私は、はりきゅう、マッサージ師という仕事をしている。また時々、 整体はやらないの?と聞かれるが、無論、整体も行なう。ただし、 いわゆるバキバキッというのは行なわない。 そういうのは、他所で一杯やっているからである。
で改めて何を書くのかといえば、この仕事についてよかったな、と 時々思うのは、目の前に現場があるということだろう。
そしてこの現場、仕事の経験が増せば増すほど面白いのである。 それは一人として同じ状態、同じ症状の患者さんはいない、という ことである。
たとえばある日、腰痛でうちに来た患者さんがいたとする。 とりあえず、その日は悪戦苦闘のすえ、何とかよくなってもらい、 またしばらくしてその人が来た場合、前回と症状の傾向が似ていても まったく同じであるという訳ではない。
だから前回とまったく同じ治療を加えるのではなく、その時その時で 治療に微妙なさじ加減を加える必要が出てくる。 そしてそれは他の患者さんでも同様で、基本的に来る人によって症状は 異なるし、また同じ人でも症状が毎回違うことも珍しくはない。
かと思うと、この腰痛のタイプの人はなかなかうまく治らないなー、と 思って悪戦苦闘しているときにかぎって、似た症状の人が次々とやって きて、いろいろと試しているうちにまとまてスッと治ったりする。
だから仕事に対して飽きがくるということがあまりないのだ。
だって次にくる患者さんがどんな症状なのか、まったく想像もつかない 現場なのだから。
でもね、私にとって患者の肉体が商売としての現場であるのと同時に 私自身の肉体も、私にとっての一つの現場なんだよなーと思うのであ る。
つまり、たとえばカゼで頭が痛くなったり、お腹が痛くなったり、また 歯が痛くなる、なんてのは、いわば現場からの抗議の声だともいえる わけで。
もしもその状態でさらに肉体という現場の声に耳を傾けずに、無理を してつっぱしった時には、場合によっては身体をこわして入院したり、 悪くすれば重篤な病気にかかって死んじゃう、なんてこともあるわけ だ。
だから健康的に生きる上では、肉体という現場の声に耳をかたむける ってのも大切なんじゃないのかな。
2004年07月30日(金) |
1リーグ制か2リーグ制か、それが問題だ |
先々週、阪神タイガースの久万オーナーが、来期の1リーグ制導入に 異論を唱え、巨人をのぞく他のセリーグ4球団オーナーが同調する意向 を示したため、プロ野球再編の話は新展開をむかえた。
7/26に行なわれた12球団社長による代表者会議では、来期は1リーグで 迎えたいパリーグ側と、できれば今の巨人戦利権を守りたいセリーグ 5球団側で意見は平行線をたどり、7時間に渡って議論を続けても、結論 は生まれなかったらしい。
とりあえず、今のところの流れでは、9月のオーナー会議で、一気に 1リーグ制移行の流れにするのは、難しい雰囲気のようだ。 堤西武ライオンズオーナーや、宮内オリックスオーナーはガックリと 肩を落としているのかもしれない。
現在一番可能性が高いのは、来期からの1リーグ制移行は、日本的に 先送りし、来期のパリーグの球団経営を参考にしてやっぱり立ち行か ない、という事での1リーグ制移行というのが、ありうる選択肢のよう な気がする。
また、先週末の横浜-巨人戦の視聴率は、週末にもかかわらず、1ケタ ~10%前半という体たらくだったようだ。 今回のプロ野球騒動や先行きの見えない議論で、一般的な視聴者の、 プロ野球離れは思った以上に進んでいるようである。
これでは、せっかく横浜ベイスターズという自前のチームを持ち、 自分の局のゴールデンタイムに放送したTBSとしても泣くに泣けない だろう。
巨人の親会社の読売新聞にしたって、ライバルの朝日新聞(しかも ナベツネが最も嫌う左派系新聞)に、「1リーグ制に反対70%」という 世論調査をつきつけられ、ナベツネさんは、自分の思い通りに事が 運ばないどころか、一番かわいいはずの巨人戦の視聴率がこのまま 長期低落傾向が続けば、そうとう荒れてくれそうである。
いずれにせよ、9月のオーナー会議が開かれるまでは、何がどう変化 してもおかしくはない、先行きの読めない状況になってきた。 はたしてどうなるんだろうか。
でも、そう考えると、1リーグ制がいいのか、(あくまで)現行のままの 2リーグ制がいいのか、一概には言えない気もする。 どう考えたって、パリーグにセリーグとの交流戦が組み込まれた所で 焼け石に水なのは目に見えているわけで。
ただ一ついえるのは、1リーグ制か2リーグ制か、「どちらか一つを選ば なきゃいけないという事はすでに状況に対して出遅れている」かもしれ ない、という事である。
と、いうのを最近出たばっかりの内田樹著の「街場の現代思想」 の中で 見つけておお、と膝を打ったのだ。 以下引用。
「決断というのは、できるだけしない方がとよいと思います。といいますのは 『決断をしなければならない』というのは、すでに選択肢が限定された 状況に追い込まれているということを意味するからです。選択肢が限定 されない状況に追い込まれないこと、それが『正しい決断をする』 ことより、ずっとたいせつなことなのです」(略)
具体例を考えればお分かりになるだろうが、「早期定年退職で割り増し 退職金をもらって今すぐ辞めるのと、定年まで賃金五割カットとどっち がいい?」というような問いを突きつけられて困るというのは、「決 断」でもなんでもない。それは「ではいよいよ死刑執行の時間となっ た。さて、君はワニに食べられて死ぬのと、アナコンダに呑まれて死ぬ のと、どちらがよろしいかな。you have the choice」と宣告されて いるようなものであって、そんなものを私どもは「決断」とか「選択 肢」とかいうふうには呼ばないのである。
知的努力というものは、ワニとアナコンダのどっちがいいかというよう な不毛な選択において適切な判断を下すためにではなく、「そのような 選択にいかに直面しないですむか」に向けて集中しなければならない。
右すればワニ、左すればアナコンダというような分岐点にまでずるずる 引っぱられてゆく人間というのは、それ以前における重要な決断におい て繰り返し間違いを犯しており、その清算を迫られている、というだけ のことである。
この話、たとえばイラク戦争の是非とか、自衛隊派遣の是非などの二者 択一にも応用できそうだが、それはおいといて。
今回の場合、問題なのは、1リーグ制か2リーグ制かなのではなく、 現行の対巨人戦収入以外の収入源を考えられず、結果親会社の広告費で 赤字を補填し続ける、という今までの球団経営の体質に一番の問題が あるということなのかもしれない。
そして1リーグがいいのか、それとも2リーグでもなんとかやっていける のか、というのは事前に結論が出るものでもないので、ここは古田選手 会会長や、野崎阪神球団社長の言うとおり、まずは1年間の猶予をつく って、とりあえず、議論をして次善の策を講じたほうがいいような気も するのである。
それはメインバンクであるUFJ銀行の、東京三菱への吸収合併で、球団 経営の先行きの見えないダイエーにしたって、地元密着という形を選べ ば、この先パリーグのままでも生き残る可能性はあるのだろうし、今年 から北海道に移転した日本ハムにしても同様だろう。
木村剛が以前Blogで書いていたように、今一番大切なのはいかにプロ 野球というビジネスを利潤の上げられるビジネスに転換できるか、と いう事なんだろうし。
そのためにはもう語りつくされたことだと思うが、30億円の新規参入 障壁を取っ払うとか、地方移転の可能性、地域密着化による球団経営 の健全化を目指した方が、よほどためになるのかもしれない。
それに対して近鉄の場合は、もう親会社に球団を支える体力と意欲が なくなったというのなら、さっさと球団経営から手を引くのが妥当だ ろうと思うのである。 でもその代わりに合併したりせず、さっさとライブドアでもどこへでも 売ってしまうほうがいいんじゃないかな。
そこまでして(株式の20%を保有する形までして)近鉄のオーナーが 球界に残るメリットが、どこにあるんだろう。 ただ単に自分の権威欲とか、名誉欲を満足させたいだけじゃん。
以前、河合隼雄と平尾誠二の対談本『「日本型」思考法ではもう 勝てない』の中で河合隼雄が言っていたが、日本社会というのは、 個人ではなく、場の論理になるため、たとえば近鉄球団オーナーとか、 本社社長という肩書きがなくなれば、とたんにただの人になってしまい、 影響力はなくなってしまう。 だから権力者はその座にしがみつく、と言っていたのを思い出した。
でも、そんなことをしているからこそ日本プロ野球界はまるでタイタ ニックのように沈むはずのない船が、今まさに沈もうとしているように 見えるわけで。
近鉄オーナーはそこまでして、日本プロ野球をダメにした張本人として A級戦犯入りしたいのかな。
現在発売中のNumber607号では、プロ野球選手会長の古田敦也が、 インタビューにこたえている。
その中で古田が語っているのは、経営陣に対して、闇雲に反対をして いるわけではなく、また選手たちの年棒の高騰に対しても、アメリカの メジャーリーグでは選手会が強硬に反対し、ストの原因にもなった、 サラリーキャップ制や年棒1億円以上の選手の減額制限の緩和に 対しても、理解を示している、という点である。
つまり自分たちの保身のためではなく、あくまでファンあってのプロ 野球であるという点から、発言をしていると思うのだ。
以下、古田の発言を引用すると、
7月10日の選手会の総会をふまえて考えれば、このまま強行してファン が黙っているわけはないし、ファンに選手会が頼りにされていることも 事実です。ファンのためにやらなきゃということであれば、非常に悲し いことだけど、刀を抜かなきゃいけない状況もありえる。選手の意識も ひとつになっている。覚悟は持っています。
ファンの願い、ファンがやって欲しいということがあるんでしたら、 ストっていうカードを切らなきゃいけない状況もある。球団側があまり に不誠実な対応を続けるのであれば、ストはある。ただ、それを避ける ための努力はします。
――球界の将来に対するダメージという点では、ストを強行するより、 今回の再編を許すことの方が大きい?
それは全然大きいと思いますね。(略) 我々は、もうちょっと突き詰めて議論をした方がいいんじゃないか、と 言っているんです。でも、そういう声を無視して、あくまでゴリ押しす るのであれば、それを止める方法がストしかないのであれば、もちろん やる用意はしています。それはファンの方にも充分理解をしていただけ る範囲だと思います。このままいった時の方がファンが離れる可能性、 愛想をつかされてしまう可能性はもっと高いと思っています。
――渡辺オーナーは、「やるならやればいい」といってますけども・・・
僕たちは考えて、やるときにはやります。ただ、やったときの影響は 真剣に考えてほしいですよね。「どうせやらねえだろう」みたいなス タンスでいるなら、認識が大きく誤っている。それを真剣に考えた上で 議論しないと、話がまともな方に進まない(略)
――将来をにらんで球界発展のためのビジョンを提示する用意もあると いうことですね。
本来そんなこと言わなくてもいいのかもしれませんよ。発展する組織と か会社は、上にいる人が明確なビジョンを持って、動いていかなくては いけない部分があります。
球界の組織だったら、コミッショナーとかが「こうやっていった方が 発展するんだ、みんなで話し合ってレギュレーションを作ろう」という のが発展するためには、必要だと思います。そういう方がいらっしゃら ないですしね。
いろんな問題が浮き彫りになったわけですから、改革案をいろいろ出し ていきたいと思います。もちろん当面は止まってくれないとね。「一年 間止めます」と言ってくれれば、すぐ出せますし、どんどん出さないと いけない。僕らじゃなくても、誰かが他の球団経営者でもいいですけど、 そうしないと球界は本当にダメになってしまうと思います。
さて、はたして誰が本当にプロ野球界の将来を考えてるといえるのか。 私たちは果たして本当に、日本プロ野球の「終わりの始まり」を今年 見ることになるんだろうか。
追記。 東京新聞7/28特報欄によると、26日の代表者会議の時、コミッショナーは海外旅行をしてたとか。 …本当に果たして日本のプロ野球界は大丈夫なんだろうか。
2004年07月29日(木) |
<不良>のための文章術 |
昔、ライターという職業にあこがれた。
自分のお気に入りの雑誌に、自分の書いた記事が、たとえ無署名の 安い原稿料であったとしても、載ることにあこがれていた時代がある。 ま、こういう日記サイトに駄文を書いているのも、その延長なのかも しれない。
今回紹介する本、 「<不良>のための文章術」は、文章を書いてお金を もらう人のための実践的な指南書である。 著者は、「インタビュー術」の永江朗。プロのライターである。
題名に「不良のための」とあるのは、この本が美しい日本語を書くため の本ではなく、お金を稼ぐための特殊な文章は決して良品ではない、と いう著者の考えによる。
この本の面白いところは、実際にサンプルとなる文章を永江朗自身の 方法論で、お金を稼げる文章にするために「加工」する過程をみせて くれていることだ。
それは本の紹介文にはじまり、グルメ、街歩き取材、そして署名の入っ たコラム・エッセイにいたるまで、ライター業として関わる文章を網羅 している。
そして、金になるかならないかの分水嶺は、書き手が主体か、それとも 読者が主体なのかだと語る。 永江はこう書く。
プロの文章は読者のためにあります。読者ができないことを書き手が 代行し、読者に満足を与える文章です。ただし、これは読者に媚びへ つらい、おもねり、すり寄り、慰撫する文章を書けという意味ではあ りません。読者を苛立たせ、不快にし、立腹させる文章もプロの文章 です。
その事を実際の作業としてみせてくれるので、読むほうとしては思わず 納得させられるのである。
また、この本は実際にライターになってお金を稼ぐかどうかに関わらず 読み手にとって読みやすい文章とはどういうものか、ということをプロ の視点で教えてくれる。
曰く、 まずは結論が大事である。
言葉はやさしく、原則はひらがな(漢字が多いと読みにくいので、 ひらがなに直せるところは直す)
必要のない言葉は削る
文章はできるだけ短く、長い文章は解体する
体言止めの多用は避ける(これはたしか同じくライターの金子達仁も どこかで書いていた)
などなど、 今からでもすぐに実践できそうなテクニックが多いのだ。 事実、この本を読んで以来、引用したテクニックはなるべく意識して 使っている。
でもこうやって、日記という形でも文章を書いていると、読む人に 伝わる文章を書くのって大変だなあ、と痛感してしまう。 だから実際に文章でお金を稼げるようになるのってもっと大変なんだ ろうなあ、ということを考えさせてくれる、いい本だと思う。
と、いうことで今回の文章は、この本の中のテクニックをちょっとだけ 意識して書いてみた。
2004年07月26日(月) |
27時間テレビと笑いの文体 |

土曜日は、友達の誕生日パーティというか、食事会で、ベトナム料理を 食べに行ってきた。
その後うちに帰ってきて、TVをつけるとフジテレビで27時間テレビを やっていて、ちょうどフジテレビとTV朝日で相互乗り入れという画期的 な事を行なっていた。
説明すると、フジテレビでTV朝日のスタジオの映像が流れたり、逆に TV朝日でフジテレビのスタジオの映像が流れたり、スマップの歌を流し ていたりしたわけなのだが、それが思った以上に面白かったのだ。
ま、これが可能になった背景には、スマップというか、ジャニーズの 力が大きかったんだろうけど。
でも今回の27時間テレビ、さすがに27時間ぶっ続けで見てたわけでは ないが、総じていつもより面白かったと思う。 今回は笑いに絞った分、楽しめるつくりになっていたと思うのである。
あと、もう一つは、ベースとなるフォーマットが「めちゃイケ」だった 事も、個人的に面白かった理由の一つかもしれない。
今現在、バラエティ番組の作り方って、いろんな方法論があるんだと 思うんだけど、個人的にはめちゃイケ方式が、一番自分の笑いのツボに 近い感じなのかもしれない。
それでは、めちゃイケ方式とはどういうものなのか。 今回の番組で言えばたとえば、某24時間テレビ恒例のマラソンを丸々 パクって、しかもそこで応援に来る人がお笑いタレントで、走者の 加藤浩次をまったく応援せずにネタを見せるだけだったりとか、
その加藤浩次が最終的にゴールできなくてもそれでいい、というつくり だったりとか、
お昼頃に行なわれたスマップのライブでは、わざわざ今回総合司会の 中居正広をフジテレビから離れた大江戸温泉に連れていく流れをつくっ て、そこからチャリで駆けつけさせ(これは途中で自転車のチェーンが 外れるというハプニングもあった)、中居が遅刻してメンバーが揃わな い代わりとして、岡村隆史がメンバーに加わって踊ったりとか。
これらは言うまでもなく、「ヤラセ」というか「作りこみ」である。 でもそれをあえて照れなくやってしまうあたりがめちゃイケらしいと 思うのである。
これって、時にはその作りこみ加減が、くどいと言うかいやらしい感じ になっちゃうんだけど、今回は生放送と言うスリル感と、まさか生放送 でそこまでやらないだろ、という私の勝手な思い込みを見事に砕いて くれたのが、思ったより楽しかった理由の一つかもしれない。
で、もう一つ思ったのは、お笑いはブームになる度に第○世代、などと よく言われるが、その第○世代によって、もしくは吉本と渡辺プロなど 所属する事務所によって、笑いの文体というか、その笑いのポイントが 微妙に違っているんだなあ、と思ったのである。
それが一番顕著にでたのが、深夜、明石家さんまと若手(というより もう中堅)のお笑いタレントが、恋のから騒ぎのパロディをしている 時だった。
明石家さんまや、今田耕司が作りこんだタイミングのフリや、ボケを 好むのに対して、このコーナー唯一のツッコミ役の矢部浩之のツッコミ のポイントの好みが微妙に違っていて、その度に明石家さんまがその場 でダメだしをしていたのである。
その後、やべっちは「はねるのとびら」メンバーと絡んだときも、 彼らの世代のシュールなボケにうまく対応する事ができず、ちょっと 泣きをいれていた。
というより27時間テレビ司会のプレッシャーもあったにせよ、最近 あまり他のお笑いメンバーと絡むことのなくなった矢部浩之のツッコミ の技量が鈍ったのか、それとも馬脚があらわれたのか?
考えてみれば最近のやべっちって、岡村さんの横でへらへら笑っている 方が多いと思うし。
でも、もしかすると、'80年の漫才ブームの頃に生まれた今の10代~20 代前半と、その漫才ブームで笑いの世界にはまったと言える私たち30代 ではもしかすると、笑いのツボは微妙に違っていたりするのかな。
なんてことを漠然と見ながら思ったのである。 さて、27時間テレビは来年も同じフォーマットでやるんだろうか。 なんにせよ、今年はいい物を見せてもらいました。
映画 「69」(注:音声付)を観てきた。 この映画、一言でいうなら、「痛快」であり、「抱腹絶倒」である。
そうだよなあ、高校生が主役の青春映画は、「エロスと妄想と、無鉄砲 と、おっちょこちょい」の映画だよなあ、と思ったのである。
舞台は1969年の佐世保。ベトナム戦争中の米軍基地があり、世間では まだ全共闘、べ兵連が幅をきかせていた時代。 といっても、私が当時の事を知っているわけがない。なぜなら私が 生まれたのがこの年、69年なんだから。
その69年の佐世保を舞台にして、なにか面白いことはないかな、と いつも探している若者たちが、なにかをやらかしてしまう映画である。
主演は今をときめく妻夫木聡、安藤政信で、二人とも高校生役を快演 しているのだが、この映画の影の主役は「イワセ」であり「指紋のナカ ムラ」だろう。 彼らのしでかす出来事は、映画でぜひ、見てもらいたい。
腹をかかえて笑うことうけあいである。 というより、いたよね、こういう人たち。
でも、あらためて考えてみると、この映画と自分の高校時代の間には 17、8年の開きがあるのに、あんまり変わってないことに気がつく。
私たちの高校では、芸術的な話題になると、必ずゴダール論を持ち出す 先輩もいたし、勉強はからきしできなくて、バンドもヘタレでも、 クラスの人気者で、いつもなにかをしてくれそうな「ケン」みたいな 同級生もいたし、屋上はいつも気持ちよかったし。
そしてまだあの頃は、成田空港闘争の三里塚に行ってしまう、おっちょ こちょいもいたし。 早稲田や明治や東大には、この映画で主人公たちが書きまくっていた 「カクメイ」とか「闘争」というアジ文句の看板が、学内を占拠して いるのが普通だったし。
ヘルメットの下にタオルをかぶって全共闘、というギャグは通用した だろうし、先生も、そういう冗談には笑っていても内心ピリッとした 緊張感が、まだ濃厚にあったような気がする。
バブルの終わる直前までの、私が見た風景の原点は、おそらくは私の 生まれたこの頃にあったんだろうなあ、と思うのである。 11PMを夜中に隠れてこそこそ見ているのを見つかっちゃうと、固まっ ちゃったりとかね(自爆)。
もしも、今の高校生たちがこの映画を見て刺激を受け、学校をバリケー ド封鎖したら、はたして周囲の大人たちはどんな反応をしめすんだろうか。
あの頃、といっても私が中学、高校生だった20年ほど前、先生の中には まだ「暴力教師」はあたりまえのようにいたし、バンカラ(死語)な 不良もまだ生息していた。
そしてむやみに厳しい校則もあったし、それでもなお、世界はまだよく なっていく、という根拠のない希望があったと思う。
はたして今の高校生たちには、そのように自分たちの前に立ちはだかる 壁や、わかりやすい敵、そして踏みにじられても失わない希望はあるの かな。
そしてあの頃、すべての教師が嶋田久作のように聞き分けがなかった訳 でもなく、中には岸部一徳のような、さばけた大人がいて私たちは息を つくことができたと思うのである。
また、クラスが完全に小さなグループにはわかれず、自分と違うタイプ の人間ともつきあうのが当たり前、という雰囲気があったから、学校に 行ってそこでなにかが起こることをいつも楽しみにしていたような気も するのである。
そしてそのことが、実は35年前は妻夫木聡演じる「ケン」のように快活 だった少年を、現在は苦虫をつぶしたような表情でなにかを語る「村上 龍」に変えたのかも、しれない。
この映画の話に戻ると、脚本のクドカンこと宮藤官九郎は、ホントに 原作のテイストを損なわないままに再構成し、さらにそこに新しい テイストを加えるのがうまいよなあ、と感心させられる。
すべてのかつては高校生だった人たちに、オススメの映画である。
朝、実は少し寝坊(爆)して、急いで駅へと向かい、いつものように 定期券を改札口にかざした所、改札口が反応しない。
おかしいな、と思って何回やっても駄目なので、駅員のいる0番窓口に 行くと、どうやらSuica定期券がこわれて読み取りができなくなった らしい。
ただ、とりあえずこの時間帯ですでに遅刻ギリギリなので、そのまま 定期券を掲示して通してもらい(表面には定期券の情報が印字されて いるので)、仕事場に到着。
その後空いている時間を利用して、昼食前に交換に行ってきた。 真夏のクソ暑いさなか、長い行列に加わり、たらい回しの目にあい、 あげくの果てに不快指数のめちゃくちゃ高い、改札口で待たされて いる間に、ついにキレた。
といって、暴れた訳でも、わめきちらした訳でもないが、ただ単に夏の 暑さの中でこちらの虫の居所が悪かったのかもしれない。 というより、久々にキレた自分にビックリした。 別にクレイジークレーマーになるつもりもないので、この話題はこの 辺で。
で、後々の参考のために、事実だけを書いておくと、
Suica定期券がこわれた場合、 1)新しいSuica定期券を手に入れるのは、翌日になる。
2)その日にもう定期券を使わない場合には、みどりの窓口に行って 再発行の手続きをする。
3)その日、まだ定期券を使いたい場合は、駅の改札口の0番窓口に 行って、その日だけ使える手書きの定期券と、新しいSuica定期券 の引換証をもらう。
4)新しいSuica定期券は、翌日以降になればいつでも、どこの駅の みどりの窓口でも受け取ることが可能になる。 その場合は、引換証と、臨時の定期券の両方を持っていく。
という事である。 つうか、頼むからどの駅員さんに聞いても、同じ情報を教えてくれ、 JR東日本。
でも、Suicaカードがこわれる、という事態に遭遇してみて思うのは、 SuicaカードのICチップって、意外に壊れやすいんだなあ、という事 である。
昨日から今日にかけて、特に何かをしたわけではなく、一つだけ考え られるのは、昨日飲みに行ったときに、身体中びっしょり汗をかいて いたので、その時にお尻のポケットにしまっていたSuicaカードにも 何らかの影響を与えていたのかもしれない。
また、この先ドコモをはじめとして、携帯電話にもSuica機能をつける みたいだけど、その場合、もしも携帯端末を水の中に落としてダメに しちゃった場合、Suicaの再発行は、やっぱり新機種を買うまで出来な かったとしたら、その間はどうやって、駅の改札を通るんだろう。
やっぱり一回一回切符を買わなきゃいけないのかな。 いずれにせよ、再発行には結構手間がかかりそうな気もするのである。
と、いうわけで昨日に引き続き、今日も東京は暑かった。 といっても普段の私は仕事場で、患者さんの相手をしているわけだから 冷房の効いた部屋にずっといるし、元々あまり寒かったりクーラーの風 に直接あたるのは苦手なので、適当につけたり消したり、温度調節を している。 温度管理に文句をいう人もいないので、快適な環境にいるわけだ。
とはいっても、朝夕の通勤時間はどうしても暑さの中にさらされる。 特に夕方(夜)は、普段温度調節(といっても26度くらい)の効いた 部屋から外に出たとたんに、もわっとした高温多湿の外に出るのは、 結構きつかったりする。
でも、朝に関しては、実はそんなに暑くない通勤路があるので、助かっ ているのだ。 それは前にも書いた明治神宮の中を通り抜けていく事なのである。
つまり、今年は空梅雨だったため、明治神宮を通り抜けるという日課? をあれから欠かさず続けてきたわけなのだ。
で、明治神宮の森の中って、予想以上に涼しいんだよね。アスファルト の上を10分歩くのと、駅まで20分かかっても明治神宮を通り抜けるの では、後者のほうが断然快適な通勤ライフなのである。
もう一つは森の中に入っていくのって、いつもの日常とはちょっと異な る感じがして、なにかを思いつくにはいい場所なんだと思うのだ。
いつもより遠回りする事にも慣れたおかげで健康上も今のところ夏バテ 知らずだし。 私にとって明治神宮を通り抜けることはいいことずくめなのである。
なんでも今日は東京で39.5度という観測史上最高の温度を観測した そうで。 ニュースでやってたけれど、お台場などでは45度も記録していた らしい。
そんなクソ暑い中、私が何をしていたかというと、午後は出張治療で しかも東京の中でもとりわけ暑いといわれる練馬まで行ってきたわけ ですね。
でもね、確かに熱気は感じたけど、外を歩いていても汗ダラダラ流す という感じでもなく、そんなにつらくはなかったんだよね。 それはなぜかといえば、今日は湿度が20%ととても低かったため らしい。
たしかにこの気温で湿度80%もあったら、汗かいた不快感と脱水症状 で、ダウンしていたかも。 逆に言えば、今日のように湿度が低ければ、39度といわれても、そん なに大変でもないんじゃない?なんて思ったけど、考えてみれば私は スーツを着ない人種だったんでした。
スーツを着なきゃいけない方たちはお疲れさまでした。 いや、本当に頭が下がります。
で、なんで東京でこんなに高い気温を記録するようになったのか、と いえば、なんでも東京湾岸の再開発で、高いビルが軒並み建ったせい で、海からの風がさえぎられてしまったためらしい。
という話を6/19付の東京新聞の特報欄で読んだんだけど、今日はその話を フジテレビのスーパーニュースが後追いして、日本テレビのある汐留 付近で検証していた。
で、確かにビルの海側と、ビルを挟んだ陸地側では、ビルにさえぎら れた陸地側のほうが、5度も気温が高いという観測結果が得られた、 と誇らしげに?やっていた。
わざわざ日テレの入っている汐留でその検証をするあたりがなんと いうか、スーパーニュースっぽいというか。
でも、今の東京を空から眺めるなり、地図を広げるなりしてみれば よくわかると思うけど、東京って、本当に緑が少なすぎだよね。
山手線近辺で言えば、皇居、明治神宮・代々木公園、外苑・東宮御所 新宿御苑、目黒の自然植物園のほかには、大きな木々のある場所は 見当たらない。
じゃあ、そこから郊外に行けば緑が広がるのか、といえば、実は 奥多摩、秩父あたりまで行かなければ緑はなく、あとはずーっと 住宅地と舗装された道路が広がるのみなんだと思うのだ。
そして極端な話、関東1都6県の大半は住宅地と舗装された道路に 覆われてしまっているんじゃないだろうか。
うちの近所に明治神宮があるからいうわけじゃないけれど、神宮から 吹く風はやはりちょっと涼しいし、また神宮の森の中や、芝生の上は アスファルトの上に比べれば、全然涼しいと思うのである。
せめてもう少し緑が都内にあれば、もう少しは過ごしやすくなるん じゃないのかなあ、としみじみ思ってみたり。
という事で我が家にPSXがやってきた♪ といっても、プレゼントされたわけではなく、自分で買ったのだが。 私が買ったのは、DESR-5100という、最近モデルチェンジされて発売された ばっかりのやつ。
昨年の年末に初代PSXが発売されて以来、PSXは今までに3回アップグ レードされている。 それはインターネットにつないでダウンロードするか、店頭でディスク (無料)をもらって、自分でインストールする必要があったのだが、 今回の機種では、もうすでにその作業が完了しているのである。
昨年末に発売されたときは、当初の発表に対して、実際の製品の仕様が しょぼく、また値段的にも他のHDD/DVDレコーダーにくらべて値ごろ感 があったのが、他機種も値下げをしたためにあまり安さを感じられなか ったので、散々たたかれていた。
でも、今回のアップグレードでどうやら当初予定していた機能は揃った ようである。
ちなみに以前から、HDD/DVDレコーダーは欲しかった家電である。 個人的に欲しかった機能は、
・EPG(電子番組予約表。ここから番組録画の予約が簡単にできる)
・1.3倍早見再生(音声を聞き取りながら早送り再生ができる)
・GRT(チラつき防止?うちのマンションはアンテナが古いので、時々 ゴーストが入ってしまう)
・できればプロ野球延長自動対応(これは残念ながらついていない。 同じソニー製のスゴ録にはついているみたい)
・なるべく大容量のHDD(160GB)
・そして安価な価格設定
であり、これらすべてを含んだ条件にあてはまるのは、今回買った 新バージョンのPSXだったのだ。
PSXは編集機能がしょぼい、という話もよく聞くが、別に凝ったビデオ 編集を自宅で行なうつもりはなく、CMカットにも元々こだわらないので あまり気にはならなかった。
そして何より、大切だったのは値段である。 ヨドバシカメラで見たときは、76000円くらいだったのが、たまたま 見たビックカメラでは、66000円と安く、しかも手元には2万円分の ポイントのたまったポイントカードが(笑)。
これはもう買うしか、と思ったわけですな。 ちなみにヨドバシのポイントカードには、7000円分のポイントがたまって いる。 これで値段が逆だったら、ちょっと買うのをためらったかも。
ということで実は買ってからもうすでに1週間くらい経つ。 その間の使用感といえば、これが結構便利で快適なのだ。
テープの交換がいらないから、朝、その日の番組表をEPGで確認して、 片っぱしから見たい番組を予約録画していけば、自動的に録画してくれ るし、夜、録画した番組を見ながら途中で止めても、またその場所から 再生してくれる。
そして1回見たら気がすんだ番組はどんどん消していけばいい。 画質に関しては、標準がSPなんだけど、それよりディスク容量は少なく 済んで長時間DVDに残せるが、画質の落ちるLP、EPでも見てる分には 気にならない。
料理番組や英会話など、後々残しておきたい番組は、番組名でソートを かけて、まとめてDVD-Rに落とせば、仕事場のPCでも見られるわけだし。
これが今後、デジタル地上波に切り替わると、コピーアットワンスと いって、HDDに記録したものをDVD-Rに落とすのはできなくなるらしい が、その頃にはさらに大容量で便利な新機種や、DVD-RAMのついた機種 にかえればいいんだろうし。 それまでの間だけでも、使っている価値はあると思う。
また、リモコンの使い勝手もいいので、最近はちっとも使ってなかった PS2のソフトでも遊ぶようになった。 いやマジで結構オススメ、である。
2004年07月17日(土) |
青山ブックセンター閉店 |
朝、ネットをチェックしていたらNarinari.com経由 で、昨日の7/16付で 青山ブックセンターが閉店したことを知ってビックリした。 青山ブックセンターは六本木や新宿ルミネなどにお店があり、私自身が よく利用していた本屋さんだったからである。
特にルミネ1、2店は、新宿駅南口から出てすぐにある本屋さんであり、 ルミネ1店にはスタバが併設されていたので、待ち合わせの時など、 ちょっと時間をつぶすのに便利なお店だった。 なんだー、閉店すると知ってたらもっと通っておくんだった。
青山ブックセンターの場合、特徴的だったのはその個性的な本の品揃え である。 いわゆるベストセラーだけにこだわらず、それぞれのジャンルでおそら くは店員さんが面白いと思った本を並べているから、紀伊国屋や三省堂 ではなかなか目につかない本が平積みされていたりする。
またたとえばルミネ1、2店の場合は距離にして100mくらいしか離れて いないと思うけど、それぞれ並んでいる本には微妙な違いがあり、それを比べて眺めているのも楽しかった。
たとえば「欲望文化」のコーナーには「SMスナイパー」や男色系雑誌の 「さぶ」が平積みされていたりとかね(さすがに手には取らないけど)
また、私の仕事に関係する身体論関係でも、ここであ、こんな本も出て たのか、と知りそのまま購入したことも何度もある。 だからそういう気軽になにかを発見できる、ちょっとマニアックな本屋 さんがなくなるのはさびしいなあ、と思うのである。
たとえば今、Amazonなどのオンラインストアには勢いがあるし、そこで は検索しさえすれば一般の本屋では取り寄せになってしまう本もすぐに 手元にとどく、という利点があると思う。
でも本屋さんって、ぶらっと入って時には自分の興味の範囲外の分野の 本でも、気軽に手に取りそしてパラパラッと中身を閲覧できる所がいい んだと思うんだよね。 そういう「出会い」もやっぱり大事だと思うし。
また、いろんな本屋さんをのぞく事で、その本屋さんの品揃えでその お店の性格?を感じとったりするのも楽しみの一つだし。
だから街から本屋さんが消えてしまうと、街歩きの楽しみの一つが 消えてしまうのである。 青山ブックセンター、復活しないかなあ。
2004年07月16日(金) |
男はなぜ、女に頼られたいのに重いとウザく感じるのか |
先日、知り合いが管理人の日記サイトのコメント欄にある書き込みを したところ、管理人さんより以下のようなレスを頂いた。 (無断転載失礼)
男の人って頼られてる感じが好きでしょ。でも重いのはウザいんだよ ねー@笑
これを見て、思わずうむむ、とうなってしまった。 なぜ男は頼られている感じは好きなのに、重いのはウザイと言われて しまうのか
その答えというわけではないが、ある大胆な?仮説を思いつき、それが 個人的には結構面白かったので、忘れないうちにここに書いておく。
それは、 そもそも男は相手に惚れてもらいたくなんかないのである。 という仮説である。
なぜなら、相手に実際に惚れられている、頼られている場合、 そこにはそれを受けとめなきゃいけない、という責任が生じる訳で。 そして、その責任感こそが、重いと感じてウザくなる原因である。
では、相手に惚れられるかわりに男がほしがる物は一体なんなのか。
それはあなたが必要なの、というサインである。 そこに、相手が本当に自分の事を必要としているかどうかは関係が ない。 男は必要とされているというサインさえあれば、茶碗3杯はいける、 もとい十分なのである。
それは、たとえばさとう珠緒などの、甘え上手なキャラを考えてみれ ば、よくわかる。
さとう珠緒が相手の男性に発しているのは、あなたが必要なの、と いうサインのみであり、彼女は本当にその相手が好きなわけではない 事が多いらしい。
相手のことを本当に好きでもなんでもなくても、あなたが必要なの、 というサインさえあれば、男はイチコロである、という事を意識して るのか、してないのかはともかくとして、熟知しているのだろう。
だから同じような真似のできない同性からは嫌われ、魔性の女扱い されるのである。 そしてだからこそ「亭主元気で留守がいい」が成り立つのである。
そして男が、実は相手に惚れてもらわなくても構わない、というのは いわゆる「癒し系アイドル」の行方を考えてみればよくわかる。
「癒し系アイドル」とは、自己主張をせず、ニコニコと微笑んで、 男の思い入れを無条件で受け入れてくれそうに見えるからこそ、 成り立つのであって、彼女たちが自己主張をはじめた途端に、癒し 系アイドルの地位からは追い立てられてしまう。
「癒し系アイドル」だった釈由美子や、井川遥が現在は癒し系扱い されないのも、そのためである。 男は、自分を癒してくれる、さも必要としている風な表情さえあれば その女の子が実際は何を考えているかなんてのは、余計なことで、 必要としないのだ。
そして、実はそれは友情関係でも同様である。 男でも、女でも同性の友人関係で必要とされているのは、お互いに 必要としている/されている、というサインの交換関係である。
だから必要とされている、というサインを相手から受け取りながら、 相手に必要としているサインを十分に返していない場合、実際は 必要だと思っていても、相手からは冷たい、さめている、などと 言われてしまいがちである。
その時に必要なのは(たとえ本当は必要だと思っていなくても)、 あなたが必要だというサインをたっぷりと相手に送って満足させる 事である。
と書いてきたが、もちろんこれが全ての男性にあてはまる訳では ない。 じゃ、肝心のお前はどうなのだ、と言われると、私がとる戦略? は以下の通りである。
それは、 相手が好きなら、重さも含めて受け止められるので、別にウザくは 感じないし、逆に相手のことを全く好きでないのなら、重く感じる のはあたりまえなので、好きじゃないと告げる ということである。
でも、これは考えてみればあたりまえの話で、相手を好きになる場合 相手の欠点を含めて好きになるんだから、多少重く感じてもそれは 受け止められるだろうし、逆に相手の事を好きでもないのなら、その 好意は重荷にしかならないという事なんじゃないのかな。
で、これは今の段階で好きでなくても、この先もっと好きになりそう な予感があれば、つまり関係が深くなればなるほど好きになりそう な予感があったら、別に問題はない。
逆に、男は重いとウザくなるんだよねー、といわれてしまう場合は、 その男性は、自分が相手の事を本当は好きかどうか、という答えを 曖昧にして相手に示しているからこそ、いざという時になると、 「男は重いとウザくなる」と言われてしまうんじゃないのかな。
または、友達フォルダに入れていた相手から、急に甘えられたり した場合に、自分はその先に進む気はなくて、あくまで友達だと 思っていた場合なんかには、重くてウザくなる可能性はあるのかも。
ま、その場合は、重くてウザイとは言わずに、いつまでも友達でい ようなとかいう気がするけど。 でも、これは男に限らず、女の子も一緒なんじゃないかな、って 気もするんだけど。
と、今まで書いてきたが、これはある仮説を立てて検証してみるという 遊びであり、こうに違いない、と思い込んでいるわけではないので、 念のため。
でも、あながちこの仮説が全くの嘘っぱちで、デタラメだと言い切れ ない気がするあたりが、ちょっと怖い・・・かも。
2004年07月15日(木) |
憎まれっ子は世にはばかる |
私の好きな作家であり、スポーツ(他)ライターの 玉木正之のサイトに 「あのお方」に関するこんなコラムがのっかっていて、面白かった。 今回のプロ野球再編に限らず、彼の発言はいつも過激で、そこら辺が 好きなのだ。
ちなみにこの文章は、本心も含まれているとは思うが、玉木氏一流の 冗談だと思う。
私のこのサイトでも、最近ぐぐって来る人のキーワードには「ナベツネ」 「陰謀」なんてのが含まれていたり、やっぱりナベツネさんは憎まれこそ すれ、あまり人には好かれないらしい。
ならば、とそこは天邪鬼な性格で、今度はナベツネをほめ称える話を 書いてみよう・・・・・・と思ったが無理だった(爆) 個人的には、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の境地に近いらしい。
なので、ここは目先を変えてみよう。 どうして憎まれっ子は世にはばかれるのだろうか。
ナベツネといい、某宗教界の某さんといい、どうしてああいう権力志向 に見える人たちは、みんな長生きで、好き勝手のさばっているように 見えるのか。
権力の頂点に立つことがそんなに長生きの秘訣になるのか、それとも 自然選択説ではないけれど、元々権力志向の強い集団の中で、健康に 左右されず、スキャンダルにも足を引っ張られずに失脚しなかった人 が淘汰されなかった結果、あそこまで厚顔で自己中心的なふるまいを してるように見える人が生き残ってしまうのか。
まあ、でもあそこまで自己中心的になっちゃうと、仮に引退して老人 ホームなんかに入った日には、嫌われて誰にも相手にされないんだろう しなあ。 あ、だからこそ引退せずに権力の座にしがみついているのか?
そういえば、内田樹の著書「寝ながら学べる構造主義」の中にこんな くだりがあったことを思い出した。
人々が権力者を恐れるのは、彼が「権力を持っているから」ではあり ません。そうではなく、「権力をどのような基準で行使するのか予測 できないから」なのです。廷臣のうち誰が次に寵を失って死刑になる か、それが誰にも予測できないときに権力者は真に畏怖されます。
これを「権力を持つものはどのような理不尽でも許される」という ふうに合理的に説明しようとすると、話が見えなくなります。私たちは ほとんどの場合、原因と結果を取り違えるからです(これはニーチェの ことばです)。正しくは、「理不尽な決定を下すものに人は畏れを抱 く」のです。
(考えてみれば当然です。どれほどの権力を持っていようと、権力の 行使の仕方が合理的で明快なルールに則っていれば、その人は決して 「暴君」とは呼ばれません。現代アメリカの大統領はおそらく歴史上 最大の権力者ですが、「合理的で明快なルール」に則って権力を行使 することを義務づけられているので、誰も彼を畏れません)
逆に、私たちは他人に権力的な影響力を行使しようとするとき、必ず 「理不尽」になります。(例えば、家庭では成員中で「もっとも理不尽 にふるまうもの」がその家の権力者になります。非力な子どもだって、 おとなしい妻だって、稼ぎのない亭主だって、理不尽でありさえすれ ば、たちまち他の家族から恐怖のまなざしでみつめられ、好き放題さ せてもらえます)
そんなばかばかしい支配戦略が可能なのは、私たちの心が、根拠のない 差別が自分に加えられたときには、その実行者を「抗うことのできない 強権の保持者」であると思い込むように構造化されているからです。
そう考えると、ナベツネさんの場合は、その権力の行使の基準が、 予測できないことはないけれど、決して私たちから見ると「合理的」 とは言いがたい、思いつきや冗談のような発言(たとえば以前スト権 ちらつかせた古田に対して、「殺されるぞ」と発言したり)をして、 どんどん強引に事を進めてしまうように見える、あたりが「理不尽」 なので「暴君」扱いされてしまうのかもしれない。
まあ、でも個人的にはあのバイタリティや、上昇志向、権力志向と いったものの、爪の垢くらい煎じてのんだほうがいいのかも。
あ、一つはいいところを見つけられたか?
もしかすると今年が2リーグ制としては最後になってしまうかもしれ ないプロ野球オールスター戦。
投票所から帰ってきて、TV局各局が選挙特番をやるなか、中盤からは 画面のあちこちに選挙データが出て、とても見ずらくなっていたけれど 試合自体はとても面白かった。
パリーグの選手たちは今年が最後かもなあ、と期するところもあったん だろうと裏読みしてみたり。
でも、第1戦の松坂の、普段の試合でもめったに見られないらしい、 おそろしくキレのある剛速球といい、第2戦の新庄の意外性のある ホームスチールといい、オールスターというお祭り、祝祭空間をファン とともに味わいつくそうという選手たちの気持ちが前面にでた、いい ゲームだったよなー、と思うのだ。
試合の瞬間は、オーナー連中も、プロ野球再編の話も一切関係なく、 選手たちと、それを応援しているファンが主役なんだよな、と思った のである。
ついでにいえばTBSは、その祝祭空間を中継している最中は、せせこま しい?現実に引き戻してしまうような選挙報道をテロップで流さなけ ればよかったのに。
みんなこの時ばかりは、浮世のごたごたを忘れ去って、ボールの行方を 見たくてチャンネルを合わせていたんじゃないかな、って気がするし。
2004年07月13日(火) |
民主主義は手間ヒマと時間がかかる |
日曜日は参院選の日だった。 私が行く投票所は、うちから歩いて5分くらいの小学校である。
自分が選挙権を持ったのは、代々木に越してきてからだから、 私にとっては唯一のなじみ深い投票所である。 昔はぶあつい選挙人名簿を参照していたのが、今では投票引換券?の バーコードをピッとなぞるだけで済んでしまう。便利である。
そして投票行為自体は、ものの5分とかからない。 これがもしも20分町のはずれまで歩いて、5分で終わって、また20分 歩いて帰るのだったら、ずいぶんと面倒だろうなあ、と思ったりする。
私の場合、徒歩5分ですむこともあるけれど、ついでにそのまま足を のばし、代々木の和食屋さん「田んぼ」で久々に「豚角煮おひつ膳」 というごちそうを食べて帰ってきた。
でも、そんな風に投票する側は期日前投票も含めて簡単になってきた けれど、投票所を準備する側、見守る側、開票する側の手間ヒマは、 結構大変なんだろうなあ、と思うのである。
私の知り合いには何人かの地方公務員がいる。 彼らは国政・地方選挙のたびに休日にかりだされ、1日中選挙につきあ わなければならない。
ま、それが仕事なんだといわれればそれまでだが、たかが紙切れ一つ を投票し、開票するための手間ヒマ、時間コストと人件費を考えて みたら、それって結構スゴイことなのかもしれないなあ、なんて思う のだ。
そしてそれもこれも、キレイ事をいってしまえば私たち有権者の権利を 守るために支払われているコストであり、その権利が保障されている からこそ、民主主義に対する信用は失われていないんだよなあ、と思う のである。
コメ一粒一粒にお百姓の苦労がこめられているのとは、微妙にニュアン スが異なると思うが、私たちが当たり前のように受けているサービスに も、そこにはそれを提供する側の尽力と手間ヒマが隠されているんだ よなあ、と思ったのだ。
2004年07月11日(日) |
そして会議は踊り続ける? |
という事で個人的な対案をだしてみる。 この合併話、プロ野球再編の話が出てきたとき、経団連の奥田会長や ナベツネが「日本の経済規模を考えたら8球団くらいがちょうどいい」 とのたまった。
まあたしかに今後、日本国民の数が減り続ける(責任の一端には未だ 未婚の私にもあるが)かぎり、経済規模の減少も視野に入れれば、 右肩上がりの観客動員の増加は難しいかもしれない。
でもじゃあはたして8球団がベストだったとしても、現状のままの チーム分布がベストなんだろうか。
今までのプロ野球チームを地図上に並べて感じるのは、関東と関西への 2極集中である。
たしかに阪神タイガースという超人気チームのある関西圏に近鉄、 オリックスというパリーグの球団を含めて計3つあるのは、市場規模で 考えたら多過ぎなのかもしれない。だから再編して3→2にするのは、 妥当かもしれない、と仮定してみる。
でも、そうであるなら、3→2に減らすのではなく、1球団を地方に移し てみるというのはどうなのか。 そしてその場合は、8球団にこだわらずとも、現行の12球団だって セパ交流戦などを取り入れれば、なんとかなるんじゃないのかな。
今現在、日本国内でプロ野球があるのは、九州(1)中国(2) 近畿(3→2?)東海(1)関東(5→4?)北海道(1)であり、四国 北陸、東北にはプロ野球チームは存在していない。
四国の松山には坊ちゃんスタジアムという芝生のグラウンドのいい 球場があるらしいし、北陸の石川県は松井の出身地だし、東北だって 仙台は東北福祉大など、野球の強いチームがあり、野球熱が決して 低いわけではない。
メジャーリーグの場合、現在大家の所属するモントリオールエクスポズ は、観客離れなどの財政難により、オーナーが手放してしまい、現在は たしかMLB機構とその他の29チームによって運営されているはずである。
そのモントリオールエクスポズは、今後本拠地をモントリオールから ドミニカ共和国!や、ラスベガスに移転して経営再建を図ろうという 計画があるらしい。 すなわち移転した先で新たなファン層を獲得できれば、また復活する 可能性はあるってことかもしれない。
日本のプロ野球機構もそれにならって、旧近鉄バファローズを一時的に 機構の管理下におき、地方移転を考えてみるのはどうなのか。
近鉄の場合、今一番のネックになっているのは、大阪ドームの使用料が 年間10億円もかかることだろう。 で、あるならば今はまだプロ野球のない地方で安く球場をレンタルさせ てくれる所を募集してみてはどうなのか。
今は箱物行政の影響で、あまり使われていない球場なんてざらにあるん だろうし。 その地方にとっても、地域の活性化、そして観光客増を見込めるんだか ら、万々歳だと思うんだけど。
今年、日本ハムが北海道に移転した後、新庄効果もあるんだろうけど 元気に見えるのは、東京ドームにくらべても、だんだんと自分たちを 応援してくれる観客が増えつつあるかららしい。
彼らに言わせると、今まで対ダイエー戦で福岡ドームに行ったとき、 地元の熱烈なファンの前でダイエーの選手たちがイキイキとプレー している姿がうらやましかったらしい。
そんなふうに直接応援してくれるファンがいてこそ、選手たちにも 張り合いが生まれ、いいプレーができるのかもしれない。 事実、福岡ダイエーホークスはそんなふうにファンとともに歩んで 着実に強くなっていった。
去年の日本シリーズで阪神、ダイエーとも地元のホームゲームは全く 落とさず、結果ホームゲームが1試合多かったダイエーが4勝3敗で優勝 したのも、そういうファンがあってこそだろう。
とまあ、いろいろと述べてはみたものの、一番のネックは特に一部の オーナーたちがそういうファンの声、そして選手たちの声にまったく 耳を貸さないことだろう。
ま、実際ナベツネの言うとおり、プロ野球の協約には、経営権を持つ ものが、ファンや選手たちの意見に耳を貸さなきゃいけないなんて 一言も書いてはいないんだろうけど。
また、日本プロ野球機構の権限が弱く、一部のオーナーの意見に牛耳ら れているかぎりは、どんなにすぐれた対案が出てきても、それは画に 書いた餅にしかすぎないのかもしれない。
でもね、その一方でプロ野球オーナーたちは、大切なことを見落として いると思うのである。 それは、プロ野球のみならず、野球というソフトの魅力、面白さを自分 たちの言動、そして行動がどんどん下落させている、という事である。
Narinari.com でも今週号の週刊文春に載っていた、近鉄本社社長の談話 についてふれていたが、あれが本来ならば酒を飲んだ席でのオフレコ 発言であったとしても、ひどすぎると思う。
だってそこにプロ野球をよくしようという愛はみじんも感じられない からである。 そして今までの長きにわたって、そうしたオーナーたちに牛耳られて きたプロ野球自体が不幸だったといえるのかもしれないけれど。
リーグ設立時に百年構想を打ち出したJリーグに対して、10年後、20年 後のプロ野球は、はたして人々にどのように見られているのだろうか。
ま、まちがいなくその頃には今君臨しているオーナー達の半分はいなく なっているんだろうけど。 そういう彼らにそもそも長期展望に立て、というのが無理なのかもしれ ない。
2004年07月10日(土) |
合併頼みのオーナー達の思惑(2) |
現在発売中のNumber606号から、プロ野球再編に関する提言コーナーが できた。 その第一回は石田雄太。普段はイチローなどの密着取材の多いスポーツ ライターである。
タイトルは8か12か。 すなわち1リーグ制8球団がベストなのか、2リーグ制12球団がベストな のか、という問題提起をして、結局その答えを出すにはコミッショナー 以上の発言力を持ちながら、いざとなると俺は単なるオーナーだと逃げ るナベツネに実権を持たせ、読売主導でいいからちゃんと答えを出させ るべきだ、と結んでいる。 詳しくは、誌面をどうぞ。
今回のプロ野球再編の流れを見るときに、確かに忘れちゃいけないのは じゃあ現状のまま、セパ2リーグ12球団制を維持しても、遠くない将来 にたちゆかなくなる可能性があるってことだろう。
7/7のオーナー会議では、ナベツネと堤オーナーの発言は一緒で、 「1リーグ10球団になれば、皆黒字になる」だった。 では、はたして本当にそうなるんだろうか?
彼らがそう言いきる根拠はズバリ、対巨人戦ができれば1試合1億とも いわれる放送権料と、巨人相手の試合みたさの観客動員増だろう。
ついでに対巨人戦ともなれば、パリーグ球団にとっては、1面にでる 可能性や、スポーツニュースで取り上げられる率が増えて、多少の赤字 が出ても、それはパブリシティ効果の増大(イメージの向上)でチャラ だろう、とそろばんをはじいているのかもしれない。
仮に現状と同じ程度の試合数を、1リーグ10球団でこなすとなると、 各球団が14回ずつあたる126試合か、16回ずつあたる144試合(現在は 140試合)が妥当だと思うけど、このうち半分の試合をホームとして 主催すると、その放送権料は1試合1億で計算すると、それぞれ7億、8億 円になる。(ちなみに巨人に入る放送権料は、あまり現状と変わらない 64億~72億円になる)。
まあ、これでこれで現状20億とか30億といわれる赤字の1/2~1/3程度は 穴埋めして、残りは新たな観客の獲得、グッズの売り上げで図ろうと いうのだろう。
でもはたして、そんなにうまくいくのかな?
ひとつ考えられるのは、今後も巨人戦の放送権料は、1億円を維持でき るのか?という事である。 かつては視聴率20%を割るだけでも話題になった巨人戦の視聴率は、 ここ数年は10%前半~時には一桁でも珍しくなくなりつつある。
ゴールデンタイムに放送されている事を考えれば、そのスポンサー枠の 広告費も大暴落はしないだろうけど、逆にあまりの低視聴率にスポン サーがつかずに、番組として放送が危ぶまれる可能性もあるんじゃない のかな。
読売サイドとしては、それを見越しての1リーグで対戦相手を増やそう としてると思うんだけど、長期的に見れば放送権料が下がることは あっても、上がることは難しいような気がする。
そしてもうひとつは、じゃあ現状のまま、1リーグ化しても経営体質が 変わらないんじゃ、あまり意味はないんじゃないか、という事である。
つまり、球団代表などの幹部社員が、親会社からの数年の出向社員で ある限り、そこにプロ野球をさらに盛り上げようという気運は盛り 上がらない可能性のほうが高いように思われる。
日本にあるもうひとつのプロスポーツ機構、Jリーグの場合はどうかと いえば、たとえば鹿島アントラーズの場合には、その前身は住友金属 だけど、現在の社長は、たしか親会社からの出向ではなく生え抜きの 社長だったはずである。
Jリーグの場合、親会社の撤退というフリューゲルス、ベルマーレの ショックもあってか、親会社依存の体質からは脱却する流れになって いると思う。 では、今後のプロ野球はどうなのか。そういう流れになりうるのか。
そして最後にあげるのは、合併に対するファンの違和感である。 球団側としては、合併してもダブルフランチャイズ制をとることで、 今までどおり地元のファンには一定の配慮をみせ、なおかつ近鉄・ オリックスの場合には、同じ関西地区という事もありオリックスファン 近鉄ファンが相互に交流することで観客動員も1+1=2になることを 狙っているのかもしれない。
でも、はたしてそううまくいくのか。
たとえば、私は横浜ファンである。もしも横浜とヤクルトが合併した 場合、スタメンは半々か、ヤクルト優勢になる気がする。今まで横浜 生え抜きの選手が好きで応援していた人間が、いきなりヤクルトのス タメン選手も同様に応援できるのか、といわれると微妙である。
もちろん、古田、宮本など、スワローズの選手たちは好きだし、いい 選手だと思うが、自分のチームの選手としてみるのはまたちょっと違う 気がするのだ。
つまり私は横浜ベイスターズのファンであるが、それは球団(会社)が 好きなのではなく、選手が行なっているプレーとか、チームカラーが 好きで応援していると思うんだよね。
だから一時期の森監督の時は、伸び伸びとプレイする横浜色が薄らいで いる気がしてちょっと馴染めなかったのである。
また、私は私設応援団に入るほどのファンではないが、もしも自分が ヤクルト式にビニール傘を持たされて、東京音頭を歌えといわれたら やっぱりちょっと違う気になる。
それぞれの応援団にもファン気質や、今まで培ってきた文化といった ものがあると思うのだ。
そして今回、新たな合併の軸として注目を集めているロッテの場合、 その応援の仕方は巨人ファンが思わずパクってしまうくらい、独特の 応援文化を持つファンがいる。
合併した後、はたしてその応援文化は守られるのか、もしくは合併先の ファンはロッテ方式をすんなり受け入れられるのか、そう考えると 一時的ではあっても、今まで熱烈に応援し、球場に来てくれたファンの 足は遠のく可能性もあるんじゃないのか。
Jリーグのマリノス・フリューゲルスの合併のときは、同じ横浜という こともあったけど、一方でフリューゲルスのファンが主体となって設立 した横浜FCという受け皿ができたし、その後、横浜Fマリノスも、独自 のチームカラーを打ち出したおかげで、新たなファンを獲得し、あの ショックを乗り越えたように見える。
では、今度合併してできた新球団には、はたして足して2で割った以上 の、新たなファンを獲得できるような魅力作りはできるのだろうか。 こればっかりはフタを開けてみて、5年10年経たないとわからない問題 だと思うのだが。 でもファンの違和感が長引いた場合には、結構大変だったりするのかも しれない。
と、現状についていちゃもんばかりつけるのもアレなので、次回個人的 な対案を出してみる。
2004年07月08日(木) |
合併頼みのオーナーたちの思惑 |
日本プロ野球再編の動きが新しい展開をむかえた。 7/7のオーナー会議で、26年ぶりに出席した堤西武ライオンズオーナー から、パリーグで新たな球団合併話が水面下で進んでいるという発表が あったらしい。
ライブドアによる近鉄買収話にはまったく耳を貸さない態度とあわせて 考えると、もう近い将来にむけての1リーグ化の流れを止める気はない らしい。
今回の合併劇の仕掛け人である宮内オリックスオーナーにしても、 堤オーナーにしても、以前から巨人がリーグを脱退したときの有力 パートナーとして、常に名前のあがっていた球団だし。
パリーグとしては巨人戦の放送権料という収入源に一縷の望みを託す しかない所まで、追い込まれていたんだなあ、と思うのである。
でもそのせいで、スポーツ新聞の一面には実際のプロ野球選手の活躍 ぶりではなく、どの球団とどの球団がくっつくか、というまったくの 憶測の記事ばかりが、今後もにぎわせていくのだろう。
スポーツ新聞にしたって、プロ野球ファンだけに向けた活躍記事よりは そういう憶測記事の方が、より沢山の人の注目を集めて売れるんだろうし。
そのせいばかりではないと思うけど、個人的には今年のペナント レースについては、まったく興味がなくなってしまった。 ま、自分のひいきのチームである横浜が最下位になっているという のもあるけれど。
でも今もファンのためにいいプレーを見せようと思っている選手たちに とっては、この騒動は本当にいい迷惑なんだろうなあ。
今年はそうでなくても、オリンピックイヤーだから、あと1ヶ月もした ら、マスコミはオリンピック一色になってプロ野球の試合が1面になる 可能性はどんどん低くなる。 つまり人々の関心もプロ野球からは益々遠のくかもしれないのに。
はっ、もしかするとそこには世間がオリンピック一色の、その間に事を 進めてしまおうという、オーナー達の深謀遠慮がかくされているのかも しれない?
だとしたらうまいことを考えたものである。 ただでさえ、今年はオリンピックにかなう訳はないんだし、逆に 長嶋ジャパンがオリンピックで金メダルを取った日には、今までの マイナスイメージから一転、マスコミ的にはプロ野球スゴイ、の大合唱 になるだろう。
大体、次のオーナー会議自体が、アテナオリンピックが終わった後 なんだし。 これを期に、プロ野球は一丸となって頑張ろうなんてスローガンが 出てきてもおかしくはないのかもしれない。
でもね、もしもそういうムード戦略がうまくいったとしても、実際に 合併した後に残る違和感は、持ち越されたままだと思うのである。
で、それこそがもしかするとプロ野球の命運を握るものなのかもしれ ないわけで。 という事で続く、かも。
2004年07月06日(火) |
なぜ、三菱自動車ばかりが燃えるのか |
最近、三菱自動車製の車が、あちこちでよく燃えている。 リコール隠しなど、様々な悪事を重ねてきた同社であるから、 その自動車が、燃えてもおかしくはないと思う人も多いだろうし、 やっぱり信頼性は低いんだ、と思って買い控えをする人も多いの かもしれない。
前年比新車販売台数60%減、という背景には、そんな風にニュース の影響も(少しは)あるかもしれない。 私自身も、今じゃあ、三菱自動車を買うか、と言われたら正直ためらい たくなっちゃうし。
でもね、ちょっとだけ疑問も残ったりするのである。 最近やけに三菱自動車が燃えるというニュース、多くないっすか?
私が疑問に思うのは、数ヶ月前、三菱自動車のリコール隠しなどの 不祥事が発覚したのと時を同じくして、今まではなんともなかった 三菱製自動車が燃え出したっていうのは、どう考えても不自然なん じゃないのかな、ということである。
つまり、今までも同じ頻度で三菱製自動車は方々で燃えていて、 それが今まではニュースとしては大々的には取り上げられなかった という方が自然なんじゃないのかな、と思ったわけですね。
じゃ、なんで今まではニュースにならなかったのだろう?と思うと そこには、新聞にせよTV番組にせよ、三菱自動車や三菱グループは 大きいスポンサーでもあるわけで、そこは大人の事情で私たち消費者 には教えてもらえなかったのかなー、なんて考えていたわけだ。
そうしたら、たまたま読売新聞のウェブサイトで、私の疑問に答えて くれるような記事を発見したのである。 ちなみにその記事は、社会欄7/6付3:00に配信された記事である。
なんでこんなもってまわった書き方をするかといえば、無断転載禁止 の上、タイトルを書くことも著作権の侵害にあたるからだそうで。 せっかくいい記事なのにねえ、もったいない。
という事でここでは私の独断で、要旨だけ書かせてもらうと、 国土交通省によれば、2002年の車両火災は8617件(放火事件も含 む)。大体年平均で1万件の車両火災があり、1社あたりの年間発生件 数は約600件。
だから、三菱自関係者によれば、「統計上は1日1件燃えていても不思 議ではない」らしい! 国交省担当者も、「三菱車で急に車両火災が相次いでいるわけではな い」と言ってるらしい。
なんだ、やっぱり今までだって燃えてたんじゃん。しかも三菱自動車 に限ったことではなく、他のメーカーの車だって燃えている可能性は あるって事なのだ(ただし放火も含むが)。
私たちはどうしても、日本製の自動車は頑丈で壊れにくく、しかも 車検制度もしっかりしているから、車が燃えるなんてありえない、と 思いがちだけど、日本に何万台の車があるのかは知らないが、燃えて いるのはその中の数%だと思えば、その位の割合で、整備不良車が あっても不思議ではないのかもしれない。
第一、外車はもっと高い確率で燃えているのかもしれないわけだし。
だから、突如ニュースとして三菱自動車だけがピックアップされ 出した、という事のほうが実は不自然なのかもしれないわけだよね。 もちろん、三菱製自動車が燃える事自体にニュースの価値を認めた からこそ、メディアはこぞってニュースとして報じたわけで。
その裏には、あの三菱自動車がまた!というメディアと我々の予断 が隠されているんだろうなあ、と思うのである。 そう思うと、ニュースとして選ばれる価値って一体なんなんだろう、 と考えてしまったり。
でも、おそらく三菱自動車の関係者は、たぶん今頃は、うちだけに 限ったことじゃないのになんでうちだけニュースにするんだ、 と苦虫をかみつぶしてるんだろうなあ。
それをいったら、また反省が足りないとか言われるんだろうし。
Number605号 には、もう一人、小川直也のインタビュー記事も載って いて、これも興味深い。
小川直也とは、'92年のバルセロナオリンピックの柔道で銀メダルを とった後に、アントニオ猪木の勧めにしたがいプロレス転向。 その後は新日本プロレスのマットを騒がせたり、総合格闘技に参戦し たりもしていたが、一時期、ちょっと迷走していた印象もあったが、 今年になった「ハッスル」「PRIDE」に参戦するようになってから、 またその活躍ぶりが注目されている選手である。
この記事で、特に興味深かったのは、二つ。 小川の周囲にいる人が、小川直也をどう見ているのか、という点と、 その肝心の小川が、現在の格闘技ブームをどう見ているのか、という 点である。
明大柔道部出身の小川は、今もグラウンド技の練習は柔道からたもと を分かった現在も、意外な事に母校の柔道場で行なっているらしい。 以下、引用。
畳に上がるとまず、小川は学生を相手に乱取りを始める。この世界に 入ってからも、スタミナを維持する練習のベースに小川は一貫して 柔道を据えてきたのだ。
1時間ほど経ち、道着が汗で重たくなる頃、小川はそれを脱いでグラウ ンド技の習得に移る。もちろん、技の下地は柔道の寝技にある。
明大時代、小川に寝技を徹底的に仕込んだのは当時の柔道部監督、 原吉実である(略)。
現在、明大道場で小川にグラウンド技を指導しているのも、この原吉実 である。それに練習パートナーの藤井克久を加えた3人が、上半身裸に なって取っ組み合い、締め技と関節技を研究する。
藤井が小川に弟子入りしたのは1年半ほど前のことだ。当時、パンクラ スのリングに上がっていた藤井は、仲間うちで、 「小川って、やばいくらいに強いらしい」 という噂が飛び交うのを耳にしていた。
やがて小川が練習相手を求めて若手の何人かに声を掛けたとき、その 誘いに応じたのは、藤井ただ一人だった。
初めて小川とスパーリングしたときの驚愕を藤井は今も忘れられない。 技術うんぬんとは別次元の力強さの前に、藤井は身動きひとつできな かったのだ。それまで、トップレベルの評価を受けている日本人選手 と対戦して、こいつ、強えな、と感じたことはあった。
しかし、 「おれってこんなに弱かったのか」と思い悩んだのは初めてだった。 (略)
そして、そんな小川の知られざる一面として、
小川が練習で見せるこうした集中力は、PRIDEの試合があるなしに関係 がない。日頃プロレスのリングに上がるときからそうなのだ。 メニューの中に総合格闘技対策と思える内容が含まれていることに 関しても、 「プロレスラーは何でもやれなければならないから」 という説明に終始する。
また、小川は日頃から乾杯の酒すら口をつけない厳格な節制を行なって いるが、それも「プロレスラーなんだから当たり前」という文脈で片付けられる。
プロレス。 総合格闘技全盛の時代に、「最強」の称号と輝きを失い、何ら特別な 存在たりえなくなったその格闘ジャンルを、小川は今もなお、他の多く の格闘家とは違う視線から見続けているのだ。
最近、あまりTVで闘っている姿を見なくなってからは、何となく、 「小川はもう終わったのかな」なんて失礼な事も考えたり、年末の総合 格闘技大会を結局欠場して以来、「小川もびびってるんじゃないの」 なんて漠然と思っていたわけだが、これを読む限り、そんなことは なかった、という気がするのだ。
それが証拠に、「ハッスル」「PRIDE GP」という活躍の場を与えられて からの小川は無類の強さを見せ、また世に「ハッスルポーズ」を知らし めている。今年の流行語大賞にも、ノミネートされるかもしれない。
コアなプロレスファンならいざ知らず、私のようなミーハーにとっては TV放映されるメジャーな大会に出なくなってしまった選手のことは、 どうしても忘れ去りがちなのかもしれない、とちょっと反省した。
TVで大々的に取り上げられなかった間も、変にくさったりせず、小川 直也は橋本たちと頑張ってたんだろうなあ、と思うのである。 それにしても、プロレスラーというと、暴飲暴食しているイメージが あったのに、記事から浮かび上がるそのストイックな態度には驚いた。
そしてそのストイックさがあったからこそ、今回のPRIDE GPの大活躍が あるんだろうと思うし。 そして、その小川のストイックさを支える原動力が、プロレスへの愛、 なのかもしれない。
ただ単にプロレスラーとして脚光を浴びたいのなら、TV番組でOAされる 新日プロレスに頭を下げてでももう一度入門すればいいのだし、また 格闘家として脚光を浴び、大金をつかみたければ、今最も人気のある、 PRIDEに素直に頭を下げてでも出場すればいいのだろう。 でも小川は結局そういう事はせずに、自分の信じる道をつらぬいた。
それはとても不器用な事だと思うが、その一方で言えばとても格好いい 事だと思う。 というより格好よすぎる。
この記事の中で小川は現在の総合格闘技ブームに触れてこう語る。
「夢がねえなあ」 その思いには二重の意味が含まれている。ひとつは観る者の夢の喪失 だ。(略)
もうひとつは選手が見る夢の欠落である。 小川はUFCに出場している選手の何人かから、 「本当はリアルファイトはやりたくないんだ・・・・・・」 という言葉を聞いた。高額の賞金を得てもそれは一時のことに過ぎな い。選手にだって家族と生活がある。本音は誰もが息長くリングに 上がり続けることを望んでいる。
「みんな、プロレスをプロレスをやりたいのだ」 それが、小川の感じ取った彼らの本音だった。
この小川の語る総合格闘技観と、前回の日記で書いた須藤元気の それが、実に対照的で面白いと思う。 それは、どちらが正しいと言うのではなく、どちらも正しいのだろう と思うのだ。
そして、「強い者を決める闘いはアマチュア時代にやり尽くした」と 常々語る小川にとっては、今回のPRIDE GPは、もっとプロレス的な 文脈で語られる「ハッスル」を盛り上げる、というモチベーションが あったからこそ、再びリングに上がる気になったのかもしれない。
今度行なわれるPRIDE GPの決勝大会で、はたして小川がどこまで勝つの かは、わからない。でも最後の最後まで、小川はプロレスラーとして、 リングの上に立ち続けるのかもしれない。
すべては「ハッスル」と自分の信じるプロレスの未来のために。
ただのミーハーとしては、小川が今後も長く脚光を浴び続け、私たちを 楽しませ続けてほしいなあ、と思うのだ。
2004年07月04日(日) |
Number605号 山本KID徳郁、須藤元気 |
現在発売中のNumber605号は、格闘技特集。 この特集に出てくる3人の日本人の語る内容が面白い。
山本"KID"徳郁は、父がレスリングオリンピック金メダリストの、 山本郁栄、姉に今回惜しくもアテネ代表を逃した女子レスリングの 山本美優、聖子の姉妹がいる、レスリング一家の末っ子である。
今年の2月にK-1 WORLD MAXで、初出場ながら第一戦で見事KO勝ちを おさめ、その後骨折により惜しくも棄権をしたが、一躍脚光を浴びた。
その山本"KID"がインタビューにこたえる内容が、朴訥ながらとても 興味深いのだ。 詳しくは雑誌で読んでもらうとして、一部引用すると、
―カリスマ性、オーラのような何か、ありますよね。相手も会場も 飲み込むような。
「自信だけ」
―絶対に自分は勝つと。
「試合になっちゃったら一緒じゃないですか。戦うことは戦うんだか ら。その日だけでいいから、もう自分を信じ切っちゃう」
―信じ切る根拠は、やはり、これまでの経験ですか。
「そう。それに、いちど試合前に緊張して負けたことがある。カーン とやられた」
「魔裟斗くん、有名になった。頑張ってる。それは認める。あの体で、 あの才能で、あそこまでいった」
淡々とした調子だった。 人気の王者を「あの体で」と評した当人の肉体にぎこちなさは皆無で ある。つまりナチュラル。
「サプリメントも摂らないし、器具もほとんど使わない。2ヶ月に1回、 ちょっと動かす程度。器具だと、こういう体にならない。やっぱり人間 相手。タックルして持ち上げる。ペタッと這った体を引っこ抜く。 ベンチプレス120㎏挙げるけど、ぜんぜん楽。60㎏の人間ふたり持ち 上げるほうがしんどい」
以下、解説。 器具は「カチカチ」であり動かない。だから一方向にしか負荷はかから ない。しかし、人間は動くので「1回ずつが、その時にしかない、おお げさに言えば一生に一度の角度」。さまざまな方向から筋力を鍛えると 結果としてケガも少ない。
薬品・サプリメントもしかり。短期間で効果は出るが一過性に過ぎず 「あとで必ず弱くなる」。ナチュラルな肉体をつくりあげられれば 「ルールの変化にも対応できる」。そもそも「器具と戦うわけじゃ ない」のだ。
ちなみに「ミルコ(クロコップ)は、いい体してる。柔軟な」。
「ノールール、何でもアリはキツイけど逃げ道がある。立って弱い なら倒して寝る。キック弱かったらパンチ。でもボクシングは両腕で 顔と腹を打つだけ。その中に何百個も技術がある。フェイント、コン ビネーション、当てる角度、タイミング。だから芸術。ボクシング、 いちばんスポーツで凄い」
アマレスは。 「たまにジムの後輩たちとレスリングの練習すると、みんなハーハー 息上がって。アマレスの人、あれ、毎日やってる。最高にリスペクト。 オリンピックめざして国を背負ってる競技は強い。個人(として生きる プロ)も強いけど」
続けて。 「俺、そのふたつ重なっちゃったから完璧」
―プロとして「相手の長所を引き出す」なんて考えたことありますか。
「そんな」
―そんな余裕はない。 「余裕あるけど、そんな人間できちゃいない。あくまでも潰す。心まで 潰す。二度と俺とやりたくないと。俺のこと倒してカネもらいたいわけ じゃないですか。そんなやつに情けはいらない」
―相手によって動かないと。 「動かない。体、たぶん、みんな一緒。力が強い人もいる。それは 筋肉。問題は脳味噌。脳味噌の中は宇宙。無限大。いいことしか考え ない。頭、ぴっと動けば体も動く。相手、関係ない。自分のことだけ」
と、長々と引用したんだけど、私がそこから感じるのは、「頭の回転の よさ」だと思う。ちゃんと自分の立つ位置がわかっていて、軸がぶれて いない印象があるのだ。
そしてその語り口調は(インタビュー記事だからそのままではないと 思うが)、どこか辰吉丈一郎を感じさせる気がする。
そして頭の回転のよさ、と言う意味ではもう一人、須藤元気の場合も 同様である。
こちらは本当に一部分の引用にとどめておく。
「『闘うことって無意味』と発言したい。本当の強さは経験ではなく、 意志から生まれる。闘いから何を得られるのかという問題を突き詰めて いくと、経験より意志の方が強い。
極端な話、先に意志を持ってしまえば、経験は必要ない。引退したら、 どんなにすごい格闘家だって"ただの人"ですからね。そうなったら 誰もチヤホヤしなくなる。だから格闘家にかぎらず復帰するパターン が多いんですよ」
憧れの有名人は非暴力主義者のガンジーやキング牧師。こんな格闘家は 本当に珍しい。
「本当に強い人たちって、暴力を振るわれてもやりかえさない。かと いって相手に屈しないし、跪かない。これって、なかなかできないもの ですよ。
実際にそうやって暴力を振るう人間に対して暗にその行為の愚かさを 気づかせる。いずれは自分もそういう境地に達したい。目指せ、達人 ですよ。まだ闘っているということは、全然そうじゃないんですけど ね」
非暴力主義と暴力的な攻防が満載のMMAの狭間で揺れる須藤元気という 振り子。試合で相手を殴る行為はどうやって正当化するのかと水を向 けると、須藤は理路整然と答えた。
「人間は誰でも闘争本能を持っている。よく『格闘技を見たら、スッ キリした』といってくれるファンがいるじゃないですか。我々の闘い を見ることによって闘争本能を燃焼してくれたら、自分が闘っている 理由を正当化できる。見ても満足できない人がいたら、自分でやれば いい。そこが格闘技の健全な部分だと思うんですよ」
普段の試合では、トリッキーな動作で対戦相手に躊躇させたり、観客 を楽しませてくれる須藤元気の、その行動が何に裏づけられているの か、ちょっとわかったような気がする。 やっぱり、屈折してるわけじゃないけど、アンビバレンツで複雑な何か があるからこそ、ああいう行動ができるんだろうなあ、と思うのだ。
でも、今まではただの当て馬と言うか、キワモノ扱いだった須藤元気も この前のK-1 ROMANEXで、ホイラーグレイシーを瞬殺してからは、一躍 スターダムに上ってきたような気がする。
これからもリングで、そしてTV番組でその存在を主張し続けるんだろう なあ、と思うのだ。
この二人、今後の活躍が楽しみである。 という事で続く、かも。
2004年07月02日(金) |
友達以上恋人未満判定法 |
今回も思いつきネタ。しかも軽め。 先日のだめんずうぉーかーに関連して、彼氏(彼女)との距離感を 簡単に判断する方法を思いついた。
あなたが彼氏(or彼女)と目を合わせて話そうとしたときに、 相手が全く目を合わせなかったら、ただの友達度高し (相手はあまりあなたに興味は持っていないかも・・・・・・)
逆に 相手と目が合いっぱなしで、しかも言葉の会話もなしに見つめ続け られたら、ラブラブ度高し。
というのはどうだろう? ぜひ、あなたの周りの異性と試してみてはいかがでしょう?
自分の身におきかえて考えてみると、男友達とは学生時代、夢や 希望を語っていた時ならいざ知らず、最近は目を合わせて話すこと 自体がまれな気がするし、会話もなく見つめあってたらマジで怖いし。
女友達とは、ただの女友達とでも話しているときは、結構目が合う気も する。かといって、ただの女友達と、会話もせずに目と目で語り合う、 なんてこともないわけで。
女の子が、彼氏との距離感をはかろうとして、全然目を合わせてくれ ない、うわーん、なんて落ち込まれても困るので、これはあくまで 単なる思いつき、という事で。
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