およそ三ヶ月くらい前にされた約束、なかなか果たされずに過ぎていた。 それがやっと実現した。 とっても嬉しい約束だった。 息子はいろんなことがあって自分の進む道が見つからないままに長い時間が過ぎてしまっていた。 本人曰く”空白の6年”だ。 しかし、今思えばその5年はそれ以前の5年をも含めて今につながる道だったといえる。 人生ってその時点で立ち止まってみると、満足してるときは問題ないけれど そうでない場合、特に無為に日々を過ごしてると自分を責めている時点では毎日がとんでもなく無駄で そこに意義を見出すことなんて決してできはしない。 けど、そういう苦しい長い時間を過ぎて、光が見えて、そこにやっと到着したときはほっとするし 道のりを考え直すこともできる。 すると、今まで思い切り回り道をしてその道は曲がりくねってはいても、間違いなく同じゴールを目指していたんだと判る。いろんなところでつながっているのだ。 迷路のように曲がりくねった道を手探りで進んできた息子、 やっと今、目標にたどり着いた”かもしれない”ところに来た。 そこで、私達をおいしいお店に招待すると3ヶ月ほど前に言った。 1度目はなんと夫が気乗りしなかった。 2度目は母や妹一家が数年ぶりに泊まりにやってきた。 そして3度目にやっと実現した。 場所は天神 和創彩肴 喜家 ちょっと隠れ家的?でわかりづらいところにあるがお店の雰囲気はとてもいい。 お兄さんたちの”あいよ”の掛け声が小気味良いしみんな良い目をしていた。 焼酎の種類の多さにびっくりするし、なんといっても料理がいい。 地元(九州)で取れた魚や肉を使っての創作料理がこれまた、いい陶器に乗せられて運ばれてくる。 ”大将のおまかせ”で頼んだのだが、ちゃんと嫌いなものはないかと聞いてくれるし、 どれも絶品ぞろいだった。 もう一度絶対リクエストしたものばかりだけど、あんきもや、佐賀牛、それにアナゴの揚げもの、佐賀レンコン、五島のごまさば、皮を剥かれているのに飛び跳ねる活きえび(食べるのに勇気がいった)、あぶったかつお、その他・・・どれもこれも、手を尽くして最高においしい状態で出てくる。 焼酎のメニューの多さにどれを頼めばいいかわからない。結局はお勧めをきくと、その時々に応じてリストアップしてくれ、期待を裏切らなかった。 子供に招待されるってちょっと気恥ずかしいところもあるのだけど、なんとも言えず心が柔らかになる。 なにせ夫はあまりにいい気分過ぎて(笑)、私がチケットを買うのに手間取ってまだホームに到着していないのもわからず自分だけ先の電車に乗って帰ってしまっていたくらいだ(爆)
眼下に大きな渦が見られ飛び込んだらその渦に巻き込まれて浮上しないというので自殺が相次いだといわれていた。今は新西海橋が建設されて、そのふもとには「魚々市場」と書いて「とといちば」と読ませるお魚のせりを見せる市場が出来て賑わいを見せていた。 買い求めたお土産は、早煮昆布、岩のり、九十九島せんべい、それと平戸のかまぼこ。 平戸のかまぼこは板に乗っているのではなく、すぼ(今もいうのかな?)と呼ばれるストロー状のものにくるまれていておいしいのだ。 そしてここからは太平洋戦争の突入(ニイタカヤマノボレ)を発信した針尾無線塔が周りの風景にそぐわないまま聳え立っているのが見える。 10月半ばというのに夏のような暑さの中、見つめているとふっとめまいをおぼえる。 今は海上自衛隊が使用してるそうだが、ネットで調べてみたら解体されると去年の新聞ニュースに乗っていた。 あんまり暑いのもあって、昔懐かしいアイスクリンを探してみんなで食べる。 ちょっと素敵なおじさんで話も愉しく、ついカメラを向けたらポーズをとってくれた。 愉しい一日だった。
このところ秋晴れが続いて、何時までも夏用の半そでを着続けている。 町に出ればそれでも装いは秋色。 この中途半端で気持ち良い季節には毎年、「ああ着る服がない」といいながら過ぎていく。 このまま、いきなりセーターを着る季節が来ればよいなどと心の中で思う。 夕べのソフトバンク、辛かったなあ。 カズミ、よく頑張ったね。 コンピューターが再起動を再三促しているので、出かけることにする。
NHKの「お江戸でござる」で江戸の話をするときの日向子さんが大好きだった。 どうしてああまで無邪気な顔で、美しい日本語をたまらなく楽しく話せるのかといつも憧れを持って眺めていた。いつしか話の内容は聞かないままあの顔だけをただ見つめていたこともある。 その彼女がブラウン管に顔を見せることがなくなってどうしてらっしゃるのだろうと思っていた (彼女が何かのエッセイで病気だということを告白していたので病気のことは知っていた) そうして、彼女が亡くなったことを知ってもう1年以上が過ぎた。 思い出して著書「4時のオヤツ」を読んでいる。 ほとんど会話でできている。 読んでいるととにかくいろんな事が懐かしくなってくる。 4時という時間はとても中途半端な時間。 夜明け前で、夕暮れ時。 ほんのちょっと小腹が空いて何かをつまみたくなるけれど食べ過ぎると大変。 けど、そのホンのちょっとがおいしい時間。 日向子さんは33篇の短編をエッセイのような感覚でサラリと書いている。 ほんの少しの時間の少しの言葉。 けど、もう二度とは戻ってこない時間。 やっぱりいいなあ。 今、彼女は空の向こうで熱燗を飲みながらあのにこやかな顔で地上を見てるんだろうな。 「そんなに急いだって、泣いたって、怒ってたって、何事もいずれは失われることになるのよ。 のんびりなさい」って・・
秋を食べようと(そこまで大げさではないのだけど)生栗が店頭に並んでいたので茹で栗にして食べようと一袋を買ってきた。 幼かったその昔、この季節になると母は、栗を買ってきて前日の夜に硬い鬼皮を包丁でむいて(たまに手伝わされた)翌日栗ご飯を炊いていた。 貧しい家なのになぜか季節の変わり目などはその季節のものが食卓に並んでいたような気がする。 お彼岸には必ず小豆を煮ておはぎ(田舎ではぼたもちと言う)があったし、春の蓬が庭先に出るころには勿論、蓬もちが並んだ。 そのころ私は、”ぼたもち”という言葉が大きくてぼってりとした太った体を連想させたから好きでなかった事を思い出す。 本当は”牡丹餅”なのだからとてもきれいなことばなのに・・・ 先日のこと、地域のボランティアでその牡丹餅つくりをした。 おばあちゃんたちは沢山の知恵を持っている。 「うるち米ともち米の配分はこうだよ」 「あ、家はちょっと違うけど」 と、にぎやかにまずは米をたき、いよいよあんこを絡める。 「ラップを手のひらより大きめに切って手のひらにのせてね、水で湿らせるでしょ。そこにあんこをのせてその上に丸めたご飯を乗せるの。そしてラップ毎しっかりまるめる。ほら、きれいにできるでしょ」 「こうすると手も汚れないしラップも何回も使えるし便利なのよ」 「あ、ほんと、それに表面がつるつるでとってもきれいね」 「私はね、ガーゼを使うのよ。そうするとあんこがよく伸びて均一に付くし洗えばほら何回でもつかえるでしょ。それに布目があんこについてそれはそれできれいに仕上がるのよ」 「ああ、そうですねえ。それもいいですねえ」 それぞれが、一個ずつ作りああでもない、こうでもないといいながら出来上がったものを並べると大体同じ大きさに作ったご飯のはずが、外側についたあんこの量でまあ、大きさがさまざま。 大笑いしながら、あんこをはずして足りないほうにくっつけたりと楽しい時間をすごした。 こんなことをやってるときってお年寄りのほうが思い切り先生だし、私たちはいつの間にか子供に戻っている。こんな他愛ない時間をもっともっと、お互いに持てたならみんなが生き生きと暮らせるのになと改めて思う。 あ、茹で栗は皮を剥くのは甘栗と違ってちょっと大変だけどやっぱりおいしかった。
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