「ありがとう」という言葉をくれてありがとう。
自分への色々なプレッシャーに縛られて もう誰が敵で誰が味方なのかもわからなくなってくる。 誰の声も聞こえなくなって、でもどん底で聞こえる 自分への「ありがとう」は一気に僕を奮い立たせる。
こんなところでのんびりしてる場合じゃない。 自分も含め、みんなぼんやりしすぎている。
今日はテレビの特集で最悪の未来を見てしまった。 なんとなく生きている僕らの世代の多くが きっとこんな状況に陥るだろう未来。
僕は今のままでは将来病気にかかって 道端で死ぬって思った。このままじゃいけない。 だから幼少の頃からの親友と自分達の未来を 良いものにするために仕事を始めた。
経済、健康、環境の不安にできるだけ早く 策を打っておかなくちゃいけない。 でもそんな思いもなかなか人にはわかってもらえない。 将来もしその策が成ったとき、安心して 笑って生きているそばに、自分の大事な人 親しい人がいなかったら。そんなのいやだから いっぱい思いを伝える。
僕は人生を諦めてる人に足を引っ張られるのは絶対にいやだ! でも、諦めてる人にも可能性が有ることに気づいて欲しい。 僕らが今一生懸命やってる活動は、簡単にお金を儲ける話し なんかじゃない。人として色んな壁にぶち当たりながら それでも自分の人生に責任を持てる人と組んで 仕事がしたいって言ってるの。
将来社会の変化によって経済的な負担が 自分の生活を脅かすくらいになる。
何も準備せずにそんな時期を迎えたら そのとき「自分は何も準備してなかったから仕方ない」 ってちゃんと自分の責任として捉えられるのか。 それとも【被害者】になって無益な戦いに明け暮れる?
自分の人生に責任を持って生きていけるように 今の時期から考えて行きたい。
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