いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2013年12月29日(日) 「日本は自衛のための戦争だった」byマッカーサー

 昨日、一昨日と安倍総理の靖国参拝にからんでA級戦犯について書かせて頂いた。そして、その間、中国、韓国、反日マスコミ、反日市民団体、社民党、共産党など一斉に「日本バッシング」を始めた。相変わらずの「自虐歴史観」には、あきれる。65年もたって、そろそろ、連合国の心理作戦のマインドコントロールから解放されようではないか。

 東京裁判というインチキ法廷を作った元凶であるマッカーサー司令官が、1951年(昭和26年)5月3日、米国上院軍事外交合同委員会で、「日本は自衛のために戦争に突入した」と証言していることを、左巻きの人々は知らないのだろうか。

芋太郎の広場さんが、わかりやすい英訳をネット上に掲載されているので、転載させて頂くので、是非とも「侵略戦争」と思っている方々に読んでいただきたい。

Senator Hickenlooperヒッケンルーパー上院議員

Question No. 5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?
5番目の質問です。赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。

General MacArthurマッカーサー将軍

Yes, sir.
そうです。
In the Pacific we bypassed them.
太平洋では、米国は日本を迂回しました。
We closed in.
そして閉じ込めたのです。
You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands.
日本が抱える八千万人に近い膨大な人口は、四つの島に詰め込まれていたということをご理解いただく必要があります。
It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.
そのおよそ半分は農業人口であり、残りの半分は工業に従事していました。
Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known.
潜在的に、日本における予備労働力は、量的にも質的にも、私が知る限りどこにも劣らぬ優れたものです。
Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
いつの頃からか、彼らは、労働の尊厳と称すべきものを発見しました。つまり、人間は、何もしないでいるときよりも、働いて何かを作っているときの方が幸せだということを発見したのです。
This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.
このように膨大な労働能力が存在するということは、彼らには、何か働くための対象が必要なことを意味しました。
They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.
彼らは、工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本資材を保有していませんでした。
There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.
日本には、蚕を除いては、国産の資源はほとんど何もありません。
They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムが無く、その他にも多くの資源が欠乏しています。それらすべてのものは、アジア海域に存在していたのです。
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
これらの供給が断たれた場合には、日本では、一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感がありました。

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。

 日本の戦争が「侵略戦争」だったのかどうか、歴史を直視しようではないか。満州国ができるまでの朝鮮半島の、劣悪なインフラ、社会制度を本土並みにしたのは、誰だったのか。復習しようではないか。

 満州にも台湾にも帝国大学を作り、本土と同じ最高学府の教育環境を作り、帝国陸軍には台湾人や朝鮮人の将軍まで誕生した事実を、なんと説明するのだろうか。当時の列強で植民地から将軍を排出し、国立大学を作った国があったか!

 正しい歴史認識こそが、世界で尊敬される国になれるのだ。中国と韓国以外の国々では「日本はいつまで謝っているのか」と、不思議がられているのを、我々は真面目に、それこそ「反省」すべき時にきた。

 新しい年がもうすぐ来る。戦後69年も経つのだ。もうそろそろ気づこうではないか!



2013年12月28日(土) 祝 首相靖国参拝!我が国にA級戦犯はいない!(その2)

 そもそもA級戦犯とは、なんだろうか?これは、マッカーサー連合国最高司令官の私憤によるリンチと解釈してもよいだろう。総和20年8月30日に厚木飛行場(現海上自衛隊厚木基地)に降り立ったマッカーサーが発した言葉が元凶である。

「東條を逮捕する。そして早急に戦争犯罪人のリストを作れ」
「戦犯第一号はパールハーバー攻撃の東條内閣の閣僚たちだ」

 マッカーサーはフィリピン方面軍司令官の時に日本軍に敗れ、撤退するはめになったのだが「アイ・シャル・リターン(私は戻ってくる)」と言ったそうだ。この時の雪辱を果たすためのインチキ裁判が、極東軍事法廷(通称:東京裁判)であり、その被害者が所謂A級戦犯なのだ。

 当時マッカーサーと戦った本間雅晴中将も戦犯にされてしまったのだから、あきれたものである。当初A級戦犯は28名だったが、日ソ不可侵条約を破って参戦した日本共産党の親分(当時)のソ連が「戦犯を指名させてくれ」と重光葵、梅津美治郎の2人を追加したのだった。

 ソ連が東京裁判に参加したかった理由は簡単。「日露戦争」「倍返し」のためである。ところが、ソ連に対する「めぼしい戦争犯罪」がないものだから、やつらが持ち出したのが、日ソ間で解決ずみだったはずの張鼓峰事件やノモンハン事件を見つけてきて「日本の侵略」と、こじつけたのだ。

 この日記でも何度も書いているが、少しでも法学を学んだことがる学生なら、「罪刑法定主義」というのを最初に教えてもらうはずだ。これは、「罪は、その犯罪が行われた時に、法によって犯罪であると規定されていなければならない」という、当然の規定である。

 では、東京裁判で戦犯と呼ばれた人々の罪状「人道に対する罪」「平和に対する罪」とは、いかなる法規に書かれているのだろうか。誤解と批判を恐れずに言えば「戦争」とは、国際法規に則った「国家の意思決定による行為」なのだから、戦争を起こした罪というのは存在しない。「戦争自体は合法」なのだ。(左巻きの人々は、この部分で「いぬぶしは戦争賛成だ」と騒ぐだろうが…)

 ICC(国際刑事裁判所)においても、国家による犯罪としての「侵略の罪」については、ICC規程が改定されるまでは、裁判所の管轄外とされていたのだ。

 以下、大東亜戦争当時に有効だったハーグ陸戦条約の一部条文を転載する。

第23条:特別の条約により規定された禁止事項のほか、特に禁止するものは以下の通り。
1.毒、または毒を施した兵器の使用。
2.敵の国民、または軍に属する者を裏切って殺傷すること。
3.兵器を捨て、または自衛手段が尽きて降伏を乞う敵兵を殺傷すること。
4.助命しないことを宣言すること。
5.不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること。
6.軍使旗、国旗その他の軍用の標章、敵の制服またはジュネーヴ条約の特殊徽章を濫りに使用すること。
7.戦争の必要上、やむを得ない場合を除く敵財産の破壊または押収。
8.相手当事国国民の権利及び訴権の消滅、停止または裁判上不受理を宣言すること。
第25条:防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。
第46条:家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない。

 東京大空襲、広島、長崎の原爆投下などは明らかに23条5、および25条に反する「戦争犯罪」である。GHQによる神道排除、天皇陛下や皇室に対する侮辱等は、43条、46条違反である。

 さて、では、そのインチキ裁判において戦犯とされた方々の名誉回復はどうだったか。

昭和27年4月
服役中の1224名の「戦犯」に対して国民の同情が集まった。
昭和27年7月
戦犯早期釈放を求める署名運動が開始され、約4000万人の署名が集まった。
昭和28年8月
「戦犯釈放を求める国会決議」が決議された。
昭和28年8月
「戦傷病者戦没者遺族等援護法」「恩給法」の改正で戦犯として刑死、獄死された方々にも「公務死」として恩給や遺族年金が支払われるようになった。(当時の社会党が熱心に働いたようだ)これをもって「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者としないことになった。
昭和31年3月
「A級戦犯」全員赦免・釈放
昭和33年5月
「BC級戦犯」全員赦免・釈放
昭和50年11月21日
昭和天皇が例年通り靖国神社を参拝。
ボケ社会党が突如「問題だ」と騒ぎだし、天皇陛下は靖国参拝を自粛されるようになった。
昭和60年
突然、首相の公式参拝を中国が抗議してきたため、中曽根総理は参拝を中止。

 国内の政権に対する不満を「反日」に振り向けることで、国民を欺いている中国とその子分たる韓国だけが、靖国だ、従軍慰安婦だ!と騒いでいるだけである。

 この際、韓国、中国との断交、貿易、人的交流と断ってみたらどうだろうか。中国猛毒食品やインチキ製品のリスクもなくなるし、わが国民の税金で買った貴重な銃弾1万発も無駄にならない。

 たぶん「強い者にはヘコヘコする」両国のことだ。日本が強く出れば、なんだかんだ言って「すり寄ってくる」に違いない。

 くれぐれも「戦争をしろ」と言っているのではない。独立国として、毅然とせよ!主張すべきは徹底して主張せよ!と申し上げているのだ。それが、国際社会の常識であるからだ。「和をもって尊し…」は、外交の世界では通用しないのだ。

 がんばれ安倍総理!



2013年12月27日(金) 祝 首相靖国参拝!我が国にA級戦犯はいない!(その1)

 昨日、安倍総理大臣が靖国神社に参拝された。独立国の首相として、国の為に殉じられた方々の御霊に感謝の礼を尽くし、平和への誓いを新たにすることは、誠に正しく、周辺の三等国にトヤカク言われることではない。

 左巻きの朝日や、赤旗より左傾した東京新聞などは「オバマ政権も参拝に失望」などと報道しているが、オバマ大統領が如きは、我が国の左巻き亡国総理だった管直人や鳩山由紀夫の部類の男である。(敬称つけるに値しないので略)

 しかし、驚いたのは今日の読売の社説だ。「A級戦犯がいるから」との趣旨のことを書いている。読売にもマヌケで不勉強な論説委員がいるもんだ、とあるマスコミ関係者の取材に答えたら「違いますよ。あれはナベツネの意向です」という。

 実は、あの大新聞の「独裁者(本人弁)」ナベツネこと渡邊恒雄氏は、反軍主義の共産党員だったのだ。氏は開成中学3年生の時に、軍国主義を支持する校長や教職員を殴り、勤労動員された軍需工場では不良品を密かに作り抵抗していたという、とんでもない輩だったのだ。(出典:ウイキペデイア)

 また、東大在学中の昭和20年陸軍2等兵として召集され上官に虐められていた。終戦後昭和20年12月日本共産党に入党、日本青年共産同盟の一員として活動していたそうだ。いやはや、ビックリ!まあ、思想信条と虐められた復讐に、読売新聞をいう公器を使ったということだ。ちなみに、氏によれば「朝日に入りたかったが、不採用になった」そうだ。朝日に行けよ!いまからでも。

 さて、左巻きだけでなく自民党の一部議員や小沢一郎氏まで「A級戦犯が合祀されている」などという不勉強な「言い訳」をしているが、はたしてA級戦犯とは存在するのか。我が国の戦後史や国家観においてきわめて重要な問題なので、明日改めて書いてみたい。

 乞うご期待!



2013年12月24日(火) PKO韓国軍にクリスマスプレゼント?銃弾1万発

 昨日、東京郷友会(自衛隊OBを中心とした団体)創立60周年式典の席上、前防衛政務官の佐藤正久参議院議員から、国連南スーダン派遣団(USMISS)に参加中の韓国軍に陸上自衛隊の持っている銃弾1万発を提供することになった、と発表された。


 佐藤議員は「我々が危険だから遠慮して行けなかった地域に行ってくれた韓国軍に礼を尽くすべきだ」と、経緯を説明された。あくまで、武器輸出3原則の特例として、また、韓国軍に直接ではなく、国連に提供した後に、韓国軍が受け取る仕組みだという。

 韓国が竹島を不法に占拠し、大統領自らが反日運動をしているけしからん国だが、我々は武士道で紳士の国だ。共に、南スーダンの国造りに協力している仲間の窮状を見捨てる訳にはいかないだろう。

 長男も陸上自衛官として南スーダンに派遣されていたことがあったが、「宿営地の外ではいつも銃声がしていた。ただ、みんなが銃を持っているので、結婚式などでも祝砲を撃つので、何の銃声かわからない」と語っていた。

 自衛隊と同じ宿営地には、インド軍が駐屯していて、よく語り合ったとも。ハイチ大地震では、バングラデイシュ軍と活動したと言っていた。国連平和維持活動では人件費が国連から派遣国に支給されるので、人件費水準が低い国は、派遣すると兵士に支給する自国の給与との「差額」が外貨稼ぎとなるらしい。だからか、、経済的には恵まれない国の名前が見受けられる。(我が自衛隊は、国連からの人件費の不足分を国費で賄っている)

 さて、小銃の弾ぐらい韓国から運んでくればいいだろう、という平和ボケの発言は、大混乱の内戦地では戯言である。数日かかる輸送の間の「生命」と「安全」はどうするのだろうか。

 「武器」と聞くと、「戦争」と考える不思議な頭脳回路の方が我が国には多いが、「武器」がないと守れない生命や安全があることを、是非紛争国に言って学んで欲しいものだ。

 なお、陸自の89式小銃の弾は5.56mmで韓国軍と同じ口径だがUSMISS参加国の多くが、5.45mmのAK-74や7.62mmを使っていること、経済的理由で弾薬の無償提供に応じられない国が多いことなどから、我が国に協力要請がきたものと推測される。

 ちなみに、韓国軍の主力銃であるK-2ライフルで今回提供の1万発を撃つのにかかる時間は「約11分」である。(連発モード最速の場合)1万発というのは、実は、大した量ではないのだ。また、一人の兵士が弾倉(30発入り)を6ケース携行すると仮定すると、55人分にしかすぎない量である。

 朝日新聞や左翼の皆さんが、根拠もなく「大量の銃弾を提供した!」と叫ばないように!たかだかの量ですよ!



2013年12月23日(月) 今日は恐るべし連合国GHQのリンチの日

 先日、北朝鮮のナンバー2が機関銃で蜂の巣にされた後、火炎放射器で焼かれたそうだ。あまりにも残忍な手口に世界中が驚愕した。大田区議会に巣食っている日朝友好促進議員連盟参加の42名(議員47名のうち!)の区議会議員や松原忠義区長は「素晴らしい処刑だった」と、平壌に祝辞でも贈ったのだろうか。(松原区長は区議時代に訪朝し金日成にパソコンの土産を贈った)

 さて、しかし、似たような残虐行為が65年前の今日我が国で行われたことを我々は忘れてはならないのだ。昭和23年12月23日東條英機前総理をはじめ7名の所謂A級戦犯が絞首刑で処刑されたのだ。

 罪刑法定主義の原則を無視したインチキ東京裁判を経ての私刑(リンチ)だったのは、内外の法学者が指摘しているところだ。さらに、この日は、今上天皇陛下(当時は皇太子殿下)のお誕生日である。たまたま、であろうか?違う。連合国GHQは、我が国の精神文化の支えである皇室の記念日にあえて、様々な「日本犯罪者作戦」の工夫をしていることがわかる。以下の日程をご覧頂きたい。

昭和21年4月29日 極東軍事裁判(通称 東京裁判)にA級戦犯として28名が起訴(昭和天皇陛下お誕生日)

昭和21年11月3日 米国製日本国憲法公布(明治天皇陛下お誕生日)

昭和22年5月3日 米国製日本国憲法施行日 東京裁判開廷

昭和23年12月23日 A級戦犯7名処刑 (今上天皇陛下お誕生日)

 日本の伝統的な「武士道」の精神では、戦いは正々堂々と行い、敗者の名誉と尊厳は守るというものではなかったか。はだしのゲンに出てくるような残虐な行為は、我が国の将兵の仕業ではなく、中国やロシアの得意技である。

 東京大空襲では、東京の周辺に焼夷弾をおとし、逃げ場を奪ってから中心部に焼夷弾を落とす、という容赦ない虐殺が行われた。長崎、広島の原爆も無抵抗の民間人への攻撃を禁じたハーグ陸戦条約違反の確信犯である。

 そして、日本人の誇りと統合の象徴であらせられる歴代天皇陛下のお誕生日に、戦犯の訴追、処刑日をあえて同日とする、という非礼を働いたのだ。

 百田尚樹氏の傑作「永遠の0」の最終章。米艦艇に突こんで米兵を恐怖に陥れた特攻機の日本兵の遺体を、米艦長が「彼はサムライだ。我々もナイト(騎士)になろう」と、最敬礼で水葬にした場面が出ている。

 米国にも、このような立派な軍人もいた。が、残念ながらコミンテルン国際共産主義者たちにコントロールされた米国政府中枢は、コミンテルンを通じたソ連の意思と米国内世論に後押しされ、謂れのない戦犯を処刑してしまった。

 そして、そのインチキも知らず、日教組教育と反日教育を受けて育った「坊っちゃん」たちが、A級戦犯の合祀された靖国には参拝しない、などという戯言を言い続けてきたのだ。

 このような、心理作戦の効果が65年間も続いた敗戦国は日本だけだろう。それが証拠に、天皇陛下のお誕生日である今日、国旗は街中でほとんど見られないではないか。世界中の国で、国家元首のお誕生日や、国の祝日にこれほどまでに国旗の見れない国は、日本だけである。

 今日、天皇陛下のお誕生日をお祝いし、ご長寿をお祈りすると共に、屈辱的なGHQの私刑を思い出し、そろそろ、戦後の呪縛から解き放たれようではないか。
 



2013年12月22日(日) 大田区内 珍(?)百景

 3週間前に前歯二本を折る大事故(?)を起こしたにも関わらず、忘年会シーズンの甘い誘いに負け、毎晩地元の皆さまとの情報交換会(?)に出席している今日この頃である。

 今日は、そんな中で発見した珍百景のいくつかをご紹介しよう。


(女性トイレの案内板の奥に…)

 これは、大田区役所1階の女子トイレである。実は、ある晩、区役所2階のレストランで忘年会があり、奥の小便器に「男子トイレと誤認して」入りそうになったのだ。どうも、様子がおかしいので、あわてて外に出て撮影した。(ちなみに、夜間のため、職員や来庁舎はいないのでご安心!)

 オカマさん用のトイレか?と一瞬驚いたが、どうやら、母親と同行した男児用のトイレらしい。区民への配慮と言えばそうだが、別に男の子は男子トイレに行けばいいではないか。ちょっと違和感のある光景だった。(男性諸氏は現場確認のために覗かないように。くれぐれも)

 
(焼き肉屋さんのトイレで)

 なんと、御近所の焼肉屋さんに友人たちと出かけたところ、私の名刺、それも「たちあがれ日本」のものがトイレに貼ってあるではないか。そういえば、まだ区議だったころ、酔っ払って貼ったかもしれない。しかし、それから、すでに1年以上、よくぞ剥がされずに頑張っていてくれた。

 トイレの個室空間は、誰にも見られないから「嫌われ者いぬぶし」の名刺なんぞは、翌日には剥がされるか、いたずら書きをされてもおかしくない。きっと、山と自然をこよなく愛する店主さんの人柄にひかれた良識のある客層なのだろう。今回、密かに「維新」の新名刺に替えておいた。(見つけても剥がさないで!)



 
(どっちが私でしょう)

 地元の居酒屋さんの忘年会でのスナップである。以前お会いした「そっくりさん」と再会。次回の選挙には宣伝カーに乗って、手ふりをして下さるそうだ。

 
(日本の誇り、富士山)

 多摩川から望む富士山。冬の休日は空が澄んで、大田区からも綺麗に臨むことが出来る。富士と桜と日の丸は、紺碧の空に実に合う日本の誇りである。

 そして、私いぬぶしは東京4区(大田区)の埃、いえ誇りとなれるよう頑張ろうではないか!



2013年12月15日(日) 師走の街頭演説と大忘年会

 師走の今日は、恒例の街頭演説を実施する予定だったが、各駅前は年末行事で大賑わい。最初に向かった蒲田駅東口では商店街主催のコンサートの真っ最中。続く西口は、右翼の街宣車が街宣中。

 右翼さんに「何時までやります?」と聞きに行くと「おう、維新に投票したよ」と、責任者らしき戦闘服のお兄さんに言われてしまった。まあ、方法こそ違うが、主張は同じような点が多いから「頑張りましょう」と、その場を離れた。まわりにいた区民の方からは、「やっぱり犬伏は右翼とお友達なんだ」と映ったに違いない。

 仕方なく、大森駅へ向かうと誰も何もしていない、と思った。いつもどおり駅前交番に道路使用(許可済み)の挨拶をし、宣伝車に戻るとスタッフが首を振る。どうやら、駅ビルのオープンスペースで、ハンドベルコンサートをやっていて、街頭宣伝は無理だとの報告。あちゃー!

 それでは、と、右翼さんがいた蒲田駅西口に戻る。西口で30分、右翼顔負けの演説を行い、次は地元の雑色駅へ。普段は大型ターミナル駅でしか演説をしていないので、雑色駅は久しぶりだが、さすが13年区議として働かせていただいた地元。握手やらお声がけを沢山頂戴した。

 日も暮れてきたので、我が選対の忘年会へ。ボランテイアスタッフ、事務所スタッフ、さらには「たちあがれ日本」時代の後輩等、賑やかな会となった。一次会もお開きとなろうとすると、お店の方がケーキを持ってくるではないか。

 どうやら、ボランテイアの皆さんが、私の誕生日ケーキを密かに用意してくださったらしい。普段の年は「いぬぶし秀一生誕祭」と名ずけて、本人主催で勝手にパーテイを開いているのだが、今年は「不慮の事故?」の為実施できなかったのだが、皆様の心遣いに感謝!感謝!





 続く、二次会はカラオケ大合唱大会。女性陣の素敵なハモリと、男性陣の軍歌オンパレードの無茶苦茶な会となったが、気の置けない仲間との久しぶりの大騒ぎの夜に大満足だった。




2013年12月14日(土) 育鵬社教科書反対の櫻井光政元教育委員長、徳田事件弁護団に

 大田区は、23区で唯一、育鵬社の教科書を採択した立派な自治体である。5名いる教育委員のうち、当時委員長だった櫻井光政氏だけが反対票と投じ、多数決で「公正に決定」された。

 ところが、このことにあわてた日本が嫌いで仕方ない人々は、まだ在任中だった櫻井氏を講師に迎えて、公正な教科書採択を求める会などという講演会を区内で開催した。さらに、日教組傘下の大田区教職員組合や九条の会からも、櫻井センセイにお呼びがかかった。

 さながら、反日団体のアイドル弁護士のようである。ただ、お話をしてみると氏は穏やかな紳士。はたして、なぜ、「公正な採択を行なった」時の、委員長が「公正な採択を求める区民の会」の講師をされたのだろうか。


 また、この教科書採択をめぐっては、清水繁教育長の功績が大きかったが、連合(日教組も傘下)からも推薦を受け、自らも親中国、親北朝鮮派の宇都宮徳馬代議士の秘書を勤めた松原忠義大田区長は、このことを快く思っていなかったようだ。

 九条の会などからの「清水教育長罷免」要求にあっさりと応じ、通常の人事では有り得ない1期での更迭に踏み切ったのだ。相変わらず、左巻きの大田区役所である。

 さて、その櫻井光政氏が、今回は別の事件で脚光を浴びている。な、なんと徳洲会事件の弁護団に名を連ね、記者会見に応じているのだ。

 まあ、弁護士という職業柄、刑事被告人がいれば弁護をする、ということで、例は悪いが、医師が死刑囚でも延命治療するというケースと同じだろうか。

 理論的には理解できても、なんとも腑に落ちない。どういう経緯で弁護団に加わられたのだろうか。賀詞交歓会でうかがってみようと思う。



2013年12月13日(金) 哀れかな、北朝鮮ナンバー2 銃殺刑

 北朝鮮のナンバー2と言われていた張成沢(チャンソンテク)前国防委員会副委員長が本日処刑されたそうだ。昨日開かれた特別軍事裁判で、張氏がクーデターを画策する「国家転覆陰謀行為」を認めたとして死刑判決が下され、ただちに執行されたらしい。

 張氏の側近2名も機関銃で銃殺されたと韓国の報道が伝えている。張氏が処刑されたことで今後、ますます側近らの粛清が続くとみられ、金正恩の独裁体制が強まるだろう。

 それにしても、いまだにこのような前近代的な「恐怖政治」を行う国が、すぐ隣に存在することは驚きである。まあ、中国も似たようなことを行なっているし、銃殺こそしないが、韓国でも政敵だった前の大統領を訴追することは、半ば恒例行事の感すらある。

 我々日本人は、自由な言論を保障された国に住んでいて、世界中が同じようだと勘違いをしてしまっている。特に、反日攻勢を強めている、中国、韓国、北朝鮮は、まだまだ後進国で、我々と同じ価値観、同じ常識では到底話すことができない国であることを理解しなければいけない。

 それにしても、このような恐るべき愚行を行なっても、在日朝鮮人の皆さんは、「金元帥マンセイ!」と思っているのだろうか。だとすれば、恐るべき、反日民族教育が日本国内でも行われていることになる。

 国際社会は共闘して、これら後進非常識国家に対し、是正を強く求め、早く民主的な国造りができるよう、対話と圧力で迫っていくべきである。



2013年12月12日(木) 神様への冒涜か、人権への配慮か?元女性が父

 本日の報道によれば、最高裁第三小法廷は、性同一性障害特例法により、女性から男性へ性別を変更し、女性(妻)と結婚した元女性が、妻が他人の精子により産んだ子供につき、戸籍に「父親」と記載するように命じた。

 また、9月には最高裁判所大法廷は、結婚していない両親の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の相続格差を定めた民法の規定について、憲法違反とする決定を下した。

 この二つの最高裁判決には、必ずしも「はいそうですか」とうなずけないのだ。

 性同一障害の患者さんが「心の性」と「体の性」を一致させることができる特例法は、理解できる。ただ、残念ながら、それは見かけ上のことで、生物学的には、性器の形状がどうであれ、女性は女性、男性は男性である。無論、性転換した性での生殖機能はもたない。

 ところが、今回の判決は、生物学的にありえない元女性を父と認めるというのだ。それは、民法772条の規定により、妻が結婚後200日経過以降または、離婚後300日以内に生まれた子は、夫の子と推定する摘出推定を援用したとのこと。

 確かに、民法にも性同一障害者についての特例規定はないし、特例法にも民法772条の規定を排除する定めはない。しかしだ、性同一障害者の結婚、体外受精、代理出産など、法律が生殖補助医療に追いついていかないなかで、立法時に考えもしなかった新たな家族関係を、最高裁が認めてしまうのはどうだろうか。

 特例法の立法趣旨は「親子関係の成否に触れていない」と、反対意見を述べた裁判官もいた。性同一障害者の救済を目的とした特例法が想定していない状況は、裁判所ではなく、立法府の責任で、関係法規の整合性を含め精査すべき問題ではないだろうか。

 また、非摘出子の相続について民法改正が行われたが、子に責任はないとの同情論だけで片付けてよかったのだろうか。

 古いと言われるかもしれないが、あるべき家族の姿が、だんだんと崩されていくような気がしてならないのだ。

***お詫び***
昨晩、ほろ酔い加減で「東国原氏の離党」につき、ボロクソ書いたが、今朝読み返すと、あまりにも品のない文章だったので、若干修正を加えた。
すでに出回ったものは消せないが、ご容赦いただきたい。



2013年12月11日(水) 芸人、東国原離党!どうぞ、ご勝手に

 芸人の東国原という議員もどきが、日本維新の会を離党し、議員を辞職するそうだ。我が国の政界にとって有益な極めてまっとうな判断で、そのことは評価しよう。

 ただ、この芸人、猪瀬東京都知事の辞任を期待して、都知事選挙に出るつもりか、と噂されている。宮崎県知事を辞任し、衆議院議員に転じ「限界を感じ」、衆議院議員を辞職し東京都知事とは、あまりにも有権者をなめていないだろうか。

 ただ、確かに、有権者も政治を軽視しているとも言えよう。神奈川県知事は、有名キャスターだし、千葉県知事も芸能人、東京都知事は、青島、石原、猪瀬と歴代「売れっ子小説家」だった。はたして、マスコミに登場したり、売れる小説を書けることが、リーダーとして、大切なことなのだろうか。

 小説家は、いささか如何わしいことでも、小説の題材として、経験することも必要かもしれない。ところが、政治家となれば、ウソ偽りはできない。石原慎太郎氏は小説家だったが、政治家としてふるまえる素養があった。

 青島幸雄氏は、小説家としての素養にも疑問があったが、政治家としてはダメだった。猪瀬氏は、石原都政の後継だったが、石原氏のような強かさがなかったため、所詮小説家として失脚するだろう。

 そこで、出てくる芸人東国原氏だが、どうしようもない男だ。宮崎県知事を投げだし、衆議院議員を投げだし、都知事だ?バカも休みやすみ言え!

 私がかっていた「たちあがれ日本」という政党で、杉村某や、中畑清などの公認も実にバカげていた。いずれも、与謝野何某というオヤジの推薦だったそうだ。

 維新でも「ダー」のプロレスラーや、お笑い芸人東国原氏を公認したてしまった。政治や有権者を愚弄しているような公認には、真面目に地域活動をしている立場としては、違和感を覚えるのだ。

 東京だ、大阪だ、と不毛な議論をする経験が希薄な政治家にもへきへきする。大切なことは、大阪でもない、東京でもない、国家、国民にとって、という視点である。

 芸人、東国原氏が離党することは万歳である。政治をバラエテイ番組ぐらいにしか感じていない輩は去れ!



2013年12月07日(土) 「真の近現代史観」懸賞論文発表パーテイ by APAグループ

 昨晩は、明治記念館で開催された、APAグループ主催の「真の近現代史観」懸賞論文発表パーテイにご招待を受けて参加してきた。


(挨拶される、APAグループ元谷代表)

 今回の最優秀賞は、松原仁衆議院議員(民主党)だ。民主党にいながら、保守の論客としても知られている。都議会議員時代は自民党所属だったが、衆議院の選挙区事情で、自民党には入るわけにはいかない。ご自身の思想と党の思想が違う、いうなれば政同一障害である。

 さて、参議院で特定秘密保護法案の採決が深夜になろうという日に、国会対策委員長である松原氏がこれるのだろうか、と心配していると、やはり欠席だった。

 ちなみに、松原仁氏は論文で、我が国は「3つの敗戦」を経験したと述べ、このうち二つのは敗戦から勝利すべきだと述べている。真っ当な考え方である。以下、三つの敗戦である。

1.大東亜戦争の敗戦
2.自虐的歴史観の敗戦
3.情報戦における敗戦


(田母神元航空幕僚長)

 さて、松原氏が記念講演をされることになっていたが、欠席のため、この懸賞論文の第1回受賞者である田母神俊雄元航空幕僚長が急遽登壇された。田母神閣下は「自衛官は即応ですから、代役と仰せつかりました。危険人物の田母神です」いつもながらのユーモラスな口調で話し始められた。(以下、講演要旨)

近代史は現在に至るまで、富と資源の分捕り合戦の繰り返しである。国際政治の場では「信ずる者は騙される」というのが常識なのに、日本はまだ分かっていない。

今の法律では、スパイ活動を行わせないことができない。スパイを捕まえられない。このようなスパイ天国を返上しなければ国際的に恥ずかしいことだ。

また、スパイ大作戦が行われないように、秘密を扱える人物の個人情報を調べられるようにしようという特定秘密保護法になぜ反対するのだろうか。

憲法に国家緊急事態の規定がないのは、日本ぐらいだ。米国では、小さな災害は州知事が指揮し、大規模災害等の場合は、北米司令官が指揮を執り、警察、消防もすべて隷下に入る。

日本では、その仕組みがないので、NSC法を作るのだ。これらは、「国民を護る法案」である。

 その後、渡部昇一上智大学名誉教授、中條高徳アサヒビール顧問など保守の論客が挨拶をされた。中條氏は、「元谷代表に、これだけは言ってくれと言われた」と前置きして、次のように話された。

支那という国は、弱いものには徹底的に強く振る舞い、強い相手には、恐ろしいほど弱々しくなる国である。

 おっしゃる通りである。弱い国、日本には必要以上に高圧的に出て、強い国米国が、中国が主張する新防空識別圏にB52を飛ばすと、たまげて、グーの音も出なかったではないか。

 隣国と争え、と申し上げているのではない。主権国家として、毅然とすべきことは、はっきりと主張すべきだと思うのだ。それが、国際社会で三等国扱いされている我が国が復活する唯一の道である。



2013年12月06日(金) 強行採決?数の横暴?by朝日新聞 民主主義の基本でしょ

 左翼系マスコミ、例えば朝日(ちょうにち)新聞、NHK(日本反日放送協会)などの報道は、極めて自分勝手である。反日的、または反政府的市民運動(本当に市民かどうか…)は、何をやっても見て見ぬふり。ところが、保守系団体の行動や、政府の行動は、「横暴」「暴挙」などと書きまくる。

 沖縄の米軍将兵や家族に対する、人権侵害にもなる抗議行動は「正当」で、ありもしない所謂従軍慰安婦像等に対する抗議行動は「不当」であり、「人権侵害」だという具合だ。

 今日、特定秘密保護法が参議院で可決される見込みだ。例によって、左翼系マスコミは「強行採決」「数の横暴」と叫んでいる。しかし、よく考えて欲しい。民主主義の基本的ルールは多数決ではなかったのか。

 国民が正当に選挙した代表者を通じ、国会において国の道筋につき決定する、これがルールだ。もし、自分たちの主張にあわない政権であれば、自分たちの主張にあう議員を多数派にして、政権を変えればいいのだ。そのシステムは、憲法と法により保障されているではないか。

 国旗・国歌法案も適正な手続きで成立、公布されたが、左翼の諸君は学校の卒業式の門前で「君が代反対!日の丸反対!」と叫ぶ。まさに、民主主義の否定である。悔しかったら、山本太郎氏や共産党に政権と取らせればいいだけの話である。

 大田区でも、育鳩社の「マトモも」な教科書を正当な手続きにしたがって教育委員会が採択をしたところ、この採択に反対していた元教育委員(弁護士)などは、反対派の集会で「公正な採択を」と講演する、という行動に出ているのだ。法と規則に則て、教育委員の多数決で決定したことに「公正な」とは、なんのこっちゃ、と言わざるを得ない。

 さらに、連合など左翼系の支持も受けて当選した松原忠義現大田区長は、この採択を推進した教育委員(教育長)の任期更新を認めない、との噂が出ている。この人事案件の提案、議会同意も本日である。この人事案件も悔しいかな「民主主義の原則」に基づき、同意されるだろう。

 国家観の欠落している区議会議員多数を選び、区長を選んだのは、合法的な選挙によるものだから、これは文句のつけようがないのだ。悔しければ、マトモな区議会議員を多数派にする運動をするべきなのだ。つまり、保守系を標榜する我々「マトモな国民」は、ふざけるな!と文句を言うのではなく、このような反日的な区長(首長)を選挙で選ばなければいいのだ。それがルールだ。

 さて、特定秘密保護法案だが、与党・政府側は野党の修正提案を相当受け入れてくれた。何も受け入れないで原案可決も可能だったのだが、安倍総理の「多くの賛意を得たい」との思いで、修正されたのだ。

 審議時間も、衆議院40時間54分、参議院21時間50分、合計62時間44分である。十分ではないか。これ以上審議しても、哲学の違い、つまり「なんでもかんでも公開せよ」という輩との禅問答になるのは自明である。

 我が日本維新の会国会議員団においては、いたずらに面子にこだわるのではなく、国家のために適切な判断をされるように望む。たとえ、自民党の補完勢力と呼ばれようともいいではないか。

 必ず、後世の歴史が判断して評価してくれるはずだから…

 
 



2013年12月04日(水) 自立支援施設で本当に自立できるのか?ある事例から

 私は、区議会議員時代から「過ぎたる福祉は、人の生きる心(炎)に水をかける」ようなものだ、と指摘をしてきた。これに対し、共産党などからは「弱いものいじめだ」、「憲法25条に定められた権利だ」などと反発を頂戴していた。

 身体に障害のある方、高齢の方など、保護が必要な方には、いま以上の福祉政策を、働ける人々には、段階的に福祉内容を減らし、自立を促進する「めりはりのある福祉」を、と訴えたつもりだ。

 例えば、母子家庭、小学生2人の場合の生活保護費は、概ね23万円余りである。さらには、医療費がタダ、、修学旅行もタダ等、現物給付も別にある。はたして、パートで23万もらえる仕事があるだろうか。

 独居老人で、生活保護費をもらうと、月額16万円余り。まじめに国民年金を40年払った独居老人は月額5万円あまりの給付。なにか、おかしくはないだろうか。

 先日、50歳代の一人暮らしのAさんが7年間勤めた会社をやめた。それは、ある日の無断欠勤が原因だった。いままでなかったことなので、心配になった会社の人が、彼の都営住宅に様子を見に行った。

 応答はないが、室内に人の気配はする。近所の交番の警察官、都営住宅の管理者などを呼び、なかにいるAさんを外に連れ出した。よろよろしているので、警察官が救急車を呼んだが、Aさんは救急搬送を拒否。

 室内は、缶ビールと焼酎のペットボトルの山だった。どうやら、泥酔のうえでの無断欠勤だったようだ。それでも、無理やり受診させると、肺と心臓に精密検査の必要があることがわかったが、Aさんは医師の制止も聞かずに3日間行方不明に。

 それから、1ケ月、会社は有給休暇扱いで給料を払い、軽微な仕事に配転のうえ、精密検査をすすめたが、ある日Aさんから「退職する」との連絡がはいり音信不通になってしまった。

 心配した、会社の経営者が、Aさんを紹介してくれた区議会議員Bさん(私ではない)に事情を説明。B区議は、さっそくAさんの自宅を訪問してくれた。すると、びっくりすることがわかったのだ。Aさんは、都営住宅の家賃を滞納し、裁判に訴えられ、12月4日までに強制退去手続きをとられるとのこと。

 B区議は、所属する政党の都議を通じて、東京都住宅局にかけあってくれたが、判決がおりているので、もうどうしようもない、との回答だった。

 Aさんの会社によれば、2年前までパートだったAさんは、その真面目さが評価され、正社員となり、厚生年金、健康保険、雇用保険もはいり、少ないけれどボーナスもあったそうだ。それが、なぜ、2万円程度の都営住宅の家賃を滞納したのだろうか。

 B区議のすすめで、Aさんは大田区生活福祉課の窓口を訪問し相談したそうだ。その結果、Aさんは、大田区役所の公用車の送迎つきで、某区にある自立
支援施設に入所が決定した。

 施設のホームページによれば、路上生活者や路上生活者になりうる人に、住居や食事を提供し、就労支援をするのだそうだが、Aさんは「自らすすんで」路上生活者の道を歩んだ「確信犯」だ。

 これから、4ケ月の間、Aさんは税金で3食付の快適な生活が保証される。月数回、ハローワークの紹介で面接を受けていれば「就労意欲あり」と判断され、4ケ月のちには、めでたく生活保護の認定を受け、安心な老後を送ることができるのだろう。

 はたして、Aさんにとって、人として、それでいいのだろうか。自立支援とは、そういうことなのだろうか。以下をご覧いただきたい。

 平成23年度の大田区内生活保護廃止(やめた)件数 1828件
うち主な理由 死亡 559件(30.6%) 失踪 262件(14.3%)
区外転出 110件(6%) 就労 272件(14.9%)

 就労支援や、生活保護受給により生活再建をした件数は、生活保護廃止件数のたった15%以下にしかならず、生活保護人員からすれば2%以下にすぎないのだ。

 あるべき姿は、生活保護により生活再建のとっかかりを見出し、就労し収入を増やして、生活保護から抜け出す、というものだろう。ところが、一度生活保護の恩恵に与ると未来永劫にわたり抜け出せない、という構図が見えてくる。

 さらに問題は、15歳から64歳の就労可能世代の生活保護者は、実に7690人にのぼり、全生活保護人員15964人の48%にものぼるのだ。無論、身体障害などにより、そもそも就労できない方々の支援は大切である。が、本当にこの年齢の7000名を超える方々が「真剣に就労活動」を行っているのだろうか。

 再三申し上げている。福祉とは「人々の生きる心に炎を灯す」ことである。炎が消えそうな人に、当面の油を供給することである。ところが、この供給が過多になると、生きる心までが細々となってしまう。過ぎたる福祉は、人の生きる活力さえ奪う、と私が言い続けている所詮である。

 必要な方には、充分な支援を!自ら立ち上がれる人には、適正な支援を!

 がんばれAさん!きっと生活を再建して就職するんだよ!



2013年12月02日(月) ありがとう!生存57年目

 昭和31年12月2日午前9時55分、東京都北多摩郡国立町の内野産婦人科病院で、「美しい、白い、可愛い(父の日記)」赤ちゃんが生まれた。

 それから、早いもので57年の歳月が流れた。様々な事件があった。そして、多くの出会いにも恵まれた。ここで、57年を一気にご紹介してみよう。

昭和31年 国立にて誕生・昭和34年頃 両親離婚(父と暮らす)
昭和40年 父再婚 昭和41年父離婚 昭和42年 父病死(伯父宅へ)
昭和45年 実母の再婚先に養子 昭和47年 航空自衛隊生徒入校
昭和51年 米国留学 昭和52年 帰国 大田区にアパートを借りる
昭和54年 起業(旅行業) 昭和60年 放送大学入学 昭和63年 本社ビル竣工 昭和63年 予備航空自衛官採用 平成2年 明治サンテオレFCでハンバーガー店2店開店 平成11年 大田区議会議員初当選(自由党) 平成12年 旅行業店舗6店舗売上20億円 平成13年9月 同時多発テロの影響で業績急降下 平成14年 廃業(個人保証債務3億円) 平成14年 議員歳費全額差し押さえ 平成14年 居酒屋開業 平成15年 大田区議会議員再選(自由党) 平成15年 イタメシ屋開店 平成16年 もんじゃ焼店開店 平成17年 自動車流通事業起業 平成19年 大田区議会議員3選(無所属)平成22年 放送大学卒業 同大学院進学 平成23年 大田区議会議員4選(たちあがれ日本 第3位)
平成24年 第46回衆議院選挙出馬 次点(日本維新の会 44,999票)
平成25年 参議院議員中山恭子公設第一秘書兼ねて選挙対策本部事務局長
平成25年 日本維新の会衆議院東京都第4選挙区支部長再任

 まあ、「かいつまんで」書くと、こんなものである。書いていて自分ながら、いやはやいろんなことをやらせて頂いたな〜と感無量である。自分には「なんでもできる」と驕っていたいた時代もあった。その自分が、まさか借金3億を背負うとは考えもしなかった。落ち込んだ。

 しかし、落ち込んで借金が減るわけでもないし、現実から逃げれる訳でもない。やるしかない!と決意した瞬間力が出た。まわりからは「借金があって、あんな明るい訳はない。偽装倒産だ」と陰口も出たようだが、かまうことはない。

 借りた金は返すな、という本が売れているようだが、私は「借りた金は絶対返す」つもりで、もがいている。3億の保証債務は、ついに1億円にまで減った。

 そして、この57年を振り返ると、常に多くの理解者、支援者がいたことに気付かされるのだ。まるで、どこかで誰かが見守ってくれているように、である。

 父は42歳で他界をした。すでに父の年齢を15歳も超えた。残り現役として働けるのは15年ぐらいだろうか。この残りの期間は、いままで「助けて頂いた」人々、社会への恩返しの時間にしようと思っている。

 長い間かけて(実に25年)、放送大学を卒業し大学院も修了(2年!)できた。だから、一流大学卒業者には、わからないことがわかるのだ。ガス、電気代が払えずに止められた経験があるから、お金に苦労している人の気持ちも、よくわかる。「わかったフリ」をしている、国会、地方議員などとは、くぐり抜けてきた「弾」の数が違う。

 しかし、今までは相当長い間「自分の為に」生きてきた。そろそろ、お返しをする年頃かもしれない、と思っているのだ。「あなたに会えてよかった」「あなたのおかげ」、そんな言葉を頂けるような人間になりたいと、誓う誕生日である。

 多くの励ましをありがとう!


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