うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2002年09月30日(月) 入院しますか?

リストカットしてから、初めての精神科受診だった。

母は父の今後のこともあるので(退院の話が出ている)、私と一緒に診察室に入るように言われていたらしい。でも、母と一緒に入ったのでは言いたいことが言えない。
母には「先に入るから、後で呼ぶね」と言って、1人で診察室に入った。

「先生、やってしまったんです」と手首の包帯を見せただけで、先生にはすぐにわかり、
「あああぁぁぁ、そうだったんですか?」と言った。「私はそれについては責めませんよ。辛かったんでしょ?」と言われた。
そして、何か原因があったのか、きっかけになるものが少しでもあったのかと私に聞いた。



何も無かったと私は答えた。ただ、心が苦しくて、どうしようもなく、自分を傷つけずに入られなかった、と後から後からこぼれる涙で答えるのが精一杯だった。

そして、こんな時はどこの病院に行けばいいのか、とても迷った事などを先生に話した。先生は縫合そのものは外科でやってもらった方がいいと言う。そして、「とにかく早いうちに私に連絡して欲しい」と言った。

「次がないことを祈りたいんですけど、もしあったらどうしたらいいんですか?自分が勤めている病院には本当のことは言っていないし・・・。」

「ききさん、この次を心配するのはわかるけど、どうしてもそういう衝動に駆られたらまず私に電話ください」と言われた。


「切ってみてどうでした?少し安心した部分がありましたか?」と先生に聞かれた。
「そうですね。心が苦しかった分、傷によって・・・変な表現ですけど、安らぎすら感じました」

「でもね、そうやって繰り返す人が多いんだけど、ただの傷ではすまないこともあるのよ。命を落とす事だってあるんだから。どうしてもまたやりそうという気持ちがあるなら、今、入院しますか?」と先生。

「それはできません」
私はキッパリ答えた。パートをしている病院のこと、子供の事、父のこと、そういうことが全て無いなら、入院してもいいのかもしれない。でもそれを全て母に任せて私が今入院するわけにはいかない。


次に母に入ってもらった。今の状態でいえば、父は3ヶ月後ぐらいには退院できそうだということである。3ヶ月後といえば、青森は冬。埼玉の冬とは比べ物にならないぐらい寒い。

ずいぶん前から主人と話していた事だが、もし冬に退院することになっても、暖かくなるまでここにいてもらおうということになっている。 

先生は私の病状を心配していた。だけど、今母に家事をやってもらっているのだから、負担がかかるのは私ではなく母の方かもしれない。それに栃木にいる姉も協力してくれるから、その点については大丈夫だと思う。


でも本音は一週間ぐらい入院してボーっとしていたいな。

それに、先生・・・・
私は「またやっちゃったのか」と呆れながらも縫合してくれる先生が欲しいよ。





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2002年09月29日(日) 運動会とモッツァレラチーズ

リストカットをした日は、もうずいぶん遠い日のような気がする。

気がかりだったのは、二葉の運動会。昨日は雨で延期になった。
今日も雨なら運動会は明日になる。私1人で見に行くのは憂鬱だと思っていた。
時折雨が降りながらも持ち直して運動会は開かれた。

うちの子供達は、二人とも私に似てくれず運動神経が鈍い。
走り方も伝授したのだが、二葉はビリでゴールイン。
靴の半分負けて悔しくて涙が出たと言う。
「がんばったね。そういう気持ちが大事なんだよ」と二葉に声をかけた。
二葉の100メートル走は、プログラムで一番だったので、それと次の競技を見て一旦家に帰った。それから主人と昼寝し、目覚ましをかけたはずなのに、気がつくと3時!

二葉の次の競技は2時だった。

ああぁぁ、二葉になんと言い訳しよう。素直に謝るしかないか・・・。

そう思っていると、二葉が帰って来た。

「お母さん、午後見に来なかったでしょう!」

と、すごく怒っている。

「ごめんなさい。寝ちゃったの」と謝ったが、なかなか許してくれない。

キッチンを見ると、モッツァレラチーズの袋があった。中身は入っていない。
犯人は二葉に決まっている。

今日のお弁当に入れるつもりが入れ忘れてしまったので、食べようとしたのだが、二葉が来るまで待とうと思って我慢したのだった。

「二葉~!モッツァレラチーズ食べたでしょ?」

「お母さんだって食べたかったのに、二葉が帰ってくるまで待っていたんだよ」



というわけで、運動会とモッツァレラチーズのことでおあいこということになった。





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2002年09月27日(金) 自傷癖

ちょっとだけうれしいことがあった。
一生が私と一緒に美容院に行った。髪が伸び放題延びて、女の子と間違われるほどになっていた。私が切ってもいいのだが、外に出て少しでも他人と話をして欲しくて、「一緒に美容院に行こう」と誘った。いつも外に出たがらなくて困っているのだが、なぜか今日は「行かない」とは言わなかった。「行かない」と言わないのが、一生なりの「行く」の意思表示である。

一生が先にカットをして家に帰り、同じ美容師が私の髪をカットしてくれた。

美容師「息子さん、昨日誕生日だったんですってね」

私「ハイ」

美容師「それでね、『いくつになったの?』って聞いたら、『わかんない』って言うんですよ」と笑っていた。

そして、一生のことを、

「明るくておもしろい子ですね。それにちょっと天然ボケっぽいね」と言うので、短い時間によくそれを見抜いた!と感心した。


 




私の精神状態は、まだ落ち着いていないのかもしれない。

主人とこんな会話をしていた。

私 「今度やる時は、ちゃんと『リストカットしました』って言おうかな。それに血液がついた物全部持って行ってさ・・・。そしたらもっと早く縫ってくれたかも」

主人「そうだね。その方がいいよ・・・って『今度』があるのか?やめてくれよ」と苦笑。

私 「アハハハ・・・・」
と笑ってごまかす。

主人「そのぐらい明るければ大丈夫だ」


職場の先生にも本当のことを言えたらどんなに楽だろうと思った。人に気を遣わせるのは好きじゃないけど、嘘をついたばかりに、みんなに嘘をつかなければならない。
「どうしたの?」
と聞かれる度に、嘘をつき、そして心とは裏腹に笑う自分。それがとても辛かった。そして自業自得を繰り返すばかり。
 


リストカットについては、「最初で最後」って書いたのに、「絶対にしない」とは言い切れない。今まで自分をいろんな形で傷つけてきた。その度に主人は心を痛めて来たのだろう。それでも私はやめられなかった。

「僕の好きなものを傷つけるな」と何度も言われた。

でも、私は苦しくて自分を傷つけずにはいられないのだ。



リストカットは心地よかった。

私の心の痛みはこのぐらいと表現できた事が心地よかった。そして安らぎさえ覚えた。主人の気持ちや、心配して下さった方々のことを考えたらとても後ろめたいのだが、これが事実だった。





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2002年09月24日(火) 最初で最後のリストカット

今の自分の気持ちをどう表現したらいいのかわからない。
数日前の日記に「死にたいとは思わない」と書いた。

それなのに、またすぐに「死にたい」と言う気持ちが現れた。

自分の気持ちをコントロールできず、苦しんでいる。

私はリスカはしない、と言い切って来た。痛いことが嫌なのではなくて、リストカットをしても、死ぬ確率は少ないし、本当に死にたいなら他の方法を選ぶのだと偉そうなことを言って来た。

それなのに、私は今朝、リストカットをしてしまった。

朝早く・・・・

自分を傷つけずにはいられない時期がある。
私はやっぱり死にたいわけじゃないんだ。ただ、傷つけたいだけだったんだ。
多量の出血を止めたティッシュなどの山を隠してゴミ箱に捨てた。

私は、どこの病院に行くか迷った。これは縫わなきゃいけないだろう。自分が勤める病院に行けば、色々とウワサが立つかもしれない。でも、他の病院と言っても、いいところがない。私は何を言われても構わないという気持ちで、自分がバイトしている病院に向った。

病院に着いたのは9時少し前だった。看護婦が見て「ナート(縫合)だね」と言った。先生が、ナースステーションで待つように言ったので、私はずっとナースステーションで待っていた。傷の痛みはなかった。ただ、じわじわと血が出てくる。ガーゼの上からティッシュで押さえた。

いつまで経っても私は呼ばれない。午後から仕事が入っていると言うのに、これじゃ午後に来た方が良かったなぁ。普段は縫合をする患者は優先させるのだが、バイトはやっぱり違うのね。それも自業自得なんだからしょうがない。


結局私は4時間30分も待ち、やっと呼ばれた。
傷の周りにする麻酔の注射は何の痛みも感じなかった。
「Kさんって痛みに強いね」と看護婦のSさんに言われた。
「痛みの中枢もボケてるかも」と私は笑った。

こうして、7針縫って、ナートは終った。

あっけないものだった。

先生にはもちろん本当のことは言っていない。針金のもっと太いようなステンレス線でガリ~~ッと引っ掻いたことになっている。

全て終った時にはもう1時半を過ぎていた。私の仕事は2時からである。
いつも一緒に働いている看護婦に「働ける?」と言われたが、
「少し遅れますけど、必ず来ます」と言って、家に戻った。

家に戻って、ご飯を食べ着替えて化粧をしたら、もう仕事に行く時間だ。


仕事をしている間は、自分の傷のことなど気にしてはいられなかった。
麻酔が切れて来た頃に、傷が痛み出した。自分で傷つけた時には痛くなかったのに、どうして今頃痛みを感じるのだろう。
それと器具を洗う時に包帯が濡れるのがちょっと気になった。


私はもう二度とリストカットはしない。

最初で最後の儀式のようなものだった。

ご迷惑をおかけしたみなさん、ごめんなさい。





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友人にメールを出した。リストカットの理由をこう書いた。
「心の苦しみを身体に表してみたかった」と。




2002年09月23日(月)

「命(もちろん映画)」を観に行きたいと言ったら・・・

主人が、

「これか?」

と、こんなことした。

忘れてたよ。ゴルゴなんて。



ただあきれるばかりなり・・・





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2002年09月22日(日) 身内の気持ちと病院の裏事情

義父が入院している八王子に行った。私は、体調の悪さ+不機嫌+うつ状態。車ではずっとシートを倒して寝て行った。

病院側からは「リハビリをしても意味がないので、他の病院に移ってくれ」と言われている。前の病院でもそうだった。でも他に原因があるような気がする。

義父は点滴もマーゲン(胃)チューブも抜いてしまい、ついには胃瘻という、直接胃のところに穴を開けてそこから栄養を入れるという処置まですることになった。それでも義父はその胃漏さえも抜こうとし、病院側ではとても困っている。医療従事者から見たら完全な「困ったチャン」に違いない。

私達の言うことは理解できても、言葉を失った義父は自分の気持ちを伝えることができない。今まで、言語療法士のやり方があるだろうと思って、何もしないで来たが、このままではどうしようもないと思い、お絵かきボードを買って持って行った。耳からだけでなく、ボードに書いて、「ぜったいに抜かないで」と訴えた。

食事も拒否する状態では先には進めない。機嫌が悪い時はリハビリさえも拒否するらしい。
病院としては、こういう患者は手がかかって困るというのが本音だろう。
でも身内としての私は、行くたびに表情がよくなる義父を見て、リハビリをやればもう少しよくなるのに、と思ってしまう。


義父は何かを訴えている。もう医療行為はやめてくれ、という意思表示なのだろうか。胃漏や、点滴を抜かないようにと、動くほうの手は縛られている。かわいそうだと思うが、それも仕方がないことだ。


私の父はかなりよい方向に向っている。私の両親が実家に帰ったら、今度は本格的に義父の看病することになるだろう。その前に、また病院探しをしなければならない。これじゃたらい回しと同じことだ。

 

先日病院(自分の)に行った時、働いている私は別人だと先生に言ったら、それは「ある意味の逃避でしょうね」と言われた。苦しみから逃れるために、自分は別人になっているような気がする。


自分でもわけのわからない頭痛と胸痛と不安に襲われている。

きっと、秋のせいだろう。





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2002年09月21日(土) 一線を越えました

もうずっとひどい頭痛が続いているので、時々マッサージをしてもらっている。先生にやってもらう注射より、マッサージの方が効果があるとわかったのだ。注射は一部分がボワーンとなるだけで、針の傷みはいつまでも残る。

それに比べてマッサージは、気持ちよくて眠ってしまいそうだ。

父のマッサージを頼んでいるR君から昨日メールが来た。

「お昼休みでよければ、マッサージしますよ」
「でもお昼休みつぶしちゃうの悪いよ」
「悪くないよ。来られたら来てね」

お昼休みというのは、12時~13時である。

今日起きたら、携帯のメールが来た知らせの青い光がピカピカしていた。

あ、メールが来てる


見たら・・・・


「よかったら1時に来てください」

時計を見たら1時半だった。
私は何時間寝たのだろう。R君に謝りのメールを入れた。


主人にその話をしたら、
「仕事終ってからやってもらえばいいのに」
と言う。

私 「ダメだよ。仕事終ったら、きっと彼はデートだよ」

主人「いいじゃない。彼女をさわる前に、私をさわって、って言えば」

私 「何?その言い方」

主人「だって、彼とは一線を超えたんだろう?」

私 「はっ?何?その『一線』って」

主人「身体をさわられたってこと」

私 「普通そういう時に使わないでしょう」

主人「いいよなぁ。セイタイシは」

私 「あの~そのセイタイシってなんですか?マッサージ師じゃないの?」

主人「なんでもいいじゃん」

私 「だって、セイタイシなんて言うと、オ○ムみたいなんだもん」

主人「マッサージ上手な人はセックスも上手なんだろうなぁ」

私 「かもね(←呆れてる)」


だけど、主人の捉え方で言うならば、一線を越えた人たくさんいるんですけど。





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2002年09月20日(金) きれいな少年

一生の今の担任は、一生が一年のに時しか一生に会っていない。
それは先生の一生に対する配慮からなのだ。
女の先生でとても優しい人だ。
国語の担当で、一生のクラスに行った時、一目で「一生君」とわかったらしい。

その時のことを鮮明に覚えていると言う。
「久しぶりに学校に来たのに、いきなり漢字テストでかわいそうだなぁと思った」と、いうことと・・・・


「きれいな少年だと思った」と言うのだ。

「はっ?」

私は耳を疑った。

私は何を言われているのかわからなかった。

先生は答えにつまりながら、

「何ていうのかなぁ。きれいな子だなっ、て言うのが第一印象だったんですよ」
と先生。

先生それは顔のことでしょうか。それとも心のことでしょうか。


あの~今はニキビだらけですごいんですけど。それに家ではふざけてばっかりいるですけど・・・


でも、これは言わないでおこう。





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何でもありスの部屋

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2002年09月19日(木) 痛みの無い世界に行きたい

うつ病患者が、自殺を考えることを「自殺念慮」と言う。願望とは少し意味が違うような気がする。私は今、死にたいとは思っていない。

でも、頭痛がひどい。今すぐこの痛みから逃れたい。

あまりの痛みに食事がとれず、4日で3kg痩せた。痩せたのはうれしいけど、その後一日のうち、夜だけ少し食べたら、1kg太った。

昨日は、ひどい痛みを抱えたまま仕事をしていた。仕事をしていたほうが気が紛れるということもある。患者のシャワー浴までした。昨日は突然だったため、着替えを持って行っていなかった。それでもシャワーを浴びたいという患者をほっとけなかった。白衣でシャワールームに入るのは暑い。いっそ、私も裸になればよかったなぁ(自爆)

先生に頼んで1錠千円もする鎮痛剤をとってもらった。Sという製薬会社のプロバーに電話をしたら、すっ飛んで来たらしい。何しろ、一箱二万円もする薬である。(20錠入り)

私は午後6時までの勤務だが、後頚部に注射を打ってもらいたくて待っていた。先生に頼むタイミングが難しい。忙しい時に頼むと、先生はイライラするのを知っているからね。私は、頼むに頼めず、ウロウロしていたので、「Kさん、Kさん」と先生は私をこき使う。他の看護婦が気を使って、「もうあがっていいよ」って言ってくれるのだけど、注射を打ってもらいたくて待っているのだから、それまでは大丈夫と言って、タイミングを見計らっていた。

今?という時に頼んだ。すんなり打ちながら、「ここ(後頚部に注射打つこと)好きな人多いよね。Oさん、Hさん、それにKさん(私)」と笑う。

私の調子が悪いものだから、家事を母に任せていたら母が疲れてしまったらしい。
「点滴をしてもらいたい」と言う。先生にそれを言うと「自分で書いて(カルテに」と言われた。(イライラし始めたなぁと感じる)
患者は神様で職員orパートは患者ではなく、使い捨て感覚。

私の頭痛がひどくなる→家事ができなくなる→母が忙しくなり疲れる→点滴を打つことになる→私が気になる

これはまさしくいたちごっこです。



帰りに、頼んだ薬が来ていたので他の看護婦が持って来てくれた。
「Kさんが頼んだ薬ってこれ?」
「そうだと思います」
「先生に言ったんだけど、今日はいいでしょう、って言うの。明日休みだし、1錠でも2錠でも持って帰った方がいいんじゃない?本人が地下談判した方が説得力あるよ」と言われた。

恐る恐る聞いてみると、
「オレは忙しいんだから!」と怒っている。
忙しいのは、先生より看護婦でしょう???さっきまでこき使っていたくせにぃ。
と言いたいけど、オトナだから言わない。

その薬は、夜寝る前に他の薬と一緒に飲んだので、効いたのか効いてないのかよくわからないけど、痛くて眠れないという状態にならなかったので、効いたのでしょう。

保険が効くのか、自費なのか、気になるところです。



背景を白にしました。
今まで、黄色い文字を使うため、背景を黒にしていましたが、やはり私の書く文章には黒は似合いません。過去の日記を読む人は稀かもしれませんが、もしやたらと空白があったら、それは白で書かれている文字なので、反転して読んでください。





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「あっぴば~すでぃとぅ~ゆ~♪(はぁと)」と主人にメールを出したら、電話がかかって来た。
「ありがとう。だけど、ボクの誕生日は明日です」
ありゃ~!ダンナの誕生日間違えちゃったよ(T.T)



2002年09月14日(土) 行っちゃえ星人/骨

昨日、何気なくテレビを見ていたら、乙武さんが出ていた。彼が車の免許を取るまでの750日をカメラで追った、2時間のドキュメンタリー番組だった。免許を手?にした彼の笑顔がとても爽やかだった。
 とにかく、乙武さんが免許を取るということは、障害者というだけでなく、数々の難問があった。それをどんな風に克服していったかは敢えて書かない。しかし、私と共通する部分があったので、笑ってしまった。教習所で、車の練習をするわけだが、おとちゃんはブレーキをかけるということをしない。とにかく突っ込んでしまう。だから教官に、

「行っちゃえ星人」

と呼ばれていたと言う。


それって、私のことじゃん!


オガショーや一生達としし座流星群を見に行った帰り、道はどんどん狭くなり、田んぼのあぜ道から荒れ地へと変わって行ったのに、私は戻ることをしなかった。それでもちゃんとした道に出て、「ほらね、なんとかなるもんさ」と自慢した。


横須賀では「ここから先行き止まり」と書いてあるにもかかわらず、「行けるよ。だって前通ったことあるもん」と行って突っ走ったらやっぱり行き止まりだった。


私も、まさしく・・・・



「行っちゃえ星人」である。



あれは「ジョニーは戦場へ行った」だっただろうか。戦地から帰って来た主人公は手も足も無く、目も耳も聞こえない。自分で声を出すことさえもできなくなっていた。彼は生きていて、振動で物事を感じていた。振動を感じることと、感情だけが残っていた。涙とむなしさが残る映画だった。

最初に、「五体不満足」という本の表紙を見た時に、私はあの映画を思い出した。


でも、乙武さんには「卑屈」とか「暗い」とか「悲しみ」という単語は似合わない。あの屈託のない笑顔が素敵だと思う。嫌なことはたくさんあった、と言っていた。もちろんそれは想像以上のことだろう。


テレビから映し出される姿は、明るくエネルギッシュだ。
私と同じで「行っちゃえ~!」という性格だということが笑えた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

今姉の家に来ている。病院に行き健康診断を受けた。姉と二人でレントゲンを撮った。医者をしている義兄が、二人のフィルムを並べた。

そして、「二人とも、異常はないね」と言った。

が、次の言葉は、

「でもさぁ。ききのは、骨がはっきり写っててるなぁ。普通は軟骨なんだけど、ほらここんとこ、しっかり骨なんだよ。」
「それってどういうこと?」
「よくも悪くもない」
「じゃあ、いいじゃん」
「でも、悪く言うと老化かなぁ」


げげ・・・軟骨の食べ過ぎですか?




それよりも、すご~く嫌だったのは、姉と私のフィルムが並んでいたので、二人の違いが歴然としていたこと。

骨の太さが全然違う!



そして、お肉までちゃんと写っている。( ̄∩ ̄#



骨太っていうことはわかっていたけど、ここまで違うとはね。


どうせ、痩せても華奢な体にはなれないんだい!





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2002年09月13日(金) せっかく、朝倉ヘアで行ったのにさぁ

最近、髪型を色々と替えて仕事に行く。
先日は、編みこみ&長靴下のピッピ風にくるんとハネた髪。

そして今日は、二葉を病院に連れて行った後、母の薬をもらいに眼科に行って、二葉を学校に送り届けて、時間が無かったというのに・・・・・

朝倉みたいな髪にしよう、と思った。
前、姪のSちゃんが二葉にやってくれたことがあったので、やり方はだいだいわかっていた。櫛で逆毛を立てて、クシュクシュクシュ・・・・。ハードのスプレーをシューー。
この髪型の名前なんていうんでしょ?爆発してるみたいな髪なので、私は勝手にボンバーと言う。

自分では後ろは見えないので、手鏡で見てみると・・・

「いい感じ」

そしてめずらしく、気分よく仕事に行ったのだった。

某内君に、「老けた朝倉~(^_^)v」って言ったら、

「朝倉って何ですか?」って言われるし、

「普通、某内君ぐらいの年なら『ナースのお仕事』見て無くても知ってるでしょ?医療従事者だし」

「知らない」

「ああ、ファイナルですか?」

「ショムニと混ぜてるし・・・」

「ま、いいや。彼女に聞いてくれ」

などと、準備をしながら雑談してるうちに、診察の時間になった。

何人目かに、男の子二人を連れて来たお母さんが、私を見て、

「ああああ~~~~~!!!」
と言った。

私も、
「ああああ~~~~~!!!」

一生や二葉の幼稚園時代の同級生のお母さんだった。

5年ぶりぐらいになるかなぁ。


だけどね、5年ぶりだよ。

「ああああ~~~~!!!」の次は、普通・・・・・・























「お久しぶり~!!!」


じゃないでしょうか( ̄^ ̄)
























「太ったねぇ~~~~~」


としみじみ言われてしまいました( ̄∩ ̄#











                                  






失礼な(涙、涙、涙)


それから彼女、
「あの頃、ガリガリだったもんね~。今の方が健康的でいいよ」と言っていたが、フォローになっっとら~ん (▼、▼メ)


全てを聞いていた先生に、
「知り合い?」って聞かれちゃうし。




ショックがかなり大きくて立ち直れないんですけど(T_T)




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2002年09月12日(木) 松山千春より上手い人がいた!

こんなに充実した日は久しぶりだった。

今週初めて二葉が学校に行った!ワーイ・・・に続いて・・・・


1.Mちんに誘われて、ブリザーブドフラワーの展示会に行った。

2.二人でランチを食べた。



3.汚い我が家にMちんを招き入れ、しゃべりまくった。

4.仕事がらみの寄り合いに行った。(実はカラオケ。二葉にどこに行くの?と聞かれ、苦し紛れに「寄り合い」と答えた)。



私は、先日の5時間カラオケがたたってか、喉が痛い。薬を飲んでるから声が思うように出ない。←というのはただの言い訳で、一緒に行った人の中にすごい人がいました。

「長い夜」を歌わせたら松山千春より上手い!

本当にプロ級でした。男の人ですが、もしかしたら「女じゃないの?」というぐらいキーが高くて、普通より3つぐらい上げて歌ってました。私は3つ下げます。
他の歌もお上手!!!(パチパチパチ・・・・)

お見事!(◎o◎;)としか言いようが無いです。


5.主人とスーパー銭湯に行った。

ここで、またすごい人に出会う。高温サウナで、サウナスーツを着ているだけでなく、マスクまでつけている。最初は手作りかと思ったが、後ろにマジックテープがついていて形が整っているので、あれは売っているのでしょう。それと、今日は若い子が少なくオバサマ方が多かった。あのような体型にだけはなりたくない、と日々努力しようと固く誓ったのだった。

露天風呂の椅子のところにタオルを掛けて寝転んでいる人いた。パッと見には男なのか女なのかわからない。おなかの出っ張り具合からして、うちのダンナにも似てる。もしかして私は男湯に迷い込んだか?と一瞬焦ってしまった。しかし、となりでしゃべっているオバサマのおなかの辺りにオッパイらしきものがついていたので、女性と判明。ああ、よかった。とにかく、これ以上崩さないように、がんばるぞ!

6.と言いつつ帰りにバーミアンで、黒ゴマプリンを食べた。

7.コンビにで黒ゴマアイス買って食べた。

全然誓いになっとらん!黒ゴマに凝ってます。

な~んて日記を書いていたら、二葉が「足が痛い」と言う。見たら腫れてるじゃないか~?(><)また病院か?おい(T_T)





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2002年09月11日(水) うらやましいよ♪

外来に、「肋骨のあたりが痛いんです」という、中学生の男の子が来た。

私 「何で痛めたの?」

患者「喧嘩・・・」

私 「じゃあ、レントゲン撮りますね」と言って、レントゲン室に入れながら、

私 「やられちゃったの?」と聞いたら、

患者「いや、俺もやったから。お互い様ってこと」

私 「いいなぁ・・・」

思わず口をついて出てしまった。
 
患者は変な顔をしていた。

何も言わなかったけど、うらやましいよ。喧嘩をして殴ったり殴られたり。それにも限度ってものがあるけど。

家にこもっている一生にはそんなことは起こり得ない。
たまには外に出るようになったが、それもかなり苦痛なようだ。




先日、お蕎麦屋さんに行った時、一生は女の子と間違われた。

二葉は患者さんに2回も「ボク!」と言われた。












「いつも逆なんだよね!」

と二葉が怒っている。





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2002年09月10日(火) ストレスが層になってたまって行く

9月10日は、母の誕生日だと言うのに、何もしてあげられなかった。
せめて仕事が休みなら、サーティーワンのアイスでも買って来てあげられたんだけどなぁ(←それだけかい?)

二葉には、残っているご飯をラップで包んで、お米を研いでセットしておく事を頼んでおいた。後は、缶詰のいわしでも食べよう。。。。こんなことでいいのか?と思うのだけど、ご飯を作るのがおっくうでたまらない。私のストレスは日増しにたまって行く。

5時間カラオケの効果はどうした?二日ぐらいで、もうダメみたいですね。

昨日は、イライラ(というか、不安というか、モヤモヤというか)のピークで、抗不安剤を飲んでベッドに横になっていた。


ピアノの音が聞えて来た。聴こえてくるピアノの音は、3種類。上の階の奥さんが弾いていると思われるものと息子が弾いていると思われるもの。

そして、斜め上の階の奥さんが弾いていると思われるもの。

上手な順に並べると、斜め上の奥さん、上の息子、上の奥さん(失礼)


私は、眠くなるその薬を飲んでウトウトし始めた。
ん?この弾き方は斜め上の奥さんだね。
滑らかで、心地よく、私はその後深い眠りについた。

眠る時はいつもあんな曲が聴けたらいいな、と思う。


昨日寝る前もその薬を飲んだせいで、今朝は起きるのがとても大変だった。それでも、二葉が学校に行ってくれたら、気持ちは少し違っただろう。

6時45分に起きて、ご飯を食べて、髪を結んでピンをかわいく留めたりして、帽子かぶって、玄関まで行って、ランドセルを背負って・・・・バタン!というのはやめてくれよ~(T.T)その気持ちはわかるんだけどさ~。


そんなこんなで私は薬の量が増え、仕事に行くのがかなり辛い状態になっている。





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2002年09月09日(月) 「思い残し症候群」と「育て直し療法」

小さい頃の両親の育て方や環境が人格に影響するというのをテレビで見た。
たとえば、「対人恐怖」や「摂食障害」「男性不信」

画面に出て来た23歳の女性は、とても痩せていた。それでも、今の一生の方がもっと細く見える。テレビは太って見えるからだろうか?いや、そうでもないと思う。身長が170cm以上あって、体重が40kgそこそこなんて、やはり痩せすぎだ。

彼女の家では食事をする時、母と姑の争いが常に絶えなかったという。

「思い残し症候群」という言葉は初めて聞いた。香川大学の教授が考えたもので、教授はボランティアで、「育て直し療法」というのを自宅で実施している。
彼女は乳幼児期にもっと甘えたかったらしい。哺乳瓶や、よだれ掛け、赤ちゃんが着るようなロンパースの大きなサイズのもの、それに靴下、オムツなどを自分で作って教授の元にやって来た。

教授は父親役、教授の奥さんは母親役で、彼女が望んだ事を望んだ時にしてあげるのだ。そして、彼女が思い残した事を、埋め合わせることで、ジグゾーパズルのように傷を埋めて行く。4年間の治療で、彼女はずいぶん変わったと言う。今までは食事をしようとすると、吐き気がして受け付けなかったのに、今ではおいしいと感じるようになった。人と接するのも怖くなくなり、自分を出せるようになったと明るい声で話していた。


我が家では、喧嘩が絶えなかったということは無い。父親は育児にも協力的だったし、近所に住んでいた祖父母も優しかった。もし、一生に関して考えるなら、もっと後のことになるだろう。私の体調が悪くて寝てばかりいた時のことではないだろうか。一生は今でも時々、不登校のきっかけになったH君のことを口にするけれど、それは一生の弱さから来るものだろう。




一生が外に出られないのは対人恐怖、神経症などいろいろなことがあげられると思う。本人が受診しなければ薬も出せないし、カウンセリングも受けられないと病院で言われ、困ってしまったが、今の時点では家族とはとてもうまくやっている。

「育て直し」が考えられるとすれば、一生が甘えてきた時である。できる限り答えるようにしている。それが二葉がいない時でないとマズイ。そこが難しいところである。一生と仲良くしていると途端に二葉が焼きもちを焼く。


二葉は、少し反抗期の強さが弱くなったように思う。初潮が来て、それも終りつつあり、精神的に落ち着いて来たのだろうか。

二葉にはハッキリと聞いてみた。
「今日、テレビで『思い残し症候群』というのをやっていてね・・・」と説明した。すると二葉は「背が高いからと言って、幼稚園でいつもお母さん役をやるのが嫌だった。ふーちゃんだって、赤ちゃん役をやりたかった」と言った。
それに付け加えて、
「背が高い子にも悩みはあるのよ」と今度は大人っぽい口をきく。
それは、私達の問題ではないような気がするが、その時期に気付いてあげられたらよかったかもしれないと今は思う。

「じゃあ 今度 パパとお母さんと二葉と三人でおままごとしようか?」と言ったら、「パパは嫌だなぁ。恥ずかしいもん。お母さんと二人がいい」と言う。
哺乳瓶も買って欲しいらしい。これはモコ(猫)のために買って使わなかったら、自分が使いたいと言っていた。

あるHPを見たら、これについての意見が載っていた。自分が母親に対してオッパイを飲んでいたことさえ、考えただけでも嫌悪感を感じるので、自分にはこの方法は向いていないと。


たっぷりと愛情を注いで、なんでもやってあげるのがいい事だとは思えない。時には抱きしめ、時には突き放し、子育てをして来た。


二葉は今日も学校に行けなかった。
明日は行くと言っているが、どうなるかわからない。こういう時期が私のストレスがたまるのだ。

一生は学校に行けなくても家で勉強して欲しい。外にも出て欲しい。
そして今度の「スターウォーズ」は是非、一緒に映画館で観たい。ビデオの迫力とは全然違うからね。



「私も育て直して~♪」と言って、二葉にくっついた。
二葉は「ばあば~この子なんとかして~~」と叫んでいた。





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☆薬を飲んでから日記を書いていますので、いつも支離滅裂。誤字脱字が多いと思います。想像力を駆使して読んでくださりませ。。



2002年09月08日(日) 次期会長はエンちゃんということで・・・

先週八王子へ行かなかったので、今週は行こうねと主人と話していた。義父のお見舞いである。相変わらず外に出ることを拒む一生だが、金曜日に「日曜日、八王子行くからね。ばあばはいつも、1人で食事してかわいそうだから、一緒に夕食食べようね」と言っておいた。いつも外に行くことを異常に嫌がるが、二日間で自分の気持ちを納得させたようだ。四人揃って行く事ができてうれしい。

途中でラーメン屋に寄った。そこには、先客がいた。ソフトボールらしきユニフォームを着たおじさんが6人。ビールを飲みながら大声で話している。私は嫌な予感がした。私はこういう場所で人の大声をとても嫌う。他人の迷惑も考えず、自分の感情のままに大きな声で話す人達。アルコールが入るとそういうことさえ考えられなくなるのだろうか。

私が頼んだラーメン、一生と主人が頼んだチャーシュー麺、二葉が頼んだ味噌ラーメンがほぼ同時に来た。私はラーメンを食べているのに、隣りの席のおじさん達がうるさいのが気になった。

 
話はこうである。
次期会長に「エンちゃんがいい」とみんなが推薦する。しかし、一番声のデカイオヤジが「スウさんがいいんじゃないか」と言う。すると他の人が「いや、スウさんは、二年後でも五年後でもできるけど、エンちゃんは今しかできないんだ」と言う。話を聞いていたら、まともな人が1人いた。話のスジが通っており、声がそんなに大きくない。この人が盛んにエンちゃんを次期会長にと勧めていて、他の人も賛成しているのに、声のデカイオヤジが話をかき混ぜているのだった。


私はラーメンを食べるのは速い!あっという間に食べ終わったら、騒音だけが耳に響く。もう耐えられなくなって、耳をふさいだ。髪の毛で見えないようにしたつもりだが、露骨に嫌な顔をしていたと思う。二葉も私と同じで、うるさいのが大嫌いだ。(←家ではうるさいが)あのおじさん達は今度から個室にしてもらいたい。
私たちが個室でもいい。


主人は車に行ってていいよ、と鍵を渡してくれたがそれもできない。


具が多くて食べるのに時間がかかった二葉が終るまで、私は耳をふさぎながら耐え、やっと騒音から解放されることができた。


車に乗ってから、
「あ~うるさかった!全く酔っ払ったオヤジはうるさくてしょうがない。素直にエンちゃんを会長にすれば、すんなり話がまとまるのに、かき混ぜるオヤジがいるから、ゴチャゴチャになるんだよ」と言うと、

「うるさいって言いながら結構話を聞いてるんだね」と主人。
一生までが「かき混ぜるオヤジって白い帽子の人でしょ?」と言うのでみんなで笑った。

主人はあの程度のうるささは気にならないようだ。きっと自分もお酒を飲んで大声を出すタイプなんだと思う。みなさま、ご迷惑をおかけしております。




と、ここまで書いたら・・・これを読んだ主人に、

「これじゃあどれだけうるさかったかが伝わらないなぁ。
かなりうるさかったぞ!」


と言われた。一番うるさいオヤジはしゃべる時声が大きいだけでなく、テーブルをバンバン叩いていたそうです。





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そーだ。義父はというと、特別変わった様子もなく、子供達を見て、
「おお~~~!!!」と言ってくれた。相変わらず、リハビリは嫌がっているようだ。普段ほとんど声を出すことができないのに、「リハビリに行きましょう」と車椅子に乗せようとすると、子供のように「イヤッ!イヤッ!」って(-。-)



2002年09月07日(土) 17回目のサンマ記念日と市川染五郎

17回目の結婚記念日でございます。
我が家では9月7日はサンマを食べる日と決まっている。毎年同じことを書いているので、一昨年のを引用させていただきます。(来年も同じこと書きます)

↓一昨年の日記より

今日は私達夫婦の15回目の結婚記念日である。結婚記念日にはをサンマ食べると決めてい る。日記に毎年同じことを書いている。新婚旅行から帰って最初の日、夕食を何にしようかと考えた。最初だからと気張らずにサンマにした。旬だからと主人はとても喜んでくれた。一回目の結婚記念日・・・。夕食は何にしようと考えた。豪華な食事を作っても、それが長続きしないのではしょうがない。最初に食べたサンマにしよう、と決めた。そして、我が家のサンマを食べる日が定着した。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆
夢・夢・夢

今日はサンマよりも、朝からなぜか市川染五郎なのだ。別に市川染五郎を好きだと思ったことは無い。だけど、夢の中に出て来ては私に言い寄ってくる。(うぬぼれてます)夢の中で・・・使っていない雑貨屋件ビルを買い取りたいと言って持ち主を探していた。やっと持ち主を探し出し、買い取ることが決定した。お祝いにパーティーをしようと言われたが、サンマのことがどうしても気になっていた私は、「今日はダメなんです」と答えた。「遅くなってもいいからおいでよ」と言われ、私は迷っていた。そして目が覚めた。

夢の中では主人の存在は全く無かった。独身なのに、サンマを食べなきゃという意識だけがしっかりとあった。


目が覚めてから主人と買い物(もちろん、サンマなど)に行った。二台ものスタンド式掃除機を壊してしまって不便な思いをしていたので、それも買って来た。



帰ってから、疲れたのでベッドに入ってうとうとしていたら、また夢を見た。

何時間も経っているのに、夢の続きだった。両親とサンマを食べた後、必死にハミガキをして、何を着て行こうかと悩んでいた。友人達はきれいなドレスで着飾っていたが、私はいつもの服装で行こうと決めて出かけた。いろんな花屋を回って自分の好きな花を集めようと必死になっていた。パーティーの会場に花を飾りたかったのだ。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆
現実・現実・現実

しかし、現実はサンマである。17回もサンマを食べ続けている。
「今日のサンマは普通のサンマじゃないんだよ。心して食べるように」と子供達にも言ってある。サンマが嫌いな一生も今日ばかりは必死に食べていた。

これからもずっとサンマを食べ続けたい。







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2002年09月06日(金) 5時間でも足りない!

「Hさんとはどうした?」と、友人からメールをもらったが、私はいつも通りに仕事をこなしただけ。Hさんが、失礼なことを言うのはいつものことだから慣れているし、そういう人とは深く関わらないようにしている。だから大丈夫です。でも、受け付けに置いておくのは病院としてどうかと思うな。病院の顔だもんね。


そうそう、今日病院にAさんの娘さんが来て、無事に告別式が終ったことを知らせてくれた。私が持って行った花はどうするか迷ったらしいが、棺の中に納めてくれたというので、うれしかった。「そうしてください」と言いたくても言えずに帰ってきたから。



さて・・・・・・・話は変わり、
 


長い長い時間を主人と二人で過ごした。カラオケの最長記録だ。今日は父が外泊許可をもらって、父母は姉の家に泊まりに行っている。子供だけを残して行くのはどうかと思ったが、「カラオケでしょ?行ってらっしゃい」と子供達はクール。

今日はいつもと違うところに行ったら、「プロに挑戦」というのがあったので、それをやってみることにした。歌っていると、音をはずしたとたんに「カーン」という音と共に、演奏がストップしてしまう。二人とも一番は歌えたものの、どうしても最後まで歌えない。もう意地になって、「最後まで歌ってやるぅ」と選曲に力を入れる。しかし、機械は冷たい。心を込めて歌っても、そんなのは聴いちゃあくれない。

私は、色々な歌を歌っていたが、主人は短くて歌いやすい歌がいいと思ったらしく、ずっと「水戸黄門」の主題歌ばっかり歌っていた。何回か歌っているうちに、二番も後半になって来た。

主人は「やりぃ」という顔をして、もう勝利だと思いながら歌っていたに違いない。


が・・・・・・・・・・



















後、ワンフレーズどころか・・・4文字 というところで、



「カーン♪カーン♪」


と無情にも演奏はストップされた。ものすごく悔しがる主人。

こうやって歌ってみて思ったのだが、かなりストレスがたまるものだ。
ストレス解消で行っているカラオケでストレスためてどうする?


カラオケは自分が気持ちよく歌えればそれでいいじゃないか、という結論に達し、採点式に切り替えた。←これも納得いかないとストレスたまる。


声が枯れるほど歌ったのに、もっと歌っていたかった。結局5時間以上歌いっぱなしだったのに。

5時間でも足りないのか?

ハイ 足りません!





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2002年09月05日(木) 昨日のバカヤロ~~!(縦書き)について

今朝、ベッドに入ったのは5時過ぎていた。主人が目を覚ましたので、少し話をし、寝入ったのは多分5時半頃。そして、6時45分起床。

私がなぜ5時まで起きていたかというと、昨日の「バカヤロ~~!」のせいである。タグに詳しい方には「なんで?」と思われることかもしれない。

なんだか意味わかんねーよ~という方は・・・昨日の日記を参照して下さい。




今までFONTは+4までしか使っていなかった。って言うより、それ以上は表示されない。普通は7まで表示されるはずだと思うけど、そこまで大きくする必要は今までなかった。だけど、今回は大きくする必要がある!

タグ辞典を見て、FONT SIZE=+α以外の方法を見つけてそれを何度もやったのだが、どうしても大きく表示されない。

それじゃ私の気持ちが伝わらないのだ。(女の執念は怖い!)

何度やってもうまくいかないので、私はいい方法を考えついた。

一文字ずつを画像にすればいいのだ!(・・・やっぱり暇人?)

そして、「バ」「カ」「ヤ」「ロ」「~」「!」

と文字を作って、FTPで送信し、表示してみると・・・・

「う~ん・・・もう少し大きさが欲しい(爆)」

と言うことで再度挑戦。

また一文字ずつ、大きさを替えて送信!

「う~ん・・・なんだか文字の周りが白いのが気になる」

と、また画像を編集して、背景を黒にした。



そして、またまた送信!


「おお@@;」


納得の行くものができました。それに縦書きだし・・・・。

縦書きで叫びたかったのよ。


☆☆☆☆☆☆☆☆

明日は仕事です。彼女と会うことになるでしょう。
でも、私は大人ですから、その辺はうまくやっていきます。


と言うことで、5時まで起きていたというのは、

「バカヤロ~~!」

の画像を作っていたからなんです。

私も相当なバカヤロウかもしれませんーー;





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2002年09月04日(水) 声が枯れるほど、叫ばせていただきます!!!

今朝も二葉のことで、ごたごたして寝不足。私は疲れきって外に出る気力も無かったので、母に頼んで3時間目ぐらいに車で送って行ってもらった。

実は4年生の二葉だが、先週の土曜日、初潮を迎えたのだ。だから今までの「おなかが痛い」とはちょっと意味が違うように思う。家には私のための鎮痛剤しかなかったので、今日は友達に電話をしてバファリンをもらいに行った。バファリンを飲ませて様子を見て、学校に行けそうだと判断した。

二葉は身体も大きいし、胸も3年生から膨らみ始めたので、初潮も早いだろうと予想し、前々から説明をしておいた。学校ではまだ説明はないようだ。ちゃんと生理についての説明と処置を教えておいたおかげで、二葉はそれほどの不安もなく初潮を迎えたように思う。


・・・・今日はこんなことを書きたいのではなくて、ムカツクんだよ!ったく!
Hのヤロウ!(あ、私・・・怒ると人格変わります!)


事務の人たちが肌にいいという、Rという薬の話をしていた。事務の人達に頼まれれば、看護婦はその注射をする。私も何度か打ってもらったことがあるが、いまいち効果がわからない。

私 「Rの効果ってよくわからないんだよね」

と言うと、

Aさん「肌って言うより、疲れが取れる気がする」

私 「それもわかんないんだぁ」

H 「疲れていないからわからないんだよ」

私 「疲れてるよ」



H  「だってお昼頃まで寝てるって言ってたじゃん」



私 「そういう時もあるけど、私も疲れているんです。休みの日には父の病院行ったり、八王子行ったり・・」


H 「だってそれは自分の親なんだからしょうがないじゃない。私みたいに5時におきてフルに働いてごらんよ。Rの効果がよくわかるよ」


私 「とにかく、私にも色々あるんです!」

H 「親が朝起きないから、子供が不登校になるんだよ!そのうち下の子も不登校になるよ!」

私 「もうなってます!(開き直り)っていうかそれ関係ないじゃん」

H 「ほらね。親が寝てたら子供は学校に行く気無くすよ」

私は、二葉をちゃんと玄関まで見送っていたぞ。


子供の不登校と、Rの効果とどういう関係があるんだ!
それに、私がどれだけ疲れているかなんてアンタにわかるか!?
おまえに不登校の何がわかるんだ!


この人と話してる分時間の無駄と感じた。


私はこのHさんにはかなり嫌なことを言われた記憶があり、過去日記をたどって行った。もうweb上には載せていないのだが、それは1999年の4月14日のこと。(私って、かなり根に持つタイプですね)しかし、日記にそのことは具体的に書いてはいなかった。「今日嫌なことがあってグチグチ書いたけど、嫌になって消しちゃった」とだけ書いてあった。


昔のことだけど、今日あまりにも腹が立ったので、思いっきり書かせていただきます。

その頃の私は、今よりうつ病の症状(体の症状)が強く、体力的に学校の役員はできないと感じていた。しかし、4年生(一生の時)ともなると、役員を経験していない人が少なくなり、私に声がかかった。私は「体の具合がよくないので今年はできません」と答えた。

するとこのHさんが、

「何も毎日来いって言ってるんじゃないんだからさ。みんな何かしら事情を抱えているのよ。できないわけないじゃん。私、一年生の子預けているから先に帰ります。私が帰ってから私の悪口言わないでね~」

と言ってさっさと帰ってしまったのだった。私は涙をぐっとこらえていた。その頃は、手術をすることも決まっていたので、みんなの前でそれを話して納得してもらった。


よりによって、あの時のHさんが同じ病院の事務をしているなんて。でも、私はあの時の記憶は薄れて来たし、多少のことは言われても気にしないようにして仕事に集中してきた。

でも今日はその時のことを思い出し、二倍腹が立った。あの時は腹が立つと言うよりも、悲しくてやりきれなかった。家に帰って大泣きした。

あの時の私よりずいぶん強くなったんだろうな。


あんたみたいにねぇ、そうやってズケズケ物を言う人の子供は不登校にならないでしょう。うちの子は優しくて繊細なんだよ!


人の悪口だけは書きたくないと思っていたが、今日はもう我慢できない。



Hの・・・・




















































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2002年09月03日(火) やっぱり約束を守りたくて・・・

昨日からニ学期が始まった。二葉は登校班では行けなかったものの、車で送って行き、玄関のところまで一緒に行ったら、無事に教室に行くことができた。笑顔で学校に行ったのは本当に久しぶり。それに夏休み明けなので、みんなが久しぶりで「二葉が来た~!」と言われることもなく、それがよかったようだ。

昨日はあんなにすんなり行ったのだが、今日はダメだった。私にはどうしても二葉に学校に行ってもらいたい事情があり、本当はいけないことだとわかっていながら、無理やり車に乗せようと説得を続けながら手を引っ張った。力ずくではダメなことは、一生の時でわかっているのに、私は鬼になっていた。


結果はダメだった。こんなことをしてもダメだと、わかりきっていたのに、2時間近く無駄な時間を過ごしてしまった。二葉は家に戻り、私は安定剤を飲んで眠った。1時になると二葉が「お母さん仕事に遅れるよ」と起してくれた。
そして、出かける時には何かを書いた紙を渡して「車に乗ってから見てネ」と言った。家を出てから見てみると、ナースキャップをつけたウサギに「ガンバッテネ」と書いてあり、もう1匹のウサギには「ごめんなさい」と書いてあった。

謝りたいのは私の方だった。


また不登校の日々なのだろうか?それはもうしょうがない、と思いながら仕事場へ向った。



外来が始まった時、O君が「Aさんの娘さん来てますよ」と教えてくれた。日曜日に亡くなったAさんの娘さんである。娘さんは腰痛の治療のために来ている。私は娘さんに挨拶をし、娘さんからはお礼の言葉をいただいた。

それから仕事についていたのだが、私はふと思いついた。そしてリハビリをやっている娘さんのところに行って、「お忙しい時間で申し訳ないんですけど、今日仕事が終ったら、Aさんに会いに行っていいですか?」と聞いた。娘さんは「是非そうしてやってください。母も喜ぶと思います」と言ってくれた。


お骨になる前に、どうしてもAさんに会いたかった。


仕事をテキパキとこなし、仕事を定時に終えた。そして駅の近くの花屋に行った。
淡い水色のデルフィニウムと、薄いピンクのコスモス、白いデンファレデューム、そしてかすみ草。白いペーパーに白いリボンを結んでもらった。


病院の運転手に地図を描いてもらったので、それを見ながら、Aさんの家に向った。近くまで行った時に電話をすると、娘さんのご主人が迎えに来てくれた。


Aさんは、とてもきれいだった。本当に眠っているようで優しい顔をしていた。
肌のツヤは76歳には見えない。今まで何人もの死に顔を見て来た。だけど、こんなにきれいな人は初めてだった。病院ではいつも辛そうな顔をしていたけれど、もう全ての苦しみから解放されて、楽になってよかったね、と言いたい。
「また来るねって言ったから、会いに来たよ」と言ったら、こらえていた涙があふれた。私は、棺を開けてもらい、Aさんの頭をそっとなでた。


「果たせなかった約束」悔んでいた心が軽くなった。



Aさん、天国で待っててね(^o^)ノ私のこと忘れちゃダメだよ。





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2002年09月01日(日) 果たせなかった約束


☆☆☆☆☆☆☆☆☆

父の面会の帰り、Aさんが入院している病院に寄った。Aさんは以前私が働いている病院に入院していた。入院していた頃は気難しいわがままな患者と思われていた。Aさんはうつ病だったので、私には通じるものがあったのかもしれない。退院した後もAさんに会いたいと思っていた。

(中略)

私は何度も「Aさん、会いに来たよ。わかる?」と言って、手を握った。握力は結構強くて、ずっと私の両手を握っていた。帰ろうとしても、私の手を離さなかった。手を離すと私のバッグをつかんだ。「帰らないで」と言われているようで、後ろ髪を引かれる思いだった。でも、二葉のことも気になるので帰らなきゃならない。
「ごめんね。また来るからね。必ず来るからね」と約束して、帰って来た。


手のかかる患者や、わがままな患者ほど印象に残るものである。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


↑これは、先週の木曜日の日記からの引用である。

午後8時ごろ、電話がかかって来た。
「Aですけど・・・」と言われただけで、あの時のAさんの娘さんだとわかった。
「わかりますよ。こんばんは」と言うと、
「母なんですけど、今日の午前11時ごろ亡くなりました」
と、突然言われた。
一瞬言葉にならなくて・・・
「そんな・・・・」と、後は言葉が出なくて、娘さんの話を聞いていた。

前に行った時、Aさんは私の手を離さなかった。あの握力の強さは確かに異常だった。最期の力を振り絞って私にすがりついて来たのかもしれない。
「また必ず来るからね」と約束したのに、会えないままに逝ってしまうなんて。娘さんに、
「本当にありがとうございました。こんなに優しい看護婦さんに出会ったのは初めてでした。母もきっと喜んでいると思います」と言われた。私は電話を切ってから涙が止まらなかった。

人間の命ってあっけないな・・・。

半年前には元気に歩いていた人が、サヨナラも言わないで逝ってしまうのね。

「必ず来るからね」と言ったのに、約束を果たせなかったことが悔やまれてならない。

今の私にできるのは、彼女の冥福を祈ることしかない。





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