うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2003年12月31日(水) 御徒町凧って誰?

 「ずっと気になっていたことがあるんですけど」

って言ったら、


 「じゃあ、ずっと気にしていて下さい」って

三谷幸喜さんに言われそうですが、


森山直太郎の作詞?の部分に「御徒町凧」って書いてあるのが、気になってしょうがないんです。わからないまま、年を越してしまうことになります。誰か知りませんか?御徒町凧って誰?

 今年はいい歌がたくさんあったような気がします。娘と二人で紅白を堪能してます。

 コタツにみかんに猫に紅白・・・素敵な夜を過ごしています。


みなさま、よいお年をお迎え下さい。







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2003年12月29日(月) ハンカチとパンツを間違えるヤツ

 昨日、久しぶりに主人と息子のゴルフのレッスンを見学した。

 主人は、あんなに体が大きいのに、小さい球を打っているのが、笑える。それに、打ち方がオチャメ。息子は半年前に比べてフォームがきれいになっていた。

寒い中、温かい缶コーヒーをホッカイロ替わりにして、見ていた。


突然主人が帽子の中から何かを取り出し、


「バッグに入れて!」と言う。

「なあに?」

と言うと、
「ハンカチと間違えちゃった」と。


バッグをのぞいて見てみると、それは私のパンツ!

「なんで間違えるの?」

と言うと、

「青いハンカチだと思ったんだもん」

という主人。

「汗を拭こうとしてポケットから出したらこゆきのパンツなんだもん、ビックリしたよぉ」


洗濯は洗濯機がしてくれる。やっと干してもたためずに、部屋にバラバラと置いていた私も悪いけど・・・・・




いくら色が似ているからって、なんでハンカチとパンツを間違えるかなぁ。


「しかも、ハッと気付いた時、普通ポケットに戻すものじゃないかな?なんで、帽子の中に入れるの?」

そう聞いたら、
「だってあわてちゃったからそんなの頭に浮かばないよ」


パンツとハンカチ・・・・

青以外に共通点はないんですが。( ̄^ ̄;)







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2003年12月28日(日) どっぷりとうつ状態

 どっぷりとうつ状態にハマってます。
「うつ状態」と言うと、暗くなるとか、無口になるとか、そういうことを想像する人が多いようですが、そうではありません。何もしたくないのです。と言いつつ、日記は書いてます^^;
 
 自分がやりたいことだけに体が動く・・・だから「怠け病」と思われてしまうのでしょう。それよりひどくなると、ベッドから抜け出せなくなります。身体を起しているのが辛くなります。


 ベッドかコタツにもぐる生活をしていたのに、カラオケのお誘いにはホイホイ出かけた私でございました。


 毎日カラオケに誘って下さい。







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2003年12月27日(土) 卒業アルバム 一生の自己主張

 金曜日、卒業アルバムの写真を撮りに行って来た。そのためにあらかじめ受診し、精神安定剤を処方してもらった。

 精神安定剤を飲ませ、学校へ。

 相談室で撮る事に決めていた。

写真屋さん「あの~学生服は?」

私    「本人の希望で私服で撮りたいということですので」


写真屋さん「あ、そうですか。じゃ、ここの椅子に座って下さい」


写真屋さん「ハイ、笑って~。ああ、笑ってないなぁ。笑ってごらん」


一生は笑わない。表情が硬い。無理も無いなぁと思う。


何枚か写真を撮って、無事に卒業アルバムの写真を撮り終えた。

「卒業アルバムは8千円もするから、写真撮らないで買わなきゃいいよ」
と主人は言っていたのだが、本人が写真を撮りたいと言うのだから、撮らないわけにもいかない。私としては、本人の希望を優先させたい。


 写真を撮り終えた途端、一生が急いで部屋に入り、椅子に座った。ジンマシンが出たのだ。嫌なことがあると、途端にジンマシンが出る。体中に出るので、かなりつらいらしい。

「もうちょっと笑えばよかったのに。やっぱりオガショーに来てもらえばよかったね」と言ったら、

「あのね、笑ったら、中学生活が楽しかったっていうことになるでしょ?だから笑えないよ」と一生は答えた。



「学生服を着ないこと」と言い、「笑わないこと」と言い、一生なりの自己主張なんだと思い、我が子は確実に成長していることを感じた母でした。







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2003年12月25日(木) ピアスホール

 ピアスホールを開けた。・・・・・と言っても私ではない。ピアスホールを開けたのは娘だ。私は10年ぐらい前に開けている。

 小5の娘がピアスを開けたいと言ったのは半年ぐらい前。
「やっぱり女の子なんだなぁ。おしゃれにも人一倍興味あるしね」と思い、私は反対はしなかった。

普通の親は反対するんでしょうね。

小学生でピアスなんて早すぎる!って。


「開ける時痛い?」

と聞かれ、

「すごく痛い!」と答えた。私は開ける時よりも、その後が痛くて、鎮痛剤を飲んだほどだった。

母は60歳を過ぎてから、私より先にピアスホールを開けた。


負けた~!と思った私は、母に触発されるようにすぐに開けた。


今日、二葉と二人でピアッサー(ピアスを開ける器具)を買って来た。私が開けたのだけど、そんなに強い痛みではなかったようだ。


冬休みがチャンスということで、今日決行したのだが、説明書に一ヶ月はピアスを取らないで下さいと書いてあった。私が開けた時は確か二週間だったはず。

今の小学生はホントおしゃれなんだねぇ。







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2003年12月23日(火) 大晦日は、コタツにみかんに猫に紅白でしょう

 クリスマスの前に大晦日のことを考えています。




 前からコタツが欲しいと言っていた。うつ状態がひどくなると、寒くてたまらなくなる。以前コタツはあったのだけど、使わないと思って捨ててしまった。捨てなければよかった、と後悔してもしょうがない。

 私はこのところ、うつ状態がひどくなって、動きたくない病にかかっている。
アリ地獄に落ちて行くような気分だ。

 食事は主人がいる時は、ほとんど「鍋」。主人は鍋しかできない。・・・というか、お鍋の買い物から全てをしてくれるだけでもありがたい。

 昨日までは「当分日記も書けないだろうなぁ」と思っていたのだが・・・・。



 主人がコタツを買って来た。コタツは欲しいけど、使わなくなった時の置き場に困る。ホットカーペットをつけた上のテーブルにコタツ布団をかぶせるだけでいいから、天板が欲しかった。しかし、主人が言うにはコタツより、天板の方が高かったというのである。しかも買ってきたコタツは4980円で、小さ目の正方形。

「長方形のが欲しかったなぁ」と言ったら、


「何度も電話したんだよ」と主人。


私は薬を飲んで爆睡していたので、携帯の音に全く気付かなかった。


でも、コタツはうれしい。
子供達も掃除機をかけたり、物を片付けたりして手伝ってくれた。

今日はコタツで鍋を囲んだ。最高の気分!


そして大晦日は、コタツにみかんに猫に紅白という・・・・日本の冬を味わう。






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2003年12月21日(日) 方向オンチにも方向オンチの良さがある

 私は自他共に認める、スーパーウルトラ級の超超超方向オンチです。

ここに引っ越して来た時には買い物に出かけては家に帰れなくなって、主人に電話してました。

先日の忘年会で二次会の帰り、家まで歩いて10分だからと、高をくくり歩き始めました。線路沿いに歩いて行くと、マンションが見えてくるはず。大きなマンションなので、迷うはずがありません。しかし、線路沿いの道は途中で途切れていて、しょうがないので右に曲がっては、線路に平行に歩いたつもりでした。それでもマンションは14階建てだから見えるはずです。


そう思って歩いても歩いてもマンションが見えて来ません。時計を見たら、30分以上歩いています。おかしいと思い、主人に電話しました。

主人「今どこ?」

私 「わかんない・・・」

主人「電柱に住所が書いてあるでしょ?」


私 「え~っと・・・○○2-1」

主人「わかった。迎えに行くからそこから動かないで待ってて」


10分も経たないうちに主人が迎えに来てくれました。


そして一言目、



「なんでこんなところにいるわけ?」



「なんでって言ったって、線路沿いに歩いたらマンションに着くと思ったんだもん」


「だけど、方向が全然違うよ」


「・・・・・」


家に帰って主人が地図を描いてくれました。
私が線路と思っていた場所は、全く別の方向で、なぜ勘違いしたのかわかりません。しかも、他の路線は走っていません。

やはり、方向オンチは所詮方向オンチなのです。


でも、落ち込んではいません。

父が転院して、母が姉の家に行くことになり、姉の家に1人で運転して行きたいと言った時、私は地図を描いてあげました。それは方向オンチの人による、方向オンチの人のための地図です。母は私を上回る方向オンチです。何しろ、場所を覚えるのに、選挙の看板で覚えたりする人です。選挙が終わったら、看板は無くなるでしょ?


その地図を主人に見せたら、

「方向がめちゃくちゃだなぁ。青森に向うのに、博多に向うように描いてるようなものだよ」

と言われてしまいました。


でも、方向オンチにしかわからない、地図の描き方というのがあるのです。方向オンチの人は、右折したり左折したりすると、地図を回します。だから、回した方向で読めるように字も書いてあります。母に言われました。「すごくわかりやすい。こういう地図は売っていないからね」と。


その後、母は姉の家に1人で行けるようになり、ここにも来られるようになりました。

「あの地図、すごく役立ってるよ」
と言われました。


方向オンチにも方向オンチなりの良さがあるのさ。ふんっ!






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2003年12月19日(金) エルモのスリッパ

 急にエルモのスリッパが欲しくなった。券などを集めて何かに取り替えるということをほとんどしない私ですが、寒くなったせいか、すごーーーーー欲しくなったのです。エルモのスリッパというのは、ミスタードーナツの券を十枚集めて景品と取り替えるというものの一つで、11月にドーナツを買った時は、何も欲しくないと思っていた。


だけど、急に「エルモのスリッパが欲しい~!!!」とわめき、病院の帰りにミスドに寄った。すると、エルモのスリッパだけが無い!

「あの~エルモのスリッパは無いんですか?」

と聞くと、

「ハイ、もう無いんですよ」

と店員さん。

しょうがないので、ドーナツをいくつか買って帰った。
家に帰って、一生とドーナツを食べていたら、二葉が帰って来た。


「ねぇ二葉、ミスド行きたいんだけど付き合わない?」
と聞くと、
「いいけど、バン子も一緒でいい?」
と友達の名前を挙げる。

そして、三人で別のミスドに向った。やはり、エルモのスリッパだけが無い。
もう一軒場所は知っているが、もうあきらめようと思い、二葉と友達にドーナツを
選ばせた。私もしっかりと、2個頼んだ。




帰りに、景品が並んでいるところの張り紙が目に付いた。

「エルモのスリッパに針が刺さっていたということで、全面的に廃止いたしました。ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
という内容である。




なぜ、最初のお店でそう言ってくれなかったのかなぁ。その店員は知らなかったのかな?

友人にメールしたら、

「そういえば、新聞に載っていたよ」

と・・・。私、見てませんでしたーー;

針が入っていてもエルモのスリッパが欲しいよ~!!!


買った方がいいのかーー;



私はドーナツ腹で、夕食はお茶漬け。





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2003年12月18日(木) 給食を食べてくれよ

 昨日病院に行って薬の調整をしてもらったのですが、すぐに効果が出るわけではありません。精神的には落ち着いているのに、動くのが嫌で、ベッドに寝たまま。

子供に、

「水を持ってまいれ!」

と命令します。

しかも、今日は二葉まで休んでるし。(一応風邪ということなんだけど)

子供が学校を休んだ時、何が嫌かって、お昼ご飯を作らなきゃいけないことです。

「本当なら君達は給食を食べているんだぞ!」と言いたくなります。





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2003年12月16日(火) 私がオヤジとジルバを踊った理由

 入院中に、ジルバを踊ってました。しかも毎日のように。

 入院患者の中に、一見ヤクザ風のオヤジがいました。笑うと、歯が一本しかないので、かわいい顔に見えます。しかも、サルに似ています。

 そのオヤジが、看護学生相手に「ジルバを踊ろう!」としつこく言い寄っているんです。そのオヤジは見た目は怖いので、看護学生たちは引きつった笑いを浮かべ、(勘弁してよ~)という表情をしていました。16~17歳の純粋なナースの卵です。そんなオヤジとジルバを踊るなんてかわいそう・・・・そう思った私は、


「私が踊るよ」

と言っちゃったんです。もちろんジルバなんて踊れません。

「教えてやるから」

という言葉に乗せられて、まず両手をつなぎました。


「真赤なバラと真赤なハイヒール~♪」

オヤジは歌います。

 「ハイ、ここでクルクル回る。次は逆にクルクル回る」

とオヤジは教えてくれます。


「結構いい線いってるよ。筋がいい」

なんてオヤジに言われても、あんまりうれしくないのですが・・・・。


その日以来、毎日・・・・


「こゆきちゃん、ジルバを踊ろう!」と言うのです。

どうせ踊るなら、回った時にスカートがふわ~となった方がいい、と思い、
「着替えてくるね」←結構楽しんでるやん。

着替えてから、ふと見るとオヤジはパジャマですーー;

ジルバと言っても、オヤジが教えてくれたその一曲だけです。一日に三回ぐらい踊ることもあります。


みんなに、

「よく付き合えるよね~」と感心されてました。

だけど、このジルバがいい運動になるんです。看護学生を守るため、そして痩せたいために踊ったジルバでした。

そのオヤジは、顔は怖いけどいいヤツでした。





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2003年12月04日(木) 私が傷を隠さない理由

受診の時、先生に唐突にこう言われた。

「君はなぜ傷を隠さないんですか?」

「・・・・・」

「リストバンドで隠すとか、暑くても薄手の長袖を着ている人がいるけど」

私はリストカットの傷を隠さない。リストバンドをすると、締め付けられるようで痛く感じるせいもあるけれど、それが理由ではない。

今まで生きてきて、色んな手術を受けて来た。見えないところにも、見えるところにも傷はある。その傷も、リストカットの傷も私が生きていた証である。

そして、自分への戒めのためにも、私は傷を隠さない。



追記
数日前から食欲が無くなった。拒食で痩せるのだけは嫌だと思ってちゃんと食べて来たんだけどな。またうつ状態に逆戻り。波があるのさ、波が。また上昇気流に乗れる日が来るだろう。






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2003年12月01日(月) +15-4+5+?-7=???

 入院する前に過食症で15キロ太った。単なる食べ過ぎではなく、明らかに過食症。たくさん食べると気持ち悪くなるので、口に指を突っ込んで吐く。そして楽になるとまた食べてしまう。何度も吐いていると手の骨の部分に吐きダコができる。
 
 病院食は粗食なので痩せるチャンスと思い、朝はきちんと食べ、昼は少し残し、夜は軽めにしたら、4キロ痩せた。それなのに、三日間家に外泊したらまた過食になり5キロ増えた。その後、ヘルスメーターに乗るのが嫌になった。
 
 精神科を退院した時の私は風船のようだったと、主人にも母にも言われる。
姉からは「腫れてる」と言われていた。内科では4日間の絶食があっても、おなかが空いたとは感じなかった。全身の痛みの方が強くてそれどころではなかったからかもしれない。

 内科を退院した時、恐る恐るヘルスメーターに乗った。入院時とほとんど同じだった。それからは、朝はしっかりと食べ、昼はご飯は少なめ、納豆やキノコ、野菜をふんだんに食べた。そして夜は野菜以外は少なめにしたら、二週間で7キロ痩せた。

 この3~4日食欲が無く、ほとんど食べられなかったが、体重は毎日200gぐらいのペースで減っているだけだ。無理なダイエットはしないつもりだ。拒食症で痩せるのだけは嫌だ。リバウンドしないように気をつけようと思っている。

 しかし・・・・肉の増減が激しい身体だ。






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