■ 豆文 ■
 2008年12月09日(火) 【 中毒奇譚:10 】

【注意書き】

 初見の方はまずこちらをご覧下さい(『はじめに』のページです)

【店主の経営メモ:本日のお客様──旦那様】

 その賑やかな声は、店の扉が開く前から聞こえてきていた。
 帳簿を付けていた店主は顔を上げて扉を見つめると、静かに帳簿を閉じて仕舞う。耳を澄ませばその声が複数の人物のものである事、徐々にこちらに近付いて来ている事が分かった。
 いらっしゃいませの言葉を発するタイミングは絶妙で無ければならない。そんな拘りをひっそりと所持する店主は黙したままその時を待つ。よくよく聞けば言い争っているようにも聞こえる声がとうとうすぐ側までやって来て──

「いらっしゃいま」
「あーくそ、大人しく出来ねぇのかテメーらは!!」

 がこん、と乱暴に開いた扉の音とその怒鳴り声が、店主の拘りを掻き消した。

「……」
 黙り込んだ店主の目の前に現れたのは三人の人物。一人は今怒鳴り声を上げた男。金の髪に青緑の瞳、細めの眼鏡をかけ、耳に幾つものピアスを付け、火の付いていない煙草をくわえた少々派手な男。
 そして残る二人は。
「おろしてー!」
「おろしてー!」
 男の両小脇に抱えられた、二人の子どもだった。じたばたともがく一人は少年、一人は少女、同じ程に見える歳はまだ幼い。その──両方とも抱えるのは少々厳しいのではと思う──二人を軽々と抱えたまま、男は店主へ顔を向けた。
「悪りぃな、入ったそうそう喧しくて。初めての場所に来るといつもどこ行っちまうか分からねー位にはしゃぐもんで、持ち歩いた方が楽なんだ」
「いえ、お気になさらず。お子様ですか?」
「二卵性の双子だ。座っていいか? ついでに禁煙じゃねーと嬉しい」
「高性能空気清浄機と共に歓迎させて頂きますよ」
 口元の煙草をぷらぷらと揺らした男へ笑顔で言えば、そりゃいいなと笑みが返った。自分の右側二つの椅子に子どもを座らせ、男は残った椅子に座る。
「道に迷った訳じゃ無いんだよな、でもすげー疲れた」
「オレ何もしてないじゃん!」
「わたしも!」
「進む度に裏路地に走りやがったのはどこのどいつだ!」
 抗議の声を上げた子ども達を一喝し、男は深い溜息を吐いた。店主が灰皿とマッチを差し出すと有り難くそれを受け取る。
「すみません、裏路地だらけの場所にある店で。冷たい飲み物をお出ししますね、お好みは?」
「珈琲があるならそれがいい。こいつらは……ちゃんと自分で主張しろ」
「オレりんごの!」
「わたしオレンジの!」
 男が告げた途端に子ども達は元気良く片手を挙げた。かしこまりましたと用意を始めた店主へと、煙草に火を付けた男が切り出す。
「……で、まぁ本題なんだがよ。プレゼント、探しに来たんだ」
「プレゼントですか。どなたのですか?」
「んー、嫁」
 まずは子ども達へジュースを差し出しながら、店主は奥様ですかと聞き返す。ジュースのグラスを両手に持った子ども達が満面の笑みを浮かべた。
「おかーさんのね、誕生日が近いの!」
「あとね、『じゅっかいめのけっこんきねんび』!」
 内緒なんだよ、と付け足されれば店主も納得がいった。要するにこの三人は秘密のプレゼントを用意しようとして、ここまで来てくれたという事だ。
「それはおめでとうございます。そうですね……色々ありますけれど、何か決めておいでですか?」
 店主が問えば、子ども達のいない方向へ煙を吐いていた男が何故か眉根に小さな皺を寄せた。何かを言い辛そうに暫し黙り込んでいたけれど、やがて口を開く。
「……まぁ、一応は。…………指輪でもやるかな、と。俺と揃いで」
 そこで店主は反射的に男の左手へ目を向けていた。薬指には結婚指輪というには少し違う雰囲気を持った指輪がはめられている。
「……そちらは? あ、珈琲どうぞ」
「サンキュ。……これは嫁がくれたんだけどな、俺もアイツにやってはいるんだけどな、その……ぶっちゃけオモチャレベルの値段っつか」
 二人にとってはこの十年、それで十分だったのだけれど。
「俺の嫁なんざアイツにしか務まらねーし、アイツしか考えらんねーし、ならしっかりしときてぇんだよな。指輪の値段や質なんざ、気にするヤツじゃ無ぇってのは分かってんだけどよ」
「何というか……素敵な奥様なんでしょうね、きっと」
「最初はただの生意気なちんちくりんだと思ってたんだけどな、可愛いんだよ、すげー可愛い。何だアイツ犯罪か畜生」
 淡々と語られた。店主は表情を変えずに聞いている。
「愛妻家さんですね。恋愛結婚ですか?」
 だが、店主がそう問いかけた直後に男の方が表情を変えた。若干気まずそうなその表情のまま、楽しくジュースを飲んでいた子ども達の方を向き、
「お前らちょっと、互いに耳塞いでろ」
 言い聞かせた。
「? はーい」
 二人は首を傾げながらも向き合い、互いに両手を伸ばして耳を塞ぐ。男はそれを確認してから店主にだけ聞こえる声で告げた。
「押し倒した」
「お若いですね」
 店主は表情を変えずに聞いている。男は煙と共にひとつ溜息を吐いた。
「しゃーねーだろ。お前、寝転んでた自分の前に、惚れてる女が風呂上がりの状態でしゃがんでるトコ想像してみろ。しかもボタンちゃんと止めて無ぇとか、狙ってやってねーのが恐ろしいってんだよアイツ」
「それは恐ろしいですね」
「とうさん、まだー?」
「もうちょいそのままだ」
「はーい」
 僅かに手を離して問うてきた子へ返せば、二人は再び素直に手を戻す。
「で、だ。指輪をな、その状態で渡したんだけどな」
「押し倒した状態で、ですか」
「押し倒した状態で、だ。きっかけさえありゃ気持ちぶちまける覚悟が出来てたもんで、指輪だけは買ってたんだよ。ただ急ぎすぎてすっげー安いのな。しかもその時に持ち合わせが無くて借りた。要するにその……引け目っつーの? それを俺が自己満足で拭い去りてぇってのもあるんだよ」
 十年という節目が、そうさせる決意をくれたのだろう。なるほどと呟いた店主の前で珈琲を一口飲んでから、男は新しい煙草を取り出す。
「色々と納得しました。……ちなみにその後は」
「とうさん、まだなのー?」
「あと三十秒」
「はーい」
 つい聞いてしまった店主は、男が子ども達へと時間延長を言い渡した事に正直感謝した。店主も所詮人の子である。
「普通の女なら引くよな、今なら分かる。でもアイツ、フツーに受け取りやがって、後で『これ、欲しかったの』とか、もう離せるワケ無ぇじゃん。で、あー……その後か」
「あと二十秒です」
「俺の指定した時間だけどよ、二十秒で『そこ』語れって無理があるよな?」
「あ、脳内補完で把握出来そうです十分です。おめでとうございました」
 にこやかに祝辞を告げた店主へ「どーも」と返し、それから男は当時の事を思い返したのかしみじみと続ける。
「フツーに世界一だろ俺の嫁。あれの可愛さが分からんヤツはくたばれ。分かるヤツもくたばれ。やらん」
「素晴らしい真顔ですね」
「? おい、もういいぞ」
 ぱん、と手を叩けば子ども達は一斉に手を離し、息を吐いた。すぐさまジュースへと向き直して笑顔になる様子を眺めながら、大人二人は会話を続ける。
「話を戻して、結婚指輪でしたら幾つか御座いますよ」
「そりゃ助かる。ついでにオススメ出して貰っていいか? サイズは──」
 自分の分と妻の分。それを告げられた店主はかしこまりましたと一礼してから席を立った。いつもの扉の奥へ行き、暫し悩んでからひとつの小箱を手に取り戻る。
 こういう時の勘に店主は自信を持っていた。オススメと称して持っていたものを、客人は大抵気に入ってくれる。そんな自信だ。
「お待たせいたしました、こちらなど如何ですか?」
 男のものは少し太め、女性のものは繊細に。けれどペアであると分かるデザインの指輪。それを目にした瞬間に、男は驚いたように目を大きく開いた。
「脳内覗いたのか?」
「企業秘密です」
 余裕の笑みを浮かべた店主へ男は感心したように頷いた。これでいい、むしろこれがいいと自慢するように子ども達へ見せている。小箱を覗き込んだ子ども達もまた感嘆の声を上げ目を輝かせていた。
「おそろい!」
「いいなー!」
「羨め羨め、お前らも将来買ってやったり貰ったりしろよー。……っと、そうだ」
 子ども達の頭をぽんぽんと撫でていた男は、不意に思い出したのか店主の方へと向き直した。
「あと、スケッチブックとクレヨンあるか?」
「ありますよ」
「こいつらがな、描いてプレゼントしたいんだと。絵」
 ならば上質のものを出さねばならないと店主は思う。期待を込めた目でこちらを見た子ども達へと微笑み返し、後方の扉を再び開けようとしたその時。

「……そういや、俺一度ここに来てねぇ?」

 男が唐突にそう漏らした。扉を開ける事を止めた店主が振り向いて暫く悩み、眉根を寄せる。
「……すみません、覚えてはおりませんが……いつ頃で?」
「んー……確か、なー」
 思い出さねば帰れない。そんな表情で唸っていた男だったが、やがて弾かれた様に顔を上げて手を打った。
「思い出した! なぁ、ここ、チケット代行もやってたろ」
「あ、はい」
 そして、男は苦く、それはもう苦く笑う。

「……新婚旅行のチケット、買いに来た事があるんだよ」
「おや」

 良いご旅行でしたか?
 そんな店主の問いかけに、男は「ある意味な」とだけ答え、煙草の煙を吐き出した。


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