてきた。


白いデンファレの横に彼女のカップを置いた。
自分のカップにも注いでコーヒーで乾杯。

そしてキャンドルナイト用に灯したローソク。
全国でどのくらいの人がキャンドルを灯していたんだろうね。
まるで彼女のために灯してくれたみたいだと、都合良く解釈しておこう。

久しぶりに淹れたコーヒーの味は、いまいちだったね。
「今日のは苦いよ〜」
そんな声が聞こえてきそう。



とても、あなたに逢いたいよ。




2004年06月10日(木) 進歩のない私




電話が鳴ると、慌ててデイスプレイをのぞき込む。
それが家の電話だろうが、携帯であろうが・・

ここ数日こんな日が続いている。
そして、敢えて鳴り続けるベルを無視することも。



私が勤める職場で一時期一緒に働いていた人。
私をアッシー君代わりに使い、ATMの代わりまでさせられた人。
「自分がNOと言えないんだから仕方ないでしょ」と
あの頃の夫は、わりと冷ややかな対応だった。


随分音沙汰が無かったのだけれど
この数日頻繁に連絡が入る。
なんだろうと思っていたら、とうとう自宅に突撃された。

本当は家に入れたくはなかった。
(だけどやっぱり断れなかった)

「ひさしぶりぃぃ」
から始まった話しは、一方的な近況報告が延々と続き
これはもしや恐れるに足らぬ、ただの暇潰しかと思い始めた頃
やっぱり話しは核心に及んだ。

「実はさぁ、私の仲の良い友人がいてお金を貸してたんだけど
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・(これが本当に長かった・・)
 中略
 で、娘の修学旅行の費用が払えないのよ、どうしょ〜」

この最後の『どうしょ〜』で私の顔をマジマジと見る。
あぁ、あの頃と同じだ。
そしてこの後に「貸して〜」と続くのだ。


・・・・ん?

・・・・あれ?

今日は言わないだ。




多分、私の表情が思いっきり冷ややかだったに違いない。
自分自身でも顔が強張っていたのが分かるほどだったから。

気のどくだとは思った。
彼女の話が事実であれば。
だけどどこまでが事実なのか、嘘なのか私にはわからない。
全てが嘘だとも思えてしまう。


実は自宅を直撃される前日、職場で話題に上ったのだ。
彼女が職場に居た頃、ほとんどの人からお金を借りていたことが
判明したばかりだったのだ。

同世代の私やもう一人の主婦だけでなく、
20才そこそこのバイトの子にまで借りていたというのだ。
皆、人が良いものだから、誰の口からも漏れることはなく
皆が事実を知ったのは、まさしくその前日のことだった。

それは最近皆に頻繁に電話がかかってきたことで、
皆がそれぞれに心配したんだろう。
『またお金の話しだったらどうしよう』と。

話し合ったわけでなく、皆は同じ行動をしていた。
彼女からの着信は無視するという行動。
「怖くて電話に出られないわよねぇ」と口々に言う私達の表情は
ちょっと意地悪だった。

困った時はお互い様だというけれど、
本当に彼女が困っていると思ってきたからこそ
少額ではあるが何度かお金を貸したこともある。

だけど、自分自身でなんの努力もしないで
状況を改善しようともしないで
ただ調子良く皆に借りまくっていた彼女を許せないと思った。




私の表情が冷たかったからなのか
最後まで彼女の口から「貸して」という言葉は出なかった。
ただ彼女の話から、翌日にもう一度電話がかかってきそうな気がした。

彼女はいつもの元気な姿とは対照的に
がっくりと肩を落として帰って行った。
なんかとても悪い気がした。

だけど、なんで、
私が?
私の方が悪気を感じなければならないんだろう。

皆と話している時の意地悪な表情や
悪気を感じなければならないことが
とても理不尽に思えてならない。
彼女が、彼女自身が皆をそうさせているのに。


「友達」という言葉を連発する彼女だけれど、
あなたは本当に私を友達と思っているの?
少なくとも私は、
本当に大切に思っている友人にだけは、
口が裂けてもお金を貸してとは言えない。

その言葉を口にした途端に、友人という関係は
壊れ始めるのだと思う。
相手は暖かい気持ちで救いの手を差し伸べてくれたとしても
それから先の関係で、負い目はずっとつきまとうだろうから。


もしも、次ぎに電話があったら
居留守なんて使わない。
何の柵もないからこそ言えることがある。

縁が切れても構わない。
それでも金銭の介在しない知人関係が続くというのなら
それはそれで構わない。

だけど、最初の一歩を間違えた私。
こうなったのは私の責任でもあるんだよなぁ。




彼女の愚痴はもうこれで最後にしたい。
書きたいことだけ書いたら、なんかすっきりした気もする。
もう居留守なんて使わない。
私が逃げ隠れする必要なんてこれっぽっちもない。





あ〜、結局、1年前と同じことを書いてるんだよなぁ・・・
進歩のない私。








2004年06月04日(金) 片おしどり




テレビを見ていたら、相変わらず長崎の事件が大半なのだけれど、
一瞬で画面が変わって、一人の女性が映し出された。

イラクで襲撃されたフリージャーナリスト橋田信介さんの奥様
幸子さんの会見だった。

まだ情報が錯綜している時に受けられたインタビューでも
はっきりと受け答えをしておられたが、
昨日拝見した映像でも、奥様はとてもしっかりとした口調で
現在の心境や現状などを話しておられた。


「(遺体は)ひどい状態だったが、すごくいとしく感じた」

「生前、何かあったら迎えに行くからと約束していたが、
 その約束を果たせて良かった」

そんな趣旨の発言をされていたと思う。
そして、

「結婚して27年、とくに子供が産まれてからは
 とても幸せな生活をさせてもらった。
 ありがとうという感じです。」


不謹慎かもしれないが、とてもお綺麗だった。
稟とした美しさ。

27年の結婚生活で積み上げられた信頼と愛情が
見ている私達にも伝わる会見だった。




相手を信じて、信頼も受けて
例え離れていても同じ時間を過ごしたお二人。
だからこそ一緒に居られる時間は貴重で
密度の濃い時間を過ごされてきた筈。

そんな自信が
あの言葉に、
あの笑顔に結びついているんだろう。


羨ましいと言ったら、不謹慎すぎるだろうか・・・




先日亡くなった私の祖父と先だった祖母、
二人が過ごした70年間という時間も素晴らしいけれど
お二人の27年間も勝るとも劣らない。


私達夫婦も嫌でもいつか別れの日が来る。
その時、どんな顔でどんな言葉を発することができるのか。

穏やかな笑顔で送れるといい。
悔いのないよう送れるといい。

当然、私の方が長生きするという前提・・・
亡くなった祖父を見て尚更にそう思う。



ご冥福をお祈りします。

             合掌






2004年06月02日(水) へこんでます




へこんでます。めっちゃへこんでます。

長崎で起きた小6女子の事件。
あまりにも衝撃が大きかった。

被害者側で凹んでるのか、
加害者側で凹んでるのか、
自分でもわからない。


と、

仲の良い友人に敢えて嫌な忠告をしなければならなくなったこと。


なぜに自分がこんなに凹まねばならないのか

その理由は分からないけれど、めちゃ凹んでます。


ほっとけば良いものを、

皆と同じで遠くから冷ややかに見ていれば良いものを、

敢えて苦言メールを送ってしまう自分自身に

めちゃ凹んでます。




マルチなんて止めときなよ。
ずっと友達でいたいから



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