うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2002年11月30日(土) 5千円で事の重大さに気付くなんて

昨日は二葉のマラソン大会で、9時に学校に行った。行きは母に車で送ってもらった。二葉はマラソンが大嫌い。去年は46位で、ビリから数えた方が早いぐらいだった。一昨日、「マラソン大会に出たくない」と言っていたので、一生に飲ませている「セント・ジョーンズ・ワート」を「ハッピーになる薬だよ」と言って飲ませたら、3分も経たないうちに、立ち直り「やっぱり出る!」と言った。

二葉が走って戻って来た時、大きな声で「あと二人抜け~!」と叫んだ。すると二葉はラストスパートで3人抜いた。今年は34位だった。本人も満足そうで、来年の目標は、20位台になることらしい。


最近「汗臭いサイト」をよく見ているので、私も走りたくなった。帰りは1kmの道を走って帰った。ポカポカと体が温まり、とても気持ちよくなった。私は歩くのは嫌いだけど、走るのは好きなんだ。


木曜日、スローリーさんの家に遊びに行った時の私はとても心が落ち着いていたのに、今日はダメだった。

姉が来て、家の中を片付けてくれた。姉は何も言わず、子供達に指示をするだけだが、母はいろんなことが気になるらしく、「ここも気になっていた」とか「ホコリだらけだ」とか「お化け屋敷みたい」とかいろんなことを言うのが聞えて来る。
私は布団をかぶって耳をふさいだ。

私だって普通の人みたいに家事をちゃんとやりたい。テニスをやっていた時の方がそれなりにできていたように思う。みんなで片付けてくれている音が聞える。それが私には辛かった。子供達がやってくれるのはありがたい。もちろん、母や姉がやってくれるのもありがたいのだが、時々聞えてくる言葉が心に突き刺さる。
こんな言葉ぐらいに負けてはいけない。みんな私のためにやってくれているのだから。

苦しくて辛くて、「抗不安剤」を飲んだ。それでも、いつまで経っても、苦しい気持ちが薄れることはなかった。


でも、私はベッドに入ったまま、カーッターを持っていた。下にタオルを敷き、
そして・・・・いつものように・・・・。

それは午後1時頃のことだった。かなり多い出血にタオルをグルグル巻いて止血して、タウンページを見ていた。土曜日の午後診療しているところは少ない。私がバイトしている病院には今日は行けない。前回やってからまだ一週間も経っていないのだから。病院を探すのに、一時間以上かかった。何ヶ所も電話して、診てくれるかどうか聞いた。やっと探しあてて、そこに行き、
「どうしました?」と聞かれ、
「手首を切ったんです」と言うと、すぐに診てくれた。4時間も待たされる病院とは大違いだ~。


先生に、「親指の方しびれませんか?」と聞かれた。「しびれています」と言うと、「神経を傷つけていますね」と言われ、「わかっていると思いますが、こういうことを繰り返していると大変な事になりますよ」と言われた。そして前回の傷のことも聞かれ、うつ病で通院していることを伝えると、「その病院に電話した方がいい」と言われた。「月曜日が受診日なので、その時に言います」と言うと、先生は「月曜日まではまだ時間があるでしょ?今日伝えた方がいいんですよ。これからどうするつもりでしたか?」と聞かれ、「縫っていただいたら、そのまま家に帰り、普通に生活するつもりです」と言った。「死ぬつもりはありません」と答えた。


家に戻ると、買い物に出ていた父母が帰っていた。そして、私が通院している病院から電話がかかって来た。母が出たのだが、なんとなく言われていることがわかった。私が家に帰っているかの確認のための電話だったらしい。それを母に知られないようにという配慮で、「父の下剤を持たせ忘れていませんか?」と言われたようだ。だから、母は今のところ、何も知らない。



今までこういうことを繰り返してきて、初めて気づいたことがある。
今日病院で会計をしたら、「5010円です」と言われた。初診料、診察料、薬代で、この料金。私は今まで、バイト先で縫ってもらっていたので、お金は払っていなかった。こういうことを何度もしていたんだなぁ。普通の病院に通っていたら、私は何万円も使っていたんだと感じた。お金のことで、事の重大さに気付くのは変だと思うけど、5千円かかったのは大きかった。


そして今日、初めてリストカットの怖さを感じた。今日は手首を切ってしまったため、もう少し深く切ると動脈を傷つけるところだった。動脈らしきところが見えたので、私は傷つけることをやめた。




家に帰り、気持ちが落ち着いてから、Aさんの家に電話した。
Aさんとは、9月に亡くなった患者さんである。
「○○整形外科のKです。ご無沙汰しております。お線香をあげに行きたいんですけど、いいですか?」

娘さんは、「母が喜ぶと思いますよ。是非いらして下さい」と言ってくれた。
私はこんな風に、患者や家族と触れ合っている時が一番輝いているのかもしれない。






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2002年11月28日(木) 色々あったけど、二人でハッピーバースデー

一生は昼夜逆転を直そうとしている。少し直りかけているところなので、なんとか時間を取りたいと思っていた。最近すれ違いばかりで、ろくに話もしていない。
私は朝が弱いので、「11時に起して」と頼み、8時にベッドにもぐり込んだ。

きっちり11時。すさまじい地震のような揺れで目が覚めた。

なんだ?なんだ?と思ったら、

「11時だよ」と言う一生の声。

一生がモスバーガーを食べたいと言っていたので、電話で注文し、取りに行って来た。二人で、食べながら話をし、「お久しぶり」とふざける私。

食べた後、「ピアノを弾こうよ」と促した。「イマジンを弾きたい」と言っておきながら、難しい記号にこだわり弾こうとしなかった。
「そんなの無視して弾いちゃおうよ」と私は言い、二人でピアノに向った。
少し弾いているうちになんとなく、メロディーがイマジンに近くなって来た。

うん、そんな感じ、そんな感じ。

スローなメロディーが心地よかった。



今日は、なぜか動く日だった。

まず、父が入院している病院に電話し、先生に外泊の許可を取った。父は外科を受診しているので、午後出張の先生に話を聞くには間に合わないと思ったからだ。
とりあえず、今日から、日曜日までの許可をもらった。



それから、前から気になっていた心療内科の受診の件で友人に電話した。どうしても行ってみたいと思っていたが、そのエネルギーが今まではなかった。今日はお休みなので、予約を入れるのは明日になる。




そして、なんと言っても今日のメインは、スローリー尾林の誕生日。
昨日、尾林(仮名)さんは、膝の激痛で来院した。介護の人の強い希望により、一日だけでも入院させてくれというので(尾林さんが一人暮らしのため)、一日だけの入院になった。状態によっては転院ということもあったのだが、尾林さんが家に帰りたいと希望したため退院することになった。

今日は尾林さんの80歳の誕生日である。(昨日本人から聞いた)
80歳の誕生日に1人だなんて、あまりにも寂し過ぎる。私はふと思い立って、尾林さんの家に行こうと思った。いつも、事務関係のことを聞くのは、Tちゃんと決めている。Tちゃんに、電話番号と住所を聞いて、尾林さんに電話した。

「○○整形外科のKですけど・・・・・これから遊びに行ってもいいですか?」

尾林さんは昨日とは打って変わって明るい声で「いいですよ。是非いらして下さい」と言ってくれた。私は近所の豆腐屋さんで、青豆豆腐と、湯葉を買い、それからケーキ屋に向った。尾林さんは心臓が悪いので、カロリーの高いものや甘いものは控えなければいけないことは知っていた。でも、それは普段控えればいいのだ。今日は誕生日なんだから。小さなケーキを2個買った。



尾林さんの家はすぐにわかった。私の好きなアメリカンショートヘアがいる。
猫特有のきつさは全然無くて、目がちょっと離れている愛嬌のある猫だった。尾林さんにとてもかわいがられているのがわかった。愛されている猫は、人を警戒しない。私が手を握ると、ペロペロとなめてくれた。あまりにもかわいくて、誘拐したいぐらいだったよ(笑)

尾林さんはお肉もお魚もあまり好きではないらしい。
「何も食べていないんじゃないかと思って、お豆腐を持って来たんですよ」と言うと、「まあすみません」と、とても恐縮している。湯葉は好みに合うかどうかわからなかったが、お刺身なのでほんの少しお醤油をかけるだけで食べられる。

ケーキを出して、「どちらにしますか?」と聞くと、
「そうね、どっちもおいしそうね。どうしましょう」と言うので、半分ずつ食べる事にした。

「お誕生日おめでとうございます」と言うと、

「まあ、こんなの何年ぶりかしら?」と尾林さんは笑った。

尾林さんはとても喜んでくれた。


自己満足に過ぎないかもしれないけれど、80歳の誕生日を1人で過ごして欲しくなかった。




家に帰ると私は母である。二葉が「筋肉痛で足が痛い」と言う。明日のマラソン大会のことが気になっているのだ。二葉は運動が苦手で、特にマラソン大会は大嫌いで、前から「出たくない」と言っている。「順位なんか気にしなくていい。完走を目標にしよう」と言っても走ることそのものが嫌いらしい。痛いというところをさすってあげた。一生に飲ませている、「セントジョーンズワース」を二葉にも飲ませた。「これを飲むとハッピーになるんだよ」と言うと、3分も経たないうちに、「明日走る」と言う二葉。まあ効き目が早いこと。




母が父に「ききが泊まりにおいでって言ってるよ」と言うと、父は子供のように喜んだと言う。父をお風呂に連れて行くために、主人も早く帰って来てくれた。それなのに、父はお風呂に行くのがおっくうだというのでやめにした。まさか、お風呂に連れて行くために早く帰って来たんだからね、とも言えなくて。明日はどうなることやら。





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2002年11月27日(水) 好きな血管、嫌いな血管

リストカットした翌日に何も無かったように、仕事に行く私。

あんなに苦しくて腕に傷をつけたのに、翌日になると心は少し晴れている。この安堵感が不思議でたまらない。

患者や他のスタッフに「腕、まだ治らないの?」と言われる。

「ハイ、まだ。人生色々なんで」とワケのわからない言い訳をする。

先生や他の看護婦に迷惑をかけることを気にするよりも、仕事に行った時に、精一杯働く事を心がけている。


「私、血管が細くて看護婦さん泣かせなんですよ」と言う患者が多い。私はなぜかそういう人の方が、一発で入れられる。私が嫌いなのは、太すぎるぐらい太い血管の人である。その中全てに血液が通っていないんじゃないかと思ってしまう。

私がヨーダ・伊藤(仮名)と呼んでいる患者がいる。(スターウォーズのヨーダに似ているから)ヨーダさんは、血管が太い。新米でも学生でも入れられるような血管をしている。それなのに、はずしてしまった。これはショックだった。


私の好きな血管は適度に細く、刺す時に動かないようなYさんの血管。昨日、Yさんが来た時、思わず「私の好きな血管!」と叫んでしまった。でも、先日やめたSさんは、このYさんの血管が苦手なのだと言う。


男性と女性を比べると、明らかに男性の方が痛みに弱い。血管が見つからないので、手背(手の甲)にしようとすると、「そこは痛いから嫌だよ」と男の人は言う。でも女の人は、「そこしかないんじゃしょうがないね」と言って、手を出すのだ。私もその場所には何度も注射をした経験があるので、「そんなに痛くないですよ」と言っても、男の人は信じない。

そして私は、手背に刺すのが好きという変な看護婦である。今まで80%の人が「思ったより痛くなかった」と言ってくれた。(←洗剤のCMみたいですね。)ある看護婦は「それは言わせているんだ」と言うけど。



神様が女に子供を産ませる理由がわかるね。





帰り際、肌がきれいになるという注射(静脈注射)を、自分でしようとして、ある看護婦に「やめて~」と言われた。「大丈夫だよ。自分でやったことあるし。なんでダメなの?」と聞いたら、「なんとなく、ダメ」と変な答えが返って来た。
刺すだけ刺してもらって、後は自分でピストンを押してました。





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2002年11月26日(火) 自分がリストカッターになるなんて思ってもみなかった

もう1人、私の大好きなマッサージ師がやめる。

彼女がやめる理由は、人間関係のゴタゴタではないらしい。金曜日に、定時に仕事が終わると、リハビリのTさんと、マッサージ師のYさんと私の3人が更衣室に集まる。最近私は忙しくて、彼女に会えない日が続いていた。

私は、「3人娘」と呼んでいた。Yさんが長女で、私が次女、Tさんが三女。本当は三女が一番しっかりしているように見えるんだけどね。

その長女がやめてしまうのはとても辛い。Yさんは、「千と千尋の神隠し」の坊ネズミに似ている。それを見たいと言うので、二葉のぬいぐるみを持って行ったこともある。ほわんとした感じが好きだった。でも、私以外の二人とも大阪の人で、二人は更衣室では大阪弁を使うのだが、私は三人の会話が好きだった。



夜は二葉がベッドに入ってきたために熟睡できなかった。疲れが取れなくて、睡眠薬(持続時間の短いもの)を飲んで、昼間寝た。しかし、普段の薬の他に睡眠薬も飲んだため、ボーッとした感じが残っていたのだろうか、車をこすってしまった。
しかも、目立つ前の部分を。

今回の傷はいつも以上に深かったのか、血がなかなか止まらなかった。家でガーゼを当て、それからタオルをグルグル巻いて、止血したつもりが、病院でガーゼを替えてもらい、その上からガーゼでしばってもらったのに、いつまで経っても止まらない。私は暇つぶしに雑誌を読んでいたのだが、テーブルの上には、血がべっとりとついてしまった。私はその度にウェットティシュ―で血液を拭き、テーブルに付かないように腕の下にティシューを置くのだが、同じ事の繰り返しだった。

昨日、リストカットして今日の仕事。
昨日処置をしてもらう時と同じメンバーだったのでやりやすかった。もうわかっているので何も説明する必要が無い。

私は、まるで二重人格のように仕事に専念した。その方が気が紛れる。

私がリストカットをするようになったのは、ここ2~3ヶ月の間。

まさか自分がリストカッターになるなんて、思ってもみなかった。しかも「ためらい傷」というにはあまりにも深い。私は生きていたい。

傷を作っても生きていたい。

主人はいつもより早めに帰って来た。メス猫のモコが主人になついてゴロゴロしていた。モコを抱いていた主人がいきなりモコを降ろしたら、私の指の上に爪が当って、引っ掻き傷が出来た。少し血がにじんだ。
主人に「ごめん」と言われたが、そんなのは傷のうちに入らないよ。

かわいい猫達が作る傷なんて。





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2002年11月25日(月) 一種の癖なんです

今度自傷したら、病院のバイトはクビかな、と思っていたのに、

また昨日やってしまった。

心が苦しくてたまらなくて、ずっと考えていた。発作的にやったものではなかった。

「やられると、寿命が3年ずつ縮むんだよ」という主人。

先生にも看護婦にも迷惑をかけると思う気持ち。そんな気持ちが入り混じっても、私の苦しみはどうしようもなかった。

最初は、本当のリストカットで、手首を切ったのだが、それはやめた。

私は死ぬつもりはない。少し上の方を切る。それは、私は死にたいのではないという自己主張なのだ。

苦しくてたまらないその気持ちを、傷で表すと楽になるなんて、心が健康な人にはわかってもらえないだろう。




もう、バイト先の先生には縫ってもらえないという思いで、別の整形外科に行った。
駐車場でさんざん迷っていた。以前O君に「院長としては、別の病院に行かれた方がショックなんじゃないの?」と言われたことがあったからだ。

駐車場で携帯をいじっているうちに、O君に空メールを出してしまった。休み時間だったので、電源が入っていたのだろう。電話がかかって来た。理由を話して、やっぱり、別の整形外科に行くと言って、電話を切った。

初診の受付をして、順番が来るのを待っていた。新しい病院で、患者の数が少ない。うちの病院となんでこんなに違うのだろう。うちの病院はいつも患者でごった返している。

そこへ、O君からメールが入った。やっぱり○○(バイト先の病院)においでよ。
看護婦も、KさんとMさんだから大丈夫だよ」と。

私は、受付で「ごめんなさい。キャンセルします」と言って、その病院を後にした。


自分のバイト先というのは、いい面もあり、悪い面もある。まず、医療費が安い。というより、タダに近い。先生の診察料は取られなくて、テープ代、糸代、程度しか請求されない。それはかなり助かることなのだが、待ち時間が長い。

私は、ナースステーションで待っていたが、予想通り4時間待った。

これだけは自分が悪いのだから、責める事はできない。


先生は、前回「Kさん、またかい?」と言ったのに、

今日は穏やかだった。患者の診察が終わった後だったからかもしれない。

「天気が悪いからかな?」「天気が悪いと気分的にダメなんじゃないの?」と話しかけてくれるのに、私は答えることができなかった。



母には、以前縫ったところが開いてしまったので、また縫い直したということにしてある。
「どうしてそんなに開くんだろうね」と言われ、

「栄養状態が悪いか、糖尿病なんじゃない?」と笑ってごまかした。


主人にも言わないつもりだったが、母から病院に行ったと言うのを聞いて、根掘り葉掘り聞かれ、バレてしまった。主人にはどうしても、自傷の意味がわからない。

どんなに説明してもわからない。それは当たり前のことだと思う。主人は病気ではないのだから。


「今度やったら、あっぴ焼肉食べちゃうよ」と変な交渉をしてくる。

そんなぁ・・・・



睡眠薬を飲んでも、熟睡はできなかった。


それでも、私は看護婦として仕事に行く。白衣を着た自分が一番まともな自分かもしれない。





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2002年11月24日(日) パイナップルの芯!

父が転院し(元の病院に戻り)、母が戻って来た。

母はかなりあきれている様子。家の中がグチャグチャ(爆)
これでも私なりにがんばっているんだけど、なにしろ散らかす3名がどうしようもないので。特に、主人と二葉。(二葉怪獣)

私は家事がおっくうで、何もしないで寝ていたい状態が続いている。
それでいて、買い物には行こうかなと思ったりする。


二葉がスニーカーが欲しいと言うので、買いに行く事にした。
「でもね、このままじゃ行けないよ。ちゃんと片付けてから行こう」と言い、
二人でリビングを片付けた。

二葉と母と3人でスーパーに行った。そこで、完熟のパイナップルをおばさんがザクザクと切っていた。そしてすばやくパックに詰めて行く。


でも、芯は無残に捨てられて行く。


私はパイナップルの芯が大好きなのだ!




かと言って、「芯だけ下さい」とは言えない。


芯が欲しい!!!


しばらくボー―ッと見ていたが、捨てられた袋の中をチラリと見たら、皮と芯がまざって生ゴミ状態。


おばさ~ん、芯だけくれよ~!!!


皮をむいていないパイナップルを買って自分でむけば芯を食べられるんだけど、面倒だし、おいしいとは限らない。

無残に捨てられて行く芯を指をくわえて見ていた(T.T)


あきらめて、2パック買って帰って来た。



今日の夕食はしゃぶしゃぶで、野菜を切るだけでいいのに、それがおっくうでしょうがない。私はベッドにもぐりこんでしまった。

母の声が聞える。
「ばあばがいない時はどうしてたの?」

子ども達は何も言わなかった。ありがとう、我が子よ。



母は、家事ができないことを鬱病の症状としては見てくれない。





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2002年11月23日(土) 悪貨は良貨を駆逐する

看護婦が1人やめました。

私が勤め始めた時からお世話になった人で、本当にやめて欲しくなかったのですが、彼女にも彼女なりの事情があったようです。

やめると固く決心したものを止めることはできませんでした。

人間関係がドロドロしてます。

女はどうしてウワサ好きなのでしょう。

私は人のウワサをすることは嫌いです。


結局いい人がやめて行く事になるんですね。





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2002年11月21日(木) 即決の人

一生が「イマジンの簡単な楽譜がほしい」と言っていたのを思い出した。たまにピアノを弾きたくなるらしい。一生は5歳から小6まで習ったが、あまり上達はしなかった。一生は努力というものをしない。でもピアニストにするつもりはないし、楽しんで弾ければいいというつもりで習わせて来た。一生は感性で生きるタイプ。二葉は努力するタイプである。それも個性なのだろうと思いながら二人を見ている。

友人のSさんと銀座に行って来た。食事をしてから、山野楽器に行って、楽譜を探した。ポールマッカートニーの来日があったせいか、すぐに見つかった。しかも「ハ長調で弾ける」というもので、ポップスやクラシックも載っていた。二葉が弾けそうな曲も入っていたので、ラッキーな一冊だった。

そして、いつまでも小さなポーチに入れていては不便なので、お財布を買った。財布を無くしたショックからはもう立ち直った。私は落ち込みやすいけど、立ち直るのも早いのだ。以前のと形も似ていて、使いやすそう。

明治屋では、かわいい瓶に入ったりんごジュース2個(子供達へのお土産)と、主人と二葉が好きなしそワカメ。これは以前ネット友達が教えてくれたもので、「萩、井上のしそワカメじゃないとだめだよ」と言われていたので、明治屋に行くといつも買って来る。アツアツのご飯に乗せて食べるとおいしい。

それから、ケーキ&お茶して帰ったのだが、途中で別の友人からメールが入った。
一緒に行ったSさんは私より手前の駅で降りた。
私はメールをくれた友人に会いたくなったので、降りるはずの駅で降りずに、友人に会いに行った。コーヒーを飲みながらおしゃべりして、帰りにはコロッケのお土産までもらった。
「これで夕食のおかずを作らなくていい」と思うと、心が軽くなる。とてもありがたい。

友人と会う前に駅ビルで、いいなぁと思ったジャケットがあった。多分これを買わずに帰ると、欲しくてまた来る事になるだろうと思った。そして、その時にはなくなっていて、泣きたい気持ちになるんだろうなぁと予想して、買うことにした。友人と、この辺だったんだけどなぁとお店を探していたら、階も場所も全然違っていた。これが姉に言われた「3Dで方向オンチ」というものである。平面だけでなく、上下もわからなくなるーー;








私は、インスピレーションで物を買う。物は、私に買われたがっている。
ピピピピ・・・・と電波のようなものを感じるのだ。そしてほとんどが衝動買い。
その方がいいものが多い。


物とは出会いだと思っている。(←本当は買い物した時の言い訳) 



以前他の友達にもビックリされたが・・・・私は・・・・








即決の人なのである!





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2002年11月19日(火) 心が健康な人と心を病んでいる人

製造中止になったセデスGを20包見つけた。(家の中で)
私の頭痛にはセデスGが一番効く。

ついでに書くと、財布はまだ見つかっていない。昨日銀行を駆け回って、キャッシュカードでの引き落としができないように手続きをした。

頭痛がひどかったので、仕事に行くなりセデスを飲んだら手のふるえが止まらない。点滴を打つ時も、手は小刻みにふるえる。それでも、1人もはずすことなく、10人以上の点滴を入れた。うちの病院は外来に3人看護婦がいて、点滴係と先生のお付きに分かれる。私はいつも先生のお付きなのだが、点滴係だと、半日で1人20人以上の点滴を入れることになる。まさしく点滴マシーンである。

私は、先生のお付きなのだが、できる限り点滴も入れさせてもらっている。そうじゃないと、勘が鈍っちゃうからネ。

母は相変らず父の付き添いで病院に泊り込み。私は思うように家事ができず、少しはやるのだが、追いつかない。昨日は、頭痛もあったせいか、仕事の後とても疲れた。白衣を着替えることもできず、そのままベッドにもぐりこんでしまった。主人が早く帰って来るというので、ご飯も任せた。

最初は本を読んでいたが、夜の薬と睡眠薬と頭痛薬と抗不安剤を全部飲んで寝た。


しかし、12時過ぎには起きてしまった。

本当は土曜日に抜糸をするはずだったのだ。でも、延ばし延ばしにしている。先生は私が言わなければ気付かないだろうし、昨日の帰りは忙しそうだったので、言えなかった。二葉の逆上がりに付き合って糸が切れたり、母と温泉に行ったりと、普通してはいけないようなことをしていたせいか、血が出てきたり、排膿したりしている。このままじゃまだ抜糸はできないのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、急に嫌な気持ちになった。
それをどんな風に表現したらいいのかわからない。動悸、とも、不安感とも違う。

とにかく私は、また自分を傷つけたい衝動にかられていた。

前回先生に「Kさん、またかい?」と言われた時、

「もうこの病院では縫ってもらえない」と思った。

今度は他の病院に行くのか。

まだしてもいないのに、そんなことを考えてしまう。

切る時は痛い。でも、私の心の痛みを体の痛みで表したい。

メールをくれる人の中にはこれをわかってくれる人がいる。

「切らないで」とは言えない。とか「切ることで、自分を保っているのではないか」という表現をしてくれる人もいる。


昨日、どうしても苦しくて友人に電話してしまった。遅い時間だったので、迷惑だとは思ったが、「何時でも構わない」という言葉に甘えて電話してしまった。

友人も「切らないで、とは言えない」という1人だ。
そして、こう言った。

「きっと、切らないで、と言う人もききさんのことを考えているんだけど、その人は心が健康なんだと思う」と。

この言葉にすごく納得してしまった。

主人はもちろん「もうしないで」と言う。

「ききが、それをするたびに寿命が3年ずつ縮んでいくよ」と言う。

困らせるためじゃないよ、と言っても、結局は困らせているのだから同じ事なのだろう。

そして日記を書いているうちに、朝5時になってしまった。


追記 電話をしている間に友人が、
「ききさん、声が明るくなって来たね」と言ってくれた。
お互いに仕事だということを思い出し、お礼を言って電話を切った。





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2002年11月17日(日) Vの字!

昨日は実父の病院に行き、髪を拭いた。頭皮の状態がとても悪くて、拭いた後には、全体的に肌がピンク色になってしまった。

私が行った時、父は寝ていた。起すのはかわいそうと言ったのだが、母が
「もういい加減寝たから起してもいいよ」と言って父を起した。

父は、
「あんこを食べるところだったのになぁ」と言った。

「あんこ食べるところだったのに、食べる前に起されちゃった?」と聞くと、

「そう」と、ボソッと言う。母と二人で笑った。


それから、髪を拭いていたのだが、そこに駐車場で待っているはずの主人が来て、お饅頭を出した。

「あ、ごめんね。まだ普通食になっていないし、病院で出された以外のものは食べないで下さい、って言われているの」と言って、持って帰ってもらった。

母が「でもね、私の付き添い食とほとんど変らない物が出たりするんだよ」と言うので、


「食べさせちゃおう!」




ということにした。←おまえはそれでも看護婦か!?


主人にもう一度、お饅頭を持って来てもらった。

「あんこを食べる夢を見ていたところに、こけももがお饅頭を持って来るなんてすごいじゃない?これは食べてもいいってことだよ」なんて、わけのわからない言い訳しながら。


父はおいしそうにお饅頭を食べた。

「おいしい、もう1個食べたい」と言った。

「じゃあ、あと半分だけね」と言って、残り半分を母が食べた。

「もっと食べたいなぁ」と言う父に、

「また明日食べようね」と言って、袋に入れるのは辛かった。

絶食が続いたので、食べたいものがたくさんあるのだろう。

母はずっと父に付きっきりで看病している。




今日、主人と私と二葉は八王子の病院に入院している義父のお見舞いに行った。
義父は少しずつではあるが、症状がよくなっているような気がする。主人が質問した時に「えっ?」と聞き返した時は、普通の会話に聞えたので、みんなでビックリしたほどだった。

一生、立つことはできないだろう。でも、車椅子の生活程度にはなれると思う。
最近電動ベッドに替わったらしい。左手が動くので、リモコンでベッドが動くのが面白くて、上げたり下げたり、頭を持ち上げたりして遊んでいるらしい。

昼間はいいのだが、夜それをやるものだから、「がーーー」という音がうるさいと
他の患者から苦情が出てしまった。夜は手の届かないところにリモコンを置いている。

ところが昨日、届いてしまったらしい。

頭の方を持ち上げ、足の方も持ち上げ・・・・













Vの字になって動けなくなっちゃった!


「うううううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~」と、うなって助けを求めたらしい。


悪いけど、笑っちゃいました。

もちろん、義母も先頭を切って大笑いしてました。



お義父さん、かわいい(^^)//





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2002年11月15日(金) 臨時休業女決定的!

母は相変らず父に付き添っている。いくら若く見えても、70のババアなんだから、たまには私が代わるよって言っても、「私は大丈夫だから子供達をちゃんと見てあげて」と言って聞いてくれない。

先日病院に行った時、先生に「お母さんは(リスカのことを)気付いていますよ」と先生に言われた。
母は先生に「ききは私に何か隠しているんじゃないでしょうか?」と言ったらしい。それに主人も言ってしまったようだ。母にだけは知られたくなかった。ただ、4回目というのは知らない。

今日、お昼ごろ、母がバタバタと帰って来たと思ったら、
「お風呂に行こう!」と言う。「抜糸してないから行けないよ」とも言えないし適当な理由が見つからなかった。

母はお風呂が大好きな人で一日に何度も入る。
実家の家は24時間風呂で「レジオネラ菌」がなんたらと騒いだ時も、お風呂にたくさん入って死ねるならそれでもいいよ、と強気な母。その時はプールにも通っていたので、身体も髪も渇く暇が無い。そんな母が父の付き添いで毎日お風呂に入れずにいる。よっぽどお風呂に入りたかったのだろう。今日は姉が来たので、「温泉に行きたい~!」と言ってすっとんで来たらしい。


昨日は二葉の逆上がりの練習につきあったら、2針切れてしまった(T.T)そんなのたいしたことはないんだけど、お風呂はどうしよう・・・・・・


病院では、抜糸するまでお風呂に入らないで下さいねとか、絶対に患部を濡らさないように、スーパーの袋を二重に重ねて、上をガムテープでグルグル巻いて入ってくださいなんて言ってるくせに、自分は・・・。

母には隠れて包帯を取り、傷口にカットバンを3枚ずらして貼った。そして母とお風呂に行くことにした。


この近所にスーパー銭湯は二件ある。どちらにしようかと迷ったが、Rの方が近いので、お風呂に入った後そのまま病院に行くつもりで白衣なども持って、Rという銭湯に行った。







しかし・・・・・・



















駐車場に、車が少ないし、砂利が積み上げられている。

「見てくるね」と言って、入り口に行くと、

「11月15日(金)より、一ヶ月間、補修工事のため、臨時休業致します」

と書いてあった(T_T)



私は「雨女」であり、「定休日女」であり、


「臨時休業女」なのは、わかっていたが、これで決定的だなと感じた。



しょうがなく遠い方の草津の湯を運んでいるという銭湯に行ったのである。


そんなことしていたおかげで、仕事2分遅刻しました(涙)






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2002年11月14日(木) 男女5人秋物語り その5 (完結編)

このところ色々あったので、途中になっていた「男女5人秋物語り」そろそろ今日で完結にしたいと思う。(終わりにできるかーー;)

さて、前回は、青森特有のトランプゲーム「ゴニンカン」だけでなく、「探偵」もやったというお話でした。

何度か探偵をやったら、大貧民をやろうと言う人が出てきて、また始まった。私がこれが大の苦手。やっぱり最初は平民ぐらいで始まったが、案の定大貧民で終わった。

これで終わりかと思うでしょう?いやいや、青森県民の底力はすごい。またゴニンカンが始まった。慣れていない私はついて行くだけでも必死。それに、ツーさんの津軽弁は、○内なまりなので、よく聞き取れないし~。津軽弁にも色々あるのさ。私がわかるのは津軽標準語だけじゃ。

結局私達は何時間トランプをやっていたのだろう。最初にダウンしたのは、サム。4時で沈没。次はササマサ5時で沈没。私もササマサと一緒に寝ようと思ったのだが、私は寝ると起きられない!それぐらいなら起きていたいと思った。

眠そうな顔をしながらも、ツーさん、みのさん、私は起きていた。
「寝る?」(これだけ読むと変な意味に取られちゃうね~♪)と聞くと、
「イヤ、今寝ると起きれないよ」と、二人が言う。
たわいもない話をしているうちに、7時になった。

朝食は7時からである。
さっそく二人を起そうと言うツーさん。

「でもさ~、2時間で起こされるササマサはかわいそうじゃない?」
「だって、俺、もう飯でも食いに行かないと寝ちゃうよ」
「・・・・」

どうしようと思っているうちに、ツーさんが壁に寄りかかって寝てしまった。マズイと思ったが、そのまま寝せておくことにした。座って寝る格好はこけももにそっくり@@;体型もそっくり。(身長はかなり違うけど)

結局ツーさんは15分ぐらい寝た。

私とみのさんは貫徹で、7時20分にツーさんが目覚め、
「おい、起きろ!」とサムを起した。

私はササマサを起しに行き、みんなで朝食を食べに。


それぞれが家庭を持っている、男女5人。トランプをやるためと語り明かすだけに集まった同期会だった。こんなことは一生に一度のような気がする。
何時間もトランプをした。童心に返って笑った。話をした。

心から楽しいと言える時間だった。とても意義のある、一泊二日の物語。






☆ホテルを出た後、地下鉄組みと、JR組みに別れた。みんなでお茶するわけでもなく「じゃあっ」という感じであっさり。こんな5人だった。





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2002年11月13日(水) 泣きっ面にスズメ蜂

あきれるほど、私にはいろんな事が降りかかってきます。自分で蒔いた種もあれば、そうじゃないことも。

自分の精神状態が少しよくなって来た、と思ったところで父がイレウスになり、転院でバタバタ。
そして近所のおじさんに駐車場のことで絡まれ、翌日父に付き添ったら、なんだかんだと絡まれ。(←こっちは病気のせいだから許せる)

ああああああああああああああああ・・・・と叫びたい気持ちでいたところ・・・


お財布を無くしてしまった(T_T)


入っていたお金は千円札2~3枚と、2百2円。

お金はたいしたことないんです。でもカードがたくさん。
クレジットカードはなくて、銀行のカードばっかりなんですが、困るよ~(T_T)

しかも母のカードまで入っていた。

「泣きっ面に蜂」どころじゃないです。




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2002年11月12日(火) おっさんに絡まれた翌日は父に絡まれました^^;

イレウス(腸閉塞)で入院した父は絶食となり、精神科の薬を全く飲めない状態になってしまった。8月にはそろそろ退院を、という話も出ていたのに、と母のガッカリした様子を見るのが辛かった。

父は、薬が突然切れたことと、環境の変化で錯乱してしまい、ドレーンは抜く、点滴は抜く、一時も目を話せない状態になった。母は二日続けてほとんど寝ずに付き添った。母の疲れもピークに来ている。私は、交代するつもりが、駐車場事件でボロボロになり、その日は付き添う事ができなくなった。

翌日は私が付き添った。最初は、私がくしゃみをすると「風邪をひくからちゃんと着なさい」とか、まともな受け答えだったのだが、だんだん寝ないし、ドレーンを抜く回数が増えて、どうしようもなくなった。一時は引っ張り合い。いくら言葉で説明してもダメなので、抜かないように、必死で止めても、父の力は強かった。
結局抜かれてしまった。

4時半ぐらいから、いろんな話が始まる。

「まだみんな寝ているんだよ。もう少し寝ようね」と言っても、全く寝ない。

父「修三はどうしてる?」

私「(松岡修造なら知ってるけど)修三って誰?」

父「修三を知らないなんて話にならん」


私「(必死に考える)もしかして、ヨシさんのダンナさん?」

父「そうだ。修三は今どこにいる?」


私「どこだろうね。わかんないなぁ」

父「帰る!」

私「帰りたいの?八戸の家に帰りたい?」

父「日向(ひなた)」

私「ひなた?ああ、あれ『ひなた』って読むんだね。今まで『ひむかい』だと思ってた」

そこは父が育った家である。昔のことを思い出しているのかもしれない。

私「日向に帰りたいの?」

父「帰る」

私「元気になったら帰ろうね。それに、ここは埼玉だから簡単には帰れないよ」

父「歩いてもなんでも帰る」

私「歩いては帰れないなぁ」

父「それに、なんで埼玉にいるんだ」

私「お父さんが病気になっただけじゃなく、お母さんも倒れそうだったでしょ?だからこっちに呼んだんだよ」

父「おまえはいい事をしたと思っているかもしれないが、ありがた迷惑だ。なんてことをしてくれたんだ。バカヤロウ。何の権利があってこっちに連れて来たんだ。誰も頼んでもいないのに」

私「そうだね。でもね、二人で共倒れになるのはほっとけなかったんだよ」

父「小さい頃は、かわいい女の子だったのに、どうしてこんなにバカになってしまったのかなぁ」

私「・・・・・・」

父「おまえいくつになった?20か21か」←これにはちょっと笑いそうになった。

私「○○歳だよ」

父「もうそんなになったのか。とにかくいくつになっても関係ない。おまえにも誰にも、私の行動を制限する権利はないんだ」

そばにある、バッグの中に食べ物が入っているのを知っていて、開けて食べそうになる。

私は必死にそれを奪い「すみません。父が食べそうなんです。預かってください」と言い、ナースステーションに荷物を置いて、急いで病室に帰ると、父は点滴を抜き、血だらけになっている。

私「やられた~」

父「こんなによごれてしまって」

私「(それはお父さんが点滴を抜くからでしょ?)」

ナースコールで看護婦を呼ぶ。

看護婦「Sさん、また点滴入れますよ」と言う。

ドレーンも点滴も、抜いても抜いても入れる看護婦達。きっと「また~?」と思っているに違いない。夜の間、6回抜いたうち私は2回自分で入れちゃった。アハハ。

とにかく、そうやって父に朝まで絡まれどおし。病気のせいだと思えば許す事もできる。昨日の問題とは全く違うから。



母には全ては言えなかったが、「お父さんに絡まれちゃったよ」と少しだけ話した。
母は「ききに謝って」と言ったらしい。
翌日も夜は私が付き添ったのだが、

「昨日はゴメン。なんだかわけがわかんないうちに言ってしまったらしい。3人の子供の中で一番かわいいと思っているのになぁ。ごめんね」と父に言われた。
父に謝られるなんて初めてのことかもしれない。

「病気のせいだし、薬を飲んでいないせいだから大丈夫だよ」と私は言った。
次の日は2時と5時にトイレに起きただけで、父はよく眠った。二日間眠らなかったので、かなり眠かったのだろう。私も少しウトウトすることができた。


今日も母が付き添っている。胃カメラの結果、経過がいいということで今日の夜から少しずつ流動食が始まったらしい。

明日私は勤務だが、明後日が休みなので、母と代わって父に付き添いたいと思っている。本当は愛する奥さんにいて欲しいんだろうね。

こけももが言ってました。「やっぱり付き添ってもらうのは、二葉じゃなくてききがいいなぁ」って(笑)





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2002年11月11日(月) 「警察から電話が・・・」の続き

「○○警察ですが、紺のレガシー、○○○○のKさん名義の車はお宅のですか?」
駐車場の持ち主が車を停められないと、言ってきてるんですが・・・

「そうですか。申し訳ありません。今日父が転院になったものですから、荷物を何度か運ばなきゃいけなかったのと、これから付き添いを母と交代するのであの場所に停めたんです。大家さんには停めていいと言われていた場所だったんですが」

車を停めるのはなるべく家に近い方がよかった。最近両腕とも痛いので、重いものは持てない。

「あそこは月極めになっているらしいですよ。車を見たんですが、荷物がたくさん積んであったので、何か御事情がおありだと思いました。今すぐ移動できますか?」と言われ、
「すぐ移動します」と言って電話を切った。


その場所に行くと、私の車の前と横に車でバリケードが築かれ、逃げられないようになっていた。もちろん逃げるつもりは無いし、謝ろうと思っていた。10分ぐらいその場で待つ。

マンションの向かいの閉鎖された工場のおじさんが、

おやじ「あんたか、停めていたのは。困るんだよ!」と言い、外に出て来た。

私  「申し訳ありませんでした。」
と謝ると、

おやじ「謝って済む問題じゃないんだよ。あんたには常識ってものが無いのか」

私  「私の駐車場は向こうなんですけど、今日は・・・」
おやじ、私の言葉をさえぎり
「だったらそっちに停めればいいじゃないか!」


私  「今日は、父が病気で転院したので、要らない荷物などを家に運ばなきゃいけなかったし、これから付き添いを母と交代するんです。それに、以前大家さんからここに停めていいって言われていたものですから」


おやじ「そんなのこっちには関係ないよ。ここに車を停めるなって言ってるんだ」

私   「もう停めません。本当に申し訳ありませんでした」



おやじ、その後、車を斜めに停めないのがいけないと言い出す。

おやじ 「それになんで停めるなら、斜めに停めないんだ。せめて並べて停めたら二台ぐらいは入るだろう」


私   「暗くて線は見えないし、月極めだということも知らなかったんです。それと赤い車が停まっていたので、その車に傷をつけてはいけないと思って離して停めました」と言うと、 

奥さん「嘘つき!何言ってんだよ。その時間には停めて無かったよ。嘘つくんじゃねーよ!」


おやじ「あんたはね、斜めに停めることすらできないんかい?」

私  「人間にはいろんな事情があって、斜めに停めることができない心理状態の時だってあるんです」
と言った。


おやじ 「なんだよ。その心理状態って」


私は今の家の状態を話した。

するとおやじは、
     
「そんなのそっちの事情じゃね~か。こっちには関係ないんだよ」

私は爆発してしまった!

私   「あなたには人の心というものがわからないんですか?」

おやじ 「わからないね。少なくともアンタの気持ちなんかわかりたくもないね」

このおっさんには何を言っても無駄だ。

私は、何度も謝っているのである。それでも、許してくれないし帰してくれない。 

結局、謝って車を動かすことしか考えていなかった私はカーディガン一枚で外に出た。寒空の下、延々1時間半も怒鳴られっぱなし。

携帯があったら、逆に警察を呼びたかったほどだ。

その後どうやって解放されたかわからない。

泣きながら大家さんのところに行った。

「大家さんが停めていいって言った、って言ってしまったので、ここにも苦情がくるかもしれません」と大家さんにも謝った。大家さんは、「間が悪かったね、多分あそこに停めているのは、Kさんだけじゃなかったんだよ。たまたまKさんが停めた時に怒りが爆発してしまったんだね。かわいそうにねぇ。寒かったでしょ?お風呂に入って、温まりなよ。体が温まれば嫌なことも忘れるよ。今度と停める時は、こっち側にしたらいいよ。こっちなら、停めても構わないからね」と言われた。

でも、何年か経ったらまた変るんだろうな、これだけは頭に入れなきゃと思った。帰りにその駐車場を見たら、車は停まっていなくて、家の前の道路に停めていたので腹が立った。

私はボロボロ泣いたまま家に帰った。子供達が「お母さんどうしたの?」と言う。
全てを子供達に話すと、「その人変じゃないの?おかしいよ」と慰めてくれる子供達。
その日は二葉の塾のお迎えに行った日だったので、「赤い車停まっていたよね」と言うと、「停まってたよ。左の方だった」と二葉が言う。


私はどうしても1人で耐えることができなくて、姉に電話をした。
姉には、「ききが悪い」と言われた。
「大家さんに言われたのは2年も前なんでしょ?それじゃ事情は変るよ」と。
それに、子供もいるんだから、もっと強くなれと言うようなことを言われた。
私はこれでもずいぶん強くなった。言いたいことの半分も言えない人間だったのに、ちゃんと言えるようになった。子供を守るために、小学校の校長先生に掛け合った事だってある。

これ以上、私に強くなれと言うのか。



主人が帰って来た。主人にも私が悪いのだと言われた。
優しい主人に慰めてもらいたかった。今日はいろんなことがありすぎて、自分のキャパを超えてしまったのだ。そんな中起きた出来事で、もうズタズタになっているところに、

「いつも優しいこけももではいられないんだよ。ダメなことはダメと。それに、いつもあそこには車が停まっているだろう。ちゃんと周りを見なきゃいけない。同じ車がいつも停まっていたら、月極めなんだなって思わなきゃ」と言われた。

私はその場所を通る時間帯が主人とは違うので、車が停まっているのは知らない。
こんな気持ちでは父の付き添いにはいけないと思った。私がいない間に、母から電話があり、「来なくていいよ」と言われたらしい。その言葉に救われた。


私は、主人に理解してもらえなかった事が悲しかった。
頭に来て、物を投げた!人に当るのはよくないと思ったので、扇風機や椅子を投げた。そこらじゅうにあるものをボンボン手当たり次第に投げた。主人と一生が止めに来た。主人の手は振り払ったけど、一生の手は振り払う事ができなかった。


後で思い出したのだが、前の工場というのは下請けの小さな工場で、かなり音がうるさかった。特に月曜日はフォークリフトで運び出す日で、その音は本当に頭がおかしくなりそうなほどの騒音だった。それだけじゃない。そこの息子の車は、夜中に大音量で音楽をかける。あまりにもうるさいので警察を呼びたいほどだったのだ。でも私たちは我慢してきた。そのうち、不景気のせいか工場は閉鎖された。今頃そんなことを思い出してもしょうがないが、そこの家の人か・・・と。


自分の許容量を越えてしまったものをどうすることもできなかった。
父のこと、母のこと、子供の事、主人の事、そして今日の出来事。いろんなことが頭を駆け巡り、心が苦しくてたまらなかった。そして、また私は、早朝リストカットをしてしまった。

弱い人間だと思われるかもしれない。だけど、私は心の痛みを身体の痛みとして感じることで、気持ちが楽になるのだ。誰にも気付かれないようにして止血し、1人で車を運転して病院に行った。
先生に「Kさん、またかい?」と言われた。もうできない。もうこの先生に縫ってもらうことはできないんだなぁと感じた。

誤字脱字失礼。見直すこともできません。





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2002年11月08日(金) 男女5人秋物語りはまた今度ということで~今日のタイトルは「イレウス」

昨日、友人の家に行っている間に母からメールが入った。
「お父さん、小腸に問題あり。検査する」

次に来たのは、
「転院するかも」

「転院する。荷物取りに行く」というものだった。

この時はあまり深く考えていなかった。
友人の家の帰りに、病院に寄って事情を聞くと、
「イレウス(腸閉塞)」だと言う。

イレウスとは、小腸の通過障害により、腸内容が完全にまたほとんど通過しない状態のことを言う。
入院して、様子を見て改善が見られないようならオペをすることになると言うのだ。
父の便秘は運動不足と薬の副作用だとばかり思っていた。なぜイレウスであることが今までわからなかったのだろう。今まで何度か検査しているはずなのに。その時は異常がなかったのだろうか。


予想外の展開に少し戸惑った。
私は父よりも先に母のことを心配した。バイト先の病院に電話し、以前処方してもらった点滴を2セット用意してもらうことにした。このままじゃ母が倒れる。


絶食にして、ドレナージを入れ、汚れた胃液その他の老廃物を外に出すという方法をとっている。ドレナージは鼻から入れる管である。汚れた液体がどんどん出てくるし、看護婦にも「まだ赤いねぇ」と言われる。

転院したばかりで不安だと言うことで母が付き添うことになった。
私はバイト先の病院に行き、点滴を受け取り、家に戻って子供達にご飯を食べさせた。(遊びに行った友人が、ハムカツとメンチカツをお土産にくれたので、とても助かった!)
おにぎりを作り、お湯を沸かして、ポットに詰めたり、果物を切ってタッパ―に詰めたりして、再び父の病院へ。途中でコンビニに寄って、インスタント味噌汁やお茶も買った。そして母に夕ご飯と朝ご飯を届けた。

父は落ち着いている様子だった。
「また明日来るからね」と言って、病院を後にした。

なんだか不思議な気持ちである。父は8月はとても元気だった。外に出たくてしょうがなく、毎日外食したがって母が困るほどだった。それが薬が変ってから急に調子が悪くなった。副作用により、パーキンソンの症状は出るし、最近は副作用を押さえる薬を使ってから、また妄想が出るようになっていた。

母はショックだったに違いない。ここに来たのは去年の4月。6月に入院した頃の父は妄想がひどかった。またあの頃からやり直すのか、と母は思ったようだ。

そんなことはない。薬がまた8月の時と同じになるって言っていたから、きっとよくなるよ、と言っていた矢先のことだった。

イレウスになって一番不安に思うのは、精神科の薬が全く使えない事である。セルシン(抗不安剤)ぐらいは注射で打てるが、内服薬は飲めない。昨日は落ち着いていたらしいが、今日行って見ると、父はどうしても落ち着かない。

布団カバーが気になるらしく、何度も結び目をほどいている。そして中身を出そうとする。最初は母がやめさせていたが、それでは両方が大変だ。母に、
「やらせておこう」と言った。
4つぐらいほどいたところで、
「じゃ直そうね」と言うと「うん」と父は言う。

それをさせておかないと点滴が気になり、ドレナーン(管)が気になり、どちらも抜きそうである。

今父はどんな精神状態なのだろうか。

昨日、母は全く寝ていない。姉が来てくれた時、車の中で少し仮眠したらしいが、今日も泊まるというので、私が夜10時頃交代することにした。私は朝はダメだけど夜の方が強いからね。

それに、一日に何度でもお風呂に入りたいほどお風呂好きの母が、二日間お風呂に入れないなんて大変なことなのだ。

というわけで、私はこれから母と交代するために病院に行って来ます。

・・・と書いたとたん、「○○警察です」と電話が・・・・

つづく(T.T)





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2002年11月06日(水) 男女5人秋物語り その4(探偵の巻)

昨日の日記よりつづく


一休みしながら、ふと思い出したのは、年に一度ゴニンカンの世界大会があるということ。しかし、ネットで見たけど、どう見てもその辺のおじさんとおばさん達。どこに外国の方がいらっしゃるのでしょうか、と世界大会というものに疑問を感じる。でも本人達がそう思っているからそれでいいのかーー;

若い金髪の兄ちゃんでも入れば、外国の方に見えるでしょうが、若い人達がゴニンカンに熱中するとは思えない。

みんなに是非紹介したいゲームがあった。
それは「探偵」と言う。このゲームは若かりし日、私と主人と他のメンバー、男女7人でやって盛り上がったものである。7人ぐらいがちょうどいいのだが、今回は5人しかいない。

「7人ぐらいがちょうどいいんだけどね」と説明を始めた。

トランプは5枚しか使わない。A、K、Q、J、10、「10」のカードは何でもいいがわかりやすいように、A、K、Q、J、は同じマークで、もう一枚は違うマークにした方がいい。(A、K、Q、Jがクローバーなら、10はハートというように)

まず、誰かがカードを配る。そしてみんな顔を伏せて、他の人にトランプが見えないようにそっと自分のカードを見る。

A、K、Qの人だけが顔を上げる。

Aは主犯。Kは共犯。Qは目撃者になる。

そして、Aは「アイツをやれ!」と指で合図し、Kは他の人たちに悟られないように、指示された人を、枕などで叩く。(もちろん思いっきり叩いたりはしない)

そして、「いいかなぁ」などと合図をして、みんなで顔を上げる。

それから証言が始まる。主犯も共犯も、なんでもないカードを配られた人も、嘘の証言をする。目撃者になったQの人だけが本当のことを言う。

これをもとに、Jを配られた探偵は誰が主犯で誰が共犯かを推理する。


このゲームって子供には教えられないと思いませんか?

一通り説明が終ったところで、ササマサがカードを配った。
大の大人が、顔を伏せてカードを見るあたり、なんとも異様な光景である。

最初は枕を使ったが、ツーさんが、枕がどっちの方向に動くかわかる、と言うので空のペットボトルを使うことにした。

一度やって、「つまんないからやめよう」という声があがるかと思ったら、何度もトランプは配られた。そのうち、みんなの証言(嘘)もかなり上手になって来て、サムは「主犯はササマサで共犯はMINOさんで、俺痛かった」と言うので、みんなで笑った。自分が叩かれたと言いたいのね。

不思議なことに、MINOさんは何度も続けてJ(探偵)になる。
そのうち「俺も顔を上げたい」と笑いながら言う。

いつもササマサが絡んでいるのもおかしかった。3回続けて同じメンバーの時には思わず吹き出してしまった。そうでなくても、トランプを見る時がなぜかおかしい。必ずクスクスと誰かが笑うので、つられて笑ってしまう。


「つまらない」と言われるかなぁと思った「探偵」が思いがけずウケて、なんだかホッとした。

機械によるゲームばかりしている今の子供達。たまにはトランプなどで遊んで欲しいと思う。うちはたまにトランプやりますけど。


そんなこんなで、ゴニンカンだけでなく「探偵」もやったというお話でした。


つづく





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2002年11月05日(火) 男女5人秋物語り その3

昨日の日記の続きです。

まず、ササマサとお風呂へ。ビジネスホテルなのに大きなお風呂があるなんて、めずらしい。それに清潔で、ゆったりと湯船にはいった私たちは大満足。最初は裸を見せるなんて恥ずかしくて嫌だなぁと思っていたのに、もうそんな気持ちは吹っ飛んだ。私だけが見せるわけじゃない。お互い様だぁ。


お風呂から上がって、浴衣でトランプって言うのもねぇとササマサと話していたので、集めるメンバーには、
「浴衣でもいいけど、スエットみたいなのを持って行った方がいいんじゃない?」と伝えてあった。

お風呂から上がって、ノックで合図し、いよいよトランプ大会が始まる。
ハッキリ言って、信じられないわ。


トリプルの部屋で、ベッドが二つ並んでいるところでトランプをやろうとし、ベッドの上に浴衣を広げた誰か。


「それじゃ座りにくいよ。椅子を真中に置いて、ベッドに座ればいいんじゃない?もう1個椅子持って来て、椅子を向かい合わせに並べて、そこのトランプを配るの」

と私が言うと、

「頭いい!」と言う声が。

我ながら、頭いいと思った!

ササマサさんが椅子を持って来た。

その時、廊下でウロウロしているおじさんが。(おじいさん?)
お風呂に行ったものの、自分の部屋がわからなくなってしまったらしく、全部の部屋をノックしている。方向オンチの私としては、気持ちがよくわかります。



さあ、トランプ開始。ゴニンカンって確か「2」を抜くんだったと思う。←もう忘れてます。トランプがみんなに配られ、始めようとするみんな。

「ちょっと待って。ルール教えて」

と言うと、ずっこけるツーさん。青森出身なのにゴニンカンを知らないとなんだか非国民みたいな目で見られるのは、気のせいでしょうか。うーーだって、やったことあるけど、忘れちゃったんだもん。

だいたいのルールを教えてもらい、
「まずやってみよう」
ということになった。

細かいルールは書かないが、2対3で遊ぶゲームである。2人を関係と言う。

以前、サムが掲示板に
「言葉で書くとすごいよね『僕は○○さんと関係を結びました』」と書いているのには、笑った。


※サムって外国人?いえ、生粋の日本人です。この日記には「とべさん」という人も登場しましたが、別名「シェリー」さんと言います。この二人は、高校の時英語研究部だったので、イングリッシュネームがあるのです。それが、「サム」「シェリー」なのです。


とにかく、ず~っと、ゴニンカンをやっていた。それで、少し疲れたので、
「ちょっと休憩しない?」と私が言い、休憩タイムを取った。

「あの~津軽の人たちってさぁ、ゴニンカンやるとゴニンカンしかやらないの?」
と質問した。

すると、誰かが
「ああ、途中で、セブンブリッジ、とかババ抜きとかしないのかってこと?」
と言うので、
「そう」
と言うと、当たり前のように
「しないよ。ゴニンカンだけ」
と言う。

改めて、津軽の人はすごい!と思った、青森県南部地方出身の私でした。


まだつづく





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2002年11月04日(月) 男女5人秋物語り その2

昨日の日記の続き

ササマサさんに恐る恐る電話してみた。
「ききですけど・・・」

一度は中止になった徹夜同期会。私が参加したら、実現するのだろうか?
ゴニンカンは5人でやるものだが、ヨニンカンというものもある。文字通り「4人」でやるから「4人関」ゴニンカンの方が正式だが、私が参加したらヨニンカンができるかも。

「あのね、私が参加したら、実現するのかな?それとも、もう中止になってしまったから、みんな冷めちゃったかな?」

ササマサさんに聞いてみた。

「どうだろうね。またML流してみるか・・・」

それに、主人が何も熱海に行くことはないんじゃないかと言っていることを伝えた。「泊まってトランプやるなら、都内のホテルでも旅館でもいいんじゃない?」と主人は言う。ササマサさんも「それもそうだね。泊まることはできないけど、一次会だけは参加できるっていう人がいるかもしれないしね」と言う。


結局、掲示板に書くことにし、再度参加者を募った。
すると、結局5人集まったので、「何がなんでもやるぞ~!!!」ということになった。

最初は参加できないと言っていたMINOさんも行くと言い出し、なんだか楽しくなってきたぞ~とワクワクしていた。


一次会は、私のお気に入り、銀座のカレー屋にした。
待ち合わせは、有楽町。

結局、一次会の参加者は、さ。サム、ササマサ、MINO、とべ、ハマチュウ、ツー、ききの8人。思いがけず人数が増えたため、最初に予定していたお店ではなく、姉妹店の方に行くことになった。

仕事の都合がつかないから参加できないと言っていた、さ。さんも来てくれた。

※私信 さ。様 ピンクのシャツが似合うねぇと言うの忘れました(笑)


ハマチュウと会ったのは、なんと二十年ぶり。前会った時とは全く違うハマチュウにビックリ@@;彼女はダンスのインストラクターをしているらしい。ショーなどでもダンスをするらしく、細身の体がうらやましぃ~~。

同期会では恒例の事だが、卒業アルバムが活躍する。誰かの話になると、どういう人だったっけ?とアルバムを開く。そうすると名前と顔が一致し、あああそうだ、と言う事になる。結構重いアルバムは持ち回りで、いつも誰かが持参する。

私は口内炎がひどかったので、カレーは食べたい、口内炎は痛いで、かなり悔しかった。それでも無理して食べて、痛いのなんのって(T_T)

カレーは口内炎がない時に食べましょうね。

コース料理にしたのだが、私がいつも行っているお店とメニューも同じで、おいしかった。私はナンと、海老のカレーと、チーズクルチャがお気に入り。他の人たちにもおいしいと言われ、お店を選んだ私としても肩の荷が下りた感じがした。


盛り上がった一次会が終わり、外に出ると雨が降っていた。写真一枚も撮らなかったねとお店の前で撮ろうとすると、ちょうどお店の人が来て、
「撮りましょうか?」と言ってくれた。

「また集まろうね」と別れがたい思いを胸に抱いて、帰り組みと徹夜同期会組みに別れた。

雨が降っているので、ホテルまでタクシーで行くことにした。

こういう会が開かれる事を、本当に配偶者はわかってくれるのだろうか。大の大人がトランプをやるために、泊りがけするなんて。ササマサも、(一般的には)絶対信じてもらえないだろうなと言っていた。MINOさんが最初に参加できないと言っていた理由もそのことらしい。男女で泊りがけの旅行というのはちょっと・・・。でも、社内旅行なんてそんなもんじゃないの?というのが私の考え。

徹夜同期会組みのメンバーは、サム、ツー、MINO、ササマサ、ききの5人。
部屋は、トリプルとツインを取った。思ったよりきれいで、ビジネスホテルの割にはそれほど狭くなく、しかも大浴場(中浴場?)があったのには感激。
まずはお風呂に行くことにした。

「すっぴんになるんだよねぇ~」と私とササマサはキャ~キャーはしゃいでいた。


つづく(眠くなっちゃったよ)





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2002年11月03日(日) 男女5人秋物語り その1

事の発端は、一昨年の春。

高校の同窓会東京支部の集まりが春にあった。私は参加しなかったが、同期生が結構集まったらしい。そこで、同期生だけで集まろうという話が持ち上がった。

そして、実現したのが去年の6月の同期会。高校当時は話もしたことの無い仲間も多かったが、アルバムを持って来た人がいて、どの人が今のどの人なのかを確認。その変貌を見るのも実に楽しかった。

特に男の人は・・・・・

①太る
②髪が薄くなる。
③白髪になる。

原型がわからなくなっている人もあり(失礼)



その同期会ではかなり盛り上がり、秋にも集まった。そして今年の春も。

集まった仲間の中にササマサさんという人がいる。掲示板ではHNを使っているので、以下もすべてHNで書くことを許して欲しい。(事後報告になりますが)

ササマサさんが、
「秋にでもみんなで熱海かどっかの温泉に一泊しない?こうして集まっても、電車の時間があるから帰らなきゃいけないとか、時間を気にしてゆっくり話もできないよ。それに、ゴニンカンもやりたいし」と言い出した。

ゴニンカンというのは、青森特有のトランプゲームで、「5人揃ったら、ゴニンカンでもやるか」ということになるのが、青森では普通のことらしい。
私は八戸で育ったので、詳しくは知らないが、小学生の頃は父に教えられてやった記憶がある。


ササマサさんは、「徹夜で同期会を開きましょう」というMLを流した。

その頃の私はリストカットなどで心がボロボロだったため、参加する意志は全く無かった。徹夜同期会の反応はほとんど無く、真っ先に名乗りをあげたサム以外、誰も参加希望者が無く、そのうちツーさんが参加すると言い、3人は集まった。しかしゴニンカンは5人でやるものである。漢字では「5人関」と書く。

その3人以外参加者が無く、ササマサさんは
「残念徹夜同期会中止」というMLを流した。掲示板にも書かれていた。私はそれを見た時、ササマサさんの悲しみが伝わって来てなんとも言えない気持ちになった。

そしてササマサさんの家に電話した。
「ききですけど・・・・」


つづく



ゴニンカン
トランプが日本にやって来たのは、15世紀末、長崎のオランダ人を経由してイギリス人が持ち込んだと言われている。その後江戸幕府があらゆるカルタ、花札に対する禁止令を出したため、トランプは日本から姿を消して行った。しかし、本州最北の地という地理的条件と、津軽藩の取締りが比較的穏やかであったため、このゲームは現在の青森県五所川原市周辺に途絶えずに残ったそうです。





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2002年11月02日(土) YESかNOかを知りたくて。

八王子の病院に入院している義父のお見舞いに行って来た。
義母は名古屋に住んでいる義妹の子供の七五三のため、そちらに行っている。

今までずっと考えていたことがあった。お義父さんは何を聞いても、首を縦に振ってウンウンとうなずく。私は「NO」が知りたいと思った。でも、ST(言語療法士)もいることだし、統一しなければいけないだろうと思い、そのままになっていた。しかも休みの日に行ってもSTには会えない。

とにかくお義父さんとコミュニケーションを図りたい。私は以前買って持って行った、子供のお絵かきボードを出して、○とXで答えてもらうことにした。

主人に「何か『X』と答えられる質問ないかなぁ」と言うと、

「一生は女です」と言うので、それをお絵かきボードに書いた。そして、お義父さんの耳元で「○かXか答えてね」と言って、大きな声で「一生は女です」と言い、
「動く方の手で、○かXか指差してちょうだい」と言った。

お義父さんはためらいもなく、Xを指差した。

「やった~!」思わず叫んだ。こんなに簡単なことなのに、以前はこれができなかったのだ。

もう一つ、Xと答えられる質問をし、それも当り。「頭が痛いですか?」と聞いたら、「○」を指差していた。

あんまりそれを続けていても疲れるだろうと思い、今度は手をさすっていた。

「お義父さん、私の手を握って」と言うと、
ぎゅっと握る。
「もっと強く握ってみて」と言うと
もっと強く握る。

ついでに冗談で、

「指相撲しようか?親指動くかなぁ」と言うと
親指を動かす義父。

「じゃあ指相撲ね」と二人で、親指を動かして探りあい・・・・。

そうしているうちに、私は・・・・・・



本気で負けちゃった!



押さえられたら、もう振り払う事ができないぐらい指の力が強かった。


○とXがわかったこと、義父と指相撲をしたこと。また一歩前進したのだと思うとうれしくて涙が出て来た。





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2002年11月01日(金) 復帰します

いろんなことがあったので、何から書いたらいいかわからない。

本当は前回の次の日記のタイトルは「男女5人秋物語り」になるはずだった。
それは、またの機会に書こうと思う。

PCに向っても、書くことができない日が続いた。見るに見兼ねた主人が、掲示板に「ききは今眠っています」と書いてくれた。書きたいことがたくさんあるのに、どうしても書くことができなかった。たくさんもらったメールにも返事を書けなかった。

母はリストカットのことを知らない。最初の傷がいつまで経っても治らないのだと思っている。今日、3回目の傷の抜糸をしたのだが、包帯を取ると、傷が二つになる。(二度目は一度目の上をやってしまったので)ごまかすためにまだ包帯を巻いている。

今日は、暗いことは書きたくないので、うれしかったことを書きたい。

昨日、久しぶりにYさんに会った。

Yさんの彼がシェフをしているフレンチのレストランで食事をとったのだが、私は口内炎ができていて、食べられるものが限られていた。お店の人がいろいろと考えてくれたので、とても助かった。デザートも二つ持って来て、どっちの方が食べられそうですか?とか。私が食事らしい食事をしたのは約一週間ぶりだった。

口内炎が次々とできて、ゼリー状のものしか飲めなくなっていた。毎日、ゼリーだけを、しかも舌の先の方は痛いので、奥の方まで入れてチュ―ッと流し込む。後はポタージュスープと牛乳ぐらいしか喉を通らない。食欲がないわけではなかったので結構辛かった。

Yさんとはいろんな話をした。Yさんは私と似ているから気持ちがわかってもらえる。二人で話すだけでよかった。


Yさんに前々日の病院での珍事を話した。

仕事をしている時、事務の人が煎れてくれるコーヒーはとてもおいしい。インスタントなのに、人に煎れてもらうとどうしてこんなにおいしいのかなと思うほど。
いつものように、暖かいコーヒーを煎れてくれたけど、私は口内炎がひどくて飲むことができなかった。5時頃になるといつもおなかがすいて、飴をなめるけど、それもできない。私はどうしてもコーヒーを飲みたくて、考えた!20ccのディスポの注射器で冷ましたコーヒーを吸い、のどちんこのあたりにチュ―ッと垂らして、ゴックンと飲んだ。他の看護婦には笑われたが、我ながら頭がいいと自画自賛!
Yさんにその話をしたら、笑われたけど、「それすごくいい案だよ」と言われた。そこへ、Yさんの彼が登場したので、Yさんがその話をした。


彼は一言
「コーヒーを注射したのかと思った」


それじゃ死んでしまいます(-。-)


ランチなのに、デザートが三つもついて(サービスしてくれたみたい)1500円は安いと思った。飲み物はコーヒーを選んだ。「ハーブティーがお勧めなのよ」と言われたけど、私は普段より早く起きているので眠くてたまらなかったので、やはりコーヒーを。すると、「ハーブティー多めに入っているんで、飲んでみます?」と言われ、私は飲み物が二つになった^^ハーブティーは、レモンバームとミント、後2種類入ったブレンドティー。それがとてもおいしかった。今まで何度もハーブティーを飲んでいるけれど、こんなにおいしいと思ったのは初めてだった。
今度は眠くない状態で行って、迷わずハーブティーを頼みたいな。


彼女は、行きつけの御茶屋さんも紹介してくれた。中国茶、台湾茶、日本茶にいろんなものがブレンドしてある。おもしろいと思ったのは「ポップコーン」ちゃんとポップコーンが入っていて香りもする。
自分用には日本茶ベースの赤紫蘇を、事務の人へのお土産にグレープフルーツと梅を買った。
そのお店にはレストランに行く前と帰りに寄ったのだが、行く前に見たご飯茶碗が気になっていた。それが、帰りにはディスプレイが変って、なくなっている。「店員さんにどういう模様でした?」と聞かれたので、「縦に線が入っているものです」と答えた。奥の方から持って来てくれたが、「もう一つ縦にラインが入っているものありませんでしたか?」というと、また別のものを持って来てくれた。私はそれを見て「両方下さい」と言ったら、店員さんも、Yさんもビックリ!

この即決力!

私が一目ぼれしたものに狂いはない。一目ぼれしたものはよほど値段が高くない限り買うことにしている。あれこれ迷ったりはしない。買わずに帰ると後で後悔して必ずまた行くことになるから。洋服じゃないから、入らないっていうこともないしね。


久しぶりに遠出して疲れたけれど、楽しい時間だった。

彼女と別れる時、SOSのメールが入った。
その話はまた今度。





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