2002年06月30日(日) |
大げさかもしれないけど奇跡みたい |
先週、主人の実家に行く時一生に「おじいちゃんが一生を外に出してくれたんだよ」と言った。おじいちゃんは脳梗塞で倒れた。おじいちゃんは自分の身を持って一生を明るい場所に出してくれたのだから、それを無駄にしてはいけない。これからも、おじいちゃんを大事にしようね」と私は一生に言った。
3~4ヶ月ぶりの外出から一週間。一生が自分から「パパ、ゴルフに行かないの?」と言いだした。少し前から一生が変わり始めたのを感じていた。ピアノを弾きたいとか、ゴルフをやりたいとか。ピアノは家でできるからたまに弾いていたが、ゴルフは外に出るためとても勇気の要ることらしい。「スクールじゃなくてうちっぱなしでもいいから行こうよ」と言ってもダメだった。それが今日のこのセリフ。
一生がゴルフをやりたいのだと感じた主人はすぐに打ちっぱなしに行くことを決めた。学校に行っていない二葉は近所の神社のお祭りに「行きたいのに行けない」と、グチグチ言っていた。「学校に来てないのに、お祭りに来てる」と誰かに言われるのが嫌なのだ。それでも友達から夕方行こうと誘われ、行った後だったので、二葉に手紙を書いて私もゴルフを見に行った。
一生が日中外に出るのは何ヶ月ぶりだろう。もう一年ぐらい出ていないかもしれない。その一生がクラブを振っている姿を見たら、涙が出て来た。これからいい方向に向うとは限らない。今後のことは誰にもわからない。でも、私は一生が何か言い出すのを待ちたかった。
母からメールが入った。「じいじ、杖が気に入ったみたい。おもちゃを買ってもらった子供のよう。今ホールまで歩いて行ってのど自慢を見ている」と。
「いいことが三つもあったね」と主人に言われた。私が一番うれしかったのは昼の光を浴びた一生のことだった。
奇跡みたい、と思った。
それなのに、私の心は癒える事が無い。また自傷癖がひどくなって来た。頭のかさぶたをかきむしり、血が出る。そして固まったかさぶたをまたかきむしる。頭中が痛い。頭痛とは違い傷の痛みだからたいしたことはない。今日は、腕にも傷を作ってしまった。こんな自分が嫌いで、涙が流れる。
結局今日はご飯を作れなかった。
家にたどり着いた途端、
ぽか~んとしてしまった。
10時半に出かけて、夜の8時半に家に着いた。 なんだかとても疲れたんだけど、何しに出かけたんだっけ?忘れっぽい私だが、かなり忘れっぽい母にあきれられた。 「車を取りに行ったんでしょ?」
そうだった。私があちこち車をガリガリしてしまったために、修理に出した車を代車と交換に行ったのだった。
ここで、弁解しておきたい。
私は決して運転が下手ではない。
夜飲んでいる抗鬱剤その他の影響で、午前中は眠いだけでなく、判断力も鈍くなっている。そのせいなのだ!
車を取りに行く前に、介護用品を売っているお店に行った。父が最近薬の副作用でフラフラするので、杖が欲しいと母が言い出したのだ。私は、電話帳で調べ昨日その商品があることを確かめ、お店の場所も聞いておいた。
それなのに・・・・・
行ってみたら、シャッターが下りている。土日は休み?
それはあまりにも不親切じゃない?昨日電話して聞いたなら、 「土日は休みですよ」ぐらい言ってくれてもいいんじゃない?
しょうがないので、平日母と行くことにし、私達は車屋さんに向った。車屋さんは宇都宮にある。我が家は埼玉にあるので、ちょっとした旅になった。車屋さんはすぐに見つかって、台車と我が車の交換はスムーズにできた。なんだか新車になったみたいで気持ちいい。
父の杖は一日も早く欲しいので、ガソリンスタンドに入った時に電話帳を借りて介護用品のお店を探した。私はなんと、遥かかなたのその昔、自治医大に勤めていた時に取引していたお店の名前を覚えていた。私は全く関わったことがないのだが、院内放送で「○○医療のNさん、内線○○○○番までご連絡ください」という言葉を覚えていたのである。 「うわ~すごい記憶力~♪」などと思いながら電話してみたが、取り寄せになると言うので、ここはダメ。もう一軒に電話し、場所を聞いたが道に詳しくないためよくわからない。こういう時、主人は地図を見てなんとか行っちゃうんだけど、栃木県の詳しい地図はなかったので、かなり苦労した。
主人はやけくそになったのかあちこちの道を手当たり次第に曲がって、電柱に付いている住所を見ろと私に言う。
そういう探し方って、かなりいい加減じゃない?
ま、私はドライブ気分で外をながめていた。
いい加減走り、もうあきらめようとしたその途端・・・・
「看護用品、介護用品、車椅子その他」
という看板を見つけお店に飛び込んだ。探していたお店とは全く違う店。もうこうなったらどこでもいい!
そして、壁にかかっている杖を指差し「あれを欲しいんですけど」と言った。 その杖は、一本の棒になっているものではなく、下の方が4点で支えるようになっている。画像を載せればわかりやすいんだけど、疲れているので省略。
「7千円になりますね」とお店の人に言われた。
私は、「こういうものってメンテナンスはどうなっているのですか?私は埼玉に住んでいるので、本当はそちらで買う予定で、6千円と言われて、今日行ったんですけど土日がお休みだったんです。一日も早く欲しいので、こちらに来るついでに他のお店を探してもなかなか見つからなくて、やっとこのお店の看板が目に入って。壊れた時はこちらに持って来なければいけませんか?」と聞くと、
人の良さそうなおじさんは、 「大宮の○○と提携していますので、そちらに持って行ってください」と教えてくれた。それだけじゃない。私が6千円とさりげなく?強調したのが効いたらしく、 「じゃ、6千円にしときますかね。ここに来てくれたのも何かの縁ですから」と ラッキーにも、千円値引きしてくれた。これって私が値切ったの?
睡眠薬、精神安定剤、向精神薬などをイッキ飲みすることを、オーバードゥーズ、略してODと言う。特にうつ病の患者はこれを経験している人が多いようだ。 テレビで風邪薬をやめられないという人を見たことがある。これも同じようなことだと思う。
私は何度もやったため、信用をなくして、今は母が薬を管理している。飲みたい時に手元に薬がなくて飲めないことさえある。
だから、もうODはできない。
死にたいわけじゃない。ただ何もかも忘れて眠りたいだけ。
友人から、「またやっちゃった」というメールをもらった時、そんなことやめなよとは思わなかった。飲みたい気持ちがよくわかるから。
私は週に3回看護婦として働いている。ニコニコ笑って、家庭は全てうまく言ってるようなフリして。
まるで二重人格のよう。
そのギャップに疲れることがある。
2002年06月27日(木) |
オッパイが痛いんです |
「胸のところにシコリがあって」という患者が来た。患者は小学生。私は「何年生かな?」と言って名札を見たら、4年生だった。 先生は、「これは成長する過程のシコリでしょう。お母さん経験無いですか?」 と聞いた。母親は「う~ん覚えてないんですよ」と言う。 「ねえ、Kさん」と先生は私の方を振り向く。 私はその頃のことを鮮明に覚えている。確かにシコリができた。
「おっぱいが大きくなる前は、乳首の下のところにシコリができるんですよ。そして痛いと感じます。洋服ですれるだけで痛いこともあるようですよ。そのシコリが大きくなって、大人のおっぱいになるんです」と答えた。
「ということで、これは成長痛の一種ですね。お母さん、もしかして癌かなんかだと思ったんですか?」と先生に言われ、「いいえ、そうじゃないですけど痛いっていうから。私ッたらオオバカ者ですね」と言うので、
「そんなことないですよ。だんだん大きくなると気にするようになるし、すれると痛いので、最初はタンクトップを短くしたようなブラを売っていますので、そういうものを買ってあげて下さい」と言った。←我ながらいいこと言うねぇ。って、二葉で経験したばかりだしなぁ。
でも大きくなる時、シコリができることも忘れちゃうんですかねぇ。それに走ると痛いんだよね。私のは小さかったからそうでもなかったけど、大きい胸の持ち主は大変だったみたいよ。
2002年06月26日(水) |
病院じゃなくてホテルなのね |
昨日仕事を休んだので、職場に着いた途端に患者のNさんに抱きつかれた。 「待ってたよ~」と。こういう瞬間は本当にうれしい。今日は1人の身体を拭き、3人の足を洗った。うちの病院は基本的には週末は家に帰ることになっている。家に帰ってお風呂に入っているとばかり思っていたら、入っていなかったり、もっと私達が目をかけなければならない患者がいることに気づいた。
私の仕事は2時~6時までのパートで、2時~3時までが入院患者の世話。そして3時には外来の仕事に入る。1時間では仕事が終りそうにも無い時、たとえば患者にシャワーを浴びせる時などはもっと早い時間に行く。白衣では暑いし、濡れるのでTシャツに短パンという勇ましい格好で患者にシャワーを浴びせ、奮闘する。 Nさんは1人で爪を切ることができないし、ご主人も怖いというので、いつも私が爪を切っている。そして今日、他の患者も見たのだが、家に帰っている患者も爪は伸び放題だった。患者の家族にもそれぞれ家庭がある。お風呂に入れるだけでも精一杯なのだろう。爪が伸びていることには気づかないのかもしれない。1人で爪を切ることができない患者の爪を切ることも私の仕事だと思っている。
仕事の時はもちろん仕事に専念する。それでも今の私には気がかりな事が多い。
まず一番の問題は、義父の脳梗塞。今の病院に長くはいられないということで、他の病院を探さなければならない。ケースワーカーとの話で、候補の病院はあるのだが、私は自分が勤めている病院の先生に、リハビリのできるいい病院は無いかどうか聞いてみた。先生は快く、知り合いに当ってみると言ってくれた。
仕事をしている時に「T先生からお電話です」と事務の人が先生に声をかけた。 それは私が頼んだことへの返事だったのである。 横須賀にあるHという病院で、電話番号と住所が書き留めてあるメモを先生から受け取った。 「今、紹介されている病院と、この病院と色々調べてどっちがいいか判断したらどうかな?」と先生には言われた。私はとてもうれしい気持ちで早く義母に知らせたいと思った。先生にお礼を言い、仕事の時間もちょうど終ったので、さっそく義母に電話をしたが、電話はつながらなかった。
家に帰ってから、主人に電話すると主人もネットで見たのか「良さそうな病院だね」と乗り気である。そのうち着信履歴を見た義母から電話がかかって来た。そこで、地元の先生からH病院を勧められたという話をした。
しかし、H病院は問題外だった。「その病院は話に出たのよ。でもね、月に医療費が30万から40万かかるんだって。ホテル並みの病院なのよ。うちは年金生活だからとてもそういうところには入れません、って最初っから断ったの」と義母は言った。 一月に30~40万も取る病院。プールがあるらしい。できたばかりで、きれいで個室か二人部屋らしい。病院というより、ホテルなんだ。
私はがっかりした。その病院がどんな病院なのかを全く知らずに、明日にでも横須賀に行って、3ヶ所の病院を見て回ろうと思っていたところだった。
義父は介護度は5。一番重い患者だ。そういう患者を受け入れてくれる病院は少ない。でも今の状態で家で看るのは無理だ。医療はなんのためにあるのだろう。そういう患者こそ、病院で看護が必要なのに。看護婦としてというよりも1人の人間として、今の医療制度に腹が立った。
そして、一つの病院に3ヶ月しかいられないと言う。本当は6ヶ月らしいが、介護度が5の患者を受け入れるために、「3ヶ月ならいいですよ」という言い方をするようだ。そして患者はたらい回しになるのか。
今日も納得できない。
ワールドカップを見ていた時母が 「どうして?なんで今のが得点にならないの?」 と聞いた。 「オフサイドだよ」と私は答えた。
「オフサイドっていうルールがあってね・・・・・・・・(なぜか省略)」
それを聞いていた主人が「ききがオフサイドの説明をするなんて、ワールドカップってすごいもんだね」と言う。
「あのね~、私は小学校の頃からサッカーが好きだったんだよ。サッカーが盛んな学校で、インサイドキック、インステップキック、ヘディングなんかも教えてもらったよ。それに初恋の人がサッカー部で(←関係ない)」
オリンピックでもなんでも盛り上がる家族である。
2002年06月24日(月) |
ひどすぎる!私は納得できない |
義母から電話がかかって来たのは、数日前。「義父はもう寝たきりになる」という宣告を受けたという話である。「リハビリをやる価値も無い」
私は腹が立ってしょうがなかった。義母はさっぱりとした性格で、そう言われたなら、ケアマネージャーと相談して、受け入れてくれる施設を探そうと思っていたらしい。でも義父は全く意識がないわけではない。左腕、左足は動くのだ。麻痺している方の足や腕だって、他動的に動かせばなんらかの機能が戻ってくる可能性もあると聞いている。早いうちにリハビリを始める必要がある。
でも、先生は早く病院を追い出したいらしい。姉に言ったら「朝日新聞に投書しろ」と言っていた。
とにかく、ケアマネジャーと話ても、すぐにはOKしないようにと義母には伝えておいた。 昨日義母から電話がかかって来た。
「あのね、ちょっと状況が変わったのよ。お父さんね、『Kさん』って看護婦さんが呼ぶと『ハイ』って返事をするようになったの。だから、私にも返事してよって言ったんだけど、笑ってた」
だから言ったじゃないか~!!!←主治医に怒り
すぐにあきらめるものではない。CTの結果だけを見て診断するなんて、あなたはそれでも医者なのか。
少し前からリハビリを始めたらしい。「リハビリをしても意味が無い」と先生は言ったけど、理学療法士や看護婦が見て判断したのだろうか。「以前は身体を起してもすぐにだら~んと寝てしまったけど、今日は10数えるまでおきてられましたね」と、理学療法士に言われたらしい。
義母が「お医者さんは気に入らないけど、リハビリの人とか看護婦さんはよくしてくれるから」と言うのでホッとした。
望みを捨ててはいけない。いい方向に向っているじゃないか。色々やってみてそれでもダメなら私もあきらめる。でも、リハビリをやる価値は十分にある。
すぐにでも出て行ってほしいという医者の態度は許せない。
2002年06月23日(日) |
佐野厄除け大師に方位除けに行ってまいりました |
友人が「佐野厄除け大師」に行くというので、たまたま仕事が休みだった私も一緒に行くことにした。私は女の大厄は済んでおり、「方位除けですね」と言われた。 「災いはダマになってやってくる」という言葉を知っていますか?
私の周りでは、災いや不幸はダマになってやって来る。
神も仏も信じなかった私である。しかし、数年前不幸はダマになってやって来た。 それからというもの、佐野厄除け大師のお世話になっている。
主人は外回りの途中だからと、佐野厄除け大師まで二人を送ってくれた。そこでバイバイかと思ったら、主人もお払いの場所に一緒に座って、祈るどころか居眠りをしてました。私は自分のお願いもたくさんあるが、患者さんにも頼まれたりしたのでこんなにたくさんの願い事を聞いてくれるのかと心配になった。
本当に普段は神も仏も信じない人間が「苦しいときの神頼み」になるのですね。
お払いが終ったところで主人は帰った。私と友人はお守り探しに必死。私もいつもよりも、力が入っている。「必ず効くものはどれですか~?」という感じで。
外に出たら雨が降っていた。 友達が「おみくじひいていいですか?」と言ったので、「ひいてもいいけど、悪くても落ち込まないでね。私は大凶女だから慣れてるけど」と言った。
その友人、引いた途端「きゃ~~」と言った。
凶だった。
「きっと今が一番悪い時なんだよ。これから上昇するのだ」とわけのわからない慰めにもならない言葉をかけた。
ラーメンを食べた後は、てくてく歩いて佐野市駅へ。私鉄を乗り継いで、JRの駅にたどり着き、そこで彼女とは別れた。
私は、な~んにも考えず逆方向の電車に乗ってしまった。次の駅が終点だったからよかったようなものの、そうでなければ遥かかなたまで行っていたでしょうね。
ん?もしかしたらこれは方位除けか?早くもご利益が?
ため息をつきながら、また電車に乗った。 帰ってから主人にこのことを報告すると、
「へ~今までもかなり方位除けしてたんだねぇ」と一言。
一昨日、義母から電話がかかって来た。義父の脳梗塞の症状はかなり重症で、もうこの病院では何もすることは無い、と言われ、点滴まで抜かれてしまったと言う。点滴を抜かれたと言っても、食事をちゃんと食べられるわけでもないのに、経管栄養(胃に管を入れて流動食を流し込むこと)すらやっていない。義母が「食事がほとんどとれていないようなんですけど」と言うと、「Kさん、もっと食べなきゃダメよ」というだけなのだと言う。
それだけではない。「もう立てるようにはならないでしょう。一生、寝たきりですね」宣告されちゃった、と義母は寂しそうに言った。私は、自分の力で動けなくてもせめて何人かで車椅子に乗せることぐらいはできるようになると、信じている。リハビリをしてみなければ、わからないじゃないか。
それにその病院は救急指定病院になっているため、長い間は置いておけないので、ケアマネージャーと相談して今後どうするか決めてくださいと言われたと言う。私は腹が立った。納得できない。義父は、左の脳に梗塞ができたため、右は完全に麻痺している。でも、左は動くのだ。意識が無いわけではない。こちらの言うこともわかるようである。その状態で放り出すと言うのか。
私は自分が勤めている病院の先生に相談しに行った。今までの事情を話すと、先生も「それはひどい話しだなぁ」と言った。それに、今の病院の先生は「リハビリの価値もない」と言うらしい。自分で動かす事ができなくても、他人が動かす事によって、他の機能が働くようになった例も聞いている。
とにかく先生は、できれば義母が通える範囲の病院で探して、ダメなら東京の病院を当ってみると約束してくれた。これでいい病院が見つかるかどうかはわからないが、このまま衰弱していくのを見るのは忍びない。
私がいつも、足浴しているさだじいは、両足に壊死を起していて、片方は肉が取れ、穴が空いている。私は片方の足はそれを防ぎたいと、ずっと足浴をしてきた。それが半年ぐらい続けたある日、さだじいは、テープをはがす時、痛いと感じるようになったのだ。先生でさえ、足浴の意味あるかなぁと言っていたのに、痛みを感じるようになったのだ。今まで何をしても感覚の無かった足である。これは奇跡だ。
私は奇跡って結構信じるんだ。そしてその奇跡には愛情のスパイスも必要なんだよね♪
2002年06月20日(木) |
片付けられない人たち |
やらなければいけないことをついついためこんでしまう。うちのマンションは戸数に対して駐車場が3割しかない。うちはいつも抽選に漏れ、マンション外の駐車場を借りている。駐車場料金はその都度大家さんの所に払いに行く。母も同じところで借りているので、二台分で一ヶ月12,000円払わなければならない。それがず~っと行きそびれ、たまりにたまってしまった。 今年の1月から払っていなかったので、二台分合わせて72,000円!@@;そんな大きな額のお金が出て行ったら、生活費がなくなっちゃうよ。ボーナスの時に私の口座に少し多めに入るようにしているので、それと持っているお金をかき集めて駐車場料金を払いに行って来た。72,000円の出費は大きい。
それと、日記スペース「エンピツ」の料金を払いそびれていたので、やっと昨日銀行から振り込んだのだが、仕事から帰ると二葉が「銀行から電話があったよ」と言う。後からまた電話がかかって来た。 「今日振込みいただいたようですが、○○銀行から電話がありまして、口座番号が間違っているようなんです」と言われた。すぐに「ちょっと待っていただけますすか?」と言い、手帳を調べると番号は同じだ。急いでPCを立ち上げ見てみると、番号が一番抜けているーー;
「あ・・・私の間違いでした」
ということで、明日また銀行に行かなければならない。いつもこうやって空回りしている。
先日テレビで「ADHD」という病気のことを子供達と見ていた。「ADHD」は「注意欠陥他動性障 害」と呼ばれる。部屋を片付けられない事が単なる怠け者と見られていたのが、実は脳に障害がある ことがわかってきたというのだ。これは圧倒的に女性に多いらしい。
ADHDの特徴 物を片付けられない。 注意力が散漫。 物忘れがひどい。 約束を守れない。等々。
優しい一生は「お母さん、病気だって言われた方がうれしい?それとも病気じゃないよ、って言われた方がうれしい?」と言うので「ビョーキ」と答えた。「きれい好き」って言うのは、ちゃんときれいにすることができる人のことを言うんだよね。私は、きれいなのは好きだけど、片付ける気力が無いだけだよ~。
うちは、二葉と主人が一番ひどい。次に一生、一番マシなのは自分、と思っているのだが、いつまで経っても片付かない家。二葉が学校を休むようになってさらに部屋の汚れはひどくなった。反抗期も重なって、いくら言ってもダメ。私は片付ける気力すら無くして、母は片付けても片付けても、物が散乱する部屋を見て泣きべそをかいている。
だけど、二葉はまだしも、私は看護婦やってていいんでしょうか。
二葉が学校に行けなくなって約1ヶ月。担任の先生はいい人でちゃんと話を聞いてくれるけど、不登校に関して理解しているとは思えない。ずいぶん前に久しぶりに学校に行った時、いきなり6時間授業をして、二葉はぐったりして帰って来た。 少しずつ始めたいという気持ちはわかってもらえない。
「今日は、授業を受けることはできないけど、校長室に行くことならできる」と二葉が言うので、家庭訪問も終っていないことだし、担任と話をした。先生はいろいろと考えて下さったが、どうしてもかみ合わないところがある。 家に帰ってから、私は一生や二葉に昼食を食べさせ、再び家を出た。今度は病院に行くためである。以前私が受診している病院に、一生も受診していたことがあった。「外に出られない」ということで、何かいい方法はないかと思っていたところ、私の主治医が「先生に相談してみたらどうですか?」と言うのだ。 「でも本人が来られないから」と言うと「お母さんだけでも大丈夫ですよ」と言われたので、相談してみることにした。しかし、結局いい結果は得られなかった。「本人が来ないと薬も出せないし、話を聞いたところ、自閉症みたいな気がしますね」と先生は言う。私は「それを言うなら『内弁慶』じゃないですか?」と言いたかった。前は「分裂病予備軍」と言われ、今度は「自閉症」か。
一生のような子に「抗不安剤」や「精神安定剤」を出すわけには行かないのだろうか。本人が来なければしょうがないと言われても、外に出られないから困っているのだ。
この先生と話していて、なんの解決方法も得られないと感じ、診察室を出た。前回の受診から一年以上経っていると、初診扱いになるらしい。診察料の他に初診料と紹介状が無いからと千円余計にかかり、3900円もかかってしまった。それで何の糸口も見つからないなんて。お金がもったいなーーーい。
二葉は夜私に手紙をくれた。 「お母さんは小学校の頃、いっぱいがんばってえらかったんだね。ふーちゃんは学校に行きたいよ。友達と遊びたいよ。でも学校に行くことを考えると吐き気がしてくるの。ふーちゃんの気持ちわかってほしい」と書かれていた。 先生は、教室に来てしまえばなんとかなる、と言う。でも、そんなに簡単な事ではないと二葉は訴えるのだ。
二葉に関しては先生に理解してもらって、もっとのんびりやって行くつもりだ。
一生に関しては、隣りの市に個人病院でいいところがあると聞いたので、行ってみようと思っている。
そんな毎日なので、私の睡眠時間は削られ疲れ気味だ。
義父が脳梗塞で倒れたと聞いたのは、約10日前。 金曜の夜主人の実家、横須賀に行った。一生は、,外に出ることを嫌がり、3ヶ月以上外に出ていないので、横須賀に行くことは無理だろうと主人は思っていたようだ。でも、私は義父の状態があまりよくないことなどを伝え、今のうちに会っておいた方がいいことを説明しておいた。なんとなく一生は行くのではないか、という予感がしていた。私の母も主人も二葉も「一生君は行かないんでしょ?」と言っていたが、私だけは「まだわからない」と言い続けていた。そしてそのうち一生が横須賀に行くつもりであることにみんなが気づき始めた。
外に出るまでが大変だった。一生は怯えたような顔つきで、靴をはき、ゆっくりと玄関を出た。
横須賀に行ってから、翌日義父の面会に行く段階になると、やはり一生は頭を抱えてしまった。義母は、 「ここまでがんばって来てくれただけでもありがたいよ、無理しなくていいから」と言ってくれたので一生は実家に残ることになった。 義父は、私や二葉のことはわかるような感じだった。義母が言うには、前日よりも表情がいいとのこと。脳梗塞のため、右側は完全に麻痺していて全く動かす事ができない。意思の疎通を図ることは今の段階ではむずかしい。
翌日、もう一度面会に行く時に、一生はかなり迷っていたようだ。私は、充分な時間を与えようと思った。「行かなくていいよ」と言って、私達が行ってしまったら、一生は後悔するかもしれない。 「行きたい。でも外に出られない」 と一生は繰り返した。私は一度も「行こう」とは言わなかった。30分以上そうした後で、「そうだ小さい頃靴下がはけなくてぐずっていた事があったよね。一生は靴下がはけないのか」と冗談を言ってはかせようとすると、自分で靴下をはいて立ち上がった。 そして車に乗り、一生は震えるような怯えたような状態のまま、義父の病室へ。その日も、私達や一生のことをちゃんとわかったようだった。ただ、それを伝える手段が義父にはなかった。主人が顔を見せた時、義母が「おまえ、もっと痩せなきゃダメだよ、って今日は言わないの?」と言うと、確かに義父は笑った。主人はそれがジーンと来たようだった。家に戻って、義母から一枚の写真を渡された。「もうこんなに元気な姿で写真撮ることは無いと思うから」と言われ、なんとも言えない気持ちになった。
義母は「悩まない」と言った。「あれこれ考えていてもしょうがないから。水曜日は山に行って来る、ストレス解消にね」と。とても強い人だと思った。
今の私達にできることは何もなくて歯がゆかったので、携帯を買って持って行った。もちろん、電話代も主人が払う。
今日は、私が食事を作っておいて、帰ってからみんなで食べた。食事らしい食事を作ったのは初めてだった。それをお義父さんに食べさせてあげられないことが残念でならない。
2002年06月14日(金) |
猫を連れて学校に行く! |
昨日は、あまりの忙しさに一週間分ぐらいの出来事があったような気がする。そんなせいで、二葉の塾の面談をすっかり忘れてしまった。
二葉には「一歩ずつ進もうね」と話している。昨日はピアノに行って来た。学校を休んでいるのに、外に出るのは勇気が要ると二葉は言う。そうだよね。先生が 「エライね」って言ってくれた、と喜んでいた。ピアノの先生からも「今日はいつもの明るい二葉ちゃんで安心しました」とメールが来た。
さて、今日は「塾に行く?学校?」と聞いてみた。一度に二つのことはできないという二葉は「学校」と答えた。学校に授業を受けに行くのではない。校長先生と会うか、保健室に行って少し話しをするだけである。だけど二葉は「エル(猫)と一緒に行く」と言って聞かない。「ダメだよ。猫は学校に連れていけないの」と言っても、エルを離さない。「猫は犬とは違うんだよ。逃げちゃったらもう戻って来れないよ」とおばあちゃんに言われても、ずっとエルを抱きしめている。「だったらモコちゃんと行く」と言う。こちらも猫ーー; 昔、父が教師をしていた頃、猫を連れて来た生徒がいて、それを父は許した。でも他の先生に猛反対され、その猫は結局野良になってしまった。もしかしたら、校長先生なら理解してくれるかもしれない、と思った。私だって安易に猫を連れて行くことを許すわけではない。学校には行けないけど、モコとなら行ける、という二葉の気持ちを理解したい。モコはエルよりも動きが鈍いので、逃げないと二葉は考えたのだろう。でも、違う問題があることは私にはわかっていた。
「二葉、今日だけだよ。今日だけモコを連れて学校に行こう!」と私は言った。普通の親ならここで「ダメ!」と強く言うのだろう。でも・・・・
二葉はモコを入れた袋を抱きしめて外に出た。モコは怖がって変な鳴き方をする。モコの好きな雪印6Pチーズもちゃんと持った。車に乗って学校に向かい、まず校長室に行く。でも校長先生はいなかった。呼んで来ます、と他の先生に言われひとまず保健室をのぞく。
案の定、一言目に 「猫はね~~~。ここは学校なのよ。特に保健室。学校にはアレルギーの子もいるし、喘息の子もいるの。だから猫は連れて来ちゃダメ」と、保健の先生にピシャリと言われた。私までシュンとした。それはわかっていた。でも、モコを抱きしめて学校に行きたいという二葉の気持ちはよくわかる。本当はダメな理由を私がちゃんと説明しなければいけないことだ。わかっていた。
校長先生の姿が見えたので、私達は逃げるように校長室に行った。
校長先生は「猫ちゃん連れて来たのか~。どれ、出してあげてごらん。私に抱っこするかなぁ。怖がってるのかなぁ」と優しく話しかけてくれた。二葉は、校長先生に叱られるのかなぁという目で見ている。校長先生は「先生のところにも猫がいるんだよ。それがね、くろい猫で、くろって言うんだ。大きいくせに臆病な猫でねぇ」と言う。←どっかで聞いたような・・・。私も二葉もホッと一安心。校長先生は猫を飼っているせいか寛大だった。学校に猫を連れて来ちゃいけないとは一言も言わなかった。なでたり、チーズをあげたりしてかわいがった。
それどころか、「離してごらん」と言って、校長室の探検をさせてくれた。
二葉は、モコが爪を立てて異常に怖がった事。学校にはアレルギーや喘息の子がいるので、猫を連れて行ってはいけないことがわかったようだ。 「今日だけだよ」と言うと、「うん、わかった」と素直に言った。
校長先生は校門のところまで見送って、モコにまで「バイバイ」と言ってくださった。
校長先生ありがとうございます。これで二葉の気持ちも晴れたことでしょう。 二葉はまた一歩前進しました。
私は今日早い時間(13時)に日記を書いている。義父の状態があまりよくないので、今日の夜から日曜日まで横須賀に行って来る。
「猫を学校に連れて行った?親が許したって?」
2002年06月13日(木) |
無駄になったペットボトル |
もちろん、自分の子供のことはちゃんと考えている。日記に書かないからと言って子供のことを考えていないわけではない。
父のマッサージをお願いしている知人を駅に送って行った後、私は脳神経外科に向った。私が勤めている病院に入院していた患者が退院し、少しの間はリハビリに来ていたが、そのうち来なくなった。O君から、どこかの老人ホームに入院したらしいと聞いた。昨日、その家に電話をし、脳神経外科に入院したことを知った。 「お見舞いに行ってもいいですか?」と娘さんに聞いたら、快く「いいですよ。母が喜ぶと思います」と言われた。そのAさんは、薬を飲む時に水しか飲まないことを覚えていたので、私はコンビニでお水のペットボトルを買って行った。そして、面会に行くと、Aさんの状態は思ったより悪かった。食事を全く受け付けなくなっており、Mチューブ(胃に入れる管)が入れられていた。そして、足にも常時点滴が入れられるような管、がバンソウコウで止めてあった。
「Aさん」と声をかけた。「白衣を着ていないとわからないかな?○○整形外科の看護婦のKです」とAさんの目をジッと見ながら話しかけた。Aさんは、私のことがわかるのだろうか。わからなくてもいいと、思った。とにかくAさんとお話したかった。だけど、Aさんは痰がからんで声が聞き取りにくい。耳鼻科に勤めていた頃はすぐに取ってあげられたのになと思う。面会人の私がやるわけにはいかない。 Aさんと少し話しているうちに「もう葬式の準備はすんだのかな?」と小さな声でAさんが言った。「誰のお葬式?」と言ったら「私」と言う。「そんなこと言わないで」と言いながら、泣けて来た。「私はAさんに会いたくて来たんだよ。それなのにお葬式の話なんかしないで。まだまだこれからなんだから。食べられなくなっても管から栄養を入れて、そのうち食べられるようになるかもしれないよ。そうしたら力はついてくるんだからね」と私は言った。だけど、これ以上生きているのは辛いんだろうな。私にはよくわかる。 Aさんはうつ病である。「私はもう要らない人間なんだから」と悲観的になっている。無用に励ましても、Aさんは辛いだけだろう。
「また会いに来るね」と言ったら、ハッキリと「いつ来てくれるの?」と聞かれ、答えに困ってしまった。私もいろいろな問題を抱えているため、確約はできない。 いつとは言えないけど、近いうちにきっと来るね」と言って、ぎゅっと手を握ったら、握り返してくれた。
Aさんに持って行ったペットボトルは無駄になってしまった。 帰る時、車に乗っていっきに飲み干した。
私はいつまでも泣いているわけにはいかなかった。まだまだ難問が私には待っている。
さすがに、何カップかはフォームメールなどで知らせて下さるのですね。教えてくれた方々ありがとうございます。私にメールを下さる方は、AとB(圧倒的にA)が多い事が判明致しました。私だって余ったお肉を無理やり入れているのでBになっているだけなんで。私の友人でCカップ以上はMちゃんだけだと思う。
一緒に働いているSさんは胸が大きいのが嫌なんだそうです。「私なんかニセモノだよぉ」って言ったら、「さわってもいい?」と言って、白衣の上から触って「うわ~ホントにニセモノだ」と喜んでいるんです。
な~んてお馬鹿な話を書いてるわけだけど、また私の身の回りでは問題が発生。どうして私はこんなに苦しまなきゃいけないのだ~~~。神様がいるならお助けを~~!
世間ではワールドカップで盛り上がっていますが、カップはカップでも胸のお話です。
二葉は胸が膨らんできたことを気にしている。身体が大きくて、他の子よりも発育が早いのはしょうがない。だけど、学校で体育の時間に男女一緒に着替えるのが嫌だと言う。娘は小3から胸が膨らんで来た。中身はまるで子供なのに、身体が先に大人になって行くのは、複雑な気持ちらしい。
もう3週間学校に行っていない。学校に行けない原因はハッキリしていない。でも、タンクトップを短くしたようなブラをし始めて、それをどうやって着替えるかというのも悩みの種らしい。
それだけじゃない。いろんなことを担任や養護教諭の先生と話したいと思っている。
うちには、Aカップが2人。Bカップが1人。Cカップが1人。ガリガリのまっ平らが1人。
今の家族構成は、私の母、主人、私、息子、娘。
2002年06月10日(月) |
たまには息抜きでもしなきゃやってられないわ! |
Mちゃんの休みと私の休みが合う日に食事に行こうと約束していた。本当は銀座にカレーを食べに行くと言う話だったけど、二人とも疲れていて、銀座まで行く気力無し。近場でお食事を、ということになった。 先日母と行ったお蕎麦屋さんに行くことにした。ダイエットを始めてから、昼食はお蕎麦ばかり食べてるような気がする。
Mちゃんと食事に行く前に、二葉を学校の保健室に連れて行く予定だった。教室に入るのは抵抗あるけど、保健室なら行けると言うのだ。そして、仲のいい友達に会いたいと言った。しかし、二葉がなかなか寝なかったので、二人とも寝不足で朝起きられず、結局学校には行けなかった。Mちゃんとの約束ギリギリの時間まで寝ていた。だから、すっぴんで出かけることに。紫外線が怖いよぉ。
お蕎麦屋さんは、かなり田舎の方にある。母と行った時には通り過ぎてしまったほど、わかりにくい。知る人ぞ知るお蕎麦屋さんである。私はもう一軒おいしいお蕎麦屋さんを知っていて、そっちに行こうかと思ったが、雰囲気はこの田舎の蕎麦屋の方がいいのでこちらを選んだ。 お蕎麦はコシがあっておいしかったし、お蕎麦の他にデザートらしきものが出た。母と食べた時にはなかったので、なんなのかわからない。食べてみても??? なぞだった。隣りの人たちが聞いていたので「豆乳で作ったムース」であることがわかった。ちょっと黒蜜が甘かったけど、まあおいしかった。
Mちゃんと食事をすると、いつもダラダラと話をするのだけど、いつまでもそこにいるわけにはいかないので、場所を移す事にした。以前行った時定休日だった喫茶店。いつもお客がいないのがいい。(←儲かっていないね)友達と話すのは好きなんだけど、眠気が襲って来てそれ以上はいられなかった。
家に帰って、一眠りしたら無理やり二葉に起された。「お母さん公園に行こう。側転や逆上がりの練習したいの」と。「眠いからダメ」と言っても、水でぬらしたタオルを顔に当てたり、お茶を持ってきたり、なんとかして私を起そうとする。ずっと抵抗していたがついに二葉の押しの強さに負けてしまった。
近所の公園で、いつものように逆上がりや側転、逆立ちの練習をする。逆上がりは身体が重くなったせいか(先日も書きましたね)、できなくなってしまったが、側転や逆立ちはまだまだできる。二葉にやらせて補助をしたり、自分がやってみせたり。こんなに元気な二葉が学校に行けないなんて。 帰りにMちゃんの車とすれ違った。短パンをはいていたせいか「テニス?」と言われ、「公園だよ」と答えた。あそこなら誰にも見られないでしょ?と言うと、「え?あそこの公園ってマンションから丸見えだよ」と、Mちゃんーー; えーーーうちのマンションの皆様。公園で、側転や逆立ちをしている大人は私でございます。
2002年06月09日(日) |
めざせホリケンサイズ! |
ついに、主人のダイエット作戦が本格的にスタートした。結婚して16年、今まで私がどんなに言っても、全く私の言うことを聞いてくれなかった主人。ダンナ様としては申し分ない人で、ただ、健康のために痩せて欲しいと言うのが私の願いだった。
姉もずいぶん心配していた。義兄は医者をしており、血液検査で、数値の悪いところを指摘したり、色々助言をしてくれたが、今まではあまり効果がなかった。
主人は2年前に職場が替わり、朝早く家を出て、夜は遅く帰ってくるようになった。夜、家で食事をすることはほとんど無い。私は、毎日の生活に疲れ、主人にちゃんと食事を作らなければいけない土日はぐったりしていて、お弁当や外食になることが多かった。その外食でも選ぶメニューがカロリーの高いもので、それを変えさせることはできなかった。
先週の木曜日に姉からFAXが入り、食事指導の用紙と共に「土曜日にCTを受けるように」と書いてあった。それは内臓にどれだけ脂肪がついているか調べるためだった。昨日、病院に行きCTを撮ると、やはり「内蔵型肥満」である事は明らかだった。
その後、姉の家に行くと、「朝時間がなくて食事が摂れないなら、これを食べて」と玄米フレークや、オールブラウンなどを渡された。そして、細かな食事指導。姉の気持ちはよくわかる。私がいくら言っても主人が聞かないから、私達のためにやってくれていることなのだ。だけど、その指導の内容が、私が今まで主人に言って来たことばかりなので、そばで聞いていて泣けて来た。 どこの家でも奥さんの言うことは聞かないようだ。でもに主人は仕事の愚痴を言うわけでもなく、病気ばかりして家事もまともにできない私にも文句一つ言わない人である。食べることでストレスを解消するしかなかったのだろう。私にも責任がある。毎日ダイエット食を作ったこともあった。でも、うつ病を繰り返す私にはできない事が多くなった。
姉の勧めで、来週から冷凍のダイエット食が届く。レトルトタイプになっていてお湯で戻すだけで食べられるようになっている。コンビニでお弁当を買って来てお弁当を食べる事がある。それを防ぐダメだ。ダイエット食は400kcalにできている。
今朝やはり私は起きられなかった。二葉が赤ちゃん返りして一緒に寝たがるし、一生は昼夜逆転をしているので、どうしても私の睡眠時間が削られる。その上、薬のせいで午前中は眠くてたまらない。 主人は姉からもらった玄米フレークやオールブラウン、フルーツグラノーラなどを食べたらしい。しかし、オールブラウンが身体に合わなかったようで、吐いてしまった。その後冷や汗をかいて寝ていた。
私も同じものを食べてみたが、私は平気だった。(私は何を食べても平気な身体です)
夕方二葉と一緒に近所の公園に行った。公園と言ってもただの空き地みたいなものである。「テニスをしたい」と言うので、私は7年ぶりにラケットを握った。ほんの少しボールを打った後、逆上がりや側転の練習を手伝った。身体が重くなった私は逆上がりはできなくなったが、側転や逆立ちは今でもできる。側転のやり方は私が見本を見せることもできる。こんなお母さんを持って幸せだぞ、二葉は。
家に帰って二人で、表を作った。タイトルは「めざせ、ホリケンサイズ!」 主人、私、母、二葉の体重と体脂肪を毎日書くようにした。一生は痩せすぎなので書く必要も無いだろう。母も痩せ気味だけど、毎日計りたいというので、表に載せることにした。
二葉と二人で体重、体脂肪を測った。私は、お茶をガブガブ飲み、玄米フレークなどを食べたにもかかわらず、朝よりも400g減っていた。上機嫌で二葉とお風呂に入った。「時間がある時はまた公園に行こうね」と二葉と約束した。
そんなわけで、今日は4人とも冷蔵庫に貼っている表に体重と体脂肪を書いた。 主人もMAX時に比べ、2kgぐらいは減っていた。主人の場合、20kgぐらい痩せないと人は気づかないかもーー;
不登校になると普通は肥満になる子が多いのだが、一生はガリガリに痩せている。二葉は普通どおりに?太って来た。主人も、私も、二葉も痩せなきゃダメ~~(T.T)
2002年06月07日(金) |
看護婦の心臓は・・・ |
廊下に出ると、Tシャツに血がついた子供を抱いた若い女の人が立っていた。今来たばかり、という感じだったが、傷を見たら結構深かったので、カルテを作るよりも先に、まず処置室へ入れた。
若い女性は年の離れたお姉ちゃんだった。ソファアから飛び降りたらサイドボードに当り、ガラスが刺さったらしい。先生に知らせ、ナート(縫合)の準備にかかった。ガラスの破片や汚れを取り除くため、洗い流す。他の看護婦に「セッシ(ピンセットのようなもの)で、肉を持ち上げてもらえますか?」と言われた。私はセッシを持ち、めくれた肉を持ち上げた。お母さんはとても辛そうだけど、私達は、すばやく処置をしなければならない。麻酔の注射の準備をしたり、縫合セットや手袋を用意したり。 先生が麻酔の注射をし、効いてくるまで少し時間がかかる。麻酔の注射は、3人がかりで押さえつけても大変なほど「痛い、痛い」とあばれて大変だった。麻酔が終った後、私は「何歳ですか?飴をあげてもいいですか?」と聞いた。飴を口にしたその男の子は、少し機嫌が治ったが、お母さんに「縫う時はまた泣くと思うので、その時は口から出してください。誤飲するといけませんから」と言った。
先生が「やるよ~」と言うので、飴を出させ、また3人がかりで押さえつける。 「痛いよ~お母さんもう痛いことしないで。やめさせて~。もう痛いことしないって言ったでしょう?」と、泣き声が響き渡る。私達は押さえつけるため、手を緩める事はできない。
私はいつも、ポケットに小さなプーさんのついた鍵を持っている。ロッカーの鍵なのだが、こんな風にとてもかわいそうな状況の子供にだけ、特別そのプーさんをあげることにしている。私は、ポケットに手を突っ込んで、鍵からプーさんをはずした。そして、その子に渡すと、他の看護婦が「あれれ?何か出てきたよ」と、言い、手の中にあるプーさんの方に気持ちが少し傾いた。そして、お母さんとは何かを買ってもらう約束をしていたようだ。縫っている間も、お母さんとの会話は続いていた。 それでも、縫う時が痛かったらしく、また男の子の叫び声響き始めた。私達は絶えず声をかける。そんな風にして、みんな汗だくになりながら、男の子のナートは終った。
そのプーさんは3代目。つまり、今の病院に一年半勤めて、3人の子にあげたこになる。また同じキーホルダーを買ってくるつもりだ。本当に小さな物だけど、ほのちょっとでも、気持ちが紛れたらいいなと思う。とにかく動いては危なくて縫うことができないからだ。
それに、一生や二葉がまだ小さい頃、「一生君は薬をもらったのに、ふーちゃんはもらえない」と泣いた二葉に、事務の人がカエルの人形をくれたことがある。二葉はそれがとてもうれしかったらしく、今でも覚えている。
たくさんの血や、傷を見て思う。看護婦は普通の神経ではやってられない職業だなぁと。母に今日の話をすると、「看護婦をしている時のこゆきは別人だね」と言われた。
「ナースのお仕事」の朝倉並にドヂだけど、仕事の時にはがんばっている私なのです。
うちには「うんこちゃん」と呼ばれている飲み物がある。
主人は110kgの巨体。
タダのデブならいいけれど、タダのデブではない。
中性脂肪、高脂血症、高コレステロール、肝機能低下、等々。数々のデータに証明されているのに、今までいくら私が「痩せよう」と言っても、どうにもならない問題だった。私は今ダイエット中で、あと6kg痩せたいと思っているが、血液データに問題は無い。
主人の場合、まずは本人の自覚が足りない事が問題だ。これをなんとかしないとどうにもならない。あきらめているわけではないが、いくら言っても甘いものを買って来るので悩みの種だった。 少し前に主人の実家に行った時、お義母さんが「近所の人が痩せたのよ。それでどうやって痩せたんですか?って聞いたら、簡単なことだったのよ。毎日『ウコン』を少しずつ飲んだんだって」と言う。「試してみて」と言われてずいぶん経ってしまった。粉末のウコンは飲みにくいが、お茶ならと思って、ある日「ウコン茶」なるモノを買ってきた。
母に「あっぴ(主人)のために、こんなもの買って来ちゃった」と言ったら、母は真面目な顔で「え~?うんこ?」と言った。「ウコン」のことをうんこと言うのは、主人ぐらいのものだと思っていたけど、母は本気でそう読んだらしい。
案の定主人は「うんこは飲めないよ」と言ってなかなか飲んでくれない。私も飲んでみたが、飲んでいる間はそうでもないが、後味がかなり悪い。だったら、一気に飲み干せばいいんじゃないか?
姉は「ウコンってターメリックのことでしょ?ターメリックなめさせておけばいいじゃない?」と言うが、「ターメリックをなめて痩せました」という話は聞いたことが無い。インドではターメリックは万能薬だと言う話は聞いたことがあるけれど。
私がしつこく言ったので、主人はしぶしぶ「ウコン茶」を飲み始めた。そのペットボトルは、1.5リットルが2本だったのであっという間に無くなってしまった。この機会に、痩せるというお茶を買って来た。それを飲んで痩せるというよりも、お砂糖が入っている飲み物を飲むよりはマシという程度の考えだった。
私は毎日、そのお茶をやかんで沸かし、冷ましてからペットボトルに詰め替える。ただし、そのボトルが「ウコン茶」のものだからいつまでも「ウコン茶」と呼ばれていた。
それがいつのまにか「うんこちゃん」に変っていた。
姉も本気で主人が痩せるように、協力してくれている。
夫婦で毎日「うんこちゃん」を飲む日々である。さて、結果はいかに・・・・・
2002年06月05日(水) |
「がががががあぁぁぁぁぁ~~」 |
嫌なことは続くものである。
二葉は今日も学校に行く気配なし。とにかく学校に行く恐怖心を取り除くために授業に出るのではなく、先生と少しお話しようと、ランドセルを持たずに学校に行った。
姉は父を連れ出す作戦で、母と病院に向っていた。みんなでお昼ご飯を食べようと、途中で合流。目的地のお店に行くと、 「定休日」の札が・・・・。またしても「定休日女」の威力を発揮。「途中におそば屋さんがあったよね」とそこに寄ってみるが、休みーー;
「じゃ○○の隣りのおそば屋さんに行こう」と車を走らせた。が、私はある一瞬の記憶が無い。信号は全く見なかったらしい。気づくと目の前に大きなダンプがいた。私は、思いっきりアクセルを踏んで、右折した。 「ブーーー!!!」というクラクションの音が聞えてハッと我に返った。私は、ぎゃお@@;怖いと思って、隠れた。←運転手が隠れるのはもっと危険です。 姉から「逮捕するぞ!」と電話がかかって来た。母からは「もうぶつかった、って思ったよ。何やってんの。だけどよくすり抜けたね」と言われたので、「反射神経いいからね」と笑ったが、笑ってる場合ではなかった。
途中でコンビニに寄って一生にお弁当を買った。それを渡すために、マンションの近くに車を止めて、家に行き一生に渡した。そして車にもどったが、バックしたら、 「がががががあぁぁぁぁぁ~~」 という音が。 ぎゃ~~~~~~!!! と思って降りて見てみると70cm以上の太い傷がついている。しかも、二葉が「お母さん、ドアが少ししか開かないよ」と言う。ドアの前の方まで傷ついたため、ドアがちゃんと開かなくなってしまったのだ。「ねえお母さん、一生君とかふーちゃんなら乗れるけど、パパは乗れないね」と笑っている。これも笑い事ではない。
その後、姉に渡すものがあったので、駐車場に止めている姉の車に近づこうとしたら、車止めにつまづいて、思いっきり転びそうになった。 まるで、マトリックスのあのシーンの逆回転のよう。これも、とっさの反射神経でなんとか転ばずに済んだ。
車の傷はショックだったが怪我があったわけでも無し、ダンプともぶつからなくてよかった。しかし、みんなの幸せのために、今後午前中に運転するのはやめようと思った。午前中は夢遊病者なのでございます。
いいことないかなぁ。顔でも磨くか・・・と思いMちゃんに電話してみた。 「シミ取りが5個で二千円なんだけど、シミってある?」と聞いて見たら、
2002年06月04日(火) |
ワールドカップよりショック |
二葉は今日も学校を休み、私が「仕事一緒に行く?」と聞いてしまったばかりに 「行く、行く」と引かない状態になってしまった。「今日だけね」という約束で病院に連れて行った。最初の一時間だけは、患者さんに断って、足を洗うところを見せたり、手伝いをさせたりした。患者さんが「ありがとう」と言った時、「お母さん、患者さんに『ありがとう』って言われるのが一番うれしい、って言ってたよ」と横から口をはさんだ。そして「うちのお母さんしっかりしてると思う?」と聞く。患者さんが「しっかりしてると思いますよ。とてもよくしてもらってるのよ」と言うと「あのね、うちではすごいドヂで、オバカさんなんだよ」と言う。(まったく余計な事を)
まあ、こんな状態で一時間だけ患者に接するところを見せて、後はナースステーションで待たせた。ナースステーションと言っても、誰もいないので、お絵かきをしたり、テレビを見たりして待っていたようだ。 帰りに二葉といろんなことを話した。やはり二葉は学校に行きたいと言う。でも行こうとすると、ダメなの、と。そんな話をしていた時に、突然「ワンピース縫ってちょうだい」と言われた。最近洋裁はやっていないので、ファスナーだのボタン付けはめんどくさくてできない。そこで、考えた。安いTシャツを買って、その下の部分にスカートをつけようと。 帰り道にある、安~~いお店で、150円のTシャツを二枚買い、生地屋さんに寄って、スカート部分の生地を選んだ。
仕事で疲れた私は、めずらしくできている食事に感激した。母がほとんど作ってくれていたのだ。「一生も二葉も、感謝して食べるんだよ」と言うと、一生が 「お百姓さんに?」と言うので、「それもそうだけど、じいじのところに行って疲れて帰って来たばあばがご飯を作ってくれたんだからね」と言った。
その時ワールドカップはもう始まっていた。が、買い忘れたものがあったので、近所の店に行こうとして家を出た。そこで、ビックリしたのは、みんながワールドカップを見ているらしく、 同時に「わーーーっ!!!」という歓声がマンション中から響いてくる事だった。 「ワールドカップか~」とボーッと考えていた。
買い物を終って家に帰り、普通なら食事の後片付けをし、二葉とお風呂に入り、寝かしつけ(←最近赤ちゃん返りしてるのでこれが必要)、私もオネムの時間になるはずだった。
そこで、電話が鳴った。RURURURURURURURU・・・・・・ ナンバーディスプレイなので、主人の実家からだということがわかった。 「もしもしKです」と言って出ると、 お義母さんが、 「お父さんが脳梗塞で倒れちゃったのよ」と言う。 「え~~~???」
もしかして、ドラマのワンシーン?一瞬そう思ったが現実だった。
でも電話の向こうのお母さんはとても落ち着いていて、「今朝救急車で運ばれて入院したから、あとは処置した後、リハビリをやることになるだけだから。でもね、右半分には麻痺が残るって言われたの。でも、心配しないで。大丈夫だから」と。
心配しないで、と言われてもフツー心配するよなぁ。
父のうつ病。 母のうつ状態。 自分のうつ病。 一生の不登校。 二葉の不登校。 主人のデブ(←結構深刻)
さらに、義父の脳梗塞。
悩みの種がどっさり。 こうなったらどっからでもかかって来い!
 身長150cmの二葉のワンピースはデカイ! ついでにお守りも作った。
前のO先生から、T先生と言う女の先生に代わって初めての受診だった。医療従事者の目で見るせいか、先生を見る目は厳しい。T先生は、知的でテキパキと話す「できる」という感じの人だった。おとなしいO先生とはまったく違うタイプだ。 今までの病歴はO先生から伝わっていたが、少し長めに話をした。今私が抱えている色々な問題は、全て先生に話し一人で抱え込まないようにと言われた。そしてO先生に言われたのと同じように、仕事を一時的に休む事を勧められた。私の気持ちは今も変わらない。週3回、しかも半日ずつしか働いていないのだ。これだけは続けたい。午前中、眠くてしょうがないので、薬の調整をしてもらい今日は帰って来た。
帰りにMマートに寄った。買い物をするためじゃなくて、Mマートに入っている銀行でお金を降ろすためだった。銀行のキャッシュコーナーにいても、Mマートの店内の放送が聞えて来る。あらかじめテープに吹き込んだものを、店内に流すというものだ。たとえば「本日のお買い得品として、豚肩ロース100g108円のところ、88円と大変お安くなっております」みたいな放送である。そこで私は確かに聞いた。
「鮮魚コーナーでは、100g198円のまなこが98円と大変お求め安くなっております」と。それは二回繰り返された。 確かにまなこと言った。
まなこってなんですか~?
そして今日もイライラする「フレンズ」を見たのです。主役のウォンビンは、韓国のキムタクと言われ「僕はウォンビンさ」と答えたそうだけど・・・。軍隊に入って、ヘルメットをかぶっているところは、キムタクに似てたような気がする。 一緒に見ていた一生が、すれ違う瞬間を解説してくれる。あと30秒早かったら会ってたのに、と。ああ、イライラするぅ。
とにかく、難問を抱えつつもハッピーエンドという形でドラマは終った。(めでたし、めでたし)
で、明日は月曜。二葉は学校に行くのだろうか。一生のことは悩み、苦しみ、そしてもう今は行かないことが当たり前の生活になっているけれど、二葉まで休み始め、そのことを考えると、内臓がグルグルしてくる。昔は「おやすみなさい」も言わずに、寝たければ勝手に寝る子だったのに、最近は寝る前に添い寝をしてほしいと言う。それでいて次の日のことを心配している。「大丈夫だよ。何も考えないで、安心しておやすみとか、お母さんが守ってあげるよ」と口では言うのだが・・・・
守って欲しいのは私の方なのだ!
不登校じゃないよね、きっと「5月病だ」と言い聞かせてみる。 きっとそうだ。
明日は私の受診日で、新しい先生に会う日。「利家とまつ」のまつのように、性根の座った人間になりたいものだ。
2002年06月01日(土) |
イライラするドラマは作るな! |
ドラマ大好き人間の私が最近見ているのは悲しい事に「利家とまつ」だけ。いつ夕食の片づけを終って、ホッと一息つくと11時を過ぎているのだ。CMなどで日韓共同制作のドラマがあるというのを知って、見たいと思っていた。深田恭子とウォンビン共演の「フレンズ」だ。結局見過ごしたのだが、アンコールでやっていたので見ていたが、途中からイライラして来た。 鈴木京香が出た「君の名は」を見たことのある人はいるだろうか。それと同じで、「韓国に行きます」というメールは、他の人によって消されてしまう。電話がかかって来て「伝えてください」というのは、わざと伝えられない。ほんの少しのところですれ違う。そればっかりなのだ。もう少し脚本をなんとかしてくれないと、イライラするばかりだ。私をこれ以上イライラさせるな~~!!! それでも明日の後編も見るんだろうな。
フカキョンって二重アゴじゃないですか?
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