あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 ねこのこの 2002年10月30日(水)


無類の猫好きであります。
仕事で家を空けることが多ため、飼う事は断念していますが。
いつでも猫をぐりぐりしたくて、心は飢えております。
ですから、近所のニャンコが「餌くれ〜」とよってくれば、必死で冷蔵庫をあさって餌を進呈。
ついにはキャットフードを常備するようになってしまいました。

毎朝六時三十分に、目覚ましのごとく大声で餌をねだりに来る猫が一匹。
こいつ、近所の飼い猫であります(笑)
なんてーか、餌をくれるまで大声で鳴き倒し、噛みつき、大暴れした挙句、
餌を食い終わったら速攻で帰っていく、つれない奴。
たまに猫じゃらしで遊ぶかと思えば、我を忘れて血が出るまで引っ掻くし。
もうちょっと可愛くておとなしい猫が遊びにきてくれないかと、ひそかに思っておりました。

したら。
さいきん、来たんです。
餌をもらえるまで、隣の家の塀のうえで一時間でも二時間でもじーーーーっと座ったまま、動かない鳴かない猫(♂)が。
朝、台所の電気をつけると、窓の外へすーーーっと白い影。
そのまま、私が窓を開けて何かくれるまで、微動だにしない。
触ろうとするとすぐ逃げてしまって、可愛げのない奴だなあと思っていたんですが。
なんとこいつ。
自分の餌を、夏仔らしい子猫に分け与えているんであります。
普段全然鳴かない奴が、珍しく「なーん」と鳴いたので、どうしたかと観察していたら、物陰から子猫が出てきて、奴にくれた餌を食べてるじゃあありませんか。
少し高いところから、その子猫をじっと見守る雄猫。
この様子を目撃した旦那、直前まで「これ以上猫に餌くれるの禁止」とか言ってたくせに、自分からカリカリをお皿に盛って出してやるように(笑)
そりゃまあ、そんな光景見せられちゃあなあ。

ああやっぱり、猫ってすげえ(←別に猫だけがすごいわけじゃないんだろうが)
そう思った一日なのでありました。


 朱にすら染まらぬ紅葉うち落とす 2002年10月28日(月)

 /白を踏みしめ神無月の朝

今日は「初霜」でありました。
「山のほうで雪が降っている匂い」がしました。
こういう時、自分が寒冷地の生き物だと痛感します。

「雪の匂いがする」とは良く言われます。
これは多分、数年雪国で暮らせば解るようになるのじゃないかしら。
雪が降る直前の、埃っぽいような湿っぽいような匂い。
でもそれは匂いだけではなく、皮膚とか、空気のこもり具合とか、音の伝わり具合とか、全身で感じているもののような気がします。
そして、「もう直ぐ雪が降る匂い」とは別に。
あるんです。「山のほうで雪が降っている匂い」(笑)
これは匂いっていうか、皮膚感覚のほうが強いですけど。
住宅街で、山の様子なんて解らない所で仕事してても、はっきりわかります。
とまあ、これが昨日の詩のタネあかし。


冬。
夏よりも、春秋よりも、生き物としての感覚が鋭敏になる感じがして好きです。
氷点下になればなるほど、空気が澄んで張り詰めて、自分の皮膚感覚が遠く山の端まで届くようになる気がして。
まだ10月だというのに、ひしひしと冬の気配がして、心が騒いだ一日でありました。
冬よ、こい。



 冬耳 2002年10月27日(日)

「──雪が、どこかでふっているね」

風を嗅ぎわけて君が笑う
見上げれば、彼方
山の頂きは灰色に輝く雲に覆われ
雪が、降ってるね
どこかで
冷たい風は音を封じ込めて
小さな盆地の町は
おおん、おおん、泣き声を上げる

どこかで降る雪の匂いと
もうすぐ降る雪の匂いははっきり違うのだと
君は主張する
二つをかぎ分けられない僕は
君の頬の赤さを見分ける
一昨年よりも
去年よりも
君の頬はうつくしく
冬の到来を知らせるのだ

寒さの中、林檎が熟れていく
陽光を浴びる樹上、音も立てず
赤みをましてゆく
差し出された指先は凍えていて
けれどしっかりと握り返した

君は季節をかぎ分け
僕はそれを見分ける
次に来る春を、夏を、秋を
そうやって数えながら
冬を待っている
いつだって

繋いだ指先が温もる頃
雪雲はおりてくるだろう
小さな盆地は雲に閉ざされ
やがて
ふり出した雪に
匂いも
色も
音すらも
すべて封じられて
ただ
しんしんと耳鳴りだけが
身体に響くだろう

その音を待つ僕らはひとつの耳たぶ

「──もうすぐ、雪が降るね」
息をひそめて。



 (無題) 2002年10月21日(月)

見えていますか

尋ねても
答えは返らないでしょう
透明なガラスの向こう
風景は夏の緑に満たされています
いつまでも
きっと変わらずに

さようなら
それとも
また、こんど?

ブランコは揺れています
わたくしたちは
ひかげとひなたを往復する
小さな椅子の動力機です
春と
秋と
憧れて惑うて
停止する夏を忘れるために
小さな身体に力をこめて
漕ぐ
のです

さようなら
さようなら
さようなら

何度目かの声を与えられるまで
向こう側の景色に口づけを投げて
もういちど
いつか触れて囁きかわす
その日が来るまで

さようなら

(また、 )

さようなら

( ……いつか )

さようなら


 笑みかわす顔すら忘れた君の手の 2002年10月20日(日)

/温もりを知る夢路のふしぎ

*  *   *

あいかわらず、夢の中でその人は元気です。
えがおが、そんな風に笑うことなど無かった人なのに、そんな風にはしゃいで私を抱きしめることなど、なかった筈なのに。
どうして、と問う相手は私自身の心なのでありましょうが。
目覚めて、遣る瀬無いというよりも怒る。
時は戻らない、行ってしまった人は戻らない。
生まれ変わって次の人生を生きているのか、それとも痕跡すらのこさず消滅してしまっているのか、どちらが本当の死後か私は知らないけれど、その人は私のての届く世界には存在していないのが厳然たる真実なのに。
君は、夢の中で生きている。笑い、手を繋いで、私に幸せという感情を与えて、朝の光に消えてしまう。君はいない。いないのに。

つながりたいと思う人が、現実につながる空の下どこかで生きているという事。
それは、それだけできっと幸せなことなのだと思う。
胸に抱く思いが異なり、時に傷つけあったとしても。

*  *  *

この所の仕事先は、峠を二つ越え、さらに川を渡ったむこうの村(笑)
はじめて、長野県に「差切峡」という場所があるのを知りました。
剥き出しの奇岩が、紅葉の錦をまとって美しい渓谷美を作り出しています。
しかし。
そこに「止め山につき入山禁止」という張り紙がべたべた×3
県立公園なのに、止め山?
めちゃくちゃ興醒め。




 紅朽葉 黄朽葉 浅緋 山辺路に  2002年10月17日(木)


……君の背中を探しては惑う

† † † † † †

他人の存在を、いったい「普通」の人はどれくらいの年齢で認識するのか。
動物的な、生命体としてではなく、自分とは別個の精神を持つ存在として。
私が思うことは、貴方が思うことではない。
私が願うことは、貴方が願うことではない。
私の痛みが、貴方に届くことは無い。
そう気付くのに、ずいぶん長い時間を費やしてしまった。
いや、未だにわからない。繋がる方法、など。
届かない、解らない、痛みの疑似体験だけが積み重なってゆく。

けれど私は、放棄したりはしない。
歌は、書き記さずとも伝わり伝わり、この耳に届いた。
言葉は、形を変え、響きを変え、しかし失われること無くこの手にある。
黙って立ち止まることなど、決してできないのだから。
衝動が、あるかぎり。

†  †  †  †

棗は
決して林檎にはなれぬのだと
娘は出ていってしまった

私は一人
明るい庭に立って
摘み取られない記憶を数えている



 雪を乞い空を見上げる児のごとく次の季節を我も待ちおり 2002年10月14日(月)


夢だけを食料に生きられるほど、僕はもう幼くはない。
僕は足元に広がる大地の確かさや、そこに根を張るいくつもの草の名前を知ってしまった。
空を、仰いでばかりでは歩けないのだ。
君は小さな箱の中で、僕に抱えられた小さな箱の中で、空を見て、あの星の所まで連れていってくれと駄々をこねる。
星はいつでも空に輝いていて、晴れた日でも雨の日でも、君の眼差しを捕らえて止まない。
僕の足は大地から離れず、ねえ、僕は鳥になることはできないのに。




 日記/……タイトル失念 2002年10月12日(土)

 みわたせば 山辺には
 尾の上にも 麓にも
 薄き濃き もみじ葉の秋の錦をぞ
 竜田姫織り掛けて 露霜にさらしける

何てタイトルでしたっけ? この歌。
……いや、そもそもタイトル知らないまま歌だけ覚えてるんかも(笑)

ここ数日通勤に使う和田峠は、まさしく「秋の錦」が広がっております。
で、上の歌なんぞを歌いながら70Km/hで峠を走る(苦笑
信州の道、実は大型車がものすごい勢いで通りぬける輸送路がたくさん。
なので、のんびり観光気分で走ってると、ごっつ迷惑がられたりします。
下手すると嫌がらせと勘違いされ、あおられまくるので要注意。
すいません、私も時々あおります。
せめて国道では、最低60Km/hは出してください。

嗚呼、観光県台無し(涙)

和田峠周辺は、雑木林が多くて美しいです。
カラマツの紅葉も、決して嫌いではないのですが、
雑木林の色とりどりの景色が一番好き。
色合いの複雑さがなんとも言えません。
ウルシの赤が、一番好き。光に透けて、燃えてるの。
今朝はキノコ採りらしき人々を沢山みかけました。
くっ。仕事さえなければっ。今年は豊作だっちゅうのにっ。

イロイロお待たせしてる方が数人。
すいませんすいません。仕事の合間に努力しております。
もう少しだけお待ち下さい。


 幼子のように無邪気に語る 2002年10月11日(金)

これは私のもの
とおもう手は貴方の
手に繋がれている

これは私の熱
とおもうのは繋いだ掌
に温もりがあるから

これは私の想い
とおもう光景
にはいつも貴方の存在があって


「それは、少し、不幸なことだ」

君の存在を消しゴムで
消してそれでも私はここに居るのかと
思ってみたりする

秋の夜



 ヒトリガ 2002年10月10日(木)


何度も焦がれて
何度も
それでも届かないのです
朝の光の場所までは

小学校の通学路は
クヌギの森を抜けていました
夏の朝
枝から落ちた緑色の毛虫を
踏み潰しながら駈け抜けたのです
私達にはその先しか見えなかったのです
未来へ
生きる事はなんと目まぐるしい行いなのでしょうか

やがて秋の始まりと共に夜は湿って
閉じた窓を
誰かが何度も何度も叩くのでした
それは
無邪気な足をくぐりぬけた緑色の羽化
大きな翅は身を焦がす炎を見出せぬまま
冷たいガラスを満たす輝きに惑わされ
叩くのでした
重い身体の全てを預け

夏虫は焦がれて飛ぶのです
焦がれて焼かれ
落ちるだけだとしても
それが夏虫の生命なのです

私の足は短く
クヌギの森を抜けるのはいつも必死でした
踏み潰した無数の運命が
いつか私を踏み潰しに来るのではと
振り向くことを恐れて
走りつづけていました
ずっと
やがて貴方に出会い
それでも私は走りつづけました
貴方は遠く
遠くにある太陽のようで
どれほど走りつづけても届くことはないのでした

振りほどかれて
そして私もまた一匹の蛾なのでした
いくつもの足を潜り抜けて
こんなにも長い腕を持ちながら
求めるのはただ一つの輝きだけなのです
いつか焼き尽くされ
落ちる日を夢見ながら
焦がれつづける愚かな翅なのです



 眩暈 2002年10月08日(火)


 目がまわる目がまわる目がまわる。
 屋上を吹き抜ける秋の風は涼しくて、汚いものや醜いものを何一つ許さない清しさなのに、どうして、こんなにも。
 傍らにある熱の存在が、心の平衡をも吹き飛ばして、それは夏の太陽よりも激しい輝きのようだ。何処まで逃げても、忘れることはできないだろう。求めて、きっとこの場所へ戻ってしまうだろう。
 それは、罪だ。何か一つだけの存在に心奪われ、未来を見失って立ち尽くすなど。
 目を閉じた。明るい秋の日差しは瞼の裏に焼き付いて、黄色く染みをつくる。
 その残像の中に、どうしても消せない形があって、そこからまた眩暈が起こる。
 目を開けた。
 トンボが、透明な羽で空を切り裂いて飛んでゆく。
 いくつも、いくつも、それは小さな剣。

「──ドラゴンフライ」

 眠っているはずの男が、歌うように小さな虫の名を呼んだ。
 身体がぎくりと強張ったのに、彼は気付いただろうか。
 平静を装って、日焼けした顔を見下ろした。
 たった今まで眠っていたとは思えない、鋭い眼差し。
「蜻蛉」
「竜になれるか?」
「──夢の中でなら」
 失笑が、耳に落ちた。寝返りを打った腕が、降れるほど近くに落ちて、熱が。
 熱が、どうしてこんなにも伝わるのか。
 見上げる眼差しは、一向に緩む気配もなく真っ直ぐで、目をそらすことも出来なくて、きっと見ぬかれているのだと思う。この胸の中で、どちら側にも動けずに竦んでいる心を。

「──北辰の」
 とりあえず何か話さなければ。咄嗟にひからびた喉から、声を絞り出す。
「ああ、火に飛びこんだってな」
「知って」
「さっき、会長に呼びとめられただろ。緘口令が引けるわけねえし、こっちの祭りに影響が出るかもしれねえから、手え貸せって」
 そういう事かと、頷いた。
 他校の生徒とはいえ、文化祭の最終日のストームに飛び込んだ人間がいると聞けば、同じ年頃として平静ではいられない。
 現に自分も、考えた。炎の熱さは、どんなだったろう。何を捨てたいと望んで、何を得たいと望んで、自らを焼いたのだろう。
 考えて、それは恐ろしいことの筈なのに、一方でそれは魅惑的な事なのだと納得する気持ちがあって、確かに後を追う人間も出るだろうと思う。
 はたから見れば愚かな蛾も、止まない衝動があって炎に飛び込むのだ。きっと。

 膝を抱えようとした腕を、突然掴まれた。
 直接的な熱に、隠しようもなく身体が震える。
「──蜻蛉は、炎には飛びこまねえよな」
 同意を求める口調で、でも全く違うことを尋ねている、男の言葉。
 どうして、どうして、こんな風につきつけるのだ。
 何も気付かずに、何も知らずに、こんな小さな存在になど目もくれずに、飛んでいってくれれば良いのに。
 腕に、重みがかかって。起き上がった男の顔があまりに近くて、もう限界だった。必死に振りほどいて、熱から逃れようとあがくのを、今度は両手で、捕らえられる。
 身体が、痺れた。炎に焼かれる蛾は、こんな気持ちなのだろうか。死んでしまうのが解っていながら、逃れられない。
 逃れられないのだ、輝きから、目を離すことなど出来ないのだ。一度、見つけてしまったら。
 じゃあ炎は、炎は何を望むのだ。儚い蛾の生命か、それとももっと遠く高く遥かなものか。吹き消され夢と消えてしまうことか。

 めまいが、収まらない。
 もう、逃げられない。何もかも明らかにする輝き、その炎に焼かれて、自分は消されてしまうのだ。
 目を、閉じた。
 いっそうはっきりとする熱の所在を感じながら、ゆっくりと目をあける。鋭い眼差しに切り刻まれながら、焼かれてしまおう。
 焼かれて、燃え尽きて、この呪縛から開放されるのなら、いっそ。

 どこまでも、空は清々しくて。
 熱は、どこまでも確かだった。眩暈は、いつのまにか収まって。
 揺れているのは、世界のほうだった。
 


 走り書き 2002年10月04日(金)


しかし人は、自分の個人的な感情だけでは生きられない。
身内の不幸を嘆くだけではなく、我を失い運命や社会を憎むその姿を衆目にさらして、恥ずかしくは無いのか、と。
そう思う私は、既に子供ではない。
否定的な意味でも、肯定的な意味でも。

システムの中に生きるのなら、そのシステムを維持する努力をするべきだ。
共同体の一員として護られたいのなら、その共同体が不利益を被るような行為はつつしむべきだ。
個人として生きるのなら、誰かの庇護などあてにせず、独りで歩けばいい。
しがらみを望みながら、しがらみを厭う。
庇護を求めながら、束縛を嫌う。
望むだけ、望むだけ。他人に何もかもを望むだけ。
そんなの。
醜いじゃないかって思う。
……やっぱ、ガキか。

 ※   ※    ※

いつだって、蛙は足をたわめて身構えている。
君の望みが、蛙のための雨だ。
高みを目指す眼差しが、空の輝きだ。
顔をあげたまえ。
君は、いつだって跳べる。






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