うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2004年03月30日(火) 水、水、コーヒー、トイレ、水、水、コーヒー、トイレ

 誤解されたショックで、先週の土曜日はまともに歩けなかった。何をどうしたらいいんだろう、と言うよりも、心も体も凍てついた感じがした。

 でも、私は負けない。
ちゃんと立ち直った。私は昨日、二階でデイケアの仕事をした。一階に用事がある時はいつもは降りて行って話すのだが、ほとんどをナースコールで済ませた。きっと時間が解決してくれるだろう。瞬間湯沸し機の先生も、そのうち落ち着くだろうし、同僚だって理解してくれる日が来るだろう。

 「冬のソナタ」は、一年ぐらい前に雑誌で知った。その後書店で単行本を見かけるようになり、ビデオかDVDがレンタルで出回る時期をずっと待っていた。私は韓国映画だとばかり思っていたが、あれは韓国のTVドラマだったのね。近所のレンタルビデオ屋に置かれ始めたが、いつ行っても1が無い。1から見ないと意味がないから借りられない。その話を土曜日に一緒に仕事をしているスタッフに言ったら「私DVD持ってますよ」と言うので、借りる事にした。昨日デイケア室に持って来てくれたので、帰ってからすぐに見始めた。

 ずっと見ていたかったけど、夕食も作らなきゃ、後片付けもしなくちゃ。

 簡単に片付けた後、見始めたら、一生も一緒に見ていた。気付いたら3時で、もう寝なきゃと思うのだけど、続きが見たくて寝られない。元々薬の副作用で喉が渇く。水をペットボトルに入れて、ガブガブ飲んでいた。そのうち、ものすごい睡魔が襲って来た。それでも続きが見たくて、濃いコーヒーを飲み、また見た。水、水、コーヒー、トイレ、水、水、コーヒー、トイレ、の繰り返し。その度に一時停止のボタンを押して、忙しかったこと。

 一生は4時頃寝たが、私は6時まで見ていた。ついに睡魔には勝てずにベッドに倒れこんだ。しかし、今日は受診日なので午前中に病院に行かなければならなかった。今日行かなければもう薬が無い。

 7時のアラームは聞えなかった。気付いたら、主人がいない。主人は私が寝ていても起さない。9時にやっとの思いで起きて病院に行った。立ち直ったと言っても、まだ日が浅いので思い出すとつらい。私がうつ状態の時は先生はあまり嫌なことは言って来ない。

 今「冬のソナタ」に救われている。それを見る間は嫌なことを忘れていられる。全部見終わっても、メイキングを見たり、出演者紹介などがあるから、当分楽しめる。「返すのはゆっくりでいいですよ。私は見終わったから」と言われているので、お言葉に甘えてゆっくり見させてもらおう。←ゆっくり見てないって^^;

 今夜も、水を飲み、コーヒーを飲み、トイレに行き・・・・を繰り返すのだろうか?明日は「お花見」の予定だ。お天気になるといいんだけど。







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2004年03月27日(土) 今やめたら自分の非を認めたことになる

 まあ次から次へと問題が起きるものですね。



 二葉の友達が泊まりに来ると言うので、昨日から大掃除。先日母が来た時に片付けたはずなのに、2日で崩壊してしまいました。今、二人でお風呂に入っています。


 問題とは・・・・

 パート先の先生に誤解された。私が薬や点滴を使い過ぎるということで、点滴も薬も一切出さないと言われてしまったのだ。私は、やましいことは何もしていない。使い過ぎているとも思えない。私より、Y君の方がよっぽど点滴をする回数は多いと思う。私は風邪で熱がある時ぐらいしか点滴はしない。先生は「それが嫌なら、辞めてくれ」と言った。そして「ハイ、終わり!」とピシャリ!弁解の余地も無かった。

 私は注射の中毒でもないし、ドラッグマニアでも無い。
 しかし、外来には戻れないと知った時、私はたくさん注射の液を持ち帰ることをやめた。今は週に2回やっている程度だ。

 最近Rという薬の在庫が合わないらしい。私はその疑いをかけられてしまった。私は悪いことは何もしていない。

 一生が落ち込んで何もできなくなった時、医者をしている兄と相談して、先生から軽い抗うつ剤を出してもらったことがある。そのおかげで一生は気持ちが浮き上がり、勉強をする気にもなった。

 たまたま私が風邪をひいて、先生に点滴と薬を処方してもらい、持ち帰ったのと、一生の薬を頼んだのが重なったからだろうか。私は薬さえも、飲み過ぎていると思われているのだろうか。

 熱を出しても、点滴をして薬をちゃんと飲んで、マスクをして仕事をした。私は休まないでがんばりたかった。でも、そういうことは何も認めてもらえない。やはり、私のことをわかってくれるのは患者さんしかいない。

 主人と話し合い、風邪をひいたら、他の病院に行くことにした。一生のアレルギーの薬も他で出してもらうしかない。お金はかかるけど、先生の決めたことだから言われた通りにしようと思う。弁解しても、理解してもらえるとは思えない。


 何もこんな思いまでして今の病院に居座ることは無いのかもしれない。それでも、今辞めたら自分の非を認めることになる。だから、私は陰口を言われようと、耐えてがんばる。もうずっと前に信用はなくしているんだ。


 職場の同僚に電話した。無くなったのは、薬だけではないらしい。コルセット、お金等々。そういうことが重なったから、先生もピリピリしていたんじゃないかと言われた。そんなの全く知らない話しだ。なぜ、もめごとが多い病院なんだろう。
いずれ辞める時が来るかも知れない。でも、今はやめられない。






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2004年03月26日(金) ステラレネーゼ!

 薬の副作用か、ストレスからか、はたまた栄養不足か・・・舌にブツブツが7個もできてます(T-T)舌にできても口内炎っていうのかなぁ。最近食欲が無い。これはめでたいことだ!痩せる兆しか?(ニンマリ)

 テレビ「学校に行こう!」で、「ステラレネーゼ」という企画がある。部屋を片付けられない女性のところに行って、スタッフが一旦荷物を全部運び出し、必要な物と必要じゃないものに分け、売れるモノは売ってしまうという企画だ。その人達はモノを捨てられない人達だ。

 実は私も「ステラレネーゼ」なんですが、理由が違う。体重の変動が激しいため、洋服はスリーサイズ必要だ。だから、今は入らないスカートも捨てるわけには行かない。痩せるかもしれないし。(無理?)実は今、お出かけ用スカートで入る物が2枚しかない。本当に困っている。でも、デブ期に洋服を買いたくない。そんなことをしていたら、私のクローゼットは洋服でごった返してしまう。それに、太っても大丈夫、という気持ちを持ってはいけない。その安心感が私をデブにする。

 過食症がおさまってから、一ヶ月以上経ったが、体重はほとんど減らなかった。しかし、今日測ってみたら、2キロ減っていた。バンザーイ!

 食欲不振もありがたや~!






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2004年03月24日(水) 山火事?

 明日母が来る。もしかしたら、父も一緒かもしれない。大学病院で一通り治療を受けた父は、少し回復したので、退院し今は姉の家にいる。

 母は私のことを心配して来てくれるんだけど・・・それは本当にありがたいんだけど結構大変なんです。

 昔は自分の身内でも、汚いところにあがってもらうのは嫌で、必死にお掃除していた。でも、それもできなくなってしまい、あきれ果てた母や姉が片付けるというパターンだったのだ。(ステラレネーゼ?)母が家事をするために来てくれるのに、私はなぜがんばってお掃除しているのだろう。先週からのハードな生活で、ヘロヘロなんだよ。それでも私の体は止まらない。でも、半分も片付いておらず、疲れたので、明日の午前中お掃除する事にした。

 たまに出かけた時、「あ~家に帰ると、山盛りの家事が待っている!」と言うと、一生に「山家事ね」と言われる。そうです。まだまだ山家事がたくさんある。日記を書いている場合ではな~い!
 
 身体が壊れそうだよ~~。






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2004年03月23日(火) 久しぶりに会う人に言われる言葉

 最近「寺島しのぶに似ている」と言われて、、ムッとしているききでございます。 たとえ女優似ていると言われても、うれしくない場合があるんですよねぇ。


まあ、それは置いといて・・・今日は、ピンチヒッターでお休みの人の代わりに午後仕事に出た。そこで、以前から知っている患者に会った。

「お久しぶり~」の後は、お決まりの・・・






「太ったねぇ!」




私気にしているんですよ。だから言わないで下さい、とお願いしたい。

食べ過ぎと過食症は明らかに違います。12月頃、ストレスで15キロ太りました。それから3キロ痩せたのですが、あと12キロ痩せる予定です。過食症は今のところ出ていません。夕食を食べた後は、必ずすぐに歯磨きをして、9時以降は食べないようにしています。



絶対に痩せて見せるぜ!今に見ていろ!



「太った!」なんて言わせねぇ!






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2004年03月21日(日) どうしても会いたい先生

 高校3年の時の担任Y先生が退職する。女性だが校長をしていた。(今は女性の校長は珍しくないのかもしれない)内緒でパーティーを計画しているというのは聞いていた。兄が同じ高校で教師をしているので、「くれぐれもお兄さんに話さないように」と口止めをされていた。
 
 最初は話を聞いていても行くつもりはなかった。だけど、急に行きたくなった。「行く!」と決めたら、先生に会いたくてたまらなくなった。担当は体育で、女性らしいところは見た記憶が無い(笑)でも、高校では一番印象に残っている先生である。結構真面目だった私も、パーマをかけたり、髪を脱色していたりした。頭髪検査というのがあっても、みんな見逃してくれた。

 パーティーは密かに計画されていた。それに関わった人達は準備が大変だっただろう。高校は青森だったので、もちろん会場は青森。私にとってはちょっとした旅行だ。主人は許してくれたが、主治医に話したらすぐに賛成はしなかった。「くれぐれも、青森の救急病院に運ばれないように」と言われた。
 
 多少無理してでも、先生に会いたかった。そしてその他の友人達にも。ほとんどが25年ぶりである。アメリカに住んでいるS君が計画し、準備はKさんが進めた。S君もKさんもすごい。埼玉に住んでいる私には思いつかない事だった。


 そして、25年ぶりの再会!

「どうしても先生に会いたくて、来ちゃいました」
と言うと、
「遠くからよく来てくれたの~↑」と先生は涙ぐんだ。
私も、涙目になった。

 色んな思い出が走馬灯のように蘇る。

 私は2年の時に、八戸から青森に転校した。その時、あることをしでかして、担任でもないY先生に怒鳴られて立たされた。
それが、先生と交わした最初の会話だった。
「それが忘れられない」と言ったら、
「忘れて下さい」と先生は笑っていた。

本当に、行ってよかった。
自分では体のことが心配だった。みんなの前で具合が悪くなったらどうしようという不安もあった。それでも、行った甲斐があった。懐かしい顔ぶれを見ると、18歳に戻ったような気がした。


 それと、学生の時、私のアパートに2回遊びに来てくれた、K・K君。あなたは私のことを好きだったんでしょうか?私はかなり鈍感だったので、好きなら好きと言ってくれないとわかりませ~ん。隣りに座っていたので聞きたかったけど、聞けませんでした。残念!(笑)

 一週間ハードな日々だった。明日、明後日と仕事が入っている。身体はかなり辛いです。でも楽しい事があったので、仕事が嫌だとは思わない。明日もがんばります。


 S君、Kさん、感謝してます。







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追記
一生は、高校の説明会の後、中学に行き卒業証書を受け取りました。教頭先生、学年主任、担任、相談室の先生が立ち会って下さった。これで、本当の意味で卒業しました。

 



2004年03月16日(火) 卒業証書を取りに行けなかった

 一生が卒業式に出る事ができないのはわかっていた。校長室で個人的に受け取るということにしていた。

 今日は午前中が受診(私と一生)、午後3時から中学校に行く予定だった。しかし、一生は2時ごろから急に「行きたくない。行けない」と言い出し、精神状態がおかしくなった。ここは無理をせず、「行かなくてもいいよ」と言って、寝かせることにした。

 学校に連絡し、少し時間を遅らせてもらい、それで本人が行けそうだったら、連れて行くし、ダメなら主人と私で取りに行くことにした。

 でも・・・せっかくの卒業証書である。できれば、本人に取りに行って欲しい。担任にも、校長先生にも挨拶をしたい。ここは堅苦しく考えず、担任と相談したうえで、近いうちに取りに行けたら行くということにした。

 明日は高校の説明会。果たしてこれも行けるかどうか。

 私は、かなり調子が悪かったので、主人が今日会社を休んでくれた。それだけで、重圧が半分以下に減った気がする。本当は仕事の方が大事に決まっている。でも、今日は1人でいろんなプレッシャーに耐える事ができなかった。


 卒業証書を受け取れなくても、卒業式の日である。散らし寿司を作ってお祝いした。
 





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2004年03月15日(月) 自分が働く意味

 職場に復帰する時に外来に戻れないと知ってショックだった。デイケアは、看護師1人と、もう1人は資格がない、二人でやっている。自分の中で、資格がなくてもできる仕事だという観念があったのかもしれない。自分でも気付かないプライドが許せなかったのかもしれない。でも当時はそんな風には思ったつもりはなかった。今までいた場所(外来)に戻りたいと思っていたが、少しずつ自分の気持ちが変わって来た。

 仕事に復帰して2ヶ月以上が過ぎた。今でも朝は辛い。起きるだけで精一杯。風邪をひいているので、マスクをするというのが助けになっている。マスクをするならお化粧をしなくても済む。時間が短縮できる。


 患者さんが少しずつ私に声をかけてくるようになった。入院患者さんも、私が行くことを心待ちにしてくれるようになった。
「『Kさんいつ来るの?』って何度も他の看護婦さんに聞いたのよ」とスローリー小林さん。

 外来で見かけると、さだじいにも声をかける。他の患者からも声をかけられる。そこで会話はできる。

 結局私は、先生の介助や医療をしたいのではなく、看護をしたいのだということがよくわかった。朝が辛いだけで、デイケアの仕事が楽しくなった。私は直接患者に接することが好きだと気付いた。爪を伸ばす事はできないけど、患者の世話をする事が楽しい。たとえ「おもらし」をした患者がいたとしても、それを着替えさせることなんか、全然嫌なことではない。嫌な人は看護師になっていないだろう。

 「デイケアをやってくれ」と言われた時には「左遷」させられた気分だった。窓際族ってこんな気持ちなのかなと思った。

 でも、それは先生の配慮であり、自分にも向いていることがわかった。こうしてがんばっていれば、外来の仕事ができる時がいつか来るかもしれない。


 明日は一生の卒業式。色んな意味で私も一生も学んだことが多かった。

 ここ数日、心身ともに調子が悪い。それなのに、今週はハードスケジュールだ。なんとか、乗り切りたいと思っている。







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2004年03月14日(日) お笑い芸人一家

 一生は、一見おとなしそうで神経質に見られますが、神経質な人間ではありません。確かに、飛行機を作ったり、割り箸デッポウを作ったりする時は、正確に図面を描いたりしていますが、おもしろいところをたくさん持った人間です。

 一生とは毎日漫才をしています。別に漫才をしようと思っているわけじゃないのに、自然に話がそうなって行くのです。ジョーダンの通じない娘はそれをシラーとした目で見ていました。しかし、学校に行かなくなってから、元々天真爛漫だった娘はさらに明るくなりました。ストレスから開放されたのでしょう。そのせいか、今度は娘とも漫才が始まりました。

 河口恭吾の「桜」のマネを二人でします。

「僕がそばにいるよ~♪」の後、彼は必ず左に傾きます。それを、マネるのですが、ワンフレーズごとにマイクを変えます。テレビのリモコンやバナナなんかはまだまともな方で、というか、その辺にある物をマイク替わりにするのに、どっちがより変なものでやるかで、相手を笑わせるというのが目的です。リビングには色んなものが散乱しているので、それはそれは楽しいマイクが登場します。ウクレレだったり、ザルだったり、猫だったり。

 私は何年か前から子供をあまり叱らなくなりました。

「最近の親は子供を叱らない」という言葉をよく耳にします。確かに、ダメなことはダメだと教えるのが親です。それは、ちゃんとしているつもりですが、「叱る」=「怒る」ではないと私は考えています。それに、叱るのにはエネルギーが必要です。私にはもうそんなエネルギーはなくなりました。

 毎日子供達と楽しく過ごしています。二葉が学校に行かなくなってから、一生と接する機会が多くなったせいか、二人が仲良くなったような気がします。算数は一生が教えているし、ゲームも一生に教えてもらってやったりしています。
 
 「今学期は絶対に行かない」宣言をした二葉ですが、私は本人の意志を尊重したいと思っています。
 
 一生の卒業式は16日です。学生服は、シオ君に貸しました。一年生の時に買ったものが小さくなってしまったようです。「あげるのではなく、貸すのだ」と一生は言います。ほとんど着ることのなかった学生服ですが、記念に取っておきたいのだそうです。
 
 16日の卒業式も、全体の式には出ません。校長室でもらうことに決めました。
そして、学生服は着ないと主張しました。優柔不断そうに見えていて、しっかりと自己主張するようになりました。

 つらいことも多いけれど、楽しい事も多い我が家です。


 そーだ。二葉はうどん作りに飽きて、ひき肉を入れたワンタンを作ってました。
レシピなんか、無視です。「テキトーに作るから楽しいんでしょ?」と、またまた粘土感覚。一生も私も食べたけど、これもまたおいしかったです。








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2004年03月12日(金) やはり食べていた!

 昨日は春を実感する心地良い天気で、気分もよかったのに、油断をしていたら風邪をひいてしまった。体がだるい。でも、カウンセリングを受ける一生を、病院に連れて行かなければならなかった。

 一生は昼夜逆転中。昨夜の11時から起きていて、午後2時半頃は一番眠い時間だったらしい。カウンセリングは3時から。

「とにかく3時までは寝ないで」と言い聞かせ、待合室でコーヒーを飲みながら順番を待っていた。

 一生が呼ばれてからは、本を読んでいた。

 カウンセリングが終わってから、
「あっ。二葉の前に食べ物置いてくるんじゃなかったなぁ。(パンが置いてあった)あれ以上食べたら、本当にまずいよ。(学校に行っていないのにたくさん食べるものだから確実に太ってきている)でも、二葉のことだから隠しておいても探して食べちゃうよね」などと一生と話しながら帰って来た。

 家に着いた途端、一生が、

「やっぱり・・・」

二葉はうどんを食べていた。


お昼にうどんを食べたので、茹でたものはもうないはず。

「二葉、自分で茹でて食べたんだ?」と聞いたら、

「うん、作った」

と言う。深く考えなかった。


よく聞いたら、粉からこねて作ったのだと言う。


手打ち?


「すごいねぇ。手打ちうどんだ!」と言うと、

「うん。粘土感覚で楽しかったよ」と言う。

「どうやって作り方覚えたの?」

「テレビでやってたから」

少し食べてみた。お世辞じゃなく本当においしい。コシがあって、太さが違うところが、いかにも手打ちと言う感じで味わいがあった。


「もう一回作りたいな」
と二葉。

「でも、ご飯炊いちゃったよ」と言うと、
「おなか空いた時のために、作っておく」と、またうどんをこね始めた。

手つきもなかなかいい。さすが、どろんこ遊びや粘土で鍛えただけある。


夕食は、ご飯のほかに少しずつうどんも食べた。二度目の方がもっと上手にできていた。

「パパにも食べさせたいね」と、容器に入れて冷蔵庫にしまった。

 私は蕎麦もうどんも打った事がない。やりたいなぁと思っても、作り方は?なんて考えてしまうから簡単にはできない。それを粘土遊びと同じように、さっさとやってしまうところが二葉らしい。


 風邪をひいて、夕食を作るのはおっくうだったが、二葉から元気をもらった。
二葉が手伝ってくれたので、時間も短縮できた。

二人目の不登校娘もちゃんと人生勉強をしている。






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2004年03月10日(水) 合格しました!

 一生の合格発表は、5日だった。すぐにでも日記に書きたかったが、体調が悪くPCに向うことができなかった。

 一生はただ一校受けた公立の高校に合格しました。

 県内の公立高校の平均倍率が、1,28倍なのに、一生の受けた高校は1,9倍(去年は1,5倍)と聞いて、ダメかもしれない、というかダメだと思っていた。
もちろん本人には倍率のことは教えなかった。

 ダメだと思うとは言わなかったが、本人は受かるつもりでいた。本気で勉強をし始めたのが、一ヶ月前なのに、最後の一週間は逃避からか、ウクレレばかり弾いていた。受験生らしい姿を見たのは、試験の前日のみ。

 受験日の週はとてもめまぐるしかった。二葉は学校に行かなくなり、そのことで先生と話をしたり、二葉と話し合ったり。
 
 一生のことでは、薬の副作用で喉が渇くから試験の最中に水を飲んでいいかを高校に電話して聞いてみた。それも、もっと早く確認するべきだったのだが、なんでも後手後手になってしまう。気付いて電話したのが、三日前、まず高校に電話をしたら、中学の校長先生を通して、高校に許可を取ってもらいたいと言われ、今度は中学に電話をした。担任にお願いしたら、
一時間後ぐらいに電話が来て、「いいそうです」と言われたのも束の間。また電話がかかって来て、書類に配慮して欲しいことを書き、文書で提出しなければいけないと言われた。「これから伺いますので、書類を書いてもらえますか?」と言われ、電話を切って、みんなで和室を片付けた。(物を隠しただけ)
先生は書類を取り出し、「何枚もありますから、下書きのつもりで書いて下さい」
と言われたが、さささ~と書いて渡したら、「すごいですねぇ」なんて言われてしまった。いやいや私のことではなく、一生の問題です。それを翌日校長先生が直々に高校に持って行ってくださったというので、とても感謝した。そして、電話がかかって来て、OKが出たことを知らされた。
 試験の前日は、一生の好きな豚の生姜焼き、(ステーキのような厚いお肉を使う)ポテトサラダ、なめことお豆腐のお味噌汁を作った。

 受験当日は1人で行かせようと思ったが、試験は別室で行うということで、その旨を伝えなければならない。自分の嫌なことなどがあると、全身にジンマシンを出し、座り込んでしまう子である。肝心な日にそんなことがあったらかわいそうだと思い、ついて行く事にした。そして、係りの先生に伝え、そこで私は家に帰った。
帰って来たので「どうだった」と聞いたら、「わかんなーい」と一言。「それだけ?」と聞くと、数学はなんとかなったと思う。理科は習っていなくても、本で読んだことや、今ある知識で書けることもあった。英語は文章を書くところ以外はとりあえず埋めた。社会はなんとなく書いた」だそうです。

 そして私は、その日に39,7度の熱を出した。翌日の面接は1人で行かせた。
帰って来た一生の表情はとても明るかった。
「どうしてこの高校を選んだのですか?」という質問には「数学が好きだから、数学をたくさん勉強したいと思って受けました」と答えたらしい。その他基本的なことを聞かれ、最後に「後何か言いたいことありますか?」と聞かれ「割り箸デッポウを作るのが得意です」と言ったと言う。そこで説明するのがとても楽しくて、先生にも色々聞かれ、「面接が一番楽しかった」と満足そう。一生のあんなに嬉しそうな笑顔を見るのは久しぶりだったような気がする。

 ダメかもしれないと親は内心思っているのに、本人はあっけらかんとしており、これで落ちたら、また気持ちが急降下するのかなぁと思うと憂鬱になりそうだった。が、元々単位制と通信制がある高校なので、落ちたら通信制にして来年また受ければいい。本人に言うというよりも、自分に言い聞かせていた。


 合格発表は主人と息子と私の3人で見に行った。主人が真っ先に見つけ、
「あった!」と叫んだ。私もこの目でしっかり見た。涙は出なかったが、本当にうれしかった。一生も、ホッとした様子だった。


 一生の受けた高校はレベルが高いから、倍率が高くなっているのではない。不登校や何らかの関係で学校に行けない子が受ける場合が多いので、そういう受容が高まっているのだと思う。


 試験に受かったからと言っても、我が家にはまだ問題がある。二葉は「今学期はもう学校に行かない!」と宣言した。いくら話し合ってもダメだった。同じクラスの子がいるからと言って、塾もやめた。でも、ガンとして殻に閉じこもっている子を無理やり学校に連れて行くことはできない。それでも、一生のような思いだけはさせたくない。新学期からでも行けることを祈っている。

 息子も今も精神的に不安定で、睡眠のリズムは狂いっぱなしだ。学校に行き始めれば、少しずつ直るよと言っても、ダメだ、ダメだを繰り返すばかり。

 そして私ときたら、3週続けて、9度5分以上の熱を出している。それに熱の上がり始めの関節の痛みが半端じゃない。病院に行くべきだと思うのだが、入院して下さいと言われそうで、行っていない。


 難問は色々あるけれど、まずは一生が合格したのでホッとひといきというところだ。






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