飛行機乗り継ぎのために空いたたった3時間。 思い切って彼は20年前の面影を求めてみようとする。 12歳のころに別れたままその町にいるのかさえもわからないのに・・ 電話帳で探し・・ヒットする。 「僕はドナルド・プラント。12のときに会ったきりだけど」 「あら、・・・ドナルド・・ね」 戸惑いながらも記憶の糸を手繰った彼女は「こっちにいらっしゃいよ」と誘う。 「本当に久しぶりね」 いろんな思い出を話し合う二人。 どこか食い違う思い出。「本当に久しぶりだね」 彼女はアルバムを取り出してくる。 「ほらみて、ここにも、こっちにもあなたがいるわ」 「あのころに戻ってもう一度恋人に戻らないか」と彼。 でも、彼の心の中には何か奇妙な感覚が・・ 「見て、この写真。あなたよ」 「これは、僕じゃない。これは、ドナルド・パワーズだ」 「だって、あなた、ドナルド・パワーズでしょ?」 「違う、僕はドナルド・プラントだ。電話でもそういったろ?ここには、僕はいない。 君は本当は僕が誰かさえもわかっていないじゃないか」 飛行機が轟音を響かせて夜空に舞い上がるまでのたったの5分間、彼は二つの世界を同時に生きた。 12歳の少年と、妻を亡くした32歳の大人と。 飛行機を乗り継ぐためのわずか3時間のあいだに、実に多くのものを失ってしまった彼。 彼は思う。 「でも、それがどうしたというんだ。俺のこれからの人生なんて結局は何もかも切り捨てていくための長い道のりに過ぎないじゃないか?どうせそれだけのことなんだ、きっと・・・」 人は生きていると、こんなどうしようない、そして強烈な瞬間に出くわすときがある。 生きるって、確かに積み上げることではなく、捨てていくことなのかもしれない。 そこからだって、人は希望を見出すことができるようになっているんだ。 だってなくすって事は新たに探すことにつながってるもの。
好きな言葉の一つ。 20代のころよく不思議な体験をした。 眠っていて夢だったのか、それとも実体験なのか結局はわからないまま終わってしまうのだけど、よく歩いている道の途中、角を曲がるときに感じるのだ。 「あ、ここは、いつか来たことがある。 そして、人に出会った。そうあの人だ。あの時はあの角を右に曲がっていった。 うん、やっぱり同じだ。でもここにきたのは今が初めてのはず。」 という感覚。 しばらく立ち止まって右、左と眺めてみる。 本当に初めての場所なのに、見るほどに感覚だけがよみがえってくる。 そういう時って、出会った人と交わす会話までが感覚によみがえる。意識の底に残っていてまるでゆっくりと浮き上がってくるようにだ。今感じているこの感覚は現実なのか、それとも単に意識の中だけなのか。 判らないけれど、でも絶対に以前と同じ、この感覚。 子供たちが小さいころ、子供の夢を見るとこんな夢を見たよというと、「ふーん」と、聞き流していた子供たち。もう、夢を見ても僕たちに言わないでと、言うようになった。 なぜか、同じことが起こるからという。 そんな子供たちが家を出て住むようになってからも、私はよく夢を見た。 夜中に眠っていると、子供たちが、長男か次男かもわかるのだけど、階段をとんとんとリズミカルに上がってくる足音がはっきりと聞こえるのだ。 そして、ドアがパタンと開く。今、隣の部屋に入った。帰ってきたんだなと思う。 時には、私の眠っているところに入ってくることもある。 そのとき起き上がろうという意識は不思議に起きない ああ、帰ってきたんだなと、ただ思う。 「今、私は眠っているわけじゃない、だってすぐそこに子供はいるじゃないの、高校生のあの子が、」と、意識が訴えている。そしていつのまにか眠りに落ちているのだ。 思えばいつの間にか、そんな感覚を感じることがなくなってしまっている。 何時から、感じなくなったんだろう。 こういう感覚って、年齢と同じで、積み重ねるごとに消えていってしまうものなのか。
最近はちっとも夢を見ることなく朝を迎えていた。 今天文会が色々面白い(衛星の数を増やしたり減らしたり)発表をしている。 それに関係があるのかないのか・・・二日前の朝方の夢の話。 私はある人(ネットで知り合った人)の見送りに駅なのか、港なのか、空港なのかそのどちらかに来ていた。 実際にあったことはない人なのに、はっきりと顔が見えている。 声をかけたいのだけど、かけられない。 私のそんな気持ちを察してかその人はほんの一言か二言私に言葉を投げかけて去って行った。 奇妙な夢を見たなあと思った瞬間、私は別世界にいた。 真っ暗な夜なのに、上空には星がきらめいていた。 ほんとうにこの世とは思えないくらいの明るさの星達が文字通りきらめいていたのだ。 それもちかちかと瞬く音が聞こえるくらいの近さで。 いったい何が・・と思ったときに、 「早く、あの音楽をなんとかしろ」と、夫が叫んだ。 息子の部屋から聞こえる大音量のCDの目覚まし。 もう、なんてこと。 息子は目覚ましをかけっぱなしなのに自分の部屋ではなく下の部屋で朝を迎えてしまったのだ。 結局、実際に起きる予定(5時40分)の二十分前に起こされてしまった。 朝の20分は貴重なのに(ぶつぶつ・・) あの曲、いい感じだった。あの音が星空を見せてくれたのかもしれない。 思うに・・・ 天文学会の偉い方々は、お年寄りばっかりのような気がするのは、私ばかりだろうか?
若いころは人様に自分のふるさとは佐賀県ですとは、あまり言いたいとは思わなかった。 聞かれると、”九州”ですって答えていた。 そのころ、自分のふるさとを人に話すとき県名できちんと言うか? というアンケートがなされていたのだが、なぜか佐賀県出身の人は、”佐賀県”とは言わず”九州”と答える人がほとんどだと書いてあった。 なぜ?と、思うのだけど、佐賀は観光も特になく、ただただ平野が広がるだけの農業県でよそに向かって胸を張って佐賀県といっても、「え、そこってどこ?ああ、九州ね」と、返事が返ってくるだけだったためだと思う。”はがくれ”の精神も有名なのだがそれはなぜか”ケチ”ということの代名詞にもなってしまっていた。 テレビドラマの”おしん”の時は”佐賀”が大きくクローズアップされたけれど地元の人たちは、 とんでもなく意地悪な姑のいるところというので佐賀が悪いイメージになったと嘆いていたと聞いたりもした。 よいニュースが飛び込んだのは、甲子園で佐賀商業が優勝したときだった。 本当に地元の子供たちだけの野球部で、信じられない力を発揮してさわやかに美しく優勝旗を佐賀に持って帰ったのだ。私もつい嬉しくてなけなしのお金を胸を張って寄付をした(母校なのだ(笑)) その後、佐賀もどんどん様変わりをしていった。 しかし、ふるさとでもある武雄市は、温泉地であり、有名な太閤様の”楼門”もあるのだけど、なかなか発展には結びつかなかった。 その武雄市がまたまた、クローズアップされたのは今年の市長選のこと。 全国最年少の市長が誕生したのだ。 そのニュースは結構刺激的で全国に広まった。 市長は年齢が若いというだけではなく斬新で、柔軟な考えを持った人のようで、最近は”公用車のネットオークション”というのをやった。普通に下取りに出したときと違って結果的に市の財政を潤すことになるようだ。 その市長が、毎日ブログを書いている。 ”武雄市長物語” わたしは、一度読んでからすっかりファンになった(笑) 毎日載せられている内容もそうだが、添えられている写真が好きなのだ。 その写真の中にはラナが大好きな堤防の写真もあった(それを見たときは思わずファンメールを送ってしまったm(__)m・・・お忙しいのにちゃんとレスを下さったのに感激した) そこに、今度はテレビドラマの話が書かれていた。 ”さがのがばいばあちゃん”が、なんと武雄市でロケをするそうだ。 映画も本も見てないのだけど、ドラマになれば私は内容でなくその風景を見たいと思う。 昭和の時代の懐かしい山や川、空の青さや、もしかしたら実家にもあったぼんぼんとなるねじ巻き式の柱時計、今からわくわくする。 輝かしい経歴の市長がスーツではなくポロシャツを着て見事な武雄弁を駆使して地元に溶け込んでいる様子も見れるので、一度ブログをクリックしてほしい。 今、私は佐賀県に住んでるわけではない。 それなのにこうした形で自分のふるさとの様子を毎日感じられると言うことがとても嬉しい。
最近、カメラを持ち歩くことを忘れがちで写真がない。 お盆に実家に帰ったときの話である。 このとき、カメラを持参しなかったことがものすごく後悔した話だ。 我が家のわんこは大体において癖があって、よく前足の指や、後ろ足の指をなめている。 ひどいときには、尻尾をかみすぎて血だらけになったこともあった。 そのつど、あんまりひどいときには病院へ連れて行くのだけど、その度ごとにどこも悪くないといわれる。 それで、私が勝手に診断してるんだけど、 もともとオトナシクて犬らしくない犬なので、どんどん犬としては退化していきその分、 人化してしまってるのに、人のようにしゃべれない。いつも、ただただ目で話しかけてくるしかできない。(犬馬鹿な飼い主の勝手な気持ちである) そのせいで、私がいない時間、話し相手がいないわけで自分の体をなめることで気持ちを消化しているのではないかと思うのだ。 そんなわんこ。 最近は口の周りを掻き出した。 あんまり続くと、口の周りの毛が抜けて、血がにじんだりする。 そこで今回はもしかしたら本当に皮膚病かもと病院へ連れて行った。 やっぱり、特に何もないようだといわれ、念のためとお薬をもらった。 アレルギーのお薬だけど、この薬を飲むと食欲が増し水を欲しがります。 でも、あまりに水を飲んでもそれは薬のせいなので心配しないように。 ということだった。 そして、水を欲しがるというのは、つまり、おしっ○を沢山するということに繋がる。 ちょうど、お盆のころにそのお薬が終わるところだった。 「薬を飲んでいる間、最初の二日は掻くのがなくなったので、ああ、これはやっぱり・・ と、おもったのだけど、結果としてはそのお薬はハズレだったようだ。 先生は、ハズレだった場合はそのまま様子を見るようにとの事だったので現在は何も飲んではいない。」 そんな状態で、実家に連れて行ったときに、夕方になって文字通りものすごい夕立がきた。 普通、雨が降るとどんなに誘ってもそとにでたがらないわんこなのに、そのときは猛烈に行きたがった。 雷は今にも落ちそうにごろごろ鳴り響いているし、地面は見る間に水があふれてきて、犬の足だとくるぶし以上に溜まっている。 それでも行きたいと私の周りを走り回る。 そこで役には立ちそうもないが傘を持って外へ出る。 実家は田んぼの真ん中で周りには人家などない。あるのは鉄道の線路と田んぼだけだ。 そんな中を、わんこは必死に走っていって田んぼのそばで長い時間座って用を足していた。 ほとんど、お尻は水に使った状態である。 笑ってはいけないがその情けない顔はなんとも言えず「カメラをどうして持ってこなかったのだろう」と、後悔仕切りだった。 次の日の朝、ちょっと遠くの堤防まで散歩に行った。 そこはラナが大好きな場所で実家へ行くと絶対に行きたがるところだ。 何もさえぎるものがなく好きなだけ遠くへ歩いていけるところだ。 ラナは何かを見つけて草むらへ一目散。 そうなのだ、雨が上がったので、川ガニが沢山散歩をしているのだ。 あっちにも、こっちにも・・・ ラナはカニがどういうものか知らない。夢中で追いかけていたのだが、 一瞬のうちに動きを止めて私の顔を見上げた。 その情けないこと。(笑) なんと、前足にカニが、正確に言うとカニのハサミがぶら下がっていた。 前足で押さえられた(油断したカニに違いないが)カニはとっさの判断でハサミを残して逃げていったのだ。 私も、びっくり、同時に大笑いで、ハサミを取ってやった。 そのあとも、珍しく何時までもカニを追いかけて遊んでいた。 カニのハサミがぶら下がったときのラナの顔と、お尻を水につけるようにして用を足しているラナ。 カメラにおさめて、見せたかったな。 ちなみに、わんこはその後雨が降るとますます頑強に外へ出る事をしなくなった。
数日前のこと。 食事の準備中、「あ、窓が赤い」と、夕焼けを見ようとカーテンを開ける。 見ると・・正面に虹がちょっとだけ顔を出していた。 雲に覆われているのに、最後に少しだけでも顔を見せようとするみたいにきれいな色を空ににじませ上空に延びる部分は雲の中に溶け込ませていた。 今日は朝から一日中雨。 風も吹き荒れている。
今日は(も)朝からとにかく暑い!! 家の中にいてちょっと動くだけで熱中症にかかりそうだ。 そんな中、実家の母は漬物の手入れに余念がないようだ。 いつも周りがそこまで働くなというのだけど、体を動かさずにいることのほうが地獄に近いという。 そして、自分の限界まで動きすぎて、目の周りに真っ黒な隈を作ってしまう。 そんな働き者の母の娘なのに、娘だからなのか私は暑いといっては、休み、寒いといっては休む。 電話の先で、「何もしてないっていったいどうやって時間をすごしてるのか?」と、叱られてしまう。 心の中では、いつも反省。 けど、体は動かない。 このままだと足がなくなってしまうのでは?(使わなさ過ぎて)なんて妄想に襲われる。 そういう気分の中で作った、ものすごく自己流のいい加減バッグ 二昔くらい前に買ってしまいこんでたキルティングがやっと日の目を見た。 サイズはA4よりちょっと小さいくらいの、マチ付き箱型(一応)
昨日のこと、きゅうりが沢山あるし、変わったメニューがないかとレシピを検索してるうちおいしそうな高菜漬のメニューを見つけた。 我が家にはいつも高付けが常備してあるのだがたまに飽きてきて、誰も箸をつけようとはしなかったりする。 そこで、このメニューを見つけた瞬間「あ、これはいける」(笑) 早速、多すぎるかなと思いつつも作ってしまう。 夫、「なんだ、これ、豚肉がはいってるじゃないか?」 息子「あ、いつものと違うけど、なんかご飯が進みそうだなあ」 それぞれが、違った時間だけれど箸を伸ばした。 「ごはんおかわり!」と、夫。 「あれ、ついスピードが上がってしまって、ご飯がもうおしまいだよ」 大成功のレシピだった。レシピは下のサイトのメニューから「高菜と豚肉の炒め物」(本当においしいよ!) ありがとう!「ごはんすき・COM」さん
ゆうべのこと。遅い散歩に出ようとした矢先、家のカーテンが金色に包まれた。 あ、ゆうやけ・・履いていた靴を脱ぎカメラを取りに戻った。 夕焼けは、突然にやってきてレースのカーテンをばら色に染めていく。 急がなくちゃと、通りまで出ようとするがあっという間に色が変わってくる。 まだ、赤いうちにと途中でカメラのシャッターを切るが電柱が邪魔をして上手く撮ることができなかった。 結局は上の写真・・・夕焼けというよりは残照という感じかなあ ゆうべはこの写真の一番赤いあたり、花火大会があった。 新聞の書評に「バレンタイン」柴田元幸著 があった。 東大教授の初の小説集で短編からなっている。ある種のなさけなさとおかしさが尾を引く話(評者言) 最初の一篇が「バレンタイン」 路地を歩いていくと、小学生だった昔の自分に会ってしまう話だ。 そのとき僕は「参ったな」と、思う。 何回か出会う(僕が会いに行くのだが)うち小学生の彼は気がつき、悟る。 そして聞くのだ「ねえ、生きていくのってたいへん?」 書評を書いた樋口伸子さんも書いているが、もし私がそう聞かれたら、いったいなんと答えよう? チョコなんて絶対あげれないし、たぶん、たぶん、恥ずかしくなって逃げ出しちゃうだろうな・・・・ 最後の一篇は「ホワイトデー」だそうだ。 是非、読んでみたい本だ。
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