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■ 『息子の部屋』
今、『息子の部屋』を観ている。
オヤジが精神分析医の家庭が息子の死によって大きく変わってくる。
いま、アリアンナという女のコが出てきた。
一緒にヒッチハイクの旅をしてるっつうステファノって誰だよ!?
と登場人物のオヤジどのとともに憤慨。
イタリアとフランスの国境線の海岸に到着。
「ボンジョルノ!!」
と娘に挨拶したオヤジどのが
「今夜練習なのよ!!」
と、娘に怒られる。
笑う両親。
長閑やなあ。
やっとこの家族に笑顔が戻った。
二人を見送ってエンディングBGMが掛かる。
オヤジどのが死んだ息子のプレゼントにと買ったCD曲。
どういう終わり方なのか、よくわからない。
でも、感じたことがある。
この家族には、この間まで、息子がいた。
しかし、真っ青な地中海をバックにバスを見送ったときは、すでに、いない。
だから息子と繋がっていたアリアンナはこの時点ですでに「他者」なのだ。
だから、ステファノと旅をしようともう関係無いのだ。
そこでオヤジどのはきっとこう悟っただろう。
「もう息子はいないのだ。あるのは彼女の持っていた息子の部屋の写真と家にある実際の部屋だけ。それはあくまで、息子を象徴するだけの代物に過ぎないのだ」
そして、
それが現実なのだ
と、このオヤジどのは思ったに違いない。
ムズイ映画やわ。
解釈しにくいわ〜。
つーか、こんな時間(早朝5時前)にこんなん観たらあかんね。
2003年09月26日(金)
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