うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2005年10月30日(日) 真面目に食事を作った日



我が家ではよく登場する、大根、卵、豚肉の煮物(八角が入っている)




安売りで買ったレンコンと昨日の残り物のジャガイモを使った、ゴマ味噌和え。
(むふふふ・・・味噌汁の残りだなんて誰も気づいていない)





娘のリクエスト。「菊の花が食べた~い」という若者は珍しいと思う。(酢の物です)





これも娘からのリクエスト。うちの田舎(八戸)では、「イカのポンポン焼き」と呼びます。






おいしくできました。

しかし・・・・全体的にどの料理も茶色っぽいーー;



ついでにお昼は一生がチャーハンを作った。


教える人がいいせいか?おいしかった^^また作って下さい。





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↑これ、前も書いた?


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2005年10月29日(土) 何キロですか?

一ヶ月ぶりに受診した。


先月から主治医が代わった。

以前一生が受診した時、

「君が起きられないのは、君が起きられないんだよ」

と、真面目な顔で言った人である。


昨日一生は学校に行っていたので、主人と二人で病院に行った。

「どうですか?」と言われ、

ここ一ヶ月に起こった色々なことを話した。
それは私にとってはすごく大変なことで、それでも何とか乗り切ったと。

先生は、
「あなたはがんばったんですよ」
言った。

私は恐る恐る・・・



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と言うと、先生は、

「体重は何キロですか?それと身長は?」

と、

「○○キロ、163センチです」

と答えると、カルテに書いていた。

主人を見て、

「ご主人も太っているようですが・・・・」

と。

主人は苦笑しながら、

「私は元々太っているんです」

と。

先生「ご主人は何キロですか?」


主人「103キロです」

先生「すごいですねぇ~!」(感心?している)


私 「これでも痩せたんです。ピークは120キロでしたから」


先生「身長は何センチですか?」

主人「179センチです」

先生「一生君は?」

私 「身長は177センチ、体重は55キロあるかないかだと思います」

(家に帰って聞いたら52キロだそうです)

こんなやりとりをしながら先生は、

「ご夫婦で一緒に痩せたらいかがですか?」

と言う。

そして、ボソッと、

「楽しみだなぁ」

と(T^T)


そして、一生に言った時と同じように、


「あなたが太ったのは・・・あなたが太ったんですよ」


と言われた(T^T)







「眠れていますか?」

と聞かれ、


「家では眠れます。姉の家では眠れないので、仕事の時はつらいですけど、その分家で寝ているので大丈夫です」
と答えた。

先生は、

「私も最近眠れないんですよ。酒を飲むと眠れるかなぁと思ったりするんですが・・・酒は元々飲んでいるんです。・・・と思ったりするわけです」


なんだかおもしろい先生です。





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2005年10月28日(金) カラオケ館

結婚式の後の何日か、仕事以外はほとんど寝ていた。



午後1頃主人からの電話で目覚める。

メールを確認したら、先日結婚したMさんからメールが入っていた。


「オケりませんか?」


しかし、外に出たくない病が・・・


あの後、私の肌はひどいことになっていた。

顔が赤くただれて化粧もできないほど。このままくすぶっていたら寝たきりになってしまうと思い、

「オケりたい」

と返事をした。


彼女との待ち合わせは駅にある銀のグルグル。

Mさんと駅の近くのカラオケ館に入った。

色々と話をし、昼食をとり、そして歌った。

心残りだった「jupitar」と、最後まで選曲で迷った「Can you celebrate?」を彼女のためだけに歌った。


精神状態が悪いとなぜか肌が赤くただれる。ただでさえ外に出るのがおっくうなのに、いつもはおでこだけに出る肌荒れが今回はあごのあたりのも出ていて、ますます外に出たくなくなっていた。

しかし・・・・このままではいけないと思っていた矢先。
Mちん、外に出してくれてありがとう。



11月16日はデイサービスで「収穫祭」があり、私は壁一面に「実りの秋」をテーマに絵を描かなければならない。(たぶん2日ぐらいまでに)

それに、「何か歌ってくれるよね」と言われて、「ハーイ、歌マネやります」とノリで言ってしまった。

ちょっと後悔してます。


今度行ったら、「歌マネ」じゃなくて「歌」に訂正しようっと。




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こういう歌じゃないと利用者さんにウケないのよね。


焼きうどん、ピラフ、ウーロン茶3杯頼み、2時間で2120円でした。(二人分です。安いっ!)

また行きましょ。




そういえば、隣の部屋がやけに気になった。
中年女性が一人で歌いっぱなしでした。



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カラオケ館で練習か?



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2005年10月22日(土) 結婚式

友人Mさんの結婚式に招待された。

Mさんとは数年前ネットで知り合った。ネットで知り合った友人がこんなにも大切な人になるとは思わなかった。悩んだ時期もずっと彼女を見て来ているので、今日の日を迎えることができ心から祝福している。




式は東京タワーが見える某結婚式場の屋上ガーデンで行われた。





この結婚式(披露宴)でビックリしたことが二つある。

一つ目は披露宴開場にお二人が「365歩のマーチ」で入場して来たこと。

開場は爆笑と拍手の渦。


二つ目は、

「新郎の起っての願いでこの方をお呼びしました。マツケンサンバ、といえばこの方です!」



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場内はまたまた爆笑と拍手喝采。


先日、披露宴で歌を歌ってもらいたいと言われた。友人の結婚式で歌を歌うのは4回目。今回は平原綾香の「jupitar」を歌うことにした。先日の小麦粉の件以来、まだ喉の調子が悪いが、披露宴が始まっても全然緊張しないので・・・

緊張しないで歌える♪と安易に思っていた。

最近メッセージなどは前もって考えたりしない。その場の雰囲気でなんとなく言えてしまうのだ。

しかし歌い慣れているはずの曲の歌詞をしょっぱなから間違えてしまった。これには動揺したが、なんとかごまかして続けた。一緒に招待された娘が、自分のことのように緊張したと言う。


Mさんは「痩せられなかった」と言っていたけど、十分細かったですーー;
それに透き通るようにきれいでした。



新郎のH君にお願いしました。

たこ焼き器と土鍋を買って下さいと。

材料持って遊びに行きま~す。

Mさん幸せになるんだよ^^



うつ状態で動きたくないけど、今日は楽しかったです。


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2005年10月21日(金) 父のこと

父がうつ病になってからどのぐらい経ったのだろう。

再発してから10年以上は過ぎたと思う。その間にCTやMRIを撮ったことはあったのだが、ここ数年は撮っていなかった。

老人で薬が効きにくい人に効果があると言われている電気療法もやった。
寝たきりの時があったのだから、今は少しはいいと思わなければと母も私も感じていた。



先日今まで行っていた大学病院ではなく、頭痛では有名な先生のところを受診した。MRIの結果、脳の血管がかなり細くなっていて、いつ脳梗塞を起こしてもおかしくない状態だと言われた。

そして「手の施しようがない」と。


しかも、

「なぜこんなになるまでほっといたのですか?」

と言われ、母も私も唖然としてしまった。


病院に入院して色んな検査をやり、先生の勧める治療もして来た。
なぜ?というのはこちらが言いたい。


父がずっと訴えていた頭痛は鬱によるものとばかり思っていたがそうではなかった。結局血液の流れをよくする薬を飲むしかなく、それも気休め程度だとのことだった。

その他に認知症の進行を遅らせる薬が処方された。父は認知症ではないのでなぜこの薬が出るのかわからなかったが、後の説明で納得した。


うつ病は「心の病」と言われているがそうでない場合もあるのだ。脳に何らかの障害が起こり、それがうつ症状を起こしていることがまれにある。その時に認知症の薬で効果がある場合があるので、その薬が処方されたのだった。




父は今までずっと精神科にかかっていたが、これからは脳外に通うことになる。今はもう、少しでもいいから楽にさせたい。自分にできることは何なのかを考えている。


「もう青森に帰ることはできないのかな?」
とつぶやいた母の顔がさびしそうだった。







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無理やり着るしかない”!


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2005年10月19日(水) この親にして・・・・


フタバが火曜日にエプロンを使うというので月曜の夜買いに行った。

エプロンを買ってすぐに帰ろうとしたら、

「お母さん、プリ(プリクラ)撮ろう」

とフタバが言う。

私はどうしても嫌だったのだが(理由は聞かないで)

「お母さんと撮りたいって言う人なんかいないんだからね」

という言葉に騙されて、一回だけ撮った。


そして家に帰ったのだが。


駐車場に車を停めて降りてから、


「エプロンは?」

と聞くと、


無い!!!


スーパーに忘れて来たらしい。

さっそく電話をすると、サービスセンターに届けてあった。

ゲーセンのお兄さんが届けてくれたらしい。


またスーパーに向けて車を走らせたのであったーー;







時々咳が出る。デイサービスの運動会で・・・



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ふざけるにもほどがある(T^T)


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2005年10月17日(月) 勘違いみたいだけど、よかったらどうぞ


昨日の本を学校に持って行った娘。

先生に、

「あの・・・これ・・・・」

と渡したら、

「あ・・・どうもありがと」

と言われたんだって。

「あの・・・これ・・・」じゃ、言葉が足りないかもしれないね。


みんなの前で読んでほしいと娘は思っていたのだけど、勘違いしたならそれはそれでいいんじゃない?と話していた。母が間違えて二冊くれたし。

買い物から帰ったら、先生から留守電が入っていた。

「○○中学の山口(仮名)です。今日二葉さんを通して本をいただきましてありがとうございます。お母様のお心遣いありがたくちょうだいいたします・・・・」

と。




「先生に電話したら?かかって来たんだから」

と娘。

「え~~やだぁ。だって泣いちゃいそーなんだもん」



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と主人ーー;



違います!!!



・・・・・・・・

電話したら、お留守でした。(すれ違い)


娘は改めてもう一冊の本を学校に持って行く。


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2005年10月16日(日) 千の風になって

私も娘もたくさんの涙を流した。

親御さんのお気持ちを思うと胸がつぶれる思いだけれど、いつまでも泣いてはいられない。

今から二週間前、母から新井満さんが訳詩した「千の風になって」という本をもらった。昨年映画化されたこの本のことは以前から知っていて、本屋さんで手にとって見たこともある。それが母を通して私の元に届いた。

この本がこんなにも早く二葉へのメッセージになるとは夢にも思わなかった。
今日二葉にこの詩を読ませた。

ゆっくりページをめくりながら何も言わずに読んでいた。


夜になり、

「あの本は?」

と聞くと、自分のバッグから取り出した娘。

友人と遊んだ時に見せたのだと言う。


「見せたんだ。よかった」

わが子の思いやりに胸が熱くなった。







明日学校に持って行ってみんなに見せるのだそうです。






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2005年10月14日(金) お通夜

学校に行っても、友人の死は夢のようで、「ただ休んでいるだけみたい」と娘は言った。友人は二葉の後ろの席だった。プリントを配っても、娘の列だけ1枚余って悲しかったと。

運動会のむかで競争でも一緒のグループだった。特別親しくしていなかったけど、結構話はしていたと言う。

入学式の日にその子のお母さんと話をしていたら、子供が来て、
「二葉ちゃんのお母さんだよ。二葉ちゃん知ってる?」とお母さんが聞くと、
「背が高くて優しそうな子でしょ?」
と言った言葉が私の心に焼き付いている。




私は今二葉のことだけを考えているわけにはいかなかった。

一生は後期の履修ができるかどうかの瀬戸際にいる。今日、受講料を払い、教科書を受け取りに行かなければならない日だった。案の定一生は起きなかった。眠くて起きられないのではなく、学校に行けないのだった。担任に電話すると今日行けないなら、月曜日の午前中でもいいと言われた。月曜日は今日より忙しいので、一生が行けない場合でも私が行くのは不可能だ。


なんとか一生の気持ちを盛り上げて、やっとのことで起こして車に乗せた。

そして帰って来てすぐに二葉を連れてお通夜に行くというスケジュールだった。


私はちゃんとお焼香をしたのだが、友人の顔は見なかった。お母さんが立って挨拶している顔を見たらたまらなくて涙でボロボロになった。お母さんとは先日会って話をしたばかりだった。言葉のかけようがなかった。

二葉は棺の中の友人の顔を見たと言う。眠っているような優しい顔だったと言っている。クラスの友達は全員来たらしい。そして明日も全員が告別式に参列すると言っている。私も二葉と一緒に行きお別れをするつもりだ。



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2005年10月13日(木) 深い悲しみ

日記に書いていいことなのか迷った。

娘と私が悲しみにくれている理由を。



一昨日娘の友人が自ら命を絶った。(中1でまだ12才)

そのことを昨日知った娘は、仕事で栃木に行っている私に、何度も電話したりメールをくれていた。

「何時頃帰るの?早く帰って来て」
と。
仕事中は電話に出られないし、昨日はとても忙しかったので、メールを確認したのは夜7時ごろだった。

すぐに電話すると、娘は泣いて話が聞き取れないほどだった。

このところ私は体調がすぐれないこともあり、仕事に行くのに主人に車で送り迎えをしてもらっていた。だから車は家にあり、すぐに帰ることができなかった。

一緒に行っていた息子にそのことを伝えると、
「じゃあ電車で帰ろうか」
と言った。いつも電車に乗ることを嫌がる息子も、妹の気持ちを考えたのだろう。

娘はかなり動揺していた。少しでも早く家に帰ってそばにいてあげたかった。
主人に連絡をし、状況を説明して息子と二人で電車に飛び乗った。


家に帰ると、娘は泣きはらして目が真っ赤になっていた。
「昨日の朝いつもどおりに家を出たんだって。だからお母さんも何もわからなかったんだって」
娘は話してくれた。

一昨日娘は学校を休んだ。
「もし自分が学校に行っていれば、止められたかもしれない」
と言った。友人が亡くなった場所は、娘の学校への通り道だった。
それに関してどう答えてあげればいいのか言葉が見つからず、二人で泣いた。

私が帰るまでの間、たくさん泣いてティッシュを3箱使ったと言う。
それからもたくさんのことを話してくれた。



そうしてしばらくすると、
「学校に行きたくない」
と言い出した。友人のことでショックを受けているせいもあると思うが、友達関係がうまく行っていないらしい。それで一昨日も学校を休んだのだった。翌日は中間テストがある。

娘と一時間以上話し合った。
そうしているうちに少し気持ちが晴れたのか、数学の宿題をやり始めた。
そして昨晩は私のベッドで一緒に寝た。

今朝7時前には起きて準備をしていた。


私が家族に迷惑をかけている部分がたくさんあるのは承知の上だが、こうして色んなことに出会い、それを乗り越えていかなければならないのだと思う。楽しいことばかりじゃない。つらいこと苦しいことがたくさんある。
そんな中に揉まれて強くなっていくのだろう。

それにしても中1で友人の死はつら過ぎたようだ。

娘は腫れぼったい目を気にしていたが、
「友達がああいうことになって、何も感じない人間よりずっといいよ」
と言って送り出した。



子供を持つ親としても心が痛んでいます。
娘の友人のご冥福をお祈りします。






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2005年10月11日(火) Sさん、どうしていますか?

先日友人Sさんに電話をした。

おばあちゃんらしき人が出たので、とっさに下の名前が出なくて、名乗った上で、

「○○ちゃんのお母さんいらっしゃいますか?」

と聞いた。

「いません」

と冷たい。

「お仕事か何かで出掛けていらっしゃるんですか?」

と聞くと、

「いいえ、違います。ご用件は何ですか?」

と。

これは何かの業者と間違われたと思い、ゆっくりと説明した。

「○○ちゃんと同級生の一生の母親でKと申します。○子さんいらっしゃいますか?」

と言い直した。

でも、

「私ではいけないんですか?」

と来る。

これ以上話していてもしょうがないと思って、

「また夜にでも電話してみます」

と言った。


しかし・・・・


「夜電話してもらっても、いませんから!」

と強い口調で言われ、ガチャンと電話を切られた。

どうしようもない不安に襲われた。病気なのだろうか?入院でもしたのだろうか?彼女のことをとても心配した。


数日経って別の友人から聞いた。




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おばあちゃんが強い口調で言ったわけがわかった。


そういえば、近所で見かけて「痩せたね」と声をかけたことがある。

彼女は「そんなことないよ」と笑っていた。

Sさんは今どこでどうしているのだろう。



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2005年10月10日(月) これを作っていました

CCレモン1,5リットルを買って来て、一気に飲み、



息子にも手伝ってもらい・・・




うまくできるんでしょうかーー;






和紙を貼って・・・





なんとか形になりました。


乾いたら、明日色を塗ります。




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2005年10月07日(金) 明るい色を選んでみました





この文庫本カバーを手にとって見たのは数ヶ月前のこと。息子に買ってあげようと思った。その時にいいと思った色はグレーだった。しかしその日には買わず、その後仕事やら何やらで忙しくすっかり忘れていた。

今日仕事帰りにまたそのことを思い出してお店をのぞいてみた。



息子は今、後期の授業に出られるかどうかわからない状態だ。高校2年目で、卒業するには70数単位必要なところ15単位しか取れていない。

息子の学校は単位制で、前期と後期に分かれている。前期で取れたのは理科の1単位のみ。なかなか学校には行けない。好きな科目だけでも授業を受けられればいいと思っている。
今回は通信(日本史)も平行して申し込んだ。


仕事帰りにお店に行き、文庫本のカバーを見た。数種類の色の中から、明るいグリーンを選んだ。高校生に皮のカバーなんて贅沢かな?


家に帰ってさっそく、
「ハイ、プレゼント」
と言って渡すと、
「これ何?」
とわからない様子。
「文庫本のカバーだよ」
と言うと、
「あ~あ、ありがとう。いっぱい本読むからね」
と息子の声は明るかった。




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昨日のパンブティングの作り方


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2005年10月06日(木) 夜の外出はなぜいけないのか?





日ごろの睡眠不足を解消しようと思い寝ていたら、午後4時を過ぎてしまった。おなかが空いたので、ありあわせのものでブティングを作った。


材料 食パン、牛乳、卵、小麦粉、砂糖、りんご、コーンフレーク





昨日仕事をしていたら主人からメールがあった。
二葉からのメールを転送したものだった。


「友達の家に行って来る。パパが帰る頃いないかも」


と。


パパが帰る頃って、11時は過ぎると言ってある。


時計は午後7時を回っていた。

さっそく二葉に電話し、聞いてみると、

「友達のお母さんが8時頃出勤して帰ってくるのが深夜なんだって」

と言う。

看護師でもしているのかな?と思った。

「なんでこんな時間なの?二人とも家にお母さんがいなくて、さびしいから行くの?」

「お昼寝しちゃったから(自分が)」


「なんだその理由は。夜じゃなくて明るい時間に行けばいいでしょ?」

「なんで夜はだめなの?」

「昼間で明るい時間なら回りの人もいるし、何かあってもみんなにわかりやすいの。でも夜は暗いから見えにくくて犯罪が起こりやすいんだよ。親はね子供が犯罪に巻き込まれないように守る義務があるの」

「お母さん家にいないじゃん!」

「・・・・。でもね、家にいなくてもこうして電話したりして二葉のこと心配してるでしょ?こんな時間から外に遊びに行くのはダメだよ」


「いつになったらいいの?30歳になったらいいの?」

「そうだね。まだ中1だからダメ」

「なんで中1はダメなの?」

「物事の判断がもっとついていたり、自分を危険から守ることができるなら出かけてもいい。今はダメ」

そうやって15分ぐらいやりとりして、やっと「わかった」と返事があった。




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気持ちの切り替えが早いというか、なんというか^^;


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2005年10月05日(水) 書けなくて・・・

「忙しいと日記が書けないね」と主人に言われた。

忙しいから書けないのではない。

PCに向かっても、言葉が見つからない。

自分の思いを表現できずに、時間だけが過ぎて行く。


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