今日で、非常勤で通っていた病院のリハビリテーション科を 辞めた。などと、書くと不況の現代ではリストラに 遭った悲哀、のような話に聞こえるかもしれないが、 ちょっと違う。
その病院でお世話になって4年になる。最初の2年は常勤で、 そして最後の2年は非常勤で。 本当は2年前におさらばしている予定であったのだが、人手が 足りないということもあり、請われるままに2年間を過ごさせて もらった。 そして、今回は円満退職、のはずである。
この4年間、その病院では、本当にいろんな事が起きたし、 自分の内面的にも様々なことがあった。 リハビリは普通、理学療法士(PT)という専門職の人が中心に なって行うのであるが、自分の在任期間中は、PTがいなかったり いても1人だけだったりとかして、自分たちが主体となって やらなければいけない事も多かったり。
責任を果たす上で、その状況っていうのはちょっとつらい。 ただ、発想を逆転すれば、そんな状態だからこそ、上司である PTの先生たちも、自分たちのやることを見守ってくれていた 気がする。 これがガチガチのリハビリ科だったら、早晩につぶされて いたかもしれない。
そして、受動的に教わり続ける状態より、自分たちで学びつつ 切り開いていかなければならない状況の方が、人は伸びるって いうことを気付かせてくれたように思う。
この病院で働いたおかげで、患者さんと施術者の関係や コミュニケーションの本当の大切さを学ばせてもらった。 これは今後の自分にとっての財産になるはずだ。
そして、当時から現在まで、一緒に働いていたスタッフの皆にも 助けられた気がする。 スタッフの人たちとは今でも仲がいい。
今回、辞めるにあたって、まだ2ヶ月くらいしか会ってない 新人の人も含めて本当に名残惜しんでくれたのが、 うれしかった。 危うく、泣きそうになったし。泣かなかったけど。
もしも2年前に辞めていたら、一部の人たちとは二度と 会わなかっただろうし、病院にも二度と足を向ける気には ならなかったかもしれない。 今はもう、自分の居場所があるわけではないけれど、 第2(第3の?)心の故郷として、あの病院の想い出は 心のどこかにこれからも眠り続けるだろう。
そして、これからは本当にフリーの立場で働かなければ いけない。 今まで甘えられた部分も含めて、気分を入れ替えていくチャンス。 もっとたくましく頑張っていきたい。
いまさらかもしれないけれど、惜しい人を亡くした。 俳優、伊藤俊人さん。40歳の若さだった。
王様のレストランやお水の花道や、ショムニなどで 印象に残る、インパクトの強い脇役として、画面を 飾ってくれていた名俳優。
死因はクモ膜下出血。簡単な説明を加えるとすれば 脳と頭蓋骨の間には、隙間があり、そこは脳髄液っていう 透明の液体で満たされている。 スーパーで売っている豆腐のパックを思い浮かべてもらうと わかりやすいかもしれないけれど、 頭蓋骨がプラスチックのパックで、豆腐が脳みそだとすれば その間にある液体が脳髄液。そしてその隙間がクモ膜下腔。
クモ膜下出血って言うのは、脳を栄養する動脈が破裂して その隙間に血液が流れ込むことで脳の中の圧力が 上昇してしまい、脳が圧迫されたり栄養が回らなくなってしまう 状態を指す。
くも膜下出血は、伊藤さんのように若くても発症する事もあるし 予後も不良だったりすることも多い。 迅速な手術が行えれば、もちろん助かる例もあるし、実際 自分もそういう人たちのリハビリテーションをしたことも あるんだけど今回は、出血した場所も悪かったんじゃないだろうか。 クモ膜下出血の場合は本当に時間との勝負だったりするし。
個人的な知り合いでは、もちろんないけれど、 伊藤さんが亡くなって、もう画面や舞台で見られなく なってしまったのは、やっぱりさびしかったりする。
職業柄、様々な人と死別するのは慣れているはずなのに 直接知らない方の死に対して、なぜこんなに喪失感を 感じるんだろう。 特別なファンではないけれど(失礼)、もしも時間が許すのなら 告別式に行こうかと思ったほど。
三谷幸喜の劇団出身だと言うこともあって、三谷幸喜自身が 追悼文を発表している。 そのままはりつけていいのかどうか、考えたが、友人が故人を 悼む文章として、最高の文章だと思うのであえてそのまま 引用したことで、個人的なお悔やみとしたい。 伊藤俊人さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
伊藤俊人君のこと
役者としての彼は、機敏な動きと、切れのいいせりふまわしで、 常に舞台を引き締めてくれました。頭の回転が速く、 舞台上で誰かがせりふを忘れたり、思わぬアクシデントが起きた時、 助け舟を出してくれるのは、いつも彼でした。劇団員たちにとっては 頼れる兄貴分。 そして僕にとっても、もっとも信頼できる俳優でした。劇団が休みに 入ってからも、僕のかかわったドラマや舞台にはなくてはならない 存在でした。
彼が尊敬する人物はフレッド・アステア。わざわざアステアの自宅まで 行って庭石をくすねてきたことがあったくらいです。 長年にわたって、彼はタップダンスのレッスンを続けていました。 彼のリズミカルで軽快な動きは、タップダンスで培われたものだと、 僕は思ってます。 どんなに舞台の上を走り回っても、そよ風に舞う羽毛のように、舞台の 上を動ける俳優でした。
(新聞報道で、彼のことを『名脇役』としたものがありました。) この世に『脇役』という役はあっても、『脇役俳優』という職業は ありません。 伊藤俊人は『脇役』もできる、優れた俳優でした。
これから歳を重ね、軽さの中に、哀しみやペーソスが加わった、 味のある役者になるはずの男でした。 哀愁はあっても、決して暗くはならない、日本では珍しいタイプの 俳優になるはずの男でした。そして50を過ぎたあたりで、代表作と なるような作品に出会うはずの男でした。 人生って捨てたもんじゃないなって思わせる、地味だけどあったかい 映画の主人公を演じるはずの男でした。
残念でなりません。
三谷幸喜
2002年05月26日(日) |
クイズ番組オーディション |
今回はちょっと文体変えてドキュメンタリータッチ。 タイトルにある通り、クイズ番組のオーディションに 出場してきました。
番組の名前は「ウィーケストリンク」 フジTVで月曜の7時からやっているクイズ番組。 うーん、うまく言えないんだけど、ミリオネアとサバイバーを 足して2で割った番組って言えばわかりやすいかも?
んで、結論から言えば面白かったっす。特に出場しようという 素人の方々が。
とりあえず、メールでも募集していたので、応募してみたら 来てください、って事になったので行って来ました。 おそらくは、応募者何百人のうち、出場できるのって数人だと 思うので、まあ、経験してみるのもありかな、と思ったもんで。
オーディション会場は、都内の制作会社のスタッフルーム。 最初に犯罪者のごとく、ポラロイドをとらされた後、10分間で 50問の筆記試験を受けて、最後に面接という段取り。
緊張しないようにしてたけど、やっぱり最初、写真をとられる時は 緊張してたんで表情かたい(笑)。 50問の問題は、まあ、わからない問題もあったけど、おそらくは そこそこの点数をおさめたんじゃないかなあ? 白鳥の湖の作曲者、とか、真っ白になっちゃってたけれど。
その後、ADの人からは、面接でのキャラクターが重要なんで頑張って くださいという、ありがたい訓示を頂きつつ、しばし雑談。 ここまで来たら、あとはもう開きなおるしか(笑)。
さて、面接。 バミってある場所に立たされて、カメラテストを兼ねての面接。 とりあえず、最初じゃなくてよかったって感じかな? んで、面白かったのはここら辺から。
自分が語ったストーリーは、もしも受かってTVに出場したときの お楽しみにしてもらうとして、今までただの素人だった方たちが、 自分の物語をしゃべるしゃべる。
借金があって家計を支えたいので、っていう話だったり、 高校の先生で、教え子にも高校生クイズ選手権に出場させているという クイズ好きな人の話だったり。 どっちかって言うと、出場するよりはあっち側に座っていろんな人の 話を聞いているほうが面白いかもしれない。
そして、もう一つ驚いたのは、たまたま、かもしれないけれど、自分が いたグループの人たちは、みんなクイズ番組出場経験が豊富だったこと。 そんなこと、雑談してたときは一言も言ってくれなかったやん。
面接が終わった後、帰るときに、「皆さん、すごいんですねえ?」って 聞いてみたら、ある人から「予選を突破できるくらいの経験を重ねないと TVには出られませんよ」という、ありがたい訓示をまたまた頂きました。 いやあ、勉強になるわ。
というわけで、実際自分が、TV番組に出られるのかどうかは、神のみぞ 知るって感じなんだけど、それとは別に思ったことがある。 それは、素人参加番組とキャラ。という訳で次回に続く。
2002年05月23日(木) |
窪塚主演「ランドリー」を観た。 |
窪塚洋介主演映画、ランドリーを見た。 一言で言えば、これは不思議な感覚の映画だ。
小さな頃、頭に怪我をして子供のまま成長して、ばあちゃんの コインランドリーで洗濯物が盗まれないように見張っている 主人公テル(窪塚洋介)が、コインランドリーが人の手に 渡ってしまった後、心に傷を持つヒロイン水絵(小雪)の 忘れてしまった洗濯物を届けに行く過程で、鳩使い?の 内藤剛など、様々な人たちに会っていく、というロードムービー。
さて、個人的にはどこに不思議だと感じたのか。 それは、この映画が、普通の映画の文体(と言っていいのか?) とは、異なっているからだと思う。
例えば、映画のストーリーに起承転結のような展開はあまりないし、 主人公の行動にも一見脈絡はない。特に成長することもなく、 行き当たりばったりのように見える。
この感覚は、松本大洋の漫画や、吉本ばななや村上春樹の小説に 近い感じがする。 そう、つまりはこの映画は、ものがたり映画なのかもしれない。
ものがたりを整合性や、必然性といった形で捉えようとすると 少しおかしなことになる。 つまり、こういう展開だったら、こうなるはずだというような シュミレーションのような話と、ものがたりは、相性が悪いん だけど、実は前者のような小説や映画が多かったりする。
だけど、現実の私たちの行動のすべてがなんかの筋書きに沿って 生きている訳ではないし、自分たちの行動のすべてを説明できる わけでもなかったりする。 意識がすべてではなく、無意識が左右する偶然性があったりする。
これは、自分自身の考えではなく、実は心理学者、河合隼雄が、 村上春樹との対談「こころの声を聞く」(新潮文庫)の、受け売り だったりするんだけど、すなわちものがたりは日常生活をおくっている 私たちの無意識に響くからこそ、心を動かしたり、癒す作用がある。
そして、この作品は、脚本、監督を担当した監督自身の物語であり、 内面のドキュメンタリーであるような気がする。 この映画の登場人物たちは、みんなどこか弱く、そしてやさしい。 敢えて、邪推をすれば、それでもなんとかなるって言うのは、 監督自身へのメッセージなのかもしれない。
そしてその監督自身の物語を成立させる上で重要だったのは、 子供の心をもったまま成長した主人公テルという役に存在感を 与えたのは、窪塚洋介という役者の個性だったといえるかも しれない。
窪塚は、何色にも染まると思うが、その下に必ず強烈な個性の見える 稀有な役者だと思う。彼もまた、不思議な存在感のある人である。
この役は窪塚洋介にしかできなかったのかどうかは、わからないが 窪塚洋介が主人公を演じたことで、この作品は説得力をもったと いえるかもしれない。
うーん、また必ず観たいとは思わないんだけど、機会があったら また観たいって感じかも。
2002年05月20日(月) |
サッカー日本代表(3)「6月の軌跡」を今読む |
などと色々とゴタクを並べてはいるが、実は単純に今回の 日本代表には期待している。 ただし、それは必ず彼らが決勝トーナメントに進めるとか、あまつさえ 優勝するのではないか、っていう期待ではない。 彼らが実際どこまで進めるのかは、サッカー素人の 自分にはわからないし。
ただ、たとえ結果がどんなことであれ、彼らは彼らなりのベストを 尽くすだろう。
昨日もちょっとだけ触れたが、「6月の軌跡」(文春文庫)という本がある。 スポーツライターの増島みどりが、98年フランス大会に出場した選手、 監督そしてスタッフが何を感じたかを、インタビューしてまとめた本だ。
あの当時、日本が3戦全敗した事もあって、彼らの生の声をメディアで 聞くのは難しかった。この本はしばらく経った後に、重かった彼らの 口を開かせた、貴重な本だと思う。
そして今、この本を読み返してみると結構面白い。 例えば、昨日も触れた、カズが代表から外れた日について、城彰二は カズが外れ、自分がFWの中心になることについて、 「怖かった、心細かった眠れなかった」と、後に語っている。
結果論を言えばきりがないが、もしもあの時、カズが残っていたら、 彼はもう少しのびのびとプレーできたかもしれない。
そして今回残念ながら出場できなかった名波選手は、 「3敗した。周囲はそれだけを言うだろうけど、自分たちにとっては そうではない。起きたこと、感じたこと、すべて整理して心に しまおうと。自分たちは結果が出なかったことにこだわらなくては いけない立場だからこそ、黙っていることであそこで感じたことを 生かしていくしかなったんです。」
「世間は結果の3敗だけを言うようになると思うし、それでいい。 でも、あそこで感じたもの、見たもの270分のプロセスすべてを オレは絶対に忘れない。1分1秒を絶対に風化させない(略)」 と語っている。 つくづく、彼がこの大会に出れたらなんて言ったのだろう、そして 前回の体験をどう生かしたのか、聞きたかったと思うと残念なのだが。
前回のフランス大会に行って、今回も選ばれた選手は以下の通り。 森島、服部、小野、市川、秋田、川口、楢崎、中山、中田。 このうち、森島、服部、小野、楢崎、そして市川はサブのメンバーで、 残念ながら、あまり活躍することは出来なかった。 当時はレギュラーとサブの間には、ものすごい壁があり、サブは最後まで サブとしてしか存在できなかった事も、書いてある。
そして彼らが今は、日本代表のレギュラーとして活躍する立場にある。 今回のチームでは、誰もが出場し、活躍する可能性があると思う。
秋田は、最後のテストマッチで出場機会が得られなければ、 本戦には出られない可能性も高い気がするけれど、 それでも試合に出れるかもしれないって思うことは 彼らのモチベーションを高めてくれるだろう。
トルシエの采配がどうであれ、本番で活躍するのは彼らなのだから。 この4年間で、彼らがどれくらいのバリエーションのある、 想像力あふれるプレイが出来るのか、自分が期待しているのは そのパフォーマンスであり、彼らが何を感じたのかを、 語ってくれる声だったりする。
2002年05月19日(日) |
サッカー日本代表(2) |
と、いうわけで、前日に引き続きサッカー日本代表について。 なんで、僕たちはこの4年間で、サッカーの見方が成長したと思ったのか。
そのきっかけは、中村俊輔が代表落ちしたことに関する報道からである。 代表選手の発表の前、中村選手や、中山選手が果たして 代表入りするのかどうか、マスコミはそこに最大の関心が あるかのような報道をしていた。
そして結果的に中村選手は代表入りできず、中山選手は代表入りを 果たしたわけだが、中山や秋田選手が代表入りしたことの インパクトが強かったためか、中村選手が落ちたことに関して、 そんなにマスコミは大きく取り上げず、そんなに反発も 起きなかったように思う。 もしも、トルシエがそこまで計算して、直前まで中山選手を 代表から外していたら、それはすごいことなのだが。
もちろん、中村選手はすごい選手だと自分は思うし、彼の フリーキックがW杯で見られないのは個人的には残念だったりする。
そして、自分が思い出すのは、4年前の代表発表の時の事だ。
あの時は、三浦カズ選手が、果たして代表入りするのか どうかが、一番の関心の的だった。 そして、多くのマスコミは、カズ選手の実力がどうなのか って事に関わらず、外すことを前提に、報道を 過熱させていた気がする。
最終的に決断をしたのは岡田監督だが、もしかすると 彼の決断を狭めたものはマスコミの報道に踊っていた われわれの声、だったかもしれない。
そのくらい、自分を含めた素人はサッカーについて知らなかったし、 サッカー関係者は、マスコミに報道されることに 慣れてなかったのかもしれない。 岡田監督自身は、日本人がW杯を本当に認識したのは、 98年からだ、と後に語っている。
あの頃、少なくとも自分は、マスコミの報道の通り、 日本代表の決定力のなさに憤慨していたし、 中田中心のチームに過剰な期待をしていた。 でも、実際のチームがどうであったのか、 これはスポーツライターの増島みどりが、フランス大会後に 代表選手達にインタビューをした本に詳しい。
そして、今回、日本代表選考に関して、単調な報道には なっていないところをみると、世間の人々も単純に マスコミには踊らされなくなってきているし、 中村選手や中山選手の記者会見を見ていると、 サッカー選手達もマスコミとの付き合い方に慣れてきた ような感じがするのだ。 あくまで印象でしかないんだけれど。
これは、それだけサッカーが自分たちの生活の中に 入ってきたっていう証拠なんじゃないだろうか。
日本で行われるW杯が、フランス大会以上の熱狂を 呼ぶのかどうかは、わからない。 でも、自分を含めてW杯が間近で見られることを 楽しみにしている人は多いと思う。
そんなわけで昨日、サッカー日本代表23人の発表があった。 中山と秋田が代表入りし、中村と高原と久保は残念ながら、 代表落ちしW杯には出場できなくなった。
自分はサッカー経験者でもないし、事情通なわけでもない。 ただの素人の印象を敢えて語るとすれば、今回の代表選考は、 偶然性の割合が高かったんじゃないかな、って感じがする。
中村が直前に足を痛めなかったから、 小笠原の代わりに出場できたかもしれないし、 高原の肺の塞栓症がもっと早く回復していれば、 中山は選ばれなかったかもしれない。 そして、アウェイでDFがきっちり機能していれば、 秋田が選ばれることはなかったかもしれない。 そして、久保もコンフェデ杯の鈴木のように ゴールを量産していれば、W杯に 出場できたかもしれない。
必然的にこの23人になったのではなく、今W杯を前にして、 一番可能性のある選手たちが選ばれた結果なんじゃないだろうか。 今回代表落ちした選手たちも、決定的に何かが劣っているわけではない。 その事は、選手たち自身がよくわかったいるような気がする。 中村のインタビューを聞いているとそんな気がする。
彼らはプロで、まだ次回のW杯にもチャンスはあるんだから。 素人が下衆の勘繰りをする必要はないだろう。 でも、今回の代表選考を見ていて思うのは、 僕たちはサッカーという話題に関して、この4年間で見方が 随分と成長したんじゃないだろうか。 何故、そう思うのか、それは次回に続く。
はじめまして。 これからエンピツにお世話になるharryです。 職業は、はりきゅう師。はり師だからharry。
この日記では、自分が出会った言葉や、思いついたことを書いていこうと思います。 それではどうぞご贔屓によろしく〜。
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