うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2003年03月31日(月) 息子の友達が寝室に入ってくる

左手はやっと鎮痛剤を飲まなくても我慢できる痛さになって来た。
指の痺れは取れたが、手首の痺れは取れない。

リストカットをする人間の心理状態を理解できる人間は少ないと思う。
私にすらわからないのだから。

でも、私がリストカットをすることで、傷つく人間がいることは私にもわかる。





息子の友人、この日記でも有名なオガショーから電話が来た。

「ソンヨル起きてますか?」

オガショーは息子のことをソンヨルと呼ぶ。

「まだ起きてないから起しに来て」と言って電話を切った。

オガショーが来たのは、2時ごろだった。一生の塾は4時半から。
一生を起している声が聞えていた。

私はまだベッドの中でうだうだしていた。

今日は受診日だったのだが、どうしても行きたくなかった。体がつらいだけでなく、先生に左手のことを見破られそうで嫌だった。先生に電話して、今までと同じ薬を出して欲しいと言い、母が父のお見舞いに行く時に取ってきてもらった。

そこまではいい。


私はベッドの中にいるのだ。


リビングと寝室は隣り合わせにあり、ドアが開いていた。

そのうち、一生が塾に行く時間になり、
「行って来ま~す」と言って、行っちゃった。

オガショーを置いていくなよ。

オガショーは話し好きなので、帰らない。
家に帰るのが嫌だと言い、私に色々話し掛けてくる。

たとえば、
「どうしてまだ寝ているの?」
とか。
余計なお世話だ。

「帰れよ」と言いたいが、言えない。

オガショーと一生の精神年齢の差は大きい。決して間違いは起こらないと思うけど(自爆)友達のお母さんが寝ている部屋に入ってくるのは遠慮するべきだと思うんだけどなぁ。人に教えられなきゃわからないことでしょうか。

どうってことない話を一時間もして、

「さて、帰ろうっと」と言って家に帰って行った。


なんで起きないの?と言われても、私はパジャマなんだよ。
オガショーがいると着替えられないし・・・。


5時半頃になってやっとベッドから抜け出した。一生の3月分の塾の授業料を払っていなかったから、銀行に行ってその足で塾に向った。

塾の責任者の、こけもも似のT先生が、
「彼は頭がいいですね。着々と進んでいますよ。途中でボーッとして来たら、休憩を入れたり、外に連れ出してもいいって言ってあるんですが、彼の場合まだないですね。それに教えやすいって言ってましたよ。素直に聞くから。先日初めて授業の間に休憩時間があったんですよ。その時彼は何をしていたかと言うと、紙ヒコーキを折っていたんです。それも半端な紙ヒコーキじゃないんですね。びっくりしました」T先生は、明るく話してくれた。

塾に行ってはいるものの、理解していないのではないか、と思っていたので安心した。今のところ英語と数学しか習っていないが、他の科目も習いたいと言い始めた。でも一生は経済的なことを心配している。一生がやりたいという気持ちがあるなら、塾に行かせてあげたいと思う。

身体を鍛えなきゃという気持ちもあるらしく、リュックの中に1,5kgのダンベルを入れて歩いている。今度から2kgにするらしい。






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あの~、昨日お掃除したばっかりなんですけど・・・ーー;

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2003年03月29日(土) 死にたいわけじゃない・・・

リストカットをしたことを、主人にも母にも話さなかった。

今度やったら入院、と主治医に言われていたから。(自分から入院します、と言った。)ずるいけど、それだけは避けたい。

一昨日、私は9回目のリストカットをした。

何度も書いているが、死にたいわけじゃない。

しかし今回はかなり深く切ってしまった。そして、神経を傷つけたらしく、親指と人差し指と中指にしびれが走ると同時に、燃えたような熱さを感じた。
ものすごい恐怖心に襲われた。強いめまいがして、座っていることもできなくなった。このまま意識がなくなってしまうのかと思った。

自分でやっておきながら、本当に怖くて、叫びたい気持ちだったが、母に助けを求めることはしたくなかった。精一杯タオルで手首を押さえつけた。
それは多分数分間の出来事だろう。次第に指に感覚が戻って来た。
夢を見ているような恐ろしい時間だった。

その夜は、タオルを巻きつけ、いつもの薬と睡眠薬を飲んで眠った。
主人は仕事で遅く帰って来たので、そんなことがあった事には気付かなかった。

翌日も何も言わなかった。

傷がかなり深いので縫合はしなければならないだろう。自分がバイトしている病院に行くか、他の病院に行くか、かなり迷った。自分の病院に行き、「またか?」と
言われるのが嫌だったし、クビになりそうで怖かった。でも他の病院に行くと、医療費がかかる上に、受診している病院に連絡されてしまう。

迷った末に、自分がバイトしている病院に電話した。

病院に着いて、私はベッドに横になる。縫合セットが準備される。

緑の布が、手首のところにかけられる。麻酔をする針の傷みなど、何も感じない。
ただ涙が止まらなかった。

先生に「かなり深いね」と言われた。縫合してもらった後も、涙が止まらなくて困った。痛くて泣いているんじゃない。

午後1時半に縫合を始め、終わったのが2時頃。そして私は3時に仕事を始めた。

白衣を着て、ナースキャップをつけると看護師に変身することができる。3時から7時まで仕事に専念した。


今までと違うことがある。
今までは、縫合してしまえば、痛くてもなんとか我慢ができた。

今回は、鎮痛剤を飲まないと耐えられないぐらい痛い。
それでも、昨日はその痛みよりも心が痛いと感じた。苦しくて、たまらなかった。

今日になっても、心の痛みはとれなかった。

夜、友人から来たメールで心が楽になって来た。不思議だった。こんなに違うものかと思うほど、痛みのかけらがひとつひとつ剥がれて行くような気がした。


こうやって日記に書くことで主人にはわかってしまうだろう。
主人に嘘をつくことはできない。


死にたいわけじゃない。どうしてリストカットするのかと問われても、答えることができない。

それでも、明日は今日よりもいい日だと信じたい。





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こんな私を心配してくれて、遠くから電話をくれたFさん、メールを下さったみなさん、ありがとうございました。



2003年03月28日(金) 誰にも言えなくて・・・・

誰にも言えなくて苦しくてつらくて・・・。

涙はいくら流しても、なくならないのですね。

心が痛い。

傷よりも、ずっとずっと痛い。





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2003年03月26日(水) これって告白されたんでしょうか?

色々と書きたいことがあり過ぎて、今の気持ちをまとめることができない。
とにかく、午前中に働くのは無理ということがわかり、先生にもきちんと断った。


さて、カブトムシさんのお話にしよう。

一昨日、病院を受診した時、待ち時間の間にカブトムシさんに会った。
カブトムシさんとは、精神科の患者さんで、以前父のベッドの隣りだった人だ。
しょっちゅう日記に書いているけれど、私のことを「どこかで見た」と毎回言う。

「関口麻衣子ちゃんにも似てるんだよなぁ」
と言われ、
「それ誰?」と聞くと、
「病棟の看護婦さんだよ」と言う。

たわいの無い話をしていたら、カブトムシのおじさんは、
自分の大事なところを押さえて、
「こらっ!」と言った。

最初はわけがわからず、頭の中にハテナマークが渦巻いた。

「ウズウズする」と言われて、初めて意味がわかり、

「こらっ!」と言って、カブトムシさんの頭をペットボトルでコツンと叩いた。

「あんたを好きになっちゃったかもしんない」とカブトムシのおじさんは笑った。

「だって、ウズウズしちゃうもん」


あのーー、男の人って好きにならなくてもウズウズすることあるんじゃないですか?私は男じゃないんでそこんとこよくわかんないんですがーー;

「○○かもしんない」と言うのは、カブトムシさんの口癖だ。


「好きになっちゃったかもしんない」と言われても、どうにもならないよ。

「あんたさ、オレのこと好きなの?」とカブトムシさんは私に聞いた。


広義の意味でのLIKEではあるけど、LOVEではないなぁ。

でも説明するのが難しい。

「何言ってんの!」と笑って、私はまたペットボトルでコツンと頭を叩いた。

「好きだよ」と言って誤解されても困る。

カブトムシさんの表情は確かにいつもと違った。

カブトムシのおじさんも男だったんだ。(当たり前だ)


二人で笑ってごまかし、

「そういうこと」とカブトムシさんはまとめた。


「そういうこと」というのはあまり意味がなく、これでお話終わり、みたいなニュアンスらしい。

カブトムシさんの病名はわからない。私が予想するには統合失調症(以前は分裂病と呼ばれていた)

私は今でもカブトムシさんの笑顔が好きだ。





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2003年03月24日(月) 脱力感

デイケアの看護婦として、朝から仕事をするため、眠くなる薬を減らしてもらうよう先生に相談した。

しかもお金が無いので(明日が給料日)新たに処方されても困る。
今もらっている薬を持って行って、
「せんせ~この中でどれか減らせませんか~?」と聞いてみた。

先生に仕事が増えることは話していない。
今でも「減らすか、休め」と言われているのに、そんなことが言えるはずが無い。

デイケアの仕事をするのは金曜日だが、明日の午前中、練習(見習?)に行くことになっている。
昨日からの熱が下がらなくて、明日はどうなるんだろうという不安もある。
とにかく早めに薬を飲めばいいや、と安易に考えて薬を飲んだ。早く飲めば早く薬が抜けるだろう。
だけど、9時前から効き始めた。ちょっと計算違いだなぁ。眠いというよりも、ものすごい脱力感に襲われながら日記を書いている。

今日の日記のタイトルは、

「カブト虫さんから口説かれちゃった」のはずだったのだが、書けそうにも無い。





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2003年03月22日(土) 消しちゃった(T.T)

時間をかけて書いた日記を消しちゃった(T.T)

こんなの一度や二度ではないけれど・・・・・・・・・


今日はかなりショック~!!!





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2003年03月21日(金) 江畑さんの髪の毛が気になります

世の中で戦争が起こっているというのに、買い物に行ったり、カラオケをしたりして、遊びまわっていていいのだろうか、とふと疑問に思う。

しかし、テレビをつけても気になるのは江畑さん(軍事評論家)の髪の毛がさらに少なくなって、頭のてっぺんが平らになったとか、ブレア首相は「癒し系ミュージシャンの」オッケー伊東に似ているなぁとか、そんなバカなことばかり考えてます。

絶壁と言うのはあるけど、てっぺんが平らなのはなんていうんでしょうね。

友人に言わせると、江畑さんの髪の毛、

「潔くハゲにしちゃえばいいのに」



髪の毛を左から右に無理やり持って来てるのは、無理があると思うけど、本人は少ない髪の毛を大事にしているのでしょう。

うちの主人もオデコがかなり後退して来ております。

江畑さんのことばかりは言ってられません。


戦争が起きるとすぐに出てくる江畑さん。戦争が無い時は何をしてるんでしょうか。

もちろん、人間が殺し合いをするのは嫌です。平和的解決方法が見つからずにこういう結果になったのでしょうが、何の罪も無い市民が犠牲になることは心が痛みます。だったらどうすればいいんだ?と問われると何も答えられないけれど・・・。






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2003年03月20日(木) 「太鼓の達人」で「新世界」を叩く理由

今日の夕方になってやっとウクレレを触る時間ができた。
(本当は寝ていたから出来なかったんです)

「10分で弾けるウクレレ」なんていう本を買ったって、最初のページから読むのが嫌いな私は、いきなり曲を弾こうとして、頭を抱えた。

さっぱりわからん!

しょうがないので、コードを覚えることにしたが、ギターのコードと混乱してしまう(T.T)弦が2本少ない分、ウクレレのコードの方が簡単なような気がしますが。

コードをいくつか覚えたら、後はボロロ~ンと鳴らすだけ。
適当に合わせて歌えたら、もうそれで満足した。
ウクレレというのは、しっかり楽譜を見てマスターするのではなく、なんとなく弾いて歌えたらそれでいいんだと私なりに解釈した。

一生はちゃんと最初のページから見ていました。(エライねぇ、君は)






さて、先日買った「太鼓の達人」(プレステのゲーム)だが、私はクラシックの「新世界」が好きで、いつもそれだけ叩いている。


なぜ私が「新世界」を叩いているかって?




それは・・・・・・・・・・・・・・・・・





オーケストラの一員になった気分になるからーー;






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2003年03月19日(水) ウクレレを買いました!

ウクレレを買いました。

小学生の頃、家にあって適当に弾いてました。
だから簡単に弾けると思って、
「10分で弾けるウクレレ」という本を買って来たのですが、

「2分で弾けるウクレレ」の方がよかったようです(T.T)

クローゼットで眠っているギターも引っ張り出そうかと思ってます。

エレアコなんだけど、電池が液漏れしてるんです(T.T)
何十年ほったらかしてるんだろう。





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2003年03月18日(火) 「痩せました?」

理由はよくわからないけど、看護婦が二人やめた。
この2年でやめた人が多い。

私は、誰とでもうまくやっていけるつもりでいるが、そうでない人がたくさんいるらしい。

結局看護婦の数が足りなくなった。募集をかけてもすぐには集まらないようだし、私で役に立てるのかなと、勤務表とにらめっこしていた。

午後なら働けるけど、午前中は無理かな。午前中の私は夢遊病者だもんな。でもやめた人は午前の人だから、必要なのは午前に働ける人。
「私でよければやってみましょうか」と言ってしまった。

「無理しなくてもいいよ」と言われたのに、
「やってみたい」と口が勝手に?言っちゃった。

やってみなければ、できるかどうかわからない。

金曜日は午前9時から午後6時まで(実際は7時頃)働くことになった。
午前中はデイケアなので、点滴や注射は無い。リハビリを中心とした、ケアの介助をすることになる。ただの「点滴マシーン」になっているよりも、患者と接する時間があって、楽しそう。

午前中はいつも寝ているのに大丈夫かなと不安もあるけど、できるだけやってみたいと思っている。

と、ここまで書いて、車の運転の問題があることを思い出した。私はいつも深く考えずに行動してしまう。午前中の車の運転は危ない。今も午前中は運転していない。どうしよう・・・・・・。
・・・・っていうか、こういう私が午前中働いていいのか。



後で考えようーー;


そーーーーーーだ!!!今日はうれしいことがあったのだ。

今まで太った時は、
「太ったね」と言われるのに、
「痩せたね」と言われたのはほとんどなかった。

マッサージのO先生に、
「痩せました?」と言われた。

「わかりますか?」と言ったら、
「うん、わかるよ。」
と言われたので、すごくうれしかった。

それと、私が勤め始めた頃に入院し、今も通院している患者に、
「前より若くなったね」と言われ、舞い上がった。


「痩せたね」とか「若くなったね」なんて、いくつになってもうれしいものです。

どんどん言ってくれ~~!!!






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2003年03月17日(月) 「この人は私にしか救えない」

大げさかもしれないけど、
「この人は私にしか救えない」と思う患者がいた。

小林ミカさん(仮名)26歳。
彼女の病気は「解離性障害」

ミカさんと初めて会ったのは、去年の10月ごろだったと思う。来院するなり興奮した様子で、いろんな事を大声で話す。
「高揚しているようです」と他の看護婦が安定剤の注射を打った。

自傷と思われる傷が両腕にあった。その時はまだ彼女が解離性障害であることを知らなかった。
私は2回目のリストカットをしたばかりで、左腕に包帯をしていた。
彼女の傷を見たら、涙が止まらなくなった。

「痛い?」と聞くと、「痛い」と涙を流す彼女。二人で泣いた。

精神科に通っているのかを尋ねたら、前は行っていたけど今は全く通っていないとのことだった。以前飲んでいた薬の名前を記録した用紙を彼女が持っていたのでそれを先生に見せると、
「同じ物を出したいけどうちには無いものもあるし、処方箋を書いても、もう薬局は閉まってるだろう」と言う。

私は8時まで開いている薬局を知っていた。
急いで電話すると、全ての薬が揃うことがわかった。ファクシミリで送ってくれれば、用意しておくと言ってくれたので、さっそく処方箋をファクシミリで送った。

整形外科の私達にできることは、傷の処置をすることと話を聞くことぐらい。
傷の処置をしながら、彼女と話すうちに「解離性障害」であることを知った。

「傷の消毒はできるけど、小林さんは精神科に通わなきゃダメだよ。そうじゃないとまた同じことを繰り返すことになる。根本的な治療にはならないんだよ」と私はゆっくりと彼女に話した。そしてここで先生は薬を出すけれど、それは精神科に行くまでのつなぎに過ぎないこと等々。

処置が終わって、薬局の場所を教えた。でも彼女は車の運転ができない。
バスで行くのは大変だし、考えただけでウンザリする。私の家からも然程遠くはなかったので、送って行くことにした。

彼女には5歳の男の子がいる。
とても素直でいい子だ。


薬局に一緒に行き、帰りも家まで送って行った。
彼女は「ちょっとあがっていかない?」と私に言う。

遅い時間だったので、帰ろうとしたが、
「Kさん『バールって何?』って言っていたでしょ?」と、私に見せたいと言うので、少しだけねと言って家に上がらせてもらった。

彼女は、二つの人格を持っている。
もう1人の人格がとても激しくて、自分を傷つけてしまうらしい。それが半端な傷ではない。「バールでグイッとやっちゃたみたい」と彼女は淡々と話す。

バール???
思い浮かばなかった。

彼女は、
「これだよ」と言って、見せてくれた。

「こんなのでやったら痛いよぉ~」と私が言うと、
別の人格がやっているので、痛くないのだと言う。そして自分に戻った時にものすごく痛いらしい。

バールにはべっとりと血がついていた。
私は、
「これもって帰っていい?」と聞いた。
彼女はすんなり、
「いいよ」と言った。

彼女は彼と子供の3人暮らし。子供は彼の子供ではない。でも、彼はとても優しくて、我が子のようにかわいがってくれるらしい。
家の中にはナイフやカッターなど先の尖ったものは一切無い。

「友達がいないんだ」と彼女がポツリと言った。

私は、
「じゃあこれからは看護婦としてではなく、友達として接するよ」
と言った。困った時は電話をするように彼女に言って、家に戻った。


それから何週間か経ったある日、彼女から電話がかかって来た。
「助けてほしい。痛い」と。
私は友人と出かけていたが、もう帰る時間だったので、
「すぐには行けないけど、家の中で待っていて。一時間はかからないと思うから、私が行くまで待っていてね」と言い、帰りを急いだ。

彼女には母親との間に何か問題があるらしい。
ファミレスで母親を見た途端、ものすごい不安に襲われ家に帰って、気がついたら自傷していたと言う。

私はいつも消毒薬を持ち歩いていた。傷の消毒をして、包帯を巻いた。

そんなことが3回ぐらいあっただろうか。

その後、精神科に行くことを勧めたが、彼女は私が通っている精神科にも行ったことがあり、主治医であるS先生を異常に嫌がっていた。
なぜ嫌なのかを少しずつ聞いているうちに私にもわかる気がした。
私も先生とはうまくいかないことが多かった。

私の前の主治医なら穏やかだし、話を聞いてくれるだろうと思って、金曜日に休みを取り、一緒について行った。しかし、先生の答えはNOだった。
「やはりS先生に診てもらってそれから考えた方がいい」としか言ってくれなかった。
今の主治医にも同じことを言われた。その度に彼女は興奮し、もう1人の人格が出そうになる。その度に彼女をなだめ、その場を押さえた。

「きっとミカちゃんのことを考えてくれる先生に出会えるから」


その後何度かメールを送ったが、何度もメルアドが替わっていた。それは迷惑メール対策なのか、意味がわからなかった。

私が6回目にリストカットをした時、別の整形外科で久しぶりにミカちゃんに会った。うれしくて二人で抱き合った。

ミカチャンはその日私にメールをくれた。
「痛いのにどうして切るの?」
私に聞いて来た。私のことをとても心配してくれた。

私から見れば、ミカちゃんの傷の方がよっぽど大きいのに、彼女はやる時は自分じゃないから痛くないよと言う。



その後私はODなどをし、ミカちゃんのことを考える余裕がなくなった。
そして向こうからもメールが来なかった。


今日、精神科でミカちゃんに会った。
ケアマネージャーらしき人が一緒にいた。
今は主治医が代わり、解離の症状も出ていないのだと言う。

もう私がいなくても大丈夫かな、と一瞬思った。
ミカちゃんに私が必要だったのではなく、私がミカちゃんに救われていたような気がする。
いつでもメールを待っているよ。

年齢よりも幼く見える彼女だった。
髪を切ったミカちゃんが少し大人びて見えた。


(本人のプライバシー保護のため、環境、名前などは変えてあります)





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2003年03月15日(土) 切ない恋をしています

二葉は、N君が好きだ。
だけどN君には好きな子がいるらしく、しかも両思いなのだという。

友人達は、
「あきらめないで、がんばって」
と励ましてくれるらしい。今時の女の子はすごい。

二葉の初恋は4才。幼稚園の年少の時だった。
T君という、背の高い子で、二人が並ぶとほかの子達とは全然違うような雰囲気だった。二人とも幼稚園児には見えなかったのだ。

なぜT君を好きになったかと言うと、
二葉が、ほかの子に押された時に、
「やめろよ~!」と言ってくれた、というそれだけのこと。

でも、それがに二葉にとっては深く心に刻み込まれたようだ。

それから我が家では、しばらく,


「やめろよ~!!!」

という言葉が流行った。

そして小学校になると、T君はM小、はK小と別れてしまった。
中学は同じ学区なので、また再会する予定だった、しかし、T君は低学年のうちにどこか知らないところに引っ越してしまった。親の思いとは裏腹に、二葉は「もう冷めたから」とあっさり。

そして、今はN君の話ばかり。
二葉は学年で一番背が高く、N君は小さくて、20㎝以上違うらしい。
しかし、二葉にそんなことは関係ないようだ。

すみません。どなたか忘れたけど、身長178㎝と163㎝が理想のカップルと書いてありましたが、私達夫婦は179㎝と163㎝です。確かにいろんな場面でちょうど良いと感じるのですが、その逆でもいいのかも。


家から公園が見える。
N君が遊んでいるのだと、家の窓からこっそり見ている。

うちの娘、切ない恋をしています。





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2003年03月14日(金) 八戸小唄

民謡と言えば、「八戸小唄」しか知らない。
ほかにもなんとなく知っているものが数曲あるが、歌詞がわからない。

入院患者に、Uさんという人がいる。
岩手の出身で、民謡が大好きな、老女。

去年入院した時は動けたのに、今年になって「歩けない。動けない」と言うようになった。88歳と高齢でもある。
トイレに歩くこともリハビリをすることもおっくうで、動きたくないようだ。
でも・・・・私が「歌おうか」と言うと、目が輝く。


去年入院した時に、一緒に八戸小唄を歌った。


大部屋でカーテンで仕切られたところに、ポータブル便器が置いてある。このまま歩かないと寝たきりになってしまうから、日中だけでもトイレに歩いて欲しいと言うのが、家族や私達の思いだ。

「私が支えるから、トイレまで歩きましょう。戻ったらまた一緒に歌いましょうか?」
と声をかけた。
自由にならない身体を起してもらいトイレまで歩かせた。(歌で釣ったわけではないがーー;)

「帰ったら歌うんだよね」
Uさんは念を押す。
「そうですよ」

私は八戸小唄の歌詞の3番は知らなかったので、Uさんに教えてもらい、1番から3番まで紙に書いた。

そして二人で歌った。

「唄に夜明けたカモメ~の~港~♪・・・・・・・・」



同室の患者達から拍手をもらった。
「目の輝きが違うね」と他の患者達も言う。

Uさんは太くていい声をしている。

明日から4日~5日外泊するらしい。
「帰って来たら、また一緒に歌おうね」と約束した。






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愛する友へ

生きていて・・・・
苦しいね
でも・・・・

生きていて
私とともに生きていて・・・

あなたが生きているだけでいい
ただそれだけでいい

私が苦しんでいる時に
「重い荷物を1人で背負わないで」
と言ってくれたよね

今 私にあなたの荷物の一つを背負わせて

今も危なっかしい私だけど
生きている

これからもきっと生きていくから







2003年03月12日(水) 駅前留学

市内においしいパン屋さんがある。
看護婦のAさんがみんなから注文を取って、パンを買って来てくれた。

「このパン屋さん、どっかのパン屋さんで修行して独立したんだってよ。お店の名前忘れちゃった」と言ったら、

リハビリのM田さんも、
「そうそう、どこだっけ。お店の名前が出てこないよ」と言う。

二人とも、
「思い出せないと気持ち悪いね」と、言いながら仕事に入った。

仕事をしているうちに、ふと思い出した。

「ノ○だ!」

さっそくリハビリにいるM田さんに報告に行った。

「M田さん、さっきのパン屋さん、ノ○だよ」と言うと、
M田さんも、
「そうだ。ノ○だ!すっきりしたね。」と言った。

そして仕事に戻っていると、M田さんがやって来て、

「さっきのパン屋の名前だけど・・・
ノバじゃない?」



「え~?ノ○だよ。
NOVAじゃ駅前留学になっちゃうよ!」


と言うと、一同大爆笑になってしまった。

言い出した私も大笑い。患者の駆血帯(静脈注射をする時のゴム)を巻いたままで、その患者も笑っている。しばらく、振るえて注射ができなかった。

その後、M田さんのことを、
「ノバちゃん」

と呼んでいるーー;





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ここだけの話なんだけど、(って書いたらみんなにバレるだろ)去年から母と一緒にエステに通っている。だいたい週に一度。なかなか時間が取れなくて、午前中行く時はとても辛い。
私にとって午前中は寝る時間。体調がものすごく悪かったりすると、行くのをやめようかと思うが、当日のキャンセルはできないので(一度やったことになってしまう)無理して行くことが多い。ところが、エステにはとてもうるさいエステティシャンが一人いる。自分の子供の頃の話とか、美容の話などを、ガラガラの声でよく話す。その人がうるさくてくつろげない。

先日体調がとても悪い日に、自分の担当の人がお休みで、そのうるさい人になってしまった。嫌だなぁと思っていたら、私の嫌いなプラセンタをたっぷりと顔にかけられて、吐きそうになった。必死に気持ちをそらしたが、タバコの臭いも気になった。

せっかくのリラックスタイムが、そうでなくなってしまった。私はこの人を密かに「ガラガラへび」と呼んでいる。
母と二人で、「ガラガラへびに当りませんように」と祈る。

今日は午前中エステに行った。
パックなどをしてもらって、眠れる日は眠るのだが、今日はどうも調子がよくない。何度も寝返りを打った。エステのベッドは狭いので、右を向いたり、左を向いたり。どうやっても身の置き場がなかった。

仕事に行ってから、血圧が高いことがわかった。朝の薬を飲むのを忘れていた。急いで薬を飲んだら、30分ぐらいで楽になって来た。

デイケアにNさんが来ていた。Nさんが入院中親しく話していたため、涙があふれてきた。
「どうした?K!しっかりしろ!」と言われる。

「今夜電話するからね」と言われた。

午後8時過ぎにNさんから電話がかかって来た。でも、Nさんの気持ちはわかるけど、
「あなたは健康なんだから」と言われても何の慰めにもならない。私も辛いんだ。それをわかってほしい。たくさんの人にわかってもらいたいとは思わないけど、Nさんにはわかってほしかった。

「お互いにがんばろうね」と言われても、

「どうがんばればいいの?がんばれないよ」と言いたくなる。

もうくずれそうだよ。約束を破りそうだよ。

看護婦をしているからって健康だとは限らないんだよ。

今度何かしたら入院と言われている。言われているというよりも、自分から先生に約束した。入院はしたくない。






2003年03月11日(火) あなたのキスを数えましょう

市役所に寄ってから仕事へ。

時間が余ったので、Dエーをうろついた。
またウィッグの前で足が止まる。

またまた買ってしまいました。

ん?これは小柳ゆき風と自分では思った。

帰ってから写真を撮ったら、越後獅子だった(T^T)



投票ボタンを考える気力も無い。



2003年03月07日(金) 私の夢、ベスト10に入る夢

これは夢語りですので、つまらないと思う方は他へどうぞ。

以下夢

時は江戸時代。(多分)
私は殿様に舞いをしろと言われる。
10人ぐらいで舞ったが、私は上手く舞うことができなかった。
それが殿様の機嫌を損ねたらしく、数人に、
「すおう(周防?山口県まで歩けと?)の橋の上まで行って来い」という命令が出された。
その意味は全くわからなかったが、とにかく行くしかなかった。

友人が、
「このお札を持って行きなされ。途中決して振り向いてはいけませぬ」(よくあるセリフだ)と言って木の札をくれた。その木の札には私には読めない草書の文字がたくさん書いてあった。

すおうの橋に行くまでの道のりは、なぜか細いトンネルを通らなければならないことが多く、
「痩せろという意味なのか?」と思った。


火の中を裸足で歩かなければ行けなかったり、ものすごい風が吹いて飛ばされそうになったり、険しい道のりだった。


目が覚めてから笑ってしまったのは、途中にMちゃんがバイトしているMマートがあったこと。

私は先を急がなければならなかったので、とにかくすおうへの道を歩いた。


やっと橋の上に着いた時、黒装束の数人の男たちがいて、一緒に行った女達に本のようなものを渡していた。
私も差し伸べられたが、なぜか断った。断らなかった女達は、地獄行きの札を渡され、風に吹き飛ばされるように消えて行った。

私に本を渡そうとした男が、
「僕も君を地獄に落としたくはなかった。よかった」と言って私を抱きしめた。

「誰?」

聞いても答えてはくれない。確かに聞き覚えのある声だった。

「帰りはこの札を持って、来た道を帰りなさい」と言われた。

私は、後ろ髪をひかれる思いで歩き出した。何度も振り返りそうになるのを我慢していたが、とうとう振り向いてしまった。

そこに立っていたのは、木村拓哉だった。

「振り向いてはいけないのでは?」と私は聞いた。

木村拓哉は、
「振り向いてもいいんだよ。君のペースで」と言った。


橋の上に戻りたい気持ちと帰らなければならない気持ちが交差した。

そして無情にもアラームの音が(T^T)


夢から覚めた時、
「夢か」とは言わないものだ、と三谷幸喜さんが言っていたが、

私は思いっきり、


「夢だったの~?」と吠えた。





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私は木村拓哉さんのことは好きだけど、大ファンというわけではありません。
慎吾ちゃんのファンですから。
みけさんが見たら、発狂しそうな夢ですねぇ。



2003年03月06日(木) ブチッ!!!ごめんなさい

二葉の熱はまだ下がらず、今日も学校を休んだ。本人は授業参観で紙芝居をやるから、
「みんなに迷惑かけたくない」と言って、学校に行こうとしていたのだが、38度5分あるので、なんとかなだめてやめさせた。

昨日病院に薬を取りに行くことができなかった。今日こそは、と思い電話をした。
カルテを出してもらって、後で薬を取りに行くため。

しかし・・・・
いくら鳴らしても、電話に出ない。

事務がそんなに出ないはずがない。
おかしいから、切ろうと思ったその瞬間。

「もしもし~?」

と、やけに大きな声。(しかも老女)


「すみません、間違えました」

「もしもし~?」

「すみません、間違えました」

「もしもし~?」


「すみません、間違えました!!!」

相手に間違えたことを伝えることができない(T-T)

「もしもし~?」


ブチッ!!!(ごめんなさい)





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2003年03月05日(水) ソの音で鼻をかまないで!!!

二葉が熱を出して学校を休んだ。
うちの子供たちが熱を出すなんてめったに無い。
今日は仕事の日だったのだが、二葉と一緒にいてあげたいので仕事を休んだ。
普段なら、熱を出している二葉を置いて仕事に行っただろう。
だけど、ラッキーなことに、国家試験を終えた看護学生がバイトに出ているので、看護婦の数がいつもより1人多いのだ。

熱い、寒い、ぞくぞくする、気持ち悪い、などと色々訴える二葉のことをずっと看ていた。いつもほったらかしにしていることを反省しつつ、二人でずっとベッドにもぐっていた。

今頃になって、胃が痛くなった。胃洗浄をしたのは一昨日で、もうそんなことは忘れていたのに。シメ○ンという胃薬があるのを忘れて、一生に
「何か胃薬ない?」と聞いた。
一生は、大田○酸を持って来てくれた。封を切って飲もうとした瞬間、二葉が鼻をかんだ。鼻づまりがひどかったらしく、「ぶーーーーー!!!」と音がした。しかも、ハ長調のソの音が出たので、笑ってしまった。大田○酸は手にこぼれ、気管に入ってむせてしまった。

胃が痛い。苦しい。おかしい。やっぱり笑った。

明日授業参観で、紙芝居をやるんだけど、学校行けるかな?






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2003年03月04日(火) 「ゴージャス」と言わないで

昨日退院して、今日から仕事。
入院と言っても、たった二日だったのであっという間の出来事だった。
あっという間だけど、胃洗浄は辛いものだった。

それでも、今までにもっと辛い経験をしているから、あの長い拷問のような胃洗浄に耐えられたのかもしれない。

昨日の精神科の受診では3リットルの涙を流した。
先生に、「今度リストカットしたり、大量に薬を服用したら入院って言いましたよね」と言われた。
「入院は絶対に嫌です」とキッパリと答えた。
「仕事に逃げていてもダメですよ」と先生は言う。

「楽しいと感じてしている仕事は、『逃げ』なんですか?」

そして先生は、リストカットなどを「アピール」と表現した。
主人にもわからないように、一人で病院に行き、長袖を着て隠して、抜糸も1人でしているのに、それを「アピール」と言われてしまうのかと思ったら、涙が滝のように流れた。


「アピールじゃない!!!」


自分自身の中に閉じ込めたのに、そんな風に言われることが悲しかった。

先生との信頼関係を失ったわけではない。先生は、私を助けたいと言う。
だから先生に提案した。
「以前は先生の方から言われましたが、今度何かあったら入院することを約束します」と。

それでも絶対にやらないとは言えない。
発作的にやってしまうものを、どうやって止めればいいんだろう。
理屈では説明がつかない。
だから入院するということで、自分を納得させるしかないのだ。


先日買ったウィッグをつけて仕事に行った。(結局なくしたものは見つからなかったので、同じ物を買ったのだ)
髪型が変わるだけで気分が違う。


みんなに、
「ゴージャスねぇ」と言われた。
「叶姉妹?」などと言われるのは気持ちのいいことではなかった。
事務のNさんが「素敵ね」と言ってくれた。
そうだ、その言葉を待っていた。

患者さんに、
「健康な人はいいわねぇ。私なんか、髪のことなんかどうでもよくなったわよ」
と言われた。私は笑うしかない。

今度は三つ編みがたくさんついているウィッグが欲しい。







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2003年03月03日(月) オーバードゥーズ&胃洗浄

自分でもあきれた。
またオーバードゥース(薬の大量服用)。

主人は医者をしている義兄に電話した。
「救急車を呼んで、胃洗浄をするように」と指示されていたようだ。

私は断固として、救急車を呼ぶことに反対した。
歩ける。だから救急車を呼ぶ必要は無い。
主人が119番に電話して、どこの病院に行けばいいのかを聞いた。
この辺では大きな病院を指示された。

夜中の2時頃、主人の運転で病院に行った。
その後のことは途切れ途切れにしか覚えていない。

胃洗浄をするためにベッドに乗ってください、と言われた。左右の腕に点滴をした。
そして、点滴は全開で落とし、マーゲン(胃)チューブが鼻から入れられた。一番の苦痛はこれだった。入れる位置が中途半端だったためか、食道のあたりに当って嘔吐反射がひどい。最初は透明の液体。そのうち、活性炭素?(黒い液体)がマーゲンチューブから入れられた。そして少し経つと、黒い液体を吐く。これを何度も繰り返した。苦しさで涙が出た。

でも私はこんなことでへこたれない。自分で蒔いた種だから。

胃洗浄が終わって、
「帰っていいんですか?」と聞くと、
先生に、
「何言ってるんですか?」とあきれられた。
「今日中に帰れますか?」と聞くと、
「明日だね」と強く言われ、それ以上は抵抗できなかった。

主人が説明を受けていた。
全部は聞き取れなかったが、
「呼吸が止まることがあります」というところだけが聞えた。

ベッドに移され、心電図がつけられた。ピッピッピッという音が響く。

気がつくと主人はいなかった。
「帰るよ」と言われたのかもしれないが、覚えていない。

点滴はずっと続いているし、喉が渇いてお水をたくさん飲むので、トイレに何度も行き、眠った気がしなかった。

眠れぬまま朝になり、看護師に
「Kさん、食事が半分食べられたら点滴抜けるんだけど」
と言われたが、とても食べる気分にはなれなかった。

点滴続行。

それから、何もせずにうとうとしながら時間を過ごした。

先生から、翌日は付き添ってくださいと言われており、母が付き添うことになった。主人、母、息子、娘、そして父までお見舞いに来てくれたのには驚いた。

主人が雑誌や本を持って来てくれたので、読もうとしたら、
9時消灯で電気を消されてしまった。
寝るしかない。

高血圧で、頻脈になり、脈が120ぐらいあったのに、心電図を見ると
脈が60ぐらいになっている。正常値は60から80なのだが、頻繁に50を切る。時々46ぐらいまで落ちる。
50を切ると「ピーピーピー」という警報音が鳴る。
ずっとその音がしていると、心臓止まっちゃうのかなぁとぼよ~んと思う。
(そんなわけないです)
そして、脈に気を取られていると、呼吸をするのを忘れている(爆)
↑こんな人はめったにいません。

「胃洗浄したんだから体重が減ってるかもしれな~い」
と思って体重を測ったら・・・全然減っていなかった(T.T)

とにかく、無事に退院しました。
外に出たら、春のにおいがした。私の好きな春のにおい。

明日は仕事に行くぞ!





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看護師に、
「会計が出るまで結構時間がかかりますので、こちらでお待ちください」
と言われた。最初は本を読んでいたが、そのうち眠くなったのでベッドに寝ていた。

寝返りを打ったら、布団ごと下に落ちちゃった(爆)
母は大笑い!お掃除のおばさんにしっかり見られ、
「看護婦さん呼びますか?」と言われた。
「いえ、大丈夫です」と私。
トイレに行く時、ベッド柵を下ろしたままだったんだ。
布団ごと落ちるなんて器用でしょ?






2003年03月01日(土) 白衣の私を抱きしめて

と言っても、変な意味ではありませんので、誤解のないように。

水曜日、オーバードゥース(睡眠薬などの大量服用)をしてしまった。それでも、心の中には金曜日に仕事をするという意識があったらしく、いつもより多くは飲まなかった。

金曜日には薬が抜けるだろうと思っていたが、身体はフラフラするし、眠気がひどくて困った。こんなことをする自分が大嫌いだし、情ない。

仕事に行く時は母に送ってもらった。(主人が車を使うというので)

眠気と闘いながら仕事をしていたら、リハビリのSさんが、
「Kさん、これ・・・」と私の鍵を差し出した。
私は意味がわからず、どこかに落ちていたのかと思い、
「どこにあったの?」と聞いた。

Sさんは、
「御主人が来てるよ。鍵、奥さんに渡してくれって」
と。

急いで廊下に出ると、ニコニコした主人が立っていた。
まるでトトロみたいに大きな身体。

白衣姿で働いている私を見たのはおそらく初めてだろう。
照れた時にできる線のようなエクボを見たら、急に飛びつきたい気持ちになった。
「ちゅ~して」と小さな声で言うと、

「バカモノ」と笑って、帰って行った。

一度、働いている姿を見てほしかったんだ。
抱きしめてはもらえなかったけど。





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金曜日、先生に傷口を見せて、
「抜糸できますか?」と聞いたら、
「化膿してるからダメだね。来週にしよう」と言われた。
私には、金曜日に抜糸したい事情があった。
月曜日は、精神科の受診日で、主治医には包帯を見られたくない。
包帯を取っても、糸が丸見えなのは困る。
「今度やったら、入院ですよ」と言われてから二回もやっている。
私はひたすら隠しているのだ。


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