二葉が一週間学校を休んだ。月曜病が続いているなぁと思っていた。土日で生活のリズムが崩れて、朝起きられなくなっているのかなぁと勝手に思っていた。それが最近「おなかが痛い」と言いだした。普段はどんなに遅く寝ても朝はすっきり目が覚める子なのに、最近は違う。昨日は「今日は図工があるから休みたくない」と言った。私が、「だったら図工だけやって帰っておいで」と言った。無理して長引くよりも、少しずつ立て直そうと考えたのだ。連絡帳に「腹痛と吐き気があります。治らないようなら迎えに行きますので、ご連絡ください」と書いたが、結局連絡はなく、最後まで授業を受けて帰って来た。 先生はいつも同じことを言う。学校に行けば「元気そうですよ」とか「友達と仲良く遊んでいますよ」と言う。だけど、不登校のことをちゃんと考えているのかな。
二葉は一生の時と違って、自分の気持ちを私に話してくれる。「学校は好きだし、行きたいんだけど、行こうと思うとおなかが痛くなる」と言う。それだけじゃない。「おかあさんに迷惑をかけたくない」とまで言うのだ。 いつも元気で明るい二葉が、不登校?兄妹で不登校?と思うと、さすがの私も穏やかな気持ちではいられなくなって来た。だけど、二葉が休んでいることを知っている人に「学校は行かせたほうがいいよ」と言われたりする。行けるものなら行かせてるつーの!
誕生日に時計とバッグを買ってもらった。マザーズバッグは、携帯を入れるポケットが表についているし、中の方に哺乳瓶を入れる部分があるのがいい。私は薬を飲むためにいつも、ペットボトルを持ち歩いているので、それを入れるのにちょうどいいのだ。

日記の字が小さくて読みにくいと、老眼の方からご指摘がありましたので、フォントを大きくしました。(それは私です、自爆)
今日も二葉は学校を休んだ。おなかが痛いと言い、トイレに入っている間に時間切れになる。車で送って行こうとしても、「おなかが痛いからダメ」と言う。もしかして、二葉まで不登校になるのか~?と、不安に思うが、二人目ともなると、あまりショックでもないのはなぜだろう。
私は二葉と一緒に寝てしまい、出前のおばさんの「ピンポーン」という音で目が覚めた。もうすぐ1時。おばさんが来なければ、仕事に遅刻するところだった。
二葉は、かいがいしく私に白衣やエプロンを持って来てくれる。「時計持った?鍵は?」などと、奥さんみたい。そうして二葉にいろいろ手伝ってもらって仕事に行ったのだが、二葉の気持ちはあまり変っていなかった。
「学校に行こうとすると、おなかが痛くなる」と言う。これはまさに不登校の兆候じゃないか。まず、気分転換をしようと思った。二葉は小3から胸が大きくなって来て、最近着替えるときに人に見られるのが嫌だと言い出した。そして、ブラを買って欲しいと言われていた。私が初めてブラをしたのは、中1の時だった。ずいぶん違うものである。
仕事から帰ったらすぐに、二葉とブラを買いに出かけた。あれこれ迷い、「ファーストブラ」と言うものを買った。 久しぶりにお風呂にも一緒に入り、髪を切った。10cmぐらい切ったのでずいぶんイメージが変った。二葉も気に入ったようで、少し気分が変ったかな。お風呂上りに恥ずかしそうにファーストブラをつけてみる二葉。急に大人になったような気がする。
2002年05月27日(月) |
「旅の夜風」←ふる~い歌です。 |
週に一度は父を外に連れ出そうと思っている。病室の中でボンヤリしていると治るものも治らなくなりそうだ。父は、うつ病で去年の6月から入院している。よくなったり、悪くなったりを繰り返し、今は少し上向きなのだけど、本人は日毎に悪くなっていると思っている。 昨日、一生がオガショウやジャイ子と遊んでいる時、私と主人は父を連れ出す作戦で病院に行った。少し早めの夕食だ。母はもっと早くから行っていて、メールでやり取りしたところ「頭痛、めまいがあるから無理かも」ということだった。私は「私だって頭いてーよ。気分転換は大事」と返した。案の定、病室に行くと「ムリだ」と父は言う。 主人が「行きましょう」と言っても「ムリです。本当に歩けないんです」と言うので、私は「車椅子を借りてくる」と言った。それでもダメだと父は言ったが、私は車椅子を借りに行った。後から聞いた事だが、「ムリだ」と言いながら、行く気になっていて「メガネはどこだ」と言って、メガネをかけて待っていたらしい。 車椅子を借りて病室に戻ったら、もう有無を言わせず、「ハイ、乗ろうね」と促した。それほど強引ではなかったが、父は1人で立って、車椅子に座った。
和食のお店に行って、いろんなものを頼んだ。ナスの浅漬け、イカ刺し、手羽先肉の揚げ物、イカげそ揚げのサラダ、お蕎麦、等々。手羽先に何度も手を出していたのには驚いた。あんなに食べにくいものを、おいしそうに食べていた。主人が席をはずしている時にビールが来た。「早いもん勝ち~!」と言って、私は父とビールを飲んだ。もうすぐ私の誕生日なのだ。「今日は私の誕生日前祝だからね」と言って父と乾杯した。 「来てよかったでしょ?」と母に言われると「うん」と言って表情が和らいだ。無理に連れてきてよかったのかなぁと思っていたが、父の笑顔を見たら、本当によかったと思った。
父を連れ出す作戦はそれだけで終らなかった。私は前日に主人とカラオケに行っていた。その時、ふと「これ父の持ち歌なんだよ」と言って、「旅の夜風」を歌った。「愛染かつら」という映画の主題歌なのだが、私もこの映画は見たことが無い。私は「旅の夜風」を歌ったら、是非父に聞かせたいと思った。高校の教師をしていた父は全校生徒の前で歌った事があるらしい。それも事前に知らされていなくて突然歌ってくださいと言われたと言う。そんなことを思い出してくれたらいいなと思ったのだ。そして、出たついでに「カラオケに連れてっちゃえ~」ということになった。(私っていつも強引)サンリオルームしか空いていなくて「ポムポムプリン」の部屋へ。 私も主人も昔の唄ばかり歌った。「旅の夜風」も歌った。私はこの唄を父の歌でしか知らない。テレビなどでも聴いた事が無い。何十年も聴いた事がなくても、私はちゃんと覚えていた。
こうして楽しく時間を過ごしたのだったが、病院に戻ると急に父の表情は変わった。「歩けない。動けなくなった」と言う。いつものことだから聞き流すしかない。
今度はお昼ご飯を食べに連れ出そうか、と思っている。 一生のことも気になるし、二葉は月曜病で休んだ。主人はデブだし、私は一日中寝てるし、問題は山積み。でもとりあえず、積んでおきましょ^^
何事も無かったように、時間が過ぎて行く。
一生はいつから外に出ていないのだろう。確か、以前横須賀に行った時以来なので、2ヶ月は経つだろう。外の風や光に当たることもなく、毎日PCばかりやる生活は身体にいいはずが無い。 そんな一生に女の子から電話が来るようになった。4年生の時に同じクラスだった子で、私も覚えていた。一生は頑なに電話には出ようとはしない。「ごめんなさいね。どうしてもダメなの」と言っても「そこをなんとか」と言い、Mさんは粘る。 そして、毎日メールがくるようになった。一生のことだから返事を書きなさいと言わないと書かない。数日前に、まとめてメールの返事を書いていた。ひどいのは3月頃に来たメールの返事というのもあった。電話でのMさんは、久しぶりに一生ちゃんに会いたいと私に言うのだが、返事に困ってしまった。一生が心を許しているのはオガショウだけである。「もしかしたらオガショウと一緒だったら会えるかもしれない。でもダメだったらごめんなさいね」と断っておいた。Mさんは、オガショウと相談し、「今度の日曜に遊びに行ってもいいですか?」と聞いて来た。一生がいいよと言ったので、どうなるんだろうと主人も興味津々。主人に「Mさんってどんな子?」と聞かれて、「いい子なんだけど、ジャイ子みたいだよ」と言っておいた。 一生に昨日は早く寝るようにと言ったのに、結局徹夜し、寝ないつもりでコーヒーをいれて飲んでいた。約束は2時だったが、その前に眠さに耐えられなくなった一生が寝そうになった。主人が「オガショウに来てもらえ」と言って、先にオガショウに来てもらい、なんとか一生が寝るのを止めた。 約束の2時にMさんが来て、「久しぶりだね~一生ちゃん」という陰で、主人が「ホントにジャイ子だね」と言っていた。それから少し話をしたりした後、二葉も加わってトランプをしたり、ゲームをしたりして遊んだようだ。その後は私も主人も出かけたのでどうなったのかわからない。 ただ、Mさんが一生に電話をかけてくるようになったのは、一生を好きだからではないと思う。きっと一生が学校に行っていないことを知らなかったのだろう。それを最近知って、自分がなんとか・・・・と気にとめてくれたのではないだろうか。今まで数人の子が手紙をくれたり、メールをくれたりしていたのに、それには何も返事を書かずにいた一生がMさんの押しの強さに負けてしまったのかな。それにしても今日は楽しそうだった。眠いのを我慢してトランプをしている姿もあったけど、中学生の男女がコンビニの前で話しこんでいるのをうらやましいと思う母としては、またこんな日があったらいいのに、と思う。
いとこ以外の女の子と遊んだの本当に久しぶりの一生だった。徹夜したこともあり、かなり疲れたのだろう。夕食も食べずに寝てしまった。
一生は、「結婚して~」と迫られて断りきれずに結婚しちゃうタイプかもしれない。それじゃまるで、のび太と同じじゃないか。
私信 オガショウ様 絶対に私のHPを見るなって言っても、「見たくなる」と言っていたけど、「ジャイ子」のことだけは内緒にしてね。
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