うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2002年12月30日(月) まだらせん妄

いわゆるボケではなく、ボケたり普通になったりすることを「まだらボケ」と言う。ボケとは医学的には老人性痴呆症のこと。

父は鬱病の薬の副作用で、パーキンソンの症状が出た。立ち上がる事も歩く事も不便になった。その副作用を止める薬を使ったら、「せん妄」という症状が出てしまった。つまり、副作用止めの副作用である。

せん妄というのは、ボケと同じような意識障害である。
それは、イレウス(腸閉塞)で、外科に入院している時から始まった。

その後、何度かうちに外泊しているが、今日ほど困った事はなかった。
「お金が欲しい」と父が言った。確かに大人なのに、一銭もお金を持っていないのは不安だろうと思い、私は父に二千円を渡した。

それが引き金になったのだろうか。八戸に行って、Mという男の人に会わなければいけない、と言い出した。母に車で八戸まで行くことを要求する。しかし、私たちは、Mという人は知らない。父も苗字は知っているが、下の名前を知らないし、住所も電話番号もわからない。これは、昔本当にあった話なのかもしれないが、今父の願いを叶えてあげる事はできない。父はそのMという肢体不自由児の男の人にお金とは言わなかったが、なんとかしてあげると声をかけたらしい。それなのに、何もしないでほっとくと自分の名が汚れると言うのだ。
 
私と母の説得は続いた。まず、NTT番号案内にかけて、Mという人の電話番号を聞く。(フリをした)
「下の名前や、住所がわからないと、電話番号はわからないんだってよ」と私は言った。
父は「だったら、車で連れて行け」と言う。
「道路が凍結して、チェーンをつけていないと通れないって言ってるよ」と母が言う。
「タクシーで行く」という父。
「タクシーでいくらかかると思ってるの?そんなお金持っていないよ」
「借りる」

延々と、やりとりは続いた。本当は否定してはいけないのだろうが、どうやって肯定しつつ、父の気持ちを他の方へ持って行くかが難しい。

そのうち、私は銀行に行かなければいけない時間になり、「すぐ帰るから」と言い、急いで銀行に行った。帰りに肉まんを買って、食べさせたら少しは気が紛れるだろうと思ったのだが、母がすでに何かを食べさせて、精神安定剤を飲ませ、父は寝ていた。


元々頑固な人だが、こういう時もかなりの頑固さが表に出る。
そして、私と母は悪者呼ばわりされる。病気っていったいなんだろうと考えさせられる。


かと思えば、話がまともになっていることもある。全てがボケているわけではない。一生が高校に行きたいと言い出した話をしたら、「やろうという気持ちが出て来たんだね」と言ったりするし。
だから、私は「まだらボケ」ではなく、「まだらせん妄」と呼ぶ。検査の結果では痴呆の症状では無いらしい。


母は昔から父に尽して来た人だ。一生懸命看病して、母の方が先に逝ってしまうのではないかと不安になるほどだ。


一生のことで少し上昇したかと思うと、父の方はまだまだ。
我が家は、いつになったら穏やかな暮らしになれるのだろう。


6人で食卓を囲んでいる時は、とても穏やかなのだが、一度父のせん妄が出てしまうとなだめるのに苦労する。






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2002年12月29日(日) そっ啄の機

avexのオーディションを受けていた姪が、そっちの方面はあきらめたようだ。
いきなり「カナダに行く」と言って、バタバタとカナダ留学が決まった。
義兄の父親の快気祝いと姪の送別会を兼ねてのお食事会があると言われ、家族で小山に行って来た。

相変らず姪は何を考えているのかわからない子で、カナダに行く理由は「気まぐれ」らしい。

ところでうちの息子、一生だが、3ヶ月ぐらい前から変わり始めた。ジョークも今までより、面白くなってきたし、話もたくさんするようになった。なんとなく勉強の話になった時、「高校に行きたい?」と聞いてみた。一生は「行きたい。勉強したい」と言った。今まで学校の話はほとんどしなかった。姉や他の人たちにも、何かした方がいいと言われ続けながら、私は機会を待っていた。一生がちゃんと充電して自分の気持ちで勉強をしようと思うまで、私は待った。これは決してほったらかしたわけでは無い。

「高校に行きたいのなら、塾に行くか、家庭教師をつけるのがいいと思うけど、お母さんは、塾の方がいいと思うよ。やっぱり外に出た方がいい。たとえ、高校に入っても、また学校に行けなくならないように、外に出て他の人と接した方がいいよ」と一生に言った。。一生は、塾に行くことを納得した。

しかし、完璧主義の部分がある一生は小学校で休んだところが不安だと言う。私の友人Pさんが15年の教師生活にピリオドを打ち、学習塾をやっている。Pさんが、適役だと感じた。まず今の一生は、私から離れて、1人で塾に行くことができない。対人恐怖のような症状はまだある。さっそくPさんに電話したら、心よく引き受けてくれただけでなく、「一生君にとってどういう形でやるのが一番いいの?」と聞いてくれた。

「最初のうちは私と一緒にPさんの家に行き、二時間ぐらい勉強を教えてもらうのがいいと思う」と私は言った。一生はPさんの家に最初に行く時も、それほど緊張していなかったようだ。私の友達ということで、安心していたのだろうか。

小学生の勉強は3月までに終わらせてくれるというが、難題は国語。漢字がまるでわからない。テストをしている脇で、私は絶句してしまった。向かい側で一緒に行った二葉がすらすらと書いていたりするし^^;それでいて、算数になると、すらすらと問題を解いていく。

文章を書く事も苦手。これで入試の作文が書けるのか、かなり不安だ。


とにかく、Pさんの塾にはすんなり溶け込めた。というよりも、Pさんの人柄ゆえにすぐ慣れることができたのだろう。


次に、中学の勉強である。私は二葉が通っているKという塾に行き相談してみた。一生はこの塾に一年生の時に入っている。しかし、2ヶ月ぐらいで、リタイアしてしまった。そのことが問題なのかと思ったらそれだけではない。「妹さんも最近休みがちですよね。親御さんの考え方などからしても、お受けすることはできません」と断られてしまった。安易に休ませるから、ダメだというのだろうか。少しショックだったが、受け入れてもらえないなら、しょうがない。

次に他の塾を当ってみた。そこは、一生には合わないようだったが、西口校なら大丈夫と言われ、西口校で相談をした。そちらの方は、個別指導を専門にしている塾で、学校には通っていないのに、塾には一日5時間いる子もいるらしい。室長は、主人に似ていた。(太っているだけで似て見えるのかも)
一生は年明けの、冬期講習が終わってからその塾に行くことになる。

たまには主人とゴルフにも行く。外に出る事をあんなに拒んでいた一生だが、最近は外に出る機会も増えた。
これから先どうなるかはわからない。また塾にさえ行けなくなるのかもしれない。それでもいいと思っている。

主人と二人になった時、こう言われた。
「そっ啄の機」って知ってる?←そつの字、第二水準が表示されません(T.T)

鶏の卵がかえる時、殻の中で雛は出よう出ようとしている。その瞬間を見計らって親鳥は、外から殻をつつく。そして、雛は生まれてくるのだ。いくら親鳥が殻をつついても、雛が出ようとしていなければ生まれて来ない。まさに、一生のこの時期を私が見極めたことが、「そっ啄の機」だったのだ、と主人は言う。


姉の家に行った一生は、姉に髪を切られた。(じゃなくて切ってもらった)しかも、本人は「イガグリになった」というし、私は、「ウニみたい」と言う。今までよりも、より男らしくなった。


そんな一生がとてもたくましく見えた。





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2002年12月28日(土) 追記ありの日記

彼女は昨日出勤してきませんでした。
風邪の具合が悪いということです。


今日の午後の分は私が代わることになりました。
お金(バイト料)欲しさに?自分から名乗り出ました。


その後どういう展開になるんでしょう。某内君は「ワイドショーみたいになって来た」と言っています。


追記

某内君がワクワクしていたのですが、彼女は出勤してきました。
Mさんが休む事を前提として、私は代打で仕事に行ったのでした。
Mさんがいれば、私は出なくても済んだはずだけど、忙しくなるだろうということで、そのまま仕事に出ることになった。彼女はマスクをしていたが、風邪の具合はよくなっているように見えた。そして何事もなかったように仕事をしていた。


某内君、残念でしたね~^^

しかし、予想に反して患者の数は多くなかった。

だけどね、私はあくまでも、Mさんの代わりとして出たのである。
それなのに、5時になったら、

「お先に失礼しま~す」
と言って、Mさんは帰ってしまった。

あっけにとられる私。


なんじゃい!


お金は30日に返すことになったそうです。
ちゃんと返るんでしょうか。





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2002年12月25日(水) こ~んなこと日記に書いていいんでしょうか?ーー;

今の病院でバイトを始めてから、人間不信に陥りそうなことが多い。「いい人」と思っていた人がそうではなかったり、人間関係でゴタゴタしたり。私はそのどれにも巻き込まれてはいないのだが、今回の件だけは聞いてビックリ、誰を信じたらいいの?という気持ちになった。

数ヶ月前に新しく入った看護婦がいる。とても失礼なことだが、私には50歳以上に見えてしまったが、実年齢は45歳らしい。ご主人を亡くして、お子さんたちも独立している。看護婦の経験も長かったが、ブランクも20年あった。しかし、以前整形外科に勤めていたというだけあって、レントゲンのポジショニングなどの覚えも早く(当たり前だ)、仕事もスムーズにこなしていた。いつもニコニコしていて、一緒に仕事をしていても気持ちよかった。



それが・・・・火曜、水曜と仕事を休んだ。連絡はあったらしい。
土曜日の忘年会では、風邪をひいてひどい声をしているのに、ガンガンお酒を飲んでいた。ボトル1本でも1人で空けてしまうらしい。

そして、連休が明けたら、「やすみます」と。
風邪がひどくなったのだろうと思っていた。



しかし・・・・・・・


昨日の夜、看護婦Aさんに
「Kさん・・・・もしかしたらMさんもう来ないかもしれないよ」と言われた。
なんで?なんで?

「悪口は言いたくないんだけどさ、あの人いろんな人にお金を借りてるのよ。で、返すって言いながら返してないんだ。私とBさんは1万、Sさんは3万、先生は20万貸してるんだよ。おかしいと思わない?」
と、Aさんは言う。

お財布を無くした、というのが発端で、そのなかに7~8万入っていたというのは聞いていた。その後、息子さんが事故を起して、そのために50万必要なのに、48万しかないから、2万円貸して欲しい、と看護婦が言われた。その後の詳しいことはわからないが、3人の看護婦にお金を借りる理由がバラバラなのだ。しかも、Bさんに返すからとSさんにお金を借りたりしている。


ただの人間関係だけじゃなく、お金が絡んでくるとややこしい。私は、小銭以外は貸さないことにしている。こっちが借りたいぐらいの生活をしているから、貸すことなんかできないし。


携帯も無くしてしまったから連絡がつかない、という話らしいが、どうなるんでしょう。

看護婦の間では「サラ金?」(に追われてる?)という話も出ているらしい。

昨日まで何も知らなかった私は、「え~~?」という声が全ての穴から出るほどビックリした。


明日、彼女が出勤してくるかが、かなりの重要なポイントなのです。





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2002年12月24日(火) サンタさん、疲れたよ~

1人看護婦が休んだので、ピンチヒッターを探す電話が朝9時頃入った。
「11時から出られる?」と言われ、
「はい、行きます」と言ったのに、
「Kさ~ん、だけど完全に寝てたでしょ?」と言われた。

結局私はいつもの時間でいいことになった。
午後2時から仕事に出かけたのだが、午前に替わった人が、5時で帰るため、私が7時まで残ることになった。7時までと言っても7時に仕事が終わるはずが無い。

看護婦1人と、学生1人で、次から次へと来る患者を診ていかなければならない。
点滴もインフルエンザ予防接種も何もかも私1人。

「一時間も待ってるんですけど」
と言われても、
「私の体も一つしかないんですけど」と言いたい!


今日が24日であることが気になっていた。私はほとんど家事ができず、姉が着てくれる事になっていた。姉は風邪をひいていると言うのに、車で一時間半以上かけてやって来て、ローストチキンなどの準備をしてくれた。


私は、家のことが気になりながらも仕事が終らないと帰れない。そんな時に限って自転車から落ちて膝を切ったとか、救急車で運ばれて来る人がいる。

その暇を縫って、今日Yさんが退院すると聞いて、急いで二階に行き、
「もう一度一緒に歌いましょう」と、「八戸小唄」を歌う。
Yさんは岩手の出身で、民謡で「八戸小唄」を歌うと聞いて、一緒に歌った事があったのだ。

そんなことをしながら、バタバタと走り回った。
全て仕事が終わったのは、8時50分を過ぎていた。
仕事をしている時は疲れも感じないし、水を飲む暇さえなかった。


家の灯りを見て安心した時に、「疲れた」と感じたが、なんだか心地良い。


食事の時間は大騒ぎ。
一生が、姉が作ってくれたロースとチキンが「うますぎる」と言って、感激している。「どうしよう。これ、うますぎるよ。毎日食べてもいいなぁ」と言う。

父も外泊中なので、みんなでワイワイがやがやと楽しく食事をした。

ケーキは作らないつもりで、買うのもどうかと迷っていたら、主人が買って来てくれた。先日お付き合いで買ったケーキがおいしかったからと、サイズが大きいものを買って来てくれたのだ。

一生はまた、
「この前のケーキ?どうしよう!!!食べる前に気絶したら、取っておいてね」と言う。私は、
「安心して。気絶したら、お母さんが食べてあげるから」と言い笑う。

こういう時はなぜか、二葉より一生の方がはしゃぐのだ。


食事が終わったら、二人はさっさと寝ようとする。早く寝ると早く明日になり、プレゼントを開けられると思っているらしい。一生はサンタの存在のことを知っているが、そのことには何も触れない。二葉はまだ信じている。

片付けの手伝いをしてから二人は寝た。


それからまた後片付けをしてから、ハッとした。
プレゼントを包む、包装紙などを買ってくるつもりが、時計を見たら12時を過ぎている。12時までやっているお店はあるが、もう過ぎてしまったので、コンビニで紙袋を買おうとした。

すると母が、
「何か家にあるもので間に合わせようよ、きれいな紙があったはずだよ」
と言い出し、二人でゴソゴソと探し始める。いくら探しても母が言う、水色の紙は見つからない。私としてはそんな事をしているより、買いに行った方が早いと思うのだが、母は「少しでもお金をかけないように」と考える。

一年に一度のイベントなんだから少しぐらい、いいじゃないか、と思う私。

結局探している時間が45分。
疲れきった私は買い物に行く気力も失せてしまった。

そして、家にある紙袋にリボンをかけて、なんとかごまかした。

おなかの大きなサンタは怪獣のようないびきをかいて寝ているし。


サンタは大忙しでとっても疲れました。

そして明日も仕事だ。





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2002年12月22日(日) 命抱きしめて

モコが帰って来た。

やはり元気が無い。エルの時よりもずっと心配した。エルの去勢手術をした時、モコも一緒にやってもらおうとしたら、小さすぎてできないと言われたのだった。

モコは異食症で、ヒモや布(特にフリースなど)を食べてしまう。
離乳食を少し食べる以外は、雪印の6Pチーズしか食べない。

夜になっても食欲がないらしく、離乳食もチーズも食べなかった。

もちろん、猫の餌は見向きもしない。

心なしか、モコが泣いているように見える。


人間の勝手で手術をして赤ちゃんを産めないようにしてしまうことに抵抗を感じた。でも、ペットとして責任を持って飼う以上、仕方がないことだ。

今、モコを抱きしめながらこれを書いている。

赤ちゃんを抱いているように、そのぬくもりが心地良い。

モコ ごめんね。傷が痛いのかな?みゃ~とも、う~んとも鳴いてくれないね。





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2002年12月21日(土) お久しぶりです。生きています。

何日もPCを立ち上げる事ができない日が続いた。私の周りにはいろんな問題がありすぎて、その一つ一つをどうやって消化して行ったらいいのかわからず、苦しむ日々だった。結局何も出来ず、ベッドに横になっている事が多かった。

父は薬の副作用で「せん妄」という状態になり、ボケと似たような症状になってしまった。自分が教師をしていた頃に戻り、名詞を作らなければいけないとか、私達の下宿を探さなきゃいけないとか、若い子を呼び止めては「君、君」と声をかけたり、それを止めるのに、私たちは苦慮した。

薬の副作用なんだからと、母に言い聞かせ、自分に言い聞かせても、それが元に戻るかどうかはわからない辛さ。自分の病室さえもわからなくなってしまった父は、外泊の後、閉鎖病棟に移ることになっている。


先日、リハビリのTさんと、マッサージ師のYさんと私の3人で飲みに行った。金曜日の6時に仕事が終るとロッカー室で顔を合わせる3人だ。言いたいことを言い合い、たくさん笑い、とても楽しい時間を過ごした。その後、Tさんとカラオケに行こうということになり、主人を呼んだ。

思いっきり歌った後、主人が会計をしていた時、Tさんに言われた。
「リハビリで、Kさんがいつまでも手首に包帯をしているのはおかしい、って言ってるよ。あれは手首を切ったんだ、って言ってるけど、私は『お姉ちゃんに限ってそんなことはない』と言い張ったんだ。どうしてそんなことをするの?子供がかわいくないの?優しいダンナだっているじゃない?そんなことするお姉ちゃんは嫌いや!」

激しい口調だった。

「病気なんだよ。鬱病なんだ。その症状の一つ」

「言い分けは聞きたくないよ。とにかくそんなことするお姉ちゃんは嫌いや!」

「わかってもらえないかもしれないけど、心の病気っていうものもあるんだよ。世の中にいろんな病気があるのと同じように、その病気の一つだよ」

「だったら、私は鬱病です、って言えばいい」

「私は言おうと思ったよ。でもAさんに止められた。Kさんは隠すのは嫌だと思うかもしれないけど、変にウワサを流す人もいるし、みんながわかってくれるとは限らないから言わない方がいいと止められた」

「わかんないよ。物事悲観的に考えちゃいかんって」

「悲観的に考えているわけじゃない。そうじゃない。私は死にたくはないんだからね」

「じゃあ、どうしてそんなことするの?」

私はもう何も言えなかった。全てを短い時間で話すのは無理だった。

少しの沈黙の後、

「でもお姉ちゃんが好きだよ」と言われた。

お姉ちゃんと言っても、私が2歳年上だと言うだけで、向こうのほうがよっぽどしっかりしている。


私はショックだった。鬱病はまだまだ理解されない病気なんだなと感じた。
それでも、ウワサになっていることは気にしない。

主人と二人になってから大泣きした。

でも主人は、「その人は考え方はどうであれ、ききのことを思ってくれている事には変わりないんだよ」と言ってくれた。



その後、病院で会ってもTさんとの間は変わりない。




今日病院の忘年会があった。出席したいわけでもなかったが、先生から「看護婦の人数が少ないから出てくれ」と言われたので、出ることにした。

お開きになって帰ろうとすると私のブーツが無かった。誰かが間違えて私のブーツを履いて帰ってしまった。私は残ったブーツを履くしかなくて、心当たりのある二人に電話した。1人は違った。もう1人は、私をお姉ちゃんと呼ぶTさんだ。

「ねえ、ブーツ間違ってない?」と電話で聞いたら、

「間違ってる~」と一言。

履き心地が全然違うんだけどなぁ。私のはファスナーがついてて、Tさんのはついてないし、私にはゆるゆるなんだけど。

「間違えたの、私のでよかったねぇ」と言うと「ホント。後でギャ―ギャ―言われたら嫌だと思っていたんだ。じゃ、火曜日に履いていって交換ということで」


私はいつも白衣で仕事に行ってしまうのだが、火曜日は白衣では行けないなぁ。

白衣にブーツじゃ、椎名林檎になっちゃうよ。





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追記

私は主治医に「今度リストカットしたら入院ですよ」と言われたことが、とてもショックだった。ショックというのは表現方法が違うような気がする。そんなことで止めようとするなんてずるいと思った。私の心の問題を解こうともしないで、「今度やったら入院」という言葉で、やめさせようと思っているのか。そんなこと言われたら、今度やっても言わないもん、と意地になる。

「自分を傷つけても何の解決にもならない」と先生は言うけれど、私はそうすることで楽になり、生きていける。それがダメなら他の方法を教えて欲しい。



2002年12月04日(水) 側転側転また側転

二葉の授業参観の後、急いで仕事に向った。

水曜は比較的空いているのだけど、手のかかる患者が多かったため、まったりという感じではなかった。
いつも、水曜は前髪の変なO君にマッサージをしてもらうんだけど、今日は即家に帰った。たまには早く帰らないと、母の目が厳しいから。

なぜ前髪が変なO君かというと・・・
私は思考回路を通らずに口走ってしまう事がある。

私 「O君、前髪変!」
O君「うるさいよ!」
私 「切ってあげようか?」
O君「いらね~よ」

こんな会話があったのだ。
今日携帯にメールが来て、「前髪が変なOより」と書いてあった。自覚してるじゃん。


夕食の後、また二葉が「側転を教えて」と言う。

「お母さん食べたばっかりだし、左手も痛いから、二葉がやって。見て悪いところ直してあげるから」と言うと、少しはやったのだが、見本を見せて欲しいと言う。

マジでおなかいっぱいで、側転なんかしちゃったら、ゲロゲロしてしまいそう。
二葉の押しに負けて、やってみたが、左手に力が入らなくて上手く出来ない。力が入らないと言うより、自然に左手首をかばってしまうのだ。

「左手が痛いから上手くできないよ」と言っても、「お母さんがやってくれないとどんな風にすればいいかわからない」と言う。その辺は理解ある一生が、「お母さんが手が痛くてできないと言ってるでしょ」と言っても二葉は言うことを聞かない。そんなことをしているうちに、一生はジンマシンが出てしまった。また精神的誘因でジンマシンが出た。すぐに薬を飲ませ、二葉の側転の練習を始めた。


明日体育があり、側転ができないと、「二葉の一生にかかる問題」とかなり大げさなことを言う。運動のセンスがあり、すぐにコツをつかんでしまう子とそうでない子がいる。二葉の場合、努力をしなければいけない。何度も何度もやったが、時間的にまずいということで、終わりにした。明日は自分のできる限りの力でがんばればいい。


子供の頃、片手だけで側転ができた。でも今は両手でさえも上手にはできない。それは手首の問題や体力が落ちただけでなく、体重が重くなったせいもあるのかもしれない。





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2002年12月03日(火) スローリーさんに誘われて、等々

仕事中に電話がかかって来た。
スローリー尾林さんからだった。
「今日、仕事が終ったら家に寄ってくださる?」と言われたので、OKした。
早めに仕事を切り上げ、スローリーさんの家に行くと、
「一緒に食事でもしませんか?」と言う。スローリーさんの家は「とんでん」のすぐ近く。私は迷った。母や子供達が待っている。
スローリーさんは、
「御迷惑ならいいんですよ。でも、お母様がいらっしゃるのよね。それは実のお母様?」と言うので、「そうです」と答えると、
「じゃあ安心ね。今日お米もなくなってしまって、1人でご飯どうしようと思っていたところなの」と言う。私は迷った末に、家に電話して「先にご飯を食べていて欲しい」と言った。「食べてから帰る」というのは言えなかった。

スローリーさんは、歩くのもしゃべるのも、食べるのもスローリー。
今日も、アメショーのレオちゃんを見せてもらって、肉球をグリグリすると、私の手をペロペロなめる。本当に愛らしくてかわいい猫だ。

スローリーさんは、いつも1人で食事をしているんだろうな。きっと寂しい思いをしているのだろう。先日、お誕生日にケーキを持って行ったことで、気を遣わせてしまったのだろうけど、たまにならこういうこともいいと私は思う。


食事をした後、お礼を言って急いで家に帰った。
母に事情を話すと、
「その人、子供がいるって知っているんでしょ?」と常識が無いというようなことを言われた。「実のお母さんなら大丈夫よね」と言われたことは言えなかった。うちの場合、実の母の方がそういう意味では理解がないのだ。

悲しい気持ちになった。
きっと義母なら許してくれるだろう。私は毎日子供をほったらかしにしているわけじゃないのに。


食事の後、一生がりんごの皮をむいていた。どうしてうまくむけないのかなぁと何個もむくので食べ放題。この時期、うちはりんご地獄に合う。結局10個ぐらいむいたりんごをみんなで食べてしまった。

二葉は木曜日までに側転ができるようになりたいと言う。外で練習する事ができなかったので、和室でしようと思ったのだが、母の許しが得られず(母が寝室にしているため)リビングでやることになった。私は左手首に傷があるため、上手にはできないけれど、見本を見せて、次に二葉にやらせて、悪いところを指摘して直す。
だんだんやって行くうちになんとなく、側転らしくなって来た。あんまりやっていると、下の人に迷惑なので、また明日ということで終わりにした。

やっと二葉の相手が終わった、と思ったら、
「お母さん髪を切る約束だったよね」と言われる。ああ、忘れていた。
それに前髪だけだと思ったら、全体的に切りたいのだと言う。しかも、髪を切るハサミが見つからない。病院から間違えて持って来て返していないハサミがあったので、それで切ることにした。(先生ごめんよぉ)
「横はシャギーを入れてね」とか「前髪切り過ぎないでね」などと、注文がうるさい。


今度こそ終わった~と思ったら、今度は猫達の番。モコが、ニャ―と鳴く。
「どうしたの?猫みたいな声出して!」と言うと、「猫だってば」と言われるんだけど、モコはいつも、「う~ん」と鳴くんだもの。これはチーズの要求なのだ。雪印の6Pチーズしか食べない贅沢な猫に、小さくちぎってあげると、おいしそうに食べる。おまえ、コレステロール大丈夫か?


母に点滴をしてほしいと言われていた。母はどうしてもがんばりすぎる。がんばり過ぎなくていいよ、と言うと「だって、がんばらないと子供達が飢え死にするじゃない?」と言うが、今までだってなんとか生きてきたんだから。何も完璧にやろうとしなくてもいいのに。
母の血管は細いのだが、一発で入れることができた。母はMDを聴きながら、点滴をしていた。

母の点滴が終わり、母と二葉が寝たら、静かになった。
一生が自分から勉強の話をして来た。「どうすればいいのか」と聞いてくる。「どうすればいいと思う?」と聞いても「わからない」と言う。「高校に行きたい、という思いがあるのなら、塾に行くか、家庭教師をつけるのがいいと思うけど、お母さんとしては塾の方が楽だな。だってさ~、お掃除が~あれがこれがって大変になるもん」と言うと、一生が笑う。「塾って誰もいない時間って無いのかな」と一生は言いつつ、自分でおかしいと思ったらしく、「それじゃ受験もできないか」と言う。私は一年ぐらい遅れてもいいと思うのだが、それは絶対に嫌なようだ。
「だったらがんばるしかないんだよ」と言ってみたが、一年の時、塾に行き始め、2ヶ月も経たないうちに挫折して、入学金その他を無駄にした過去があるため、不安が無いわけでもない。


ただ、勉強をしたい、という気持ちになったのは確かである。


いろんなこと書いて支離滅裂。私の頭の中もグチャグチャ。





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2002年12月02日(月) エステ体験、一日経ったら、どうなったか知りたい?



↑母の肌 黒い点々がありますが、これがシミを取った部分です。



↑私の肌 主人に撮ってもらったらブレてますが、私の方は少し赤くなっています。(アップで撮るなぁ。ボコボコが丸見えーー;)2~3日できれいになるらしいのですが、本当でしょうか。


一週間後の月曜日にまた行く予定です。本当に取れるかどうかレポートします(爆)


美しくなりたい!それは女性の永遠のテーマ。





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2002年12月01日(日) シミ取り5千円体験コース

友人から教えてもらったエステに、母と二人で行く予定にしていた。
シミ取り5個2千円キャンペーンコースと、5千円シミ取り体験コース。

「行こうね」と言ってから、もう一年が経つ。


私は、憂鬱な気持ちには変わりなかったが、昨日のようなことに5千円使うなら、きれいになることに5千円使う方がいいと思った。

まずはカウンセリングをし、そのあとなぜシミが取れるのかの説明。そんなことゴチャゴチャ言ってないで、早く取ってくれよ、という気持ちだった。

ベッドに寝たあとは、顔の汚れを落とし、化粧水のようなものを塗って、蒸気を当てた。そして、いよいよシミ取りが始まる。

「お嬢さん、お母さんの見ますか?」と言われ、私は母のを見ていた。

かなり真剣!写真まで撮っちゃった(笑)



↑これは母です


↑ちなみにこれが母が持ち帰ったシミ


↑これが私が持ち帰ったシミ

PCのモニターをよく拭いて見てくださいね。モニターのゴミと一緒にしないで(爆)

5千円という料金は次回の分まで含まれているが、これで満足するのだろうか。





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