パラダイムチェンジ

2005年07月31日(日) ニシノユキヒコの恋と冒険

久しぶりに、川上弘美の小説を手にとって読んでみた。
読んだのは「ニシノユキヒコの恋と冒険」

この本は、ニシノユキヒコ氏の恋の遍歴を綴った連作集である。
といって、これらの作品の主人公、語り手はニシノユキヒコ氏本人
ではない。
彼が恋に落ち、セックスをし、そして別れる結果になった相手の女性
たちが、主人公なのだ。

だからその時々で、その語り口は違っているし、その恋の行方も
それぞれ違う。
だけどニシノユキヒコ氏の恋に対する態度は、一貫しているように
見える。

で、誤解を恐れずに書けば、私とニシノユキヒコ氏はちょっと似ている、
と思う。
といって私は、ニシノユキヒコ氏ほど、スマートで女の扱いに慣れてい
る訳ではなく、また彼ほど女性に不自由しないわけではない。
だからちょっとうらやましい。

確かにニシノユキヒコ氏の事はうらやましいけれど、だけど同時に
ニシノユキヒコ氏の事を、ちょっとかわいそうだな、と思う部分も
あって。
そしておそらくは、たぶんそのあたりが私とニシノユキヒコ氏の違い
なのだろう。

じゃあ、一体どの辺が具体的に違うのか、って事を述べようと思っても
それは言葉にはならない。
川上弘美の作品にはそんな風に、なかなか言葉にしがたい気持ち、心の
奥底に眠る気持ちを刺激するような、そんな作用があると思う。

とりあえずこの作品が文庫化される頃まで、私とニシノユキヒコ氏の
何が違うと思ったのか、気持ちを言葉にするのはお預けしておこうと
思う。

もっともその頃には、すっかり忘れている可能性もあるのだけれど。



2005年07月29日(金) 劇場版 鋼の錬金術師(ネタバレなし)

CAUTION:今回は、今まで以上に興味のない人、見たことない人には
なんのこっちゃという内容になるであろうことを、あらかじめ予告
しておきます。

今回は映画ネタ。見てきたのは「劇場版 鋼の錬金術師」
アニメ作品、「鋼の錬金術師」は、コミックを原作としたTVアニメシリー
ズで、2003年〜2004年にかけてTBS系列で放送された作品である。
現在、木曜深夜に再放送されているし、またDVDも販売/レンタルされて
いる。

そして私が宮崎アニメ、ハリウッド製アニメを除いて、「エヴァンゲリ
オン」以来10年近くぶりに久々にはまり、最後まで見続けたアニメなの
である。
というより「エヴァ」以後、アニメを見なくなったという方が正しいか。

その作品の魅力については、ここで中途半端に語るよりは、日経エンタ
メやらキャラクターズや、Wikipediaの方がおそらくは話もまとまって
いて、わかりやすいと思うので、そちらに譲る。

個人的には久々に見て面白いなー、と思い来週は一体どうなるんだろう
と期待した、今のところ最後のアニメ作品なのである。


いやー、もう面白かったっす。
ハガレンの魅力満載で、期待を裏切られない出来で。
でもその反面、「あー、これで本当に終わっちゃうんだなあ」と思った
らちょっと寂しかったり。

原作、TVアニメ版に共通するのは、主人公2人の少年の心の成長である。
そして少年はいつしか自分が大人になったんだな、と思った時、もう
少年の頃の自分には戻れないんだな、ということを自覚する。それが
大人になるということなのかもしれない。

そしてこの映画を通して、彼らは少年から大人になった。いや、なって
しまった。
だから物語の終盤、ヒロインのウィンリィがぽそっとつぶやくセリフが
同じく彼らの成長を見続けてきた私の心にも、響いてきたのかもしれな
い。

製作者サイドとしては、違う結末も用意できたのに、あえてこの結末に
したのは、そんな風に彼らの成長を描ききろう、という決意の表れが
あったんじゃないのかな、と思うのである。

いや、でもTVアニメを含めて、マジで10年に1本、もしかすると20年に
1本の大傑作だったと思います。
いいものを見せてくれて、ありがとうございました。



2005年07月26日(火) 姑獲鳥の夏

「世の中には、不思議なことなど何もないのだよ、関口君」

今回は映画ネタ。見てきたのは「姑獲鳥(うぶめ)の夏」
京極夏彦原作の怪異ミステリ、京極堂シリーズの第1作の映画化である。

私は以前、京極堂シリーズをレビューしたこともあるように、
京極堂シリーズは全巻読んではまっている、いわゆるファンである。
だから当然この姑獲鳥の夏も、謎解きにあたる落ちまで全て知っており
この先どうなるんだろう、というハラハラドキドキ感は全然ない。

むしろ、本来映像化は難しいのでは、と思われていた京極堂の世界を
果たしてどのように作品化したのか、の方にドキドキしながら見た訳
である。
なので、京極堂って何?という方には、いささか不親切な内容になって
しまうかもしれないことをあらかじめお断りしておく。

ということで、一原作ファンとして見たこの映画、「結構面白かった」
である。
原作のファンとはいいつつも、この原作を読んだのが約10年前。その後
頻繁に読み返したりはしてないので、いい感じに原作の内容を忘れて
いたこともあって(爆)、映画を見ながらああ、そうだった、そうだった
なんて思い出しながら見ていたんだけど、原作で最低限押えて欲しかっ
たシーンはちゃんと押えられていたし。

それにもまして上手いな、と思ったのは監督、実相寺昭雄監督の映像美
と、構成力の上手さだろう。
複雑になりがちな事件のあらましを、紙芝居(しかも水木しげる風)に
よって説明することで、うまく取り込むことに成功したように見える
(いや、それでも初めて見る人は混乱するかもしれないけれど、その時
は、原作を読んでもらうとして)。

実は実相寺監督は以前、江戸川乱歩原作の「D坂の殺人」でも、紙製の
書き割り?をうまく使うことで、映画にふくらませることに成功した
前歴があり。
今回もその演出が、うまくこの夢とも現実ともつかない京極堂の世界に
うまくマッチしていると思う。

それぞれのキャストも、永瀬正敏演じる関口は、驚くほど喋らないけど
関口の危うさを表わしているし、阿部寛演じる榎木津は、エキセントリ
ックさには少々欠けるものの(というより、彼が原作どおりの快刀乱麻
ぶりを発揮したら、物語がちっとも進まず、尺が足りない気がするが)、
きちんと押えるところは押えた、神ぶりを発揮しているし。

田中麗奈の敦子は、見た目どうしても「小林少年」なんだけど可愛かった
し。
また、原作者自らこの映画には出演してて、演技上手いなあ、と思った
んだけど、あれは「水木しげる」という実在のモデルがいたからなのかも。

でも映像化によって物語が変に矮小化されることなく、原作のもつ
妖かしの魅力を表現することに成功した作品なんじゃないのかな。

もしかするとシリーズ化されそうな気もするけど、次回作が「魍魎の匣」
だったとしたら、実写で魍魎の匣は見たくはないしなあ。

ここは一つ、「薔薇十字探偵社」シリーズをWOWOWドラマでもいいから
このテイストで映像化してくれたらうれしいんだけど。



2005年07月23日(土) 東京地震

土曜日、東京で地震があった。震源は千葉県北西部。東京の足立区では
震度5強。うちの仕事場で震度4。でも結構揺れが激しくてビックリした。
小っちゃなビルの4階だからだろうか。

何冊かの本が本棚からすべり落ちた以外は被害はなかったんだけど、
地震で棚から物が落ちてくると、やっぱりただならぬ事のような気が
して、どきどきしてしまう。

で、実はその時、施術が終わった直後だったんだけど、その時拝見して
いた方が、新潟中越地震の時に施術していた人と同じ方で。
Tさん、ほんとにもう、大変な時に来ていただいてて申し訳ないっす。

で、今回はその後、もう一人患者さんが来る予定になっていたんだけど
その方は運悪く電車移動中に地震にあったらしく、交通機関が麻痺して
しまったため、キャンセルになってしまった。
こういう時はしょうがない。

で、キャンセルになった後も、その後しばらく山手線が動き出すまでは
待つしかなく。
動き出してからようやく家路に着いたわけである。

でも、今回一番驚いたのは、山手線管内のJR、東京メトロ(地下鉄)の
復旧の意外な遅さだろう。
もちろん、安全確認に十二分の注意を払った故の遅れだったんだと思う
んだけど。

山手線内回りが動き出したのが19時過ぎくらい。外回りに関しては、
地震後3時間経った19時半頃だった。
その時点で東京メトロ線は、銀座線、丸の内線、日比谷線など、比較的
古く、また浅い深度の電車のみが動いている状態で。
ちなみに都営線の復旧はもっと早かったようである。

抱えている路線、駅の数のせいもあるんだろうけど、こういう時意外と
頼りになるのが都営地下鉄線なのかもしれない。

あと今回は、新潟中越地震の時とは異なり、TVでも交通機関の運行情報
をこまめに流していたんだけど、やっぱりリニアな情報という訳には
行かなかったようだ。
山手線が動き出しているのを知ったのは、ダメ元で(というより都営線
に乗れればいいかと思って)駅に着いてからだし。
携帯のネット情報も、つながりにくかったし、メールの接続もしばらく
は出来たり出来なかったりだし(逆に出来て驚いた位なんだけど)。

今回は、東京で交通機関が麻痺したときに、個人としてどう対処するの
がベターなのか、ということを知るテストケースになった気はする。
基本的には、仕事場にいた場合にはあわてずさわがず、仕事場でじっと
しているのがベターって事なのかも(患者さんを含めて)。

なんて事を思いながら家に帰ってみると、自宅のマンションのエレベー
ターが止まっていて。
復旧に時間がかかった所をみると、どうやら人は閉じ込められてなかっ
たようで、その事はよかったにせよ、なんか一概に被害がなくてよかっ
たとは、素直に喜べない、すっきりした感じのしない地震のその後って
感じだったのである。



2005年07月19日(火) プロデューサーズ

今回はミュージカルネタ。見てきたのは「プロデューサーズ」
このミュージカルをひと言でいうと「笑えるブロードウェイの光と影」
って感じかもしれない。
なんとなーく、アメリカ東海岸っぽいというか、ひねた大人っぽさと
いうか。
でも、「シカゴ」にしろ、「キャバレー」にしろブロードウェイ発のミュー
ジカルって、そういう所があるような気がするので、この作品は、ブロ
ードウェイミュージカルの王道といえるのかも。

物語は、失敗作続きのブロードウェイのプロデューサー、マックスが
将来プロデューサーを夢見る会計士、レオの些細なひと言から、わざと
失敗作をつくって計画倒産?を狙い、出資金を持ち逃げして高飛びを
しようと計画する。

その大失敗作のために選んだ脚本が、元ナチス党員の書いた「ヒトラー
の春」。そして演出に選んだのが、ゲイ色を前面に出した下品なショー
が売り物のゲイ演出家チーム。
そして、中には英語は全く喋れないのに、ナイスバディゆえに、なぜか
彼らの秘書も兼ねているスウェーデン人女性、ウーラも含まれた大根
役者軍団。
そして彼らの出資者は、マックスが文字通りカラダを張って稼いだ、
NYの独身のおバアちゃんたち。

さあ果たして、この史上最悪の取り合わせのミュージカルの出来栄えや
いかに?
という内容。

でも意外や意外?この劇中劇ともいうべき、「ヒトラーの春」が面白い
のである。
だってアクシデントの結果とはいえ、ヒトラーを演じるのは見るからに
ゲイ。
このゲイライクな総統に率いられた第三帝国の活躍ぶりは、できれば
劇場で見てほしいくらい、腹を抱えてげらげら笑ってしまいました。


でもこのミュージカル全体を通して感じるのは、よくできてるなあ、
ということ。
ブロードウェイを皮肉っている部分もあるかわりに、英語もまともに
話せないスウェーデン人でも、一夜にしてスターになってしまうあたり
とか、かと思うと「ヒトラーの春」の観客の大半がユダヤ人だったとか、
はたまたいかにNYには、一人身の寂しいおばあちゃんでいっぱいなのか
とか、おそらくはブロードウェイの目の肥えた観客の心をつかむ出来に
なっているんだろうなあ、と思うのだ。

この作品には、思わず口ずさみたくなるような、名曲はない一方で、
ブロードウェイの底の厚さを感じさせてくれる作品になっているんじゃ
ないかな。

そしてまた、最近のトニー賞を見ていても、賞に輝くのが、マペットを
つかった風刺劇(これはこれで見てみたいけど)とか、英語のスペリン
グ大会だったりと、いわゆる変化球が多いような気がする。

そんな中でこの作品は、きちんとブロードウェイのゴージャスさを
残しているあたりも、人気の秘密なのかもしれない。
(と、思ってたらこの作品、映画をミュージカル化した作品だったん
すね)

できれば来年か再来年あたり、再演することがあったらまた見てみたい
かも。
とりあえずは秘書のウーラ役の人の超ナイスバディを拝めただけでも、
得したーって感じでございました。

でもこの作品って、今度ジャニーズで日本語版をやるんだよね。
レオ役の長野博はともかくとして、マックス役にいのっちってどうなん
だろう?
なんか役に合ってないんじゃないかとか、もっと他にいい人がいるん
じゃないかとか思ってしまうが、逆にこの役を成功させたら、いのっち
も役者として一皮むけちゃうのかもしれない。
(でも見には行かないけど)



2005年07月17日(日) フライ,ダディ,フライ

今回は映画ネタ。見てきたのは「フライ,ダディ,フライ」
この映画を一言でいうなら、「岡田准一ファン(でなくても)必見の映画」
である。
かといってこの映画、いわゆるアイドル映画ではない。

主人公は堤真一演じる40過ぎのサラリーマンの、アクションムービー
である。
だけど、岡田准一が出てくるたびに絵になるというか、自然と目が
向かってしまうほど、今回の岡田准一のこの役がカッコイイのだ。

物語は、総合格闘家の須藤元気演じる、親が有力政治家でボクシング
高校総体優勝者のエリート?高校生に、娘を傷つけられた平凡な中年
サラリーマンが、落ちこぼれ都立高校の落ちこぼれグループ「ゾンビー
ズ」の力を借りながら、娘を傷つけた高校生に立ち向かっていく、
という話。

最初のうちは公園を1周するだけでヘタっていた中年サラリーマンの
鈴木さんが、岡田准一演じる高校生、朴舜臣(パクスンシン)によって
路線バスと互角に競争できるところまで、身体を鍛え上げ、戦い方を
身につけていくのだが、その合間合間に言う、スンシンのセリフが
格好いいのである。


「基礎ってなんだと思う?いらないものを削ぎ落としていって、必要な
ものだけを残すことだ。いまのおっさんの頭の中とか身体には、余計な
ものがたくさんついている。そんなわけで、まずは基礎作りから始める。
分かったな?」

「人間がいくつの細胞から出来てるか、知ってるか?約60兆だよ。おっさ
んはこれまでどれくらい使ってきたんだ?使わなかった細胞をいくつ
残して死んでいくんだ?」

「力は頭の中で生まれて育つんだ。頭でダメだと思った瞬間に、力は
死ぬんだぜ」

「どんな人間だって闘う時は孤独なんだ。だから孤独であることさえ
想像するんだ。それに、不安や悩みを抱えていない人間は、努力して
いない人間だよ。本当に強くなりたかったら、孤独や不安や悩みを
ねじ伏せる方法を想像して、学んでいくんだ。自分でな。
『高いところへは他人によって運ばれてはならない。ひとの背中や頭に
乗ってはならない』」
「・・・・・・ヨーダ?」
「ニーチェだよ」

「自分が信じられなくなった時」朴舜臣はそこまで言って、左手の人指し
指の先を私の心臓のあたりにくっつけた。
「ここに恐怖が入り込んで、おっさんは一歩だって動けなくなるだろう」
「おっさんは背中に中身がいっぱい詰まった透明のリュックサックを
しょってる。石原の背中には何もない。どんなことがあっても自分を
信じることだ」

「勝つのは簡単だよ。問題は勝ちの向こう側にあるものだ」



これらのセリフが岡田准一の口から出ると、いやあマジでカッコイイ
のだ(一部は映画ではなく、原作本からの引用なんだけど)。

そしてそれはセリフだけに現れるのではなく、ふとしたたたずまいの
一つ一つが、ジャニーズ岡田准一というより、一人の役者として、
また劇中の人物、パクスンシンとして格好いいと思うのである。
なんか自分もこの暑いさなか、怠けた身体をいじめ抜いて、鍛え上げ
たくなるような、そんな映画なのである。


この映画の原作は、数年前、窪塚洋介主演で話題になった映画「GO」
(脚本:宮藤官九郎)の作者でもある、金城一紀によるもので、金城は
今回、脚本も兼ねている。

原作の「フライ,ダディ,フライ」と、その前作「レボリューションNo.3」
はすでに読んでいて、これらに出てくる登場人物、特にゾンビーズの
活躍?ぶりにはゲラゲラ笑いながら楽しませてもらったので、今回の
この映画で、彼らがどんな活躍を見せてくれるのかも実は楽しみの
一つだった。

そしてそれは期待を裏切られないゾンビーズぶりで。
個人的に、この原作には思い入れがある。
それはこの原作が、高田馬場にある都立高校を舞台にしていて、私も
実は高田馬場にある都立高校出身で落ちこぼれ生徒だった、という事も
あり。

だからというわけではないが、ゾンビーズの連中にはとりわけ親近感を
感じるというか。
ま、正直あそこまではっちゃけてはいなかったけど、それに近い連中は
同級生を見渡せばゴロゴロいたし(私もその中の一人なんだろうけど)。
原作を読んだときには、どこか懐かしい感じがしたのである。

今回のこの映画では、原作者が脚本を兼ねていることもあり、その原作
のテイストを損なうことなく、映画化されていると思う。
上映中も、あちこちで笑いが起こっていたし。
脚本としてのスマートさ、手馴れた感じでいえば、「GO」の宮藤官九郎に
は負けると思うけれど、これはこれで、いい味が出てると思うし。

また、主人公、鈴木役の堤真一は、さすがに元JAC(ジャパンアクション
クラブ)出身という事もあって、映画後半の走りっぷり、アクションが
とても格好よかったと思う。
本人曰く、前半の下手に走る方がよっぽど体力的にはきつかったようで。

なんかこの夏の暑さも、この映画で乗り切れそうな、そんな勇気を
与えてくれるいい映画でございました。



2005年07月13日(水) バットマンビギンズ

今回は映画ネタ。見てきたのは「バットマンビギンズ」
この映画、一言でいうなら「今まで見てきたどのバットマンシリーズ
より格好いい」である。

今回のこの作品、「バットマンビギンズ」と銘をうつだけあり、
新たなシリーズのプロローグというか幕開けを予感させるつくりに
なっている。
そしておそらく、この作品(と今後続くかもしれない新シリーズ)は、
ソニーピクチャーズのスパイダーマンシリーズが大ヒットした事を
意識して作られているんじゃないのかな。

それまでのバットマンシリーズが、一部のマニア受けというか、それ
ともとりあえず大スターを敵役に選んどきゃいいだろうな印象があった
のに対して、今回のこの作品は、1本のヒーローものとして、割と万人
受けする作品に仕上がっていると思うのである。

個人的には初めて、バットマン/ブルースウェインに対して納得できる
というか、感情移入できる性格付けになっているし。

そして私がそう感じる点は大きくわけて二つある。
一つは、今回のバットマンの主眼を、恐怖の克服、という点においた
こと。
幼い時に両親を殺された憎しみ、怒りを単なる復讐に置き換えないこと
そしてそれにつながるコウモリのトラウマを主人公がいかに克服をし、
そして自らがなぜ、コウモリの化身になったのか。

主人公ブルースウェインが、バットマンになる過程の描き方がうまいし
また「敵」の性格付けとの対比によって、正義のヒーローとしての
バットマン像が、より際立って見えると思うのである。

そしてもう一つは、バットマンとしてのアクション。
空を自在に飛び回り、闇夜に隠れて決して姿は現さず、音もなく近づい
て、敵の三下共をなぎ倒していく。
そして姿を現した時には、圧倒的な存在感で相手に恐怖を植え付ける。
初めて「コウモリ男」らしさというか、バットマンの個性が引き立つ
戦いぶりになっていると思うのである。

加えていうならば、その戦い方が懐かしのアニメ「科学忍者隊ガッチャ
マン」をほうふつとさせてくれるあたりも懐かしいというか、ツボなの
である。

バットマンは完全無欠、完全なる善のヒーローではない。
自分が100%善だと思っている人間は、しばしば自分の独善的な正義感
によって、価値観の異なる人間を、完全に叩き潰そうとする。そして
自分が間違っているとは、みじんも考えない。それは例えば、ブッシュ
政権のように。

それに対して今回のバットマンは(あくまで私の印象では)自分の中の悪
邪悪なものの存在を認めているように見える。
それは例えば両親を殺された憎しみであるとか、後悔や恐怖心といった
もので、それらは克服したと思っても、時々表面に顔をのぞかせる。
バットマンも生身の人間なのである。

でもだからこそ、その自分の中の悪の感情とも葛藤を続けながら、
彼は戦っているように見える。
それは、彼が決して人を殺さない点にも現れていると思う。
それはおそらく、彼の美意識が許さないのだろう。


また、映画全体でいっても、NYのように見えてNYではない大都会、
ゴッサムシティを作り上げた美術の力は素晴らしいし、物語のキーと
なるモノレールを、物語の冒頭にうまくはめ込んだ脚本も素晴らしい
出来だと思う。

また、執事役のマイケルケインや、「博士」役のモーガンフリーマンの
「何でもお見通し」な感じのある掛け合いや、心底楽しんでいそうな
余裕のある演技も素晴らしいし。

そして今回メインの敵役であるリーアムニーソンだけでなく、サイコな
精神科医のキャラも立っていたし、ケン・ワタナベも、「Gotham」のthの
発音がとてもクリアできれいだった。
多分今現在、西洋的でなく威圧感のある、あの役の存在感を出すために
は、「ラストサムライ」の、あの渡辺謙が一番しっくりとくると思って
キャスティングされたんだろうし。
ヒロイン役のケイティホームズも、決して華のある方ではないけれど、
気丈な検事役にはまっていたと思うし。

いやあ、とにかく一本のヒーローもの映画として、近年まれに見る
爽快感のある映画というか。これだったらまた見たいかも。
おかわりしても茶碗3杯はいける感じの映画でございました。



2005年07月10日(日) 白洲正子展

日曜日、日本橋高島屋で行なわれている「白洲正子とその世界展」
を見に行ってきた。
彼女と、夫の白洲次郎が生前住んでいた家、「武相荘」(ぶあいそうと
読むらしい)が一般公開されたのを機に、骨董収集家としても有名
だった白洲正子愛用の品々を展示した展覧会。

私が白洲正子に興味を持つきっかけになったのは、彼女が他界した
時に、骨董収集家、目利きとして有名だった、という話を聞いて以来
である。
その後、彼女の対談集や、何冊かの著作を手に取り、彼女の人に対する
目利きぶりにも興味を持つようになり。

また、彼女の夫である白洲次郎は、アメリカ占領下の日本にあって、
吉田茂首相の特別補佐官のような役割を務め、時にはGHQと喧嘩を
しながらも日本国憲法、サンフランシスコ講和条約の際に尽力をした
人らしい。

それだけにとどまらず、晩年にいたるまでポルシェカレラを乗り回し、
武相荘では農業にいそしむ、という粋な紳士であったようで。
そんな彼らが愛用した品々が展示されるのであれば、ちょっと見ておき
たいと思ったわけですね。

とはいうものの、私には骨董の趣味もなければ、鑑定眼もないので、
それが鎌倉時代のものであれ、室町時代のものであれ、へー、と口を
開けて眺めるのみである。

ただ、彼女がそれらの骨董の中でも、普段日用品として使っていたもの
を並べているコーナーでは、周りの家具、調度品と相まって、生前の
白洲正子の人となり、というかただずまいが何となくわかるような気が
したのだった。
やっぱり、その人の愛用したもの、コレクションしたものからその人
らしさが見え隠れするっていうのは、あるだろうし。

武相荘は、車がないとちょっと不便なところにあるみたいだけど、
機会があったら、一度は行ってみたいかも。



2005年07月09日(土) 加藤鷹トークショー

ロフトプラスワンで行なわれた、カリスマAV男優、加藤鷹のトーク
ショーに行ってきた。
また何でそんなところに?と思われるかもしれないが、いっぺん
加藤鷹には会ってみたかったのである。

そんなわけで「初のナマ鷹(@加藤鷹)」で、ロフトプラスワンに足を
踏み入れたのも初めてだったわけだが、会場には100人?200人?位の
人が入って大盛況だった。男女比はほぼ半々くらい。

さて、私はセックスワーカー、性産業の周辺にいる人たちのことが
嫌いではない。
彼ら、彼女たちの仕事をさげすんだり、貶めるつもりもなければ、
かといって、賞賛したり、誉めそやすつもりもない。
ただ単に、そういう仕事についているんだ、と思うのみである。
どんな仕事であれ、仕事をしていい事もあれば、大変な事もあるだろう
し、皆そこでバランスをとりながら仕事をしていると思うからである。

例えば、人を食い物にする職業、性風俗ならこの前のタイ人少女の人身
売買をしたり、または悪徳リフォーム業者、詐欺みたいな仕事をしてい
る人たちに比べれば、人の役に立つという意味では何百倍もまともだと
思うし。

以前エントリーで書いた伏見憲明の時にも感じたし、またひょんな事で
知り合いになったSMの女王様(あ、別にかしずいているわけではなく、
単なる友達)に会っているときにも思うことだけど、そういう職業に
ついている人たちの中でも、私が特に惹かれる人たちというのは、
「開いている」というか、「自分に正直に生きている」ように見える
ところかもしれない。

いや、もちろん彼らは彼らなりに大変だと思うんだけど、例えば大きな
組織に属しているわけではなく、自分の身ひとつで立っている姿が変に
捻じ曲がらず、凛としている人たちがいる。

そんな人たちに会うと、職業なんかに関係なく、人として格好いいと
いうか、尊敬に値するような気がするのである。
それは世間一般からしたら、賢い生き方ではない(失礼)のかもしれないが、だからこそ、その立ち姿に感動を覚える人がいるのだ。

加藤鷹もそういう、いい感じのする人だった。
言葉ではうまく言えないけれど、爽やかな「乾いている」感じと、エロス
の「湿っている」感じのバランスのとり方が絶妙というか。
だからこそ、トークショーにこれだけの人が集まるのかもしれない。
女性がうっとりと、目にハートマークを浮かべながら聞きほれる姿
なんて初めてみたし。

彼がAB型のデブ男性が好きだし、周りにそういう奴ばっかりが集まる
と言っていたのも、何となくわかる気がする。
おそらくはそのカテゴリーこそが、お互いに競合することなく、また
変に気をつかうことなく、加藤鷹が素の加藤鷹でいられる空間なんだ
ろうなあ。

なんにせよ、行ってよかったな、と思えるイベントでございました。




2005年07月01日(金) 恐竜博2005



以前行った国立科学博物館で行なっている、恐竜博を見に行ってきた。
(今はもう東京は終わってしまったが)
金曜日は8時過ぎまでやっていて、なおかつ空いているらしいので、
どうせだったら終わっちゃう前に見に行こう、と思ったのである。

今回の展示の目玉は、ティラノサウルス「スー」の実物化石。
「スー」は1990年にアメリカで奇跡的に全身で発見された、全長10メー
トル?の巨大化石なのである。

小さい頃、国立科学博物館で恐竜の化石といえば、今回の恐竜博でも
展示されていた「アロサウルス」だった。
この「ゴジラ立ち」した標本がたしか1階のエントランスに展示されて
いて、ガキだった当時はその巨大さに息をのんだものだった。

でも今回のスーは、それよりももっと巨大な個体で。
最新の学説に基づき、「ジュラシックパーク立ち」したその標本は、
今にも動き出しそうなくらいの迫力があったのである。

いやあ、よかったよ、実際にその巨大さが感じられて。
これがほぼこのままの状態で、2億年たって見つかったのがすごいよなあ
と思うのだ。

そして、それはそんなに派手さはない、他の化石標本についてもいえる
ことであり。
今回の恐竜博、もう一つのテーマは「恐竜から鳥類への進化」だった。

私がやはり小さい頃、恐竜(爬虫類)から鳥類への進化は、始祖鳥の
化石はあったものの、その前後の化石が見つからなかったため、
確かな証拠はないと言われていたのが、ここ数年、ミッシングリンク
とも言うべき化石が多数発見され、それらの多くの恐竜には羽毛が
生えていた、という証拠が見つかったのである。

今回の恐竜博では、そういう日本初公開の最新の化石も多数展示されて
いたのが面白かった。
中にはエルビスプレスリーみたく、前腕と下腿部だけにひらひらとした
長い毛を生やした恐竜、なんてのもいたし。

でも、こういう化石を、単なる地層から見つけ出す人たちっていうのも
すごいよね。
だって、それらの多くはホントに小さなしみみたいなものなんだし、
それらの痕跡から、数億年前、生きていた状態を考察することに成功
したおかげで、こうして恐竜から鳥類への進化が、私みたいな素人にも
わかりやすく展示できるんだから。

昨年、NHKスペシャルの「地球大進化」というシリーズを見て以来、
地球環境の変化と、それに適応していった生物と、惜しくも滅びて
しまった生物の進化、といったものに興味を持つようになった。

詳しくは本なり、DVDで見てほしいけれど、地球の全地表、海も陸地も
全部氷に覆われた「全球凍結」の時代にも私たちの祖先である生物は
生き残り、たくましく進化を続けてきたおかげで、現在の地球に私たち
や他の生物がいる。

でも、惜しくも滅びてしまった種たちにしたって、今回展示されていた
鳥になり損ねてしまった恐竜たちや、地上の王者を謳歌していた、
ティラノサウルスにしたって、絶滅したとはいえ、その当時はその生を
謳歌していたんだろうなあ、と思うのである。

それは絶滅したり、自然に淘汰されてしまったから、ダメだったり
負けだったりするのではなく、彼らも含めた生物の種の多様性があった
からこそ、今もこの地上では様々な生物がいる世界を私たちは楽しめ
るのかもしれない。
なんかまとまりに欠けるけど、そんなことを思った大人の恐竜博でした。


 < 過去  INDEX  未来 >


harry [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加