うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2004年09月14日(火) ムクドリの大発生

マンションの近辺で、ムクドリが大発生している。
私は、黒いものの大群が大嫌いだ。好きな人はいないのかもしれないけど、これには中学生の頃からのトラウマがあるのだ。

家族で北海道に旅行し、サロマ湖に行った時、茶色のベンチがあった。そこに近づくと、それはビッシリとついていた焦げ茶色の虫で、いっせいに飛び立ち、本当は黄色のベンチだったのだ。体中がゾワゾワし、全身に鳥肌が立った。田舎育ちなもんで、虫の一匹や二匹は平気で触ることができる。だけど、大群はダメ!サロマ湖のベンチを思い出してしまうのだ。

ずいぶん昔の話になるが、てんとう虫が大発生した時も大騒ぎだった。てんとう虫は冬、固まって越冬する習性があり、植木鉢の下などに、大群がビッシリ。そして極めつけは一生のベランダ用のサンダル。中をのぞいたら、てんとう虫君達は固まって越冬していた。

ぎゃ~~~~!!!


それに私は、フナ虫を言うものを知らなかった。私の生まれ済んだところの海にはいなかった。主人の実家の横須賀の海に行った時、初めてフナ虫を見た。岩にへばりついていて、大群が同じ方向に移動する。この時は、本当に気持ち悪くなり、
主人の妹に、
「大丈夫?」
と言われたほどだった。

一斉に、同じ方向に移動するのはやめてくれ!

そして、今回のムクドリ。
昨日二葉と学校に行った帰りに、
「気持ち悪い」と言いながら、駐車場に車を停めてムクドリの動きを見ていた。
大きな木にどんどん集まってきた、電線に止まっているのも、マンションにいたのも全部、他の大きな木に大集合!
それが一斉に飛んだら、気持ち悪いに決まっているのに。「キモミタ」
略語は嫌いなんだけど、気持ち悪いけど、見たい!の意味で私が作った。
二葉と車に乗ったままずっと見ていた。

第一弾が飛び出した。マンションの木の方に移動した。
「ふたば!ふたば!ぎゃ~~!」としがみついた。
次から次へと飛び出した。
「ふたば!ふたば~!気持ち悪いよ。ぎゃ~ぎゃ~ぎゃ~!!!」
鳥肌が立つ。
「お母さんうるさいよぉ」と笑っている。

大きな木に止まっていたムクドリ達はみんなマンションに移動した。
その後どうなるかが知りたかった。でも、やはり気持ち悪いからやめた。


家に帰って、一生にその話をした。
バケツいっぱいに黒ゴマを入れて、それを一気にぶちまけた感じ。
その表現で、なんとなくわかったらしい。説明しながらも鳥肌が立った。

ムクドリの大発生を気持ち悪いと感じていたのは、私だけじゃなかったようだ。
今日、マンションの木の上の方が切られていた。

しかし、道路の向こう側に大きな木がある。みんなそこに集合するのだろう。
夜になると鳴き声がさらにうるさくなる。今盛んに鳴いているところだ。
想像しただけで鳥肌が立つ。






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2004年09月13日(月) 息子の成長

先週の土曜日、私達(私-主人&子供達)は別行動だった。
先に二葉の塾の下見に行き、その後家に二葉を送り届け、そのまま主人から駅に送ってもらった。そのため、帰って来てから、家の鍵がないことに気付いた。車の鍵と一緒にキーホルダーにつけているため。

駅に着いて、主人に電話すると、近所のファミレスで待つように言われた。
夜7時半ごろ。そこは、中高校生(女子)のたまり場。

私はストロベリーヨーグルトを飲みながら待っていた。
そこで目にした「従業員大募集」の広告。15歳以上となっている。15歳以上でしかも近所で一生がバイトをできそうなところはなかなか無かった。

家に帰ってからさっそく一生に言ってみた。一生は前々から、包丁研ぎだけではやっていけないので、他のバイトをしたいと言っていたのである。

昨日、「善は急げだよ」とけしかけ、ファミレスに電話させた。
名前や電話番号を聞かれて、今日本格的に面接を受けることになった。
今、一生の髪は伸び放題。お金がないので私が切ろうか、給料が出てから美容院に行かせようか、と迷っていたところだった。一生はそれが気になったらしく、「明日美容院に行く!」と言った。

身だしなみをちゃんとしなくちゃ、と思ったのだろう。親にお金が無いので、「5千円は自分で出すから、後は出してちょうだい」と主人に交渉し、交渉が成立したようだった。

面接の時間は夜7時。証明写真も撮らなければならない。

いつもウダウダとPCに向って起きている息子が、10時にはお風呂に入って寝た!

美容院にも1人で行けない子だった。切ってパーマをかけたいらしい。でも、一緒に行ってちょうだいとは言わなかった。私も1人で行けると思ったので地図を描いてあげた。

そして、今日、1人で美容院に行き、写真を撮り、面接に行った。
小学校6年の後半から中学で不登校だった一生がここまで成長した。知らない人と話をする度にジンマシンを出していた子だ。

私はイタズラ心で、
「面接の時お母さん一緒に行ってあげようか」と言ってみた。

「やめてよ。お母さんが一緒に行った時点で不採用だよ」

「ジョーダンだよ!アホッ!」

一生の学校の休みは、木曜と日曜。それが向こうは、木曜と日曜に働いて欲しいということらしい。断れず、OKしたと言うが、「休みがなくなる」と嘆いていた。

一生は遊ぶお金が欲しくてバイトをするのではない。中学の3年間、学校に行っていないため英語がわからない。今の高校は単位制なので、前期では英語を取らなかった。後期で英語を取る予定だが、今のままでは不安だから塾に行きたいと言う。

でも、私は今働ける状態ではないので、二葉に算数を習わせるだけで精一杯。
そして、私の医療費が家計を圧迫している。
そこで、一生は塾に払う受講料をバイトで稼ごうと言うのだ。

もし、このバイトで採用されなかったとしても、他のバイトの面接を受けることができるようになっただろう。

不登校の子供は、周りとうまくやっていけないとか、いろんなことを言われて来た。でも、この息子の成長ぶりを見てほしい。





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2004年09月09日(木) 子供の心理をわかってくれない

 二葉は二学期の始業式に行くことはできなかったが、最近保健室や研修室に登校している。毎日ではないが、二葉が「行く!」と決めた日にはなるべく連れて行くようにしている。

 しかし、担任や保健室の先生はわかってくれない。「二葉は学校に行く」ということで精一杯なのだ。それなのに、担任は新しい教科書を持って来て(これはまだいい)、「みんなは今これをやっているのよ」とプリントを差出し、今度は上の方の教科書を持って来てね」と言った。それは二学期に入って一日目だった。やっと学校に行ったのに、いきなり勉強の話をしないでほしい。まずは行ったことを喜び誉めて欲しい。

 二回目に行った時、保健室の先生は「お母さんとは離れた方がいいですね」と言い、「お母さんは研修室で待っていて下さい」と言った。30分も経たないうちに二葉が来て、「もう嫌だ!帰りたい!」と言って泣いた。話を聞いてみると、保健室の先生は「毎日絵だけ描いてるの?他の勉強もした方がいいんじゃない?教室に行ってみる?」といろんなことを二葉に問い掛けて来たらしい。二葉はその攻撃に耐えられなくなって、私のところに救いを求めて来た。

 わかっていないな、と思った。

二葉を研修室に残し、私は保健室に行った。
保健の先生は、
「二葉ちゃんはトイレに行きました」
と言った。

「違うんです」
と事情を話した。

保健室の先生はとても自信を持って話をする。
やはり目標を持ってやっていかないとダメですよ、とか、
いつまでもお母さんと一緒では二葉ちゃんのためにもお母さんのためにもならない
とか色んな事を言う。

私は反論した。
「あの子は今、学校に来るだけで精一杯なんです。それにまだ二日目です。
体が大きいので精神面も大人に見られがちです。確かに大人びたところはあります。でも、体は大きくても小学6年生だし、今赤ちゃんがえりをしています。そういう時は、そばにいてあげた方がいいと思います。そのうち自分で離れて行きますから。それも長い時間はかからないと思います。今突き放したら逆効果だと思います。」

「お母さんはこれから3年も4年も二葉ちゃんとくっついているつもりですか?」と先生。

「違います。ですから、今赤ちゃんがえりしているだけなんです。兄も不登校の時期があり、兄もそうでした。でもちゃんと今は自分の足で歩いています。

寄り添う時期、見守る時期、突き放す時期があると思うんです。今は寄り添う時期だと思います。」

先生との話は堂々巡りだった。これ以上話し合っても無駄なので、
「今日は帰ります」と言って、帰った。

唯一救いなのは、教頭先生が理解ある人であると言うこと。
私は家に帰り、さっそく教頭先生に電話した。今日の経緯を話し、先生方に理解してほしいことをお願いした。教頭先生は本当によくわかってくださり、1人でも理解者がいる心強さを感じた。

夜二葉と話し合った。「保健室の先生にあんなことを言われたからって、また行けなくなるのは悔しくない?明日も行ってみようか?」
二葉は行くと言った。そして仲のいい友達に、休み時間に遊びに来てくれるようにメールしていた。

しかし朝になると、「保健室には行きたくない」と泣いた。
私は無理はさせない方がいいと思い、行くのをやめた。

午後になり、二葉に、
「研修室ならどうかな?」と言うと、
「研修室なら行く!」と言う。
今まで朝行かなかった時は午後も夕方も行くとは言わなかったので、大きな進歩だ。私はまた教頭先生に電話し、本人が「保健室に行くのが嫌だと言っている」
ことを告げ、研修室なり、他の部屋を借りられないかと聞いた。教頭先生はすぐに研修室のスケジュールを調べて下さり、今日は空いていますのでいつでもどうぞ」
と言って下さった。

二葉はそれを聞いて安心し、学校に行く準備を始めた。先生は勉強の遅れを気にする。でも、遅れはいつでも取り戻せる。問題なのは心なのだ。先生にいつまでもお絵かきしているの?と言われるのも嫌だろうからと、「勉強してるフリでもしようか?」と漢字ドリルを持たせた。まあ、こんな親である。

教頭先生に挨拶して、研修室に入ろうとすると保健の先生が飛んで来た。
「今日は、ここ初任者研修で使うのよ。保健室に行きましょう」
鬼の首を取ったように言う。

「教頭先生に電話をして、空いているから使っていいということだったんですけど」と言うと、「そうなの?」と怪訝そうな顔をした。
それから研修室に入って来て、

「二葉ちゃん、約束してちょうだい。これから帰る時はちゃんと帰ると言ってから
帰ってね」と強い口調で言った。

二葉は、小さな声で「ハイ」と言ってうなづいた。

保健の先生が出て行った途端、泣き始めた。二葉の気持ちが痛いほどわかった。
昨日のことを言われたのだ。昨日の二葉の心理状態で「帰ります」とは言えなかったのだ。「帰りたい」と私に訴えに来たのだ。

なぜわかってくれないのだろう。不登校の子供の心理を。もっと勉強してもらいたい。

二葉は、「保健室には絶対に行かない!」と言った。
私は職員室に行き、教頭先生に「少しお時間をいただけないでしょうか?」と言って、話す機会を設けてもらった。

色々話をした。子供の言うことを何もかも聞くのがいいことだとは思わない。それでも、保健室に行きなさいと言ったら、二葉は学校に行かなくなるだろう。階段を一段ずつ上るようにステップを踏んで行かせたいと私は自分の考えを述べた。

教頭先生には、
「保健の先生にも考えがあるんでしょうけど、お母さんのやりかたでいいと思いますよ。とにかく今は二葉ちゃんの気持ちが一番です。二葉ちゃんの気持ちを大事にしながら、少しずつ、友達と関わったりして世界を広げていければそれでいいんじゃないでしょうか」と言われた。

そして、
「何かあったら、私が窓口になりますから、なんでも言って下さい」
と言って下さった。そして、二葉が学校に行きたいと言った日は教頭先生に電話して、研修室が空いているかを確認してから登校するという形を取る事になった。

今日は、昼休みに友達が4人来てくれて、楽しそうだった。
外にいる友達にも手を振ったら、そばまで来てくれて、
「ふーちゃん、今日来たんだぁ~。じゃあ、バイバ~イ」と手を振ってくれた。
やっぱり友達っていいなぁと思ったら、涙が出そうになった。

それでもまだまだ理解されない不登校の子供の心。
学校に行きたくないのではない。行きたくても行けないのだ。

一番仲のいい子と一緒に帰りたいというので、「歩いて帰ってね」と言うと、
「え~~っ」とふくれた。しょうがないなぁと思い、「毎日はしないからね」と今日は車で送ることにした。二葉の友達が来るまで、シートを倒して少し眠った。気付いたら、友達が来ていた。今日、研修室に来てくれた友達が4人車を取り囲み「ふたばちゃ~ん」と声をかけてくれた。全くお母さんを知らないのに車でみんなを送るのも誤解されると思い、同じマンションのBちゃん(二葉が一緒に帰りたいと言った子)だけを乗せて帰ることにした。

 クラスの他の友達も手を振ってくれた。
B子ちゃん曰く、

「雅子さま気分だわ!」

ニコニコしながら二人でみんなに手を振っていた。






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2004年09月08日(水) 一日遅れのサンマ記念日

 昨日は私達夫婦の19回目の結婚記念日だった。毎年同じ事を書いているので、ある年の日記から引用する。


結婚記念日にはをサンマ食べると決めている。新婚旅行から帰って最初の日、夕食を何にしようかと考えた。最初だからと気張らずにサンマにした。旬だからと主人はとても喜んでくれた。一回目の結婚記念日・・・。夕食の献立を決める時、結構考えた。豪華な食事を作っても、それが長続きしないのではしょうがない。最初に食べたサンマにしよう、と決めた。そして、我が家のサンマを食べる日が定着した。


 そうやって続けて来たことなのに、昨日はサンマを食べることができなかった。
出かけていて帰って来たら、ものすごい睡魔に襲われた。気持ち悪いほど眠かった。それなのに、少し赤ちゃんがえりした二葉が寝かせてくれなかった。部屋の模様替えをしたいんだけど、どうすればいいかなぁと雑誌を持って来て、一緒に見ようと言う。「お願いだからちょっと寝かせて!」と言っても話し掛けてくる。1時間でも眠れば楽になるのにそれができない。やっと二葉が納得してテレビを見始めたと思ったら、眠いのに眠れなくなった。眠いのに眠れない気持ち悪さが続いた。
そうしているうちにどんどん時間が過ぎた。夕食の仕度をしなきゃと思っても、体が動かない。眠い!だるい!だんだん夕食を作るどころではなくなって来た。

 主人から電話が来たので、それを話すと、ガストのルームサービスを取ったらどうか?と言う。私はどうしても作りたかったが、「しょうがないじゃない」という主人の言葉に甘えた。結局外食することになり、主人の帰りを待った。やっと眠れると思ったが、眠いのに眠れないという変な状態が続いた。そして、やっと眠った頃に主人が帰って来た。15分眠っただろうか?どうしても家族揃って食事をしたかったから、重い体をやっと起して外に出た。

 そして今日こそ、サンマを食べるぞ!の日。でも夕方になると食事を作る気力がなくなって来る。「せめて二葉がお米を研いでくれたらなぁ」と言ったら、二葉がそれをやってくれた。それだけですごく助かる。二葉が他にも手伝ってくれ、一生が大根をすったり、ご飯をよそったりしてくれて、3人でサンマを食べた。

 昨日は主人は早く帰ると言ったが、そんなに毎日早くは帰れない。でも、今日は夕食を外で食べるとしても軽く済ませて、遅くても家で食べてほしいと言っておいた。次の日だけど、サンマを食べてほしいから。
 
 サンマを食べるたびに「あの頃の気持ちを忘れない」と思う。いや、忘れてはいない。

 「ききを幸せにすると言って結婚したのに、まだ幸せにしていない。もっと幸せにしてあげないとなぁ」と主人は言う。私は充分幸せだ。こんなに色んな問題を抱えている私をいつも大きく包んでくれる。主人じゃなかったら、もう結婚して1年も経たないうちに、ポイッと捨てられていたね、きっと。

 昨日の夜、睡眠薬を飲んでも眠れず、寝たのは4時過ぎだった。





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2004年09月03日(金) 病院に5時間

 私はエル(死んだ猫)のことをずっと引きずっていた。写真を見る度に泣いていた。一生に「そんなにいつまでも泣いていると、エルが悲しむよ」と言われた。最近少しだけ、楽になった。エルの写真を見てもすぐには涙が出なくなった。話をすると泣いてしまうけど、エルの死を受け入れることはできた。

日記を書けなかった間にも色んな事があった。大量内服をして胃洗浄。高熱を出して救急外来へ。思い出せないけれど色々。

 水曜日に病院に行く予定が行けなかった。木曜日は寝たのが朝の4時。午前中二葉に「保健室に行く」と起されて、学校へ。不登校中の二葉が自分から学校に行くと言い出したのだから、連れて行かなきゃ。たった一時間だけど、学校に行けただけで充分意味がある。

 そして午後になり、睡魔に襲われる。寝ちゃいけない、病院に行かなきゃという気持ちがあるので、寝るに寝られない。アラームをかけて寝たのに、熟睡もできず起きられず、そして病院にも行けず。

 普段は効いていないと感じている薬なのに、飲まないとかなりつらくなる。
今日は絶対に行くぞ!と決めたのに、起きたのは11時過ぎ。午前の受付時間は過ぎていた。一生も薬をもらっているので、私と一生の薬を持ち帰ることになる。私1人で行ったのでは持たせてくれない。帰る途中で全部飲んでしまうのではないかと、信用されていない。前科があるからしょうがないんだけどね。だから今日は二葉を連れて行った。子供でも先生は私が1人じゃないと2週間分の薬を処方してくれる。

 主治医がいない日なので、どの先生でもよかった。
「今日は薬をもらうだけなので、なるべく早い先生にお願いします」と言ったら、
K先生は人数は少ないんですけど、新患が入っているんです。(新患が入ると時間がかかる)M先生は人数は多いけど新患が入っていないから読めないんですよね」
と看護婦に言われた。本当は先生が3人の予定なのに、1人の先生がお休みのため、かなり混んでいるようだった。私は以前主治医だったM先生でお願いしますと言った。

それが間違いだった。
2時45分に受付をして、待っても待っても順番は来ない。番号札を渡されるので自分がまだということはわかる。でも後何時間、何分待たされるかは全くわからない。そのうち患者はどんどん減って行く。おなかが空いて低血糖になりそうだったので、売店でワッフルを買って食べた。二葉とは、「終わったら、おいしいスパゲッティ屋さんでニョッキを食べようね」と約束していた。「お昼ご飯じゃなくておやつね」と言いながら。

 そして・・・・・私は最後の患者になった。電気まで消された!
1人だったら気が狂いそうになっていたと思う。二葉がいてよかった。二葉がいたからたくさん話をして気が紛れた。やっと診察室に呼ばれて、簡単に症状を話し、診察料を払い、薬を受け取ったら、なんと午後8時!!!
 
 5時間以上もかかるなんて、おかしくなりそう。もうおかしくなっているんだけど。受け取った薬をすぐ飲んだ。変な話しだけど、薬が効いてくるのがわかる。
体も心も楽になるような気がした。

 二葉との約束を守るため、が~っとニョッキを食べ、さ~っと帰って来た。

1人じゃなくてよかった。と、本当に感じた一日でした。でもぐったりです。





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